コラム,記事等(定期刊行物に寄稿されたもの):2012

コラム「ランダム・アクセス」

市民タイムス(松本市).

2012/04/26 GIS.
2012/07/15 週末の一「小」事.
2012/09/12 市議会の生中継.
2012/11/08 「人質」に取る.
2012/12/28 ふたりの新人議員.


2012/04/26 

GIS


 先だっての市民タイムスの1面で、松本市役所が庁内のGISの統合を進めるという記事が目にとまった。記事の中では「地図情報システム」という言葉で、GISが説明されていた。
 GISといっても何のことか、ピンと来ない方も多いと思う。少々乱暴に説明すれば、これまで何枚もの紙の地図で表現されていた様々な情報を、コンピュータの中に凝縮して取り込んだものがGISである。1枚の紙の地図に、それが表現する範囲の地域について分かっている地理的情報すべてを書き込むことはできないし、情報を無理矢理詰め込めば、地図には無数の情報がびっしり書き込まれて、必要な情報を見つけ出しにくくなる。そこで、情報をコンピュータに格納しておき、必要なときに必要な情報だけを組み合わせて地図として取り出したり、統計として集計しよう、という仕組みがGISである。
 GISは、英語の「ジオグラフィカル・インフォメーション・システム」の頭文字をとった略語だ。素直に訳せば「地理情報システム」である。だが、この用語は、当初から「地理情報システム」と訳すか、「地図情報システム」と訳すか議論があり、結局、頭文字のGISという表現が最も簡潔ということで一般に普及している。具体的な地域に関する「地理」情報を、「地図」の形で取り出すGISは、今日では行政や、電力、ガス、電話、ケーブルテレビなどライフライン系の公共性の高い民間企業の業務に欠かせない技術になっている。
 これまで何枚もの紙の地図を使って、見比べたり、重ね合わたりしながらやっていた作業は、GISの普及と性能向上によって格段とやりやすくなって来た。同じ市役所の中でも、部局によって異なるデータが蓄積されている状態から、基礎的情報が共有されるようになれば、例えば、どこにどんな建物があるのかといった情報と、介護など福祉の支援を要する住民の分布を重ね合わせて、防災体制の強化に結びつけるデータを得る、といったことがやりやすくなる。
 GISは「地図」を作る仕組みに留まるものではなく、地図を出発点に地域の姿をより具体的なデータで把握し、「地理」を適切に理解するための道具である。その意味では、どう訳しても構わないとは思いつつも、単なる地図作成、地図表示のシステムと誤解されかねない「地図情報システム」よりも、「地理情報システム」の方がふさわしい訳語ではないかと個人的には考えている。


2012/07/15 

週末の一「小」事


 週末のある晩、一人で穂高の自宅にいた。スチール製の古い本棚を組み立て直す作業中に、手が滑って右手の親指を切ってしまった。たちまち血が流れ、肘までしたたりかかる。慌ててティッシュで血を拭き、左手で救急箱を開けて絆創膏を貼ったが、血はとまらない。絆創膏自体が血に染まり、結局は粘着が効かず、すぐ貼り替えざるを得なくなった。大きな傷ではないし、痛みもほとんどないが、とにかく血がどんどん流れてくる。案外深手かも、と考えると心細くなり、思い余って119番に電話した。
 事情を話し、救急車は不要だが当番医を教えて欲しいと頼む。すると、外科は相澤病院とのこと。以前、家人がやはり夜遅くに担ぎ込まれ、お世話になった病院だ。今夜は家人不在で、自分で運転して行くしかない。血だらけでベトベトの絆創膏をもう一度取り替え、その上からガムテープを巻き、電話での助言通り傷口を心臓より高くして右手で頭に触りながら、ほとんど左手一本でびくびく運転した。
 何とか病院に到着し、受付へ。ここは24時間救急対応の拠点病院なので、ロビーは人でいっぱいだ。お年寄りは多いが、子どもも、外国人の一家もいる。しばらくしてトリアージュに呼ばれ、傷口を見てもらう。幸い、出血はあらかた止まっていた。しかし、血圧が極端に高い。もともと高血圧症で薬も呑んでいるが、測ると上が二百以上。表面上は冷静でも、気は動転しているようだ。
 やがて若いドクターに呼ばれ、処置室へ入る。ドクターは傷口を洗浄して確認し、「応急措置でちゃんと血が止まっているんで、これ以上の処置はいりません」と言ってくれた。安心というか気が抜けるというか、大いにほっとしたが、「大丈夫だとは思いますが、もし体調が悪くなるようだったら、外科医にいってください」とも念押しされる。外傷の感染症は、内科医ではなく外科医に行くべきだと教えられた。
 お礼を言って処置室を出て、しばしロビーで待ち、最後に会計に呼ばれる。本人負担分は1960円なり。駐車料金100円と合わせて2000円余り、小さな経験から学ぶ授業料である。とりあえず大きな痛みはないので、帰路にはきちんと両手でハンドルを握った。
 後日、事の顛末を家人に話したところ、そういうときは相談センターに掛けるのだと叱られ、電話番号を教えられた。何歳になっても学ぶ事は多い、と思ったのだが、実はその番号、東京など一部だけのもので、松本ではまだ導入されていないと後で分かった。半可通は危うい。


