コラム,記事等(定期刊行物に寄稿されたもの):2014

コラム「ランダム・アクセス」

市民タイムス(松本市).

2014/03/08 大雪の後始末.
2014/04/03 久々の浅間温泉.
2014/04/27 「怒られた」のか.
2014/04/29 途中下車ができる切符.
2014/05/20 サンデー・ドライバー.
2014/05/27 熊ではない「ベア」を求めて.
2014/06/18 博物館は「まちづくり」にも活かしたい.
2014/07/26 F君の誕生日.
2014/08/19 「小沢征爾音楽博物館」の夢想.
2014/11/16 セルフィー!.
2014/12/16 もふもふ.


2014/03/08 

大雪の後始末


 この二月、最初の大雪が降った八日には、翌日から沖縄出張を控え、何十年に一度の雪となった東京にいた。翌九日、羽田に赴くと、空港ロビーは人だらけ。飛行機のやりくりがつかず、出発時間が近づいても搭乗手続きが止められたままの便が多く、多数の乗客がロビーでの待機を強いられていた。欠航便も続出し、沖縄・那覇への便も間引き状態で、自分の予約便が飛ぶかどうか分からないまま、結局四時間以上待たされた。何とか出発したものの、那覇のホテルに到着したのは深夜だった。
 沖縄で調査をしている間に、今度は十四日に再び大雪が降った。直前に山形村の実家に戻っていた家内から、雪が大変で穂高の自宅へ帰れないという連絡が来た。とりあえず、出張から戻り次第いったん帰宅すると約束したのだが、十七日に東京へ戻ってみると、山梨県の被害が大きく、中央線は不通、高速道路は通行止め、一般国道も大混乱になっていた。
 結局、帰宅は断念。十九日に、家内が一車線で開通した中央道を走って東京へ出て来た。郵送される市民タイムスは、交通網の混乱で途中のどこかに溜まり、まとまって配達されたようで、四日分がまとめてやってきた。ようやく二十一日に、用事のあった伊豆を経由して帰宅の途についたのだが、深夜に到着した自宅の敷地は、二度の大雪が積もったままだった。
 とりあえず家内は休ませ、深夜一時過ぎから一時間以上をかけて、ようやく車一台分の雪をかき、道を塞いでいた車を自宅の敷地に引き入れた。汗だくになったのだが、トイレ以外の水道は凍結していてシャワーも浴びることもできなかった。この時期に家を空けていた方が悪いと言えばそれまでだが、水が使えないというのは本当に切ない。
 翌朝、義父母が道具持参で応援に来てくれ、四人掛かりで雪かきをした。駐車したまま雪に埋もれていた車を掘り出し、車二台を確実に駐車できるだけの場所を確保するまで、何やかやと数時間がかかった。ふだんの冬でも雪深い場所にお住まい方から見れば、この程度で情けないと思われそうだが、寒さはともかく、深い雪には慣れていない身には結構しんどかった。
 ちなみに、わが家とお隣りから公道までの接道の除雪は、わが家が不在の間にお隣りさんが単独で済ませていた。雪かきの後に改めてお詫びをしたが、申し訳ない限りであった。


