研究の道具箱:山田晴通
ポピュラー音楽研究文献表
この文献表は、今後とも随時必要な加筆修正・増補を加え、内容を更新していきます。あり得べき誤謬の指摘、追加すべき文献の書誌情報など、お気づきの点は、東京経済大学山田研究室まで、おしらせ下さい。
最近追加されたデータだけを見る→新着書架
ポピュラー音楽研究文献表
日本においても、ポピュラー音楽やその周辺の事柄について、多少なりとも学術的な形式をとって発表されている論文は意外に多く存在しています。ところが、そうした論文の相当の部分は、一般の人々の眼に触れにくい、いわゆる「紀要」類などに掲載されています。
この文献表は、学術論文の体裁をとるポピュラー音楽関係の文献を、音楽専門雑誌以外の媒体(特に、大学紀要類)に掲載された論文を中心に採録し、著者名の五十音順に配列したものです。また、論文集などは、個別の論文単位で取り上げているものと重複する場合があります。この文献表づくりの作業は、山田が日本ポピュラー音楽学会(JASPM)のニューズレターに寄稿していた文献紹介欄「犬も歩けば....」の方法を引き継いでいますが、ここでは「犬も歩けば」で採録対象としていなかったJASPM会員の論文も採録しています。また、この文献表には未見の論文も少なからず採録されています。
もちろん、文献探索の範囲は網羅的ではありません。また当然ながら、コメント・評価も山田の個人的な趣味・関心を反映しています。特に単行本については、書き出すときりがないので、手元にあるごくごく基本的なものを並べたものにすぎません。「こんな文献もある」という情報の提供や、文献についてのコメントの提供を大歓迎します。できればe-mailでご連絡下さい。どうぞ宜しく。
追記:
この文献表は、当初は山田によるコメントだけを記載していましたが、その後、コメント付きで文献を紹介していただく例が出てきました。コメント執筆者の名は、コメントの最後に(氏名)といった形で明記されています。氏名の記載がないものは、山田によるコメントです。
<凡例>
書誌の記載は下記の例によります。現物を確認していないものは、書誌を一部欠く場合があります。なお、雑誌論文等で、表題や連名執筆者の順序に異同のある場合は、目次よりも論文冒頭の表記を優先させました。
- 単行本
- 単行本所収論文
- 雑誌論文
書誌の後に置かれた[ ]内の記載のうち、( )によって執筆者が表示されていないものは山田によるものです。
なお、日本の大学紀要等に掲載された欧文の論文は、最後に一括して、著者のアルファベット順で配列しました。
アスタリスクが記されている箇所は、発行年、ページ数などが、未確認であることを意味しています。書誌情報をお持ちの方は、お知らせ下さい。
ポピュラー音楽研究文献表(最終更新:2010.04.05.)
- アートエクスプレス編集部(1994):
『季刊アートエクスプレス』No.3(1994年夏号)総特集:ロックには何もやるな,新書館,154ps.
[50年代のプレスリーに始まり、60年代のビートルズ、ローリングストーンズで一大スペクタクルを展開したロック。政治、経済、社会そして文化の領域に多大なる影響を与えた芸術潮流であるロック。そのロックはこれからどこへ行くのか。その可能性の核心に迫る内容となっている。辻仁成などのミュージシャン、北中正和、松村洋などの音楽評論家をはじめとして、大澤真幸京都大学助教授(「エルヴィスが母にロックを捧げた理由」)や、鷲田清一大阪大学教授(「ミック・ジャガーが大統領より年上になった日」)などの異色の(?)書き手による論文も所収。小沢健二と柴田元幸という組み合わせによる、これまた異色の対談も興味深い。「ファン批評」的な視点からの文章が多い中で、アカデミックなポピュラー音楽研究の見本としても面白い。読みごたえがある雑誌である。(阿部勘一)]
- 青木文夫(2004):
スペインポップ・ロック音楽事情 −Las Ninasの世界から−.
福岡大学人文論叢,36-3,pp841〜855(pp1〜15).
[2003-2004年のスペインにおけるポピュラー音楽の状況を踏まえた、女性3人組ラス・ニーニャス(「アンダルシアのR&B」と自己言及するような音楽らしい)の紹介。2006.08.20.]
- 浅井良之(199*):
音楽様式の理解とつまづきの解決 伝統邦楽、和製ポップス、西洋芸術音楽の関連と相違.
北海道教育大学紀要 第1部C 教育科学編,47-2,pp**〜**.
[未見]
- 阿部勘一(1997):
情報財における消費者行動とマーケティング−音楽産業を中心として−.
財団法人吉田秀雄記念財団第30次(1996年度)助成研究報告書.
[現在その活発さが注目されている音楽産業を例として、現代社会における消費、マーケティングについて考える。エンタテインメント産業を考える際の基本的なパラダイムについて言及しようとする試みでもある。音楽産業については、一般的な産業論というもう少し広い視野からみた形となっている。音楽ソフト会社へのインタビューや、大学生を対象とした音楽ソフトの消費行動に関する統計的調査結果なども掲載してある。全体的に、様々な領域を横断しながら包括的に分析した形になっている。フルレポートは、同財団図書館(電通銀座ビルB1)にて閲覧可能。(阿部勘一=著者)]
- 阿部勘一・細川周平・塚原康子・東谷護・高澤智昌(2001):
『ブラスバンドの社会史―軍楽隊から歌伴へ』青弓社,242ps.
[本書は、第12回日本ポピュラー音楽学会大会シンポジウム「ア・ジャパニーズ・バンドマン―軍楽隊から歌伴へ」(2000年11月;淑徳大学)をもとにまとめられたものである。社会学、カルチュラル・スタディーズ、洋楽受容研究、ポピュラー音楽研究、そしてライフヒストリーという多角的なアプローチによる5章からなる。第1章では阿部が、学校吹奏楽について、大衆音楽としてのブラスバンドと対照させながら考察している。第2章では細川が、オランダの人類学者フレースによるブラスバンドの発展の理論に基づき、日本におけるブラスバンドの歴史を検証している。第3章では塚原が、第2次世界大戦前の軍楽隊がいかに戦後の日本のブラスバンドの発展の基盤となったか詳述している。第4章では東谷が、日本の歌謡曲のバックバンドにおける管楽器の響きを検討している。第5章は、バンドマン・高澤智昌のライフヒストリーとなっており、軍楽隊出身の氏が、戦後、服部良一や山田耕筰とのつながりをとおして、ジャズや広告音楽など、多様な音楽ジャンルに関わっていった経緯がつづられている。いずれのアプローチも、これまで社会的文脈において論じられることの少なかった日本のブラスバンドの歴史と課題を有益に示唆するものであり、音楽研究の関連諸領域に携わる者にとって読み応えのある書となっている。(小泉恭子)]
- 五十嵐太郎(1993):
大・東京歌謡曲論−うたのなかの東京 明治編−.
リベルス(柏書房),9,pp32〜35.
[明治期の「はやり唄」に現れる「東京」の景観を『日本流行歌史』から拾って紹介した小文。着想は面白いが、ややもの足りない。]
- 石川伊織(2004):
椎名林檎における「歌」の解体と再生.
県立新潟女子短期大学研究紀要,41,pp187〜201.
