私的ページ:山田晴通
山田が聴いている音楽(CD)
(1999年)
山田は、ポピュラー音楽についていくつか文章を書いていますが、聴いている音楽の内容は、決して専門的だったり、マニアックだったりということはなく、浅く広く、表層的です。
好きな音楽、コメントすべき音楽について触れていくときりがないので、ここでは、このページ作成作業をしているマックで山田がかけているCDの紹介を中心に、山田がふだん実際に聴いている音楽を、近況報告風に紹介していきます。
CD紹介は、書き込みが新しい順に並んでいます。( )内は、レーベルと発売年月日です。
このページでは、1999年に書き込んだ内容を保存公開しております。
///(1998年)///(2000年)///(インデックス)///
1999年
- 1999.12.16.記:ストーンズのまわり
- V.A.『JAGGER/RICHARD Songbook』(Connoisseur Collection [UK]:1991.)
よく立ち寄る下高井戸の中古CD屋が店頭に出していた500円コーナーで見つけた一枚。一緒に買ったのは、Trojan レーベル(UKレゲエ)のビートルズ・カバー集だが、こちらはストーンズのカバー集というより、ジャガー/リチャード作品集という内容。
大昔によく聴いた(3) Rod Stewart「Street Fighting Man」1970 のように懐かしいものから、(6) Melanie「Ruby Tuesday」1970 や (12) Brian Ferry「Sympathy for the Devil」、(18) Ike & Tina Turner「Honky Tonk Woman」1969 など興味深いストーンズ・カバーが並んでいる。(22) Otis Redding「Satisfaction」というのもなかなか面白い。
- Marianne Faithfull『The Very Best of Marianne Faithfull』(Decca/Polydor [日本盤]:1989.10.01.[UK盤は1987])
ストーンズといえば忘れちゃいけないのがマリアンヌ・フェイスフルである。上の『JAGGER/RICHARD Songbook』には、1987年に彼女が出したアルバム『Strange Weather』の白眉といっていい「As Tears Go By」のセルフ・カバーが収録されている(17)。
こちらは、その『Strange Weather』の発売とタイミングを合わせるように英国で発売されたベスト・アルバムの日本盤。その冒頭には(1)「As Tears Go By」1964 が収められている。ほかには(3)「Scarborough Fair」1966、(4)「Monday, Monday」1969、(5)「Yesterday」1965 と、当時のヒット曲のカバーが目白押しである。正しいアイドルだった彼女の面目躍如たるところだろうか。
- 1999.11.19.記:ほんとうの場所へ行ける?
- 篠原涼子『Lady Generation 〜淑女の時代〜』(Epic/Sony:1995.08.21.)
12月はじめの日本ポピュラー音楽学会沖縄大会では華原朋美のことを取り上げる予定なのだが、正直なところ「朋ちゃん」の声はいくら聴いてもあまりインスピレーションを湧かせてくれない。それでも締切までには発表の予稿を書き、今も準備をしているのだが、考えを煮詰めていくと、この1枚の重要性が浮き立ってくるように思う。小室が「globe」と「華原朋美」という二つのユニットを並行して展開させる直前に取り組まれたこのアルバムは、そうした流れの中に置くと、二つのユニットにそれぞれ継承されていく小室の手法がよく見える。
このアルバムには、わざわざ「with t.komuro」とクレジットされた曲が全10曲のうち(4)「もっと もっと…」、(7)「夏の日」、(8)「GoodLuck」、(9)「恋しさと せつなさと 心強さと」と4曲ある。(7)「夏の日」は、小室詞=久保こーじ曲という極めて珍しいパターン(と思う)で、それだけでも注目される。あと3曲は小室の作詞・作編曲((4)「もっと もっと…」の編曲は久保こーじと連名)で、華原朋美のケースを先取りしたような小室の歌声が聴こえてくる。
歌詞に注目してみると、いろいろと考えさせられる素材が散りばめられている。例えば、(4)「もっと もっと…」では「おびえずに歩かなきゃ ほんとうの場所なんて行けない」とあるが、これを華原朋美「I'm proud」の「街中で居る場所なんてどこにもない/街中で居る場所なんてひとつでいい」や、globe の曲で頻出する「場所/PLACE」と照らし合わせると、面白いことが見えてきそうだ。
というわけで、続きは沖縄で...?