2014/04/03 

久々の浅間温泉


 久々に浅間温泉に泊まった。最後に泊まる機会があってから十数年は経つと思う。地元にいると、いつでも行けると思って、わざわざ足を運ばない。以前、職場が(当時の)松商学園短期大学だった頃には、宴会などで浅間温泉へ行くこともあり、泊まりもしたが、職場が東京になってからは、そういう機会はなくなってしまった。
 当然といえば当然だが、久々に訪れた浅間温泉は、以前と変わらない風情のところもあれば、随分と印象が変わったところもあった。宿泊先を探してかつての松電浅間線の線路跡を進み、温泉会館の前を通過して突き当たりまで車を進め、右手に見えた案内板で宿を探した。案内板には、公共の宿なども含め、五十軒近くの旅館の位置を示す記号が記されていたが、そのうち二十軒以上は名称を白く塗り潰されていた。バブル後の景気低迷の中、経営が移ったり廃業したりと、旅館経営の難しさが、この案内板には刻まれてきたのだろう。
 宿に入った後、少し周辺を歩いたが、旅館だった建物が、そのまま住宅になっている家を見かけた。新築の建物で目についたのは、もっぱら一般の住宅だった。先ほどの案内板の近くにも、通り沿いに新築の住宅が並んでいた。歴史ある観光地とはいえ、最近は住宅地としての利用が増えているのだろう。
 今回泊まったのは、かつての老舗旅館をひと昔前に引き継いで経営している宿だった。部屋も施設も少々古びてはいるものの、よくメインテナンスされている。チェックインした時点で、部屋には既に布団が敷かれていた。普通の旅館では、夕食後に用意することが多いが、ホテルと同様に昼間に部屋の片づけと準備を済ませることで、人件費を圧縮できるのだろう。
 ひと風呂浴び、少し休んでから、食べ放題バイキング形式の夕食へ行く。宴会場には料理が並び、自分が食べるものを食べる量だけとる。飲み物は酒類も含めて飲み放題だ。実はこれも、典型的な旅館の宴会料理に比べると人手をかけない工夫であり、残り物として捨てる食物の廃棄を減らす策でもある。
 満腹になって休んだ翌朝は、最上階の大浴場でゆっくり風呂につかりながら、安曇野の自宅からの眺めとは異なる北アルプスの山々の姿を楽しんだ。風呂あがりに体重計に乗ると、昨日の夕食前に入浴した際に計った体重よりも1キロ半以上も数値が増えていた。やはりバイキングだった朝食後は、もはや体重計に上がる気さえなくなった。


2014/04/27 

「怒られた」のか


 女子学生たちとの雑話中、ふと引っかかる言葉があった。「この間、○○先生から怒られちゃって」、「あの先生にはよく怒られるんです」、「私、怒られてばっかり」といった具合に使う「怒られる」である。
 「怒られる」は受身の表現で、自分に対して相手が「怒る」状況を表している。「怒る」は、荒れた感情に身を任せ、「怒り」を露にすることを指す動詞である。教員も人間だから、喜怒哀楽が人前で表出する事もある。しかし、学生指導の局面で、特に「怒り」の感情が露になるなら、それは単に好ましくないだけでなく、優越的地位を利用したパワー・ハラスメント、教育研究環境におけるアカデミック・ハラスメントとして批判されるべき事態だ。
 しかし、学生の話し振りから察するに、彼女たちが「怒られた」という先生方は、別に彼女たちに「怒り」をぶつけたわけでも、感情的になったわけでもない。大方は、課題をきちんとやっていなかったり、手順を間違えた学生に、問題点を指摘して改善を促していただけのようだ。先生方は彼女たちを「叱って」いたのであり、彼女たちは「叱られて」いたに過ぎない。
 ではなぜ、「叱られた」ことを、「怒られた」と言ってしまうのだろう。
 「叱られる」ときには、自分に何らかの落ち度がある。しかし、「怒られる」のは、相手が勝手に「怒る」のであって、自分に非があるかどうかは棚上げされる。むしろ、感情に任せて「怒る」方が悪いのかもしれない。同じ局面を経験しても、それを「叱られた」と受け止めれば、自分の非を認め、反省することになるが、「怒られた」と受け止めるなら、自分のことはさておき、相手が勝手に感情的になっただけだと受け流せる。ストレスを背負い込まないためには、「怒られた」と思っておいた方が、精神的には楽なのだ。
 しかし、せっかく「叱って」もらったのに「怒られた」と受け止めていては、自ら反省し、一歩先へ進む機会を失ってしまう。件の女子学生たちには、「怒られた」と思ったときには、「本当は叱られたのかな?」を自分の中で反芻するように、と「叱って」おいた。
 それにしても、きちんと「叱る」のは難しい。「叱る」ときに少々厳しい口調になって「怒られた」と思われてしまえば、もう、こちらの意図は相手の心に届かない。「叱られる」側が「叱られた」と思えるような「叱り方」は、「怒る」ことなく冷静に模索し続けなければならない。日日精進である。