[椎名の作品とパフォーマンスを通じて、楽曲分析を含む多様な論点と周到な議論が用意された、本格的な歌詞論。2004.07.21.]
- 石原忠興(1993):
ポピュラー音楽における音楽構造の相関(1).
研究紀要(国立音楽大学),28,pp**〜**.
[未見]
- 石原忠興(1994):
ポピュラー音楽における音楽構造の相関(2).
研究紀要(国立音楽大学),29,pp15〜34.
[未見]
- 岩垣守彦(199*):
いつからか私はジャズを聞いていた.
玉川大学文学部紀要・論叢,36,pp33〜43.
[未見]
- 植村 洋(2003):
ビートルズ「家出むすめ」のナラトロジー −新しい<声>の発見−.
表現学部紀要(和光大学),4,pp55〜66.
[ビートルズの She's Leaving Home を題材に、歌詞中の発話者に注目し、精緻に読み解いていく試み。「不在の語り手」の作中人物への共感といった論点が興味深い。]
- 内崎以佐美(199*):
"Hawaiian Guitar" The Acoustic Steel Guitar.
大手前女子大学論叢,30,pp1〜27.
[未見]
- 江原真弓(1994):
現代の若者の言語感覚〜B'z稲葉浩志氏の詞から〜.
群女国文(群馬女子短期大学),21,pp84〜91.
[研究者の論文ではなく、短大国文科の優秀な卒論として紀要に紹介されているもの。]
- 大里俊晴(1994):
ヴィデオ・クリップの戦略.
武蔵野美術大学研究紀要,25,pp83〜91.
[1991年頃にフランスのテレビで放映されたビデオ・クリップに素材をとり、映像、音楽、歌詞の関係を論じている。]
- 太田 稔(2003):
『ヨコスカ・ジャズ物語』神奈川新聞社,276ps.
[戦後の横須賀におけるジャズ・シーンの記録。地域雑誌に連載された記事をまとめたもの。2004.06.07.]
- 大谷 博(1994[実際の刊行は1995]):
浅草オペラ論考 ―芸術性と娯楽性に関する考察―.
尚美学園短期大学研究紀要,9,pp31〜54.
[大谷は、NHK出身の尚美短大教授。要領よく浅草オペラの流れを紹介した読み物として面白い。]
- 大橋千代子・島田伸夫(1994):
現代の幼児の愛唱歌とその背景 −アニメ・ソングと童謡を通しての考察−.
就実論叢(就実女子大学・就実短期大学),24(就実学園九十周年記念号),pp199〜222.
[3歳児〜5歳児の母親へのアンケートによって、幼児が家庭で歌っている歌や、それを覚えた経緯などのデータを主成分分析で処理し、考察を加えている。調査時点は「セーラームーン」全盛だった、1994年6月。]
- 大津栄一郎(1994):
「ノルウェイの森」雑考.
図書(岩波書店),538(1994・4),pp11〜15.
[ビートルズの‘Norwegian Wood’が「ノルウェイの森」ではなく「ノルウェー材」の意であることはよく知られているが、この「誤訳」を入口に、原詞と既存の訳詞のズレを考察している。著者は明治学院大学の英文学者。]
- 大槻直子(2009・03):
現代の民間伝承―ボブ・ディランの音楽.
日本女子大学英米文学研究(日本女子大学英語英文学会),44,pp143-154.
[ディランの音楽はフォークからロックへの転換にも関わらず、資本主義下の現代の民間伝承である、という観点からの評論。2011.06.18.]
- 大山昌彦(2006・02):
書評:東谷護著『ポピュラー音楽をつくる−ミュージシャン・創造性・制度』.
ポピュラー音楽研究(日本ポピュラー音楽学会),9,pp22〜28.
[東谷の博士論文をもとにした、みすず書房(2005)の書評。掲載誌の表紙には「2005」とあるが、刊行は2006年2月。2006.08.20.]
- 小笠原隆夫(1997):
山口百恵主演映画初期作品のいくつかの特徴について.
日本大学芸術学部紀要,27,[縦組]pp17〜26.
[実は音楽についての言及はいっさいないので、ここで取り上げるのは不適当かも知れない。映画を巡る言説の中で山口百恵が置かれていた位置についての考察。]
- 岡田暁生(1995):
アドルノの軽音楽批判 −幾つかの歴史的前提−.
村田公一・訳編『アドルノのポピュラー音楽論』,JASPMワーキング・ペーパー・シリーズ(日本ポピュラー音楽学会),6,pp31〜39.
[]
- 岡田宏介(2004・09):
音楽/貨幣/ハビトゥス―現代日本における「野外ロック・フェスティ バル」の秩序.
ソシオロゴス,28,pp185〜201.
[未見。2006.08.20.]
- 沖縄国際大学文学部社会学科石原昌家ゼミナール・編(1994):
『戦後コザにおける民衆生活と音楽文化』
榕樹社(発売元・緑林堂書店[宜野湾市]),622ps,\6180.
[本書は、沖縄国際大の石原ゼミが1992年度に行った「社会学演習調査」の報告である。しかし、中身は学部生のまとめた報告書とは思えないほどしっかりしている(誤植がほとんどないのもモラールの高さの証だろう)。
沖縄の音楽文化状況については、現地でも、また大和=本土でも、ジャーナリスティックな視点から繰り返し取り上げられてきた。雑誌記事や雑誌特集号のみならず、出版物もそこそこ存在することだろう。しかし、歴史として記述することを目的に、学問的関心に基づくインタビューを積み上げ、背景となる社会状況の記述を付した本書は、極めて貴重な資料である。また、沖縄戦後史に通じない大和人(ヤマトゥンチュ)にとっての本書は、民衆音楽のみならず、沖縄戦後史の全体像をも伝える格好の導きの手となってくれるだろう。
本書は、もともとは沖縄市コザのパークアベニュー(旧センター通り)の社会史を跡付ける調査から出発しており、調査には沖縄市史編集室が協力している。全体の構成は、時間軸に沿って編成され、戦後〜ベトナム戦争〜本土復帰〜ベトナム戦後といったそれぞれの時代に、コザを拠点とした音楽家たちの描いた軌跡を編み上げて、時代状況を立体的に描き出している。
インタビューに応じたインフォーマントは24名。ジョージ・紫、宮永英一(ともに元「紫」)、川満勝弘(元「コンディショングリーン」)、喜屋武幸雄(沖縄ロックの草分けの一人、喜屋武マリーの夫)、さらに喜納昌吉、そして照屋林助(!!)といった人々が入っている。個別の内容を紹介する余裕はないが、インタビューの中では、ミュージシャン側からみた地域社会、米軍・米兵、ドラッグ、本土のビジネス、そして沖縄を覆う社会的矛盾が、生々しく浮き彫りにされている。
ワープロ打ち原稿をそのまま印刷した本書は、編者であるゼミナールの機関誌『あし』第15号に表紙をつけて、一般に販売できるようにしたものである。しかし、取り次ぎには流れていないらしく、入手するには発売元(tel.098-893-4076)に直接問い合わせるしか方法はないようだ。][蛇足はこちら]
- 小野純一郎(1987):
現代都市文化産業にみる情報生産に関する考察−女性歌手を通して捉えたレコード音楽産業の事例−.