□小室哲哉の歌詞から考える<華原朋美>の物語:学会発表要旨
□globe:小室哲哉の歌詞が描き出す世界:音樂研究/大学院研究年報(国立音楽大学),11
- 1999.10.18.記:熟している歌詞
- スガ シカオ『Sweet』(Kitty Enterprises:1999.09.08.)
本当はやらなければいけない仕事があるにもかかわらず、三ヶ月も何も書いていないのをいいことにこのページを更新して時間を無為に潰している。
こんな気分のときにぴったりなのが、スガ シカオの(今のところの)最新盤。このアルバムを買う気になったきっかけは、9月に日本航空の機中で聴いたシングル(1)「あまい果実」の説得力に心を動かされたからである。
スガの名は「夜空ノムコウ」(個人的には1998年のベスト・ソングだと思う)の作詞者として知っていたという程度だったのだが、改めてアルバムを聴くと、もちろん垢抜けた黒っぽさがウリのサウンドも心地よいのだが、やはり歌詞の魅力が強く感じられる。何より歌詞のリアリティがガツンとくる。(5)「310」や(9)「いいなり」のように岡村靖幸に匹敵しそうなエロティックな歌詞も魅力的だが、歌詞の間に断片的に織り込まれた、誠実な大人の男の本音が印象に残る。
でも(4)「ふたりのかげ」を聴いて、今さらシチューのCMをイメージするとは、我ながら情けない。(Cf.山崎まさよし)
- 1999.07.19.記:ベッドサイド・コンパニオン
- The Robert Fripp String Quintet『The Bridge Between』(Discipline Global Mobile:1993.--.--.)
御茶ノ水〜神田方面に出かけると、つい立ち寄ってしまい場所の一つが中古屋さんである。ジャニスは神田の中古屋では古い方だと思うが、500円均一にしている方の店に掘り出し物を求めていくことが多い。17日の午後も、研究会のために明大まで出かけたのだが、ついでにちょっと立ち寄った。
私はプログレ好きとはいえ、Yesが大好きだったりする軟派なので、クリムゾン系は「お勉強」で聴く感じが強いのだが、ロバート・フリップの様々な(クリムゾンの名が冠されない)プロジェクトのアコースティックな部分は結構心地よく聴いている。このユニットは、フリップ+トレイ・ガン+カリフォルニア・ギター・トリオという編成で、全10曲中バッハ作品を下敷きにした曲を3曲も取り上げている。
1993年のこのアルバムは、1995年のクリムゾンの日本公演(カリフォルニア・ギター・トリオがゲスト)につながったプロジェクトだったのであろう。(2)「Yamanashi Blues」、(6)「Bicycling To Afghanistan」、(8)「Blockhead」など、いずれもフリップの作ではないが、仕上がりはいかにもフリップらしく、楽しめる。
以前、私は朝起きるために「太陽と戦慄(Part II)」なんかを大音量でかけて聴いていたことがあるのだが、このCDは夜ベッドに入って聴くべきかもしれない。リラックスして音に浸ったら、結構エロティックな快感なのではなかろうか。もっとも、全曲終わるまで目が冴えていたら悪い夢を見るかも知れないが。
- 1999.07.16.記:サウンドの力、スコアの力
- 坂本龍一「Tong Poo」『BTTB』(ワーナー:1999.--.--.)
- Yellow Magic Orchestra「Tong Poo」『テクノ・バイブル』(アルファ:1992.08.21.)
(オリジナルは『細野晴臣/イエロー・マジック・オーケストラ』1979)
- Oriental Magnetic Yellow「Shang Poo」『養殖 X0BREEDS』(TROUBADOUR RECORD:1996.08.01.)
