雑誌論文(その他):2012:

平成の大合併と地域メディアをめぐる動向.

コミュニケーション科学(東京経済大学),36,pp.3-30.


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平成の大合併と地域メディアをめぐる動向.

はじめに:地域メディアと行政単位
I 市町村合併と地域メディア
II 平成の大合併における地域メディアのエピソード
  a)優勢な地域メディアが合併の領域を超えている事例:長野県松本市周辺
  b)地域メディアが合併による領域拡大を追っていく事例:北海道函館市
  c)合併によって行政サービスの不均衡が表面化した事例:大分県佐伯市
III 考察
おわりに




平成の大合併と地域メディアをめぐる動向.

山田 晴通

はじめに:地域メディアと行政単位

 本来であれば,議論の冒頭に,「地域メディア」というキーワードが具体的に何を指すのか,という定義付けをめぐる議論を厳密に跡づけていく作業をしなければいけないのかもしれない。しかし,率直なところ,それは労多くして益少ない作業に思える。とりあえずここでは,議論の出発点として,「地域メディア」を,インターネットの普及以前から存在していた技術を前提とする諸メディア,具体的には,地域紙,タウン誌,ケーブルテレビ,コミュニティ放送などを中心に捉えようとする立場と,インターネットの登場によって,ネット上に成立するようになった様々なコミュニケーション空間,具体的にはブログ,SNS,掲示板などを含む多様なウェブサイトを中心に捉えよう,あるいは捉え直そうとする立場があることを確認しておきたい。
 例えば,永らく日本における地域メディア研究を牽引してきた田村紀雄らのグループは,2000年代以降の議論において,インターネットに地域メディアとしての一定の可能性を認めながらも,基本的には在来型の技術を前提とした諸メディアを,「地域メディア」の議論の中心に据えている(例えば,田村・編,2003:田村・白水・編,2007)。これに対し,インターネット上のコミュニケーションを前提とした議論の中で,「地域メディア」をキーワードとして論を展開する流れも生まれている(例えば,河井・遊橋,2009)。こうしたインターネット上のコミュニケーションに注目した議論においては,そこに既存の諸メディアが絡むような論点はほとんど見受けられない。
 「地域メディア」の定義そのものの議論を展開したわけではないが,筆者はかつて,具体的な地域との関わりを前提とするメディア・コミュニケーション(メディエイティッド・コミュニケーション)を念頭に,「コミュニケーションの諸要素のうち,何が<「地域」に関わる>のか」という観点から,「地域に関わるコミュニケーションの諸類型」を提示した(山田,1995,p.62)。この枠組みは,インターネットについてまったく考慮していないものであったが,インターネット上の様々なコミュニケーションの様態についてもそのまま当てはめて考えることができる。[表1]
 インターネットにおいては,送り手,受け手とも,その所在する場所による技術的制約は無いに等しい。その意味では,インターネット上のコミュニケーションは,表1の(13)における意味,すなわちメッセージに地域性が与えられているという意味においてしか,「地域に関わるコミュニケーション」たり得ない。言い換えれば,インターネット上の多様なコミュニケーション・ツールを「地域メディア」と見なせる場合は,コンテンツが地域性を帯びている,と判断される場合に限られることになる。これは,ネット上の掲示板やSNSに典型的なように,不特定多数のユーザーが送り手の立場で関わることが可能な事例に妥当する判断である。これに対して送り手が特定者に限定されている場合には,送り手の立地が「地域メディア」と判断する根拠となり得る。例えば,地方自治体のウェブサイトのように,送り手である発信者が特定の場所に立地し,なおかつその存在自体が地域性を帯びているような場合には,表1の(7)〜(9)に該当するものと考えることも考えられる。
 もっとも,見方を変えれば,理論上は技術的制約なしにネットに接続しているどこからでも送り手,あるいは,受け手としてアクセスすることが可能であっても,実際にアクセスする人々の所在に地域的偏りがあると見なすこともできるだろう。もし,送り手,受け手の立地や地域性も考慮すべきだと見るならば,表1の(1)〜(12)におけるいずれの意味においても,インターネット上に多様な「地域メディア」と見出せることになるが,そのように考える場合においても,在来型の地域メディアに比べれば,インターネット上の「地域メディア」における送り手,受け手の地域性は相対的に薄弱なものにとどまると見なすべきであろう。
 以下,本稿の議論においては,インターネット上の「地域メディア」については,コンテンツが地域性を帯びているという意味において,また送り手が特定の地域に立地し,それが地域性を帯びているという意味においてのみ,議論の俎上に載せ得るものとするが,その扱いは副次的なものにとどまる。したがって本稿では,インターネット上の「地域メディア」に一定の考慮をしつつも,議論の重点は,インターネット普及以前の技術による在来型の地域メディアに置く。また,特に,具体的な議論の中心に置かれるのは,日刊地域紙,ケーブルテレビ,コミュニティ放送となる。
 「地域メディア」という言葉が意味するところを,以上のように抑えたところで,次に市町村など地方自治体の行政単位と地域メディアの関係を確認しておく。まず,都道府県を単位とする「県域メディア」については,地域メディアの論議において付随的に論じられることは排除されないものの,議論の主たる対象となるものとはしない。県域程度以上の規模の社会においては,受け手側に共通の具体的な空間体験が成立しておらず,マス・メディアやインターネットを含め,メディアを介したコミュニケーション回路以外に社会的絆を持ち得ない社会=マス社会となっている。そのような社会を対象とし,不特定多数の受け手の存在を前提とするメディアは,マス・メディアにほかならず,県域メディアを積極的に地域メディアと捉えて議論する必然性は乏しいものと考えられる(山田,1997,pp.17-18)。
 その上で,市町村レベルの行政単位の領域と,地域メディアの(何らかの意味における)地理的な活動領域の関係は,まず,それがもっぱら市場原理によって形成されるのか,それとも行政単位がそのメディアの活動領域の制度的な裏付けなり,何らかの規制の法的根拠となっているのかどうかによって,性格が異なってくる。戦後占領期以降の日本に関する限り,新聞や雑誌といった印刷媒体は,取材にせよ配布にせよ,その活動領域についての法的規制はない。新聞業界の場合,業界秩序の大枠は戦時統制の影響を色濃く投影したものが現在でも維持されていると見られるものの,有力県紙が隣県への市場拡大を試みる例は少なからず確認される。これに対して,ケーブルテレビやコミュニティ放送など放送媒体の場合には,国から与えられる放送免許等において,都道府県や、市町村を単位として事業区域が指定されていることが一般的である。さらに,自治体広報紙や一部のケーブルテレビのように,自治体自身が運営主体となり,当然のこととして自治体の領域がメディアとしての業務活動領域と一致する地域メディアも存在する。
 地域メディアの地理的な活動領域が,自治体の広域合併に伴ってどのように変化をするかは,もっぱら市場原理によって活動領域が形成されている場合と,制度的裏付けがある場合で大きく異なっている可能性がある。例えば,同じ印刷媒体であっても,自治体広報紙であれば,合併後の新自治体の領域は,新たな広報紙によって直ちにカバーされることになるが,もっぱら市場原理によって配布域が決まっている地域紙などの場合には,周辺町村の合併が即座に配布域の拡大に直結するとは限らない。さらに,市町村の行政単位の領域と地域メディアの活動領域の関係は,単純にほぼ同一と見なせるような場合ばかりではなく,両者の間には多様なパターンのずれがしばしば生じる。
 いわゆる平成の大合併が一段落し,既に数年を経た現在の時点で,この地方行政上の大きな変革が,多様な地域メディアにどのような影響を及ぼしたのかを検討することが,本稿の課題であるが,特に,領域性という観点から,行政における地理的な単位としての市町村の領域拡大が,地域メディアの活動領域に及ぼした影響についての考察を試みることに議論を収斂させたい。また,印刷物である地域紙,有線放送メディアであるケーブルテレビ,無線による(狭義の)放送メディアであるコミュニティ放送と,技術的基盤も,事業展開の特徴も異なる諸メディアを,「地域メディア」というまとめ方であえて一括して扱うのは,市町村合併の影響を個別の地域メディアの観点からではなく,総観的に捉えることで,地域情報の流通を担う地域メディアの動向が合併前後の地域住民にどのような影響を与え得るのか,また,合併に際して地方自治体レベルの行政にどのような地域情報政策上の選択肢があるのか,といった問題への解答を試みようという意図からである。
 しかし,全国各地に散在するこうした諸々の地域メディアのデータを網羅的かつ均質な水準で集約して検証することは容易ではない。そこで以下では,まず一般論ないし思考実験として,市町村合併が地域メディアにどのような影響を与え得るかを検討し,特に重要と考えられる論点の洗い出しを行なう。その上で,実際に平成の大合併の中で生じた地域メディアをめぐる様々な動きの中から,特徴的な具体的事例をエピソードとして紹介しながら,課題への答えを探っていくこととしたい。