地域研究(立正大学立正地理学会),28-2,pp17〜32.
[多様な業種の絡むレコード産業界の状況を、関連施設の立地やプロモーション活動の空間的展開に注目して、整理しようという試み。突っ込み不足だが、類例のないフィールドワーク報告。表題の「女性歌手」は浅香 唯。]
- 柏木 博(1997):
プライバシーと共有の感覚−携帯ラジオ−.
図書(岩波書店),582,pp40〜45.
[サイモン・フリスや水越伸などを引用して、1950年代に登場したポータブルラジオが、若者に、及びロックに与えた影響についての考察。(多良間通朗)]
- 潟山健一(1997):
民謡のトポスへ 南イングランド.
中川 真・編『小さな音風景へ サウンドスケープ7つの旅』時事通信社,pp129〜158.
[サウンドスケープをめぐるエッセイ集に収められた若き人文地理学者による一篇。南イングランド民謡、というよりボブ・コパーを中心としたコパー・ファミリーが紡ぎ出す世界の意味について、丁寧な議論を展開している。]
- 勝部章人(1994):
アメリカにおける現在フォーク・ミュージック事情−その研究史と芸術性について−.
大手前女子大学論集,28,(横組)pp17〜26.
[狭義の(1960年代的)フォークソングを包含した、より広い「フォーク・ミュージック」概念についての概説的展望。]
- 勝部章人(199*):
詩人ボブ・ディランと現代のバラード.
大手前女子大学論叢,30,pp29〜39.
[未見]
- 勝部章人(2004):
カリブのフォーク・ミュージック: アメリカ・ポピュラー・ミュージックへの一つの道筋.
大手前大学人文科学部論集,4,pp53〜64.
[アメリカのフォークソングの側の視点から、カリブ海の音楽を「明るさ」のルーツとする議論。カリブ海に、アメリカのポピュラー音楽のルーツを求める発想は、日本でも中村とうようをはじめいろいろ議論があるが、ここでは適切に先行研究が参照されていないように思われる。2004.07.21.]
- 狩野恵美子(1996):
現代の若者における言語感覚の研究−スチャダラパーの歌詞について−.
国文研究(群馬女子短期大学),23,pp186〜201.
[研究者の論文ではなく、短大国文科の優秀な卒論として紀要に紹介されているもの。歌詞に現れる略語、話し言葉などを自分が使うかどうか、などをアンケートでまとめている。]
- 河端 茂・山下邦夫・石島 稔・篠崎 弘・三井 徹(1990):
『著作権とポピュラー音楽』
JASPMワーキング・ペーパー・シリーズ(日本ポピュラー音楽学会),1,39ps.
[1989年11月に行われた日本ポピュラー音楽学会準備会のシンポジウムの記録。]
- 川本聰胤(199*):
ロック音楽の評価基準についての一考察.
慶應義塾大学三田哲学会所属大学院生論文集,5,pp72〜82.
[未見]
- 木村正邦(2004):
ミュージカル研究 −サウンド・オブ・ミュージックを中心に−.
鳴門教育大学研究紀要,19,pp37〜47.
[『サウンド・オブ・ミュージック』のミュージカル(リバイバル版)出演経験を踏まえ、前半では作品中の楽曲の概要を述べ、後半ではミュージカル(オリジナル版/リバイバル版)と映画版の構成の違いを検討している。2004.07.21.]
- 霧生トシ子(2004):
Jazzの集大成としてのBe Bop.
尚美学園大学芸術情報学部紀要,3,pp129〜144.
[ジャズ史を、前史段階からビバップまでの範囲でまとめたもの。論文としてはオリジナリティに欠けるが、講義ノートとして読むべきものかと思う。2004.07.21.]
- 霧生トシ子(2004・09):
チャーリー・パーカー再考.
尚美学園大学芸術情報学部紀要,4,pp33〜44.
[未見。2006.08.20.]
- 草野昌一(1993):
歌手とレコードと音楽出版社.
久留米大学法学,19,pp121〜130.
[音楽出版社の業務の概要を、近年の動向も含め、わかりやすく平易に解説。草野はシンコー・ミュージック社長、音楽出版社協会理事長、JASRAC理事。そして、作詞/訳詞者・漣健児である。]
- 倉田喜弘(1997):
明治の耳.
図書(岩波書店),582,pp32〜36.
[明治初期に外国人が日本の音楽をどのように聴いたか、日本人が洋楽をどのように聞いたかについてのエッセイ。(多良間通朗)]
- 倉田量介(2010・03):
芸能の比較研究に向けて:キューバのルンバと日本の大衆演劇における大衆性と即興性.
マテシス・ウニウェルサリス(獨協大学国際教養学部言語文化学科),11-2,pp117-130.
[方法論的批判に紙幅を割いた上で、アドルノを踏まえて即興性に注目し、ルンバと大衆演劇の比較を試みた論考。2011.06.18.]
- 黒田晴之(2004):
あるピアニストの名前への覚え書き―ユダヤのポピュラー音楽の起源を探るために.
言語文化研究(松山大学),24-1,pp19〜36.
[未見。2006.08.20.]
- 小泉恭子(1992):
『ポピュラー音楽による創造的音楽学習 −イギリスの研究動向から−』
JASPMワーキング・ペーパー・シリーズ(日本ポピュラー音楽学会),2,32ps.
[ポピュラー音楽の語法を用い、生徒に音楽を創らせる創造的音楽学習の取り組みが、1960年代以来イギリスで導入されてきた経緯と、その意義の検討。]
- 小泉恭子(1997):
ビートルズ教育学.
芸術と教育(兵庫教育大学芸術系教育講座),1,pp114〜136.
[日本の学校教科書に取り上げられたビートルズの楽曲を、楽譜化に際して施される加工に注目して分析するとともに、レノン作品に対してマッカートニー作品が卓越する状況をジェンダー論的視点から解釈し、日本の教科書におけるビートルズの位置づけを批判的に検討している。]
- 小泉恭子(2001):
ポピュラー音楽と教育.
ポピュラー音楽研究(日本ポピュラー音楽学会),4,pp46〜57.
[イギリスにおけるポピュラー音楽教育実践と理論研究を文献レビューという形でたどり、同国ではポピュラー音楽独自の学習方法の制度化・体系化が進められていることを明らかにした。また北欧の高等教育機関におけるポピュラー音楽教育の確立や、米国・豪州の基礎研究の積み重ねも紹介し、日本でもポピュラー音楽をとおして子どもの音楽性を高めるための理論・実践研究の蓄積が必要であると論じた。(小泉恭子=著者)]
- 河野 愛(1993):
最近の著作権問題.
久留米大学法学,19,pp131〜149.
[河野は文部省のお役人だが、元は横浜国大の助教授。欧米において、著作権をめぐる代表的な二つの考え方となっている、英米法的コピーライトアプローチと大陸法的オーサーズライトアプローチの対立を解説し、ホームテーピングに各国がどう対処しているか、といった例を上げながら多様な複製技術の存在する著作権問題を国際的に展望している。]
- 佐藤良明(1998):
安室奈美恵への道:日本のうた試論.
