[講義資料]
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日本帝国海軍軍楽隊「軍艦行進曲」1903 米コロンビア出張録音[1904発売] |
「戦後日本におけるラテン音楽の受容」 0、戦前の状況 戦前の「軽音楽」=ジャズ、タンゴ、ハワイアン タンゴ(tango):1920年代ヨーロッパ経由=日本人タンゴ・バンドは多数点在 ルンバ(rumba)、コンガ(conga)などのキューバ系のラテン・リズム :1930年以降欧米経由=日本では主として歌手、他分野のバンドのレパートリー ラテンの専門バンドはなく、レコードを通じた情報吸収が中心 →いずれも基本的にはダンス・ステップの一種としての受容 1、戦後日本軽音楽界の変化 進駐軍の流入→新しいジャズ・ラテン曲の到来(進駐軍にはメキシコ・プエルトリコ系も) 進駐軍放送の影響→最新のラテン・ヒット曲 新しいレコードの発売:1950年代初め頃から 戦前の人気バンド中心から、戦後の好みの変化を反映した新進グループの登場 1948年 早川真平とオルケスタ・ティピカ東京結成(歌手:藤澤嵐子) 1949年 東京キューバンボーイズ(指揮:見砂直照)結成 1952年 坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア結成 1954年 有馬徹とノーチェ・クバーナ結成 主な活動場所:コンサート(日比谷公会堂、渋谷公会堂など) ラジオ(NHK・AM、1960年代後半からFMも) 将校クラブ・進駐軍関係 キャバレー(旧進駐軍用施設から発展: エスカイヤ、美松、金馬車、雅叙園、クインビー) ダンスホール(飯田橋松竹、銀座貿易会館、溜池フロリダ) カフェ(昼の部・夜の部、コーヒー代で生演奏、1955−1965年頃) 鑑賞団体(労音、民音など、1960年代) →「踊る」受容から、「聞く」「観る」「イージーリスニング」など多様化 参考データ:1956年日本音楽家ユニオン東京支部のリスト スイング部会 79楽団(内ラテン系7) タンゴ部会 54楽団(内ラテン系8) 横浜特別地区委員会 19楽団、13個人(内タンゴ系3) 〜他に名古屋、大阪、神戸を拠点とするタンゴ・ラテンのバンドが多数存在 2、日本でのラテン音楽のブーム 1949年 マンボ(キューバ) 1962年頃 クンビア(コロンビア) 1954年頃 バイヨン(ブラジル) 1963年 ボサノバ(ブラジル) 1955年 チャチャチャ(キューバ) 1955年頃 メレンゲ(ドミニカ) 1975年頃〜 サルサ(ニューヨーク) 1956年 カプリソ(トリニダート) 1975年頃〜 フォルクローレ 1959年 パチャンガ(キューバ) 1970年代後半 レゲエ(ジャマイカ) 1960年頃 スク・スク(ボリビア) 1980年代半ば タンゴ・ダンス 1961年頃 ドドンパ(フィリピン) 1990年代半ば アストル・ピアソラ 〜1960年代半ばまではニュー・リズム=ニュー・モードの図式 3、ラテン・アメリカ音楽の「日本化」の諸側面 a)日本曲のアレンジ:キャバレー等での需要、商業主義的側面、外国アーティストのお土産 〜「ラテン・リズムにおける日本民謡集」「アルゼンチン・タンゴ・ミ−ツ・ジャパン」「これこそラテン尺八」「津軽の休日」「お座敷ラテンムード」など b)歌謡曲へのラテンの取り入れ b-1)外国曲のカバー:「コーヒールンバ」「バナナボート」「灰色の瞳」「恋心」 b-2)和製タンゴ・ラテン: 「黒猫のタンゴ」「お嫁サンバ」「パフィーdeルンバ」「東京バイヨン」「東京ドドンパ娘」 b-3)トリオ・ロス・パンチョス・スタイルから歌謡ムード・コーラスへの展開: ロス・プリモス、ロス・インディオス、コロ・ラティーノ、東京ロマンチカ c)戦後のファンの持つ強い本物志向:「日本化」に対して否定的 1960年代までのレコード・コピー中心のレパートリー(→後に批判・議論) 1960年代半ばにラテンの全国的なモード終了→ファンの個別化 