I 市町村合併と地域メディア

 一般的に地域メディアとされる諸メディアについて議論をする際には,その所在地,ないし拠点都市を踏まえて,「○○市の日刊地域紙(ケーブルテレビ,コミュニティ放送,等々)」という形で具体的な個々のメディアに言及することが多い。しかし,市町村の行政単位の領域と地域メディアの活動領域の関係は,単純にほぼ同一と見なせるような場合ばかりではない。有力な地域紙の中には発行拠点都市の行政単位を超えて周辺市町村にも配布されたる例も多いし,ケーブルテレビについても同様に複数の市町村にまたがる大規模な施設が各地に存在している。これとは逆に,発行拠点都市の領域内の一部にしかサービスが提供されない地域メディアも存在しており,特にコミュニティ放送などは,そもそもの制度設計においてそのような形態による放送局の運営を前提に置いている。このような関係は,森川(2008,p.14: pp.276-277)が紹介するBennett(1993)の行政境界と集落空間の関係をめぐる3類型を援用し得るものとして理解される1)。以下,本稿では,この3類型における集落空間の広がりを,地域メディアのサービスが及ぶ領域(地域紙の配布圏,ケーブルテレビの事業区域,コミュニティ放送の免許区域や可聴範囲など)と読み替えて,市町村域と,その市町村に拠点を多く地域メディアの活動領域の広がりとの関係を類型化した図式として捉え直し,議論の中で用いていく。また,これら3類型に加えてさらに,一方で拠点都市の行政単位を超えて周辺市町村にサービス対象を広げながら,他方では拠点都市の行政区域内にもサービスが提供されない部分が残るような,複合的な不整合が見られる例もあり,ひとつの類型として考慮しておくこととする(類型4)。[図1]
 地域メディアにとって,自治体行政を担う市役所・町村役場は,それ自体が重要な情報源であり,取材対象である。同様に,少なからぬ数の取材対象が,行政区画を領域ないし単位として活動している組織であり,地域メディアが伝えるコンテンツも行政区画によって地域性を与えられた情報が多く含まれることになる。行政区画の領域と地域メディアの活動範囲が一致している場合には,行政区画が地域メディアに活動領域の枠組みを与え,地域メディアが情報を普及させることでその領域における情報の共有化が深まるという相互補完的ないし相互規定的関係が想定される。ここで「形式地域/実質地域」という概念を持ち込めば,「形式地域」としての市町村域に対して,実際に個々の地域メディアが業務を展開する活動領域が「実質地域」として広がり,両者が(ほぼ)一致する場合には,「形式地域」としての側面を孕む行政区画において,地域メディアが不断に「実質化」を担っているものと,とりあえずは理解できる2)。特に,何らかの事情によって,実質的に都市の活動が及ぶ範囲が行政区画の一部にとどまるような場合には,地域メディアの普及を含む様々な方策によって「形式地域の実質化」を進めることが課題となる3)
 市町村合併においては「生活圏」といった概念が,しばしば重要な観点とされるが,特に,中核となる都市が周辺町村を合併して市域を拡大していくようなタイプの合併においては,既に合併前から都市圏の拡大が先行しているような場合には,合併は「実質地域」たる「生活圏」にあわせて「形式地域」を設定し直す取り組みと考えられる。しかし,仮に合併が,「生活圏」を異にする,「実質地域」としての一体性が希薄な町村を巻き込んだ形で行なわれ,新たに包括的な「形式地域」が設定されるようなことがあるとすれば,上述のように合併後に「形式地域の実質化」が合併後の行政課題となる。そして,地域メディアが展開する領域は「生活圏」なり「実質地域」のひとつの現れ,指標として意味を持つこととなっていく。また,そのような場合には,行政の立場からも地域メディアの領域の拡大を誘導するような方策が採られる可能性があり,特に,行政側が直接的な経営主体となる例が見られるケーブルテレビに関しては,行政の主導によって地域メディアの活動領域が一挙に広げられることもあり得る4)
 ここで,片柳(2002,pp.21-27)が提起した都市合併の4類型を導入し,これを上述の「市町村の行政単位の領域と地域メディアの活動領域の関係」と重ね合わせて考えてみることにしたい。片柳(2002,pp.21-27)は,おもに昭和の大合併の時期における具体的な市町村合併の事例分析から,合併に加わる市町村の人口比,DID(Densely Inhabited District:人口集中地区)人口比,DIDの規模や距離から指数化した連接の程度を表す数値などを指標に,「近接/遠隔」,「編入/合体」という対抗軸を見出し,「近接編入型」,「近接合体型」,「遠隔編入型」,「遠隔合体型」という4類型を導いている。「編入/合体」の対立軸は,首位都市と第2位都市が,総人口やDID人口においてどれくらいの格差をもっているかを基準として判定される(片柳,2002,p.21)。また,「近接/遠隔」の対立軸は,合併に参加する首位都市のDIDと第2位都市のDIDの連続性が高いか否かであり,重力モデルに基づいて構成された指数によって判定されるが,その基準値はDIDの連接の有無と一致する水準に設定されている(片柳,2002,p.23)。[図2]
 片柳による市町村合併の4類型を,やや不正確になることを承知で,より直感的な言い回しに言い換えれば,はっきりとした中心都市があり周囲の小規模町村を領域に組み込んでいくのが「編入型」であり,それに対して比較的規模の差がない複数の市町村が対等に近い形で合併するのが「合体型」ということになる。なお,片柳も指摘するようにこの用語は「行政手続きで使用される編入合併および新設合併」と区別して用いられるべき表現であり(p.21),「実質的に編入合併が行なわれた場合でも,行政手続きでは新設合併とされる場合がある」(p.22)ことにも留意しておかなければならない。また,もともと市街地が連接しているような状況がある「近接型」に対して,個々の市町村が孤立した市街地しか形成していない場合は「遠隔型」とみなせる。片柳の分析はおもに平成の大合併に先んじた合併事例を分析対象としているため,同様の手法を平成の大合併の諸事例に適用した場合には,また異なる類型化が導かれる可能性もあるが5),抽象化された類型の提示として,議論の出発点に置くことは差し支えないものと考える。
 片柳の4類型は,それぞれの行政区画においてDIDとそれ以外の区域の両方が存在することが前提とされていたわけであり,DIDの連接に注目するという着眼点がある。そこで次に,この図式における中心核をメディアの発信(発行)拠点に、DIDを地域メディアの活動領域と読み替え,市町村合併による行政区画の変更と地域メディアの活動領域との関係を説明する類型を導くことを試みる。ただし,片柳の図式は,DIDが市町村域の一部であることを前提としているため,これらの図式においては,地域メディアの活動領域が,拠点となる合併前の市町村においても,合併後の都市においても,行政区画の一部にとどまる。つまり,この読み替えた図式において想定されているのは,図1における類型1ないし類型4に相当する形で活動している地域メディアがそれぞれに存在するような,2つの自治体が合併する場合である。
 この片柳の類型化を読み替えた4類型と重ね合わせることを前提に,次に地域メディアの拠点の立地と活動領域の広がりのバリエーションを考えてみよう。「編入型」の合併において,地域メディアは,中心市街地を擁する首位都市に拠点を立地させている場合と,第2位以下の都市に立地している場合が考えられる。また,「合体型」の合併では,対等な関係に近いと判断される範囲の市町村に立地する場合と,その範囲から外れた町村に立地する場合で大きな違いが生じることが予想される。要するに,合併によって新たに成立する領域の範囲における中心に立地するのか,周縁に立地するのか,という違いが地域メディアに影響を与える可能性が考えられるのである。特に,それまで小規模なりとも独立した自治体の中心部に立地し,その行政区画を活動範囲としていた地域メディアが,合併によって新たに広域化した自治体の領域の中で周縁に位置づけ直されるような場合には,その存立基盤が脅かされることになりかねない6)
 一方,「編入型」の合併における首位都市に拠点を置く地域メディアにとって,合併による市域の拡大は「地元」の範囲が拡大し,潜在的な市場が広がることを意味する。地域メディアにとっては,合併によって従来の地理的活動領域を超える新しい行政区画が成立すれば,そこに新たな市場を見出せる可能性が大きい。しかし実際には,有力な地域メディアは,既に拡大後の新市域を先取りするような形で広がっていたり7),あるいは新市域をも超えて活動領域を広げていることも多い。逆に,活動領域が旧市域の一部にとどまっている地域メディアにとっては,合併によって市域が拡大してもそれに見合って活動領域を拡大することは難しく,利益を享受できないといった状況も生じ得る8)
 片柳の4類型は,最も単純な2自治体の合併を強くイメージさせるものであるが,実際の合併においては,段階的に合併が進む場合も含め,より多くの市町村が合併に関係する場合が多い9)。そこでまず,片柳が見出した首位都市に対する人口比を基準として,地域メディアの合併前の行政区分による立地を,A 中心=首位都市,B 準中心=首位都市との人口規模の格差が4倍を超えない第2位以下の都市(町村),C 周縁=準中心の水準に至らない規模の町村の3類型に分類する。これに対して地域メディアの活動領域の広がりを,合併前の旧市町村の領域,および,合併後の領域それぞれに対して図1の類型1〜3のいずれに相当するかを基準に,I 活動領域が旧市町村域の一部にとどまる場合,II活動領域が旧市町村域と(ほぼ)一致する場合,III活動領域が旧市町村域を超えているが合併後の行政区画に対しては一部にとどまる場合,IV活動領域が合併後の行政区画と(ほぼ)一致する,ないしそれ以上に広がっている場合,と場合分けする。なお,ここでは,常住者のほとんどいない山間部などを抱えている市町村で,常住者のいる範囲だけに地域メディアが到達する場合は,市町村域の「一部にとどまる場合」ではなく「(ほぼ)一致する場合」として整理する。こうして立地と活動領域の広がりの3×4の組み合わせと,片柳を読み替えた合併の4類型が,どのような関係になるのかが明らかになる。すなわち,キーワードとしての「遠隔」が文字通りに該当するのはIの場合であり,「近接」が文字通りに該当するのはIIIの場合である。同様に,「編入」に関わるのはA中心とC周縁であり,「合体」に関わるのはA中心とB準中心ということになる。上述のように片柳の4類型は、ここでは地域メディアの活動領域と読み替えているDIDが,行政区画の一部分にとどまることを前提としているため,そもそも図1における類型2(市町村域と地域メディアの活動領域の一致)が前提となるIIやIVにあたるケースは考えられていない。IIやIVは,それぞれ直上のIやIIIのセルの特殊な場合と考えられる。[表2]
 こうして,片柳の4類型の読み替えから出発し,市町村合併の図式における立地条件(中心/周縁)と地域メディアの活動領域の広がりによって整理し直すと,合わせて12の組み合わせ(セル)を理論上は考えることができる。しかし,この中には,実例が容易に見出せる組み合わせと,実例が考えにくい組み合わせが見出される。例えば,I-B や I-C,すなわち,旧市町村域の一部のみを対象とする地域メディアが,準中心や周縁に立地するというパターンは,実際には想定しにくい。これは規模に一定の限界がある町村と想定される準中心や周縁において,既存の行政区画の一部だけを対象とするメディアの存在を想定すること自体が不自然になるためである。ある程度以上の人口規模があり,例えば既に昭和の大合併の段階で歴史的な中心市街地に加えて周辺の町村を合併した経緯があるような都市であれば,旧市町村域の一部のみを対象とする地域メディアの存在も想定しやすいが,そうした都市が準中心に回るような合併は成り立ちにくいのが実際である。また,周縁に位置する町村に拠点を置く地域メディアが新市域をカバーすることになるIV-Cの状況も,実際には想定しにくいものといえよう10)[表3]
 また,実際の例を見ていくと,図1において,Bennettの3類型の読み替えに加えて追加した類型4,すなわち複合的な不整合が見られる例がからむことによって,例えばIII-AかIV-Aのいずれと見るべきか判断が難しい場合なども出てくる11)

