私的ページ:山田晴通
山田への「実際にあった質問」(RAQ)
Really Asked Questions to H.YAMADA
山田への質問を歓迎します。また、ご意見もお待ちしております。
こちらまでメールをお寄せ下さい。
このページでは、メーリングリストや掲示板のやりとり、さらには直メールのやりとりで、山田に実際に問いかけられ、応答した質問を紹介しています。このページにある質問はいずれも実際のやりとりに基づいていますが、質問者の諸権利やプライバシーを保護するため、必要な加工をしていることをお断りしておきます。また、山田の回答も、語句を修正したり、文体を整えたり、大幅に加筆をしている部分を含むことを御了解ください。
目次では新しい質問を先に挙げていますが、ページの中では逆になっています。
- 2024年の質問
- 2006年の質問
- 2005年の質問
- 2004年の質問
山田個人に関する質問については、山田への「よくある質問」(FAQ)もご覧ください。
東京経済大学に関する質問については、 東京経済大学についての「よくある質問」(FAQ)をご覧ください。
- Q:受験生で地理に興味をもっているのですが、東京の私立大学で地理学が学べるのはどこでしょうか?
- A:私立大学には、地理学教室は決して多くありません。特に、ある程度まで理系的な、自然地理学についても学べるところとなると、限られてくるのが実際です。
ある程度以上の規模のまとまりがある、自然系も含めた総合的なしっかりした地理学科がある首都圏の私立大学としては、
- 明治大学文学部
- 法政大学文学部
- 日本大学文理学部
- 駒沢大学文学部
- 専修大学文学部
- 国士舘大学文学部
- 立正大学地球環境科学部
などがあげられます。以上はだいたい偏差値の順になっていると思います。ほかにも見落としがあるかもしれませんが私立はこんな感じです。
この他にも地理学科や、それに準じた学科はありますが、たとえば立教大学文学部の地理学科は、文化人類学に大きくシフトしていて、同じ立教なら観光学部の方が、地理っぽい内容がある、といった細かい事情もあります。
古今書院という出版社が出している『地理』という月刊誌があります。これは、高校の地理の先生で購読している方もいると思いますし、大きな公共図書館などに入っていると思いますが、これには連載記事で大学の地理教室案内が載っています。
また、日本地理学会のサイトには、(私立大学だけではないですが)日本のおもな地理学教室のページへのリンク集があります。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ajg/links/www-domestic.html
いずれにせよ、私立大学を中心にねらうとしても、国公立大学も受けるようなつもりで勉強しておいた方が、結果的にはよい方に向かうと思います。
頑張ってください。
(2004.03.11.)
- Q:戦前の地域紙に関心をもっていますが、関係する文献はどこにあるのでしょうか?
- A:戦前の新聞は、免許/登録制度があったために、実際に発行されていたかどうかはともかく、免許を得ていた/登録していた社が、どこにあり、何という名だったかは、記録が残っています。
詳しくは、拙稿「昭和初期の長野県松本市における小規模日刊紙」
http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/99mo.html
の参考文献を御覧いただきたいのですが、当時の状況を全国的に俯瞰する資料としては、当時の新聞関係業界の年鑑類(復刻版が出ている)があります。また、日本新聞協会が1956年にまとめた『地方別日本新聞史』には、各県の歴史が簡潔にまとめられています。
また、各県の県史に、新聞に関するまとまった記述があることもよくあります。
まず、こうした一般的な資料から入り、地域に残っている独自の資料なども交えながら調べていくと、いろいろ興味深い発見があると思います。特に、戦前の地域紙は現物が残っていないことが多いので、断片的であれ紙面が見つかれば、いろいろと議論できることが出てくると思います。
とりあえず、地元の大きめの図書館で、郷土資料として何かないか、参考係(レファレンス)で尋ねてみて下さい。
(2004.05.06.)
- Q:学部4年生ですが就職が決まりません。留年するべきか、卒業して就職活動をするべきか、大学院に進むべきか、どうしたらよいでしょう?