(これはインディーズ版/1997年にPONY CANYONから再発されている)
『BTTB』を千円で譲ってもらった(もちろん、初回限定盤じゃなくて通常盤)。6月30日付で、「ピアノ曲ばかりを集めた『BTTB』というアルバム」と書いたのだが、実際には、ピアノ曲でないトラックも入っていた。しかし正直なところ、私にCDを譲ってくれた某君がいうように、つまらない感じが強い。その救いになっているのが、(通常盤のみの)「ボーナストラック」として入っている、私のようなオールド・ファンには嬉しい(16)「Tong Poo」のピアノ・バージョンである。入手してすぐに、国立音大の授業でも嬉々としてかけてしまった。
授業では、オリジナルのYMO(吉田美奈子の声が入っていない方)と聴き比べてもらった。もちろん、オリジナルの作曲者は坂本自身だが、編曲のクレジットはYMOになっているから、オリジナルのサウンドが形成されていく過程では坂本以外のメンバーの貢献が少なくなかったはずである。一般の聴き手はスケッチ譜の類へのアクセスはできないから、オリジナルの下書きに存在したであろうピアノで弾かれた「Tong Poo」を知ることはできない。しかし、このCDで聴かれる「Tong Poo」は、当然ながらYMOのサウンドを強く意識したものであり、おそらく幻のピアノ・スケッチにはなかったであろう「おかず」の類も印象的に取り込まれている。シンセサイザーやら何やらを動員したバンドと、ピアノ(多重録音だが、ピアノ2台に相当)では、楽器編成も根本的に異なり、サウンドは異質である。しかし、YMOのスコアを忠実になぞった印象を与える坂本の(再)編曲(実際には大幅に改変されている部分ももちろんあるのだが)からは、サウンドの差異を越えた「スコアの力」が感じられる。
授業では、これとは逆に、スコアは全く異なる別の曲で、サウンドを模倣したパスティーシュの例として、OMYをかけた。オリジナルがアナログ・シンセサイザーなどを動員してはいるものの生楽器の比重が大きいのに対し、OMYはデジタル・シンセサイザーを中心とした新世代の電子機器の助けを借りている(だから、半ば素人でもこれだけの音が出るのだが)。しかし、最終的に立ち上がるサウンドはよく似たものとなっており、聴き比べてみると、あたかもポリフォニー楽曲のパートを別々に聴いているような印象を受ける。それだけ、初期YMOが構築したサウンドの世界には力があった/あるということなのだろう。
(1999.07.19.追記:津村さん、ご連絡ありがとうございました。)
□トルバドール・レコードにある、OMYのページ(2000.12.26.追記)
□『変な人のぺぇじ』にある、OMYのページ
□ここにもある「東風」:2000.01.17.記:お立ち台が目に浮かぶ(2000.01.17.追記)
- 1999.06.30.記:日本のお疲れさま
- 坂本龍一『ウラBTTB』(ワーナー:1999.05.25.)
アルバムであれ、シングルであれ、その時点でチャートの1位になっているレコードを買ったことはほとんどないのだが、先週、生協のCDコーナーでついつい買ってしまった1枚。
ピアノ曲ばかりを集めた『BTTB』というアルバムの裏盤というコンセプトの3曲入りマキシシングルである。(1)「energy flow」はリゲインEB錠のCMで印象的な曲。今日も一日お疲れさまでした。もう部屋に帰って寝ようかな。
- 1999.06.19.記:まだまだ現役...その原点
- 中尾ミエ『中尾ミエ・ヒット・ソング集』(P-VINE RECORDS [制作:ビクター]:1997.08.25.)