〜タンゴ・ファン、ブラジル系、フォルクローレ系、サルサ〜キューバ系 ラテン・ジャズ、レゲエ、ラテンアメリカのロック・ポップスなど 学生活動としての伝統:各大学の中南米音楽サークル、早稲田・中央のタンゴ・バンド 世界レベルで活躍する”本格的”な日本人アーチストの活躍 小松亮太(バンドネオン)、ルシア塩満(アルバ)、オルケスタ・デ・ラ・ルス(サルサ) オルケスタ・デル・ソル(サルサ)、オルケスタ・アストロリコ(タンゴ) 瀬木貴将(サンボーニャ)、エルネスト河本(ケーナ)、ソンコ・マージュ(ギター、フォルクローレ) 小野リサ(歌&ギター、ブラジル)、佐藤正美(ギター) 参考音源一覧(*は時間の都合で講義の際には省略されました。) <戦争直後の録音> 1.悲しみは溢れて/オルケスタ・ティピカ・ビクトール(1948)<「悲壮ソナタ」のアレンジ> 2.アニトラ・マンボ/東京キューバン・ボーイズ<「アニトラの踊り」のアレンジ> <ラテンアメリカ音楽を聴く「場」> 3.ウィズアウト・ユー〜ベサメ・ムーチョ/東京キューバン・ボーイズ<コンサート・ライブ> 4.カミニート/早川真平とオルケスタ・ティピカ東京 歌:藤沢嵐子<ラジオ放送> 5.ガウチョの嘆き/坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア<カフェ・コンサート・ライブ> <ラテンアメリカ音楽の日本化の諸側面> 6.マンボNo.5/有馬徹とノーチェ・クバーナ<マンボ/カヴァ−> 7.泣き笑いのマンボ/美空ひばり&東京キューバン・ボーイズ<和製マンボ> 8.アンナ/浜口庫之助とアロハクバーノ<バイヨン/カヴァ−>* 9.東京バイヨン/生田恵子<和製バイヨン> 10.チャチャチャは素晴らしい/雪村いづみ ビクターオーケストラ<チャチャチャ/カヴァ−> 11.バナナ・ボート/浜村美智子<カリプソ/カヴァ−> 12.スク・スク/丘 優子<スクスク/カヴァ−> 13.東京ドドンパ娘/渡辺マリ<和製ドドンパ> 14.月夜にボサノバ(フライ・ミ−・トゥ・ザ・ムーン)/中尾ミエ<ボサノバ/カヴァ−> <本物指向検証のための比較> 15.フレネシー/レネ・トウゼ楽団 16.フレネシー/東京マンボ・オーケストラ 17.ラ・クンパルシータ/フアン・ダリエンソ楽団 18.ラ・クンパルシータ/西塔辰之助とオルケスタ・ティピカ・パンパ <日本曲のアレンジ> 19.タンゴ黒田(黒田節)/オルケスタ・ティピカ・コロムビア(日本)* 20.黒田節/オラシオ・サルガン楽団* 21.スキヤキ(上を向いてあるこう)/早川真平とオルケスタ・ティピカ東京 歌:阿保郁夫* 22.さくらさくら/東京キューバン・ボーイズ* 23.さくらさくら/ペレス・プラード楽団* 24.さくらさくら/トリオ・ロス・パンチョス* 来日海外アーティスト&日本の楽団海外公演一覧 1953年 ザビア・クガ−ト楽団(『ルンバの王様』、2回) 早川真平、藤沢嵐子、刀根研二(いずれもティピカ東京)アルゼンチンへ研修 1954年 フアン・カナロ楽団(アルゼンチンから初のタンゴ楽団) ホルヘ・カルダーラ(バンドネオン奏者、9ヶ月滞在) 1956年 ペレス・プラード楽団(『マンボの王様』) 1957年 アルマンド・フェデリコ(アルゼンチンのピアノ奏者、長期滞在) 1959年 トリオ・ロス・パンチョス(メキシコ、以後たびたび来日) リカルド・フランシア(アルゼンチンのチェロ奏者、長期滞在) 1960年 ペレス・プラード楽団(二度め) ロス・トレス・ディアマンテス(メキシコ) テイト・プエンテ楽団(ニューヨーク・ラテン) 1961年 フェルナンド・テル(バンドネオン奏者、2年滞在) フランシスコ・カナロ楽団(『タンゴの王様』) ホセ・ファハルド楽団(キューバ) 1962年 アルマンド・オルフィチェとハバナ・キューバン・ボーイズ(ラテン) マチ−トとアフロ・キューバン・オーケストラ(ニュ−ヨ−ク・ラテン) 1963年 エドゥアルド・ファルー(アルゼンチン・フォルクローレ) イマ・スマック(ペルー) 