小林康夫・船曳建夫・編『新・知の技法』東京大学出版会,pp85-102.
[本書の編者である小林康夫氏の言葉を借りれば、本論文は、「国際的に開かれていながら、しかししたたかに伝統も織り込んでいるような『うた』に対する表象文化論的アプローチ」である。安室奈美恵の歌をきっかけとして、J-PopsのJ(=Japanese)という形容詞が持つ性格を解きあかし、「日本のうた」が持つ性格について論じようとしている。そのために、伝統的なわらべ歌や民謡の持つ「うた」の感覚が、現代においてどのように変化したか、その際にインパクトを与えた要素は何かという点について整理、指摘している。
筆者は、「日本のうた」には、@つぶやくような(わらべ歌などが持つ)自然な発話(J=和)、Aセリーヌ・ディオンなどのヨーロッパ的な、スイートな上品さ(E=洋)B黒人ポップスに見られるかっこよさ(B=黒)、の3つの要素が混在していることを指摘している。そして、この3つの要素(和・洋・黒)の「トモエ戦」の末、現代の「日本のうた」のある種の公式が浮かび上がってきたことを指摘している。すなわち、最近の安室奈美恵の歌について(過度に単純化して)言うと、「Bなリズムに、Jな歌をのせ、Eなコードで飾」っている。そのうち、JとEとの結びつきが1973年頃の日本の歌謡曲で制度化した、という仮説的公式である。
「文科系の学問のさまざまな技法を、学問の最先端のトピックを通して伝える」ことを目的とした本書の性格からすれば、本格的なポピュラー音楽の研究論文とは言えないかもしれない。しかし、その中身は、ポピュラー音楽研究の方法の見本を提示している程度と言ってしまうにはもったいない程よく書かれていると思われる。そして、小泉文夫氏の一連の業績を思い出させる内容である。(と思ったら、巻末の「執筆者紹介」の[一言]欄に、「学部時代で一番面白かったのは小泉文夫先生の『日本の音楽』という授業でした。」と書いてあった。)
筆者の佐藤氏は、東京大学総合文化研究科教授で表象文化論が専攻。同僚の柴田元幸氏とともに、『佐藤君と柴田君』(白水社)というエッセイを出版するなど多方面で活躍している。ここ数年、同研究科の表象文化論コース(超域文化科学専攻の1コース)において、ポピュラー音楽に関する研究がよく出てきている(前述の柴田元幸氏や、以前本コーナーで紹介した田中純氏)。また、1997年10月には、表象文化論のスタッフが中心となって「ポップミュージックの温故知新──ときめきのスタイルを解剖する」というシンポジウムを開催している。このような現状を見てしまうと、われわれJASPM会員ももっと頑張らねば、という思いを抱くのは評者だけだろうか。(阿部勘一):JASPM-NL 36 より]
- 佐藤良明(2003):
アメリカン・ポップの終焉 百年のパターンに続くものは?.
大航海(ダンスマガジン別冊),47,pp207〜215.
[日本のポピュラー音楽の現況から説き起こし、米国のポピュラー音楽でくり返されてきた、黒人の音楽を白人向けに仕立てて商品とする定番的手法が、今や行き詰まっている、と明解に主張した論文。2004.07.21.]
- ジェフラット,アブデルカデル[山口 夕・訳](1993):
ライ現象−現代アルジェリアにおける文化の潮流と社会変動−.
国際学研究(明治学院大学国際学部),12,pp55〜61.
[アルジェリアで伝統音楽から派生し、民衆の強い支持を受けている「ライ」の社会的背景について論じている。読んでいるとどんな音か聴きたくなってくる。(その後、実際の音も聴きました。)]
- 塩沢一平(1997):
歌における創造と剽窃−J・ポップスと万葉集−.
駿台フォーラム(駿河台学園),15,pp49〜67.
[1990年代の作品を例に、先行した1980年代以前の歌との関係を、万葉集の和歌に見られる<本歌取り>などの手法への理解を踏まえて解釈し、併せて国語教育の観点から、和歌の教授に際して、Jポップに例をとりながら、先行した歌を踏まえた創作について論じる可能性を提起している。2003.12.05.]
- 塩沢一平(2000):
世紀末のJ・POP.
山梨学院短期大学研究紀要,21,pp46〜51.
[モーニング娘。などのアイドル・グループについて「新しい対象を追わせる論理」を鍵概念に、売り方の特徴を検討した小論。2003.12.05.]
- 塩沢一平(2003):
2000年以降のJ・POPマーケティングの動向分析−「モーニング娘。」と複数年代セグメント、そして30代からのJ・POP−.
経営研究(山梨学院短期大学),12,pp71〜86.
[モーニング娘。などを取り上げながら、Jポップの売り方の特徴を、小学生などを狙った「元気なおこちゃま路線」と、30代以降の年齢層への訴求を軸に整理している。2003.12.05.]
- 塩沢一平(2004):
J・POP『愛の言霊』論.
経営研究(山梨学院短期大学),13,pp27〜40.
[サザンオールスターズの1996年のヒット曲『愛の言霊』の詳細な歌詞/楽曲分析。2004.12.01.]
- 下山光雄(2003):
『さくら貝の歌 八洲秀章の生涯』真狩村,431ps.
[「あざみの歌」などの作曲家(1915-1985)の伝記。歌手としての芸名は志摩光一。2004.06.07.]
- 鈴木千友(1994):
現代の若者における言語感覚−氷室京介氏の歌詞より−.
群女国文(群馬女子短期大学),21,pp84〜91.
[研究者の論文ではなく、短大国文科の優秀な卒論として紀要に紹介されているもの。]
- 鈴木徳子(199*):
音と映像の関係について CM制作を通して.
関東学院大学教養論集KAMARIYA,5,pp117〜125.
[未見]
- 須永豊(2005・03):
Jazz がいかにジャズであるのか―Tony Morrison のグノーシス主義的瞑想.
人間科学研究(日本大学生物資源科学部),2,pp75〜85.
[未見。2006.08.20.]
- 関口すみ子(2009・09):
今を生きるということ―忌野清志郎・あの戦争・和辻哲郎―.
法學志林(法政大學法學志林協會),107-2,(横組)pp1〜36.
[忌野清志郎(1951-2009)の創作の軌跡を、母親の戦時中の日記を読むという間接的な戦時体験への接触を軸に解釈し、さらに和辻哲郎への批判的まなざしと交錯させるというアイデアを提示する。2010.03.27.]
- 関口民恵(1993):
現代の若者における言語感覚の研究−ドリームズ・カム・トゥルーの歌詞の中の「電話」を中心に.
群女国文(群馬女子短期大学),20,pp126〜136.
[研究者の論文ではなく、短大国文科の優秀な卒論として紀要に紹介されているもの。そこまで勘案し、どっぷりハマった世代による分析として読めば、けっこう面白い。]
- 高原基彰(2004・09):
ポピュラー文化による「東アジア地域」の発見とその多義性―パンク・ロックというグローバルな文化産業を例に.
ソシオロゴス,28,pp168〜184.
[未見。2006.08.20.]
- 田中 純(1996):
自殺するロックンロール デヴィッド・ボウイ試論.
東京大学超域文化科学紀要,1,pp85〜114.
