今回の旅行も、科学研究費を受給した共同研究の一環として英国で都市再開発関係の資料を収集することが主な目的でした。
今回も、1ポンドは200円くらいです。
今回の日記は体調が思わしくなかったこともあって、業務日誌に多少私的なメモを加えた程度しかありません。ご了解下さい。
見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所、緑字は宿泊地です。
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■ 2003/10/25 (Sat)
はじめて仁川空港に降り立つ
KE706便〜KE907便 機中
London: St. Athan's Hotel
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朝、7時半過ぎに成田に到着、今回はじめて利用するソウル(仁川)経由便で、ロンドンへ向かう。
途中、初めて降り立ち、乗り継いだ仁川空港の印象は小ぎれいだが味も素っ気もない感じだった。上空から見下ろしたときの、「江華島というのはこんな所なのか」という印象の方が強かった。大潮の干潮だったのか、干潟の広がる様子が壮観だった。
日本発と違い、中国やモンゴル上空を飛ぶというで、展望にも期待していたのだが、自分の席からは見えない位置だったこともあって、あまりしっかりとは眺めなかった。機中では、最初の食事(ビビンパを選んだ)の後はぐっすり寝ていたのだが、後半は起きていて、映画(ターミネーター3)を観たりしていた。
ヒースローから地下鉄でヴィクトリアへ行き、宿を探すが、どうしたわけか空きがない。結局、ユーストンまで移動し、いつも泊まっている「アコーンズ」に近い「セイント・エイサンズ」に泊まることにする。朝食付きで一泊48ポンド。
近くのインド料理店(バングラデシュ人が経営しているらしい)で夜食をとる。
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■ 2003/10/26 (Sun)
ロンドン見物
London
London: The Lynton Hotel
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体調が悪い。仕事をする気にならない。しかし、昨日買った週末二日間有効なトラベルカードがもったいないので、観光に徹するつもりで、宿に荷物を置いてとにかく出かける。
まず大英博物館へ行き、開館250周年の展示らしい「1753年のロンドン」などを観る。その後、足の向くまま、リーゼント街、オックスフォード街、ベイカー街などを歩く。
ヴィクトリアへ行って、いつもの「リントン」が今夜は部屋があるいうのを確かめる。7号室で60ポンド。
夜になってからラッセル・スクエアに戻って荷物を回収し、そのままインターネット・カフェに立ち寄る。ピカデリー・サーカスの近くでピザを食べて夕食にし、「リントン」に戻ってからは熟睡した。
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■ 2003/10/27 (Mon)
再び見物モード
London
London: National Express coach to Liverpool
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午前中は宿でゆっくりし、お昼少し前に宿を出て、ナイツブリッジのハロッズを見物に行く。それから、ゴールドスミス・カレッジへ行き、e-mail で連絡がとれなくなっているR教授の研究室にメモをおいてくる。
午後は、土産物を買いに昨日立ち寄ったベイカー街の店に行った後、ナショナル・ギャラリーへ行き、18世紀以降の常設展示を中心に見て回る。トラファルガー広場は、ナショナル・ギャラリー前の道路が完全に歩道(というか広場の一部)となっていた。夕食は、ナショナル・ギャラリーに近い「スパゲティ・ハウス」でとる。その後、ラッセル・スクエアのインターネット・カフェに立ち寄ってからヴィクトリアに戻る。
午後10時少し前に「リントン」に戻り、荷物の一部を、次にロンドンへ戻ってきたときに泊まる予定の「ライム・トゥリー」に預け、長距離バス発着所へ行って時間を潰す。
バス停では、同じバスにチェスターまで乗っていくという老紳士に「日本人か?」と話しかけられた。1954年頃、呉(「キュリ」と発音していた)に進駐していたのだという。当時の英空軍の身分証明書を見せてくれた。アメリカ軍や、同じ英連邦軍でもオーストラリア軍に比べると、当時の英本国軍は給料が安かった、などという話をしばらく聞く。
