私的ページ:山田晴通
山田が聴いている音楽(CD)
(2002年)
山田は、ポピュラー音楽についていくつか文章を書いていますが、聴いている音楽の内容は、決して専門的だったり、マニアックだったりということはなく、浅く広く、表層的です。
好きな音楽、コメントすべき音楽について触れていくときりがないので、ここでは、このページ作成作業をしているマックで山田がかけているCDの紹介を中心に、山田がふだん実際に聴いている音楽を、近況報告風に紹介していきます。
CD紹介は、書き込みが新しい順に並んでいます。( )内は、レーベルと発売年月日です。
このページでは、2002年に書き込んだ内容を保存公開しております。
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2002年
- 2002.10.17.記:ジャイアント・ステップ
- 登川誠仁『スピリテュアル ユニティ』(RESPECT:2001.05.09.)
『ナビィの恋』で全国区となった感のある大御所。最新作『STAND !』が出たばかりなのだが、本土の普通の音楽ファンに知られる契機となった前作を最近買ってみた。聞き覚えのある民謡に、独自の色彩が加わって、素直に聞きやすい。全体にヤマトの市場を意識した仕上がりである。
こういうものには、私のような半可通の解説はいらない(以下のリンクを辿るべし)。ただ聞き、楽しむ。ジャイアント・ステップということだ。
一部の曲に、中川敬らソウルフラワーユニオンのメンバーが参加している。
□唯我独尊的島唄解説 登川誠仁:愛情あふれる「解説」(ただし、最新作『STAND !』への言及はない)
□琉球民謡の登川誠仁 おおらかに沖縄を歌う:近況を伝える朝日新聞の記事
□登川誠仁/藤田正・構成『オキナワをうたう 登川誠仁自伝』:北中正和による『自伝』の紹介
- 2002.09.21.記:なごみ系レトロ趣味
- 川畑文子・ベティ稲田と仲間たち『青空〜あなたとならば』(BAYBRIDGE/テイチク:1998.09.23.)
つい昨日まで、またまた「やけくそ」状態に陥っていたのだが、その間に少しでも心を和ませてくれたありがたい1枚である。もともと、授業用に資料として買ったCDなのだが、授業準備と関係なく時々聴きたくなる魅力がある。
集録されているのは、戦前(一部、戦後)に日本で活躍した日系日本人歌手たちのジャズ・ソングである。可憐な少女の、ややおぼつかない日本語の歌を、いろいろと聴くことができる。(1)川畑文子「あなたとならば」は後に吉田日出子が『上海バンスキング』で歌って大当りをとった歌。また、川畑の妹分といった感じのチェリー・ミヤノの(9)「スイート・ジェリー・リー」も、微笑ましい。レーベルが違うのでこれには入っていないが、コロムビアの『オリジナル盤による昭和の流行歌』で聴けるアリス浜田も、同じような意味で聴いていて楽しい。ちなみに川畑は、コロムビアでも吹き込んだので、『昭和の流行歌』にも『セントルイス・ブルース(沈む夕日よ)』が収められている。
全23トラックのうち、川畑が13曲(ディック・ミネとのデュエット1曲を含む)、ミヤノが5曲のほか、戦後の録音だがベティ稲田が4曲で、最後にビクター契約以前の灰田勝彦が吹き込んだ(23)「アロハ・オエ」も入っている。
□2002年度 国立音楽大学「ポピュラー音楽研究」:6月19日、7月10日にこのCDを使いました
- 2002.07.31.記:現実逃避中
- 東京少年『も〜いいかい?』(ビクター/invitation:1990.12.16.)
