私的ページ:山田晴通

               

英国日記

                  


14th-28th February, 2011
London & Birmingham, England
               




   

 
2011年      
2月14日〜28日


 今回の旅行は、学内の研究助成費を受給した、Bournville という英国バーミンガム市の郊外住宅地区に関する資料を収集することが主な目的でした。
 今回の旅には、連れが同行しています。文中にある料金のうち、宿泊費は2人で泊まる場合の金額です。この旅行では、1ポンドは150円くらいでした。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。
■ 2011/02/14 (Mon)
バレンタイン・デーの出発

KE706/KE907便 機中 / London / Birmingham
Birmingham:
The Dubliner

KE907便@仁川国際空港
 今回は、成田を早朝に出発する大韓航空の仁川経由の便を利用する事になった。当初は車で成田に行き、駐車場業者に預けて出かけようと考えていたのだが、以前に一度前泊したことがある安いホテルが、最大20日まで駐車無料というサービスをしているのを連れが見つけ、そちらの宿泊代の方が標準的な駐車料金よりも安かったので、前泊することになった。前日は、夕方になってから立ち寄りの用事をいくつか済ませ、夜8時頃に連れを都内で拾い、途中、船橋でファミレスに入って食事をとったりしながら、11時半頃に宿に着いた。この宿は、インターネットがロビーにあるコイン式の有料のPCでしか使えないという状態なので何も作業をせずに、風呂にも入らず、すぐに就寝した。
 朝は6時前に起床し、風呂に入り、持っていかない荷物のを車に入れ直し、6時45分の送迎バスに乗り込んだ。第1ターミナルの北ウイングにある大韓航空のカウンターはまだ閉まっていて、7時30分から開くと書いてあったので、そのまま列について待っていたら、あっという間に後ろに大行列ができていた。チェックインを済ませてから朝マックの朝食をとり、8時過ぎに出国手続きをして23番ゲートに行く。
 仁川空港までのKE-706便は、2009年に学会出張で使ったことがある。機材は747-400のジャンボ機である。右翼に近い3人がけ席の窓側に連れを座らせ、自分は真ん中に座る。通路側には若い日本人の青年がいて、日本語版のトマスクック時刻表を取り出して見ていた。フライトは快適で、離陸前からうとうととし、食事のサービスで起こされる。食事後は、マインスイーパーに没頭する。仁川空港では小一時間の乗り継ぎ時間があったが、ここは空港内に無料のネット環境が用意されているので、搭乗ゲート付近に陣取り、メールの処理などをして過ごした。仁川から乗り継いだKE907便もやはり同様のジャンボで、同じような位置(やや後方)に座ることになった。今回は3人がけを2人で使えたので、さらに気楽だったが、12時間ほどのフライト中も、映画には食指が動かず、ほとんどずっとマインスイーパーを延々とやり続けた。フライト中は2回メインの食事が出され、さらに軽食が1回出たが、3食続けての食事が飽きたのか、フライトの途中で何度かあった気流の乱れによる揺れで調子が悪くなったのか連れは最後の食事は半分以上の残してこちらに回してくれた。
 ヒースローの到着は第4ターミナルで、最近は使った記憶がないが、かなり以前に一度使ったような感じがする。例によって入国審査は、そこそこの行列を待たなければならない。着陸時はまだ明るかったが、5時をまわるとすぐ夜になる。ターミナル4駅から乗ったピカデリー線が地上に出る頃には、もう夜という雰囲気になっていた。車中で少し眠ってしまい、ハマースミスを乗り過ごして乗り換え損ね、ようやくサウスケンジントンでディストリクト線に乗り換えて、ヴィクトリア駅までたどり着いた。とりあえずコーチ・ステーション(バス・ターミナル)へ行き、バーミンガム行きの便をチェックする。実は、フライトが遅れるような場合も考慮して、今日の宿はロンドンで泊まるとも、バーミンガムで泊まるとも決めていなかった。適当な便があれば、夜行バスもアリだと思っていたのだが、さすがにバーミンガムは近すぎて(バスで2時間半程度)、最終の深夜1時の便で行っても、その先に困るだけだとわかる。バスの時間を確認してから、無料のWiFiを見つけて少し調べて見ると、バーミンガムの中心部にある駅に近い古いホテル「ブリタニア」が37ポンドという格安のオファーをしていた。どうやらバーミンガムへ行ってしまった方が良さそうだと見当をつけ、連れをターミナルで待たせてヴィクトリア駅近くの両替屋で2万円を150円ほどのレートで両替しに行く。戻ってくるときに、ロンドンではよく利用している安宿リントンに立ち寄ってみた。経営している兄弟の弟の方M氏が対応してくれたので、宿代を聞くと85ポンドだという。以前に比べて結構いい値段である(前回の2008年は70ポンド2004年は60〜65ポンド、さらに初めて泊まった2002年は40ポンドだった)。ターミナルに戻り、再度ネットを使ってブリタニアを予約しようとしたら、なぜか先ほどのWiFiが見つからなくなった。とりあえず、連れと相談してバーミンガムへ向かうことにして、午後7時すぎにチケット売り場へ行く。前回までと同じ場所だが、全面的に改装されていてきれいな見栄えになっていた。例のよってイギリスのバス・鉄道運賃は、理屈がよく分からないのだが、2人で片道だと52ポンドちょっと、往復だと54ポンドちょっとという、値段設定なので、とりあえず2人用の往復券を買う。バーミンガムへ行く最初の便である午後7時30分発のウォルバーハンプトン行きに乗り込む。乗客には白人はほとんどおらず、アジア系とアフリカ系ばかりである。バスは、まずガトウィック空港に向かうため、マーブルアーチあたりを通って中心市街地を抜け、北へ向かう。座席はゆったりとしており、程なくして熟睡する。ガトウィック空港にも確かに停まっていたはずなのだが、全く目覚めず、目が覚めたのはバーミンガムまでもう少しという、9時30分ころであった。到着したバーミンガム・コーチ・ステーションは、場所は変わっていないが、前回ここを通過した2004年のときとは全く違う新しい建物になっていた。
 コーチ・ステーションのとなりのアイリッシュ・パブでは、音楽の演奏に合わせて高齢のカップルが優雅に踊っている。夕食をきちんととっていないので、ここに入ろうかとも思ったのだが、もうパブで食事のできる時間ではない。連れと相談して、ブリタニアへ直行した方が良いということになり、荷物を曳いてブルリングを通り、ニューストリート駅へと上がっていった。ブリタニアにたどり着き、部屋があるかとたずねると、65ポンドだというので、ネットで37ポンドのオファーがあったが機材のせいか予約できなかった、何とかならないかと切り出してみた。結局、安くはならないということだったので、もう少し考えることにするといってホテルを出て、駅構内を通って、途中の別のホテルの場所などを確認した上で、いったん先ほどのコーチ・ステーションのとなりのアイリッシュ・パブまで戻ることにする。このダブリナーという店の外壁には「無料WiFi」とサインが出されていた上、「宿泊もできます」とも書かれていたからだ。
 店に入ると、高齢者が多いのだが、どうやら結婚式の二次会かなにかで人が集まっていたらしく、奥のフロア周辺で音楽を流しながらダンスをしていたり、カラオケをしていたりする。カウンターでギネスとレモネードをもらい、とりあえず店の反対側の席に落ち着き、ネットをつなぐ。既に10時をかなり回っていてバーフードの時間ではないが、ゆっくりすわれるだけでもあり難い。一息ついてから、今夜は泊まれるかどうかを聞いてみたところ、客と一緒に席にいた主人と思しき巨漢の男性がきて、確か大丈夫だったはずだ、と言い、ひとり20ポンド、2人で40ポンドだというので、今夜はここに泊まることにした。しばらくして宿帳らしきノートをもってきた女将さんの話だと、今夜はもうひとり、日本人の青年が泊まっているということだった。食事はもう出ないが、パーティーのおつまみの残りが、フロアに出してあるのは自由に食べていいよとも女将さんに言われ、お言葉に甘える。しばらくネットをつなぎながらひと安心する。連れも、泊まるところが決まって、ビールも飲んだせいか、少し体調が戻った様子だった。
 少ししてから女将さんに部屋がある3階まで案内される。いったん建物の外に出てから、パブとは別のドアから入って階段を上がり、いったんパブの平屋の屋上に出て、そこに建てられている「2階建て」の建物に入って上のフロアの1室に入った。通された4号室は6畳ほどのところにシングルベッドが2つと、椅子がひとつあるだけで(机はない)、バスとトイレは共用。しっかりと暖房されていた。客室はこのフロアにはあと2室(3号室と5号室)、下にも同じような部屋が2室(1号室と2号室)ある。
 旅装を解き、暖房に近い方のベッドを連れがとり、こちらは窓側のベッドで寝ることにする。午前0時を回ったころにベッドに入った。長い一日の疲れもあり、最後のほっとした安心感もあって、心地よい寝床に感じられた。まだ下の店では音楽が鳴っていたし、そこそこ車が通っている表の道路の騒音もかなりのものだが、それもまったく妨げにならずに眠りに落ちた。
■ 2011/02/15 (Tue)
マーケットから郊外へ