11時半発のバスでリヴァプールへ向かう。車中ではすぐに眠りについた。
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■ 2003/10/28 (Tue)
体調が悪いままリヴァプールを歩く
Liverpool
Liverpool: The Regent Hotel
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未明の3時に途中の経由地であるバーミンガムを出た後、バスは順調に北上して、朝6時過ぎにリヴァプールへ到着した。
朝の7時半にはチケット売り場が開くというので、それまで今後の日程をいろいろと考え、この後のバーミンガムとニューカッスルへの長距離バスでの移動方法を決め、窓口が開くのを待ってチケットを買う。
8時頃にバス発着所を出て、前回宿泊した「ブリタニア・アデルフィ」へ行って部屋があるかどうかを尋ねる。運悪く、今夜も、それから次に戻ってきたときにも部屋がないという。近くの別のホテルにあたってみることにする。そこで、通りを渡ったところにあった「リージェント」に入り、部屋の有無を聞いてみると、50ポンドでけっこういい部屋を用意してもらえるというので、ここに決めてしまう。
荷物を置いて、しばらくラウンジで休んでいたが、9時を回ったので、出かけることにし、ツーリスト・インフォメーションを経由して、市役所の窓口と、博物館の補修センターの展示館を回り、補修センター内のカフェでケーキを食べる。ここでは、ちょうど何かの撮影をしていた。
体調が悪いようだったが、ホテルに戻って部屋(9号室)に入り、少し休む。午後になってから、再度、市役所の窓口へ行き、そのまま坂を上ってリヴァプール大学へ行き、PM研究所と、同じ建物にある地理学科の事務所に立ち寄る。そこで、教えてもらったM氏を訪ねて、近くのJMUという別の大学の研究所へアポイントなしで出向いたが、当然ながら相手をうまくつかまえることはできなかった。しかし、名刺を置き、スタッフに挨拶をして後でメールさせてもらうと告げておく。
部屋に戻り、風呂に入ってさっぱりする。一休みしてから、ホテルの近くのアラブ系のピザ屋でピザとチーズバーガーをとり、5時からセミナーのある大学の部屋に向かう。結局、15分ほど遅れて会場に入り、しばらくダイア・ストレイツの「ポートベロ・ベル」という曲の歌詞分析の話を聞く。難しい部分もあり、行論が強引だと思うところもあったが、全体的に議論のコンテキストが見えず、何も発言せずにひたすら英語を聞いていた。
7時前にセミナーが終わってから、再度街中へ出たが、雨がしょぼしょぼ降っていたこともあって、ぐるっと散歩した程度で食事もする気にならず、スーパーで食べ物を少し買って部屋に戻る。
とにかく体調が悪い一日だった。
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■ 2003/10/29 (Wed)
バーミンガムとは相性がよいが
Birmingham
Newcastle-upon-Tyne: The Royal Station Hotel
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朝の6時に宿のスタッフのノックで起きる。部屋に電話はないので、モーニング・コールがドアのノックなのだ。7時少し前に朝食に降りてゆく。温かい料理は定刻の7時半以前には出せないが、トーストとお茶は出すからあとはシリアルを勝手に食えということだ。7時5分には食事を済ませて宿を出て、長距離バス発着所へ行く。7時20分の出発時刻ぎりぎりだった。このバスではバーミンガムまで行くのだが、バス自体はウェイマスまで行くようだ。車中が比較的すいていた。
一眠りしているうちに高速道路からバーミンガム市内へ分岐するアストン・ヴィラの辺りで目が覚めた。結局、10時半頃にバーミンガムに到着。まずはとにかく完成したブル・リングの新しいショッピング・センターを観て目を見張った。マーケットの古着屋でシャツを買ってから、ブル・リングのオープン・スペースを経て市役所まで行き、いろいろ調べてもらう。結局、最終的に回ったオフィスでは、午後2時半にもう一度来いといわれたので、3時間ほど時間ができた。ちょうど、美術館でブル・リング再開発に関する写真展をやっているというので、立ち寄ってみる。なかなか興味深く、また有益だった。