詳細は省くが、このページの更新をしている場合ではない。しかし、やけくそである。今日買ってきた中古CDをかけていて、ついつい書き込まずにはいられなくなったという感じだ。
アニメの主題曲だった(1)「Shy Shy Japanese」はビデオクリップも凝った作りだった。当時、レコード会社はかなりプッシュしていたのだろう。今聞くと、笹野みちるの声は、渡辺美里とか、奥居香とかと重なって、時代の声だったようにも思えてくる。一番いいのは、(8)「どっかいっちゃった」。笹野のシャウトが思いきりよく、元気だ。
□これで全部よ!みちる園:笹野みちるの個人ページ
- 2002.06.10.記:寝不足ぎみの朝
- Led Zeppelin『WHITE SUMMER』(ブートレッグ:Oil Well:1993)
昨夜の興奮はともかく、朝になっても通勤の車の中でその話題ばかりが続いていて、興奮冷めやらぬ、というよりかなり食傷気味になってきた。何とか気分転換にと思って選んだ一枚である。
1969.06.10. ロンドン、プレイハウス・シアターでのライブのブートレッグ。どこでだったかは忘れたが、少し前に買って、そのまま忘れていた。ケースには英語しか印刷されていないが、イタリア語の認証印のようなものが不鮮明に押してあり、CD本体にはイタリア語が印刷されている。
69年録音ということで、内容はデビューアルバムからの5曲(曲順はアルバムとは異なる)に表題曲が追加されたもの。冒頭の(1)「Communication Breakdown」以外は、「ど」がつきそうなブルースものばかり...といいたいところだが、後年のペイジ=プラントのアンプラグトを先取りしたような、トラッド色の濃い表題曲(4)「White Summer」も心地よい。アルバム収録曲の演奏時間は、どの曲も長さが一倍半から二倍ちかくになっている。
- 2002.06.04.記:原稿が進まない(泣)
- 遠藤ミチロウ『OFF』(北極バクテリア:2000.01.01.)
ワールドカップで日本がベルギーと引き分け、韓国がポーランドを激破した。とはいえ、テレビをじっくり見ている余裕はない。テレビの音を消して、時々横目でちらちら画面を見るだけである。既にいくつも踏み倒している原稿があるというのに、絶対落とせない原稿の締切が近づいている。何とかパソコンに向かうのだが、いろいろと集中できず、ほとんど作業が進まない。その上、明日の授業の準備さえ、一応の形はとれているものの思うように内容が煮つめられていない。
テレビを消音していると、聞こえてくるのは空調とパソコンのノイズだけだ。あまりに無味乾燥なので、思わず手近にあった未開封のCDを放り込んだのがミチロウだった。以前、八王子のアルカディアで体験した、ギター一本のシャウトの凄味は、最小限のサポート(石塚俊明=元・頭脳警察のドラムスなど)を従えたこのアルバムでも十二分に再現されている。
こんなものは、決して作業のBGM向きではない。作業効率はいよいよ落ちる。やけくその選択だ。その上、このページの更新何ぞをはじめているのだから、もう問題外の現実逃避である。しかし、もちろん逃避先はリゾート何ぞではない(まあ沖縄ネタの(6)「琉球五月晴れ」なんていう曲も入っているが)。
とにかく一度どろどろした深淵に沈まなければ、前に向きにもなる気がしないという感じだ。でも、そのまま深みにはまって成仏したらどうしよう。
□遠藤ミチロウ公式ページ:主宰するレーベル「北極バクテリア」
- 2002.05.31.記:十年前の江口夫人
- 森高千里『ペパーランド』(ワーナー:1992.--.--.)
この手のアルバムを、発表後十年で聴くというのは、一番しんどいタイミングかもしれない。森高という、ワン・アンド・オンリーの存在だったアイドル/アーティスト(そしてそのいずれでもない)を、リアルタイムのノリとは異なる言葉で語るのはまだまだ生々しすぎるということだ。しかし、この間に、埼玉県の県庁所在地は浦和ではなくなり、(5)「ロックンロール県庁所在地」は過去の歌になってしまった。結婚・事実上の休業・出産(近日中に第二子出産らしい)を経て、森高はまだまだ長いキャリアを積み上げて行くのだろう。だが、これからの彼女に、あの二十代前半までの微妙な危うさに満ちた輝きを期待することは間違いであろう。
彼女の作品の流れから行けば、自己批評性を取り込んだ虚構性の世界を構築した一連のアルバムから、生身の女性としての側面を打ち出した方向への転換点になった9枚目のアルバムである。多くのトラックで、「ひとり女の子バンド」を奏でる森高の音を、一種のけれん味と感じるか、健気と見るか、あるいは「おちょくり」と憤るかは、それこそ受け手の側に開かれている。
仕事はあっても、関心事は遊ぶこととデート、そして密かに恋愛と体調に悩む。語りたいことは山ほどあっても、語れる言葉は乏しい。そんな二十代の女性の生身の声を、森高はその詩に結晶させて行く(「作詞」ではなく「作詩:森高千里」である)。そうであればこそ、恋人とリゾートへ出かけるという幸せな経験は、陳腐な言葉で語られることでリアリティを獲得する((7)「常夏のパラダイス」)。スリーブの冊子に収められた何枚もの彼女の写真(とその背景)は、そうしたアルバムの位置付けを的確に表象している。デートの朝には、親のために朝食を(おそらくはそこそこ上手に)作り、出かけるときには香水に気を使う((9)「ごきげんな朝」)、したたかなようでいて、実は健気でかわいい「女の子」...を演じる森高...なのか、それが彼女の「素」なのか...と、想像は滑って行く。左右非対称、笑っているのか、苦しんでいるのか、何とも言い難い彼女の顔(表紙の顔を左右それぞれだけで眺めて見よ)には、虚実の間に、深遠と浅薄の間に、能天気と苦悩の間に、「女の子」と「女」の間に、「女」と人間の間に...あらゆる対称性の間に浮遊し、どちらでもあり、どちらでもない、モリタカのワン・アンド・オンリーぶりが彫琢されている。
□Artist File 森高千里:現在所属する zetima の公式サイト
□ああっ 森高さまっ!:公式サイトも含め関連ページの更新が進まない中で、情報を発進し続けるファンのページ
- 2002.05.25.記:「ダイナ」は英語の都々逸で...
