コラム,記事等(定期刊行物に寄稿されたもの):2007

コラム「ランダム・アクセス」

市民タイムス(松本市).

2007/01/29 「あけましておめでとうございました」.
2007/03/26 仙台土産といえば.
2007/04/06 大学生の就職活動.
2007/06/04 格安の散髪.
2007/08/17 どこでも無料のインターネットを.
2007/09/21 語呂合わせの日.
2007/10/25 孫子(まごこ)の時代.


2007/01/29 

「あけましておめでとうございました」

 正月気分も抜けてきた一月半ば、年が明けてからは初めて顔を合わせた職場の若い同僚に「あけましておめでとうございます」と挨拶したら、笑顔で「あけましておめでとうございました」と返された。もちろん冗談半分ではあるが、もう「おめでとうございます」という気分ではない、という感じを、文末の過去形で表しているらしい。
 この表現をインターネットで検索してみると、使用例がいろいろ見つかる。まだ当分は不適切な、誤った表現と見なすべきかもしれないが、あと五十年、百年後には、立派な時候の挨拶になっているかもしれない。
 松本大学の松原健二先生によると、「おめでとうございます」という日本語は、どんな慶事にも使える便利な言葉であり、一つの英語で置き換えることができないそうだ。和英辞典で「おめでとうございます」の訳とされる congratulations は、誰かが何かを(多くの場合は努力の結果として)達成したことを祝う言葉であり、正月などの年中行事や誕生日など、時が経てば巡ってくるものには使えないという。
 また、結婚式のお祝いで congratulations を使ってお祝いを言うと「苦労したようだけど、頑張った甲斐あってようやく結婚できたね」という意味になり、花婿には言えても、花嫁には失礼になるらしい。もっとも、最近は男女差が小さくなってきて、気にしない人も増えているそうだ。
 以前、ドイツ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、母語はドイツ語だが日本語も話せる男の子に、「あけましておめでとうございます」と挨拶したら、「ありがとうございます」と返されたことがある。少々びっくりしたが、いい育て方をしているなと思った。
 お正月のように年中行事の場合は、特に努力をしていなくても誰もが「おめでたい」当事者だから、「おめでとうございます」には「おめでとうございます」と返す訳だが、そちらの方がむしろ例外であり、普通は「おめでとう」と言われたら「ありがとうございます」と返すものだ。しかし、これがちゃんと言える人は意外に少なかったりする。
 「めでたい」という慶事であることを表す日本語は、「愛でる」つまり「愛する」とか「可愛がる」という意味と結びついている。おめでたいことは、愛すべき、嬉しいことなのだ。正月だけでなく、普段の生活の中にもっともっと「めでたい」ことを見つけていけるような感性は、「おめでたい」と揶揄されることもあるかもしれないが、結構大切であるように思う。


2007/03/26 

仙台土産といえば

 唐突だが、東北の杜の都、仙台の土産物といえば、何を思い浮かべるだろうか。
 先だって、研究会で仙台へ出かけた。仙台は、学会などで訪れる機会が多い都市の一つだ。子どもの頃の家族旅行を別にすれば、初めて仙台を訪れた時はまだ学生だった。金銭的な余裕はなく、東北大学の学生だった級友を頼って、夜行急行「八甲田」の(寝台ではなく)自由席で出かけた。二十六年ほど前のことだ。以来、二十回以上は訪れている。
 当時は、東北新幹線の大宮・仙台間の開通(一九八二年)の直前だったが、その後、新幹線は盛岡、八戸へと伸延し、山形、秋田へも路線が広がった。今や仙台は新幹線で東京から二時間足らず、東京からの時間距離では松本より近い。松本からでも、長野、大宮を経由して新幹線で行くと四時間半ほどで着いてしまう。随分と便利になったものだ。
 仙台駅の駅ビルは、新幹線開通に備えて建てられたもので、この三十年近く雰囲気はほとんど変わっていない。しかし、様変わりしたものもある。その代表格が、駅の売店に並ぶ土産物だ。
 改札口を出ると、広いフロアに地元各社の「笹かまぼこ」売り場が並んでいるのは、以前と大差がない。しかし、土産物売り場で「笹かまぼこ」以上に大きく扱われている「ずんだ餅」と「牛たん」は、昔はなかった。ちゃんと調べたわけではないが、「ずんだ餅」と「牛たん」は、ここ十数年の間に扱いが拡大した新興の土産物であるようだ。かつて「笹かまぼこ」と並ぶ定番だった和洋菓子類は、新興勢力の陰で少々分が悪そうに見える。
 「ずんだ餅」は枝豆を潰して作る明るい緑色の餡を、あんころ餅にしたものである。「ずんだ」は東北の伝統的な甘味で、おはぎや、団子などにすることもあるが、もともと保存に向かず、作ったその場で食べるものであった。これが一挙に土産物として台頭した背景には、保冷技術の普及があった。駅の売店で「ずんだ餅」を買うと、保冷剤の有無を確認するために持ち帰りに要する時間を確認されて「三時間後が食べ頃です」などと言われる。洋生菓子を買う時のような感じだ。
 一方、「牛たん」が土産物の定番になれたのは、真空パック包装のおかげである。もともと仙台には「太助」という牛たん定食の有名店があり、私も学生時代から足を運んでいる。しかし、仙台土産として「牛たん」が大きく取り上げられ、いくつものメーカーが現れたのはそんなに古いことではない。
 「ずんだ餅」や「牛たん」は、イメージ戦略の成功例でもあるのだが、それまで保存が難しかった地元の味覚を容易に持ち帰れる土産物に仕立てた技術的な工夫も重要だった。信州の味覚の中にも、鮮度が命でなかなか土産物にできないが一工夫すればヒットしそうなものが、まだまだ隠れているのかもしれない。