II 平成の大合併における地域メディアのエピソード

a)優勢な地域メディアが合併の領域を超えている事例:長野県松本市周辺[図3]
 松本市を中核都市とする長野県中信地方には,コミュニティ放送が行なわれていないものの,全国的に見ても最も有力な部類に入る日刊地域紙『市民タイムス』12)と,地方都市に立地するタイプとしては歴史も長く,屈指の規模を擁するケーブルテレビ局テレビ松本ケーブルビジョン(テレビ松本)13)が存在し,それぞれ松本市に拠点を置きながら周辺市町村へ活動領域を展開している。また,松本市の北に隣接する現在の安曇野市,おおむね松本盆地内の旧南安曇郡の町村を中心とする範囲には,穂高町に拠点を置くあづみ野テレビがあり,テレビ松本の活動領域と隣接する形となっている。
 『市民タイムス』は,1971年の創刊当時は当時の松本市が配布域であったが,初期から塩尻市の一部への配布が始まっていた。1988年には新たに安曇野支局を穂高町に設けて「安曇野版」を発行し,南安曇郡各町村への普及を強化し,同様に,1991年には明科町に明科支局を設けて「東筑北部版」(東筑摩郡北部の明科町,四賀村,生坂村,麻績村,本城村,坂北村,坂井村を対象とする版)が発行された。2005年には『長野日報』(本社は諏訪市)が木曽地域から撤退した際に,これに入れ替わって木曽支局を新設し,「木曽版」を発行しはじめた14)
 市民タイムスの配布圏においては,平成の大合併によって松本市(南安曇郡梓川村,安曇村,奈川村,東筑摩郡波田町,四賀村を編入),塩尻市(木曽郡楢川村を編入),大町市(北安曇郡八坂村,美麻村を編入)が拡大し,安曇野市(南安曇郡豊科町,穂高町,三郷村,堀金村,東筑摩郡明科町が合併),木曽町(木曽郡木曽福島町,日義村,開田村,三岳村が合併),筑北村(東筑摩郡本城村,坂北村,坂井村が合併)が成立したが,一連の合併の進行に伴って各地域版の再編が行なわれ,現在は,「松本版」「塩尻版」「安曇野版」がそれぞれの市域と一致する形で配布されており,加えて「東筑・北安版」(東筑摩郡のおよび北安曇郡南部の池田町,松川村,および,大町市を対象とする版),「木曽版」(木曽郡全域を対象とする版)が作成されている。ただし,「木曽版」と大町市における「東筑・北安版」については,配布圏内の他地区に比べると相当に見劣りする世帯普及率にとどまっている。
 このように『市民タイムス』は,創刊以来,着実に取材・配布圏を拡大し続け,既に平成の大合併が進行する前の段階で,その時点における拠点都市=松本市の行政区域をくまなく活動領域としていただけでなく,その後の合併によって拡大される松本市の行政区域をも,いち早く活動領域に組み込んでおり,松本市の編入合併が行なわれた時点で既に表3のIV-Aに位置づけられていたことになる。これは,優勢な地域メディアが,行政区画を越えて広がる生活圏なり地域的社会経済活動の広がりに沿って活動領域を広げ,ひいてはまた,地域メディアの存在が実質地域の広がりを強化するという相互的な関係性の中で,市町村合併による行政区画の拡大を先取りし,更にその先にまで進んでいる例と見ることができよう。
 自由市場における競争の中でサービスを提供する地理的範囲が決する地域紙に比べると,許認可制度の下におかれているケーブルテレビ事業者であるテレビ松本の活動領域は,本来は自在に拡張できるものではない。ケーブルテレビ事業は,相当の先行投資を行なって伝送路網を市街地内に構築していかなければサービスを提供できない事業であり,市町村単位で事実上の地域独占免許が与えられているが,サービスを提供できる地理的範囲は徐々にしか拡大し得ない。さらに大都市圏郊外のように稠密な世帯密度がどこでも広がっているような場合とは異なり,農村的性格の地域を抱え込んだ地方都市においては,世帯 の分布密度の濃淡によって,同じ金額の投資を行なっても期待できる市場拡大の幅には大きなばらつきが生じる。拠点都市に近い,あるいはそこから市街地が連続した地区であれば,投資効率は高いが,同じ行政区域内であっても,遠隔地に孤立した少数の世帯しか存在しない集落へとケーブルを延ばしていく事業は,投資効率が極めて悪く,事業の採算性を考慮すれば取り組みは当然ながら後回しになる。
 1974年に創業し,1975年に開局したテレビ松本の場合は,事業開始の初期から,松本市の中心市街地においてサービスを提供するとともに,隣接する市町村へのエリア拡大の可能性を模索し続けてきた。1987年には,南に隣接する塩尻市の市街地にも伝送路を延伸させる形でサービスを提供し,一体的運用を開始した15)。その後,松本市の南西の郊外では,1988年に朝日村,1989年には山形村に,農林水産省の補助事業により建設された農村多元情報システム(Multi-Purpose Information System:MPIS)の施設が,それぞれ独自に開設された16)。また,1988年には当時の穂高町にあづみ野テレビが開局し,当初から南安曇郡豊科町,穂高町,梓川村,三郷村,堀金村,東筑摩郡明科町を事業領域と決定し,各町村へとネットワークを広げ始めた17)。そうした状況の中で,大きな転機となったのは,1993年に,松本市の西隣にあった波田町が,当時の自治省の補助事業という形をとりながら,テレビ松本の延伸によるケーブルテレビの整備を行ったことであった。これは,朝日村や山形村のように独自のシステムを村が構築するのではなく,公費による大幅な補助を入れ,民間企業であるテレビ松本に伝送路を設置,所有させて,保守管理一切を任せ,その上でチャンネルリースにより町の自主放送チャンネルを確保するという方式を導入したものであった。これは波田町役場の立場からすれば,朝日村や山形村の場合とは違って,伝送路の管理から番組の制作まですべてを行なう責務から,役場が解放されることを意味していた。役場は独自の自主放送チャンネルの維持に専念すればよくなったのである。また,テレビ松本からすれば,波田町を介して国庫補助を受けることでエリア拡大の先行投資の負担を減らすことができるという利点があった。
 松本市は,2005年に東筑摩郡四賀村,南安曇郡梓川村,安曇村,奈川村を,また,2010年には東筑摩郡波田町を編入合併した。既存の整備地域と隣接していた旧・四賀村へは2005年の編入直前にサービスが開始された。また,テレビ松本は,波田町へと伝送路が整備された後,その先に位置する旧・安曇村の一部(島々)に伝送路を延伸して2006年からサービスを始めたが,さらにその先に広がる旧安曇村の残りの地域(上高地,乗鞍高原など)と旧・奈川村については,松本市が独自に整備した光ケーブル回線を伝送路としてテレビ松本が借り受け,一部では独自の枝線も敷設してサービスを提供するという形での整備が進められ,2010年にサービスが開始された。このテレビ松本と松本市の協力においては,松本市がテレビ松本に支払う保守管理料と,テレビ松本が松本市に支払う光ケーブルの賃借料が,ほぼ相殺される形がとられている。ちなみに,やはり2005年に塩尻市に編入された旧・楢川村については,同様に塩尻市が伝送路を提供する方式がとられたが,伝送路の整備が遅れ,サービス提供は2008年からとなった。
 こうした市町村合併を受けての事業領域の拡大と並行して,テレビ松本は,松本市の編入合併の範囲外にあった山形村と朝日村についても,事業領域を拡大してきた。もともと両村には,農林水産省の補助金を受けて建設されたMPIS施設である村営ケーブルテレビが整備されていた。テレビ松本は,2003年に山形村(決定は2002年),2011年に朝日村から,それぞれ既存の村営ケーブルテレビ施設の伝送路を委譲され,両村を事業領域に組み込んでいる。他方,合併後の松本市の市域の中でも旧・梓川村は,合併以前からあづみ野テレビの事業区域として整備されており,テレビ松本の活動領域からは外れている18)
 こうした経緯におけるテレビ松本の立場は,新市域内にサービス未達の地域(旧・梓川村)が残ることに注目すれば表3のI-Aに位置づけられるが,新市域外にもサービスを提供する地域があることに注目すればIV-Aに位置づけられることになる。あるいは,旧・梓川村は別として考えると,合併の時点でIII-Aであったものが,合併後の短い期間のうちにIV-Aに展開したと見ることができる。

