私的ページ:山田晴通

シドニー再訪など旅日記:2003年8月7日〜9月4日


 今回の旅行は、最初の一週間は娘との二人旅、その後の三週間は単独の調査旅行でした。娘が一緒だった部分については、通常の日記を書きましたが、18日以降は訪問先のメモなどを残しているだけです。滞在中は、前年より円安が進んでおり、滞在期間中、1ドルは80円くらいでした。
 この日記は、書き溜めておいたものを、事後的に整理して編集したものです。
■ 2003/08/07 (Thu)
一年ぶりの渡豪

QF22便
機中
 昼過ぎまで、研究室で作業をした後、立川で用を足し、午後3時少しすぎに辻堂駅で娘と合流。大船で買い物をしてから、成田空港へ向かい、午後6時40分頃空港第二ビルに着いた。搭乗手続きを済ませ、夕食にラーメンを食べる。
 乗るのはいつもの夜行便、午後8時35分定刻のQF22便だが、JALとのコードシェアのせいか、搭乗手続きからすべてJALのスタッフが対応しており、まったくJAL便に乗るような感じだった。むしろ機体がカンタスなのが奇妙に感じられたほどである。最後尾左側の73AとBに座り、一年ぶりのオーストラリアへ向かう。娘は今ひとつ食欲がないのか、機内食の夜食にあまり手をつけなかった。フライト中は、けっこう眠れたし、ゲーム(もっぱらバックギャモンなど)をして時間をつぶした。
■ 2003/08/08 (Fri)
小食な娘の誕生日

Sydney:
Royal Exhibition Hotel, nr Central Station
 前夜の夜食に続き、娘は朝食もあまり手をつけなかった。焼きおにぎり(型押し)は食べたが、残りはほとんどこっちが食べた。
 7時前に無事シドニーに到着。入国手続きも順調に進み、税関で詳しく荷物を調べられて少々時間を取ったが、8時前にはロビーに出た。さっそくレンタル電話を手に入れる。
 例によって、宿の手配はしていないので、とりあえずウィークリー・グリーン・パスを買ってボンダイ・ビーチへ向かう。いつものホテル・ボンダイへ直行して、今夜から一週間泊まろうとしたのだが、あいにく今週末のシティ・トゥ・サーフで土曜日の晩が満室だと言われる。少し考えて、日曜日からの一週間を広めのツインで予約し、いったん中心部に戻ることにした。結局、中央駅まで戻り、こちらも定宿になっている駅裏のロイヤル・イグジビジョン・ホテルへ行き、ここに2泊することにした。まだ朝9時台だが、部屋は空いているというので、3階(こちらでいう2階)の9号室へ入る。ちょうど、はじめてここに泊まった一昨年5月14日の時と同じレイアウトの2部屋続きの部屋だった(同じ部屋だったかもしれない)。
 娘が眠いというので、奥のダブルベッドの部屋で寝かせ、10時半頃に部屋を出て、少し街の記憶を思い出すつもりで、アメリカン・エクスプレスのオフィスがあるビルまで、見当をつけて歩いていく。成田で買ったTC1600ドルのうち、500ドルを現金化し、バスで中央駅に戻り、鉄道パスのパンフレットを入手する。11時半頃に部屋に戻ったが、娘はまだ寝ていると言うので、再び一人で出かけ、タウンホールのウールワースで文具類を買い、さらに近くのABS(オーストラリア統計局)へ行って、統計書を2点買う。今日は娘の誕生日なので、帰路にはケーキを買い、さらに腹押さえのパン類を買って、部屋に戻った。
 昼食のつもりでパンを買ってきたことを告げたのだが、娘はまだ寝るというので、こちらもしばらくパソコンをいじり、パンを囓ってから少し昼寝する。結局午後2時少し前まで寝ていた。
 午後2時半頃娘と部屋を出て、まず近くに見つけた韓国系のインターネット・カフェ「メガパス」でメールチェックをする。最初はちょっと不安もあったが、実際には、気持ち転送速度が重いという程度で、全く問題なく作業環境が確保できた。中央駅から電車でタウンホールへ移動し、QVBのジェット・カフェに入って一服する。去年の訪問直後に大改装があったということで、室内の座席のレイアウトも変わっていたし、前払いだったのが後払いになっていたいして少々面食らったが、居心地の良さは変わっていない。娘はヴィエナ・ホット・チョコレート、こちらはカフェ・ラテを注文する。数学の自習帳に取り組んでいる娘をしばらくここに待たせ、一人でABA(オーストラリア放送庁)のオフィスへ向かう。今日は金曜日で、既に4時近いので、あるいは駄目かと思ったら、案の定出版物販売の窓口担当が不在ということで、来週になってから再度出直すことにする。QVBに戻る途中で、SF専門書店「ギャラクシー」が移転しているのを発見した。
 ジェット・カフェに戻って一休みした後、娘の誕生日に、あるDVDソフトを買うように言われていたので、それを扱っていたはずの店へ行くべくQVBの上の階へ行ったのだが、どうやら店はなくなっているようだ。先ほどの「ギャラクシー」をはじめ、あるかもしれない店を少しはしごしたが、うまく見つからない。結局そのまま中華街のはずれまで行き、パディーズと、その上のアウトレットを冷やかし、さらに上のフードコートにある中華料理のコーナーで夕食をとる。娘は炒飯に総菜の盛り合わせ、こちらはトムヤム・スープのエビ・ラーメンとでも言ったら良さそうな麺をとった。娘は自分で店とメニューを選び、おいしいと言って食べているのだが、やはり食が細い。ホテルへの帰り道で、中国系のスーパーに寄って何か買わないかと言ってみたが、ミネラル・ウォーターだけしか選ばなかった。
 結局、宿に戻って一眠りにしてから、昼に用意しておいたケーキを8時頃に切り、ささやかに誕生祝いにする。その後、日本から娘の誕生祝いの電話が2本入って少し元気が出たところで、再度メガパスまで出かけ、しばらく娘をインターネットで遊ばせる。こちらも、メールチェックなどをした後、外へ出て公衆電話からT氏とR氏に電話を入れ、それぞれ日曜日と金曜日にアポイントをもらう。結局、メガパスには1時間ほどいた。宿に戻る途中で、韓国系の食品店で娘に菓子類を選ばせる。
 部屋に戻ってしばらく、日記を書いたり、金銭の記録をとったりする。娘は9時を少し回ったところで、もう寝ると言って奥の部屋に入ってしまった。こちらも11時前に眠たくなり、テレビと電灯を点けたままベッドに入る。夜中に一度トイレに立ち、部屋の電気を消したが、テレビはrageをやっていたので、そのまま点けっぱなしにしたのだが、何を見たのか記憶がないくらいすぐに寝入ってしまった。
■ 2003/08/09 (Sat)
娘とそのお友達と