- A:「就職浪人する(卒業するにせよ、留年するにせよ)くらいなら、大学院の修士課程に進学した方がいい」
と私は思っています。これは、一種の「究極の選択」としての話です。
最初から博士課程への進学は考えず、いい職に巡り会えばすぐに大学院をやめて就職するつもりで、修士課程1年から就職活動をする方が、就職浪人するより履歴の見栄えがよいからです。
また、例えば、東京経済大学出身者が東京経済大学の院に進む場合は、院の入学金を含めても、留年するより若干安い学費で済みます。一般的にみても、大学院の学費は学部より安いことが多いですし、出身大学の大学院に進学する場合、入学金の減免制度が多くの大学にあります。
履歴に空白があることを嫌う日本社会の習慣からいって、卒業して所属がなくなったりフリーターになるよりは、大学院生になっている方が好ましいはずです。留年は、翌年にも新卒扱いで就職活動ができる、という意味ではそれよりましですし、大学院の入試に合格する必要もないわけで安易に選択できますが、単位の修得状況から就職浪人であることはすぐに判断されますし、無傷の新卒よりもハンデを背負うことに変わりはありません。また、翌年も思うようにいかなかったときもう後がないことになります。
文科系の大学院生が就職活動をする場合、修士課程修了見込みであっても、学部新卒に比べて特段有利にはなりません。しかし、留年生や既卒者、またいったん就職したものの短期で離職し、再就職を求めるいわゆる「第二新卒」などと比べて不利に扱われるということはありません。最初から、就職活動の延長戦というつもりで大学院に進学する場合は、修士1年の時から就職活動を行い、アルバイトの選択なども就職に結びつくところを求め、もし機会があれば学業を中断してでも就業するつもりで、職場を探すべきだと思います。なお、修了に必要な単位は確実に1年のうちに修得し、2年目には論文の提出だけで修了できるようにしておけば、理解のある職場に巡り会った場合には、就職した後に、社会人として学業を継続し修士課程を修了できる場合もあります。
しかし、そのような緊急避難として大学院へ進むことを考えている人によく理解しておいてほしくいことは、本来、大学院は学問をしたい人が損得抜きで進学するところだ、ということです。
中には、きちんとした業績を上げて、大学教員や研究員などの職につける人も出てくるでしょうが、それは厳しい競争の結果です。また、いわゆる「専業非常勤講師」として厳しい生活をしながら、研究を続けている人も少なくありません。もちろん、博士課程まで進みながら、評価される業績を残すことができず、学問の世界から消えていく人も多いはずです。
要するに、損得抜きで好きな学問をしたい、という人だけが、大学院に身を置くことを自分に人生の糧とできるということです。
(2005.01.03.)
- Q:大学院を受験するのですが、学力が不足していると自覚しています。どうすればよいでしょうか?
- A:近年では大学院を設けている大学が増え、また収容定員も増加してきた結果、かつてよりも大学院は入りやすくなりました。これは、難関大学からそうでないところまで、どこでも見受けられる現象です。いわゆる「偏差値」的な評価がさほどでもない大学から、「偏差値」的にはかなり上位の大学の大学院へ進学する例も増えており、しばしば「学歴ロンダリング」などと揶揄されるようになっています。要するに、大学院に入学すること自体は、たとえ上位校であっても、さほど難しいことではなくなっています。
大雑把に整理すると、一般的に大学院の試験は、足切り的な試験と、より実質的に専門の知識や研究計画などを問う試験とに分けられます。
前者は、語学力と基礎学力試験で行われるのが普通です。文科系の場合、昔は第二外国語の力がかなり必要でしたが、昨今では英語がしっかりできていれば大丈夫です。基礎学力試験も、知識が全くないと仕方がありませんが、むしろまともに解けない問題にどう頑張ってしっかりした答案を書くかが大切であったりします。つまり、あくまで足切りですから、正解が書けないと思ったときでも、自分はまともな文章がかける、ということをアピールする場だと考えて答案を書くことが大切です(そうすれば中間点がもらえる可能性があるからです)。
後者においては、最終的に指導教員となる教員の意向が合否の決定に大きく影響します。簡単にいえば、指導教員となるはずの教員が「この学生は引き受けられない」と言えば、不合格になるのが普通ですし、逆に少々試験の成績が見劣りしても、指導教員が「何とか合格にして下さい」と言えば、合格になる可能性が高いと言うことです。
あなたが現在の自分の学力に不安がありながら、大学院を受験するのなら、前者の対策として基礎学力(特に英語の読解と日本語の文章表現)を少しでも鍛えることと、指導を希望する教員に事前に(できるだけ早く)相談にいって、自分の意志を伝えるとともに、アドバイスをもらうということが絶対に必要です。もし、教員が自分の事(意欲や学力)を評価してくれないようなら、かなり厳しいと覚悟しなければならないでしょう。また、何かアドバイスめいたことを言ってもらえるようなら、それに沿って勉強するということが必要です。また、大学院を受験するなら、複数の大学の大学院の資料を取り寄せ、それぞれの教員と話をする機会を作り、受験の機会も複数持つというくらいの準備はしてほしいところです。
東京経済大学のコミュニケーション学研究科の場合、前者に当たる試験は英語と簡単な論述です。これはあくまでも足切りですから低空飛行であっても、とりあえずまともな文章になっていないとか、英語が全然できないとかいうことでない限り、何とか次へ進めます(例年、ここで落とされる人は数人に1人です)。後者にあたるのは専門に関係した論述と面接です。
後者で不合格となる人の多くは、事前に教員に会っていないようです。また、私自身が希望指導教員に指名されたときの経験では、せっかくその人の卒業論文の題目を考慮して専門の論述問題を作成したのに、ほとんど白紙同然だったという受験生もいました。これでは合格にしようがありません。
(2005.01.03.)