[デヴィッド・ボウイ論を、従来のロック論に見られる技法論、大衆文化論としてではなく、あくまで作家論として記述しようとした論文。
ロックという共同性のイデオロギーに対する批判、<呼びかけ>る主体としてのロック・スターにおける象徴的委託の拒絶、といったことをボウイの作品の中から読みとっている。この意味で、ロックは、一種の古典的完成に達成した60年代末に終わり、あるいは死んでしまっていると言える。したがって、その時代以降に登場したボウイは、ひたすらロックの<終わり>の中で、死後の生とでも呼ぶべき時間を生き残り続けており、そして彼の作品は、ロックの<終わり>を反復的に終わり続けさせる自分自身へのレクイエムであった。だから、ロックンローラー(=ボウイ)は、もはや自殺者であることを避けられず、我々はボウイの作品を聴くことは、ロックの<約束>の裏切りと破綻の過程(=ロックが持っていたであろう我々を魅惑する官能の<メディア力>あるいはイデオロギー的呼びかけ)を、自殺するロックンロールの中に確認する作業であると述べている。
筆者は、東京大学大学院総合文化研究科で表象文化論を講じる助教授。「前衛芸術(特に現代建築)の起源史・現代ドイツの文化と芸術」が、特に専門領域である。そのためか、ベンヤミンはもちろんのこと、F.キットラーにも依拠しており、この点には感心した。あくまで言説、表象を中心とした「作品論」を展開しようとしている点は、ロック論としては新鮮で、既存のナイーブなものを払拭する力を包含しているように思われる。何よりも、<終わり>を迎えた(であろう)ロックに対して、あえて「イデオロギーの復権」だとか「共同性への憧憬の復興」などということを「説教臭く」語らず、あくまで冷静にテキストに即して分析しているのには好感が持てる。表象文化論を専攻しているからこそ、なせる技なのだろうか?(阿部勘一)]
- 田村和紀夫(2006・11):
ロックンロールの出現―ビル・ヘイリーと時代の遭遇.
尚美学園大学芸術情報学部紀要,10,pp69〜***.
[未見]
- 中圀語會話研究会(1997):
個人崇拝と歌の関係「中国・北朝鮮の比較論」.
学生論叢(愛知大学学生論叢編集委員会),36,pp88〜107.
[愛知大学の学生雑誌(□○系のアジテーターによる講演会記録がメイン)に掲載された投稿論文。元々サークルの会報に載ったものを加筆・転載したもの。『東方紅』と『金日成将軍の歌』を中心に、指導者賛歌の存在意義を検討している。指導者賛歌が一種のPM/なつメロとして機能する状況の話など、興味深い視点も示されている。平壌放送から送られてきた歌詞の日本語訳(手書き)や、CDのジャケットのコピーなども面白いし、文献・資料リストも結構しっかりしている。]
- 寺内弘子(199*):
歌を教材とした日本語教育と異文化コミュニケーション.
法政大学教養部紀要 外国語学・外国文学編,95,pp225〜237.
[未見]
- 東谷 護(1995):
『日本におけるフォークソングの展開 −社会史的側面より−』
JASPMワーキング・ペーパー・シリーズ(日本ポピュラー音楽学会),3,61ps.
[1960年代から1970年代にかけての日本の「フォークソング」の展開を、関係者へのインタビューや同時代の資料をもとに、支持構造の変化という視点から検討している。]
- 東谷 護(1998):
新たなる歌詞研究へむけて−阿久悠の歌詞分析を通して−.
表現研究(表現学会),67,pp27-34.
[]
- 東谷 護(1998):
大衆音楽における表現の広がり−中島みゆきの映像分析を通して−.
表現研究(表現学会),68,pp15-22.
[]
- 東谷 護(1999):
詞作の心を探る.
ユリイカ(青土社),3月号,pp103-107.
[]
- 東谷 護・編(2003):
『ポピュラー音楽へのまなざし −売る・読む・楽しむ』
勁草書房,374ps.
[ポピュラー音楽研究の卒業論文/修士論文レベルの参考とすることを想定した、基本的な論考集。学燈,100-10,pp38-41 に中村とうようによる書評がある。]
- 中田喜直(1993):
音楽家と著作権.
久留米大学法学,19,pp107〜119.
[中田は作曲家、日本童謡協会会長、JASRAC理事。しかし、高齢のせいか、講演の大半は本題から外れた禁煙論になっている上、本題部分も雑談に終始している。]
- 成瀬 厚(1996):
現代吟遊詩人の声を聴く−甲斐バンド『英雄と悪漢』の分析.
地理(古今書院),41-12,pp46〜52.
[アルバム『英雄と悪漢』を通して流れる二項対立的テーマ(「都会/田舎」「俺たち/やつら」等)についての考察。]
- 難波弘之(1992):
近代レコーディングの冒険−プロデュースと録音技術から見たビートルズ、シンセなき時代の革新者たち.
東京音楽大学研究紀要,16,pp1〜**.
[]
- 西村正男(2004):
書評:アンドルー・ジョーンズ著 黄色歌曲−中国のジャズ・エイジにおけるメディア文化と植民地的近代性.
野草,73,pp127〜132.
[Jones(2001): Yellow Music: Media Culture and Colonial Modernity in the Chinese Jazz Age の書評。中国における蓄音機の普及に関するまとまった記事がある、というのが気になった。]
- 野田晴美(2004):
浜崎あゆみの「使命」と宇多田ヒカルの「許容」 ―歌詞における当為表現―.
人文学部紀要(神戸大学),24,pp11〜21.
[浜崎5枚、宇多田3枚のアルバムの作品から、当為表現を抜き出して分析し、話し手の判断以前の「運命」を歌う浜崎と、話し手の判断、特に「許容」を歌う宇多田、という対比を引き出している。2004.07.21.]
- 野々村千恵子(1995):
ブラジル日系社会の音楽調査.
移住研究(国際協力事業団),32,pp92〜107.
[野々村は聖徳学園女子短期大学助教授。ブラジルで日本語教育に従事した経験をもつ。1993年に行ったアンケートによって在伯日系人の「好きな歌」(日本語の歌)を、世代別などの形で集計した簡単な報告。]
- 橋本孝良(1994):
FM多局化競合時代における個性化への可能性〜bay fm ゾーンプログラム編成を例として〜.
日本大学芸術学部紀要,24,pp48〜69.
[FM放送の多局化状況の下、放送される音楽の内容の類似化傾向を首都圏を例に検討し、『ゾーン・プログラム編成』の意義を論じている。]
- 深沢恵美(1994):
井上陽水の歌詞に見る「青」の形容.
群女国文(群馬女子短期大学),21,pp84〜91.
[研究者の論文ではなく、短大国文科の優秀な卒論として紀要に紹介されているもの。]
- 福西綾美(2004):
戦後日本におけるジャズ音楽の受容と展開 −『スイングジャーナル』(1945-1965)を中心に−.
表現文化研究(神戸大学),3-2,pp149〜160.
[表題があまり適切とはいえないが内容は面白い。戦後のSJ誌の表紙を分析し、登場するジャズ演奏家の傾向を整理した上で、日本のジャズ文化の担い手のエリート性を指摘し、記事内容にも踏み込んでSJ誌が徐々に日本のジャズへの批判性を失っていったことを明らかにしている。2004.07.21.]