b)地域メディアが合併による領域拡大を追っていく事例:北海道函館市[図4]
 北海道道南地方の主要都市である函館市は,2004年に亀田郡戸井町,恵山町,椴法華村,茅部郡南茅部町を編入合併した。この時点で函館市には,日刊地域紙として1997年創刊の『函館新聞』があり,ケーブルテレビはMSO(Multiple System Operator)であるニューメディア(本社は米沢市)19)が2001年に開局したニューメディア函館センター(通称:NCV),さらにコミュニティ放送は1992年に日本初のコミュニティ放送局として開局したFMいるかが存在していた。このうち『函館新聞』は,合併の時点で既に合併後の函館市の全域を配布圏に収めており,さらに隣接する北斗市,七飯町,木古内町などにも一定の部数を配布する体制をとっていたので,いちはやくIV-Aの展開を実現していた(山田、2011、pp.133-137)。
 一方,ニューメディア函館センターは,2001年に函館市でサービスを開始した後,翌2002年には北斗市の旧・上磯町地区と,七飯町へも伝送路を延伸し,函館市内における事業区域の拡大と並行して隣接する市町における事業展開を進めたが、他方では,旧・函館市の市域内にも事業区域に組み込まれない空白域が少なからず残っていた。図1の類型4が典型的なかたちで当てはまる状況である。2004年の函館市の合併は,伝送路が未整備の広い地域が残る市街地西部の先に,さらに広大な市域が新たに加わったことを意味していた。函館市の合併による市域拡大後も,ニューメディア函館センターは,新たに函館市に編入された地域への延伸には取り組めておらず,旧・函館市の範囲においても伝送路の大規模な延伸はなされていない。この事例は,新市域外への展開がいち早くあったことに注目すれば表3のIV-Aに位置づけられるが,旧市域内にもサービスが及ばない区域が残り,その後,新たに編入された区域への普及も進んでいないことを踏まえればI-Aに位置づけられることになり,その後の時間の経過の中でも,その状態から脱却できずにいることを意味している。
 これに対して,FMいるかは,開局当初の0.1Wから段階的に出力を増強し,1999年には規制緩和を受けて20Wの出力を実現し,函館山に送信所を置くことで函館湾の対岸にあたる北斗市,七飯町も一部が可聴範囲にはいるほどになっていた20)。ただしこれは,コミュニティ放送の制度的な趣旨から言えば,スピルオーバーと捉えるべき状況であると判断されよう。ところが,新たに編入合併された3町1村の領域は,間に丘陵地を挟んでいることや距離的にもそれなりに離れていることから,そのままではFMいるかの可聴範囲には入らない。そこで取り組まれたのが,中継局の設置によるエリアの拡大であった。合併後の2005年には,おもに旧・戸井町,旧・恵山町向けの日浦中継局と,おもに旧・南茅部町向けの南茅部中継局が開設された。これによって新市域の大部分においてFMいるかの受信が可能になったが,なお受信状態が不安定な地域も残っているとされている。
 中継局の設置自体は,受信状況の改善策のひとつとして,コミュニティ放送に関しても初期から先例のある方策のひとつであったが21),平成の大合併との関係で,新市域への放送の普及を意識した形で中継局を設置する例としてはFMいるかは最も早い例であり,その後同様に平成の大合併で行政区域が拡大した都市において,中継局によるコミュニティ放送の放送区域拡大が相次ぐ先駆けとなった。中継局は,施設建設や維持の経費は生じても,新たな番組制作コストの著しい増大を要しないため,事前に採算性を計算しやすく,また,施設建設については行政からの支援を受けやすい環境もあって,同様の例が各地に広がった。このような中継局の展開による放送区域の拡大は,表3のII-Aから,III-AないしIV-Aへの移行を意味しているものと理解される。[表4]
 さらに,中継局の設置による既存のコミュニティ放送の放送区域拡大のみならず,平成の大合併後にコミュニティ放送局の新設整備が進み,当初から中継局を複数設置して設立直後から広い市域の大部分をカバーしている例も各地で現れた。こうした一連の流れにFMいるかが先鞭をつけた意義は大きい。[表5]

c)合併によって行政サービスの不均衡が表面化した事例:大分県佐伯市[図5]
 特に,行政によって直接経営されている例があるケーブルテレビの場合には,合併によってその運営に大きな変化が生じることがしばしば生じている。例えば,2004年に島内の厳原町,美津島町,豊玉町,峰町,上県町,上対馬町が合併して成立した対馬市において,合併前から町営ケーブルテレビとして美津島町有線テレビが存在していたことが契機となり,それまでケーブルテレビがなかった地域の全世帯を対象に一挙に普及が進められた対馬市CATVは,その極端な例のひとつである22)。また,同様のケーブルテレビの整備は,2006年に北安曇郡美麻村と八坂村を編入合併した大町市でも行なわれている。これは,2002 年に運用開始となった美麻村の村営ケーブルや,合併協議の段階で整備計画が進行中であった八坂村のケーブル事業を大町市が引き継いだもので,2011年には旧・大町市含む市内全域にサービスが提供されるようになっている23)。これらは合併の時点で,周縁に位置する町村にだけケーブルテレビがあった,表3のII-Cの状態から,行政の主導により短期間のうちにIV-Aへと移行が進んだ例である。
 大分県南部の佐伯市は,2005年に旧・佐伯市と南海部郡の全域にあたる5町3村による新設合併で,海岸部から内陸の山間部まで広がり九州の都市では最大の面積とされる現在の新・佐伯市が成立した。佐伯市には地域新聞はなく,コミュニティ放送であるエフエムさいき(さいき市民放送)は合併後の2010年に開局し,世帯数の6割が可聴範囲に入るとされている。こうした中で,この地域において,従来から重要な役割を果たしてきた地域メディアが,ケーブルテレビである。合併前の旧・佐伯市の中心市街地には,1993年に開局した,広義には第三セクターといえる民間事業者,ケーブルテレビ佐伯(CTS)のエリアがある。しかし,旧・佐伯市のそれ以外の区域には,当時から市が直営するケーブルテレビがサービスを提供していた。さらに,合併に参加したすべての町村には,それぞれ独自の公営ケーブルテレビ局が存在しており,山間部など例外的な一部集落を除いて新市の全域にケーブルテレビの普及が及んでいた。合併は,この9施設に及ぶ公営ケーブルテレビが,新・佐伯市の管轄下に統合されることを意味していた。
 この佐伯市の事例について,詳細は大杉(2007)に譲るが,もともとそれぞれに異なるサービス内容を,異なる料金設定で提供し,セットトップボックスなど機器の規格やインターネット接続サービスの内容も異なっていた9施設を引き継いで,公共サービスとしての公平性原則に従って順次統合,統一を図っていく取り組みは,決して容易ではなく,現在も進行中である24)。既に統一されたヘッドエンド施設が佐伯市視聴覚センター2階に設置され,旧町村の役場などにあった放送施設もほとんどが廃止・整理されたが,サービスや料金のばらつきは残っている。[写真1〜4]
 また,この間,ケーブルテレビに関する事業の多くが,CTSに委託管理されるようになっている。こうした関係は,表3のI-Aないし II-B/Cに位置づけられていた公営ケーブルテレビの諸施設が,統合によって一挙にIV-Aに移行することを意味していると同時に,I-Aに位置づけられる民間事業者のCTSが管理等の業務の受託という形で活動領域を一挙にIV-Aへと拡大することを意味しており,いずれの立場のケーブルテレビにとっても,劇的な変化が生じたことを示している。
 同じように行政が運営する地域メディアであっても,自治体広報紙などの印刷物は容易に形式の統一,一元化,経費圧縮が可能であるが,施設設備の維持管理,定期的更新が求められる公営ケーブルテレビの場合には,合併に際して行政サービスの不均衡を露に可視化する事態が生じやすい。