他の展示も含め、けっこうゆっくりと美術館を観てから、ヴィクトリア広場に近い「ピザ・ハット」で、昼の食べ放題を楽しむ。
午後になり、再度市役所裏の「教育オフィス」の建物へ行き、来意を告げると、昨年一度会っているJさんが対応に出てきてくれた。しばらく話を聞き、どんな資料が欲しいのかを伝えて、協力を依頼する。
4時頃に、ブル・リングの新しいセンターに入っている「ボーダーズ」で、本を少し買い込む。新しいブル・リングの写真集も買った。午後4時15分発のニューカッスル行きのバスに乗り、またまた空いているのをいいことに、横になって休みながらサンダーランドあたりまで熟睡していた。
10時近くにニューカッスルに到着したのだが、まず長距離バスの発着所の位置が変わっていて面食らった。宿を探して駅前まで行ったが、最初の一軒は部屋がないと言われ、次の所は80ポンドと言われる。予算を大幅オーバーなので、さらに市街地を北上し、ホテルを探すが、もう一軒110ポンドというとんでもない金額をいわれた所以外は空きがない状態だった。市街地の北のはずれまで行ってタクシーに乗って駅まで戻り、この辺りで一番大きい「ジューリース・イン」にも聞いてみたが、やはり部屋がないという。しかたなく、さっき80ポンドと言われた「ロイヤル・ステーション」に入ると、今度はもう90ポンドの部屋しかないと言われる。精神的にけっこう凹んだが、肉体的に疲れていたので、ここで手を打つことにする。117号室は、駅舎の2階に位置していた。今度の旅で、一番高い宿になるだろう。
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■ 2003/10/30 (Thu)
セミナーを無難にこなす
Newcastle-upon-Tyne
Newcastle-upon-Tyne: The Jesmond Park Hotel
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朝食を8時過ぎに朝食をとる。チェックアウトは正午なので、部屋に戻ってからしばらくゆっくりしてしまい、Kilroy をぼんやり観る。10時過ぎにいったん部屋を出て、セントラル駅のツーリスト・インフォメーションへ行き、今夜から二泊する宿を探してもらう。ニューカッスルはビジネス需要に比して宿泊施設が少ないそうで、安いところは見つからない。結局、一泊58ポンドで、ジェスモンドという、中心市街地の北側に隣接する住宅地区に、宿が見つかった。ただし、長期滞在者がいたりする関係で、今夜と明日では部屋が替わることになるらしい。
正午にチェックアウトして、メトロ(中心市街地のみ地下鉄になっている郊外電車)に乗り、ウェスト・ジェスモンド駅まで行き、15分ほど歩いて宿へ着いた。今夜割り当てられた6号室は、シングルベッド2台と、ソファ・ベッド1台が入った角の大きな部屋で、シャワーがついている。一休みしてから午後1時少し過ぎに宿を出て、大学へ向かう。1時45分頃に、めざす音楽学科のオフィスへ着いたが、まだ昼食時間ということでオフィスは開いていない。20分ほど周辺を散歩して、かつての長距離バスの発着所で新たな再開発事業が進んでいるのを見つけた。
2時過ぎにオフィスへ行き、今回のリエゾンをしているP氏に紹介され、簡単に打ち合わせをする。話をするのは午後4時半からなので、2時間ほど使って準備をしようと思い、キャンパス内のカフェに行って、軽食をとりながらOHPの整理をしたりする。ついでに、学生組合の店で、Tシャツを2枚買う。
4時過ぎにP氏のオフィスへ行き、セミナーをする小ぶりの階段教室へ移動する。十数名の学生と、5名の教員(そのうち一人は高名なM教授)を前に、質疑を含めて一時間半あまりのセミナーをこなした。終わったときには、正直ずいぶんほっとした。
終了後、教員のB氏に誘われ、まず近くの Trent というパブへ行き、途中で入れ替わりパブに現れた教員達と話をしながら、一時間あまり時間をつぶす。その後、B氏とタクシーで移動し、今日は風で体調が悪く休んでいたという旧知のVさんの家へ寄り、近くのイタリア料理店へ移動する。出かけようとしたときにVさんのご主人のD氏もちょうど帰宅し、二年ぶりの再会となった。結局はD氏は食事へは行かず、B氏、Vさんと Caffe Zonzo という店で、本格的なイタリア料理を堪能する。アンティパスト・ミストからボリュームたっぷりだったが、海鮮サラダ、茸のスパゲッティ、サーモンのステーキ、パンナコッタと、少しずつ取り分けながら賞味した。