Sydney:
Royal Exhibition Hotel, nr Central Station
 8時過ぎに娘に起こされる。とりあえず、点けっぱなしのrageを流しながら、前日の日記を書き上げる。そのままぼやぼやしている内に10時半を回り、ルームサービスがドアをノックした。少し待ってくれと言って、シャワーを浴び、娘にも用意させて、11時頃宿を出る。今日は日本語学校のある土曜日なので、その終わりの頃を見計らって、カマリーまで行くのである。
 ノース・ショア線で北シドニーまで行き、207番バスでカマリーまで着いたのは11時判をすこし過ぎた頃だった。会場の小学校は、新しい校舎が増築されていて、以前あちこちにあった仮校舎は撤去されていた。娘が、以前の滞在中にお世話になったS家の奥さんを見つけて話しかけ、しばし立ち話をする。その後、授業が終わる友達を待って、少し一緒に話してくるという娘を残して、いったん近くのカフェ「マッジオズ」で一服する。一時間以上経って、娘は友達の女の子Rさんと一緒に戻ってきた。これからホテルまでお遊びに来てもらうのだという。そのまま三人で昼食をとって、午後2時頃に店を出た。
 バスと電車を乗り継ぎ、ホテルに戻った。昨日のケーキの残りを三人で食べながらお茶を飲んだ後、二人が部屋で遊んでいるというので、こちらはメガパスへ行く。特に何をしたわけでもなかったのだが、あっという間に時間が過ぎて、1時間半もいた。4時頃いったん部屋に戻ったが、まだしばらく遊んでいるというので、今度は駅の案内所まで行き、メルボルンなどへの旅に備えて時刻表などを手に入れてくる。部屋に戻る途中で、偶然「ベイスメント・ブックス」がレイルウェイ・スクエアの地下に移転しているのを発見し、一通り棚を眺めて回った。
 午後6時少し前に、部屋に戻り、Rさんを家まで送るため三人で出発する。電車でチャツウッドへ行き、545番バスでRさんの自宅近くで下車し、お宅の玄関まで送った。しばらくバスはこないので、そのまま十分あまり歩いてマコーリー・センターまで行く。最初はイーストウッドへ行こうとも思っていたのだが、娘がもうお腹がすいたというので、「シンプリー・ヌードル」で炒飯とトムヤム海鮮麺をそれぞれとって食べる。今日は少し調子が出てきたのか、娘はおいしいといって炒飯をきれいに平らげた。ウールワースでお菓子などを買って、290番バスでQVBまで戻る。満腹のせいで、バスの車中ではすっかり眠ってしまった。QVBからバスを乗り継いでレイルウェイ・スクエアで下車し、9時半頃ホテルに戻る。
 家へ送るカードを娘に書かせた後、10時半頃、メールを出すためメガパスへ行く。娘も一緒に来てインターネットをしばらくいじっていた。11時半頃に部屋に戻り、娘はすぐ奥の部屋で寝た。こちらはrageを見るとはなしに見ながら、メルボルンとアリス・スプリングスへ出かける日程をいろいろ考えたりしているうちに、夜中の2時近くになり、テレビを点けたまま就寝。
■ 2003/08/10 (Sun)
雌牛の尻尾