2014/04/29 

途中下車ができる切符


 JR東日本は、この4月から、韮崎駅から松本駅までの区間を、「大都市近郊区間」に加えた。JRにとって、松本は、東京大都市圏の「近郊」になったらしい。この告知のポスターは、前から駅で見かけていたが、最近、みどりの窓口でいろいろたずねて、以前との違いがようやく呑み込めた。要するに、「大都市近郊区間」になったことで、区間内の切符は途中下車ができなくなったのだ。
 勤務先の最寄り駅である東京の国分寺駅を起点にすると、松本駅までの料金は3670円。この区間は「大都市近郊区間」になったので、切符の有効期限は当日限り、途中下車はできない。従来は可能だった途中下車をうっかりしようものなら、下車した駅で切符は回収され、そこから先の分は使えない。つまり「下車前途無効」である。
 ところが、松本駅より少しだけ先までの切符を買うと、従来通り3日間有効で、途中下車もできる。国分寺駅からだと、篠ノ井線なら明科駅、大糸線なら柏矢町駅までは、松本駅までと同額の3670円だが、こちらは長距離切符であり、「大都市近郊区間」の範囲内の駅も含め、途中下車が可能になる。
 逆に、松本駅から中央本線経由で東京方面へ行くときには、普通に切符を買うと「大都市近郊区間」なので当日限り有効の途中下車できない切符になるが、みどりの窓口で、あえて北松本駅発の切符を買うと、従来通りの有効期間で途中下車できる切符になる。行き先によって料金が変わることもあるが、北松本駅発の切符を松本駅のみどりの窓口で買って、松本駅から乗り始めても、切符は有効である。何となく釈然としないが、ルールはそうなっている。
 いつもは「あずさ」で急ぐ旅の往復をしている中央本線だが、ときには先を急がず、普通列車を乗り継ぎ、信濃路や甲斐路の途中駅で下車して、駅周辺を一時間ほど散歩というのも乙なものだ。「下車前途無効」の切符では、旅の途中で思い立って次の駅で下車してみるのは難しいが、長距離切符ならそれができる。「途中下車の旅」は、贅沢な時間の使い方だ。
 ちなみに電車の中では、車での移動と違って居眠りもできるが、意外に集中して仕事ができることもある。特に、空いている普通列車の車内は作業がしやすく、ありがたい。これまでも、いろいろな原稿や書類の処理を電車の中でやって来たが、今回のコラムも、最初の下書きは普通列車での移動中にあらかた書いた。これも贅沢な時間の使い方かもしれない。


2014/05/20 

サンデー・ドライバー


 信州では、車は必需品だ。読者の皆さんも、日常の通勤や買い物で、毎日のように車を運転しておられるだろう。中には、成人していても運転免許をもっていない方や、ペーパー・ドライバーという方もおいでかとは思うが、数の上では少数派のはずだ。
 電車やバスなど公共交通網が充実した都会では、車なしでも不自由はない。また、駐車場の確保だけでも相当の費用を要するから、おいそれとは自分の車を持てない。かく言う私も、東京近郊で育ち、長い間、車を運転しようとは思わなかった。免許を取り、車に乗り始めたのは、松本へ来てから数年後、30代に入ってからであった。
 先日、昼食に入った店で、隣の席の人たちが「サンデー・ドライバー」の危うい運転に愚痴をこぼしていた。ふだん平日には運転の機会がなく、たまに休日だけハンドルを握る人を「サンデー・ドライバー」という。こういう運転者が多くなる休日には、スムーズな車の流れが乱され、渋滞になりがちだという。また、サンデー・ドライバーの運転技術は未熟で、ひとつ間違えると事故になりかねないという。いろいろと突っ込みを入れたくなる話だったが、熟練運転者の本音はそんなものなのだろう。
 5月はじめの連休中、松本平には、東京方面からも多数の車が流入していた。ハンドルを握る都会の人たちの中には、休日ドライブで慣れない長距離運転というサンデー・ドライバーも少なからずいたのだろう。しかし、わざわざ信州まで遠出してくる人たちの中には、趣味の休日ドライブに入れ込み、相当に運転経験もあって技量も高い人や、平日にも仕事や通勤に車を運転している人もいるはずだ。一方、未熟な運転者は地元にもいるし、ある程度経験のある者同士でも、感覚のズレから相手が一方的に悪いと思い込むこともある。観光客を迎え入れる地域に住む者としては、よそ者の運転に対して、寛容な姿勢が望まれるところだ。
 ちなみに、一部の国語辞書は「サンデー・ドライバー」を和製英語としているが、英語にも「Sunday driver」という表現はあり、ビートルズの歌詞にも出てくる。ただし、英語では、日本語とは意味が異なり、先を急ぐ必要がない休日のドライブのように、制限速度よりもかなり遅い速度で運転するドライバーを「サンデー・ドライバー」と言う。高齢の運転者を指すことが多いが、派手な改造車を見せびらかすために街中をゆっくり走らせる運転者もこう呼ばれることがある。