食事を済ませて店を出たところで、Vさんが猫を見つけてかまい始めた。彼女の飼い猫「マックス」の遊び仲間の「サミー」という猫なのだそうだ。Vさんはそのまま猫とご帰宅となり、こちらは、この近くに住んでいるというB氏に案内され、そのまま宿まで歩いて戻った。途中で道を間違えたりしたが、食後の散歩としては心地よい20分ほどだった。ホテルでは、オーナーと思しき男性が待っていて、宿代の精算を済ませてしまう。部屋に戻ってからは、シャワーを浴びる気にもならず、しばらくテレビで保守党党首の交代に関する討論番組をみてから、すんなり眠りにつく。
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■ 2003/10/31 (Fri)
ハロウィーンのニューカッスル
Newcastle-upon-Tyne
Newcastle-upon-Tyne: The Jesmond Park Hotel
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朝はゆっくり起き、予約できる一番遅い時間の9時から朝食をとる。朝食後、今夜泊まる9号室へ移動する。こちらは小さめの部屋にダブルベッドがあるだけのシンプルな部屋だがシャワーがついている。10時過ぎに宿を出て、まずモニュメントのツーリスト・インフォメーションへ行き、市役所(シビック・センター)の場所を教えてもらう。次いでヘイマーケットに近い市役所へ行き、都市開発関係の資料を手に入れる。ここは現金で支払ったのだが、クレジット・カードを忘れてきたことに気づき、いったん宿に戻る。
再度、宿を出て、まず大学へ出かける。昨日お世話になったB氏がつかまえられれば昼食を一緒にしようと思っていたのだが、1時頃研究室のドアをノックしたが不在だった。結局、昼食は、2年前にも入ったカレーの食べ放題「サラーム・ボンベイ」に行き、たらふく食べる。ここはインド系の人たちが経営している店だったはずだが、なぜか従業員はみんな白人になっていた。よくよく注意して見ていると、壁に小さなお知らせが貼ってあった。どうやらこの10月21日から経営者が代わったらしい。そのお知らせは、顧客に「2年半のご愛顧を感謝」し「新経営陣の健闘を祈る」というようなメッセージだった。前回来たのは開店直後だったということになる。5ポンド50ペンスの基本料金に2ポンド50ペンスのラッシー(大)で、大満腹、大満足だったが、とにかく食後に動く気にならずちょっと困った。
満腹を抱えながらチャイナタウンを通って駅まで行き、駅のインフォメーションでゲイツヘッドの市役所の場所を教えてもらう。メトロでゲイツヘッドへ行き、市役所の窓口へ行き、簡単に話をきいて、資料を入手した。市役所の受付にあったTシャツ(「北の天使」のデザイン)が気に入ったので、買おうとしたら、ここでは売れないが図書館へ行けばいいと言われ、駅とは反対にある図書館へ向かう。ところが、なかなかそれらしい建物が現れない。途中、ユダヤ人学校の生徒思しき青年に道を聞いたりしながら、ようやく到着した。けっこう距離があったせいで図書館に着いた頃には疲れてしまったが、とにかくTシャツを買った。図書館までの道の途中には店頭にハロウィーンのカボチャ細工を並べているところもあった。
駅に戻り、サウス・シールズへと向かう。もう6時近くになっていて、店はほとんど開いていないし、そもそも市の日ではないので閑散としているが、小ぎれいに整備された商店街を通って、市場のたつ広場を抜け、タイン川の渡し場まで行く。ちょうど船が入っていたのですぐに乗り、対岸のノースシールズへ渡った。2年前と同じコースだ。ちょうど店のシャッターを閉めていたパーティー用品屋からは、映画「スクリーム」のゴーストのような仮面を付けた子供達が出てきた。
メトロでモニュメントまで戻り、もう閉まっているエルドン・ガーデンのショッピングセンターの建物沿いにヘイマーケットへ向かい、前から気になっていた「OZバー」に入る。今日はハロウィーンなので、店員がそれぞれ奇怪な仮装をしていたのが目を引いた。ゴチ系の格好に、羽やら角やらをつけ、顔を白く塗ったウェイトレスたちもなかなかだったが、血まみれのシャツに、頭を真っ白、眼の縁を赤く塗ったスキンヘッドのバーテンダーにはぎょっとした。店の奥の一角が禁煙席になっていて、そこだけは照明も明るく、席も空いていたので、ここに陣取り、一休みする。バーに来て、ホット・チョコレートを飲みながら、チップスだけの食事をしているのだから、我ながら変わり者である。
