雑誌論文(その他):1993a:阿部 潔,是永 論と連名

長野県山形村における地域情報化の展開と住民の「地域」活動.

松商短大論叢(松商学園短期大学),41,pp95〜178.


この論文のホームページへの掲出には、共著者である、阿部・是永両氏からご了解を頂いております。
ご快諾を頂きました両氏に、感謝いたします。

なお、ページへの掲出にあたって、一部の脱字を[ ]で補いました。


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長野県山形村における地域の情報化と住民の「地域」活動

山田 晴通 ・ 阿部  潔 ・ 是永  論

目 次

はじめに:フィールドとの出会い
I・社会的コンテクストとしての山形村
    1.山形村の概況
    2.山形村の社会状況と「地域」
    3.「地域」活動の広がり
II・ホワイトバランス会
    1.YCS開局と「協力者会」の設置
    2.会員の構成
    3.メディア環境と利用能力
    4.日常活動
    5.今後の課題
III・トライズ・カンパニー
    1.行政側による「若者組織」形成の試み
    2.誕生の経緯−会長Na氏の地域/若者の捉え方
    3.構成員の特徴−「誰かを介して顔が見える」
    4.活動の実態
    5.現在の状況と今後の可能性
おわりに:「地域」活動の展望とメディアの意義
    1.今後生じる可能性のある諸問題
    2.「もう一つの情報化社会」に向けて−情報化と「地域」の将来

