私的ページ:山田晴通
[年記]:2003年を振り返る
2003年は、これまでの人生の中でも公私ともに最も変化が激しい、根本的な転換のあった年でした。今回は12月中に「年記」をまとめました。特に、個人的な「十大」ニュースでは、「プライベートなことなので詳細は省く」ものが多くなってしまいました。そっとしておいてやってください。(^_^;)
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2003年を振り返ります。
(2004.02.13.に、このページの記述の一部を削除しました。不適切な記述が掲出されておりましたことを、関係者にお詫びいたします。)
- 離婚。(8月)
プライベートなことなので詳細は省く(以下削除:2004.02.13.)。
- 続けざまに交通事故を起こす。(4月)
春先、交通事故を続けて起こしてしまい、多くの方々にご迷惑をおかけした。4月には、同じ日のうちに2件の追突事故を、同じようなパターンで起こしてしまうという最悪の日もあり、自動車保険の担当者に呆れられた。また別の日には、コンクリート塀に車体をぶつけて壊してしまった。ご迷惑をおかけした方々には、ひたすらお詫びするのみである。行政処分は免停1ヶ月。講習を受ければ事実上1日だけの免停となるはずだったが、講習は受けず、謹慎するつもりで1ヶ月免許を返上した(7月)。
- 心療内科とつきあう。(4月〜)
プライベートなことなので詳細は省くが、心療内科にときどき通うようになった。この関係では、いろいろな意味で貴重な経験をしたし、考えさせられることも多くあった。
- (項目削除:2004.02.13.)(12月)
- 息子が大学生になる。(4月〜)
息子が大学受験し、何とか滑り止めに引っかかって4月から某私大の大学生になった。学園生活も、それなりに楽しめている様子。
- 23万円を失う被害に遭う。(12月)
落としたのか、盗まれたのか不明だが、銀行カードをなくした上、それを悪用されて不正に23万円あまりを口座から引き出される被害に遭ってしまった。警察にはいろいろとお世話になってきたが、被害届を出したことは記憶になく、おそらく初めて。
- 体重が減る。(通年)
生活環境の変化が反映しているのか、体重が徐々に減ってきた。一番太っていて重かった3年ほど前には89キロくらいあったが、年末には82キロほどの水準。おそらく、加齢とともに体質が変わってきたのだろう。
- パスポートを紛失する。(2月)
今年最初の英国行きの際、パスポートを紛失し、ロンドンの領事館で再発行してもらった。以前、ドイツでパスポートをなくして以来、2度目の失態。
- 東京都民となる。(10月)
通学のことを考えて、後期から息子が週中は同居することになり、それまで借りていた大学から徒歩十分ほどの風呂なしの部屋から、一回り大きく大学に近い風呂付きのアパートへ移った。住民票もこちらに移した。住民票の上で東京都民になるのは初めて。
- ラクダ肉を食べる。(8月)
渡豪した際、アリススプリングスで、観光客しか行かないようなレストランへ行き、初めてラクダやエミューを食べた。このほか、以前にも食べたことのあるカンガルーやワニの料理も出てきた。けっこう美味しかったラクダ肉の料理が、印象に残った。
- 学部教務主任を務める。(4月〜)
学部教務主任は、学部を学校にたとえて学部長を校長と見立てるなら教頭に相当する仕事。事務方に助けてもらいながら、何とかこなしている。
- オーストラリアでコミュニティFMの調査。(8月〜9月)
運良く研究助成を得ることができたため、今年もオーストラリアへ渡り、コミュニティFMへの聴き取りを各地で行った。また、在豪日本人の有識者数名に話を聞く機会を得た。シドニーのほか、メルボルンやアリススプリングスなどを訪問した。
[シドニー再訪など旅日記]
- 国際ポピュラー音楽学会に参加。(7月)
国際ポピュラー音楽学会に参加するためカナダのモントリオールへ行き、昨年来のバートン・クレーンの話で個人発表をし、ジャズ祭を楽しんだ。帰路にはバンクーバーに立ち寄った。
[発表の英文要旨][カナダ日記]
- 英国でのフィールドワーク。(2月〜3月・10月〜11月)
前年からの科学研究費を受けた共同研究の一環として、英国で都市文化関係のフィールドワークに取り組み、年に2回も渡英して、バーミンガム、リバプール、ブリストル、カーディフ、ニューキャッスルなど、英国各地を見て回った。
[英国日記(2月〜3月)][英国日記(10月〜11月)]
- 論文が執筆できない大スランプ。(8月〜)