- 藤井正博(2004〜連続掲載継続中):
歌メロディのスタート・ポイントと長期記憶―BS20世紀日本のうたベスト10曲に見る傾向―(1)〜(5).[未完結]
神戸山手短期大学紀要,47・48・49・51・52,****.
[視聴者からの投票で日本人に好まれている曲をランキングするというテレビ番組の企画の結果を踏まえ、どのような特徴のある歌(楽曲)が人々の記憶に残るのかを多角的に検討する試み。2011.06.18.]
- 藤澤宏樹・志水照匡(1997):
- 藤山,トミ(2003):
『ころび 転ぶよ 音楽人生』文芸社,289ps.
[戦後活躍した、女性カントリー歌手(b.1940)の自伝。2004.06.07.]
- ホップ,アンニャ[Hopf, Anja](2004):
「Stop Jap!」:70年代末から80年代初頭にかけての日本の音楽シーンの新しい流れ−未だ書かれざる日本の「パンク」論をめぐって.
言語文化研究(立命館大学),15-3,pp187〜198.
[日本におけるパンク音楽の史的展望に向けた学術的な観点からの素描。後半ではスターリン〜遠藤ミチロウを例に、日本のパンクの意義を考察している。2004.07.21.]
- 前田一郎(1990):
89年 New York 夏期ジャズ動向−The Jazz Scene in New York City of Summer 1989−.
海外事情研究(熊本商科大学海外事情研究所),17-2(通巻34),pp91〜113.
[6月から8月にNYに滞在した前田が、JVC Jazz Festival などその夏に出かけた40回の演奏会について記した印象記。写真やプログラム、広告など、資料がふんだんに使われている。]
- 前田一郎(1991):
1990年代のモダン・ジャズに関する一考察(上)−Mainly through the Jazz Scene in New York City of Summer 1990−.
海外事情研究(熊本商科大学海外事情研究所),18-1・2(通巻35・36),pp31〜55.
- 前田一郎(1991):
1990年代のモダン・ジャズに関する一考察(下)−Mainly through the Jazz Scene in New York City of Summer 1990−.
海外事情研究(熊本商科大学海外事情研究所),19-1(通巻37),pp33〜49.
[Walter Davis, Jr. と Art Blakey の「追悼の章」では、1970年に Blakey が熊本商科大学を訪問した挿話などがある。この年の前田は8月はじめにNYへ渡ったらしく、9月初旬まで30回の演奏会について報告している。最後に「過去10年間のベスト・テン」があるのが、ジャズ狂らしい。]
- 前田一郎(1992):
1991年 New York モダン・ジャズに関する一考察−The Jazz Scene in New York City of 1991−.
海外事情研究(熊本商科大学海外事情研究所),20-1(通巻39),pp115〜145.
[Jazzmobile の規模縮小を憂いながら、前田は6月下旬から8月までNYで70回以上の演奏会に出かけている。例年と違って、その大半についてはパーソネルや曲目の提示のみ。その代わりに、NY在住の日本人ジャズメンについて、まとまった紹介がある(pp137〜142)。]
- 前田一郎(1993):
1992年 New York モダン・ジャズに関する一考察−The Jazz Scene in New York City of 1992−.
海外事情研究(熊本商科大学海外事情研究所),21-1(通巻41),pp47〜76.
[コンサート記録、ベスト・アルバム、追悼記事で構成。]
- 前田一郎(1994):
『モダン・ジャズの探索一主として1984年以降のゆくえ―』.
熊本商科大学海外事情研究所,研究叢書17,354ps.
[全体の過半は、米国と日本を中心としたモダン・ジャズ・プレイヤー160名余りの楽器別に並べた人名事典風の記述に費やされており、著者撮影の写真が多数掲載されている。さらに、関連する記事等が付録として収録されている(一部は前後して発表された『海外事情研究』掲載論文と重複している)。その中には、180枚余りにおよぶ Sun Ra Discography なども含まれている。巻末に索引があるのが便利。1999.03.10.]
- 前田一郎(1994・03):
1993年 New York モダン・ジャズに関する一考察―The Jazz Scene in New York in 1993―.
海外事情研究(熊本学園大学付属海外事情研究所),22-1(通巻43),pp45〜71.
[例年通り、ページのほとんどはパーソネルと曲目の羅列だが、大前きよを氏の急逝について追記で触れられている。]
- 前田一郎(1995・09):
モダン・ジャズの変遷.
海外事情研究(熊本学園大学付属海外事情研究所),23-1(通巻45),pp83〜104.
[モダン・ジャズの歴史に対する筆者の簡潔な見解のあと、『モダン・ジャズの探索』と重複する1994年に行われたNY在住日本人ジャズメンへのインタビューがある。追記に、由井正一から前田ゼミの学生に寄せられたコメントが収録されている。1999.03.10.]
- 前田一郎(1996・03):
1995年 New York モダン・ジャズに関する一考察.
海外事情研究(熊本学園大学付属海外事情研究所),23-2(通巻46),pp165〜200.
[例年通りの内容。巻末に、前田氏が故大前きよを氏の資料一切を譲り受けたことが記されている。1999.03.10.]
- 前田一郎(1997・03):
1996年 New York モダン・ジャズに関する一考察.
海外事情研究(熊本学園大学付属海外事情研究所),24-2(通巻48),pp35〜75.
[例年通りの内容だが、巻末には、1996年に行われたNY在住日本人ジャズメンへのインタビューがあり、また、『モダン・ジャズの探索』への補遺的な記述がまとめられている。この年をもって前田氏は熊本学園大学を定年退職した。1999.03.10.]
- 前田一郎(2000・03):
1999年 New York モダン・ジャズに関する一考察.
海外事情研究(熊本学園大学付属海外事情研究所),27-2(通巻54),pp**〜**.
[未見。2000.09.02.]
- 前田一郎(2004・09):
録音媒体で聴くジャズの歴史―日本のジャズシーンも添えて.
海外事情研究(熊本学園大学付属海外事情研究所),32-1(通巻**),pp1〜71.
[未見。2006.08.20.]
- 前田一郎(2010・02):
1960年代〜1970年代の Free Jazz と Jazz の定義.
海外事情研究(熊本学園大学付属海外事情研究所),37-2(通巻**),pp127〜150.
[未見。2011.06.18.]
- 前田美都(1997):
現代の若者における言語感覚−櫻井敦司氏の歌詞をもとに−.
国文研究(群馬女子短期大学),24,pp125〜136.
[研究者の論文ではなく、短大国文科の優秀な卒論として紀要に紹介されているもの。BUCK-TICKの歌詞が与える感覚的な印象を、アンケートによって整理しようという試み。設問に工夫があって面白い。]
- 牧野陽子(1993):
ラフカディオ・ハーンの詞による歌曲について.
成城大学経済研究,121,(横組)pp54〜30(163〜187).