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel

The Dubliner
 6時少し過ぎにトイレに立ち、そのままベッドに戻ったが、もう目が覚めたように感じたので、カーテンを開いて、まだ暗い道を見下ろしながら、窓枠を机代わりにして、前日の日記を書いたりしながら、しばしぼんやりと時間を過ごす。こういうのは、けっこう贅沢かもしれない。9時近くなって連れも起きたので、風呂に入ることにする。連れが準備している間にいったん外に出て、新しいコーチ・ステーションの建物と、パブの写真をとる。シャワーは水しか出なかったが、風呂は湯をためられた、それもバスタブ一杯で温めてあった分は終わったようだったが、快適に汗を流した。ところが、風呂場を出ようとして、湯をこぼした覚えはないのに床が濡れているのに気づいた。風呂場を出て、廊下まで濡れている。風呂から出た後、改めてバスタオルを使って床の水を拭き取った。
 10時頃に荷物をまとめて下へ降りると、裏口の外にゴミを片付けている男性がいて、鍵を預かるというので渡した。そのまま店の正面に回ると、昨日の女将さんや店の人たちがミーティングをしているのが目に入ったので、ガラス越しに目配せしてドアを開けてもらい、鍵は裏口にいた男性に渡したと告げ、出発する。小雨のぱらつく中、緩い上り坂を歩いて進み、マーケットに向かう。既に、屋外市場も、ストールの並ぶラグ・マーケットも営業しているし、お客もけっこう入っている。ラグ・マーケットの北西の角にある「Cafe Neo」に入り、朝食をとる。2人でブレックファストとサンドウィッチを分け、紅茶をとって9ポンドであった。食事を済ませた後、しばらく席にいて、その間に連れがマーケットの見物してきた。連れは、ついでにイチゴを2パック1.20ポンドで買ってきた。
 11時過ぎにカフェを出て、ニューストリート駅へ向かい、10番線からロングブリッジ行きの電車に乗って、セリー・オークで下車する。荷物を曳いて歩き始めたが、交通量の多い表の道路沿いは、いかにも労働者の町という雰囲気の店が並んでいる。その先には、聳えるようにバーミンガム大学の時計塔など大きな建物が見える。小雨が続いているようで、道路はしっかり濡れているし、ところどころに水たまりもできている。やがて商店街が途切れる辺りで道を住宅地の中へ折れ、ホテルがあるはずの通りに入って緩やかな坂道を上り始めた。これは途中から意外にきつく感じられたが、何とか坂の頂上が近づいてきたと感じた頃に、目的地のアウェンツベリー・ホテルが見えてほっとする。明らかに周囲の住宅とは異質な感じを与える、さほど大きくはないが、豪勢な印象の3階建ての古い住宅である。

The Awentsbury Hotel
後方の尖塔は St.Stephen's Church
 既に正午を回っている。玄関正面のドアの呼び鈴を押したが応答がない。「配送物は裏へ」というメモが張ってあったので、裏へ回ると、こちらはモダンな普通の家のような建物が繋がっていて、そちらのドアの向こうに人影が見えた。近づいていくと向こうからドアを開けて華奢な白人青年が声をかけてきたので、「予約している山田だ」と名乗ると、「正面に回って待っていてくれ」と言われる。ドアを開けてもらい、中へ入るとちょうどロンドンのフラットを転用した宿屋のような感じの小さなホールがあり、そこで荷物を置いて連れを待たせ、奥の新しい建物の事務所(というかキッチン)へ行き、クレジットカードで10泊分の宿代を支払う。朝食はついていないが、ひとり5ポンドで追加できるという話だったので、とりあえず、明日の朝の分を予約し、これもカードで支払う。
 部屋は最上階=3階の6号室、屋根裏で壁の一部が傾斜している変わった造りだ。バスルーム(シャワーとトイレ)は共用のものが同じ3階にある。部屋はしっかり暖かく、冷蔵庫はないが、英国の宿らしくお茶のセットが揃っている。窓からは、2軒ほど先の、丘の頂上にある教会(St Stephen's)がよく見える。とりあえず、外は小雨が続いているので、しばらく部屋でお茶を飲んで休憩する。
 1時間ほど雨の様子をうかがってから、小雨の中を徒歩でボーンビルまで行ってみることにする。最初は尻込みしていた連れも、結局はついて来ることになった。歩き出すと、雨脚が時おり強くなったり、風があったりして、傘なしで行くのはしんどかったが、こういうこともあろうかと思って着てきたフード付きの厚手の化繊コートが大いに役立った。宿近くの国教会の前の5叉路を右折して、カトリック教会の前を通り、その先の商店街を抜けて鉄道と運河を跨線橋で超えると、ボーンビルの北側の一角に入る。突き当たりで左折し、道なりに右へ坂道を下りながら進むと、30分ほどでボーンビルの中心となる休憩所のある公園まで着いてしまった。
 あたりを歩いて、学校や教会の前をぐるっと回ってから、休憩所に入る。現在ここは「ボーンビル・カリオン友の会」なる団体が土産物の売店にしている。ここにはあまり役立ちそうな資料がなかったのだが、パンフレット類など5点を購入した。まだ3時少し前だったが、近くにロイズ銀行の出張所があったので、入って、円建てのトラベラーズチェックを換金できるか尋ねてみた。職員は女性2人しかいなかったが、最初は困ったような顔をして、確かめて見る、といって2人でいろいろ調べ始めた。しばらくして、両替できるということになったので、1万円分を両替した。雨脚がそこそこ強まる中、公園に面した商店のひとつルイーズ・オブ・ボーンビルに入る。ここは花屋がメインらしいが、絵はがきや玩具、文房具も扱っている。連れが店頭に出ていた絵はがきを買いたいといったので入ってみたところ、郷土史の本を何点か扱っていることがわかり、ここでも書籍5点を購入した。このまま戻るか、数軒先のカフェで休憩するかと連れと思案しているうちに、雨脚が少し弱まったので、南側のキャドバリーの工場の方を見に行くことにする。すると「キャドバリーワールド」という看板が見えてきた。事前にはまったく認識していなかったのだが、展示施設のようなものがあるらしい。連れが行ってみたいというので、工場敷地内の案内表示に従って、「キャドバリーワールド」の入口に至る。入って見ると、今日の入場は既に締め切られているが、売店やカフェは利用できるという。結局、ここではキャドバリーの社史をまとめた一般書2冊と、アウトレット価格で販売されていたチョコレート風味の焼き菓子などを買った。
 「キャドバリーワールド」を出て、工場敷地内の案内標識に従って、ボーンビル駅へと向かい、途中で古い浴場?の建物や、最近の事務所棟など、キャドバリー社の施設を道路から眺めながら、駅へたどり着く。ここで取って返し、従業員慰安用に整備された競技場に沿って進み、再び休憩所前まで戻ってきた。既に4時になっている。ここで、先ほど目を付けておいたカフェ「ミーティングポイントティールームズ」に入り、紅茶とキャラメル・アップル・ベティ(ケーキ)をとって休む。5時頃にカフェを出て、昼にやって来た道を逆に進み、運河と鉄道を渡ってセリー・オークに入った側の商店街で、食品や飲料品(インスタント・スープ、パン、スパム、オリーブ、牛乳、ワイン、ジンジャー・ビールなど)を買い込む。最後はかなり強くなった雨脚の中、荷物を抱えて宿に戻ってきた。既に辺りはすっかり暗くなっていた。
 部屋に戻ってから、買って来た食品や、日本から持ってきたもので、夕食にする。連れは午後7時頃にはベッドに入ってしまった。こちらも、しばらくネットをやったりして、パソコンをいじっていたのだが、9時頃には眠たくなったので消灯して眠ってしまった。
■ 2011/02/16 (Wed)
空振りも、何とか立て直す

