私的ページ:山田晴通
山田が聴いている音楽(CD)
(2001年)
山田は、ポピュラー音楽についていくつか文章を書いていますが、聴いている音楽の内容は、決して専門的だったり、マニアックだったりということはなく、浅く広く、表層的です。
好きな音楽、コメントすべき音楽について触れていくときりがないので、ここでは、このページ作成作業をしているマックで山田がかけているCDの紹介を中心に、山田がふだん実際に聴いている音楽を、近況報告風に紹介していきます。
CD紹介は、書き込みが新しい順に並んでいます。( )内は、レーベルと発売年月日です。
このページでは、2001年に書き込んだ内容を保存公開しております。
///(2000年)///(2002年)///(インデックス)///
2001年
- 2001.09.10.記:
- Bob the Builder『CAN WE FIX IT ?』(BBC Music:2000)
オーストラリアのビデオ・チャート(ARIA)の上位で、このところ頑張っているシングルである(このところ3週にわたって11位→6位→4位と上昇中)。日本でもテレビで紹介されている英国BBCの人形アニメーションから生まれたヒット曲だ。サウンド的には今風のダンス音楽、子供はもちろん、しゃれで大人が聞くのもありという作り方である。
最近のCDシングルらしく、カラオケとビデオCDのトラック付きになっている。ビデオ・クリップはBBCの人形アニメーションの質の高さを改めて感じさせる楽しい作品である。
オーストラリアでは、シングルCDは4ドルちょっと、つまり300円くらいで気楽に買える。シングルはこれくらいが適正価格のような気がするのだが、どんなものだろう。
(2001.09.14.追記:今週はなんと1位に躍り出ました。)
(2001.10.10.追記:「日本でもNHK教育で紹介」というのは、誤りでした。実際にはテレビ東京系の番組「のりものスタジオ」で、「ボブとはたらくブーブーズ」という名で紹介されています。本文の方は「日本でもテレビで紹介」と改めました。)
□Bob the Builder Web Site:公式ページ:トップページから国旗をクリックすると英語のほか、独・伊・蘭語のページへゆくのだが、独語のページでは『CAN WE FIX IT ?』の独語バージョン(ただし短い)が聞ける
- 2001.09.04.記:
- Fat Boy Slim『YOU'VE COME A LONG WAY, BABY』(SKINT:1998)
ビデオ・クリップも含め、半端じゃない表現力を感じさせるシングル(「Right Here, Right Now」(1)や「Praise You」(9)など)をこれまで耳にすることがあったので、たまたまシドニーのレコード店で買ってみた。実はジャケ買いの気味もある(どんな図柄かはあえて説明しない)。発表が3年も前というのはちょっと意外な感じがした。演歌並みの盛り上がり方ということか。
この手の音楽は、作り手への関心が余り湧かないので、どんな人物が作っているのかはどうでもよいのだが、スリーブの内側にコラージュ写真で紹介されている彼の仕事場の様子を見ると、どんな性格の人物かは見当がつくかもしれない。いずれにせよ、彼が本当はどんな体格なのか(fat? slim?)は、ちょっと知りたい気もする。
- 2001.05.30.記:逃避先はハワイです
- サンディ(Sandii)『SANDII'S HAWAI'I』(SUSHI/BOMBA:1996)
原稿用紙でたった8枚分なのに、ここ数日、何も手につかないまま、月末締切の原稿が書けていない。いよいよ追いつめられてきたところで、現実逃避に走る。そんな逃亡志願のBGMにぴったりなのが、サンディ(サンディ・スズキ)のハワイアン・アルバムである。
スローテンポの曲を中心に、優雅な抑揚で歌われる、しかしどことなく垢抜けたハワイアンのスタンダードは、一服の清涼剤というより、仕事を放棄させる筋弛緩剤のようなものだ(一つ間違えれば劇薬ということ)。
ビジュアルも音と同じ趣というべきか、パッケージのサンディの姿も、恐ろしいまでにステレオタイプそのまま。たしか、こんな格好の女性をセピア調で撮った写真が絵はがきなどになっていた。日本人のイメージの中の「楽園=ハワイ」から、仕事中毒の日本人の手に渡された、誘惑するアルバムである。
- 2001.04.09.記:確かに「後悔に至らしめない」
- <不詳>『日本人の心のメロディー4 我が青春のロシア民謡』(ダイソー[大創産業]:2000[?])