ヘイマーケットからウェスト・ジェスモントまでメトロで戻り、小雨の中を宿にむかった。途中でスーパー(TESCO)が開いていたので、飲み物などをちょっと買ったのだが、店内でミイラ男が商品を冷蔵ケースに並べているのに出くわして面食らった。まさかレジ係がみんな魔女だったらどうしようと思いながらレジに向かったが、結局、仮装していたのはミイラ男氏だけだった。何かの罰ゲームだったのだろうか??? 宿に近くでも、仮装した女の子と、両親らしき3人連れが歩いているのを見かけた。どこかでパーティーでもした帰りなのだろうか。
宿に帰ったのはまだ9時前だった。部屋に入ってからすぐにシャワーを浴びて寝たが、ベッドが合わなかったのか、腰が痛くなって夜中に目が覚め、そのまま寝苦しい一夜を過ごした。
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■ 2003/11/01 (Sat)
土曜の夜のバーミンガム
Birmingham
Birmingham: National Express coach to Liverpool
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朝は6時頃に目が覚めた。9時発の長距離バスに乗るので、8時には宿を出なければいけない。そのまま起きることにして、テレビを点け、シャワーを浴び、7時過ぎに荷物をまとめて下へ降りてゆく。週末なので、本来は朝食は8時半以降になるのだが、シリアルとコーヒーで朝食を済ませる。コンチネンタルだと思えばこんなものだろう。すっかり重くなった荷物を抱えて8時少し前に宿を出て、ウェスト・ジェスモンド駅まで行き、中央駅までメトロに乗る。駅から3ブロックほど歩いて、長距離バスの発着所に着いたのは8時40分頃だった。定刻より7分ほど遅れてバスが来た。ここが始発なので、最初は空いていたが、サザーランドあたりから乗り込む乗客が増え、ヨークからはほぼ満員になった。結局、2時半頃にバーミンガムへ到着した。
とにかく荷物が重いので、どこかに預けられないかと思い、ふうふう言いながらニュー・ストリートのツーリスト・インフォメーションへ行き、荷物を預けられる場所はないかと尋ねると、駅のタクシー乗り場の近くに荷物預かりをする所があるというので、さっそくそちらへ向かう。結局、午後11時までは窓口が開いている「エクセス・バッゲージ」に荷物を預ける。荷物一つが24時間以内4ポンド50ペンスという料金だった。
身軽になったところで、新しいブル・リングのショッピング・センターを見て回る。今日は、百貨店?のセルフリッジを中心に、隣接する駐車場なども見物する。
前回来たときにおいしかったバルチ料理の店を探して、駅から北へ向かったのだが、目的地の「ロイヤル・バルチ・ハット」は営業していなかった。結局、そのあたりで食事をするのはあきらめ、近くの古レコード屋でしばらく時間をつぶす。
前回来たときに宿泊した「ジューリーズ・イン」など、ホテルが並んでいる、市街地の西側へ行って食事をとることにし、移動する。国際会議場の前で観覧車を建設しているところに出くわしたのには少々驚いた。小雨が降っていたので、雨を避けるつもりで国際会議場の中を通り抜けたのだが、ちょうど何かコンサートがあったようで、盛装した紳士淑女の一群がコンコースにいた。けっこう寒いのにイブニング・ドレスでばっちり決めている女性が多いし、キルトで正装したスコットランド人らしき紳士達も見かけた。
周辺を少し歩き、ハードロック・カフェの所まで行って少し引き返し、「ピカソズ」というパブで、食事をする。9時までの食事時間には、温かい飲み物も出すというので、ホット・チョコレートを頼む。なかなか美味しかったので、食後にも再び注文した。結局、まだほかに誰も客がいないところから、10時過ぎでけっこう盛り上がってくるところまで店内を観察していた。腰にワンポイントで入れ墨をしている女性が実に多い。なにやら図柄が描き込まれているものや「福」といった漢字があるものなど、いろいろなパターンがあった。ゴチ系というか、黒の衣装で身を包んだ(あまり包んでいない)女性が実に多い。
10時半頃に店を出て、駅へ戻り、荷物を回収する。これからは行動の自由が制約されるので寄り道はできない。長距離バスの発着所まで行き、隣のアイリッシュ・パブ「ダブリナー」に入る。ところが、席でうとうとしていたらバウンサーに起こされてしまった。店内で寝るなということらしい。結局、午前0時半頃までここにいて、それから長距離バス乗り場の待合室に移動した。道をはさんだ反対側に深夜までやっているファースト・フード屋(といっても、バーガー類やフィッシュ・アンド・チップスより、ケバブやバルティ料理の方が得意そうな感じの店)が目に入ったので、深夜2時過ぎに道を渡り、インダストリアルが鳴り響くクラブと、その隣のレゲエ・クラブの前を通って、フィッシュ・バーガーとチップスを買ってくる。ちょっと多く買いすぎたかとも思ったが、けっこう美味しくあっという間に食べてしまった。