- あきれたぼういず『ぼういず伝説』(ビクター:1993.07.21.)
これは、国立音大での授業の資料として取り寄せたものなのだが、聞き始めたところ、奇妙な時間感覚に魅せられて、繰り返し聞いている。昭和13-14年(1938-1939)のあきれたぼういず(第一次、第二次)の音源を中心に、川田義雄名義の音源を加えたこのコンピレーションは、「ボーイズもの」の元祖である彼等が、軍事色の強まる時期に、おそらくは厳しい制約の中で、SPに固定しえたレパートリーを生々しく伝えている。
私が子供だった1960年代には、益田喜頓、坊屋三郎はばりばり現役のコメディアンだった。戦死した芝利英はもちろん、川田義雄(晴久)(1907-1957)も既に亡かったが、「ダイナブラザース」はテレビの寄席番組でときどき見た記憶があるから、あきれたぼういずの持ちネタもその多くが記憶の奥に沈殿しているようだ。このCDを聞きながら脳裏に立ち上がるのは、昭和十年代の幻想ではなく、昭和三十年代の生活の記憶である。考えて見れば、戦時と占領の激変を経ているとはいえ、あきれたぼういずの全盛期から、私の記憶がある時期までは二十年ちょっとしかなかったわけで、当時は懐かしくもまだまだ生々しいものだったのであろう。無理やり当てはめれば、現在から振り返ったYMOくらいの時間感覚だったはずだ(YMOのメンバーはまだみな健在だが、重要なツアーメンバーだった大村憲司は既に亡い)。
改めて、ぼういずを聞くと、彼等が、当時の映画(洋画、邦画を問わず)を巧みにネタに取り込んでいたことがわかる。坊屋三郎のポパイやアヒル(明らかにドナルド・ダック)の声色は絶品だが、その背景にはディズニーの漫画映画が広く深く浸透していたことが察せられる。当時の日本の大衆文化は、明らかにアメリカの文化帝国主義の周縁にしっかりと位置付けられていたのである。一方で、あきれたぼういずは、浅草オペラがもっていたヨーロッパへの指向性を継承し、カルメンやらシラノもネタにしているが、それを浪曲調でやってしまうところが時代性を反映している。輸入→消化・変質というプロセスが大正期の浅草オペラだったとすれば、ここで聞こえてくるのは、土着化である。スーツに身を固め、洋楽器を抱えた彼等が、和洋の音楽伝統を取り込んだ演奏で、洋画や講談のネタをひねくり倒す。そこに、時代性を色濃く反映した「ダイナ」ミズムが生まれていたのだろう。
ところで、アニマル・ノヴェルティ(動物の鳴きまねなどを音楽に取り込んで笑いを誘う手法)は、観衆が農村的生活への記憶を共有し、郷愁を感じているからこそ受けるという面があるように思う。そうだとすれば、都市社会の立ち上がりの時期において、芸能の様々な場面で手法として珍重されながら、やがて都市社会の成熟とともに手法自体が時代遅れな郷愁の対象となってゆくのだろう。
□あきれたぼういず:KO-1 さんによる Crossroads の中のページ
□ボードビリアン 川田 晴久 について:川田の親戚という Okason さんによる Okason's Room の中のページ
□91歳でも現役のボードビリアン 坊屋三郎さん:
□(故)益田喜頓を起用したポスター:
この項を書いた翌々日(27日)の新聞に、坊屋三郎の訃報が載っていた。亡くなったのは25日の朝だったそうだが、上の文は24日の深夜に書いて25日になってから掲出したので、その数時間前だったことになる。ただただ合掌。(ウェブ上の訃報記事)[2002.05.31.追記] |
- 2002.05.24.記:「技術革新と市場政策」なんてレポートが書けそう
- 東京スカパラダイスオーケストラ『Stompin' On DOWN BEAT ALLEY』(avex/cutting edge:2002.05.22.)