夏休み以降、論文などの原稿が書けない大スランプに陥いり、そのまま年末まで書けない状態が継続している。フィールドワークで集めてきた資料の山が積み上がるばかりで、報告が書けないという危機的な状況だが、年末に至っても打開の見通しは立っていない。むしろ重症になってきていて、雑文を書くのもしんどくなっている。
- 新たに三大学の教壇に立つ。(4月〜)
新たに、三つの大学で非常勤講師として授業を担当することとなった。火曜日は、通年で青山学院大学と明治大学へ出講し、青学の青山キャンパスで「音楽史」を講じた後、神田へ行き、明治で「地域開発論」を講じている。また、後期からは、前任校の松商学園短期大学を母胎として前年に設立された松本大学で、「マスコミ論」を月曜日1時限に講じている。
ただし、どういうわけか青山学院大学については、当日体調を崩して大幅遅刻や当日休講をしたり、教室変更の連絡に混乱があって右往左往することが数回あったり、手続きになれていなかったことから無断休講が生じてしまったりと、なぜかトラブルが頻発し、関係者にご迷惑をおかけした。青学は鬼門なのか。
- 公民館で連続講座を担当。(10月〜12月)
小平市の上宿公民館から依頼があり、「ジャズの歴史/歴史の中のジャズ」と題して10回の連続講座をおこなった。学生とは違い、年長者も多い社会人の受講生を相手にした講座で、こちらも改めて学ぶ点が多く、楽しみながら講じることができた。
[「ジャズの歴史/歴史の中のジャズ」]
- 研究室内LANの再整備。(通年)
大学院生の吉田君の力を借りて、サーバの更新、研究室内LANの組み替え、各マシンのOSのグレードアップなどを、少しずつ進めた。一連の作業の結果、研究室内のマシンの多くが、置き換えられたり、入れ替わったりすることになった。
- 「東経ちゃんねる」へ書き込む。(7月〜)
インターネット上の匿名掲示板「東経ちゃんねる」へ、継続的に実名で書き込みを行うようになった。こうした掲示板への書き込みも、教員の職務に関連した活動の一つだと思っている。
- 英国の2学会に入会。(通年)
前年の渡英の際に入会手続きをとった英国の王立地理学会と王立スコットランド地理学会から、ジャーナルが送られてくるようになった。わざわざ他大学の図書館へ出かけなくても、こうして雑誌が来るのはありがたい。とはいえ、まだじっくり読むような余裕のある日常になっていないのが残念なところ。
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- イラク戦争〜占領下の混乱。
戦争中の戦死者より、占領下のテロ犠牲者が多いというのは象徴的。外交官の犠牲者を「二階級特進」させてみせ、最後は自衛隊派兵。権力は、この事態を、自分がやりたいことの言い訳にしかしていない。
- 総選挙〜保守二大政党化。
社民党の崩壊、日共の後退は、それぞれ異なる背景があるが、要するに「革新」幻想の終焉である。単純に市民社会の成熟を期待するほどナイーフではないつもりだが、批判のための批判に終わらない体制批判の場は、どのように構築できるのだろうか。
- 景気の底打ち感。
業界や眺める指標によってはバラツキもあるだろうが、経済は確実に底を打った。問題は上昇へのきっかけがはっきり見えないことと、国際情勢だろう。
- SARSの流行。
海外への渡航自粛が出るなど、身近なところでも影響を感じた。
- 北九州・監禁連続殺人事件の公判。
事件発生からは時間が経っているが、公判を通じて明らかにされてきた事件の猟奇性は突出している。
- 年金制度改革〜負担の増大。
大幅な制度改革であり、議論の余地も大きいはず。なのに、現役世代の負担にせよ、給付額にせよ、それをいじることがどのように各世代の生活を変えるのか、その結果どのような社会になるのか、将来像がわかりやすく描かれていない。
- 久米宏のNステ降板発表。
まだ2004年3月までは画面に登場するのだろうが、貴乃花の引退以上に、一つの時代の終わりを感じた。久米の後という難役を引き受ける古舘伊知郎は、「やじうま新聞」を迫文代とやっていた局アナ時代からファンなので、それなりに期待もしたい。
- 阪神・星野監督の「勇退」、巨人・原監督の「解任」。
阪神優勝のお祭り騒ぎも事件だが、二人の監督の進退問題はいろいろなことを考える契機として興味深かった。ちなみに、山田は原辰徳と同年齢。
- 日本郵政公社の誕生。
看板の掛け替えだけ、などという批判もあるかもしれないが、半歩前進は間違いない。今後の経営動向を注目したい。
- 火星大接近。
南半球のオーストラリアから眺める大きな火星も、なかなかよいものだった。
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