2007/04/06 

大学生の就職活動

 私自身が学生だった三十年近く前、大学生の就職活動は四年秋の十月一日が「解禁日」で、それまでは各社の人事関係者との接触は原則禁止が建前だった。もちろん当時も、春先から各種の就職セミナーがあり、志望企業に勤めている先輩に個人的に会いにいく「先輩訪問」も盛んだった。しかし、それでも就職に向けて動き出すのは四年生になってからが普通だった。
 その後、空前の「バブル景気」や、平成不況の「就職氷河期」を通過して、大学生の就職活動は大きく様変わりした。近年では、三年生の秋頃から動き始め、早い者は三年生のうちに内定先が決まっていく。他方では、なかなか内定をもらえず、数十社から百社を超える企業に足を運んで、ようやく卒業間際に就職先が決まる四年生もいる。さらには、就職未決定のまま卒業して活動を続ける者もいるし、これに、新卒での就職後すぐに離職した「第二新卒」や、変則的に大学を「九月卒業」するグループが加わる。大卒者の就職活動は、「通年化」してきたと言われている。
 先だって、卒業式の夜に、ゼミの卒業生と在学生を交えて、年度末の打ち上げコンパをした。わがゼミの今年の卒業生には、ごく普通に就職先が決まっている者のほかに、進路未決定のままの者もいるし、通常の就職活動をせずに、自分の夢を追って創作活動に打ち込む者もいる。
 コンパの席では卒業生を送り出す側の三年生にも、早くも就職先を確保して内定通知を受け取った者もいれば、既に十数社に挑戦しながら苦戦している者もいる。また、今回卒業せず、留年する者の中には、内定をもらいながら卒業できなかった者もいる。悲喜こもごもというか、本当に皆それぞれである。
 こうした大学生の就職事情の変化には、かつて高度成長期を支えた「大量生産」の体制から近年の「多品種少量生産」への移行が、影を落としている。ある時期に四年生が一斉に就職活動を横一線で展開するという形は失われ、今では四年生も既卒者も、また秋以降は三年生も加わって、就職活動が展開される。就職の形態も、正社員以外に、契約社員や派遣社員など、多様な形態が新卒者にも広まってきた。
 就職選抜が本質的に、一種の勝ち負けをつける競争である以上、就職活動の通年化にせよ、雇用形態の多様化にせよ、「勝ち組/負け組」を二分し、格差を引き離す方向で作用することも、ある程度までは避け難い。しかし、学生の進路設計における選択肢の多様化が、どこかできちんと「再チャレンジ」に結びつくのであれば、そこに見いだされる意義は大きいはずである。就職活動に取り組むすべての若者が、その経験から何かを学び取って成長し、それぞれ社会貢献の場を見出せることを祈りたい。