2014/05/27 

熊ではない「ベア」を求めて


 当然といえば当然だが、大学にも労働組合がある。そこそこの年回りということもあって、3年前に教職員組合の執行委員長を引き受け、お人好しが災いしてか、後任者が見つからず、4年目もそのまま留任している。
 近年、いわゆるベビーブーマー=団塊世代=全共闘世代が職場を去りつつある状況の中で、労働組合独特の用語も徐々に通じにくくなっている。例えば、「基本給賃金の引き上げ」を意味する「ベース・アップ」は、略して「ベア」といい「ベア要求」といった形で使うのだが、若い世代には「ベア」と聞いて連想するのは「熊」だけという人もいる。また、「ベース・アップ」という本来の意味を見失い、ついつい「ベア・アップ」と言ってしまう人も結構いる。
 先だって、組合関係の勉強会に出かけた際、「最近は大学もいろいろ<そうぎ>があって、組合の仕事も忙しくて」と愚痴をこぼしたら「ご不幸が続いて大変ですね」と返された、つまり「争議」を「葬儀」と勘違いされという笑えない話を聞いた。労働関係調整法は、「労働関係の当事者間において、労働関係に関する主張が一致しないで、そのために争議行為が発生してゐる状態又は. 発生する虞がある状態」を「労働争議」と定義している。雇っている経営者側が押し付けてくる不当な労働条件の変更に対して、労働法に定められた権利を踏まえて働く側の言い分を主張し、両者の話し合いで行き詰まってしまった段階で、労働者側が合法的な方法で打開を図っていく行動が「争議」である。
 争議の手段には、ストライキなどの実力行使も含まれるが、大学関係では、労働委員会へのあっせん要請や、各種の裁判が増えてきている。私が教員になった今から30年ほど前には、争議がある大学はごく一部の例外だった。それが今では、早慶をはじめ、有力な大規模大学でも労使交渉が紛糾して労働委員会や裁判に持ち込まれる例が数多くある。それだけ、大学の労働環境が、かつてないほど厳しい、世知辛いものになってきたということであろう。
 私立大学の春闘は、一般の民間春闘よりペースが遅く、本番はこれから。幸い、今のところ勤務校は争議状態ではないので、待遇改善が軸となる通常の春闘交渉を行なう。今春闘は、安倍首相が財界に積極的な賃上げを求める異例の展開となっている。もう何年もベア・ゼロが続く中、組合員の期待を背負って交渉にあたる委員長としては、肩の荷を例年になく重く感じながら、熊ではない「ベア」を求めて取り組んでいる。