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 朝8時過ぎに起きたが、娘が起きてこなかったので、そのままパソコンをいじったりしているうちにこちらも二度寝をしてしまう。今度は娘に起こされるが、その後娘がまた寝るといった具合で、結局、起きたのは10時頃、テレビではシティ・2・サーフの中継をやっていた。シャワーを浴び、荷物をまとめてホテルを出たのはチェックアウトの午前11時ぎりぎりだった。
 電車でボンダイ・ジャンクションへ行き、バスに乗り継ごうとすると、当然ながらシティ・2・サーフの関係でダイヤも、キャンベル・パレードのバス・ストップの位置も、特別体制だった。直行バスでビルトモアの前で降ろされた。11時半頃だったが、続々と市民ランナーがゴールに駆け込んでくる。ホテル・ボンダイに到着すると、ホテルのあちこちがランナーの控え室(着替え、トイレ用)に借り上げられているし、コート側のバルコニーでソーセージを焼いているといった具合だった。割り当てられたのは3階(こちらでいう2階)の208号室(リフトから一番遠い、スイスホテルに面した位置でコート側)で、ダブルベッドが一つだけ置いてある。今夜から一週間は床で寝ることになる。
 正午過ぎに、ホテルを出て、食事へ行こうとしたのだが、娘にどこでもいいから選ぶように行ったところ、近くの店でクロワッサンを買ってそれだけでいいと言われてしまった。仕方なく、飲み物も買って、そのまま中心部へ出かけることにした。中央駅まで戻り、今日もメガパスへ行って、午後1時頃から小一時間接続する。途中で、T氏から電話が入っていたことに気づき、かけ直すと、サーキュラー・キーの現代美術館(MCA)の展覧会に行くからそこで会わないかという誘いだった。2時15分にMCAで合流することにして、再び中央駅から電車に乗ったのだが、間違ってサーキュラー・キーに行かない電車に乗ってしまい、北シドニーからバスでサーキュラー・キーまで戻り、ロックスの中を歩いてMCAへたどり着いた。T氏ご夫妻もすぐに現れたが、娘が美術館に入るのを嫌がったので、キーの反対側のカフェにつれてゆき、しばらく待っているように言う。
 MCAでは、英国から巡回してきたドローイングのコレクション、オーストラリアの画家スーザン・ノリーによる大規模なインスタレーション作品展(インスタレーション3作品のみ)、ニューヨークで活動する造形作家の作品展などを見て回る。ヴィム・ヴェンダースの写真展は、入場料が必要だったのと、随分混んでいそうだったのでとりあえずパスした。スーザン・ノリーの新作という、地下室や、洞窟の長い通路をゆっくり歩いていく防護服に身を包んだ人物の映像と、観覧車や実験室の蝿?の映像などを組み合わせたインスタレーションが特に印象に残った。
 MCAを出た、映画を見に行くというT氏夫妻と別れ、娘が待っていたカフェへ行き、ホット・チョコレートを飲む。7時頃にT家に招かれているので、それまで買い物をすることにして、パディーズへ行く。マンボのアウトレットで、娘が選んだジャンパーと手提げ袋を買う。あまり安くはなっていなかったが、これは誕生日のプレゼントである。
 その後、ニュータウンのグールズに行くことを思い立ち、まず、バスでブロードウェイまで行き、移転していたケリーズの新しい店を冷やかしてから、バスを乗り継いで、グールズへ向かう。この頃から急に土砂降りの雨が降ってきた。グールズでは、メディア関係の本を3冊買う。雨がひどいので、ニュータウンの駅までも、またバスに乗ってしまう。ニュータウン駅で結構待つことになったため、サーキュラー・キーに到着したのは午後6時15分で、ちょうどフェリーが出ていくところだった。次の45分のフェリーに乗ることにしたのだが、娘が頭が痛いと言いだし、近くの土産物店で待たせて、薬局を探しに出かけた。結局、ウィンヤードあたりまで行ったが、開いているところが見つからず、フェリーの時刻ぎりぎりで、走って戻る羽目になった。何とかぎりぎりでフェリーに間に合い、イースト・バルメインへ着いたが、以前来たときの距離感が今ひとつ解らない。とりあえず、少し歩いたが、結構遠そうだったので、やって来たバスに乗ってグラッドストーン公園で下車した。オーケストラが練習中の小学校を通り抜けて、T氏のご自宅までたどり着いた。
 T氏が雌牛の尻尾を煮込んだ料理を作ったということで、豪勢な夕食を頂く。日本に何度も来ているT氏の家には神田で手に入れたというちょっとした古いものがいろいろきれいに飾られている。きれいに額に入れられた昭和初期のマッチラベルのコレクションなども、こういう形になるとおもしろい。明治三十七年の新旧暦の対照表などもあった。結局午後9時頃までお邪魔し、娘が眠たくなってきたところでお暇した。最後はグールズで買ってきた本をみせていたのを食卓に忘れたのを、T氏が敷地の入口のゲートまで追いかけて持ってきてくれ、恐縮する。
 バス停まで来てみると、次のバスまで40分ほどあったので、目の前のカフェに入り、時間をつぶす。9時39分発のQVB行きのバスは、乗ったとたんに寝てしまい、ふと気づくともうQVBの近くまで来ていた。何だか魔法にかかったようだった。タウン・ホール駅で次の電車まで10分あまり時間があるのを確認し、そのままウールワースで、明日の朝食のパンなどを買う。結局電車とバスを乗り継いでホテルに戻ったのは11時近かった。二人とも疲れ切っていて、何もせずにそのまま寝る。ダブルベッドを占領する娘の脇で床にベッドカバーをしき、予備の毛布を掛けて休んだ。
■ 2003/08/11 (Mon)
仕事になっているのやら

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 床で寝るのはやはりなかなかつらい。体が慣れてくるまでは辛抱だ。朝は何度か起きようとしたのだが、起ききれず、結局11時近くになってから起きて、前日の日記を書く。娘はベッドで休んだままだ。今日はルームサービスを断ることにした。結局、昼食は、フィッシュ・アンド・チップスを買ってきて済ませる。頭が痛いという娘のために、頭痛薬も買ってきて与え、午後1時少し前に一人で出かける。
 まず、中央駅へ行き、メガパスでメール・チェックをする。残念ながら、返事を待っているメールがいずれも来ていない。この間、S氏に電話を入れるが、あいにく今週はスケジュールが厳しいようだ。改めてメールで連絡をもらうことを約して電話を切る。それから、電車でタウン・ホールへ行き、ダーリング・ハーバーのABAへ行く。ここでは「ABAアップデイト」の購読継続手続きをして、コミュニティ局の電話番号のリストをもらった。また、以前お世話になった図書室のJ氏が対応してくれた。
 続いて3時半頃、レッドファーンまで電車で移動して、CBAAのオフィスへ立ち寄る。アポイントなしだったが、メルボルンとアリス・スプリングスに関する情報をもらう。また、ニューズレターの送付先が間違っていて(東京経済大学ではなく東京大学に配送されたようだった)、6月号が差し戻しになっていたことがわかり、訂正しておいた。前回まで対応してくれたCさんがCBAAを離れ、同じ建物の中のFBIという新しいコミュニティ局の責任者になっていることがわかり、彼女とも立ち話をする。CBAA友の会のメンバーシップの件が担当者不在で対処できなかったので、CBAAには月末にシドニーに戻ったときに立ち寄ることになった。そのときは、FBIにも訪問することになるだろう。
 レッドファーンからボンダイ・ジャンクションの車中では熟睡してしまい、ふと気づくとボンダイ・ジャンクションで折り返し発車の直前だった。バスで部屋に戻ったのは5時ちょっと過ぎ。うまく帰宅のラッシュ・アワー前に部屋にたどり着いたということだろう。娘は昼間一度買い物に出て、羊のぬいぐるみを買い、砂浜でちょっと遊んだらしい。頭痛薬を1錠だけ飲んでだいぶよくなったようだが、夕食には出かける気がしないようだ。テレビでシンプソンズを見たいらしく、結局外へは行きたくないということになった。そこで、夕食を買いに出かけ、ケバブ・バーガーとステーキ・バーガー、それから昼と同じフィッシュ・アンド・チップスを調達して部屋に戻った。娘はちゃっかり肉だけを食べる。
 この間、テレビを点けているのだが、昔子供の頃に観た視聴者参加型のクイズ番組を彷彿とさせるものがいくつか続く。10時過ぎに、横になって本を読み出すが、すぐにうとうとする。しかし、また目が覚めて娘と入れ替わりにパソコンに向かう。例によって、今一番やらなければいけないことはなかなか手をつける気にならないので、帰国後すぐに取りかからなければいけない仕事の下準備をする。それはそれで、結構順調に進んだ。結局、最終的に床(とこ=ゆか)についたのは深夜になってからだったが、やはりまだ体が慣れておらず、すぐには熟睡できなかった。
■ 2003/08/12 (Tue)
あわや携帯電話紛失か?