気のせいかも知れないが、このところ中尾ミエのテレビ出演を目にすることが多くなってきたように思う。そういえば、伊東ゆかりと共演したザ・ピーナッツのトリビュート・アルバムの新録音という話題も少し前に耳にしていた。2年前にP-VINE(つまりブルース・インターアクションズ)が企画した一連の1960年前後(当然、翻訳ものの比重が大きい)の女性ポップス(伊東ゆかり、園まり、など)のコンピレーションの1枚だが、この企画で一番得をしたのは「復活」した中尾ミエかもしれない。
このアルバムには、1962年の25cmLP『中尾ミエヒットソング集』(ビクター)全曲をはじめ、1965年以前の初期のシングル曲多数を含む26曲が収録されている。冒頭の(1)「可愛いいベビー」は、コニー・フランシスをカバーした中尾の代表作、というか、厳しい言い方をすれば唯一の大ヒット。しかし、全体を通して、今の耳で聴くと他の歌手のバージョンが耳に残る曲が多いという印象を受ける。当時は、カバーもオリジナルも競作が普通だったためだが、中尾ミエは、例えばザ・ピーナッツの存在によって随分と損をしていたのかもしれない)。
珍品といってよいのは、このアルバム中で唯一、吉田正が作曲した(14)「おじさまとデイト」(1963)である。この聴くに耐えないほど恥ずかしい???歌詞のコンセプト(作詞は荒木光子という人←知らない(^^;))を、さらに強烈に押し出してくる吉田メロディ、そして中尾ミエの演技過剰気味の唄。東京五輪の前年にはこんなコンセプトを受容できるほど、日本は豊かになっていた、と考えるべきなのかもしれない。吉田が生み出した、橋幸夫の「リズム歌謡」を楽しめるセンスの持ち主には、ぜひ聴いてみて欲しい。
- 1999.06.02.記:夢みるフレンチ・ポップ
- FRANCE GALL『POUPEE DE SON』(Polydor[フランス盤]:1992)
このところ、授業の準備で、戦後のカバー・ポップスを聴く機会が多かったのだが、たまたま出かけた渋谷のHMVで目についたので何かの縁だと思って買ってみた。当然、表題にもなっている(1)「Poupee de cire, poupee de son」(邦題「夢みるシャンソン人形」:原曲は1965年)を、弘田三枝子のバージョンと聴き比べ、フムフムとしたり顔で悦に入るという図になった(他にも、ジューシー・フルーツなどがこの曲をカバーしている)。60年代の日本の歌手たちは決して欧米一辺倒ではなく、ヨーロッパの多様な音楽を吸収していたわけだ。これは、映画などでも同じだろう。この曲の作者・ゲーンズブール(このCDには他にも数曲彼の作品が入っている)のかっこよすぎる無頼ぶりを回顧/懐古しながら聴くのもよいかもしれない。
- MICHEL POLNAREFF『MICHEL POLNAREFF』(WEA[ドイツ盤]:1992 [初出は1974])
ついでのついでで、一緒に購入したのが、裏ジャケに25年前の赤坂見附の風景が写ったポルナレフの懐かしい1枚。ドイツ製だが、要するにWEAのヨーロッパの生産拠点がドイツにあるということでしかなく、ジャケットにはフランス語の記載しかない。
当時、来日したポルナレフがテレビで頭を激しく振りながら歌っていたとき、一瞬サングラスがずれて目が見えた。その顔の印象は、何かとてつもなく情けないお調子者といった感じで、妙に興ざめした覚えがある。
フランス・ギャルとちがって、こちらは完全にリアルタイムで耳にしていたので、(1)「La fille qui reve de moi」とか、(4)「La vie, la vie m'a quitte」、(10)「Tibili」など、本当に久々に懐かしく聴いてしまった。
- 1999.05.29.記:カリフォルニアの夢
- THE MAMAS & THE PAPAS『CREEQUE ALLEY/THE HISTORY OF THE MAMAS & THE PAPAS』(MCA[日本盤]:1994.12.16.[初出は、1991.01.01.])[2枚組]
正直なところ、この分野(1960年代アメリカのフォーク・ロック)は守備範囲にしていないのだが、中古屋で見つけて、網羅的なクロニクル形式のものとわかり、資料のつもりで購入した。彼らについては、これ以外には何の音源ももっていない。
大ヒット曲であり、スタンダード化している(DISC1-7)「California Dreamin'」、(DISC1-9)「Monday, Monday」はさしあたり別格として、全43トラックを通して聴くはずがだったのが、途中で意識が手作業の方に行ってしまい、いつのまにかBGMになっていた。