2012/09/12 

市議会の生中継


 市民タイムスの配布圏には、ケーブルテレビが普及している市町村が多い。大町市から木曽郡まで、ケーブルテレビがないのは北安曇郡南部と東筑摩郡北部の町村だけだ。もっとも、地域によって普及率は様々で、ケーブルテレビ未加入の世帯も多い。しかし、ケーブルが来ておらず、入りたくても入れない、という地域は少ない。
 ケーブルテレビの役割のひとつは、自主放送チャンネルで地元市町村のローカルな情報を視聴者に伝えることだ。ケーブル各局は、地域のイベントや学校行事などの番組を日々制作、放送し、地域の歴史を記録している。
 そうした番組の中でも、市役所や町村役場の広報番組や、市町村議会の中継などは、必ずしもよく見られる番組ではない。しかし、それが放送にのって、少数でも地元に強い関心を持った地域住民に達することは、住民に開かれた行政や議会にとって大切だ。
 ところが松本市には、ケーブルテレビに加入していても、松本市の情報が入りにくい地区がある。ケーブル各局の事業区域は、市町村合併などの経緯から市町村域と必ずしも一致していない。かつての梓川村は、松本市への編入合併前から、あづみ野テレビの事業区域に入っていた。当然ながら、あづみ野テレビの自主放送チャンネルは、もっぱら安曇野市の情報を流す。安曇野市議会は生中継されるが、松本市議会の中継はテレビ松本が編集したダイジェストが放送されるだけである。一方、テレビ松本の自主放送で流れる内容は、事業区域内にある塩尻市、山形村、朝日村でも視聴可能だ。隣のまちで視聴可能な松本市議会の生中継が、市内で視聴できないというのは何ともせつない。
 テレビ松本が制作した生中継の番組を、時間帯を変えて、短縮せずに、あづみ野テレビで放送することは、技術的に可能だ。それにどれ程の予算が必要かは分からないが、大した金額ではなかろう。この際、安曇野市民にも松本市の広報や松本市議会の中継に接する機会を拡大し、広域行政における松本市の立場に理解を深めてもらうのも悪いことではない。当局者のやる気次第で、自治体広報は改善される。
 ちなみに、同じ問題は塩尻市の一部にもある。テレビ松本は塩尻市議会も中継しているが、北小野・勝弦地区は諏訪のLCVの事業区域になっている。