100円ショップで快進撃を続けるダイソーの「ザ・CD」28作のうちの1枚。
内容は、マンドリン・クラブ風のインストゥルメンタル演奏(基本的にはマンドリン×2、マンドラ、ギター、オルガンかアコーディオン? 程度の編成)で、歌はなし。演奏に関する記述はいっさいなしだが、「ザ・CD」の他のラインナップと同じように、おそらくは新録音ではなく、昔どこかにあった音源をタダ同然で利用しているのであろう。フリーライターの本間さんの日記ページ(2000/09/21)の記述は、的確な評価だろう。
改めて聞いてみると、聞き覚えのあるメロディばかりなのだが、なかなか曲名が思い出せない。それくらい、身近だったのに、昨今はほとんど聞かないということだ。最近では、この手のロシア民謡を耳にするのは、新宿に生き残っている歌声喫茶にでも行ったときくらいしかない。しかし、子供の頃に親しんだものというのは、懐かしさも手伝ってミューザックとしては捨てがたい味があり、特に昼寝しようとしている時にはもってこいである。
- 2001.04.05.記:テクノ・ポップからテクノへ
- V.A.『YMO REMIXIES TECHNOPOLIS 2000-01』(ビクター:1999.11.03.)
- V.A.『YMO REMIXIES TECHNOPOLIS 2000-00』(ビクター:2000.11.22.[CD...アナログ盤には追加曲あり])
知り合いがやっている店の関係者が集まった花見に出かけたら、美術関係の仕事をしている初対面の青年と話が盛り上がった。彼はなかなかのテクノ者らしく、「テクノってYMOとかですか?」というその場に居合わせた音楽に疎い人の質問に、いかに80年代テクノ・ポップと現在のテクノが別物かを、私がムキになって説明しているところで、「でも(テクノはテクノ・ポップを)リスペクトしてるんですよ」とつっこんでくれた。
全体的には「2000-01」の方がインパクトを感じる。小西康陽「TECHNOPOLIS」(1)のようにしっかり自分の署名性を出しているものから、オリジナルを活かした砂原良徳「SEOUL MUSIC」(4)まで、リミックスといっても戦略性の幅は広い。「2000-00」ではラップのバック・トラックとして使い倒すという手に出ている山田マン「RYDEEN」(7)が面白く感じた。
YMOリミックスものというのは、これまでにもいろいろな形があったし、これからも際限なく出現しそうだが、とりあえず20世紀末の総決算といった感じなのが、この2枚である。実際の事情がどうなのかは知らないが、1枚目が結構評判になったので、もう1枚ということになったのかもしれない。そうだとすれば「2000+01」なんてのが秋頃に出ちゃうのだろうか。松任谷由実みたいに、毎年11月の定例になっちゃったらどうしよう。
□Music Plans:下の方に「2000-00」の紹介があります。
- 2001.03.10.記:正しいアイドル
- ピンクル(FIN.K.L.)『HISTORY』(DSP Entertainment:2000.--.--.?[VCD])
- ピンクル(FIN.K.L.)『HISTORY...』(E&E MEDIA:2000.--.--.?[2枚組])
押しも押されもせぬ韓国を代表する超人気アイドル・グループ「ピンクル」。その存在は以前から知っていたが、先だって2月に韓国に行った際、はじめて上記2点を購入した。今回、ソウルと原州にでかけた際、車を出してくれたソウル大の院生(女性)がかけていたCDが、ほとんどピンクルとG.O.D.だった。彼女の強い薦めもあって、買おうという気になったのである。
この2点は、同じ(ような?)タイトルで、いずれも1998年デビューの彼女たちのヒット曲から選ばれたベスト盤だが、VCDとCDでは内容は全く違うし、販売元なども一致していない。
VCDでは、曲ごとにメンバーがコメントしてビデオ・クリップを6曲見せる。そして最後に、おまけとしてグアム島で遊ぶ彼女たちの姿が3曲分収められている。CD-1はリミックス、オリジナル入り交じっての構成で14曲(うち4曲が2バージョン収録されている)が収められている。もう1枚のCD-2は二人のDJによるメガミックスの競演(他のアーティストの曲も多数使われている)で、ピンクルを聞くためのCDというよりは、ピンクルも入っているコンピものという感じになっている。