2007/06/04 

格安の散髪

 私は、あまり床屋に行かない。髪が伸びて少々うるさくなると、風呂場の鏡の前で、自分で鋏を使って髪を短めに誤摩化してしまう。髪型には無頓着なので、それで何とかなってきた。
 先日、きちんとした身なりで写真を撮る必要があって、珍しく散髪をする気になった。そこで、新宿に近い某所にある、前から気になっていた格安の床屋に出かけた。この店は、カット専門で、ひげ剃りも洗髪もマッサージも何もしてもらえない。その分、料金は格安だ。サービスを絞り込んでコストを抑えた、いわば理容業界の価格破壊者である。
 店に着いてドアを開けると、店内には席が二つ、理容師さんが二人で、うち一方の作業が終わりかけているところだった。順番待ちの客は男性が一人だけ。ところが、その先客は順番が来て立ち上がったものの、カットしかしないと聞くとそそくさと店を出て行った。おかげで私は、すぐに席へ案内された。
 席は(背もたれの角度や高さが変わる)床屋独特の固定椅子ではなく、どの家庭にもありそうなシンプルな背もたれつきの椅子だった。洗髪用の洗面台はなく、目の前は大きな鏡だけ。腰を下ろすと、型通りに希望の髪型をきかれ、短めにと答えた。バリカンで刈り上げるか確認され、不要と答えると、さっそく鋏の音がし始めた。
 理容師さんは、手際よくバッサリと髪を落としていく。細かい作業も含めて、十分くらいでカットが一通り終わった。普通なら、洗髪となるところだ。これで終わりか、と思っていると、理容師さんは青い消毒灯の点いたケースから、ブラシ状の何かを取り出した。すぐには合点がいかなかったが、それは吸引機(要するに電気掃除機)のホースの先に付ける吸引口だった。
 ウィーンという吸引音とともに、頭にブラシが押し付けられた。理容師さんは、左手で髪の形を整えながら、右手に持ったブラシつきの吸引口を操る。切り落とされ、頭部に付着した髪を吸い取る仕掛けである。奇妙な感じはしたが、なかなか快適でもあった。
 この後、仕上げの鋏を入れておしまい。きちんと計ったわけではないが、ほんの十数分で終わったように感じた。最後に紙おしぼりを渡され、これで消費税込み一〇五〇円也。国内で払った散髪代としては、記憶にある範囲で一番安かった。
 帰宅後、風呂で髪を洗ったが、散髪した直後なのに、短い髪の切り落としはほとんど出なかった。しっかり吸引されていたのだ。洗髪の代わりに吸引するというのは、掃除機と同じかと思うと多少の抵抗感はあるが、確かに合理的な方法なのだろう。今はまだ物珍しくても、近未来の床屋では、この方法がもっと広まるのかもしれない。


2007/08/17 

どこでも無料のインターネットを

 先月上旬、バルト三国のひとつエストニアの首都タリンを訪問した。タリンは中世から歴史に登場し、バルト海の交易の中心地として栄えたハンザ同盟都市だ。旧市街は世界遺産に指定されている。
 エストニアは、人口百四十万人ほどで、長野県のほぼ三分の二、面積は長野県のおよそ三分の一しかない小国だ。第二次大戦後、ソ連の一部になっていたが、一九九〇年前後の体制変革を経て、一九九一年に独立を回復した。独立を機に政治指導者は大幅に若返り、経済面では西側の資本が大量に流入した。
 大きな変化の波の中で、携帯電話やインターネットなどのIT技術も独自の発展を遂げている。携帯電話をセンサーにかざして駐車場料金を精算する独特のシステムが普及していたり、携帯電話の利用者位置情報が交通管制などに積極的に利用されていたり、地元関係者の話に驚くことがいろいろあった。
 印象深かったのは、無線インターネットへの無料の接続は基本的人権の一部だ、という議論だった。これは市民運動家などの主張ではなく、政府の政策の説明の中で使われていた言葉である。
 市民の「知る権利」を公平に保証するためには、金銭負担なしにインターネットを利用できる状況が、都市でも農村部でも確保されなければならない。そして、どこでも無料のインターネットを提供するためには、無線技術の活用が不可欠になる、というのである。
 実際、タリン滞在中、公共交通機関のターミナルやホテルのロビーなどあちこちで、自参したパソコンから何の手続きもせずに無料で無線インターネットに接続できた。文字通り「どこでも」とまではいかないが、公共の場所で少し探せば、無線の電波を拾えることが多かった。
 日本でも、エストニアの例と技術的な裏付けは異なるが、同様の無料無線インターネットの普及を進める「フリースポット」という取り組みがある。これは、集客の一助にしたい宿泊施設などが参加しているほか、自治体など公共団体が積極的に参加している例もある。一部では、市役所や図書館などへの導入例も増えつつある。
 松本周辺では、ホテルからペンションまで様々な宿泊施設にフリースポットがあり、信州まつもと空港や穂高町商工会でもサービスが提供されている。しかし、例えば新潟県弥彦村や県内の志賀高原で、自治体も積極的に関与して一歩踏み込んだ整備が進んでいるのに比べると、浸透は今ひとつだ。
 フリースポットのようなサービスは、今後、遅かれ早かれ、電気や水道と同様に社会基盤となっていくだろう。エストニアのように、それを「基本的人権の一部」と位置づける時代も、意外に遠くはないのかもしれない。