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝、というより真夜中に、「9時だよ、起きて」と連れに起こされる。朝食の時間は7時30分から9時までのはずだ。いかん寝過ごしたと思って朝食は9時までだったろうと連れに言うと、あと15分残っているというので、ベッドから起き上がったのだが、どうも様子がおかしい。遮光カーテンではないはずなのに、カーテンが真っ暗だ。実は、時計の針を読み間違えて、すっかり勘違いした連れが、深夜の2時45分にこちらを叩き起こしたのである。連れは自分の勘違いだとわかると、いったんは「もう起きよう」と言うので、コーヒーを入れてもらうことにした。ところが、こちらがコーヒーを飲んで目を覚ましているうちに、連れはベッドに潜り込み、あっさりと再び眠りに落ちた。しかし、こちらは寝付けなくなってしまい、仕方なくベッドの上で起き上がって、インターネットでの作業をし始めた。
 そのままだらだらと起きているうちに朝になり、朝食の時間が近づいたので連れを起こすが、すんなりとは起きてくれず、何だかんだと時間が経って、ようやく8時半頃に食堂へ下りて行く。朝食は、普通のイングリッシュ・ブレックファストだが、正直なところやや貧弱な感じだ。マッシュルームは付かず、トマトも生から焼いた小ぶりのもの半分だけ、ベーコンも小ぶりのもの1枚だけだった。食後は部屋に戻って今日の行動計画を立てる。雨はいちおう上がっているが、厚い雲が空を覆い日差しは弱い。今日はとりあえず、ボーンビル・ビレッジ・トラストへ行って来週のアポイントをもらう手配をするのと、連れの用を足しに郵便局へ行くことにする。地番は一桁と三桁で大違いだが、どちらもオーク・ツリー・レーンにあるようだ。ネットで検索したそれぞれの施設の所在地を、グーグルマップで検索し直し、だいたいの見当をつけてから、ちょうどベッドメイクが始まったのを頃合いに、11時少し前に宿を出た。
 ボーンビルへ向かうのと同じルートを進み、大きな病院のところで、ボーンビル中心部へ向かうのとは逆に右折し、目的のオーク・ツリー・レーンに出た。ここを左折し、グーグルマップで表示された辺りへ行ってみたのだが、郵便局らしきものはなく、中学校があるだけだった。首を傾げながら緩やかな坂を昇りながら南へ進むと、ボーンビルの北の端の分かれ道に出てしまう。とりあえず、先にトラストへ向かうことにして、ここから細い道になるオーク・ツリー・レーンをそのまま進み続ける。ところが、なかなかそれらしい建物が見えてこない、下り坂がずっと続くのだが、やや傾斜が緩やかになってきたかと思ったところで、トラストの看板を見つけた。道から左折して進むように表示があったので、それに従って行くと、駐車場のような場所に出た。その先は、普通の住宅のように見える家が散在している。矢印通りだとすると、そのうちの一軒がオフィスかもしれない。しかし、見回してみたが、それらしい看板は出ていない。再度あたりを見回すと、二つの矢印がかかれた小さな標識があり、左向きの矢印の下にトラスト、右向きの矢印の下に集会場と書かれていたのだが、なぜか左向きの矢印は塗りつぶされている。はっきり白く書かれた集会場を案内する矢印に従って建物の裏に回ると、窓越しに中は無人とわかる集会場の入口があったが、道はそこで行き止まっている。トラストのオフィスは移転したのだろうか???集会場前のスペースから先には、生け垣に囲まれた細い猫道のような通路があったので、そこを抜けて表に出ると、中学校のカリヨンが見えて休憩所のある公園がすぐ近くだとわかった。とりあえず、公園に出て、少し休んで写真などを撮る。

セリー・オークの郵便局
入口に近い側は商店になっている
 少し頭を冷やし、一桁番地の郵便局が、われわれがオーク・ツリー・レーンに出たところよりも北にあったのではないかと考え直す。連れもこちらも、そこそこの距離を歩いたのに空振りになって、少し滅入っていたが、何とか気を取り直して公園からボーンビルの北の端の分岐まで坂を上り、そこから緩やかな下り坂を先ほどとは逆に北へ進み、先ほどこの道に出たT字路を通過し、ようやく大きな交差点が見えて来るところまで来て、小さな郵便局を見つけた。郵便局といっても、入口に近い手前側は普通の商店のようになっている。ここで国際郵便の用を済ませ、交差点に出ると、セリーオーク駅の方へ大きな道路が走り、バーミンガム大学の時計塔が遠望された。交差点の筋向かいには、大きな駐車場があるパワーセンターがあり、核店舗はセインズベリーが入っている。連れが買い物をしたいというので、ちょっと躊躇したのだがサインズべリーに入り、サラダやドレッシング、クリームチーズ、菓子類やビールなどを買う。
 既に午後1時を回っているので、宿に戻って昼食にすることにし、ガードをくぐって最初にセリー・オーク駅から歩いた道に出た。ガードをくぐったところに地域の公共図書館があるので(よくも、こんなうるさそうなところに作ったものだ)開館時間を確認すると、水曜日は休みで、後は9時−4時の開館とある。明日また来ることにして先へ進もうとすると、やたらとグラフィティ(落書き)がされた公園が目に付き、そちらを通ってみることにする。とにかく、コンクリートの壁といい、フェンスといい、住宅の壁といい、電灯といい、すべてがグラフィティのし放題という状態だ。もともといろいろ遊具が設置されていたようだが、すべて撤去されている。子どもの遊び場にならず、悪ガキのたまり場になってしまったということだろうか。その先の小路はやたらと「TO LET」の文字が目立ち、中には、7月からと但し書きされているものもある。大学はすぐ先なので、もっぱら学生が借り手なのだろう。最後にホテルに上がる坂道は、最初に来たときよりも少し気楽な感じがした。どれくらい歩けばよいか見当がついていたからだろう。部屋に戻って、買ってきたばかりの食品で遅い昼食にする。

Bourville Village Trust

Selly Manor
 小一時間ほど部屋にいて、昼食をとりながらネットで検索をし直し、最初に空振りになったトラストの事務所が、実は表に面したもう1軒先の建物だったらしいと判った。矢印の案内に沿って曲がってしまったのは、どうやら自動車を駐車場に誘導するものだったようだ。気を取り直して、再度出かけることにし、連れと一緒に2時半ころに宿を出た。今度はボーンビルへと直接向かい、途中でわざとこれまで歩いたのとは別のコースを少し通ったりしながら、今度は間違いなくトラストの事務所に到着した。レセプションに来意を伝え、来週のどこかで対応してほしいと依頼する。どうやら対応できる人物が今は不在らしく、こちらの名刺を渡してメールでの連絡を待つことになった。ここで受付の女性から、かつてボーンビルにあった図書館の資料がバーミンガム市の中央図書館に移されたこと、以前はボーンビルの歴史を紹介するガイドツアーがあったが、それをやっていた人が引退して、今は途絶えていること、などを知らされる。また、建物の改修のガイドラインのパンフレットが手に入った。
 既に午後3時半ころになっている。近くにある古い建物を公開しているセリー・マナーというトラスト管理下の施設が4時半まで公開されているので、入って見る。入場料を取る施設なのだが、先に敷地に入り、わざわざ左手奥の建物まで行かないと入場料を支払えないという奇妙なシステムだ。正直に奥の建物に行き、ドアを開けるが人がいない、すると天井で音がして、2階から女性が下りてきた。入場料ひとり3.50ポンドを支払い、売り物として置いてあった絵はがきと、セリー・オークの古い写真を集めた郷土史の本を買う。このチケット売り場を兼ねている建物は、バーミンガムの北にあった13世紀の建物を移築したものだという。その後、メインの建物である、チューダー朝の徴税人の家だったというマナー・ハウス(こちらは近傍から移設したという)を見て回る。全体が3つのブロックからなり、中央のブロックは3層になっている。ここは、子ども向けにチューダー朝の暮らしを学ばせる施設という位置づけがなされているようで、展示の中にも、触ってはいけないもの、触ってよいものが判りやすく示され、工夫のある展示だった。
 4時を回っているが、公園の方に少し戻って、昨日も入ったカフェで一息入れる。連れは紅茶ではなくスパークリング・ウォーターにしていた。元気を出し直して、宿への帰路につく。途中の道路に停っている自動車のメーカーを確認しながら歩き、日本車の比率がかなり小さく、ブジョーなどのフランス車や独伊瑞のメーカーが大きな比率を占めていることを再認識する。鉄道と運河を超えてすぐの所にある店で、フィッシュ&チップスを夕食用に買い、昨日食品を買った店で、また少し買い物をして5時ころ宿に戻る。
 夕食は、買ってきたばかりのフィッシュ&チップスに、クリームチーズやオリーブをいれたサラダなどを付けて済ませた。7時くらいには電気を付けたまま連れもこちらも寝入ってしまった。深夜0時頃にトイレに立ち電気を付けたまま寝ていたことに気づいた。部屋の電灯を消してベッド上の電灯だけにし、カーテンも閉めて、3時頃まで起きてネットをいじっていた。
■ 2011/02/17 (Thu)
バーミンガム中心市街を歩く

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel

セリー・オーク図書館 (撮影は19日)
 朝は6時頃に目覚め、作業を始め、前日の日記をゆっくり書いたりする。そのうちに連れが起きだし、スープとサラダなどで朝食を済ませる。今日は、セリー・オークの図書館が開いているので、10時ちょっと前に宿を出て、駅に近い図書館へ向かう。郷土史関係のコーナーを見に行く。地元の郷土史家が書いたタイプ打ちの原稿なども含め、もちろんセリー・オークのものがいろいろあるが、ボーンビルについても、箱ファイルひとつ分のパンフレット類が見つかった。しばらく、じっくり目を通すことにして、連れにはヒマ潰しに近くのアルディというスーパーマーケットを覗きに行かせる。小一時間ほど経ったところで、コピーをどれくらいとれるのかと確認すると、1-2ページくらいしかダメだと言われる。ちょっと困った顔をしていると、いつまで滞在しているのかと尋ねられたので、次週の金曜日までと答えると、一時的な利用券を出すから2点までは借り出してよいと言われる。とりあえず利用カードを作り、トラストのパンフレットを2点借りて図書館を出る。
 セリー・オーク駅の入口は北行きプラットフォーム側にあり、図書館を出て、ガードをくぐり、その先の横断歩道を渡って左に折れると、パーク・アンド・ライドの駐車場の向こうに、駅舎が見えた。オフピーク往復の切符を窓口で買い、程なくしてやって来た電車に乗り込んだ。
 3つ目のニューストリート駅で電車を降り、観光案内所に立ち寄った後、まずブルリングの上の入口に近いウォーターストーンへ行き、郷土関係の出版物を見に行く。ここには、既に手に入れたものしか、ボーンビル関係の本は見あたらなかった。次に、さっき立ち寄った案内所に戻って、古本屋の場所を教えてもらい、近いところから順に回ることにしたのだが、最初の1軒は、古本屋ではなく、教会関係の新刊本の店だった。そこから観光案内所でもらった地図を頼りに、ムーア・ストリート駅の前を通り、ブルリングとコーチ・ステーションの間の位置にある Readers World という2軒目に行く。店に入るや否や、ここがコミック本やロック音楽から、ホラー、オカルトといったポップ・カルチャー系の店だと判ったので、期待はできないと覚悟しつつ、郷土関係はあるかと尋ねると、奥の部屋の棚のひとつに案内され、ほんの10点ほどが並ぶ一角を指し示された。その中に、幸運なことにボーンビル関係のパンフレットが1点あった。これはラッキーだった。