とりあえず、初めて出会ったCCCD、つまり「コピーコントロールCD」という名の規格外CDである。貼られたシールの但し書きを素直に読む限り、いつもCDを放り込んで聞いているマックでは聞けないようだ。しかし、この「ご購入の前に必ずお読みください」という文章を読むと、マックだけでなく何で聞けば問題なく再生されるのかはさっぱりわからない。その上、PL法がらみか、
「免責事項 WindowsOS、Macintosh を問わず、このCDをCD-ROMドライブに導入したことによる運用およびその結果に関しては、お客様ご自身の責任で行ってください。その結果、データ並びにハードウェアへの損害が生じたとしても、弊社では一切補償いたしません。」
と強面の文面である。
少々気後れしながら、とにかく古いマックにCDを入れて、再生をこころみた。いつものようにAppleCDオーディオプレーヤーを立ち上げると、どうやらCDを認識している。ところが、ここでPLAYボタンを押しても、エラーメッセージが出て再生はできない。しかし、いろいろいじっているうちに、ノーマルからシャッフルないしプログラムへと切り替えると、何とか演奏できることを発見(ラッキー!)。何回も繰り返して聞いているうちに、途中、ちょっとしたことで曲の途中でとまることもあったが、ローファイで聞く限りは、概ね問題ない。しかし、ウェブ上には、音質低下を嘆く声が多い。ハイファイで聞くと辛いのだろう。
ここまで書いて、中味に言及する気力が萎えてしまった。とりあえず、いつもの「スカパラ印」で疾走する感じがよくでている。ストレートで元気がいい(3)「DOWN BEAT STOMP」(川上つよし:曲)、ジャジーな感じの(6)「灰の城」(NARGO:曲)など、素直に気持ちよくなれるスカ・ビートが全曲に溢れている。奥田民生を迎えた(13)「美しく燃える森」の旋律の複雑さは印象的。
□公式ホームページ:公式ホームページ
□avex ホーム:ABOUT CCCD:スカパラ
- 2002.05.09.記:シリーズ最新作
- V.A.『蛍の光のすべて』(キング:2002.03.06.)
隔年シリーズ?『〜のすべて』の最新作。今度は、卒業式から閉店放送(3拍子のいわゆる「別れのワルツ」)までわれわれの生活に浸透した<スコットランド民謡>「蛍の光」である。<民謡>の旋律や歌詞がそれぞれ固定されていく過程や、日本のみならず、他のアジア諸国における受容過程など、冊子の解説の助けを借りながらCDを通して聴くと、いろいろ学ぶことができる。
現在とは異なる最初に楽譜出版された際の旋律(7)やベートーベンによる編曲(3)なども面白いが、何といって、(12)モルディブ共和国旧国歌、(13)韓国旧国歌=愛国歌、(14)中国の学堂楽歌という広がりが興味深い。日本語で歌詞が異なるものも、(15)賛美歌「朝日は昇りて世を照らせり」、(25)軍歌?「別れ」と、2曲収録されており、初めて耳にするものばかりだった。
次に渡英するときには、スコットランド人の友人へのお土産にしてぜひ持っていきたい。
* ちなみにキングからは2000年に「軍歌のすべて」というCDも出ているのだが、これは『〜のすべて』のコンセプトに沿ったものではない。
- 2002.05.03.記:今日は何の日?
- V.A.『君が代のすべて』(キング:2000.12.06.)