3時直前にバスに乗り込み、2人分の席を占領して横になって眠る。
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■ 2003/11/02 (Sun)
休養の一日
Liverpool
Liverpool: The Regent Hotel
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朝6時少し前にリヴァプールに到着。前回と同じように、7時まで待合室で休憩する。バス発着所の近くに朝7時から朝食を出している店があるので、7時過ぎに荷物を抱えて移動したのだが、まだ開いていない。しばらく待ってみたが、店が開く気配がないので、そのままホテルに向かう。荷物をホテルに置いて、一休みし、8時過ぎに再度さっきの店に行く。今度はドアは開いていたが、中へ入ると今日は休みだと言われてしまう。ちょっと、がっかり。
市街地の写真をとりながら、ゆっくり中心商店街へ向かう。ただ一軒だけ営業していたマクドナルドに入り、ダブルチーズバーガーのセットをとって息をつく。バンが少し焦げていたのはご愛敬である。
マクドナルドを出て、アルバート・ドックの方に移動する。前回来たときは遠目に見るだけだった「イエロー・サブマリン」と「スーパー・シープ・バナナ」を間近で見る。また、写真を撮り直すためにアルバート・ドックへ行ったのだが、まだ10時少し前で、どこも開いていない。トイレも10時までは施錠されていて使えない。9時50分頃になってやっと早めに店を開けた喫茶店に入り、紅茶とケーキをとる。新しくできていた、「エルビスの指紋」という展示(入場料が8ポンド近くて、入らなかった)のショップなどをみて、テイト美術館分館のショップに回り、最後にツーリスト・インフォメーションのショップとTシャツ屋で買い物をした。ジョン・レノンの顔を漫画にしたTシャツもいくつかあったのだが、その中の一つがどうみてもレノンよりスガシカオのように見えておかしかった。結局、迷った末にこれは買わなかったのだが、とにかく印象に残るTシャツだった。
12時過ぎに宿の方に戻り、宿の隣のフィッシュ・アンド・チップス屋で、フィッシュ・アンド・チップスを買って部屋で食べる。この店の店員(若い女性とお婆さん)が明らかに英語でない言語で喋っていたのだが、何語か解らず、思わず聞き耳を立てて考えてしまった。ロシア語のような発音で、アラブ語とは違う。しかし、基本語彙はロシア語ではなさそうだ。トルコ語だったのだろうか?? とにかく解らないまま、部屋で食事を済ませ、風呂に入り、洗濯をする。少し作業をして適度に疲れたところに、満腹の幸福感と、前夜からの睡眠不足が加わって、そのまま夜の7時過ぎまで熟睡する。
すっかり辺りが暗くなってから目が覚めて、しばらくテレビを点けるが、なかなか頭に入ってこない。パレスチナで活動している国際支援団体の話、その活動家がイスラエル軍の軍事行動で殺されたケースの追跡などをドキュメンタリーとしてやっている。日本では、なかなか身近に感じられないテーマだ。
9時頃、夕食を食べに出る気になり、近くのちゃんとした感じのイタリア料理店に入り、茸のスパゲティなどを食べる。最初は、少しパブでも覗こうかと思ったのだが、すぐに宿に戻り、ベッドに入ってすぐ熟睡する。
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■ 2003/11/03 (Mon)
あちこちで買い物
Liverpool
Liverpool: National Express coach to London
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6時過ぎに一度起きた後、二度寝をし、朝8時頃に起床。朝食後、荷物をまとめ、荷物を預けて9時過ぎに宿を出る。大学のPM研究所へ出向き、O先生のオフィスをノックしたが不在だったので、秘書の事務室を見ると、今日は休みなので音楽学科全体の事務室へ問い合わせるように指示があった。別の建物にある、事務室へ行き、確認の電話を入れてもらうと、入れ替わりでO先生が来ていることが解り、すぐにとって返した。部屋に行ってみると、O先生がいて、教室の代表者でもあるC先生にも簡単に紹介される。しばらくオフィスで雑談した後、昼食時に戻ってくることにして、いったん別れ、学内の学生組合やウォーターストーンの店を見て回る。12時頃に先週火曜日に立ち寄ったM氏のオフィスへ飛び込みで行くが、やはり不在だった。事務の女性としばし話して、この研究所の概要を教えてもらう。そこから少し歩いて、長距離バス発着所の近くにある工具屋で、前から気になっていた外套を買う。強い風に中、黒いゴミ袋に入った外套を抱え、大学に戻り、ウォーターストーンの店で地理学書を2冊買う。