III 考察

 以上,必ずしも全国の事例を網羅的に点検したわけではないが,各地の地域メディアの実情を踏まえ,市町村合併の影響がどのような形で顕在化しているのかを,検討した。そこから得られた知見を,まず地域メディアごとに確認しておく。
 自由市場における競争の下にある日刊地域紙の場合,多くの有力紙は合併以前から合併後の新市域を超える領域で活動を展開させている。ただし,取材・配布の領域に組み込まれている範囲の中にも,世帯普及率の実績など活動量には濃淡のばらつきがあり,厳密には個々のケースについて実証的なデータに基づいて判断する必要がある25)。いずれにせよ,Hartke(1952)以来,提起されてきた「新聞配布圏の重層構造を読者である地域住民の地域帰属意識の重層構造を反映したものとみなし」た議論(山田,1986,p.75)を是とするなら,市町村合併が広域的な「生活圏」の存在を前提に行なわれるという実態が成立しているところであれば,有力な日刊地域紙が,市場における自由競争の結果として,合併に先んじて新市域を広くカバーしているという状況は,決して特殊なものではないと考えられる。
 これに対し,許認可行政の下におかれているケーブルテレビは,合併以前から既存市町村の単位を超えた広域に広がる例は決して多くはなく,また,合併以前の隣接市町村への展開は,拠点を置く市町村域内の事業活動領域の充実を必ずしも前提としていない。特に,民間が経営するケーブルテレビの場合,有力局は早くから市街地が連接する隣接自治体への進出に取り組んでいることもあるが,逆に地元行政区画内に空白地が残る状態も起こりやすい。また,合併を契機に,行政が既存の空白域や,新たに編入された地域への延伸を支援して,規模が拡大したり,公設された施設や放送の管理業務を委託されるケースも多い。さらに,施設の委譲などを含めた再編が行なわれる可能性もある。また,公営ケーブルテレビの場合,合併を契機に既存施設の統合が必要となり,その過程で行政サービスの不均衡が表面化して,既存施設の調整が長く行政の課題として残る場合もあれば,不均衡を補う取り組みとして急速な規模拡大が強力なイニシアチブの下で進められ,広い事業領域を抱えることになる場合もある。いずれの場合においても,事業の一部を民間に委託することが重要な側面のひとつとなる。
 一方,合併前から新市域の中心となる地域に既存のコミュニティ放送がある場合には,中継局の設置によって市域の拡大に対応することが有効であり,行政からの支援も得ながら,同種の取り組みが広く全国各地で行なわれてきた。ただし,図2の「遠隔編入」にあたるような形で,新市域内に,放送区域を異にする既存のコミュニティ放送局が複数ある場合は,こうした対応は難しいかもしれない26)
 行政の立場から見れば,合併に至る過程においては,図1・表3のIIIやIVを達成している地域メディア,例えば有力な日刊地域紙が成立しているような場合には,これを通して合併に向けた情報を流す広報活動が,有効な方策であったものと見なせる。ケーブルテレビやコミュニティ放送の場合は,合併前から活動領域が市町村の枠を大きく超えることは多くないので,有効に機能するのは一定の条件が整っている場合に限られる。西東京市の合併に先んじて「西東京」の名を冠し,合併に関する話題をしばしば取り上げて合併を先導する形をとったものと思われるコミュニティ放送局エフエム西東京の場合は,もともと地理的な広がりは限られているところで当初から田無市と保谷市のほぼ全域が可聴範囲に入っており,放送で両市の合併に関する話題を取り上げやすい,やや例外的な環境があったものと考えられる(山田,2000)。
 一方,合併後の新市にとって,地域メディアは地域社会の情報共有の一体性を高めるという観点から,その利活用は大きな課題となってくる。行政が自ら発信する自治体広報媒体の重要性もさることながら,合併に先行する時期において一定の役割を担った日刊地域紙の重要性は,合併後も継続することになる。他方では,許認可制度との関係で旧来の行政区画によって活動領域に制限が加えられていたケーブルテレビやコミュニティ放送について,新たに活動領域の拡大を進め,新市域全域(ないし大部分)をカバーする地域メディアに育てるという選択肢もある。環境さえ整えば,コミュニティ放送の可聴範囲の拡大は比較的容易に取り組めるが,ケーブルテレビについては,特に既存の複数の施設が存在する場合に,調整が難しい局面が様々な形で表面化するおそれが大きい。

おわりに

 本稿では,平成の大合併を振り返り,それが地域メディアにどのような影響を及ぼしたのかを,網羅的とはいえないが,各地における特徴的な事例を通して検討した。技術的基盤や経営組織上の前提が異なる,日刊地域紙,ケーブルテレビ,コミュニティ放送などを,「地域メディア」と一括して扱い,合併前後における地域メディアの動向や地方自治体の地域情報政策上の選択肢について検討するという試みには,一定の解答を示すことができたものと思う。
 しかし,冒頭にも述べたように,全国各地の地域メディアのデータを網羅的かつ均質な水準で検討することは困難である。本稿で取り組んだ一般論ないし思考実験と,エピソードとして恣意的に拾い上げた事例の検討の中から汲み取れる内容には,自ずから限界がある。限られた事例から導き出された本稿における考察は,いわば作業仮説として今後のより実証的な検証を待たなければならないものとなっている。
 平成の大合併のみならず,それを含む大きな枠組みとしての行政機構の大きな変革が一方にあり,他方ではデジタル化の進行・深化が急速に展開する中で,民間,公営を問わず,地域メディアの存立基盤は変質を余儀なくなされているものと推認されるが,その実情を把握するためには,最終的には個別事例の実証的調査に取り組むよりほかに適切な方法はない。本稿において提示した内容が,今後のより実証的研究によって検証され,市町村合併が行なわれた地域における地域メディアについての理解が深まることを期待して稿を閉じることとする。

