私的ページ:山田晴通
山田が聴いている音楽(CD)
(2006年)
山田は、ポピュラー音楽についていくつか文章を書いていますが、聴いている音楽の内容は、決して専門的だったり、マニアックだったりということはなく、浅く広く、表層的です。
好きな音楽、コメントすべき音楽について触れていくときりがないので、ここでは、研究室で山田がかけているCDの紹介を中心に、山田がふだん実際に聴いている音楽を、近況報告風に紹介していきます。
CD紹介は、書き込みが新しい順に並んでいます。( )内は、レーベルと発売年月日です。
このページでは、2006年に書き込んだ内容を保存公開しております。
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2006年
- 2006.05.21.記:フレンチ・カリビアンの涼風
- TANYA ST-VAL『ZOUK A GOGO』(HENRI DEBS:1989.--.--.)
カリブ海のフランス海外領土グアドループ島出身の歌姫タニヤ・サン・ ヴァルの初期作品集。80年代にワールド・ミュージックがブームだった頃に、こうしたフレンチ・カリビアンのダンス音楽は「ズーク」という名で広く知られるようになった。実はこのCD、よくわからないままクズ値で中古屋さんから買い、結構長いこと車に載せてよくかけていたのだが、明るい、ちょっとペラペラした感じのある軽い音は、ドライブのBGMとして随分楽しめた。
この項を書くために少し調べてみたのだが、このアルバムは、1986年と1988年に出たアルバムから再編集したもので、広く流通し、「ズークDEゴーゴー」なるタイトルで邦盤も出ていたようだ。手元にあるのは輸入盤で、邦盤より1曲収録曲が少ない(邦盤の最後の曲がボーナス・トラックのようだ)。
□TANYA ST VAL-ズークの恋人:花房浩一さんの1991年の文章
□ZOUK その華麗なる世界:
- 2006.02.26.記:絶滅危惧種?の最先端
- 村中靖愛『Steel Steel Steel』(PEDAL:2005.12.--.)
枕詞のように「今では演奏する人が少なくなった...」と紹介される楽器、ペダル・スティール・ギターの若手プレイヤーの自主制作盤。2月19日のイベントで、村中が参加しているバンドSwinging Doorsでの演奏や、共演したThe Bucketeersとの演奏などを聴く機会があり、その場で購入したソロCDである。一応「PEDAL001」と番号があるが、レーベルとして「PEDAL」があるのかどうかは、この盤を見る限りではかなり怪しい。一応、ソロアルバムという体裁だが、基本的にはギタリスト横山弘之との共同作業で録音されている。
ペダル・スティールといえば、ハワイアンとカントリーで多用され、その外側にはなかなか出て行かない楽器だ。村中の演奏は、ハワイアン色を感じさせる曲(Slide Land(2))もあるものの、基本的にはカントリー寄りだが、そこから別の音楽へ突き抜けて行こうとする感覚がある。5曲で15分足らずのミニ・アルバムは、あっという間に終わってしまうが、もっと聴きたいと思わせる。
ライブで見た「村中クン」は、ヲノサトル(明和電機の「経理の小野さん」)をにこやかにしたような印象の好人物だった。泥臭さや、汗臭さとは対極にあるカントリー音楽の可能性を体現しているかのようだった。
ちなみに村中の名前は「やすはる」と読む。
- 2006.01.16.記:「三木鶏郎の時代」の記憶
- V.A.『三木鶏郎音楽作品集 〜トリロー・ソングス〜』(コロムビア(CME):2005.11.23.)
私は1958年生まれ=東京タワーと同年=なので、戦後のラジオ全盛期も、最初期のテレビの青年期も、微妙に乗り遅れた世代である。しかし、三木鶏郎の名も子供心に聞き覚えがあったし、その「門下」から放送界から更に広い世界へと活躍の幅を広げていった「多士済々」の仕事ぶりははっきり同時代感覚をもって接していた。要するに、大人向けの番組を見るのが好きな子供だったのだ。しかも何より、トリロー・メロディには、1950年代に量産された後も、息長く使い続けられていたから(何しろ現在に至るものさえある)、浴びるように接していた。もちろん、当時は三木鶏郎についての正確な知識も関心もなく、どの曲がトリロー作品かも把握していなかったが、このCDの後半を占めるCMソング(ミツワ石鹸(16)、松下電器(17)、麒麟麦酒(19)、等々)、アニメ主題歌(「鉄人28号」(29)、「トムとジェリー」(39))、そして「僕は特急の機関士で」(1)などの楽曲は、しっかり幼い記憶の中に組み込まれている。、
三木鶏郎は、単なる音楽家としてではなく、音楽を活かしたコミカルな時事風刺のバラエティ・ショーを放送番組として確立させた「開拓者」として記憶/記録されている。その意味では、作詞・作曲、さらに自ら実演もしつつ、求心力を発揮して少なからぬ才能を集め、「工房」システムを構築し、多くの才能を育てたプロデューサーとしての仕事に、その本質があったと考えるべきであろう。少し遅れて放送の世界を生きた人物では、すぎやまこういちがプロデューサーから音楽家へと(鶏郎とは逆向きに)歩んだ軌跡と重なる面があるようにも思える(ちなみに、鶏郎は晩年コンピュータを使う音楽制作に打ち込んでいたというが、すぎやまはゲーム音楽の世界でも一世を風靡している)。
このコンピレーションは、鶏郎工房の常連だけでなく、当時の人気歌手がトリロー・ソングをどう表現しているかという観点から聞いていくという楽しみもある。エノケン「無茶坊弁慶」(10)、中村メイ子「田舎のバス」(8)など、歌手たちの表現の豊かさを改めて認識した。CM作品集でも、日本最初のCMソングであり、灰田勝彦が歌った「僕はアマチュアカメラマン」(15)をはじめ、資料的価値も高く、また表現としての完成度が高い作品がいくつもある。個人的な嗜好も含めて独断で述べるなら、このCDの白眉は轟夕起子「東京チカチカ」(4)(実はこのCDで初めて耳にした)と、弘田三枝子の歌うCMソング「アスパラで生き抜こう」であろう。どちらも聴けば聴くほど驚異的な歌唱力である。
残念なのは、データ的なフォローが極めて弱い所である。オリジナル音源の録音時期、発売時期/発売の有無、その他のデータがまったくないので、資料として使いにくい。例えば、「ポポンの歌」(16)などで聞かれるグッドマン風の演奏が、鈴木章治のはずだがひょっとすると違うのかな、といった確認ができず、聴いていて悩ましいことがいろいろ出てくる。
もっともこうした形で、門下生(永六輔など)だけでなく、後の時代のミュージシャンたち(大瀧詠一、鈴木慶一)のオマージュがブックレットを埋めるCDが出されるということは、トリロー・ソングズが、過去の歴史的史料としてではなく、現役の商品として価値を持っているということだ。それは、慶ぶべき事なのだろう。
□三木鶏郎記念館:
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