1964年 アタウアルパ・ユパンキ(アルゼンチン・フォルクローレ) キンテート・レアル(タンゴ) メキシコ・フェスティバル(マリアチ・バスガス他) 早川真平とオルケスタ・ティピカ東京、中南米公演 1965年 オスバルド・プグリエーセ楽団(タンゴ) 1966年 坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア、北米、中南米、スペイン公演 アルフレッド・ハウゼ楽団(コンチネンタル・タンゴ) エルマノス・アバロス(フォルクローレ) 〜この他にフィリピンのラテン・バンドがキャバレーなどに出演 →日本のラテン・タンゴの動向にも影響、特に本物指向の強化 |
<この回は配布プリントなし。以下は、受講生によるメモ等を参考に、山田がまとめたものです。>
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1.ロックン・ロールの語意 「Rock'n RollとRock」 2.ロックン・ロールの神髄 「ロージー&ジ・オリジナルズ物語」 3.ロックン・ロールの受容パターン 「カヴァー・ポップスの時代」 付論:定着から発展・普及・一般化 「1964-1969年」 参考文献 Edited by Donald・Clarke. The Penguine Encyclopedia of Popular Music (Penguine Books,1990) Edited by Dave・Marsh with John・Swenson. The Rolling Stone Record Guide (Rolling Stone Press,1979) Donald・Clarke. The Rise and Fall of Popular Music (Penguine Books,1995) キャサリン・チャールトン著、佐藤実訳 『ロック・ミュージックの歴史』(音楽之友社、1996年) 高島弘之『ヒット・チャートの魔術師』(紀尾井書房、1981年) 川端茂『レコード産業界』(教育社新書、1979年) 『漣健児カバー・ポップスの時代』(バーン・コーポレーション、1998年) 『秘蔵シングル盤天国 洋楽編』(バーン・コーポレーション、1996年)
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[プレイリスト](演奏順...当日の配布資料は年代順) 並木路子・霧島 昇「リンゴの唄」1945 作詞:サトウハチロー/作曲:万城目 正 『SP盤復刻による懐かしのメロディ 並木路子』日本コロムビア(1995) 戦後初の松竹映画「そよかぜ」の主題歌にして、戦後最初の大ヒット曲。 当時、並木はSKDの女優だったが、この曲の成功で歌手に転じた。 笠置シヅ子「東京ブギウギ」1947録音[1948発売] 作詞:鈴木 勝/作曲:服部良一 『服部良一全集』日本コロムビア(1992) 服部/笠置による一連のブギ作品最初のヒット。 「敗戦で虚脱状態だった日本人にカツを入れた忘るべからざる作品」と評される。 藤山一郎・奈良光枝「青い山脈」1949 作詞:西条八十/作曲:服部良一 『服部良一全集』日本コロムビア(1992) 石坂洋次郎の小説を原作とした東宝の青春映画『青い山脈』の主題歌。 戦後の復興期を代表する「青春歌謡」として、長く歌いつがれている。 美空ひばり「悲しき口笛」1949 作詞:藤浦 洸/作曲:万生目 正 『映画主題歌集 vol.1』日本コロムビア(1995) 12歳の美空ひばりの初主演映画『悲しき口笛』の主題歌にして、最初のヒット曲。 「天才少女」は後に「歌謡界の女王」となる。不幸な私生活も芸能人の典型だった。 江利チエミ「カモン・ナ・マイ・ハウス」1952 Come On A My House (R.Bagdasarian/W.Saroyan) 訳詞:あらかはひろし/編曲:福井利雄 『決定版 江利チエミ』キング(1998) 代表曲「テネシー・ワルツ」以上に江利チエミの資質を示しているカバー曲。 