ファンなら当然知っていることなのだろうが、私にとってちょっと意外な発見だったのは、彼らが黒っぽいスタンダードをいくつもカバーしていたという事実である。(DISC1-19)「Dancing In The Street」、(DISC2-5)「My Girl」、(DISC2-6)「Twist & Shout」といったナンバーを彼らは嬉々として(揶揄ではなく)白っぽく歌い上げている。これを、間抜けと感じるか、自由で幸福なパフォーマンスと感じるかは、人によって大きく異なることだろう。
- 1999.05.15.記:音楽は楽しくなければ
- サクライ・イ・ス・オルケスタ(桜井潔とその楽団)「サクライ・イ・ス・オルケスタ(1940〜1949)1,2」
『タンゴ・エン・ハポン〜日本のタンゴの先駆者たち』(ビクター:1999.02.24.)[8枚組+ボーナス盤1枚]
12日の特別企画講義「ポピュラー音楽と日本人」は、ゲスト講師として西村秀人氏に来ていただいた。その折に、お願いして買ってきてもらったのが、ビクターの大復刻企画「タンゴ・エン・ハポン」の仕上げに当たる、事実上9枚組のボックスである。
その最初の2枚は、戦前〜戦中〜戦後に「軽音楽」を奏で続けたバイオリニスト・桜井潔の音楽を知るには絶好の(そして現在ではほぼ唯一といってよい)音源。桜井の音楽は、本物志向と日本化の中庸をとるものであり、ショーマンシップに溢れたステージ・パフォーマンスと相まって、当時は絶大な人気を誇っていたという。この録音でも、パソ・ドブレの(DISC1-6)「サパテタ」をはじめ、楽しげなステージ風景が目に見えるような好演が多い。
戦時下に録音された曲も数多く収録されており、曲名からしていかにもという(DISC2-16)「ジャワの夕月」や、歌手に灰田勝彦を迎えて(DISC1-21)「シューベルトの小夜曲」など、歴史的な事情を反映した貴重な録音も含まれている。
- 1999.05.10.記:楽しいのか、それとも
- 西岡恭蔵『Farewell Song』(MIDI:1997.12.10.)
- V.A.『KUROちゃんをうたう』(MIDI:1998.09.18.)[2枚組]
西岡恭蔵の縊死のニュースに接し、まったく関心を持っていなかった最近の彼の仕事を聴こうと思い立ったので、わざわざ取り寄せて入手したのが、この2枚というか3枚である。この2つのアルバムは、どちらも沢田としきのイラストがジャケットになっていて、前者が西岡恭蔵、後者が彼の妻だったKUROさんの肖像が大きく描かれている。
今となっては、西岡恭蔵が妻の死に接して作り上げた『Farewell Song』が、彼自身の人生への総決算と別れを暗示していたかのようにも思えてしまう(もちろんこれは思い込みに過ぎないはずだが)。(9)「我が心のヤスガーズ・ファーム」に1972年の春一番における福岡風太のMCが挿入されているところなど、このアルバムにはノスタルジーの香りが強く漂っている。
『KUROちゃんをうたう』の方は、スタンダード曲や西岡作の曲に乗ったKUROの詞が大いに楽しめる30曲入りのアルバムである。追悼企画とはいえ、名を連ねているメンバーのバラエティには驚かされる。(Disc1-10)太田裕美、(Disc1-11)桑名晴子、(Disc12-1)金子マリ、(Disc12-12)亀淵友香、(Disc12-15)山下久美子といった女性陣をはじめ、(Disc1-6)友部正人、(Disc1-7)加川 良、(Disc1-13)シバ、(Disc1-14)中川イサト、といった錚々たる面々の新しい録音に接する機会としても貴重なアルバムである。特に、(Disc1-1)西岡恭蔵「What a wonderful world」は美しいし、お母さんになっても昔と変わらない太田裕美の声が聴ける(Disc1-10)「Banana Spirit」は楽しい仕上がりになっている。
しかし、2つのアルバムを聴いてみて、私は西岡恭蔵/KUROの世界が今一つ好きになれないことを改めて痛感した。乱暴に言ってしまえば、きれいごとに終始している感じが気になってしまうのである。特に『KUROちゃんをうたう』の方は、南島幻想のような肌合いに違和感を感じてしまうことがときどきあった。何というか、救われてしまっている感じがどうも気に入らないのだ。そう考えてみると、私はこれらのアルバムを素直に楽しむ資格がないのかも知れない。
- 1999.04.28.記:人生の曲がり角
- 泉谷しげる『ベースメント・テープス1971』(FOR LIFE:1999.04.21.)