Neo Cafe のブレックファスト
正しい英国庶民の食事という感じ
 もう正午を大きく回っていたので、一昨日と同じようにカフェ・ネオに入り、こちらはブレックファスト、連れはキドニー・パイをとって昼食にする。1時半頃にはカフェを出て、また地図を頼りに3軒目の古本屋を目指す。到着してみると、ここも古本屋ではなく、軍事趣味に特化した新刊本の専問書店で、おもちゃの兵隊や、田宮模型のプラモデルも扱っている。ここでも1点、バーミンガムに関する本を手に入れた。
 こうして、午後2時ちょっと前に市役所の隣にある中央図書館に到着した。とても入館者の出入りが多く、活気を感じる。受付で郷土資料の所在を尋ね、リフトで6階へ上がる。中央の大きなアトリウムを囲む回廊状に配された、かなり大きなフロア全部が郷土資料関係で、圧倒される。とりあえず、カウンターを見つけて相談すると、基本的な書籍が並べられた一角へ誘導された。ここで見当をつけてから、マニュスクリプトなどについて訊いてくれと言われる。ここには、直接ボーンビルを主題とした本だけで10点ほどがあり、その半分以上が未見のものだった。ここでは、それぞれの本の1章分までは複写が認められるということで、何点かの本の導入部をコピーした。また、地図の棚で古い地形図の関係図幅を眺めた。こちらもコピーは可能ということだったが、次回まわしにする。
 午後3時半を回ったころに中央図書館を出て、すぐ近くにある、以前の調査で訪れたことがある国際コンベンション・センター周辺へと足を伸ばしてみる。国際コンベンション・センター前の広場では、2013年に開館予定の新中央図書館の工事が大々的に行われており、かつてここにあった大きなモニュメントも、一時期設置されていた観覧車も撤去されていた。そのままだらだらと、ほぼ駅ひとつ分歩いて、かつてハードロックカフェがあったファイブ・ウェイズ駅の近くまで行き、折り返して戻ってきた。
 もう5時近かったのだが、アメリカンエキスプレスの両替窓口にたどり着いたので、トラベラーズチェックを両替する。当たり前だが、これまでで一番レートが良かった。ここからは、しばらく連れの買い物につきあうことになり、ときおり目についた店に入りながら、ゆっくりとブルリングに近づいていく。中心部一帯は、ちょうど夕方の退勤時間になってきたのか、かなりの人出があり、何かサイン会でもあるのか、書店の前に長い行列ができていて、女の子たちの嬌声が通りに響いていた。たどり着いたブルリングでは、なぜかヤクルト(こちらではなかなか見かけない)の試飲をやっていた。
 一通りブルリングでの買い物を済ませて、ちょうどピーク時間は終わる6時頃に駅に着いた。改札口でオフピークに入っていることを確認して入場し、11番線で各駅停車が来るのを待つ。同じプラットフォームの10番線に先に入った特急は、この先しばらくは同じ軌道を走るのだが、次の停車駅はチェルトナム・スパだ。3年前にチェルトナムに泊まりながら調査したことを思い出した。特急の発車後に定刻より少し遅れてやってきた電車は、そこそこ混んでいたが、幸い座ることができた。セリー・オークで下車し、宿へと向かう。
 途中で、まだ開店してさほど日が経っていない感じの韓国系スーパーマーケットに目をつけた連れが、入ってみたいというので入って見ると、けっこう広い店内では、営業時間内だというのに、大々的に冷蔵庫の工事をやっている。また、商品の品揃えも、値付けも、けっこう驚かされた(なぜ「こどもののみもの」が並んでいたのだろう?)。結局、ここではペットボトルの飲み物だけを買って出てきた。
 宿の部屋に戻ったのは7時ころ。すっかり暗くなってから帰着するのは、はじめてだった。部屋に戻るとすぐに夕食にする。食後、連れはシャワーへ行き、お湯の出が悪かったとかでゆっくり入ってきた後、すぐにベッドに入ってしまった。こちらはだらだらとネットで遊んでいたが、0時を回った頃に寝る。

■ 2011/02/18 (Fri)
バーミンガム大学へ
Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 夜中にトイレに立って暫く起きていたが、またベッドに入り、朝7時少し前に起きて、ネットをいじる。連れも起きて、スープなどで朝食を用意してくれたが、その後また眠ってしまった。結局、出かけたのは10時をだいぶ回ってからだった。

学生ギルドのバー
HRC並みのAVも完備されている

堂々たる大学の建物群
時計塔はキャンパスの象徴的存在
 宿から近いバーミンガム大学へ出かけ、構内を「探検」する。南門から構内に入り、案内図を見て、まず、学生ギルドの建物へ行く。坂を上って、たどり着くと、既に開店しているコンビニなどの物販や旅行業者のオフィスがあり、さらに、もうすぐ11時に開店という、本格的な若者向けの造りのバーがある。中庭をはさんで向かい側の翼に行くと、どうやらこちらが正面だったようで、ちょうど受付の裏に出た。受付の女性に、近くにコピーができる場所がないかと尋ねると、フィックスイットという店が物販の先にあると教えてくれた。さっそく出かけると、担当がまだ来ておらず、もう少ししないと対応できない、と言われる。
 しばらく時間を潰すつもりで大学構内を歩き、建物を見物しながら、地理学・環境科学部門のオフィスがあるR26棟へ向かう。途中で学生ギルドと同様の、もう少し学生食堂らしい雰囲気のカフェテリアを見つけ、ここでスープとパンにキャラメルラテという取り合わせで長めの一息を入れる。地理学・環境科学部門の受付に着いたのは0時20分頃だったが、幸い昼休みが0時30分からと書かれていたので、ドアを開けて入り、来週のアポイントを依頼する。また、キャンパスを横切って学生ギルドに戻り、フィックスイットに行くと、担当者は「ここではオリジナルを預かってこちらでコピーを作るので、著作物のコピーは(著作物の一部だけでも)受け付けられない」という。その上で、「図書館に行って自分でコピーしたら?」と言われる。結局、キャンパス中央の図書館ヘ行き、一時入館の手続きをして、ようやくコピーを使うことができた。
 一通り作業を終え、気づくともう午後1時過ぎになっている。学生ギルドのバーに戻り、閑散としていた先ほどとは打って変わって混み合う中、テーブルに就いて一息入れる。ここで思いついて、連れにこのままバーで待っていてもらうことにして、必要な部分のコピーが終わった資料をセリー・オーク駅近くの図書館に返しに行き、別の本を借りて必要な箇所のコピーを済ませてしまうことにした。連れを残して駅近くまで往復し、さらに大学の図書館でコピーをとってバーに戻ったのは、午後3時頃だった。もう一度さっきのカフェテリアに行って食事がしたい、と連れが言うので、また出かけ、カフェテリアと同じ建物にあるウォーターストーンで地形図を買ってから、カフェテリアで今度はカレーライスのようなランチボックスのごはんをふたりでつつく。
 大学を出て、前日に連れが見てきたスーパーマーケット「アルディ」ヘ行く。ここではパンや野菜類などを買う。まだ明るいうちに、4時半頃、宿に戻った。さっそくお茶を淹れ、夕食にしたのだが、コーヒーを少しキーボードにこぼしてしまったのだ。すぐに表は拭いたものの、キーボードが変調をきたし、左手側のシフト・キーや、「S」のキーが効かなくなってしまった。しかも、ネットにも繋がらなくなってしまった。
 いろいろ試みてみたが、ネットはどうやっても繋がらない。これはかなり辛い。昨日の分の日記を書こうとしたが、「S」がからむ「さしすせそ」が使えないのは本当に面倒だ。この日記も、「さしすせそ」はすべてコピペである。単に面倒なだけでなく、変換できない所で、いちいち思考が停まるのがなかなかしんどい。結局、8時頃には眠たくなってベッドに入った。
■ 2011/02/19 (Sat)
ボーンビルで観光気分のはずが