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 朝は娘がなかなか起きず、結局10時頃にようやく起こして昨日の残りものを朝食にし、一緒に出かける。
 今日やるべきことは、マコーリー大学へ行って、以前お世話になった人々に挨拶をしたりすることである。正午頃、音楽学教室へ行くと、事務のAさんのオフィスは閉まっていたが、幸い主任教授のP氏が在室していた。以前使っていた共同研究室は、今は当時大学院生だったYさんが主に使っているが、一緒に使ってかまわないということで、さっそく好意に甘えさせてもらう。
 娘は頭が痛いとか、いろいろ文句を言っている。体調が今ひとつ優れないらしい。昼時は、気分転換にSAM(学生同盟)のカフェテリアへ連れてゆき、お茶を飲んで、しばらく芝生の上で寝ころんでいた。その後、ノース・ライド・センターの辺りを見に行こうということになって、292番バスで旧宅近くのバス停で降り、歩いてノース・ライド・センターへ向かったのだが、途中で携帯電話が見あたらないことに気がついた。急遽、288番バスで大学へ戻り、さっき寝転がっていた辺りを探したが見あたらない。結局、いったん音楽学教室の共同研究室へもどり、しばらく娘を遊びに行かせた上で、セキュリティに落とし物として届けた。  とりあえず、これ以上できることはないだろうかと考え、ひょっとして電話を拾った人が応答してくれないかと思い、自分の番号を何回かコールしてみた。最初は気づかなかったのだが、ふと、コールをすると身近なところでかすかに音がしているような気がしてきた。気のせいではなくYさんにも聞こえるというのでよくよく探してみたら、娘のバッグの中の、ジッパーがしまるサイドポケットの中に携帯電話が入っていた。何ということだ。
 携帯を見つけてから、メルボルンのコミュニティ・ラジオJoyに電話を入れてみる。折り返し責任者から電話があり、明日、再度電話を入れて日程を確定することになった。しばらくしてから思い立ち、セキュリティに届け出を取り下げに行ったりしたのだが、これから戻っても、娘がなかなか研究室に帰ってこないので、もしやと思い5階の共用室へ行ってみると、案の定、そこにおかれたジグソーをいじっているところだった。結局、一緒に大学を出たのは、午後4時を回った頃だった。
 S家に立ち寄らせてもらおうと思い、ノース・ライド・センターへ行こうとしたのだが、506番と間違えて507番バスに乗ってしった。結局、ケント・ロード小学校のところで慌てて下車し、そこで乗り継いだ288番バスでノース・ライド・センターへ向かった。S家では小一時間お茶をいただき、6時に都心で用事があるというご主人のご厚意に甘えて、最後はミルソンズ・ポイントまで車で送って頂いた。
 S家のご主人とはウィンヤードで別れ、こちらはそのまま電車で中央駅まで行き、メガパスでメールをチェックする。娘の希望で、駅裏口の目の前にあるセントラル・ガーデンという韓国焼き肉の店で夕食をとった。骨付きカルビに、牛タンと、ビビンパを注文し、結果的に満腹、大満足となった。勘定は丸めて40ドル支払う。
 食事の後、レイルウェー・スクエアのベイスメント・ブックスで買い物をし、長距離列車の情報を駅で確認してから、電車とバスを乗り継いで、宿に戻る。しばらくパソコンに向かうが、なかなかインスピレーションが湧かず、どの仕事も進まない。結局、進められたのは、この日記を書くことだけだった。娘はしばらくテレビを見ていたが、11時過ぎに自分でテレビを消し、部屋を消灯して寝てしまう。こちらは、暗がりの中でパソコンで原稿のためのメモなどをちまちまいじり続ける。
 