2014/06/18 

博物館は「まちづくり」にも活かしたい


 11日付の紙面で、松本市立博物館の移転先選定問題の記事を読んだ。松本城の入口にある市立博物館は老朽化が進んでいるが、史跡である現在地では再建築できず、移転先を決めて新たな施設を建設する必要がある。ところが、その用地選定が難航しているのだ。「松本駅と松本城を結ぶライン上で探す」という当初方針が難しくなり、「あがたの森」周辺も「選択肢に含めて研究する」ことになったそうだが、水面下で適地を探し、地権者と折衝する担当者をはじめ、関係者の苦労は相当のものであろう。
 松本市民でもない自分があれこれ言うのは差し出がましいとは思うが、この際、将来の来館者のひとりとして、関係者に望むところを記しておく。
 新たな博物館の場所を検討する際には、何よりまず、来館者の利便性を考えてほしい。車でのアクセス、駐車場の用意、また、徒歩でアクセスする来館者への配慮は、特に市街地内に施設を構える際にはいずれも避けて通れないが、このうち、車への対応が車寄せや駐車場などの施設の問題に還元されるのに対して、徒歩による来館者への対応は、立地が直接大きく影響する。
 集客力を発揮し得る博物館は、潜在的には人の流れを変える力も秘めている。その意味で、最も望ましいのは、周辺の既存諸施設と博物館が有機的に結びついて回遊性をもつことであり、歩いて回れる「まちづくり」に、博物館が貢献するような場所への立地であろう。
 博物館は、社会教育、生涯学習の場であり、学校教育との連繋も重要な施設である。だからこそ教育委員会の管轄下にあるわけだが、同時に優れた博物館は、市民の教養的なリクリエーションの場であり、観光客を集める観光資源にもなる。博物館の立地は、観光振興や「まちづくり」といった文脈にも十分に考慮して適地を求めてこそ、予算の有効な使い方だ。
 また、例えばひとつの工夫として、小規模な「分館」を人通りの多い市街地の中に設けて、収蔵品の展示機会を広げるとともに、博物館の存在をアピールするといった策も、積極的に検討してほしい。「松本駅と松本城を結ぶライン上」に、博物館本体を置くことは難しくても、注目を集めやすい形で「まちなか分館」を置くことは、十分に可能であるはずだ。
 最終的な移転先がどこになるにせよ、新しい市立博物館が、市民にも、観光客にも好ましい「まちづくり」に活かされることを期待したいと思う。


2014/07/26 

F君の誕生日


 昨年の初夏、旧友のひとりが既に亡くなっていたことを不意に知った。そのF君とは、十年近く前に会ったのが最後だったと思うのだが、記憶ははっきりしない。中学、高校と6年間を同期生として過ごし,その間に何度か同級生にもなったし、何度もご自宅にお邪魔し、ご家族とも懇意にしていた。大学は彼が遠方へ進学して別々だったが、旅の途中に、何度も彼の下宿に図々しく転がり込んだ。しかし、互いに家庭をもった頃からは、徐々に疎遠になっていった。F君のご両親がいち早く亡くなり、妹さんも嫁がれ、消息はもっぱら同窓会経由で知る程度になっていた。
 昨年のある日、メールが舞い込んでいるのに気づいた。インターネット上のソーシャル・ネットワーキング・サイト(SNS)であるフェイスブックから発信された、知り合いの誕生日が近いことを知らせ、ページを見るよう促すメールだった。もちろん誰かがそのメッセージを書いて(打ち込んで)いるわけではなく、自動的に送信されてくるものだ。そこに列挙された名前の中にF君を見つけ、何気なく彼のフェイスブックを見に行った。そして、既に彼がその半年ほど前に他界していたことを知った。
 フェイスブックの彼のページには、彼の事を知る、しかし私は知る由もない、彼の仕事仲間たちからのメッセージがいくつも寄せられていた。生前の彼と一緒に撮った写真など、画像もいろいろあった。写真に残された、最晩年のF君の紳士然とした、しかしどこか生気のない表情は、見ていて切なかった。
 フェイスブックに限らず、SNSの類は、利用者登録して、アカウントを取得し、自分のページを作成した後でも、自らの意思で削除できることが多い。しかし、当人が死去してしまうと、後からページを閉じる事は、なかなか難しい。私たちがネット空間の上に残すコメントや画像は世界中に公開されている、という話はよく言われるが、時間軸に沿って見直せば、書き込んだことを忘れているような些細な書き込みも、システムとしてのインターネットが続く限り、自分の死後にも消されることなく、永々と残る可能性が高いのだ。
 近年、インターネットでは「忘れられる権利」や「デジタルタトゥー」をめぐる議論が盛んだ。かつては「人の噂も七十五日」だった人間の記憶力や時間感覚も、インターネットという新たな環境の中で、変化しつつあるのだろう。
 フェイスブックからは、今年も、彼の誕生日を知らせるメッセージが来た。