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝というよりは、深夜の3時頃に目が覚め、日記を付け始める。ある程度キーボードが乾けば何とかなるかと期待いていたのだが、そうは問屋がおろさなかった。ネットも繋がらない。「S」や「さしすせそ」が使えないまま、17日の日記を完成させ、18日も、だいぶ手こずりながら何とかしたが、4時半を回った頃に眠くなり、またベッドに入る。外はまだ真っ暗で、雨も降っているようだが、鳥の声は響き始めている。
 それから30分くらいで、連れがトイレから戻ってきた音で目が覚め、少し話をして、日記をチェックしてもらう。出発前の荷物の入れ替えで、プラグのアダプターを持ってこなかったので、カメラの電池が充電できないことが判ったので、何とかしなければならない。その後すぐまたベッドで眠り直す。
 結局、ちゃんと起きたのは8時45分頃だった。朝食はボーンビルのカフェでも取るのだが、とりあえずカップスープとパンに紅茶で、軽い朝食をとる。食後に軽くシャワーへ行き、数日分の汗を流す。今日は週末なので、カリオンの見学とキャドバリ−ワールドのアトラクションを見に、観光気分で出かける。結局、宿を出たのは10時45分頃だったが、これまでと同じようにボーンビルに向かい、ボーンビルに入ってからちょっと経路を変えて自然林が残されている一角に沿って歩き、セリー・マナーの前に出た。

The Meeting Place Tea Rooms
のブレックファスト
 カフェに入って、土曜日は少し値引きされて4.50ポンドになっている朝食をとる。量は特段多い訳ではないが、ハッシュブラウンもついていて、ソーセージやベーコンの質もそこそこだ。大慌てとまではいかなかったが、てきぱきと食事を済ませ、正午からのツアーに間に合うよう休憩所に行く。正午の鐘が鳴ったが、ツアー参加者と思しき人は数人いるが、案内人らしき人はいない。念のため休憩所の中に入って参加希望を告げると、ノートに名前を書くように言われる。案内人はじきに来るから外で待っているようにと言うので、そうしていると、ニット帽を被った小柄でがっちりとした男性がやってきた。カリオンからは、定時の鐘とは異なる、メロディになっている音が響き続けている。
 ツアー参加者はわれわれを入れて大人6人、子ども2人。まず、休憩所前でボーンビルの開発とキャドバリー兄弟の話をした後、クエーカーの集会場(教会)の敷地内に入りジョージ・キャドバリーの胸像の前で説明を受ける。ジョージと妻エリザベスの遺灰は、ここに埋葬されているそうだ。話を聞いている間も、カリオンは鳴り続けているが、曲は循環しないので、ドラム式ではないようだ。もっとデジタルな仕掛けがしてあるのだろうか。
 いよいよ、カリオンのある中学校の敷地に入り、建物の外を回ってカリオンが載っている塔屋に入る。意外にも、入って直ぐの(日本なら)1階には校長室があり、女性校長の似顔絵が貼付けてあった。この塔屋の3階に、外壁の時計とカリオンの定時の鐘を動かす機械が置かれていた。これはドラムに可動式のピンが打たれている現在は使われていない、紙テープを使う仕掛けの一部も壁面に残っていた。時計は機械式ではわざと少し速くなるように設計されていて、それを電気制御で一定のタイミングで歯車を空回りさせるという仕掛けになっている。この部屋には、現在は使われていないハンドル・キーボードも置かれている。現物を見るのは初めてだったが、これはかなり「ゴツい」楽器である。
 一通り機械室での話を聞いた後、さらに塔屋の上に小さな鋳鉄製の螺旋階段を使って登る。たまたま先頭に立って登る案内人のすぐ後を行く事になったが、階段は本当に狭く、両手で手すりと螺旋軸の柱を掴みながら、体を半身にして登っていく。上に出るとボーンビル周辺の眺望が開けるが、間近で見る大きなカリオンの無骨な機械仕掛けに注意が行く。この「楽器」は決して優雅なものではない。お寺の鐘を40個以上並べて金属のハンマーで叩いているのと同じ事だ。ハンマーを動かすワイヤーがそこかしこに張り巡らされ、ワイヤーの力を加減するバネ仕掛けが施されている。現在使われている鐘の中には、最初に1906年に最初のカリオンが組まれた時からの古いものも含まれているそうで、確かに刻み込まれている文字からも、新旧の鐘の違いが察せられた。

カリオンのハンドルバ−と演奏者
 しばらく間近でカリオンを聞いた上で、最後に驚くべきところに案内される。それはカリオンの直下に粗末な木造の仮設作業室のように作られていた、演奏室であった。てっきり何らかの自動演奏なのだろうと思い込んでいた、ここ数十分の演奏は、この部屋で華奢で小柄な女性が、必死にハンドル・バーを操作して(というより、叩いて)奏でていたのである。手には拳の小指側(手刀の刃にあたる部分)に革のサポーターをつけているが、そこが激しくハンドルバーに当たるということなのだろう。ただし、後で詳しく聞くと、単に強くバーに当たるだけでなく、当たった後に手を滑らせてバーが戻るようにしないと響きが悪くなるので、摩擦で皮膚を痛めないためという意味が強いそうだ。特に強く音を出さなければならない低音は、足のペダル(ハンドルバーと連動して動く)で踏むようになっている。演奏している姿は決して優雅ではなく、何かと格闘しているという表現の方が当たっている。次々と演奏される曲には、オルガンの曲も多かったが、演奏する姿は通常の鍵盤楽器とはまったく異なるものだ。演奏者は、曲の合間に、息を整えながらこちらに説明をしてくれる。結局、われわれが演奏室に留まっていた間にも3曲ほどが演奏された。ちなみに曲の間で説明をしているときに、15分おきの定時の鐘が自動的に鳴った。現在の演奏室は屋上の仮設小屋のようなものなので、夏場は非常に暑い、という話が印象に残った。
 演奏室を最後に、螺旋階段を下り、塔屋を下って建物の外に出て、休憩所まで戻ったところでツアーは解散となった。既に1時を回っている。そのままキャドバリーワールドを見に行く事にして、歩いていくと、駐車場に車がいっぱい入っている。今日から学校が春休みに入ったということなので、子ども連れがたくさん来ているのだろう。前回立ち寄ったときに、予約をした方がいいですよと言われたのを思い出した。とりあえず建物に入ると、次のツアーを待つ行列が、入口のスペースいっぱいにできている。付属のカフェもテーブルがほとんど塞がっているいるようだ。これは、出直そうと思い直し、予約カウンターに行って、22日火曜日の午前9時50分のツアーに予約を入れた。
 当初の予定では、キャドバリ−ワールドを見た後、連れにカフェで待っていてもらい、ひとりでボーンビル西方に広がるトラスト管理下の住宅地や、そのさらに先の公共住宅地域を見に行くつもりだったのだが、連れの居場所が確保できなくなってしまった。オールドファームまで行ってビールでも、という事になったのだが、行って見ると空室はありませんという看板が出ていて、扉も閉まっている。結局、この時点で西へ行くことは断念し、ボーンビル駅から東へ進み、スターチーへ向かう。
 スターチーでは「ブリティッシュ・オーク」というパブを見つけて入る。既に午後2時に近くなっているが、ここでビールとレモネードでひと休みする。ソファの席で、スツールに足を上げ、しばしウトウトする。テレビではチェルシーとエバートンの試合をやっていた。2時45分にパブを出て、北へ進む。途中に生協の大きな店があり、連れが入ってみたいと言うので冷やかしに入る。電気製品も売っていたので、売り場にいた白髪の男性店員に、変換用のプラグがないかと尋ねてみたが、ここには売っていないと言われる。そこで、近くに扱っていそうなところがあるかと訊き、そのまま北へ進んだボーリング場の向かいに電気屋があると教えてもらう。2ブロックほど北上すると、確かにボーリング場があり、その向かいに電気屋と言うより、工務店然とした店があり、入ってみるとアジア系の男性ばかり5人ほどがいた。物販店と言う感じではなくあまり商品は並べられていない。わずかに工具類があるのが目についた。それでも、変換プラグは扱っているかと聞くと、奥から2種類のプラグを持ってきた。こうして、1個2ポンドで無事変換プラグを入手できた。
 地図を頼りにさらに北上し、セリー・パーク女子工科学校の前に出る。女子校の技術専門学校というのは、日本ではなかなか考えにくい気がする。その先を左折して、かなり優雅な造りの家が並ぶ坂道を上り始める。途中で地元の方と思しき、スカーフをして両手に買い物を下げた高齢の女性にスタスタと追い抜かされる。そのままゆっくり坂を上って、セリー・パークの端に出た。いつも前を歩いているカトリック教会が公園の反対側に見える。こちら側の道沿いには、修道院がある。そのまま道をまっすぐ進み、宿の近くの教会の五叉路に出た。宿に着いたのは、3時半頃になっていた。
 キャドバリーワールドの空振りが尾を引いているのか、連れは元気をなくした感じで出かけ直すかどうか迷っていた。とりあえず、プラグは手に入ったので、ちょうど電源が落ちたデジカメの電池の充電を始める。そこで、夕方までひと休みして、その後でも出かける気が起きたら出かけよう、ということにして、とりあえずベッドに入り仮眠する。
 目が覚めたのは午後8時少し前だった。もちろん既にすっかり夜になっている。連れに声をかけて起こし、夕食に出かけるか、出かけずに部屋にあるもので済ませるかと訊く。かなり逡巡してから、結局出かけないという事になり、スープとパン、サラダという夕食をとる。ふと気づくと、キーボードがまた少し状態が変わってきたようで、相変わらず左のシフト・キーは効かないが、「S」が打てるようになっている。ネットは依然として繋がらないが、ともかく日記は書けるうちに書こうという気になり、パソコンをいじり始める。連れは9時過ぎにはベッドに入ってしまったが、こちらはそのまま10時半頃まで起きていた。
■ 2011/02/20 (Sun)
ひとりで遠征