O先生のオフィスに戻った時には、もう午後1時頃になっていた。O先生の案内で、8階までエレベータで上がり、さらに階段で一つ上がった最上階の食堂というか、ラウンジで、スープとパンの昼食を食べる。PM研究所のT氏が同席し、リヴァプールのこと、ノーザン・ソウルのことなどを話す。T氏から「リモート・カノン」という概念を教えてもらった。ちなみに、O先生の話によると、T氏は30代まで煉瓦積み工をしていて、それから大学で学び、研究者になったというなかなかの強者らしい。なるほどという感じ。
食後、O先生の車で、アングリカンの大聖堂に案内される。ここでは建物も印象深かったが、売店の書籍で目を引くものがいくつかあり、郷土史の本を数冊買う。その後、先生のお子さんを迎えに学校へ立ち寄った後、O先生のお宅へ向かった。ご自宅は、ニュー・ブライトンにあるヴィクトリアンと思しきセミデタッチトの半分だけという建物だが、よくメイテナンスされているようだ。家の中や周りを見せてもらいながら、あれこれどこに手が入っているかを想像してみる。これが実に楽しい。
夕食の買い出しに、ご夫妻と一緒に車で大規模なTESCOの店まで行く。ワンフロアでこれだけの店は、英国では初めて入った。郊外型だから車がないと来ないのは当たり前だが、なかなか印象的だった。売り場面積だけなら日本にも結構ある規模だが、食品だけでこれだけの面積になるところが違う。もちろん、陳列の仕方が違い、商品密度が違ったり、ワインの棚の広さが段違いと言うこともあるのだが、とにかく面白い買い物だった。夕食はチキンのドラムスティックが入ったスープとリゾットを、インターネットで大阪の放送局のトーク番組を聞きながらいただいた。結局そのまま午後9時半頃までお邪魔し、最後はご自宅から歩いてすぐのニュー・ブライトン駅まで見送って頂いた。本当にありがたいおもてなしだった。
10時15分頃、リヴァプールのライム・ストリート駅に着き、宿へ戻って荷物を回収する。11時40分のバスなので、それまで少し時間を潰そうと、この辺りでは雰囲気が一番気に入ったパブ「クラウン」に入る。とにかくここは、静かなのがよい。
バスでは、途中のチェスター、オックスフォード、ヒースローで少し目が覚めたが、何とか心地よく寝ていることができた。
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■ 2003/11/04 (Tue)
ほとんど寝ていた一日
London:
London: The Lime Tree Hotel
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朝、6時前にヴィクトリアに到着。到着棟から出発棟に移動して、既に開いているコーヒーショップでホット・チョコレートとドーナツなどを買い、軽く囓ってからベンチでしばらくうたた寝する。7時半頃、今夜の宿である「ライム・トゥリー」へ行き、荷物を預け身軽になる。8時過ぎに、ヴィクトリア駅の外壁?に店を構えている「カフェ・イタリア」に入り、改めて朝食をとる。
9時半を過ぎて、デイ・トラベルカードがオフ・ピークになるのを見計らってヴィクトリア駅へ行き、ユーストンまで地下鉄で移動して「サイバーゲート」へ行く。本当は、今日連絡を取り合うことになっていたGさんから、メールが来ていない。研究室にメモを置いてきたR教授からもメールが来ていない。結局、今回の滞在中は、彼らに会うのをあきらめることにした。日本から、対応の難しいメールが数通入っていて、一足先に日本に引き戻された感じがする。しかも、作業の途中でインターネットが落ちてしまい、仕方なく近くのインド料理屋でベジタリアン・ビュッフェの昼食をとって時間を潰し、再度戻って日本への返事のメールを数通発信する。「サイバーゲート」を出て、近くの古本屋(学術書の新古本も多く扱っている)「ジュド」で1冊本を買う。だいぶ本が増えて荷物が重くなってきたので、カムデン・マーケットの近くにある中国人の経営している鞄屋へ行き、車輪付きの安い旅行バッグを買う。