2012/11/08 

「人質」に取る


 原稿執筆の時点で、国会はまだ赤字国債発行法案(特例公債法案)の審議に入っていない。この法案について、とりあえずは、テレビや新聞の報道や、インターネット上の解説記事を読んでいただきたい。一言だけ個人的な感想を述べるなら、野田首相が今国会の所信表明演説で「悪弊」と呼んだ事態は、権力の相互牽制による暴走の阻止のために必要な機制であり、これを「悪弊」と言い放つ姿勢だけでも、首相としての資質を疑いたくなる思いがする。
 さて、今回取り上げたいのは、この一件の報道を通して盛んに聞かれる「人質」という言葉についてだ。「法案を人質に取って政局にする」といった言い回しは、新聞記事の中でも当たり前のように見かけるし、政治家たちの発言の中でも頻繁に口にされている。こうした用法は、現代の日本語において正しい表現として広く受け入れられ、定着しているということであろう。
 しかし、お手元の国語辞典で確認していただきたいのだが、「人質」はヒトについて使う表現であって、本来はモノについて使うものではない。モノについては、単に「質(しち)」と言えばよい。モノの代わりにヒトを「質」に取るから「人質」なのであって、ヒトではない法案を「人質」と呼ぶのは、比喩表現としてはあり得るとしても、奇妙な表現であるはずだ。
 現代の日本人が、これを奇妙だと思わない理由のひとつは、「質」という表現が、日常生活の中であまり使われなくなっているせいかもしれない。キャッシングやローンの意味は知っていても、「質草」、「質入れ」、「質流れ」といった言い回しの意味を知らない若者は少なくない。かつては質屋と、質流れ品を中心に扱う古物商がセットになった店舗をよく見かけたが、今ではすっかり目立たない業態になっている。質屋の代わりに、一時はサラ金と通称された消費者金融業者の店舗が街に溢れたが、そのサラ金もいつの間にか整理淘汰されて銀行系列へと再編されている。これも時代の流れである。
 「人質」を「質」に改めたところで、「法案を質に取って政局にする」のは確かにけしからぬことだ。しかし、「国民生活を質に取って」あるいは「国民を人質に取って政権の延命を図る」ことは、それ以上に許しがたい。地方公共団体が、地方交付税の交付の遅滞によって借金を強いられるという異常な状況の責任は、誰がどう取るのであろう。


2012/12/28 

ふたりの新人議員


 師走の総選挙で、長野2区からふたりの新人代議士が誕生した。
 小選挙区で当選した自民党の務台俊介氏は56歳。松本深志高校から東京大学へ進み、自治省に入った。早くから政界への転進を求める声もあり、豊科町長や長野県知事の候補者にと取りざたされもした。国政に初挑戦した二〇〇九年の選挙では8万票近くを獲得したものの、民主党に吹いた「風」を受けた下条光康氏の16万票近い記録的な得票の前に敗れた。落選後、務台氏は、大学教授に転身し、選挙区をくまなく歩いて地道な票の掘り起こしに努めた。
 日本維新の会の百瀬智之氏は、29歳。松本深志高校から中央大学へ進み、さらに上智大学の法科大学院に学んだ。つまり、司法試験を目指した訳だが、その志は果たせなかった。しかし、帰郷し、行政書士、学習塾経営者として地域に根を下ろす中で、二〇一二年に入ってから、維新の会の政治塾に参加し、地元で同志を集めて活動を始めた。立候補は公示直前に決まったが、小選挙区で務台氏、下条氏に次ぐ5万票近くを獲得し、比例代表北陸信越ブロックで最後の議席に滑り込んだ。一年前には、ご自分でも想像しなかったような成り行きであろう。
 政党も異なり、年齢も親子ほど異なる務台氏と百瀬氏だが、いったん当選すれば国会議員としては対等だ。与えられた場で、代議士として存分に活躍されることを期待したい。しかし、先走りして次の選挙のことを考えると、両氏はそれぞれに危うさも抱えている。
 務台氏は小選挙区で勝ったが、得票数9万3千票は、2区の歴代当選者では最も少なく、落選した前回からの上積みは1万4千票ほどしかない。務台氏の勝利は、民主党への逆風で下条氏が票を失い、浮動票が百瀬氏に流れたり、棄権に回った結果だ。もし非自公がまとまる対立候補が出たり、公明票が離れれば、たちまち足場は揺らぐ。
 一方、百瀬氏が「惜敗率」を上げ、比例で復活できたのは、務台氏が大勝ちしなかったおかげである。今後、務台氏が官僚出身、即戦力の新人議員として実績を挙げれば、次の選挙で務台氏の得票が伸び、「惜敗率」の分母は大きくなる。務台氏を上回る勢いで票を積み上げなければ、次回の選挙で百瀬氏が比例当選するのは難しいものと覚悟すべきであろう。
 ちなみに、三期続けた議席を守れなかった下条氏は、務台氏と同じ56歳。まだまだ老け込む歳ではない。捲土重来を期すところがあろう。


 用字用語の観点から整理段階で文章に手が入ったようで、実際に紙面に掲載されたものと、提出原稿ではいろいろ食い違いがあります。上記は提出原稿によるものです。



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