2007/09/21 

語呂合わせの日

 千歳橋で「信州・松本そば祭り」のディスプレイを見かけた。以前にも、同様のものを見た気がするが、改めて眺めていて、木製の掲示板に木の枝で記された「十月八日は木の日です」という文字が印象に残った。
 思うに、日本人は「○○の日」が大好きである。もちろん諸外国でも、歴史上の出来事の記念日や、偉人の誕生日、宗教上の祭礼の日などには、大々的な行事をする。しかし、語呂合わせや言葉遊びで日を定める「○○の日」が多いのは、日本的というか、他国で余り例を聞かない特徴のようだ。
 語呂合わせというのは、三月三日が「耳の日」、八月七日が「鼻の日」という類のことである。調べてみると、前者は一九五六年に、後者は一九六一年に日本耳鼻咽喉科学会が定め、それぞれ耳や鼻の健康に関する啓発行事を展開するようになったものだ。
 語呂合わせによる記念日は、さほど普及していないものも含めると無数にある。少し列挙してみるが、何月何日か、頭の体操だと思って見当を付けていただきたい。囲碁の日、ふぐの日、ふとんの日、みつばちの日、ヨットの日、ゴミの日、露天風呂の日、質屋の日、納豆の日、焼き肉の日、野菜の日、救急の日、クリーニングの日...これでも、まだまだごく一部だ。
 中には、十一月一日を無理矢理「ワンワンワン」と読んで「犬の日」など、少々駄洒落が苦しいものもあるが、日本人は数字と文字を結びつけるのが得意で、また大好きなのだろう。なお、五月六日を「語呂合わせの日」にしようという目立った運動は存在しないようだ。
 十月八日が「木の日」というのは、「木」という漢字を「十」と「八」にばらしたものである。類例には、国土交通省が定めた十月一日の「土地の日」などがある。同じ発想で、全国農協中央会は、十月の第一土曜日を「土の日」定めている。
 また、「米」は「八十八」と読み替えられるが、いろいろな団体が八月八日や八月十八日、あるいは毎月八のつく日などを「米の日」と定めている。
 文字の形と同じように、数字の形から連想されたものもある。例えば、十一月十一日は、文字の形から「鮭の日」、また電極や磁石のプラスとマイナスを連想して「電池の日」や「磁気の日」なのだが、同時に、数字から歩いた跡を連想して「下駄の日」、洗濯して干している様子から「靴下の日」でもある。菓子メーカーの江崎グリコが、同じ発想で自社製品を宣伝していることは、よく知られている。
 ちなみに、埼玉県の川口市は「川口の日」を定め、市のPRに使っている。これは市制施行など何かの記念日ではなく、「川口」という文字から定められた日である。何月何日のことか、おわかりになるだろうか(難しければ、「川口」を横書きにしてお考えください)。