2014/08/19 

「小沢征爾音楽博物館」の夢想


 1992年以来の歴史を重ねてきた「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が、来年から「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と改称されることになった。これまでも、名称にはいろいろ議論があったが、「セイジ・オザワ」の名が正式名称に冠されることは、小澤氏と松本の結びつきがそれだけ強固なものとなってきたことの証しでもあろう。
 もともと松本は、小澤氏の出身地でも、特段の縁があった土地でもない。サイトウ・キネン・フェスティバル松本を展開していた小澤氏と、少なからぬ反対論の中で市民芸術館建設を推進し、その活用策の目玉がほしかった当時の有賀正市長の思惑が、奇跡的な化学変化を引き起こし、その後も、紆余曲折の中で育ってきたのが、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」である。
 しかし、年輪を重ねる中で、小澤氏と松本の結びつきは、徐々に周りから見ても堅固なものとなってきた。2011年には、松本駅前に、菅谷昭市長が揮毫した「学都」、田部井淳子氏による「岳都」とともに、小澤氏の「楽都」の文字を掲げた時計塔が除幕されたが、これも小澤氏と松本の結びつきを、目に見える形にする象徴的な出来事であった。
 来年度からのフェスティバルの名称変更に寄せて、この際、ひとつの提案をしたい。何年もの時間をじっくりかけてよいから、松本に「小沢征爾音楽博物館」を開設することを、各方面に検討していただきたいのである。小澤氏の令名を知り、フェスティバルに関心をもっている音楽愛好家は、地元にも全国各地にも多い。しかし、メーン・イベントのチケットは入手困難なプラチナ・チケットとなってしまうので、実際にフェスティバルで小澤氏の音楽に直接触れることができる人は、実は思いのほか限られている。また、松本へは、一年を通して観光客がやって来るが、現状では、期間外に来た観光客にフェスティバルを紹介し、次はぜひ参加したいと思わせるような展示施設などはない。
 小規模であっても、小沢征爾について、フェスティバルについて、あるいは、齋藤秀雄や、信州と音楽の伝統的な結びつきについて、音楽博物館として質の高い展示が設けられれば、フェスティバルの期間に限らず、一年を通して多くの人々が足を運ぶことだろう。「楽都」松本を象徴する施設のひとつとして、教育にも、観光振興にも寄与し、市民にも、観光客にも愛される、素晴らしい音楽博物館ができあがるはずだ。


2014/11/16 

セルフィー!