- Q:靖国神社についてどう思っていますか?
- A:私は日本遺族会に加わっているような、いわゆる「遺族」ではありません。私の父方の祖父は士官学校出身の職業軍人でしたが、太平洋戦争時には既に退役であり、戦争末期に志願して老兵として戦地(比島)に渡ったものの、戦後は生きて帰ってきました(もっとも、帰国後一年ほどで病死しましたが)。つまり、戦死はしなかったのです。
しかし、祖父のみならず、(その上司で義父となった、父方の祖母の父である)曾祖父をはじめ、父方には職業軍人であった人々が少なからずいますから、日本の軍事的な歴史については、比較的関心を持って育ちました。防衛大学校を受験したのも、単なるシャレではありません。父方の親族に、日清・日露で戦死した人がいたかどうかは調べていませんが、いなかった可能性が大きいと思います(いれば口伝がありそうです)。しかし、父方のそのまた先祖には勤王方に立って明治維新で落命した人がいますから。少なくとも靖国神社の立場から見れば、私自身も靖国と無縁ではありません。これは私の意志とは無関係にそうなっていることです。
一方、私自身は、カトリック系の中等教育を受けたことへの反発もあって、信仰は何ももっていません。しかし、家族など身近な人たちが、それぞれに(別々の)信仰をもつことは否定しないようにしてきました。つまり、私を祈伏しようということなら反論しますが、本人が少々怪しげなことになっていても、基本的には干渉しないよう心がけてきました。
私自身、信仰はありませんが、寺社仏閣へ参拝するといったことは習俗の範囲と思ってやってきました。観光気分でとはいえ、中学生の頃から奈良方面を旅行して、寺を訪ねるのは好きでしたし(ちなみに、みうらじゅん氏とは同世代です)、結婚式はカトリック式で行い、子供の氏子入り、七五三、等々は神社でお祓いをしてもらいました。
さて、靖国神社は、私にとっても先祖への敬意を示す場の一つですが、毎年熱心に通うという対象ではありません。しかし、たまたま近くまで来て時間があれば、足を運んできました。ならせば数年に一度くらいでしょうか。ここに先祖が祭られているのか、という思いと、私自身が産まれる前に亡くなっていた父方の先祖の職業と強く結び付いた場所だという思いがあってのことです。単に足を運ぶだけでなく、賽銭を投じることもありました。しかし、子供の氏子入りなどのときのように、玉串料を支払ってお祓いを受けるというきにはなりません。これは、私が「遺族」ではないということも大きく影響しているのかもしれませんが、それ以上に神道の信仰心をもたない(もちえない)者として、一種の欺瞞であるように思えるからです。
靖国は近代国家としての大日本帝国が、国内の宗教を支配していた時代に、国家の機構として作られたものです。私は、大日本帝国憲法をいただく社会より、現行の日本国憲法の下にある社会の方が、よい社会であると思います。信仰の自由は、他者に迷惑をかけない限り、最大限に保証されるべきです。また、国家は信教に対して中立でなければなりません。首相であれ、議員であれ、本当に信仰心から英霊を慰めようという気持ちがあるのなら参拝をするのは自由です。
しかし、行政的公職にあるものは「公式参拝」をすべきではありません。これは憲法違反です。同様に、司法上の公職にある者は公式参拝はすべきでないと思いますし、立法府である国会の場合、一般職員や、議長などの役職者は、政治的中立性を要求されますから、やはり公式参拝すべきでないと思います。ただし、個々の国会議員は、政治的中立性を要求されない存在ですから、議員として肩書き付きで記帳し「公式参拝」だと主張してよいと考えています。もちろん信教の自由も支持していますから、一貫して誰に対しても私的参拝には反対をしていません。
また、見落とされがちなことですが、本当に信仰心から英霊を慰めようという気持ちがあるのなら、靖国だけでなく、地元の護国神社にもしかるべく参拝すべきであるはずです。政治家の中には、靖国には参拝しても、地元の護国神社は参拝していない人もいるようです。そうした態度は、ダブル・スタンダードですし、そうした人たちの靖国参拝は、スタンドプレーであるように思えます。