[NYのコロンビア大学ハーン・コレクション所蔵の2曲の楽譜資料の紹介。それぞれの作曲者、F.N.Barbour と F.Foster は20世紀初頭のアメリカの女性作曲家。作品はハーンが著作中で英訳紹介した都々逸(Barbour,1910)と民謡(Foster,1917)の歌詞にメロディをつけたもので、今日では忘れられた存在となっている。歌の素材を異文化へ翻訳する作業の事例として、なかなか興味深い。]
- 増淵敏之(2006・02):
国内地方都市における音楽の産業化過程―福岡市の場合.
ポピュラー音楽研究(日本ポピュラー音楽学会),9,pp3〜21.
[地方都市における文化産業集積の形成という観点から、1970年代以来の福岡市における音楽関連産業のインフラとなる諸施設の分布などを分析した事例研究。掲載誌の表紙には「2005」とあるが、刊行は2006年2月。2006.08.20.]
- 松島 浄(1996):
現代女性の愛の歌−苦悩する岡村孝子−.
明治学院論叢,574(社会学・社会福祉学研究98),pp141-161.
[著者は明治学院大学教授。あみん時代から、ソロになって6枚目のアルバム(Kiss, 1990)までの範囲を通観し、岡村孝子が歌う恋愛のあり方を、主として歌詞の読み込みによって明らかにしていく。表現者としての岡本孝子に対する高い評価が下敷きにあり、彼女の表現者としての成長を跡づけていく試みとして綴られた論述である。筆者の彼女への<愛情>を感じさせる文体が、そこまで共感的になれない読者にはちょっとつらいかもしれない。1997.10.27.]
- 真邉昌一(199*):
秋吉敏子のビッグ・バンド・ジャズ.
京都市立芸術大学音楽学部大学院研究紀要・ハルモニア,26,pp81〜91.
[未見]
- 三浦 久(1993):
とうもろこし畑でつかまえて −Field of Dreams と Bruce Sringsteen−.
信州豊南女子短期大学紀要,10,pp25〜45.
[Bruce Springsteen の一連の代表的作品と、映画 Field of Dreams を主な素材に、現代アメリカ社会における「父親との和解」というモチーフを論じている。]
- 水野邦彦(1993):
即興の表現―ジャズの音楽空間をめぐって―.
一橋論叢,110,pp421〜433(9月号,pp79〜91).
[次の水野(1994)と同じ筆者が学振特別研究員のときに発表した論文。モンク、パーカーなど、バップ革命の頃のジャズの話なのだが、率直なところエリート主義的な匂いの筆の運びが気になる。学術的な論文としてではなく、ジャズ評論として読むべきなのかもしれない。1998.10.03.]
- 水野邦彦(1994):
大衆芸術を考える―芸術社会学覚書―.
一橋論叢,112,pp284〜297(8月号,pp64〜77).
[筆者は法政大学講師。PM論ではなく、大衆芸術の一般的議論。生硬で平凡な議論だが、PMがチラチラと引き合いに出されている点が目に止まった。]
- 光富省吾(1997):
ハード・バップ・リバイバルに見られる日米の背景文化の違い.
福岡大学総合研究所報,194(人文社会科学編127号),pp1-14.
[ウィントン・マルサリスほか80年代以降、ハード・バップが日米で人気を盛り返しているが、日本では合衆国にあるような人種的な文化の復権という側面は見落とされ、もっはらファッション的なものにとどまっている。日本では黒人文化に対する理解がむずかしい。だいたいこのような内容。文化移植の問題として深めればもっと刺激的になるはずだが。(細川周平)]
- 南田勝也(2001):
『ロック・ミュージックの社会学』
青弓社,216ps.
[ロック音楽をめぐる言説の分析から、ロックの社会的な位置付けに関わる指標を抽出し、<場>概念を手がかりに、各時代における欧米と日本の社会におけるロックの社会的意義を検討している。ソシオロジ,146(47-3),pp168-176 に宇城輝人による書評と、著者=南田によるそれへの応答がある。:社会学評論,54(2),pp209-211 に栗田宣義による書評がある。2004.07.21.]
- 南田勝也(2006・02):
書評:J・トインビー著『ポピュラー音楽をつくる−ミュージシャン・創造性・制度』.
ポピュラー音楽研究(日本ポピュラー音楽学会),9,pp22〜28.
[安田昌弘訳、みすず書房(2005)(原著=Toynbee (2000): Making Popular Music: Musicians, Creativity, and Institutions)の書評。掲載誌の表紙には「2005」とあるが、刊行は2006年2月。2006.08.20.]
- 峯岸智行(2009・03・31):
70年代初頭のロック・ミュージックの受容―ウラワ・ロックンロール・センターを事例として―.
埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要「日本アジア研究」,6,pp141〜156.
[1970年代を中心に埼玉県浦和市で独自のラディカルな運動を展開したウラワ・ロックンロール・センターの経緯を、地方都市としての浦和における音楽実践という観点から論じた考察。2011.06.18.]
- 三宅英文(2004):
ポップ音楽の歌詞における前景化のメカニズム.
英語英米文学論集(安田女子大学),13,pp57〜73.
[Wonderful Tonight、Stand By Me、Every Breath You Take、Ob-La-Di Ob-La-Da を素材に、50名余りの被験者に曲を聞かせ、その回答から、前景化する(強い印象を残す)歌詞のメカニズムを考察した論文。前景化は、メロディ、統語、意味、などの要素が複雑に関係した結果だし、考慮すべき要素はまだまだある、という歯切れは悪いが正直な結論。2004.07.21.]
- 村越洋子(1993):
アーティスト尾崎 豊の生と死−青年心理学的アプローチ−.
大月短大論集,24,pp217〜250.
[副題に期待し過ぎると肩透かし気味。息子がファンだった尾崎について、母親が共感的にのめり込んで綴ったオマージュ。データ過多で論旨が見えにくいのが残念。]
- 村越洋子(1994):
アーティスト 尾崎 豊の存在 −青年期における社会的意義−.
大月短大論集,25,pp241〜280.
[尾崎の実家への訪問、父親へのインタビューなどを踏まえ、青年期の聴き手にとって尾崎がもつ意味を考察している。前稿ほどではないが、筆者の尾崎への傾斜は強く、冷静な分析にはなっていない。]
- 村田公一(1995):
大衆感覚論的「アドルノ・ポピュラー音楽論」読解 −あとがきのようなもの−.
村田公一・訳編『アドルノのポピュラー音楽論』,JASPMワーキング・ペーパー・シリーズ(日本ポピュラー音楽学会),6,pp40〜46.
[]
- 森岡 隆(2003):
カントリー音楽の過去・現在・未来 −ディクシー・チックス、ガース・ブルックス、そしてアパラチア.
林 康次・編『アメリカ帝国主義と多文化社会のあいだ』開文社出版,pp142〜156.
[ディクシー・チックスとガース・ブルックスを例に、ビジネスとして巨大化した現代のカントリー音楽における、アパラチアのオールドタイム・ミュージックの影響と意義について述べている。2004.06.10.]
- 森本敏克(2003):
『歌とれこおど 世相と庶民の心を映す文化史』アナログ・ルネッサンス・クラブ,367ps.
[遺稿集。2004.06.07.]
- 八木康幸(1994):
ふるさとの太鼓―長崎県における郷土芸能の創出と地域文化のゆくえ―.
人文地理(人文地理学会),46-6,pp581〜603(pp23〜45).