三橋美智也「哀愁列車」1956 作詞:横井 弘/作曲・編曲:鎌多俊与 『オリジナル録音による三橋美智也全曲集』キング(1995) 民謡出身の三橋は、魅力的な高音の美声で、郷愁を誘うヒット曲を連発した。 曽根史郎「若いお巡りさん」1956 作詞:井田誠一/作曲・編曲:利根一郎 『有楽町で逢いましょう〜昭和30年代前半〜』ビクター(1994) 時代背景が風俗描写の中に巧みに描き込まれている。 フランク永井「有楽町で逢いましょう」1957 作詞:佐伯孝夫/作曲:吉田 正/編曲:佐野 鋤 『有楽町で逢いましょう〜昭和30年代前半〜』ビクター(1994) 「低音の魅力」として知られたフランク永井の代表曲。 都市の風俗描写が巧みに描き込まれた詞にも特徴がある。 有馬徹とノーチェクバーナ「アロハオエマンボ」1956 編曲:有馬 徹 『南国の夜』テイチク(1991) ラテンバンドがハワイアンの名曲をマンボで演奏するという趣向。 坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア「田原坂」1958 編曲:岩見和雄 『FUJIYAMA TANGO』ビクター(1998) 1950年代後半に同種の企画盤が多数作られた、日本の曲のタンゴアレンジの一例。 和田弘とマヒナスターズ「泣かないで」1959 作詞:井田誠一/作曲:吉田 正/編曲:和田 弘 『有楽町で逢いましょう〜昭和30年代前半〜』ビクター(1994) ハワイアンからムード歌謡への移行が良く判る事例。 平尾昌晃「リトル・ダーリン」1958 Little Darlin' (M.Williams) 訳詞:音羽たかし/編曲:村山芳男 『ベスト・ヒット』キング(1993) ロカビリー最大の人気者のデビュー曲はthe Diamondsのカバー曲。 ブームの中で平尾はオリジナル曲もヒットさせ、後には作曲家としても成功した。 伊東ゆかり「ラリパップ(誰かと誰かが)」1958 Lollopop (J.Dickson/B.Ross) 訳詞:音羽たかし/編曲:村山芳男 『ラリパップ』キング(1997) 小学校5年生でデビューした伊東ゆかりの第2弾シングルで、最初のヒット曲。 彼女が中尾ミエらとともにカバー曲のヒットを連発するのは1962年頃からの数年。 ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」1963 作詞:岩谷時子/作曲:宮川 泰 『ザ・ピーナッツ・シングルズ〜恋のバカンス〜』キング(1999) ジャズ出身の作曲家である宮川による和製ポップス。 東京ビートルズ「抱きしめたい」1964 I Want To Hold Your Hands (J.Lennon/P.McCartney) 訳詞:漣 健児/編曲:寺岡真三 『meet the 東京ビートルズ』ビクター(1994) ビートルズの世界的な大ヒットも、すぐさま日本語でカバーされた。 橋 幸夫「恋のメキシカン・ロック」1967 作詞:佐伯孝夫/作曲:吉田 正 『スイム!スイム!スイム!』ビクター(1990) 「潮来笠」(1960)でデビュー後、多数のヒットを飛ばした橋の「リズム歌謡」。 歌謡曲が実に貪欲(かつ、いい加減)に洋楽を消化してきたかを象徴する作品。 |
<譜例・図版は省略>
表@ 平成8年度版 音楽教科書掲載のビートルズ・ナンバー
1.ジョンの音楽
特定の女性への愛(ポップスの描く虚構の愛から逃れるため、私生活を露呈) ☆☆ ビートルズの音楽が聴き手の内にジェンダー・イデオロギーを構成するプロセスは複雑であるはずなのに、学校音楽はポピュラー・ソングの伝統的なジェンダー二分法により、ビートルズ・ナンバーを選別(去勢:effeminate)してしまっているのではないか? 【諸国の教科書におけるビートルズ】
※参考文献
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