泉谷は、私にとってリアルタイムで聴いた最大のヒーローなので、語り出すと止まらなくなってしまいそうなので、ごく簡単に書くだけでやめておく。このアルバムは、エレックでのデビューアルバム『泉谷しげる登場』(1992年にフォーライフからCD化)に先だってスタジオ収録されていたテープが、フォーライフの「エレック復刻計画」の企画の中で発掘されたもの。ライブ盤である『泉谷しげる登場』とは、まったくの別テイクであり、曲の異同もある(つまり未発表曲が含まれている)。(6)「人生の曲がり角」は、中学生の時に聴いて、それこそこっちが中学生のままいきなり人生の曲がり角を回ってしまった(気になった)懐かしい曲。このバージョンの泉谷の歌いかたは、プロトタイプらしく、今さらにして聴いてみると鋭さに欠ける感があるが、泉谷の歌い方が辿った筋道が見えるようで興味深い。
未発表曲は(2)「理論と実践」、(3)「いいわけ」、(4)「愛、自由、平等、平和」の3曲だが、解説によると当時のステージではよく歌われていた曲であるそうだ。しかし、当時、平凡な中学生で、泉谷をライブで見る機会のなかった私には、初めて耳にするありがたい音源である。
ちなみに、ジャケットは、泉谷自身による自画像と思われるイラスト。泉谷はエレック時代のアルバムの再発に際して旧ジャケットの代わりに自作のイラストを掲げていることが多いが、そうした流れの中でも、突出した印象を与える、シンプルで迫力のあるジャケットになっている。
- 1999.04.23.記:言葉の力
- V.A./高田渡・監修『貘・詩人・山之口貘をうたう』(B/C RECORDS:1998.--.--.)
高田渡が、名曲(18)「生活の柄」をはじめ、山之口貘の詩を歌ってきたことは良く知られている。1970年前後のフォーク・シーンではこうしたスタイルも特別なことではなかった。例えば、小室等は別役実を取り上げ続けていた。私自身、山之口貘の名は、高田の「生活の柄」で知った。
このアルバムでは、高田だけでなく、佐渡山豊・大工哲弘・石垣勝治・嘉手苅林次といった沖縄の歌い手や、ふちがみとふなとなどの新しい世代のユニットが、主に高田の曲によって山之口貘を歌っている。
個人的には、佐渡山豊が懐かしい。一時期すっかり忘れられていた佐渡山は、ここ数年のCDの再発などで再発見されつつあるが、新たなレコーディングを聴くのは私にとって本当に久しぶりだ。これまたよく知られた詩である(12)「会話」をはじめ、佐渡山は自作曲で3曲を歌っている。また、このところ沖縄に定住している内田勘太郎(憂歌団)のギターも(7)「玩具」などで聴くことができる。
今さら「歌のメッセージ性が...」なんて言い出すの時代錯誤だが、骨太の、しかし軽やかな言葉を曲にのせ、歌にしていく作業は、歌謡の原点である。(作詞家ではなく)詩人の言葉の力を引き出す曲づくり/歌い手の業は貴重になっているのかもしれない。
- 1999.04.14.記:講義がはじまって
- 淡谷のり子「別れのブルース」(1937録音)
コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ「ジャズ浪曲」(1938録音)
『服部良一全集』(日本コロムビア:1992.12.01.)