[八木は、関西学院大学文学部の教授。長崎県の創作和太鼓の現状を多角的に検討することで、創作される「伝統」という問題に取り組んだ、意欲的な論文。〈和太鼓という fakelore の創出を通じて表現される現代の地域文化は、地域住民にとって「生きられる文化」ではなく、地域に関係を持つ人々や機関によって「語られる文化」なのである〉という結論は、周到な分析を踏まえており重要だ。「民謡」のポピュラー音楽性といった議論に関心がある向きには必読。]
- 矢部義之(1994):
アメリカン・カントリー・ミュージックの一つの特徴 キリスト教精神.
青山学院大学一般教育論集,35,pp71〜84.
[]
- 山岡捷利(1988):
はやり歌とことば−大陸ソングに沿って−.
言語文化(明治学院大学言語文化研究所),5,pp20〜34.
[]
- 山岡捷利(1993):
はやり歌とことば(三)−中島みゆき篇−.
言語文化(明治学院大学言語文化研究所),10,pp69〜92.
[山岡は千葉大学教養部所属。少々難解だが、複製される歌としての<はやり歌>の本質を、歌う主体の複製化という視点から捉えて掘り下げている。]
- 山岡捷利(1993):
はやり歌と言葉−4−場の快楽(陽水に向かって).
千葉大学教養部研究報告,A26,pp225〜277.
[未見]
- 山下 敦(199*):
ミルトン・ナシメントの声 ブラジル文化の一断面.
文学芸術(共立女子大学総合文化研究所・神田分室),20,pp115〜140.
[未見]
- 山田晴通(1988):
- 山田晴通(1990):
ビデオ・クリップが描く盛り場の若者たち−BOOWY『季節が君だけを変える』を読む−.
松商短大論叢(松商学園短期大学),38,pp69〜98.
[ビデオ・クリップの分析から、そこに描き出される「街」のイメージを論じる。]
- 山田晴通(1990):
- 山田晴通(1991):
- 山田晴通(1992):
「見る」ロックと「ロック」する映像.
キーワード事典編集部・編『キーワード事典・ロックの冒険・スタイル篇』洋泉社,pp200〜209.
[ビデオ・クリップの発達の経緯を、ロック音楽と映画の関係まで遡って展望した概説。]
- 山田晴通(1999):
- 山田晴通(2002):
バートン・クレーン覚書.
コミュニケーション科学(東京経済大学),17,pp.191-227.
[昭和初期に日本語で歌った米国人歌手バートン・クレーン(Burton Crane, 1901-1963)について、ジャーナリストとしての経歴を含め、全体像を知るために必要な基本的文献などを紹介した覚書。2003.12.05.]
- 山田晴通(2006・02):
書評:三井徹監修『ポピュラー音楽とアカデミズム』.
ポピュラー音楽研究(日本ポピュラー音楽学会),9,pp29〜35.
[中村とうよう、細川周平らが寄稿した、三井の退職記念論文集、音楽之友社(2005)の書評。掲載誌の表紙には「2005」とあるが、刊行は2006年2月。2006.08.20.]
- 山田晴通(2008・12):
バートン・クレーン補遺(1).
コミュニケーション科学(東京経済大学),28,pp.119-140.
[山田(2002)の補遺として、特に戦前期までのバートン・クレーン(Burton Crane, 1901-1963)についての情報を、主に米国で収集した資料に基づいて整理したもの。2010.04.05.]
- 山本理人、小野貴史(2010・07・31):
ヨーロッパ近代音楽とジャズ和声における相互関係の研究.
信州大学教育学部研究論集,3,pp101〜114.
[ジャズ史の各段階におけるヨーロッパ近代音楽(19世紀以降のクラシック系の音楽)との楽理的観点からの共通点を挙例し、両者の影響関係を双方向的に検討した考察。2011.06.18.]
- 横溝良隆(1998):
『ご当地ソング讃』東洋経済新報社,174+6ps.
[『地理学評論』に掲載された山田による書評]
- 由谷裕哉・大西貢司(1989):
ポピュラー音楽の社会学・序説.
小松短期大学論集(小松短期大学),1,pp89-103.
[由谷裕哉=著者による紹介が「1990年以前の主要論文の要約」のページの最後にあります。]
- 渡辺 潤(2000・12):
『アイデンティティの音楽』世界思想社,312ps.
[追手門学院大学人間学部紀要に創刊号(1995年)から連載された「ロックと時代精神」を下敷きにまとめられた若者文化としてのロック音楽論。著者による紹介]
- KOIZUMI, Kyoko[小泉恭子](2001):
Male Singers in Japanese Visual Rock Bands:Falsetto as an Alternative to Shout in Rock.
MURAO T., MINAMI Y. and M. SHINZANOH (eds.) Proceedings of the 3rd Asia-Pacific Symposium on Music Education Research and International Symposium on 'Uragoe' and Gender,Aichi University of Education,pp.148-151.
[ロック歌手の歌唱とジェンダーという問題について、河村隆一を例に、その歌唱スタイルの変遷を、音楽テクスト分析ならびに高校生の聴取による意味づけの解明という双方のアプローチから考察した。河村の裏声使用の変化は、技術というより表現性の問題であったこと、また男子高校生が河村の熱唱に自己同一化するのに対し、女子高校生は両性具有的身体による男性的歌唱を聴かせた初期の河村を評価していると結論づけた。(小泉恭子=著者)]
- RECORD, Kirby(199*):
Semiotics, Music Video, and Pedagogy.
昭和女子大学近代文学研究所紀要,18,pp24〜35.
[未見]
- SEWARD, Robert(1994):
Radio Happy Isles−The Play of Media in the Small Island States of the Pacific−.
明治学院大学国際学部付属研究所Occasional Paper,3,25ps.
[南太平洋の島嶼国家におけるラジオ放送の現状報告。直接PMを論じているわけではないが、PMのみならず、ポピュラー文化を支えるのはメディアであり、その運営環境は、当然PMのあり方を左右するのだから、この論文はPM研究者にも有益である。文中からは、南の島のDJの生活感も伝わってくる。]
- TOYA, Mamoru[東谷 護](1998):
Changes in conceptions of the 'authenticity' of Japanese folksongs: a case study of Kasagi Toru.
MITSUI Toru(ed.) Popular Music: Intercultural Interpretations,Kanazawa University,pp.332-336.
[1997年の国際ポピュラー音楽学会(IASPM)金沢大会の報告集に収められた論文。]
この文献表は、今後とも随時必要な加筆修正・増補を加え、内容を更新していきます。あり得べき誤謬の指摘、追加すべき文献の書誌情報など、お気づきの点は、下記まで、おしらせ下さい。
また、論文掲載誌、抜刷等の研究室への寄贈を歓迎いたします。ご寄贈いただいたポピュラー音楽関連文献は、このページで紹介いたします。
東京経済大学山田研究室 yamada@tku.ac.jp:
〒185-8502 東京経済大学
(郵便は所在地省略可:宅配便等の場合は 国分寺市南町1-7-34)
Tel/Fax.042-328-7923
このページのはじめにもどる
ポピュラー音楽研究リンク集へゆく
道具箱のふたへゆく
山田晴通研究室へゆく
CAMP Projectへゆく