■ 2003/08/13 (Wed)
なぜか疲れが出た一日

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 午前中は8時台に起き出したのだが、また娘が起きてくれない。結局、パソコンをいじったり、何件かメルボルンやアリス・スプリングスへ電話を入れたりしているうちに11時近くになる。その後、こちらも小一時間横になったりして、結局、正午頃に、出かける気になった娘と、ようやく外へ出た。ところが、バス停まで来てから、娘が財布を部屋に忘れたのに気づき、取りに戻らせる。どうなることやら、という感じで外出が始まった。
 バスと電車を乗り継いで、メガパスへ行こうとしたのだが、娘はベイスメント・ブックスで本を見ているというので、早めに切り上げるつもりでメガパスへ一人で行く。ところが、30分ほどして娘がやってきた。何でも本屋が閉まっているというのである。年中無休が売り物の店なのに変だと思いつつ、メガパスを出て、(娘が南側の地下道を通るのがいやだというので)わざわざ北側を回ってレイルウェイ・スクエアに行ってみると、何のことはない、ちゃんと営業している。娘が場所を勘違いしていたのだ。結局、そのまましばらく店内で時間をつぶしたが、今日は何も買わなかった。
 ベイスメント・ブックスを出て、今日もニュータウンへ行ってみる気になった。先だってグールズに行ったときは、雨が大降りで他の店には寄らなかったからである。コーンストークの店が見えたところでバスを下車し、近くにあるカフェで娘を待たせようとしたのだが、当てにしていた店が見あたらない。おそらく潰れてしまったのだろうと思い、気に入ったところがあれば選ぶように娘に言って、駅の方に向かって歩き始める。ところが2ブロックほど歩いたところで、最初考えていた「オールド・フィッシュ・カフェ」がちゃんとあったのだ。記憶とは実にいい加減なものだと思った。この店はコーンストークとは道を挟んで反対側だが、結構近くにあったと思ったのに。とにかく、ここは娘も気に入っているので、飲み物とピザを注文し、出てきたカフェラテを少し飲んでから、メルボルンに電話をして、アポイントメントを1件確定させる。簡単なことのハズなのだが、やはり英語で電話してアポイントを取るのはしんどく感じる。
 一息ついてから、娘を残し、一人でコーンストークまで歩いて戻った。コーンストークは少しレイアウトが変わり、裏側のガレージにあたる奥まで店が広がっていた。研究関係4冊とそれ以外の1冊を選んで会計し、レイアウトをいつ変えたのかと尋ねてみた。すると驚いたことに、昨年9月に「移転」したのだと教えられた。何とうっかりしていることか。だから筋向かいにあるはずのカフェがずっと先にあったのだ。わかってしまえば何のことはないのだが、何だか化かされたような気になった。現在のコーンストークの向かいには、ブックス・オン・キングスがあり、グールズも以前より近い位置にあるし、ムーアという店もあって、このあたりはちょっとした古本屋の集積地になっているようだ。
 オールド・フィッシュ・カフェに戻ると、娘はピザをたいらげて、自分が嫌いなマッシュルームとオリーブをピザからそぎ落として残していた。まだほのかに温かさが残っているカフェラテを飲みながら、このマッシュルームとオリーブのチーズ焼き???を食べる。もう3時半を回っていて、今日はもうどこにも出かける気にならない。とりあえず、バスでタウン・ホールまで戻り、ジャズ・ライブを聴かせる店「スープ・プラス」に立ち寄ってライブ日程表を手に入れてから、娘がせがむので紀伊国屋書店に行く。改めてゆっくり見ていると、実に充実した大型書店である。娘には勝手に見て回らせ、しばらく中等教育レベルの地理の教科書や啓蒙書などを眺めて時間をつぶす。小一時間はいたのだが、結局ここでも何も買わなかった。ただ、最終日に立ち寄って在庫があれば買ってみようかという気にさせる本には数冊出会った。
 午後5時少し前、ちょうどラッシュになり始めた頃、タウン・ホール駅の改札をくぐろうとしたら、私服の警察官に布袋の中を見せろと止められた。全員がチェックされていたわけではないので、不審に思われたのだろうか。もちろんすぐに通してくれたが、インドネシアの爆弾テロ犯らのグループが、オーストラリアを名指しでターゲットにしているというニュースがこのところ流れているから、それなりの警戒をしているということなのだろう。
 今日の外出は、何かをしたということはなかったのだが、ホテルの部屋に戻ったときには二人ともとても疲れていて、とりあえず寝床にはいって仮眠しようということになった。部屋の電気を消して横になると、すっと眠ってしまった。
 目が覚めて起きあがったのは7時40分頃。2時間近く眠ったことになる。娘はまだベッドで寝ている。声をかけたが、まだ寝ているというので、しばらく放置することにして、今日の日記を少し書く。
 9時頃、娘を起こして、買い物に出る。ミネラル・ウォーターと一緒にアイスクリームを買ったのだが、これは「チェリー・ゲバラ」という駄洒落のアイスが目に入ったからだった。娘は食欲がないというので、ノース・インディアン・フレイバーで野菜カレーをテイクアウェイして、部屋に持ち帰る。結局、娘はカレーをほとんど食べず、アイスを食べたほかは、水ばかり飲んでいる。
 11時過ぎに消灯したが、結局そのまま深夜2時頃まで、パソコンをいじって起きていた。
■ 2003/08/14 (Thu)
おいしいもの、いろいろ