国を護る、ということの意味を、もっぱら軍事的な局面だけで語るというのは間違いです。1930年代の日本の指導者たちは、国を護る、どころか国を大きく傷つけたのです。靖国の英霊の大多数は、国家の意向によって、(多くの場合は国外の)戦地、そして死地に向かわされた一般の国民です。彼らの存在を忘れないために、靖国はあるのです。しかし、戦争によって命を落としたのは戦地の兵士だけではありません。日本軍によって殺された敵国の戦闘員も非戦闘員も、日本国内の銃後にあって空襲で、原爆で、焼き殺された人々も、みな戦争の犠牲者であり、その犠牲の上にわれわれの現在があるという意味では同じことです。靖国だけが戦争の悲惨と愚行を思い起こさせる場所ではありません。むしろ靖国は、軍事史を肯定的に教育する場所という側面をもっている点では、特定の立場性に基づいた偏りのある場所だと言うべきでしょう。
現在の観点から、国を護るということを考えれば、戦後の日本を国際紛争の現場に投げ込まなかった吉田茂のマキャベリズムこそが、真の意味でこれまで国を護ってきたのです。真に国を護るということが、どういうことなのかを考えずに、軍事的な威勢の良さをもてあそぶミリタリズムは、亡国の道でしかありません。
戦没者の慰霊のために新たな施設が必要だという議論がありますが、私自身は、現行の武道館の式典と千鳥ヶ淵墓苑の整備で十分だと考えています。そして、靖国神社は、自由意志から崇敬する市民によって支えられ、一宗教法人として栄えていけばよいのです。靖国神社の国家護持という議論もありますが、これだけ政府支出を圧縮し、様々なものを市場原理に委ねようとしているときに、新たに国庫から資金を投じ、国家護持(いわば特殊法人化)を考えるというのは、いろいろな意味で時代錯誤です。
(2005.12.27.)
- Q:肉食はいけない!というヴェジタリアンの主張についてどう思いますか?
- A:結論から言えば、私は誰かがヴェジタリアンであることに異を唱えもしませんし、そうした人々が自分の信念を主張し、宣伝することの自由は当然尊重されるべきだと思います。
しかし、私自身は、ヴェジタリアンの主張は、特定の世界観ないし価値観に基づいたものであり、ある意味では欺瞞的であると思います。
動物が、(石油など化石化した素材からタンパク質を合成するといった方策は別として)植物であれ動物であれ他の生命の捕食によってしか生きながらえない以上、たとえヴェジタリアンであっても殺生をしていることに変わりはありません。
歴史的にも、また同時代的にも、地球上には様々な食文化があります。諸文化の中には、食べてよいもの/わるいものの境界線も様々に異なって引かれます。それは文化の違いでしかありません。ある人にとっては、人間以外の動物は食べてもよいものでしょう。犬の虐待や狗肉の料理には抵抗を感じても、牛や豚なら肉を食べて平気という人は多いと思います。野生動物を食用とすることには反対しても、最初から食肉用に繁殖させたものはよいという人もいます。また、ある種の文化は(一定の条件の下で)食人を許してもいました。
要するに、これらの文化は、ただ違っているだけであって、何かが何かに優越しているというわけではありません。
その上で、人類社会は普遍的価値として「人権」を尊重するという共通の文化を育もうと努力しているのです。今日では、文化伝統であるという理由で、食人が許容されることはありません。
ヴェジタリアンの人たちは、この場合の「人間」を拡張して「動物一般」としていきたいわけです。また、その手前には、狗肉食などを野蛮と考える動物愛護的な発想の人々もいます(こうした人々の中には、自分と関係のない人間の命を軽視する発言をするような人まで含まれています)。「ペットは家族であって、犬猫は食べるものではない」という感覚です。
以前、どこかの国が、エビのおどりぐいを禁じ、人道的な(エビに無用の苦痛を与えない)処理=殺害の仕方の普及に努めているという話を読んで呆れましたが、そうした感覚も同じ発想の延長線上にあるものと言えるでしょう。
所詮われわれ人間も動物の一つに過ぎず、他者の命を奪うことでしか生き長らえない、という「業」とでもよぶべきものに謙虚になることは必要だと思います。しかし、ある種のヴェジタリアンはその「業」を避けられると考え、また避けていると思いこむことで、自分にある種の免罪符を与えてしまっていて、一種の傲慢さを持っているように思います。
例えば、ヴェジタリアンであっても病気になれば医者にかかるでしょうが、私たちは、医薬品の開発過程で、また医師や医療技術者の養成課程で、無数のモルモットが殺戮されている恩恵に浴していることから自由にはなれないのです。
(2006.01.25./2006.04.29./2009.02.17.)