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1) 森川(2008,p.14)が紹介するBennettの主張によれば,人文地理学の観点からは「とくに境界設定(bounding)概念が問題となる」が,「行政境界には集落空間との整合型(truly-bounded)と集落空間より広い境界型(over-bounded),集落空間より狭い境界型(under-bounded)の3種」があり,集落空間が行政境界を超えて広がっている集落空間より狭い境界型においては「機能の溢出効果が問題」となる。また,集落空間より広い境界型のように都市に隣接する農村部が市域に編入されるようなケースにおいて,「農村部では,都市への編入合併による活力の喪失」が生じる,とも論じられている。
2) ただし,実際には,視点をずらすことによって「形式地域/実質地域」の相対的な関係は多様な様相を呈することになる。例えば,あるケーブルテレビ会社がある市の一部区域について施設設置を認められているからといって,その区域内にある全ての世帯が直ぐにサービスを受けられるわけではない。各種の許認可を通した上で具体的にケーブル等を敷設する工事が進み,各戸への配信が可能になるためには,場合によっては数年間におよぶ時間がかかる。このような場合に,その某市の一部区域をなす公的な許認可がおりた区域は,市単位で捉えられた「形式地域」に対して「実質地域」であると見なすことも可能であるが,他方では,実際にサービスが提供される「実質地域」に対して,諸官庁の許認可に関わる書類の中で形式上設定された「形式地域」だと考えることもできる。
3) 今井(2009,pp.20-21)に要約された,昭和の大合併についての新明(1959)の見解,特に,「形式的地域も形式的統制力の作用によって内部の結合を強化され,やがて実質的地域に変化する」(新明,1959,p.5)という認識は,広く共有されたものと言えよう。
4) 後述の,美津島町有線テレビ→対馬市ケーブルテレビや,ケーブルテレビミアサ→大町市ケーブルテレビなどの事例を参照。
5) もともと地方自治法(昭和22年)第8条第1項は,市が成立する要件のひとつとして「当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が,全戸数の六割以上であること」を定めているが,市町村の合併の特例に関する法律(平成16年)第7条はこの定めについて,市町村合併によって市への昇格を目指す場合には「各号に掲げる要件のいずれかを備えていない場合であっても,同項各号に掲げる要件を備えているものとみなす」と特例的な適用除外を認めた。このため,平成の大合併においては「合体型」なり「遠隔型」の合併が促進され,両者の重なる「遠隔合体型」,すなわち,明確な中心市街地をもたない広大な領域の市も成立している。
6) 本稿で言及する例では,名寄市(旧・風連町)の『北都新聞』,秋田市(旧・雄和町)のコミュニティ放送局あきた椿台エフエム放送などが,こうした立場に置かれていることになる。
7) 『いわき民報』は,1946年に当時の平市において現在同様の名称で創刊され,当初から当時の周辺市町村へと配布地域を拡大していた。1966年に5市4町5村の新設合併によって,いわき市が成立した際に,歴史的に用いられてきた「石城」「岩城」「磐城」などの表記ではなく「いわき」が新市名に採用されたことは,結果的に地域メディアが,この地域の総称として妥当なものを先駆けて採用していたことを象徴的に示すことになった。同様に,平成の大合併においても,1998年に当時の田無市に開局したコミュニティ放送局エフエム西東京が,開局当初から田無市に加えて隣接していた保谷市を可聴範囲に加えて放送を行っていた中で,2001年に両市の合併によって西東京市が新設されるという経過があった。エフエム西東京が開局された時点で,田無市と保谷市は合併に向けた協議を進めていたが,新市名は確定していなかった。
8) 例えば,2005年に新設合併で成立した現在の唐津市は,実態としては旧唐津市が周辺6町1村を市域に組み込む「編入型」であり,翌2006年にさらに1村が新市に編入合併された。当時,旧唐津市には日刊地域紙『唐津新聞』が存在していたが,合併の時点においても配達可能な地域は旧市域の市街地の一部に限られており,新たに「編入」された市域への配布は実現できないまま,2008年に廃刊に至っている(山田,2009,p.156)。
9) 平成の大合併において全国最多の市町村が関わった例となった2005年の上越市の合併では,13町村が上越市に編入合併された。本稿で言及している合併の事例でも,2自治体のみの合併に相当するのは,田無市と保谷市の新設合併によって成立した西東京市,旧・名寄市と風連町の新設合併によって成立した名寄市の2例だけである。
10) 2006年の名寄市の合併は,旧・名寄市と風連町による新設合併という形をとるものであったが,人口は合併直前の2005年国勢調査の時点で旧・名寄市26,590人と風連町5,038人と4倍以上の開きがあり,実態は「編入型」と判断される。名寄市には日刊地域紙として旧・名寄市の『名寄新聞』,風連町の『北都新聞』が存在するが,後者は合併によって周縁に位置づけ直された立場にある。『名寄新聞』は合併以前から上川郡下川町,中川郡美深町を配布域としているが,『北都新聞』はそれらを含むより広域を配布域と称しており,その主張(公称)を是とすれば『名寄新聞』は表3のIV-A,『北都新聞』はIV-Cに位置することになる。ただし,『北都新聞』の実勢はこれより相当に限定的なものと判断される。
11) 例えば,浜松市のコミュニティ放送である浜松エフエム放送(FM Haro!)は,1994年に1Wで放送を開始したが,その後の規制緩和を受けて1999年までに出力を20Wに増強し,さらに2004年に送信所を市街地中心部で最も高い建築物であるアクトタワーに移した。このため,実質的な可聴範囲は合併後の隣接各市の一部にまで及んでおり,これを重視すればIV-Aと見なすべき事例といえるが,一方では,2005年の合併,2007年の政令指定都市への移行を経た現在においても,可聴範囲に全域が含まれている行政区は中区のみであり,III-Aとも見なされ得る。さらに,そもそも合併前の旧・浜松市の市域内にも依然として聴取できない地域があるとされることを重視すれば,I-Aと捉えるべきであるかもしれない。