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 朝は9時過ぎから起き出して出かけようとしたが、娘がやはりずっと寝ているという。仕方なく一人で出かけ、380番バスでそのままシティへ向かい、まずアメックスでTCを現金化してから、バスを乗り継いで、メガパスへ行き、メールチェックなどをする。11時頃、ホテルの部屋に電話を入れ、娘とジェット・カフェで待ち合わせることにして、中央駅でカントリーリンク(NSW州内を中心とした長距離列車の運行会社)のパスを購入し、メルボルンから先の列車についても説明をしてもらってからQVBに向かった。娘と合流してから、252番バス(レーン・コーヴ・ウェスト行き)で、クロウズ・ネストへ行き、娘のリクエストの日本食の店「魚や」へ、午後1時過ぎに到着する。私は定番になっている「魚や丼」の定食にした。娘はなぜか鳥竜田揚げ定食を頼んだが、案の定、食べきれず、最後はテイクアウェイにしてもらった。飲み物などを含め、勘定は35ドルだった。
 満腹になって午後2時半頃に店を出て、近くの古書店を少しひやかしてから、再度バスに乗ってQVBまで戻った。それからスープ・プラスの前を通って、マーティン・プレイスを経て、ディミックスの店に入る。娘はそこで、自分で洋書を選んで、自分のおこずかいでそれを買った。まだ、4時少し前だというのに、しかも今日は何も仕事をしていないのに、私も娘もすごく疲れを感じている。宿に戻ろうということになり、マーティン・プレイスから電車に乗ってバスを経て宿に戻った。午後4時半を回っていたが、娘はしばらくベッドで仮眠し始め、こちらはゆっくりと洗濯をしながらシャワーを浴びた。
 午後6時半頃、娘を起こし、一緒に出かける。目的地は、スープ・プラスである。ボンダイ・ジャンクションから電車に乗ろうとしたが、トラブルで電車が遅れているらしくしばらく電車が来ないようだ。バスでシティへ向かうことにしたのだが、中央駅行きに乗ってしまい、途中で降りてタウンホールまで歩いた。8時少し過ぎにスープ・プラスに到着。今夜のミュージック・チャージは一人5ドル×2人分、スープ=5ドル×2人分、サラダ大盛り=7ドル、レモネード=2ドル、しめて29ドルで済んだ。ライブは、退職者然としたお年寄り3人のドラムレス・トリオ(p+b+g)に、女性ヴォーカルがからむというもので、そこそこ楽しみながら食事ができた。
 9時をまわって、娘が先にホテルに帰ると言い出したので、駅まで一緒に戻った。それから、深夜までやっているニュータウンのグールズまで行こうと思い立ったのだが、たまたまバスを乗り継ごうと中央駅前のレイルウェイ・スクエアでバス停の標識近くに立っていたら、現在位置もおぼつかない感じの日本人女性2人が近づいてきて、バスの行き先を云々話しはじめた。だいぶ危なっかしそうだったので、見かねて声をかけると、駅の南側にあるはずのホテルまで、どう戻ろうか、バスはないのか、と思って右往左往していたのだとわかった。地図を見せてもらうと、中央駅からレッドファーン側に少し行ったところにあるバックパッカー宿である。少なくともそういうところに泊まるような格好には見えない、今日到着したばかりという女性二人で、人気の少ないところを歩いて戻るしか方法はなさそうだ。結局、一緒に宿まで歩いて行くことにした。途中で、ホームレスの定宿と化している廃墟の前を通ったり、すれ違いざまに車から大声をかける悪戯をしっかり食らったりしつつ、ホテルに近い、中央駅南の線路をまたぐ陸橋の西詰めで二人と別れた。
 そのままニュータウン行きは止めて、アルフレッド・パークを横切り、メガパスへ向かった。今日二回目のアクセスだが、待っているメールは何も来ていない。結局、そのまま電車に乗って、バスを経てホテルに戻ったのだが、時刻は11時半になっていた。
 部屋に戻ると、娘はまだ眠ってはいなかったが、既にベッドに入っていた。こちらがシャワーを浴び、ジーンズなどを洗濯している間に、娘もすっかり休み始めた。そのまましばらくパソコンをいじり、深夜1時過ぎに床についた。
■ 2003/08/15 (Fri)
久々のカトゥンバ

Katoomba, Blue Mountains

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 カトゥンバ在住のR氏に会うため、朝9時過ぎにホテルを出発する。バスでシティへ向かい、アメックスの前で下車して、中央駅まで歩いてゆく。途中でYHAに立ち寄って用を足し、中央駅でカトゥンバまでの切符を買う。9時50分台発の電車で、カトゥンバへ向かう。途中、パラマタをはじめ、久々に目にする馴染みのある地名に、何だかいちいち嬉しくなった。中間地点にあたるエミュー・プレインズあたりで先方に電話を入れ、そのとき教えてもらったように、カトゥンバからタクシーに乗ってR氏の自宅に到着した。
 庭の広い一戸建てで、庭には小学校にありそうなものより少し大きいくらいの鶏舎があり、鶏が動き回れる状態で、珍しい数種類の鶏が飼われている。こちらのタクシーが到着したのを察したR氏は、わざわざ玄関先まで出ていてくれた。
 さっそく家に入り、洋梨のケーキとお茶をいただき、話をする。しばらくして、昼食にしようということになり、庭に出て無造作に何種類かのハーブや野菜をつまんできて、手製のドレッシングで味付けたサラダと、これも自家製のチャツネ、それからパンになじむように塩分を少なくした自家製の味噌!などを出して頂いた。このサラダは何よりのごちそうだった。
 食後に、散歩に誘われ、ゴミの投棄所になっている北側の尾根の墓地の辺りまで上がり、また谷を降りて、今度は住宅地の中の道を南側の尾根の上まで上がって、最後は自宅前まで降りてくる、というコースで小一時間散歩する。途中で、この家は馬を飼っている、とか、この草は本当は除去しないといけないものだ、といった話がいろいろ出てくる。
 こちらが散歩から戻ったのが、ちょうど、パートナーのKさんが帰宅されるタイミングになり、ご挨拶をした上で再度お茶を頂き、失礼することにした。帰路は、先ほどの散歩コースの途中にあった墓地から、カトゥンバ方面へ行く近道を教えてもらい、歩いて戻ることにした。
 カトゥンバでは、古本屋を見たかったので、娘をカフェでしばらく待たせ、古本屋に入り、3冊ほど本を買った。カフェでは、娘はボウル一杯のポテト(フレンチ・フライ)、こちらはパスタを注文する。本当にポテトだけでいいのかと、念を押したのだが、それでいいと言うのでそうしたのだが、後になって、追加注文をしていいかと聞いてくる。だからちゃんと食事を頼めばよかったのに、と説教しようとしたら、何とポテトをもう一杯ほしいのだという。半ば呆れつつ希望通りに追加注文をする。
 午後5時25分カトゥンバ発の電車に乗るつもりで店を出て、駅にちょうどいい時間に到着したのだが、何と上下線とも運行が乱れているという。下りリスゴウ行きは代替バスのアナウンスがあるが、上りシドニー方面はまだしばらくかかるというアナウンスしかない。プラットフォームには結構たくさんの人がいたが、けっこうアナウンスがわからない外国人旅行客もいて(自分も五十歩百歩だが)アナウンスがある旅に右往左往していた。結局、30分余りして、上り列車がきたと思ったら、これは貨物列車だった。結局、臨時の代替列車が来ることになり、午後6時をまわり、定刻より50分近く遅れて、2番線に折り返しカトゥンバ始発で運行するという回送電車が入線してきた。ところが、この列車は、入線はしたもののドアが開かない。ドアが開かないまま、駅のアナウンスが「間もなく発車します」などと放送する混乱ぶりだったが、結局、ドアが開くまでさらに20分がかかった。その間、運転中止になったはずのリスゴウ行きが、遅れて到着し、1番線を使って乗客を乗せていた。ようやくドアが開いたので乗り込んだのだが、今度は一向に動こうとしない。結局、最終的にこの臨時列車がカトゥンバを出たのは90分以上遅れた午後7時近くになってからのことだった。
 大幅遅れの列車がシドニー中央駅に着いたときには、午後9時になっていた。歩いて、メガパスへ立ち寄り、メールチェックなどをした後、これも娘のリクエストで駅裏の韓国料理店「セントラル・ガーデン」で焼き肉を食べる。なんだかんだで40ドル払う。食後は、オックスフォード・ストリートまで歩き、バスで宿に戻った。
 娘はシャワーを使った後、すぐにベッドに入って寝始めた。こちらはそのまま1時過ぎまで起きていた。
■ 2003/08/16 (Sat)
娘が帰国する