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel

ご自慢の赤いMG
 朝、7時過ぎに起きた。連れも間もなく目覚めたが、まだ出かけるには早い。しかし、ひとりでボーンビルの西側に遠征するにはいい機会かも知れないと考え、カメラと地図だけをもって、8時頃に宿を出た。玄関を出ると、宿の主人がご自慢の赤いMGを台車に載せて出かけようとしている。どうやらクラシック・カーのイベントに出かけるらしい。雲がたれ込めているせいもあって、まだ薄暗い感じもあるがいつものようにボーンビルへ向かう。セリー・パークでは、今日もたくさんのカモメたちがゴールを守っていた。
 運河と鉄道を渡る橋の直前の道を左折し、うねうねと曲がる坂道を下りて行く。この辺りは昔キャドバリーの工場と運河を結んでいた鉄道の荷揚げ場があったはずで、最近まで住宅にはなっていなかった。したがって、建っている家もかなり新しいものばかりである。地図で見ると自動車は袋小路になっているようだが歩いてはそのまま先の運後沿いにある道へ抜けられるようだったので、思い切って入ってきたのだが、やはりそうなっていて一安心した。そのまま運河と同じ高さから、さらに坂を下りて、ボーンビル・レーンに出てガードをくぐり、駅に入る。窓口の駅員に、カナル・ウォークにこちらから入ってよいかと確認し、南行きのプラットフォームに出て、運河にたどり着く。カナル・ウォーク(運河沿いの道)を北上するのは帰路にして、メリー・ベイル・ロード(Mary Vale Road)を西へ進む。アルムスハウスという、本来は高齢者などの2人世帯などのための施設だった寄宿舎のような建物の前を通って写真を撮っていると、そこにたむろしていた、かなり高齢の老人に話しかけられたので、スモール・トークをする。87歳というご老人の話では、今季は冬が来るのが早く、いつもなら11月からが冬なのに、9月から冬だったという。寒い冬は咳が出て、5歳のときから毎年苦しまされている、などと仰るので、その割には長生きしたんですね、と言うと、笑って天を指差し、そろそろ迎えにきてくれと頼んでおくか、などと冗談を返された。

セルビア正教会
 そのまま更に西へ進み、大きな芝生の緑地の角に出た。新聞配達の青年が自転車であたりにデイリー・メール?を配っていた。そのまま緑地に沿って進むと通りの名はヒース・ロード(Heath Road)となる。右手の緑地がいったん途切れた辺りで家から出てきた白髪のご婦人に、道に迷っているのかと心配されて声をかけられ、そのまましばらく話しながら先へ進んだ。きれいな住宅地ですねというと、冬は木が葉を落としているから面白くないが、緑の季節は本当に素晴らしいと強調された。ウッドランズ・パーク・ロード(Woodlands Park Road)との交差点で右折してご婦人と別れる。この辺りになると、開発時期の違いから建物デザインはシンプルな感じになるが、レイアウトはむしろゆったりして来るようだ。そのまま進んでコブ・レーン(Cob Lane)に入ると、なぜかいきなり正教会の建物が見えてきた(後で調べたところ、1960年代に建てられたセルビア正教会であった)。ここで左に入ると、ボーンビル学校への入口になっている小さな坂道があり、こちらに入ってみる。平屋の建物が何軒か並び、朝食の仕度の時間なのか、暖房用なのか、家々からは水蒸気の排気が出ている。正門のゲートまで進んでそのまま正教会まで戻り、西へ向かう。右手にはクリニックなどがあり、その先に左手には階段があった。階段を上って見ると、先ほどの学校の正門脇に出た。きっと正門を出た生徒たちが、斜面を勝手に降りるのが日常化して、遂には階段が設けられたのであろう。そのまま元の道に下り、更に進んで、ブリストル・ロード(Bristol Road)に出た。
 この道は、セリー・オークの辺りを通っている道の続きだが、この辺りでは片側2車線で横断歩道もまばら、けっこうなスピードでそこそこの交通量の車が行き交っている。道の反対側は、どうやら学校(ボーンビル・カレッジ)になっているようだ。しばらくは横断せず、道の東側を北上し、ボーンビル・カレッジの前で横断歩道を渡り道の西側に出た。そのまま北上してミドル・パーク・ロード(Middle Park Road)で左折しようかと思ったが、その先の僅かな谷筋沿いの公園に入って庭園路を西(正確には西北)へ向かうが、最初に谷を横切る道路のところで庭園路がなくなり草地になったので、右折してすぐのラウンドアバウトを左折し、ウィザーフォード・ウェイ(Witherford Way)に入る。シェンレー・フィールズ・ロード(Shenley Fields Road)で左折して公園に戻り、釣り人がいる池の端を通って、ウィーリー・キャッスル地区の東端にあたるラウンドアバウトに到達した。丁度、ハザードを焚いた警察の車両に先導されて「L」マークの車が通っていったのだが、免許の実地試験だったのだろうか?

キャッスル・スクエアの一部

Quarry Road & Gregory Avenue の角
 このラウンドアバウトに面して6軒分の商店のスペースとカトリック教会があった。商業施設の方はおそらく当初の想定とは異なり、2軒分の酒屋と、3軒分のコンビニになっている(あと1軒はシャッターが閉まっていた)。カトリック教会の方は、正面から見る限りでは教会らしくない、ちょっと変わった感じの建物だった。側面や裏に回ると教会なのだが、正面から見ると何か非宗教的な集会場のように見える。ここからまっすぐこの地区の中央広場に当たるキャッスル・スクエア(Castle Square)を目指し、ウィーリー・キャッスル・ロード(Weoley Castle Road)を進む。道はかなり広く、直線的なので、遠くからでも広場に面した施設の一部が見える。ただし、土地の起伏が、平面的には幾何学的な道路の線形と、うまく調和していないようにも感じられた。犬の散歩をしている青年に途中で抜かされ、そのままその背中を追うように広場に到着した。広場は斜面上にあり、西が高く、東が低くなっている。ここにはコイン式の公衆トイレがあった。前から中がどうなっているのか気にはなっていたのだが、10ペンスを投入して初めて利用した。
 既にこの時点で10時を回っている。ぼちぼち戻る事を考えなければならない。広場からひとつ目の角まで、上り坂になっているウィーリー・キャッスル・ロードをさらに少しだけ進み、直ぐに左折してクォーリー・ロード(Quarry Road)を南へ進む。最初は下り坂だったが、谷筋のグレゴリー・アベニュー(Gregory Avenue)を超えると上り坂になり、先ほどちょっとだけ歩いたシェンレー・フィールズ・ロードに突き当たるまで上る。この辺りは、もともとあった簡素なデザインの家に、各戸が微妙な味付けをしているのが分かりやすく、面白い。レンガむき出しが基本だが、その外壁にモルタルを塗ったり、屋根を瓦に吹き替えたりと、いろいろな工夫がある。
 上り坂で突き当たったシェンレー・フィールズ・ロードは、この辺りでは中央の広い道に加え、両側の家の前に測道が設けられており、とても広く空間がとられている。これだけ広い通りの両側に、住宅しかないというのはある意味では奇観かもしれない。この道に出た角を右折して西へ向かい、南側の測道が切れる辺りで抜け道を見つけてグリーン・メドウ・ロード(Green Meadow Road)側に抜けた。こういう道を見つけるのはなかなか楽しいものである。
 クローバー・ロード(Clover Road)を下り、突き当たりで左折してスワースモア・ロード(Swarthmore Road)を進んで、アブドン・アベニュー(Abdon Avenue)を右折する。ここからはいきなり、集合住宅が並ぶ地区である。コート(Court)と名付けられた数戸から数十戸の集合住宅が配置され、日本の団地景観にも似た、しかしかなり低密度の景観を作っている。近寄って見ると、自分が子どもの頃によく見たようなワイヤー入りのガラス板が入口に使われている。それも何枚も使ってフレームにはめて、扉や壁の高さ高さ、大きさを塞ぐ形である。おそらく、1960年代以前の建物なのであろう。