2007/10/25 

孫子(まごこ)の時代

 福田康夫首相の父、福田赳夫は、一九五〇年代から八〇年代に活躍した大物政治家だった。早くから将来の首相と目されたが、田中角栄らライバルとの政争もあり、なかなか首相になれなかった。ようやく一九七六年に首相となり、七八年まで政権を維持した。首相退任後も影響力をもち続けたが、八六年に派閥を安倍晋太郎(安倍晋三前首相の父)に譲り、九〇年の総選挙で長男の康夫を後継者として引退した。福田親子は、憲政史上初の親子首相である。
 福田親子を含め、佐藤栄作(安倍前首相の大叔父)以降の歴代首相二十人には、面白い傾向がある。大平正芳、海部俊樹、村山富市、森喜朗の四人を除く十六人は、宇野宗佑までの八人と、宮澤喜一以降の八人とで、異なる特徴があるのだ。
 実は、九〇年代以降の日本の首相は、(村山と森を除く)八人全員が、国会議員の子か孫だったのである。いわゆる「七光り」「二世議員」だ。八人のうち四人は現職代議士だが、亡くなった宮澤喜一、橋本龍太郎、小渕恵三は、いずれも身内(子や甥)が後継者として議員となっている。そこには、「二世議員」が、さらに世襲を続けようとする傾向が見て取れる。ただし、引退した細川護熙(母方祖父が近衛文麿)は、身内を後継者にしなかった。
 一方、八〇年代までの首相には、国会議員の子や孫は一人もいない。佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑は、皆「二世議員」ではなかった。しかし、この八人の首相は、いずれも身内(実子、兄弟、娘婿など)が議員となった。つまり、自身は「二世」ではなくても、「二世」を生み出す「七光り」の光源になったのである。
 最初に例外とした四人、つまり、大平、海部、村山、森は、「二世議員」ではないし、身内が議員にはなっておらず、世襲とは無縁だ。もっとも、海部、森の二人は、まだ現役であり、後継がどうなるかは分からない。
 ついでながら、福田首相と自民党総裁選で争った麻生太郎は、母方祖父の吉田茂をはじめ、多数の有力政治家の血を引いている。また、民主党の小沢一郎党首は「二世議員」、鳩山由紀夫幹事長は「四世議員」である。菅直人代表代行は「二世」ではないが、その長男は選挙に落選したことがあり、世襲と全く無縁な訳でもない。
 議員の世襲は必ずしも悪いことではない、という議論もある。しかし、民主主義の理念からすれば、政治家の子が政治家になりやすいという状況よりも、社会の多様な階層から政治家が輩出する状況の方が好ましいはずだ。
 ちなみに、長野県選出の代議士五人のうち、「四世」の小坂憲次をはじめ四人は世襲で、例外は五区の後藤茂之だけだ。参院議員も一人が「三世」で、残る三人のうち、一人は父が県会議員だったから、世襲と言えないのは二人だけということになる。
   (文中敬称略)

この話題について、最初に触れた掲示板への書き込み(2007.09.15.)を復元しておきます。

田中角栄以降の歴代首相について、身内に国会議員がいるかどうかをちょっと、調べてみました。記号は次のような意味です。

 ◎父親が衆院議員であった者
 ○父親は衆院議員ではないが、祖父が国会議員であった者
以下、直系の父祖に国会議員がいなかった者のうち
 ※自分の身内(実子、兄弟、娘婿など)を衆院議員の後継者とした者
 ▲自分の身内が国会議員となった者(後継者ではない)
 ◆自分の身内が国会議員となっていない者

◎安倍晋三...父=外相、父方祖父=衆院議員、母方祖父=首相(岸信介)、母方大叔父=首相(佐藤栄作)、弟=参院議員
◎小泉純一郎...父=防衛庁長官、父方祖父=逓信相
◆森喜朗...(特になし)
◎小渕恵三...父=衆院議員、次女=衆院議員<後継>
◎橋本龍太郎...母方祖父=貴族院議員、父=衆院議員、次男=衆院議員<後継>、(参考:弟=高知県知事)
◆村山富市...(特になし)
◎羽田孜...父=衆院議員、長男=参院議員
○細川護熙...母方祖父=首相(近衛文麿=貴族院議員)
◎宮澤喜一...母方祖父=司法相、父=衆院議員、弟=参院議員、甥=衆院議員<後継>
◆海部俊樹...(特になし)
※宇野宗佑...娘婿=衆院議員<後継>
※竹下登...異母弟=衆院議員<後継>
▲中曽根康弘...長男=文相(参院議員)
※鈴木善幸...長男=衆院議員<後継>、娘婿=外相
◆大平正芳...(特になし)
※田中角栄...長女=衆院議員<後継>、娘婿=衆院議員
※福田赳夫...長男=官房長官<後継>、弟=参院議員
▲三木武夫...三女=参院議員
※田中角栄...長女=外相<後継>、娘婿=参院議員

ついでに、このお二人について同じように見ていくと、こうなります。

◎◎◎◎麻生太郎...父=衆院議員、義父=首相(鈴木善幸)、母方祖父=首相(吉田茂)、父方曽祖父=衆院議員、母方曽祖父=外相...その先のご先祖にも大物政治家あり、義弟=衆院議員
◎福田康夫...父=首相(福田赳夫)、叔父=参院議員

ちなみに、もっとついでの余計なお世話です。
◎小沢一郎...父=衆院議員
◎◎鳩山由紀夫...父=衆院議員、父方祖父=首相(鳩山一郎)、父方曽祖父=衆院議長、弟=法相
◆?▲?菅直人...息子が選挙に出馬〜落選

政界の世襲化ははっきり進行しているということです。
私はよいこととは思いません。



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