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 今日で娘は帰国する。
 朝は9時過ぎに起きるが、娘はまだ寝ているという。出発準備をするように言って、こちらは散歩に出かけ、カフェ兼古本屋で時間をじっくり使って本を選び、11時過ぎに部屋に戻った。結局、昼過ぎになって娘の荷物ができあがり、そのまま出発できるように荷物を持って外出する。
 娘が、大きな本屋に行きたいというので、バスでデビッド・ジョーンズの所まで行き、そこからジョージ・ストリートに降りて、本屋をはしごする。結局、ディミックスの本店で、娘がまた1冊本を選んだので、買ってやることにした。
 昼食をどうしようかと訊いたら、もう一度「スープ・プラス」のスープが飲みたいというので、一昨日夜に行ったスーププラスに入る。それぞれスープと、娘はラザニア、こちらは大盛りサラダをとって、昼食としては内容盛りだくさんになった。
 昼食後、グリーブのマーケットに行くことにして、バスに乗って移動し、3時少し前にグリーブの小学校の校庭で土曜日に開催されているマーケットへとたどりついた。古本の屋台でじっくり物色している間に、娘はピアスのイヤリングを選んで買おうとしたが、お小使いがもうなくなったというので、差額を出した。お土産を入れるための手提げ袋を一つ見つけるように言いつけて、これも探してきたのを買い与える。
 いったん、マーケットから出て、カフェで休もうとしたのだが、以前に何度か入ったカフェが空き店舗になっていたので、小学校の前まで引き返し、レバノン系の店らしい「カフェ73」に入る。ここで、飲み物を注文し、娘を待たせておいて、マーケットの古本屋に戻ったところ、店じまいをしようとしているところに間一髪で間に合い、1937年のNSW州の年間を20ドルで買う。店に戻って、一休みし、4時過ぎに店を出て、タウンホールに戻る。
 タウンホールに戻ったのは、お土産として菓子類などをウールワースで買うのが目的だが、娘はここで調子に乗って50ドル分も菓子類を買い込んだ。まだ2時間以上時間に余裕があるので、ジェット・カフェでまた休み、お茶と飲み、途中でマルゲリータ・ピザを追加し、途中からは二人ともそれぞれ本を読んでしばらく時間をつぶす。まあ、一緒にいてもあまり話はしなかったのだが、娘にしてみれば、今日はわがままを聞いてもらえて、好物のおいしいものをたくさん食べたよい日だったのだろう。最後は、「シドニーに来て、おいしかった」などと、感想めいたことを言っていた。
 7時半頃、ようやく腰を上げ、電車で空港に向かう。8時過ぎにチェック・インを済ませる。車輪付きの鞄と、グリーブで買った手提げ(ウールワースで買った菓子類でいっぱいになっている)を預け、空港内で一休みしようとしたのだが、少しもたもたしているうちに9時近くになって店舗の営業が終わる時間になってしまった。少し早めだったが、万一わからなくなったら、携帯の番号を見せて電話してもらうよう言いつけ、9時頃、出国手続きゲートに送り出した。
 そんなこんなで、送り出した後も少々心配で、しばらくは万一の場合対応できるように空港にいようと思い10時頃まで空港にとどまってから、電車で中央駅まで戻り、メガパスへ行く。メール・チェックなどをした後、少し調べものをし、意外に時間がかかってしまう。メガパスから、オックスフォード・ストリートまで歩いて、バスに乗ったのは11時45分頃になっていた。ホテルに帰着後、すぐにベッドにはいるが、小一時間してから目が覚め、というか、今夜のうちにやらなければいけないことがいろいろ頭をかすめ、1時過ぎにベッドから起き出す。
 とりあえずベッドに入り、ABCの rage をつけっぱなしにして見るとはなしに見る。Cibo Matto "Sugar Water"、Laurin Hill "Doo Wop" などが印象に残る。そのまま就寝。
■ 2003/08/17 (Sun)
ホテルを引き払う

Sydney

Melbourne XPT:
車中
 チェックアウトは10時だが、8時過ぎに目が覚める、チャンネルを替えながらテレビをしばらく見て、9時過ぎからチェックアウトの準備にとりかかる。朝食には、残っていたサーモンとチーズでサンドウィッチをつくり、牛乳の残りを飲み干した。チェックアウトの時間通りにフロントへ降りてゆき、本をひとまとめにしたバッグを一つ預ける。
 持ち歩く荷物は一つにまとめたが、結構重たくなった。それを抱えたまま、まず小学校のマーケットを覗きに行く。以前より、店を出すスペースが増えているようで、以前は使っていなかった中庭にも店が出ていた。何も買わないつもりだったのだが、「Far Side」の本を1冊5ドルで買う。小学校の前から店舗をデジカメに収めて Campbell Parade の端まで行く。ほぼ一年ぶりである。
 ノアズ・バックパッカーズの前からバスに乗り、シティへ向かったのだが、途中で寝入ってしまい、終点のサーキュラー・キーで運転手に声をかけられ起こされた。結構疲れているのがわかる。荷物も重いのでどうしようかと思ったが、今日は何の用事もないので、ゆっくり歩いて中央駅へ向かうことにする。結局、途中のピット・ストリートで、アニメ・マニア向けの店や、古レコード屋をひやかしたりしながら、一時間くらいかけて中央駅までたどり着いた。駅前の公園でしばし、休憩。電話をかけたりする。
 3時頃、少し元気を出してメガパスへ行き、小一時間メールチェックなどをする。4時過ぎからは、中央駅の構内や、周辺でベンチに座ったり、カフェに入ったりしながら、パソコンに向かったり、本を読んだりして時間をつぶした。非生産的なことこの上ないが、こういう時間の使い方は贅沢をしていると思うべきなのだろう。
 結局、再度7時頃、メガパスへ立ち寄り、セントラル・ガーデンでビビンパを食べ、お腹を一杯にしてから、午後8時53分発の夜行列車でメルボルンへ向かう。久々の夜行列車で、なかなか寝付かない。
■ 2003/08/18 (Mon)
メルボルン:JOY