Manor House
あと数年で取り壊されるとか
 地図で見当をつけ、最初の袋小路で左折すると、思った通り、その先のマナーハウス(キャドバリー家の屋敷跡)の敷地へ抜けられるようになっていた。踏み固められた方ではなく、本来の歩道を上って行くと、いきなり前方に大きなレンガの壁が現れた。マナーハウスの南翼のすぐ下にたどり着いたのである。来歴はきちんと調べていないが、住宅としてみれば巨大な邸宅であり、そこそこのイベント会場になる規模の屋敷である。マナーハウスは現在は封鎖されていて、窓は板が打ち付けられ、一部ガラスが破損している箇所もあるような状態だが、建物の南側の斜面は緑地が広がり、まことに堂々とした偉容を見せていた。南翼から正面が見える位置へと緑地の縁を進み、写真をとる。
 既にこの時点で11時を回っており、そのまま坂を下りて、最近の開発と思しき一角を抜けて、再びブリストル・ロードに出た。今度は横断歩道ではない、おそらくはボーンビル学校の生徒が中央分離帯を踏み固めたところで道を横切り、道の東側へ渡る。先ほど通ってきた学校下の道に入って正教会の交差点でブルック・レーン(Brook Lane)に入り、ヘイ・グリーン・レーン(Hay Green Lane)に突き当たって左折した。そのままヘイ・グリーン・レーンを東へ進み、この辺りでは広めの道になっているボーンビル・レーンを横切ってしばらく進んだところで、カリヨンの先端がわずかに見えた。この辺りには、トラストが管理する園芸用具の貸与事業の倉庫があって、こういう事もしているのかと再認識させられた。
 そのまま進んでボーンビル・パークに入り、庭園路を抜けてキャドバリーワールドの駐車場への入口前に出る。ここで右折して、左手のグラウンドで少年サッカーの試合をやっているのを眺めながらリンデン・ロード(Linden Road)をアルムスハウスの角まで上る。アルムスハウスの角を左折し、ボーンビル駅にたどり着いたのは正午ころだった。
 駅からカナルウォークへ下りて北へ向かって歩き始める。最初の1キロほどは、道幅が狭く、しかも水たまりが大きくて、歩くのに苦労する。ときおり、走っている人、自転車の人が前からも後ろからも来る。運河を船が通って行くのも見かけた。今朝あるいてきた所の対岸から、やがて今朝見た住宅の、運河に面した裏側が見えるあたりにさしかかると、表からは見えない日常の断片が感じられて面白かった。もちろん、このカナルウォークは行き交う人も多いし、電車からもある程度見えるはずなので、こちら側からも見られる事は意識されているはずだが。
 最初にくぐる鉄橋は、おそらくかつてのキャドバリーの鉄道の跡である。これを超えると斜面は薮になり、その先に見える橋が、ふだん宿からボーンビルに向かって歩いている橋である。下から見ると実際に使われている運河用のアーチと、鉄道用のガードの間に、現在はフェンスに囲まれて薮になっているアーチがある。これが元々は何だったのか、気になるところだ。ここで上の道に上がれれば大変便利なのだが、そうは問屋が卸してくれない。そのまま更に進み、いったん東側に出る線路の下をくぐり、釣り人が何人もいるところをしばらく進んで行くのだが、なかなかカナルウォークから出られない。ようやく、12時半頃に、セリー・オーク駅の西側で道路に出られる道があるのを見つけてほっとする。
 しかし、ここから次の大学駅までは1/2マイル、つまり1キロ足らずと表示されている。大学駅まで行くことにして、ブリストル・ロードの下をくぐり、再度運河の西側に出る線路をくぐって、ちょうどブリストル・ロードのバイパス工事をしている辺りにさしかかった。かなりの落差でブリストル・ロードを遠望する。そのまま歩き続けて大学駅へたどり着いた。大学駅の跨線橋に上がる階段の手前で、前から自転車が来たので道を譲ろうとしたら、乗って来た青年はそのまま自転車からおり、自転車を抱えてひょいひょいと階段を上り始めた。どうやらここの学生だったようだ。
 カナルウォークを出て、大学入る。この辺りは古代ローマの拠点だったようで、発掘調査の結果の概要を説明するパネルが設けられていた。休みに入った日曜日とあって、大学構内も閑散としている。南門近くのグラウンドでは、男女それぞれのホッケーの試合が行われていた。こうして、ようやく宿にたどり着いたのは1時15分ころ、歩き始めてから5時間以上が経っていた。

SOAK のブレックファストとサンデー・ロースト
 連れは、ずっと部屋で寝ていたそうで、ベッドメイキングもしてもらわなかったという。こちらはかなり疲れているが、このまま休むと出かける気がしなくなりそうだったので、直ぐに仕度をさせて、昼食をとりにセリー・オーク駅方面へ向かう。最初はイタリア料理店に入ろうとしたのだが、営業時間内であるはずなのに店には子どもが一人いるだけで誰もいない。その子どもは、入口正面のレジがあるところで、何とレジの端末をゲーム機代わりにして遊んでいた。他に誰もいないので、こちらもそそくさと引き上げた。結局「Soak」(パブの看板はオークの古木のシルエットなので、Selly OAK という意味だろう)という学生の溜まり場らしいパブで、ブレックファストとサンデー・ローストをとり、ふたりで取り分けながら食べる。ビールと飲み物を入れて、11.70ポンドだった。その後、先日も行ったスーパー「アルディ」で、飲み物やスープなどを買って部屋に戻った。まだ3時半ころだったが、こちらも連れも疲れていたので、ベッドに入ってすぐに眠る。
 その後、夜9時過ぎに目が覚め、起き出して、ネットを繋げない状態を何とかしようといろいろ試みる。幸い、当初とは違う方法で繋げばインターネットが使えることが分かった。ただし、当初のように部屋では繋げず、部屋を出てすぐの階段に腰掛けて電波を拾いながら作業をすることになる。その後しばらく、ネットをいろいろいじっているうちに深夜2時を過ぎた。
■ 2011/02/21 (Mon)
再び中央図書館へ

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel

Selly Sausage のブレックファスト
 朝は8時過ぎに目が覚めるが、連れはすんなりと起きてくれないようだ。ネットをやりに階段へ行き10時に近くなって部屋に戻る。連れにもぼちぼち起きるように促し、こちらもシャワーを浴びて出かける準備をする。結局、10時半ころに宿を出て、まず朝食をとりにセリー・オーク駅に向かう途中のカフェ「セリー・ソーセージ」に入り、ブレックファストとパンケーキで朝食にする。ここでは、支払いにちょっとしたトラブルがあったのだが、出て来たのはボリューム満点の朝食で、大満足する。
 11時40分ころに店を出て、セリー・オークの図書館ヘ行き、借り出していた本を返却する。最初にこの図書館に来たときに対応してくれた白髪の女性司書がいて、配慮を感謝する。図書館を出てから連れにもカナルウォークをさせようと思い、セリー・オークからユニバーシティまでの一駅分を一緒に歩く。昨日よりも時間帯のせいか、鳥が少ないような気がする。ユニバーシティ駅から電車に乗り、ニューストリート駅まで幸い座ることができたが、短い時間なのにウトウトしてしまい、危うく下り過ごすところだった。
 午後1時15分ころに中央図書館に到着し、郷土資料のフロアである6階へ直行する。今回は、前回に一部のコピーを取った本の一部から、別の部分をもう少しコピーするのと、おもに著作権の切れたOSの古い地図のコピーが作業の中心になった。結局、資料の選別とコピーに、2時間ほどの時間がかかった。
 図書館での作業が終わったあと、連れがマーケットへ行きたいというので、既にほとんどの店は閉まっている時間だったが、ラグマーケットあたりへ向かう。既にほとんどの店は閉まっているが、そのまま少しだけ店を見てから、駅の裏の方に回り、そのまま(現在は再開発工事中で封鎖されている)駅の裏口の前にあるパブ「クラウン」に入る。ここではいつものようにビールとレモネードでひと休みする。この後どうするか、連れはしばし迷ってから、以前入ったことがあるバルチ料理の店を探しに行きたいと言う。駅の反対側で少々遠いが、元気を出して出かけることにする。しかし、コーポレーションストリート沿いの、裁判所の先の辺りにあったはずの店は見つからなかった。おそらく潰れたか、移転したのだろう。セリー・オークにもバルチの店はあるので、セリー・オークに戻ってバルチを食べることにする。駅の上にあるパラセードの99ペンスショップで菓子を少し買ってからプラットフォームに向かい、少し遅れてやってきた定刻午後6時3分の電車でセリー・オークに戻った。

Cafe Eastern Delight のバルチ
 セリー・オークでは、ブリストル・ロードで数軒おきに並んでいる3店のバルチ料理の店の中から連れに選ばせ、「カフェ・イースタン・ディライト」に入る。店の中央にある、金魚のいる水槽の脇の席につく。メニューを見ても、バルチ料理だけで無数のバリエーションがあって、頼み方もよく分からない。そこで、店主の息子?と思しきウェイターのお薦めに従い、辛めのラムのバルチと、マイルドな魚のバルチを作ってもらう。3年ぶりに食べる本格的なバルチは、辛口の方が少々辛すぎたが、全体にとても美味しく、時間は少しかかったがふたりで全てをきれいに平らげた。食後のマサラ・チャイも美味しかった。しめて20ポンドほどで楽しめた贅沢だった。
 店をでたのは午後8時15分ころ。そのまま宿にもどり、お茶を飲んだ後、連れは休み、こちらは階段に出てネットをつなぐ。そのまま、午前0時過ぎまでいろいろ作業をしていた。
■ 2011/02/22 (Tue)
キャドバリ−ワールドとトラスト訪問