韓国のアーティストを見て、日本でいえば誰々のような...と考えるのは、日本人の常だし、説明のしやすさという意味ではそれは決して間違いではない。しかし、この種の説明は、実はそれで判ったような気になるという意味では問題も多い。したがって見立てをするのは悩ましくもあるのだが、とりあえずは、SPEEDからMAXへと移行しつつある4人組で、けっこうモー娘。も入っている、というところ。もっとも売り方としては、スパイス・ガールズとかをイメージさせるところも。
とりあえず、日本でも支持者は結構いるようで、日本語で読めるページもいろいろある(下記のサイトはいずれも日本語)。そういえば、昨年夏に韓国の音楽事情に強い若い友人と話した時も、ピンクルは日本向きのところがあるという話だった。今のところは韓国と台湾でCDが発売されているが、日本盤が出るのも時間の問題か。
(2001.03.12.追記:上の文全体に、手を入れ、下のリンクも追加しました。まだ風邪が抜けていないせいか、ぴしっとした文が書けずにいます。)
□日本ピンクルファンクラブ-JFFC:
□ぴんくる・たいふ〜ん:紹介サイトとしてバランスがいい
□Power Of Fin.K.L.:名古屋発の応援サイト
□南朝鮮案内 / ROK Information:ここではコメントしませんが、このページの「その2」を見て下さい。こういうところも「超超超人気アイドル」の証明でしょう。
□い〜ひより:リーダー格のイ・ヒョリの応援サイト。韓国の所属事務所の承認を受けている。
□FIN. K.L LOVERS in Japan:メイン・ボーカル格のオク・チュヒョン中心という応援サイト。
□ピンクル城:ソン・ユリの応援サイト。元々は独立したサイトだったが、現在は「Power Of Fin.K.L.」が管理している。
- 2001.02.13.記:大げさに、自然体で、照れながら
- 泉谷しげる『光と影』(FOR LIFE:1992.11.20.[オリジナルは、ELEC 1972年])
以前も書いたが、泉谷は私にとって最大のヒーローだ。ときどき古い音源をかけているのだが、入試関係業務の谷間のような状態で久々に聞いてみると、歌詞がすっと身体に染み込んできた。
(1)「君の便りは南風」で始まり、(11)「春のからっ風」に至るこのアルバムは、エレックから出た4枚目にして、おそらく最高のクオリティの作品である。1972年は、エレックからCBSソニーに移った吉田拓郎の「結婚しようよ」〜『元気です』がフォークを一挙にメジャー化し、他の大手レコード会社でも井上陽水の「傘がない」〜『断絶』(ポリドール)などもあり、独立系のエレックにも勢いがあった時期だった。エレックは、泉谷のためならそれなりにお金も使えた。ライターとしての泉谷もオリジナルアルバムの経験を重ねて技量を伸ばし、歌詞にも、サウンドにも聴きどころは多い。
「アメリカを誹謗している」として放送禁止となった(3)「おー脳」、今こそ歌われるべき?(7)「老人革命の唄」、(10)「国旗はためく下に」などなど、どの作品にも、泉谷の毒、怒り、意地、そして優しさが溢れている。このアルバムに限ったことではないのだが、自分の人生観の過半は泉谷のこの頃の詞で形成されたんじゃないだろうかと思うくらいだ。アルバムの冒頭と終曲では、きれいに対になって泉谷の世界の真髄を結晶させている。
前半の5曲は加藤+高中+小原+高橋のサディスティック・ミカ・バンドの演奏で、ミカのコーラスも聴こえる。残りの編曲は三保敬太郎と中川イサトだが、サウンドは前半の勝ちである。リアルタイムでは気にしてもいなかったが、加藤和彦のアレンジはレゲエ調を絶妙に取り込んでいる。ちなみに、マスターテープがなくなっているため、(6)「ひとりあるき」は別録音、(10)「国旗はためく下に」はライブ録音(詳細不明)になっている。CDでは泉谷の直筆イラストになっているジャケットも、エレックのオリジナル盤ではカラー写真のポートレイトだった。けっこう好きなジャケットだったのに残念。もっとも、アナログ盤はリアルタイムでも持っていなかったのだが、今さらコレクターのように買うのも正直なところ気が引ける。
そういえば、先だって泉谷は『徹子の部屋』にも出ていたようだ。いろいろ屈折を抱えながら、正直に生きるというのは、難しいけれど、大切だし、実は、本当は簡単なことなんだろう。ねえ。
□泉谷しげる:「永遠の少年」松井さんが語る泉谷しげる
- 2001.02.07.記:ベストまで出ているとは
- O.M.Y.『O.M.Y.ソロワークス』(PONY CANYON:1999.09.17.)