Melbourne

Melbourne XPT:
車中
 助走期間を経て、出張に切り替わった感じなので、本日分からは、訪問先などのメモのみとする。
 午前7時、メルボルン着。初めての訪問。
 午前中は、中心市街地の見物。メルボルン関係先への電話連絡など。
 午後、南メルボルン地区へ移動。
 午後2時半〜4時過ぎまで、JOYメルボルン。
 以降、水曜日からの宿探し、土曜日からの切符の手配。
 午後7時45分発のシティリンク夜行列車でシドニーへ移動。
■ 2003/08/19 (Tue)
シドニー:ABC、ABS

Sydney

Melbourne XPT:
車中
 列車が大幅に遅れ、7時過ぎにシドニー到着。
 午前中は、買い物。
 午後から、ABC、B氏。
 ABS参考図書室。
 午後8時43分発のシティリンク夜行列車でメルボルンへ移動。
■ 2003/08/20 (Wed)
メルボルン:JOY再訪+資料収集

Melbourne:
The Nunnery, Fitzroy
 列車が大幅に遅れ、7時半頃メルボルンに到着。
 宿(ナナリー)に直行し、午前中に、3CRなどに電話を入れる。
 午後12時半頃、JOYメルボルン。
 午後は、資料収集。
■ 2003/08/21 (Thu)
メルボルン:3ZZZ

Melbourne:
The Nunnery, Fitzroy
 久々のベッドで熟睡。
 朝7時に一度起きるが、そのまま9時過ぎまでごろごろ。  午前中は、洗濯とデスクワーク。  午後、古書店で3ZZに関する資料を入手。  午後4時、3ZZZ。モーリーン。松岡氏も最初同席。  午後8時、松岡氏の車で南メルボルン。
■ 2003/08/22 (Fri)
メルボルン:3KND/3CR

Melbourne:
The Nunnery, Fitzroy
 朝、9時半ころ出発、メルボルン博物館周辺散策。
 午前11時、3KND。ピーター
 午後2時、3CR。リビー、ピーター
 夕方、スミス・ストリート周辺散策。
 夜、96番トラムでセント・キルダ。
■ 2003/08/23 (Sat)
メルボルン:

Melbourne

The Overland:
車中
 休日、市内見学(ヴィクトリア・マーケット、スミスストリート)
 夕食は中華街に近いベトナム料理店。
 午後10時10分発のオーバーランド夜行列車でアデレードへ移動。
■ 2003/08/24 (Sun)
アデレード:

Adelaide

The Ghan:
車中
 駅で荷物を預け、徒歩で市内へ。イーストエンドまで市内を横断。
 午後5時15分発のガン夜行列車でアリススプリングスへ移動。
 夕食は車中。
■ 2003/08/25 (Mon)
アリス・スプリングス:

Alice Springs:
Melanka Backpackers
 駅に到着し、呼び込みに応じて宿(メランカ)を決める。
 たまたま宿の正面がCAAMAだった。
 CAAMAへ行き、水曜日の面会を取り付ける。
 8CCCへ電話し、火曜日の面会を取り付ける。
 市街地散策。
■ 2003/08/26 (Tue)
アリス・スプリングス:8CCC

Alice Springs:
Melanka Backpackers
 8CCC、正午。
 午後は、資料収集。
■ 2003/08/27 (Wed)
アリス・スプリングス〜メルボルン:CAAMA

Alice Springs

Melbourne:
The Nunnery, Fitzroy
 8CCC、午前9時半、お菓子。
 CAAMA、午前10時。
 空港行きのバス、午前11時半。
 ナナリー予約済み。80ドル。
■ 2003/08/28 (Thu)
メルボルン:3RRR、3CR

Melbourne:
The Nunnery, Fitzroy
 11時、3RRR。
 午後1時、メルボルン大学、キャロリン・スティーヴンス氏。
 午後3時、3CR。
 午後9時、松岡氏。
■ 2003/08/29 (Fri)
メルボルン:3PBS

Melbourne

Melbourne XPT:
車中
 正午、ラトローブ大学、杉本良夫先生。
 午後4時30分、3PBS。
 午後7時45分発のシティリンク夜行列車でシドニーへ移動。
■ 2003/08/30 (Sat)
シドニー:

Sydney

Melbourne XPT:
車中
 私用=パラマタ、マンリー
 午後8時43分発のシティリンク夜行列車でメルボルンへ移動。
■ 2003/08/31 (Sun)
メルボルン:3ZZZ日本語プログラム

Melbourne

Melbourne XPT:
車中
 午前10時30分〜、3ZZZ日本語プログラム。
 午後7時45分発のシティリンク夜行列車でシドニーへ移動。
■ 2003/09/01 (Mon)
シドニー:

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 ABA(図書室)。
 NSW州立図書館。
■ 2003/09/02 (Tue)
シドニー:

Sydney:
Hotel Bondi, Bondi Beach
 SBS(アターマン)。
 CRC。
■ 2003/09/03 (Wed)
シドニー:FBI、2RES

Sydney

QF21便:
機中
 午前10時、FBI。
 午後3時、2RES。
 帰国便に乗るQF21。
■ 2003/09/04 (Thu)
帰国:
 帰国。


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