- Q:自分には断固たる将来の夢があり、それは大学で学ぶ学問とは全く関係がありません。学費を負担している親は、授業へ出席し、単位を取って、留年せずに卒業するのが当然だと思っています。しかし、現状では、一度単位を落として必修科目の再履修を含めて、授業には全く出席していません。このまま、アルバイトや自分の将来のためになることに専念してはいけないでしょうか?
- A:大学は高校までとは違います。あなたには授業に出る権利はあっても義務はありません。単位を取得する機会を与えられる権利はあっても義務はありません。あなたが長期欠席しても、大学は親を呼び出したり、家庭訪問したりはしません。また、あなたの人生はあなたのものであって、親御さんのものではありません。
あなたの本当の選択は、
1)「断固たる将来の夢」のために「アルバイトや自分の将来のためになること」をして「再履修を含めて、授業には全く出席し」ないという自分の生き方を貫くか、
2)親の意向を尊重して「断固たる将来の夢」を曲げてでも、親孝行するか、
という選択です。もちろん、これは二者択一でもなく、中間もあるでしょう。つまり、
3)親にはちゃんと大学へ行っているふりをしつつ自分の将来の夢に向かって進み、単位をきちんと揃えて卒業するという道です。
1)を選ぶなら、つまり、「断固たる将来の夢があり、それは大学で学ぶ学問とは全く関係が」ないのなら、すぐに大学を辞めるべきです。もし、学費が自己負担だったら、あなたはとっくに大学を退学しているのではありませんか?
学問は、自分が本当にそれを必要だと思ったらやり直せばよいのです。今、学費を無駄にしていることは、親不孝ではないですか?
2)を選ぶなら、自分自身のことを我慢しても、親の気持ちを尊重して親孝行するのだというつもりで、万が一にも留年などせずに要領よく卒業することです。しかし、こちらを選ぶと、あなたの「断固たる将来の夢」をあなたの親御さんが認めてくれない限り、この先どこかで親御さんの意向に反する行為に出るか、親御さんを説得するというしんどいことをしなければならないのは同じです。さもなければ一生親の期待に応え続ける孝行息子でいることに、自分の人生の意義を見いださなければなりません。
3)は、不可能とまでは言わないまでも、それなりに無理を重ねないと難しい方向です。具体的なことは、あなたの残単、基礎学力や要領の良さ、友人関係などがわからないので何ともいいにくいですが、これまでこうした方向で行こうとした先輩方の多くはそれを貫徹できませんでした。
つまり、
1)は親と対立してでも独立して自己責任で生きるということ
2)は親を大事にして家族の一員として生きるということ
3)は要領よく立ち回る術を駆使して生きるということ
になります。
どれを選ぶかは自分の人生ですから、自分で選んでください。もちろん、それぞれに伴うリスクは自己責任で引き受けてください。
おそらく現実的に一番よいのは、あなたの「断固たる将来の夢」をあなたの親御さんが認めてくれるよう、説得し、納得してもらった上で、きちんと大学を辞めることだと思います。これであれば、もしあなたが何年か経って大学へ戻りたくなったときに、親御さんに支援してもらえる可能性が残るかもしれません。あなたの「断固たる将来の夢」が本物であれば、あなたのもっとも身近な理解者である親御さんを説得することは不可能ではないはずです。
それが上手く行かないとすれば、それは、あなたと親御さんの関係が、いつまでもそれにしがみつくべきではない状態にまで悪化してるか、あなたの「断固たる将来の夢」が他者には説得力のない儚いものだということです。もちろんそうであっても夢を追う自由があなたにはあります。
逆に、親御さんとのきちんとした話し合いを避け続け、大学は留年し続け、自分の夢も中途半端にしか成就せず、その責任を自分で引き受けずに、親御さんや大学など、自分の環境のせいだと思い込んで自分を慰めるようなことになれば、最悪です。
夢は大いに追うべきだと思います。しかし、夢を追うことにはリスクもあり、それを引き受けるのは自分自身だということさえきちんと了解していれば、もし、今の夢が上手く行かなかったとしても、その段階で前向きに次に向かって進めます。中途半端になって挫折し、他人のせいにしているようでは、その先はありませんし、そもそもそういう考えでは、できるはずのこともできなくて当然だと思います。
(2006.11.25./2007.03.20.)
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