12) 『市民タイムス』は1971年創刊の日刊紙で,公称部数は,およそ7万部で,2001年に日本新聞協会に加盟した。同紙の概要については,市民タイムス40年社史編纂室(2011)や,同社のウェブサイト(http://www.shimintimes.co.jp)を参照。
13) 現在のテレビ松本ケーブルビジョンは,1974年にTMCテレビ松本有線放送として創業し,1975年から放送を開始した地方都市のケーブルテレビの中でも社歴の長い独立系の局であり,1983年に現社名に改称している(略称はTVM)。同社は,創業40周年となる2014年を目処に社史の編纂を予定しているが,現時点ではまだまとまった公的な社史的記述はない。沿革などについては,同社のウェブサイト(http://www.tvm.ne.jp)を参照。
14) 市民タイムスの木曽支局は,それまで長野日報の木曽支局があった建物にそのまま入れ替わりで入居した。市民タイムスの木曽進出に関しては,木曽広域連合からの進出要請があったという未確認の話も聞かれる。
15) 塩尻市への延伸にあたっては,塩尻市内の出資者も参加した塩尻有線テレビ株式会社が,塩尻市における普及組織として営業活動を担ったが,ケーブルテレビ施設としてはあくまでもテレビ松本ケーブルビジョンとして松本・塩尻一体の運営がなされた。塩尻有線テレビ株式会社は,後にテレビ松本に吸収され,現存していない。
16) 朝日村,山形村のMPIS施設については,相当数の文献があるが,とりあえず筆者自身による報告(山田,1989:山田・阿部・是,1993:山田,1998),これらを含め先行研究を批判的に検討した宗圓(2002)を参照。
17) あづみ野テレビの事業区域は,安曇野市成立以前の南安曇郡豊科町,穂高町,三郷村,堀金村,梓川村,東筑摩郡明科町に及んでおり,この範囲から梓川村が抜けた範囲が,安曇野市となった。2005年の松本市の編入合併には,波田町が参加しなかった(後に2010年に編入合併)ため,梓川村が加わっていなければ,旧・安曇村,旧・奈川村が飛び地となるところであった。
18) 旧・梓川村は,松本市の一部でありながら,あづみ野テレビの事業区域であるため,テレビ松本が自主放送チャンネルで提供している松本市の行政広報番組や松本市議会の生中継などは,塩尻市,山形村,朝日村でも視聴可能であるにもかかわらず,視聴することができない状況にある。ただし,松本市議会の中継については,テレビ松本が制作する生中継番組からの抜粋が,テレビ松本によって編集され,あづみ野テレビでも放送されている。
19) MSOは,別々の地域にある複数のケーブルテレビ局を経営する事業者のこと。英語のMultiple System Operatorを略した表現とされるが,日本語ではマルチシステム・オペレータなどと記すことが多い。ただし,この用語の定義には揺れがあり,MSOをジュピターテレコム(J:COM)のように多数の局を運営する大規模なものを指す場合に限り,ニューメディアのように地方のケーブルテレビ局が少数の他地域の局を経営する場合を考慮しない議論も散見される。
 ニューメディアは,1986年に株式会社ニューメディア米沢として設立され,1987年から米沢でケーブルテレビ局を運営しはじめた。2000年に,それまで函館におけるケーブルテレビ事業を進めていた函館ケーブルテレビ放送株式会社から事業を譲り受け,社名をニューメディアと改称,さらに2008年から2009年にかけて新潟市の株式会社ケーブルネット新潟を獲得し,同社と合併した。2012年現在3地域でケーブルテレビ事業を展開している 。
20) FMいるかの沿革については,同社のウェブサイト(http://www.fmiruka.co.jp)を参照。
21) 例えば,富山県黒部市の新川コミュニティ放送(通称:ラジオミュー)は,もともと旧・黒部市に拠点を置いていたが,2000年に,隣接する当時の宇奈月町に中継局を開設した。旧・黒部市と宇奈月町は2006年に新設合併し,現在の黒部市となった。なお,同局はさらに2007年に,新川郡朝日町に2つめの中継局を設置している。
22) 対馬市CATVについては,公式サイト(http://www.tcctv.ne.jp)を参照。対馬市CATV は公営であるが,ケーブルテレビの運営も,ウェブサイトの運営も,すべて,長崎市に本社がある株式会社コミュニティメディアに委託されている。
23) 大町市の公営ケーブルテレビについては,市の公式サイト内にあるページ(http://www.city.omachi.nagano.jp/ctg/C220/220.html)を参照。
24) 佐伯市の公営ケーブルテレビについては,大杉(2007)のほか,佐伯市の公式サイト内にあるページ(http://www.city.saiki.oita.jp/catv/)を参照。
 なお,市役所の担当者への聞き取りの中では,周辺地域を含めたケーブルテレビのサービス統一化を進めつつも,現時点において例外的にケーブルが及んでいない山間部の地域については,何らかの別の方策でケーブルに匹敵する水準でのインターネット・サービスを普及させるべきだという見解も聞かれた。そこには,ハードウェアないしシステムとしてのケーブルテレビにこだわらず,コンテンツとして地域情報,特に映像情報が流通される状況が確保されることこそが本質だという認識が見て取れる。
25) 実際には,地域紙の正確な発行/配布部数や世帯普及率を知ることは極めて困難であることが多い。そうしたなかで,公称部数ではあるものの比較的信頼できる区域ごとの数字を出している市民タイムスを例にとれば,例えば,公称ながら世帯普及率が5割を超える松本市,安曇野市や,東筑・北安版が配布される東筑摩郡の町村や北安曇郡南部の町村と,2割に満たない木曽郡の町村や,大町市とでは,いずれも配布圏内にあるとはいえ,地域における市民タイムスの存在意義はまったく異なったものであろう。形の上ではかなり広い活動領域を構え,活動を展開しているとしても,十分な厚みのある活動の場となっている核心地域はかなり限られている,というのが実際のところという地域メディアは少なくない。
26) 例えば,2005年に河辺郡河辺町と雄和町を編入合併した秋田市の場合,もともと合併前の秋田市の一部を放送区域としていた秋田コミュニティ放送とは別に,雄和町に拠点を置き,仙北郡神岡町(現在の大仙市の一部)にも可聴範囲が広がる,あきた椿台エフエム放送が合併以前から存在していた。それが理由であるとは断定できないが,合併後にも,中継局の設置による秋田コミュニティ放送の放送区域拡大は行なわれていない。