昨日(13日)は東大文学部の多分野講義、今日(14日)は国立音大のポピュラー音楽研究と、大学院の音楽史、そして東経大の特別企画講義「ポピュラー音楽と日本人」と、ポピュラー音楽関係の講義が次々と新学期のスタートを切った。自分の担当する講義では、まだ、音源は使っていないが、ゲスト講師の輪講になる「ポピュラー音楽と日本人」では、初回の担当者である瀬川昌久先生が、昭和初期の音源を色々紹介された。具体的には、この講義の「講義資料およびプレイリスト」を参照していただきたい。
瀬川先生の講義の中で大きな比重を占めたのは、服部良一の仕事だった。『服部良一全集』にも入っていない、関西時代のSP音源(「ルンバ万才」など)も面白かったが、研究室に戻ってから改めて『全集』を引っぱり出してきて「別れのブルース」や「ジャズ浪曲」などを聞き直してみると、服部が摂取、模倣、接合、融合といった試行錯誤を重ねながら完成度を高めていったことがよくわかる。
若き歌姫だった淡谷のり子って、本当に神々しかったんだろうな。[ブックレットp65の写真参照]
- 1999.04.07.記:西岡恭蔵、逝く
- ザ・ディランII『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』(東芝EMI[URCレーベル30周年記念限定再発シリーズ]:1998.09.30.:録音は1971)
山田にとって、西岡恭蔵は特別な人ではなく、その縊死のニュースもショッキングではあれ、最初は何となく脇をすり抜けていくようでした。でも、昨日から今日にかけて自分の身の周りを見ていると、彼の存在が意外に身近だったことを感じます。
昨夜、ニュースを知ってから同僚数人と大学の近くで夕食を取っていたら、店に黒い服の中山ラビさんが入ってきました。西岡氏の葬儀の帰りだったようです。中山さんは同席していたW氏に西岡氏のことで声を掛けて、すぐ店を出ていきました。
その夜、西八王子のアルカディアも、西岡氏を追悼する夜になっていたようです。西岡氏は、アルカディアでもライブを何度かやっていました。そういえば、山田が改装前のアルカディアに初めて行った夜にも、西岡氏のレコード(『街行き村行き』だったか?)がかかっていました。まだ親しくなかったマスターT氏が、「西岡恭蔵は最近は店に来ないね」と言っていたのを思い出します。
手元には西岡恭蔵の音源は何もなかったのですが、国分寺の古レコード店で『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』を買ってきました。(6)「プカプカ(みなみの不演不唱)」など、懐かしい音です。でも「プカプカ」を聞きながら、この曲をリアルタイムで聞いたのは、女性ヴォーカル(中山ラビか浅川マキ?)のバージョンが最初だったことも思い出しました。こんなときに、4番の歌詞(「俺のあん娘はうらないが好きで...」)が耳に入ってくると、本当に泣けてきます。西岡氏と、二年前に先立たれた奥方・KUROさんのご冥福をお祈りいたします。
(1999.05.29.追記:女性ヴォーカルの記憶の件、その後、ラビさんに直接尋ねたところ、<自分も浅川マキも歌っていない、少し後になってからの桃井かおりのバージョンではないか>というお話でした。)
□「ごっちゃん」による、西岡恭蔵ホームページ
- 1999.01.28.記:新春に相応しく
- 坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア『FUJIYAMA TANGO』(ビクター:1998.12.19.:録音は1958-1959)
日本を代表したタンゴ楽団が全盛期に吹き込んだ民謡等のラテン・アレンジ演奏集。(1)「黒田節(タンゴ)」にはじまり、(9)「木曽節(カンドンベ)」や(17)「八木節(サンバ)」を経て(24)「六段(タンゴ)」に至る24曲が収録されている。元になっているのは『日本よい国・旅の歌 第1集〜第3集』と『お座敷ラテン・ムード』という4枚の25センチLPだそうである。
毎年、成人の日の恒例行事となっている日本ポピュラー音楽学会(JASPM)関東地区の新年会で、このCDの解説も書いている西村秀人氏に直接売ってもらった1枚。戦前から戦後にかけての日本のタンゴ等を大量復刻したビクターの大規模な企画「タンゴ・エン・ハポン」の一部だが、BGMのつもりでかけていると妙になごんでしまう「魔力」がある。
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