修士論文の審査の議論で、「修士論文にオリジナリティをどこまで要求するべきか?」なんて大真面目にやりとりした後だからこんなものを聞きたくなったというわけではありません。念のため。
前世紀最後にも取り上げた(大げさ)OMY である。年末の休みには入る前に生協に注文していたのだが、連絡がないまま一月半経ったので、店舗に立ち寄った際に取り寄せ棚のCDを調べてもらった。その結果、とっくに入荷していたのだが、誰が注文したのか分からなくなって行き場を失っていたことが判明、早速保護して持ち帰った。
ソロワークスとなると、こっちもオリジナルを全部持っているわけでもなく、またもとネタの方をもっているものもアナログしかなくて記憶が怪しいということもあり(残念ながら青盤ではありませんが『音楽殺人』なんか結構聞いてたはずなんですが)、むしろ、新しい耳で聞いてしまう。
しかし、最後に置かれた(10)「次世代機-閉めろフタ-」(もちろん「磁性紀-開け心-」が元ネタ)、(11)「RELATIVE EGO DANCE」(「ABSOLUTE EGO DANCE」)、(12)「COSMETIC THIRTY」(「COSMIC SURFIN'」)は、いずれも耳慣れた音の記憶と現前する音の絡み合いが絶妙でOMYの真骨頂と言うべきだろう。もちろんこの感覚は、OMY独自のオリジナリティだといってよい。
OMYは最近、ベスト盤まで出した(残念ながら、既発表音源の編集盤のようだ/「RELATIVE EGO DANCE」「COSMETIC THIRTY」はこちらにも入っている)。私はコレクターではないので、今さら新規の音源もないのにベストを買うのも何だが、OMYの面白さを広く伝えるには手頃かも知れない。(つまりプレゼント用かな?)
□公式ホームページ:O.M.Y.
- 2001.01.31.記:癒しというよりは脱力系だね
- V.A.『HISTORY OF HAWAIIAN STEEL GUITAR』(Cord International/Hana Ola Records:1999.--.--.[オリジナル録音は1920年代〜1950年代])
試験期間中なのだが、半年分くらいため込んでいた小テストやレポート類の採点で、先週からずっと研究室にこもっている。週末も家に帰らなかった。疲れが溜まっている。
このCDは1999年に渡布した際にカウアイ島リフエの書店/レコード店「ボーダーズ」で十枚ほど購入したハワイアンのCDの一枚だが、もう数日、マックに入れっぱなしで、すっかりミューザック状態で鳴らし続けている。週末の吹雪の時も気分はハワイアンだった。
中身はタイトルそのままで、1920年代のアコースティック・ギターの膝のせ/ボトルネック奏法から、日本でもハワイアンが全盛だった1950年代のいかにもという演奏までを集大成した一枚で、解説のパンフレットも充実しており、写真も多数掲載されている(サイズが小さいのは仕方ないが)。
スチール・ギターはハワイアンの音色を決定づける楽器の代表格だが、他方ではある種のカントリー音楽や、ウェスタン・スウィングにも連なる「アメリカの音色」という側面がある。異文化の交流/衝突の中で新たな音楽の様式が出現する事例として、スチール・ギターは実に興味深い。
CDをケースから外すと、1930年代や1950年代のアンプの写真が並んでいるというのもしゃれている。
□Cord International:The First Name In VINTAGE HAWAIIAN MUSIC のコピーが誇らしいレーベル
- 2001.01.17.記:これこそ癒し系なのでは
- Dr. John『GUMBO』(ATCO/MMG:1991.03.25.[オリジナル盤は1972年])
- 2001.01.05.記:新世紀は四半世紀前の音楽ではじまる
- シュガー・ベイブ『ソングス』(NIAGARA/east west Japan:1994.04.10.[オリジナル盤は1975年])
新世紀の仕事始めである。相応しい一枚と思って選んだのは、懐かしいシュガー・ベイブである。もちろん、(1)「SHOW」で幕開けである。(オリジナルLPで最後にあたる)「おまけ」の(11)「SUGAR」もオメデタイ!
高校から大学にかけての頃、(2)「DOWN TOWN」のコピーで「ドゥ〜ドゥワッ!」とかハモるのは実に楽しかった。もっともシュガー・ベイブ自体はすぐに活動を止めてしまったので、当時は、山下=吉田美奈子のコラボレーションの方に関心が移ってしまったように記憶している。別に、大貫妙子より吉田美奈子の方が魅力的だったというわけでもないのだが。(全くの蛇足だが、そういえば、矢野=鈴木=顕子がいたザリバなんてグループも、この頃ひょいと現れてアッという間に解散したので、印象がだぶっている。)
この94年盤は、デモテープ4曲、76年の解散コンサートのライブ3曲が追加されている上、山下達郎ご本人やレーベル・オーナーたる大瀧御大の文章で当時の状況を詳しく紹介する解説が付いており、再発盤としては実に至れり尽くせりである。一般への発売前にファンクラブでCDを手に入れたようなタツロー・マニアならずとも、必聴の一枚である。
□アルバム・データ
□山下家メーリングリスト:山下達郎&竹内まりやに関するメーリングリスト
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