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Hartke, W. (1954): Die Zeitung als Funktion sozial-geographischer Verhältnisse im Rhein-Main-Gebiet. Rhein-Mainischer Forschungen, 32, 32S.

謝辞

 本稿は,筆者の地元である長野県を中心に2011年度以前から各地で行なってきた現地調査による知見の蓄積をもとに,2012年3月に行なった九州北部,8月に行なった北海道における現地調査・資料収集を踏まえて執筆されている。現地調査でお世話になった方々は,筆者の地元である長野県中信地方の諸メディア関係者各位をはじめ多数に上るが,特に,九州における調査に御協力いただき,大分県の事例について詳細な情報を提供していただいた大杉卓三氏(九州大学[当時]),北海道における調査に支援を頂戴した大澤勝文教授(釧路公立大学),また,北海道新聞情報研究所の関係諸氏には,記して感謝を申し上げたい。

 本稿は,山田が研究分担者として参加している科学研究費補助金・基盤研究(B)「デジタル時代の情報生成・流通・活用に関する地理学的研究」(代表者:和田崇・徳山大学経済学部准教授)の2011年度および2012年度の成果の一部である。
 本稿の内容の一部は,2012年8月29日に釧路市生涯学習センター「まなぼっと幣舞」で開催された経済地理学会北東支部例会において口頭発表した。

 本稿のテキストは,当研究室のウェブサイト上で公開している。(http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/text.html



本研究に関する科学研究費補助金(徳山大学:分担)支出明細(2011年度分)(2012年度分)

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