そのままカムデン・タウン駅近くのスーパー「サインズベリー」で少し買い物をしたのだが、昨晩夜行バスだった疲れが出たのか、体調が下り坂だと感じたので、無理をしないことにしてヴィクトリアの宿に戻る。午後4時少し前から部屋を暗くして眠る。最初は、寝苦しかったが、結局11時近くまで熟睡していた。この時間では店を探すのは大変だとは思ったのが、空腹を感じたので、宿を出て食事のできる場所を探す。幸い、長距離バス発着所の前にある「ゴヤ」というスペイン料理店が、あと20分ほどで閉店だと言いながら、まだ食事を出せるというので、ここで夕食にする。本来は飲み屋としての性格が強い店のようで、料理は酒のつまみの居酒屋料理と同じで比較的小盛りで塩味が強い。しかし、オリーブもマッシュルームも、米料理もおいしかった。
12時近くに宿に戻り、風呂に入り、荷物の整理に手をつけるが、とっちらかってしまい途中で放り出して寝る。
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■ 2003/11/05 (Wed) + /06 (Thu)
ぎりぎりまで本を買い、機内食の韓食を楽しむ
London:
KE908便〜KE705便 機中
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朝は6時台に一度起きたが、ベッドに戻ってしまい、結局8時少し前に朝食に下りて行き、ゆっくり朝食をとった。チェックアウトは10時なのだが、ついついテレビを見たりして、片づききらないうちに10時になってしまう。フロントに電話を入れ、少し待ってもらい、10時半頃にチェックアウトして、荷物の残して出かける。
今日もユーストンまで地下鉄で移動して「サイバーゲート」へ行こうとしたら、何とユーストン駅近くの交差点で、ばったり大学の同僚Y先生に会う。こちらが先に気づいて声をかけたのだが、ずいぶんびっくりされていた。世の中狭い、というか、結局、同業者の行動範囲は重なる部分が多いということだろう。冗談で「悪いことはできないですね」と言われる。とにかく向こうの方が驚いていた。
「サイバーゲート」でしばらくメールの処理をした後、昨日も立ち寄った「ジュド」で、今日はPM関係の本を私費で4冊ほど買う。次に徒歩で大英博物館へ行き、前回買わなかったカタログや、ロンドンの都市史に関する本などを買う。こちらは研究費で処理したい資料だ。けっこう歩き疲れていたこともあって、ちょっと体調が悪いことを自覚する。なかば休みをとるつもりで、今日はこれまで見ていない東翼を少し見てみようと思いたち、2時間ほどアメリカや英国の展示物を見る。博物館を出た後、ちょっと迷ったのだがフランス風のカフェに入り、遅い昼食をとる。そのままバスを乗り継いで、オックスフォード街で少しウィンドウ・ショッピングをして、さらにナイツブリッジへ137番バスで移動し、ハロッズなどを冷やかした。C1バスで宿に戻ったのは5時半頃になっていた。
荷物をもって宿を出て、タイミングよくやってきたC1でヴィクトリア駅へ行き、地下鉄を乗り継いでヒースロー空港へ到着した。ちょうど出発2時間前くらいで、チェック・インのピークだったが、なかなか順調に捌かれ、(本当は重量が超過していた)荷物も無難に通すことができた。
KAL便は定刻より少し遅れて出発した。ちょうど11月5日のガンパウダー・プロットの日で、離陸する前から遠目にあちこちの花火が見えていたのだが、離陸して上昇していく途中で見下ろしたロンドンのあちこちで、散発的に低い花火が上がっているのが本当にきれいだった。
機内食は、往路に食べて美味しかったビビンバを再度選んで食べた。満腹感に乗じて少し寝たのだが、すぐまた起きてしまった。少し英語の本をよんで、眠ろうとする。おかげで映画「ハルク」をやっている間はほとんど寝ていた。夢うつつの中で「研究とは恣意と偶然性の中に意味を見いだしていくこと」などという意味不明の文句が頭の中に響き渡る。やがて中国上空あたりで目が覚め、しばらくして出た朝食で再度韓食を選ぶと、こんどは焼きそばだった。
仁川で、成田行きに乗り継ぐ間に、フードコートで一服。書店にも立ち寄り、英文の「韓国の文化景観を読む」という地理書を見つけて購入する。成田への機中では韓食風に味の付いた魚とご飯が出た。成田に到着後、重い荷物に四苦八苦しながら、最終のJR快速列車から中央線の各駅停車に乗り継ぎ、深夜に国分寺に帰着した。まだ開いていたモスバーガーで夜食をとる。
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