注・文献


はじめに:フィールドとの出会い

 本稿は、筆者らが1992年に長野県東筑摩郡山形村において行ったフィールド調査の報告である。この調査は、文部省科学研究費重点領域研究「情報化社会と人間」(領域代表:高木教典・東京大学名誉教授)の一部である「情報化社会と市民の生活意識・行動の変化」研究班(研究班代表:児島和人・東京大学社会情報研究所教授)の研究活動の一環として行われた1)。以下ではまず、読者の理解のために、本論に先立って本稿の成立経過を紹介し、本稿と研究班全体の研究課題との関係について整理をしておきたい。
「情報化社会と市民の生活意識・行動の変化」研究班では、多様な形態として把握される情報化の進行が、市民生活をどのように変化させていくのか、という問題をめぐって様々な角度から議論を積み重ねてきた。その中では、論理的枠組みとしての「情報化」や「市民」、あるいは「生活」といった概念の定式化や、定式化された概念を現実に即して組み上げ、検証していく方策が、いろいろと論じられてきた。ここでは、これまでの議論の蓄積を網羅的に紹介することはしないが、一連の議論の中から焦点の一つとして浮上してきたのが、「情報化の進行が市民による情報発信行動を促す」可能性であった2)
 既成のマス・メディアは、ごく少数の「送り手」と、文字どおり無数の(マスとしての)「受け手」を前提としている。これに対し、近年のテクノロジーの発達とともに登場した多様なメディアは、CATVなどのいわゆる「ニューメディア」に限らず、急速に普及した家庭用VTRなど視聴覚関係の家電製品や、パーソナル・コンピュータ等々まで含め、マス・メディアの場合とは大きく異なった「送り手/受け手」の関係を生み出してきた。そこでは、従来のマス・メディアと市民との関係に典型的に現われる受動的な「受け手」として市民像とは違った、能動的に情報発信行動を行なう「送り手」としての市民の姿が、可能性として見いだされるというのである。
 しかし、容易に想像されるように、こうした変化の動向を、例えば統計的手法によって把握しようとするのは不可能に近い。また、このような変化の動きは、情報化の進展状況や、その他の基本的社会状況が異なれば、当然それぞれに異なった形で発現するはずである。そこで、このような新たな動向を記述的に把握するために、日常生活における情報化が特に進行している地域社会の事例を選んで、市民による能動的な情報発信行動がどのように発現するかを観察することが構想された。つまり、先端的な事例の観察から、より普遍的なモデルづくりに資するような手がかりを得ようというわけである。
 そこで、そうした事例研究の対象として浮上したのが、山形村であった。山形村は、1989年に農村MPIS施設としてCATVを導入した地域であり、農村部としては先端的な形で「ニューメディア」を軸に情報化が進んでいる上、住民参加に配慮されたスタイルの運営を行っており、研究班の問題意識に沿ったフィールドであると考えられたのである。また、都市社会の事例に比べ、農村社会の事例は、考慮すべき撹乱要因が比較的少なく、状況の把握、定式化が相対的に容易であろうとも思われた。実際には、この段階で山形村を含む複数の事例について予備的な聞き取り調査を行ったのだが、現時点で振り返ると、その当時に研究の対象としてイメージされていたものは、あくまでもCATVの施設や組織、そして放送される番組内容などであり、我々の関心は、その範囲内での市民のメディア行動・情報行動だけに向けられていた。
 しかし、山形村における聞き取り調査などを通じて、番組制作への住民の積極的な参加が明らかになり、その背後にある住民の生活意識・行動への理解が進むにつれ、我々はこの地域を調査対象として人々のメディア行動・情報行動を考えていく際の大きな課題として、広い意味での「地域」を考慮する必要に気づき始めた。ここでいう「地域」には、象徴的・社会的な意味も含意されているのであるが、そのような「地域」の重要性は、聞き取り調査や参与観察の過程で何度となく意識させられるものであった。メディア行動・情報行動という観点から見て、住民が関与したCATV番組自主制作の試みは、何も山形村に限られるわけではない。しかし、山形村のCATVにおける自主放送の内容・形式の独自性は、「地域」という観点を抜きには理解できそうにない。つまり、住民が中心となった番組づくりが成り立つこと自体を説明するためにも、またそこで制作される番組内容の特徴を明らかにする上でも、「地域」という視点が分析のために必要不可欠であるように思われるのである。
 メディア行動・情報行動をそれが行なわれる社会的コンテクストから切り離して捉えようとすることは妥当ではなく、むしろ逆に山形村での「情報化」を考えていく場合には、重要な社会的コンテクストとしての「地域」と言う観点からメディア行動・情報行動を捉えていくことが必要かつ重要であるとの認識は、その後の山形村における調査活動を通して、より一層強められた。具体的には、後述する住民による番組制作の担い手たるホワイトバランス会と、地域活性化を目指した現代版の「祭り青年」組織とでも言うべきトライズ・カンパニーの活動を参与観察的にフォローしていく過程を通して、一見したところ無関係に思われるCATVを用いた住民による自主制作番組づくりの試みと、若者を中心とした集団によるイベント開催の試みとが、実はある点で根を同じくする社会的活動であり、そのような両者の関連性を明かにし得る視点が、ここでいう「地域」にほかならないことが再認識されたのである。
 ホワイトバランス会やトライズ・カンパニーに関しての細かな記述・報告は後述するとして、ここで指摘しておきたいことは、今回の調査を進めていく過程で我々が強いられた一種の「方向転換」、つまり情報化社会における人々のメディア行動・情報行動を考えていこうとする際に、行動そのものではなくそれが交わされる社会的コンテクストの側からアプローチすることの意義である。こうした「方向転換」は、当初の目的であった「情報発信行動としてのCATV番組制作への参加を、情報化社会との関連で考察していく」という課題から我々をある意味では離してしまった[の]であるが、そのことは逆に、情報技術・情報行動の側面だ[け]から発想するのではなく、社会的コンテクスト・社会行動の面から情報化社会を考えていくことの重要性を認識させてくれた点において、非常に意義のあるものだった3)。このことは、情報化社会の技術ユートピア的な未来像とは異なる、もう一つの情報化社会、「人間の顔をした情報化社会」のあり方について考えていくきっかけを、われわれに与えてくれたのである。この点については、本稿の最後で再び論じられることになろう。
 筆者ら3名は、同一の学問分野に属して研究を続けてきたわけではない。それぞれの問題関心から、地理学、社会学、社会心理学などの様々な分野の手法に依拠しつつ、広い意味での情報化社会としての現代社会を捉えようとしている者たちである。それゆえ、以下に展開される議論は、従来の意味での情報化社会論、現代社会論とは趣を大きく異にしている。また、本稿には、共同執筆の常として論述の展開にやや一貫性の乏しいところもあるなど、少なからぬ問題点も残っている。そのような問題点が、今後の課題として解決されるべきことは当然である。しかし、本稿の第一義的な目的は、ある意味で「偶然」の幸運によって実現した山形村というフィールドとの出会いを、新たな現代社会研究・情報化社会研究への足がかりとして、不十分ではあれ調査報告という形でまとめ、読者の批判を乞わんとするところにある。
 なお、今回の山形村調査に際しては、山田が主にホワイトバランス会、阿部と是永が主にトライズ・カンパニーを対象として、構成員への聞き取りと活動への参与観察を行うとともに、3名がそれぞれ機会を捉えて関係する行政側担当者などへの聞き取りや、資料収集を行った。また現地調査には、「情報化社会と市民の生活意識・行動の変化」研究班の代表者、児島和人教授も部分的に参加された。本稿の作成に当たっては、山形村の概況(I−1)とホワイトバランス会(II)に関しては山田、山形村の社会状況(I−2)と「地域」活動(I−3)に関しては阿部、トライズ・カンパニー(III)に関しては阿部と是永が、それぞれ第一次稿を作り、全員の議論の上で加筆修正を加えた。「はじめに」と「おわりに」については阿部が作った草稿に山田が大幅に手を加える形で共同執筆した。最終稿は、可能な限り全体的な統一を取りながら山田が作成したが、本稿の全体について三者は等しく責任をもつものと理解されたい。

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