 夜の大糸線。車中は立つ人がほとんどいない程度で、さほど混んではいなかった。とっぷりと暮れた後で、車窓からは人家の灯りが見えるだけ。少しウトウトしかけたところで、不意に後方から「カメラのシャッター音」が聞こえて、目が醒めた。
 「パシャ、パシャ」という音の間隔がやがて短くなり、遂には「バシャバシャ」と連写する音になった。思わず振り返ると、数人連れの若い女性たちが、自分たちの姿をスマートフォンで盛んに撮影していた。スマホをもった片手をいっぱいに伸ばして、自分たちの姿を撮影する、いわゆる「セルフィー」、「自分撮り」である。スマホで撮った写真は、すぐに知人にメールで送ったり、SNSやブログでネット上に公開もできる。スマホを操作している様子もあったから、彼女たちはさっそく車内でのセルフィーを世界に発信していたのかもしれない。
 「シャッター音」と書いたが、そもそもデジタルカメラや携帯電話には、動作音が生じるシャッターは付いていない。つまり、機械の仕組みとしては、撮影する際に音は生じないのに、わざわざ電子的に「シャッター音」が鳴るように作られているわけだ。これには、撮影のタイミングを直感的に把握できるといった使い勝手への考慮とともに、盗撮などに悪用されることを防ぐ意図がある。スマートフォンには、このシャッター音を小さくするアプリもあるが、スマホを寝かせた状態では使えない。これは、女性のスカートの中を盗撮するといった悪用を防ぐ配慮である。
 もっとも、盗撮にあたるのは、そればかりではない。例えば電車の車内で居眠りをしている姿も、断りなく撮影してそのままネット上に公開すれば、肖像権の侵害になり得る。車内で他人の姿を撮影していれば、制止されて当然だろうし、たとえセルフィーでも「バシャバシャ」と派手にシャッター音をたてれば、不審に思われて振り返られても文句は言えない。
 セルフィーに夢中になる若者たちの、自分や友だちの姿を愛しく思い、たくさんの青春の記憶を記録したいと願う気持ちは、大事にしてやりたいが、大勢で騒ぎながら車中の撮影会となるのは、傍若無人に過ぎる。さりとて、他人を堂々と撮影しているわけではないから、わざわざ席から立ち上がって注意するほどではない気もする。どうしたものかと逡巡しているうちに、彼女たちは楽しそうにおしゃべりの花を咲かせ続けたまま、途中の駅で下車していった。


2014/12/16 

もふもふ


 年末らしく、今年の流行語などが話題になる時期になった。新語・流行語大賞が4件も出て、流行語が大当たりだった昨年とは違って、今年は一世を風靡した流行語が見当たらない。先だって発表された今年の大賞候補の中で、有力らしい「ダメよ~ダメダメ」にしても、実は最近まで、そのネタをテレビで見る機会さえなかった。また、この言い回しからは、森進一の『年上の女』を連想してしまう。自分の感覚が、それだけ時流に遅れているということだ。
 ところで、世間一般の流行語とは無関係に、最近たまたま、自分の身内の間でにわかに流行している言葉がある。「もふもふ」という擬態語である。この表現を意識したのは今年になってからだったが、最初は意味がよく分からなかった。皆さんは、この語感がお分かりになるだろうか。
 「もふもふ」は、特に小さい愛玩動物などの柔らかい毛や羽が空気を含んでふくらんでいる様子を指したり、それに触れて感触を楽しむことを意味しているらしい。転じて、性的な含意をもつ場合もあるようだ。インターネットで画像検索してみると、子猫や子犬、ウサギ、ハムスター、ヒヨコなど、ふんわりと柔らかい毛に包まれた、愛くるしい小動物の姿が多数ヒットする。
 どうしてそう言う意味になるのか、などと考えるのも無粋の極みだが、「もこもこ」とか「ふわふわ」といった既存の擬態語から連想が働くのだろうか。あるいは、「毛布」とも無関係ではないかもしれない。
 少し調べてみたところ、国立国会図書館データベースでは、2006年以降に、「もふもふ」を題名に含む小説などがヒットする。また、2009年に出た『みんなで国語辞典2あふれる新語』という本では、犬の毛などふわふわしたものが塊になっている様を指す表現とされていたようだ。同じような意味で、「まふまふ」という言い方もあるらしい。いずれにせよ、「もふもふ」が、ここ数年の新語であることは間違いない。
 日本語は、擬態語、擬声語といったオノマトペ表現が豊富な言語であるとされている。次々と現れては消える新語が、時代の雰囲気を反映したものであると考えるなら、柔らかく、ほのかに温かい生き物の感触を愛でたいという気持ちが、「もふもふ」には込められているかもしれない。内向きに、目の前にある、小さな心地よい感触を求める気持ちは、ぎすぎすした世の中のつらさに背を向けたくなる心情の反映なのだろうか。



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