国歌『君が代』をめぐる、様々な旋律を聴くことのできる資料的価値の高い一枚。雅楽/和歌なども面白いが、フェントン(John William Fenton)作の(3)<初代>(1870年)、(6)保育唱歌『サザレイシ』(1879年)、(7)小学唱歌(1882年)の旋律は、実際に音で聴き、認識を新たにした。(年号は特記のないかぎり作曲年)
後半は、『君が代』を変奏するクラシック系の作品がいろいろ収められている。(16)子爵・近衛秀麿指揮ベルリン・フィル(1937年録音)のほか、珍しいといってよいと思うのだが、ハープ曲(20)『日本のメロディーによる即興曲』(1932年)、ロシアの作曲家グラズノフによる(22)パラフレーズ(1915年)、歌劇「戦争」の劇中で歌われる(24)仏語の君が代(1931年)など、いずれも初めて聴いた。日本人の血も引くという中国人ウォン・ウィンツァンの(26)『さとわの夢』(1992年)はわずかな和音の工夫で実に伸びやかな編曲になっていて印象に強く残る。
企画としては以前紹介した『軍艦マーチのすべて』と一見似ているが、雅楽〜国歌〜軍楽〜クラシックという流れなので、内容的にはずっと固く、その分面白みは欠ける。しかし、「正しい歌いかた」といって無理難題を言う藤山一郎の(8)歌唱指導(1974年録音)にはニヤリとした。
□「言いたい放題」NO 85:家本芳郎さんのコラム
- 2002.04.28.記:おやじの、おやじによる、おやじのための音楽
- 吾妻光良とスウィンギング・バッパーズ MITSUYOSHI AZUMA AND THE SWINGING BAPPERS
『Squeezin' and Blowin'』(ビクター:2002.02.21.)
日本を代表する?ジャンプ・ブルース・バンド、とはいえ、副業でやっていることもあり十一年ぶりのアルバムである。
練達のノリノリのサウンドに、いよいよ「おやじ」全開という感じでユーモアとペーソスに溢れる歌詞、そして歌いっぷり。四の五の言わず無条件に楽しむ一枚だ。
どの曲も甲乙つけがたいが、ゲストに服部恭子を迎えた(5)「おもて寒いよね」、ブルージーな(7)「俺のカツ丼」、聞きながら叱る側と叱られる側の間を揺れ動いてしまう(9=SIDE B 2=)「道徳HOP」は、特にお薦めである。
□ビクターのサイトにあるページ:
□ライブ・リポート:ぶる銀 Blues Ginzaにある、1996.10.12.@日清パワーステーションのライブ評:このアルバム収録曲の多くが「アルバム未収録曲」として紹介されている
- 2002.04.24.記:ASAYAN も終わったのだなあ
- Heartsdales『Radioactive』(ESPIONAGE/AVEX:2002.03.20.)
帰国して、中古車を買い直して乗り回し始めた先月末ころ、ラジオでよく露出していたハーツデイルズ。こういうものは、まあ恥ずかしくて買いにくいものなのだが、Verbal のプロデュースということもあって、ラジオで聞いただけで生協に発注してしまった。
実際にパッケージを見て、ふうんこんなヴィジュアルなのか、とちょっと意外だった。もっと「姐御」系を想像していたからだ。このずれ方は、ラジオでのトークがごくごく普通っぽい DOUBLE の TAKAKO とは、ベクトルの向きが逆だ。
Verbal はじめ、ゲストのラップが入っている曲が多いが、シングル・カットの2曲((3)「So Tell Me」、(6)「That's Why」)のように、姉妹をしっかりメインに据えてカラーが出ているもの、ラップがよく書けているものが、もう少しあって欲しい気もする。
□avex のサイトにあるページ:
- 2002.04.18.記:言葉のちから
- V.A.『戦争に反対する唯一の手段は。 ―ピチカート・ファイヴのうたとことば』(READYMADE INTERNATIONAL:3Dsystem/PRYAID RECORDS:2002.03.31.)
オーストラリアから帰国して最初に買ったCDということになる。このページへの書き込みも半年以上間があいてしまった。
トリビュートとはいえ、ピチカートは膨大な作品量に対してあまり聞いていないので、初めて耳にする曲も混ざっていた。どういう背景でこの企画が出てきたのかはよくわからないのだが、参加歌手は実に多様(懐かしくも思いがけない名前が並ぶ一方で、知らない人も数名)で、ライブものも2曲(オリジナル・ラヴ (1)「美しい星」、夏木マリ (11)「私のすべて」)。通して聞くと小西作品の署名性がよくわかる。
RIP SLYME(ただ今、大ブレイク中!)の (4)「ノンストップ・トゥ・トーキョー」や、何を歌っても歌い手の世界にしてしまうコシミハルの (10)「あなたのいない世界で」から、有近真澄(TV JESUS) (13)「戦争は終わった」のようにピチカートの引力圏内で低い軌道を描いている感じのものまで、小西の詞世界の<言葉のちから>を痛感させられる。
もちろん夏木マリは(バックの演奏=p.島健が率いるトリオ=も含め)最高だが、あの水森亜土の (6)「皆笑った」には絶句した。マリアンヌ・フェイスフルも目ではありません。
□READYMADE ENTERTAINMENT, TOKYO:
□1997.12.17.記:ブルジョワで悪い?:
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