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝は8時ころに連れに起こされる。今日は午前中にキャドバリ−ワールドを見て、午後にボーンビル・ビレッジ・トラストへ聞き取りに行くことになっている。パンとスープで簡単に朝食を済ませ、シャワーを浴びてから午前9時過ぎに宿を出た。キャドバリ−ワールドに付いたのは9時40分ころで、まだ行列はできていない時間帯だった。
 入場は10分おきに一定数と決められているようで、予約通り9時50分に入場することができた。入場する際に、チョコレートを2種類渡される。最初の展示は中米のジャングルでマヤ人たちがカカオの実を貴重な食糧としていたことが、等身大の人形の展示で示され、やがてコンキスタドーレであるコルテスらによってココアがスペインにもたらされたこと、スペインで(中米でチリなどを入れていたのに代えて)砂糖などを入れる調合ができてそれがヨーロッパに広まったこと、サミュエル・ピープスの時代にはイングランドにももたらされており、18世紀にはロンドンで流行がはじまったことなどが、ディスプレイ上の動画で紹介される。その次に、キャドバリー家がココアの製造に乗り出す頃からの事情が、巧みに構成されたディスプレイと映像で紹介される。その次の部屋では、急な衝撃などで体に変調を来すおそれのある方は、この部屋の後方に座ってください、というアナウンスがなされた。出遅れた我々は、丁度部屋の真ん中に座ったのだが、カカオ豆からチョコレートまでの工程を説明するこの部屋では、われわれが座った真ん中より前の席は、説明の中で豆を篩に掛けるという話になると座っているベンチが振動し、ローストするという話になると、軽く赤外線?が当てられるといった具合で、豆の気分?を味わえた。

Tea for Two @ Cadbury World
 その先には製品の製造工程を紹介するビデオがあり、階段を経て、実際の工場へ進めるようになっている。ただし、本格的な工程は企業秘密で見せてもらえない。見ることができるのは、パッケージ工程のごく一部だけである。ここでまた、別の種類のチョコレートを1つもらう。パッケージ工程の先には、デモンストレーションでチョコレートで字を書いたり、液体チョコレートを味見できるコーナーがあり、そこを抜けると19世紀末のチョコレート製造機の模型などが置かれている。ここから階段を下りて工場から元の建物に戻ると、キャドバリーの広告をテーマにした展示の一角になる。ここも見ていて飽きない感じだ。これで展示は最後で、次のドアを開けると売店に抜けて、戻ることはできない。売店では、前回買って美味しかった菓子と、キャップとTシャツを買う。そのまま隣のカフェでスコーンとお茶のセットにチョコレートムースをとり、一息入れる。その後、展示施設の裏側というか東側の側面にあるボーンビル・エクスペリエンスという無料の展示に向かい、ボーンビルの開発史に関する展示や、ボーンビルの模型を見学する。これはなかなか勉強になった。
 既に午後1時20分になっている。トラストのアポイントまで1時間ほどしかない。先ほど購入を迷ったDVDを結局買うことにしてショップに戻り、それからいつものカフェに向かう。ここではスープを紅茶で、先ほどのスコーンと合わせての昼食にする。午後2時15分ころ、カフェを出て、トラストのオフィスへ向かう。
 トラストのオフィスに到着し、名前を言うと、アポイントを貰っていたS氏が、もうひとりH氏とともに出てきてくれた。H氏は、先日購入し、今日も持ってきた本の著者である。奥の会議室に通され、いろいろ話をする。やがて4時近くになり、S氏は帰る時間になったようなので、ひとまずいったん区切り、S氏を見送った後、玄関から入ってすぐの応接コーナーでH氏と更に突っ込んだ話をする。ここでは、最初の話の中では出てこなかった資料を追加で頂戴し、極めて有意義だった。
 結局トラストのオフィスを出たのは、5時近くになっていた。直行で宿に向かい、途中にある、前回とは別の揚げ物屋で、フィッシュ・アンド・チップスを買って帰る。宿に戻ったのは、午後5時半頃だった。イギリスに来てからまったくテレビを見ていなかったのだが、テレビを点けてみようということになり、6時頃からテレビを点ける。ニュージーランドのクライストチャーチで発生した地震のことと、リビア情勢関連が大きなニュースになっていた。そのまましばらくテレビを見た後、8時過ぎに連れが寝た後、階段に出てネットを使う。結局寝たのはかなり遅かった。
 
■ 2011/02/23 (Wed)
小休止の一日

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝9時過ぎに目覚め、テレビを点けるが、もうニュースの時間帯ではない。ポストマン・パットなどをやっているが、テレビを見るのはやめて、ネットをしに階段へ出る。10時頃に連れに呼ばれて部屋に戻り、スープとパンの朝食を作る。その後しばらくまた階段でネットで遊んでいると、11時ころに身支度した連れがひとりで出かけてしまう。こちらはそのまま、階段でパソコンをいじって待っていた。
 午後1時30ころに連れが戻ってきて、こちらも部屋に戻り、お茶を入れ、呑みそびれていた朝の薬を服用する。しばらく部屋で休んでから、午後3時ころに連れと宿を出て大学の地理学/環境科学教室へ向かう。今日は、新入生のオリエンテーションをやっているらしく、いろいろな学科の名前が入ったシャツなどを着た学生が、あちこちで新入生たちを案内していた。地理学教室の受付では、先週対応してくれた女性がデスクにいたので、ボーンビルに関する論文を書いたというスタッフの話などを確認し、後からメールをもらえることになる。
 英国に来て以来、晴れた日は一日もなく、厚い雲がたれ込めていた。今日も晴れ間のない曇りではあるのだが、これまでの中では一番雲が明るい日だったように思う。いつもは下から見上げると少しもやがかかったような感じに見える大学の時計塔も、今日はくっきりと見えている。

Goose on the O.V.T. - former Bournbrook Hotel
 午後4時ころに大学のキャンパスを出て、ボーンブルックの街へ下り、連れが昼食をとったという「グース」というパブへ入る。ここはもともと「ヴァーシティ・タバーン」という店があった後に「ボーンブルック・ホテル」として現在の建物が出来、それがパブに改まって「Goose on the O.V.T.」という名になったらしい(「O.V.T.」は「Old Versity Tavern = 元のヴァーシティ・タバーン」)。飲み物はビールと紅茶をとり、連れが昼の食事の際に迷ったメニューだというクリームソースのパスタを注文する。ところが、しばらくして出てきたパスタは、表面こそ暖かいものの、中はまだ冷凍されたままだった。直ぐに文句を言うと、温め直したものが出てきた。冷凍食品とはいえ、味はまあまあである。そのまま午後5時半ころまで、ここでゆっくりしていた。
 5時半ころに店を出て、駅の方へ進み、スーパーのアルディに行く。菓子類や缶詰などを買って店を出ると、あっという間に夜らしく暗くなっていた。宿に向かって戻っていくと、ブリストル・ロードがどちらの方向も渋滞する中、救急車や消防車が次々とやってくる。後で、大きな工場火事があったという新聞記事を見たので、おそらくその関係だったのだろう。
 宿に戻ったのは、午後6時を少し過ぎたころだった。部屋に戻り、スープとパンに缶詰、残っていたセロリなどを食べて夕食にする。食後、7時20分ころから9時半過ぎまで、階段でインターネットをいじってから、連れが先に寝ている部屋に戻り、ベッドに入った。
■ 2011/02/24 (Thu)
バス乗り放題の一日

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel

Village Green @ Bournville
 朝7時過ぎに目覚め、トイレに立った後、しばらく階段でネットを繋ぐ。部屋でスープとパンなどで朝食をとってから、連れと一緒に午前10時少し前に宿を出る。今日は、火曜日にトラストで聞いた話の中に出て来た、比較的最近の開発地域を見に行く計画なので、最初、連れはついて来るのを躊躇していたのだが、結局、ついて来ることになった。歩き始めてすぐに気づいたのだが、今日は、こちらに来てから一番よい天気になっている。もちろん、日本の基準で言えば間違いなく曇りなのだが、雲が明るく、所々に晴れ間も見えている。ボーンビルの公園をはじめ、あちこちで芽生え始めていた花が、もう開き始めている。ボーンビルではストックスウッドとセリー・マナーの間の園芸用品の店が営業していたので、冷やかして見たが、その品揃えの充実ぶりに感心させられる。
 公園の辺りまでは快調だったのだが、そこからセリー・オーク・ロードの坂を上り、ボーンビル・レーンを右折して、ぼちぼち今日の重要な目的地と思いだした頃から、連れの調子が少々悪くなってきた。だましだまし連れを歩かせ、こちらは写真を撮りながら、セント・フランシス校の脇を抜けて緑地を横切り、メリー・ベイル・ロードに出て、ケアホームのある行き止まりの袋小路に入り、出て、さらにメリー・ベイル・ロードから、今度は下り坂になっているセリー・オーク・ロードを進み、また別の、奥が深い袋小路に入り、一番奥で歩道が先に繋がっているのを見つけて、キング・ノートン男子校の脇でノースフィールド・ロードに出た。
 既に正午になっている。連れはかなり疲労困憊した様子で、おなかが空いたし歩けないという。学校前にバス停があったので、そこからバスにでも乗ろうか、どうしようかと思っている間に、18番(だったと思う)のバスが左手から坂を上ってきたので、とっさに道を渡ってバス停に行き、一日乗り放題の「Daysaver」(大人は3.60ポンドなので、3回乗れば元がとれる)を買って、とりあえず2階席に上る。どこに行くかは分からないが、もう1か所見たいと思っていたシェンリー・レーン方面の最近の再開発の方向に向かっていることは間違いなので、AtoZ で位置を確認しながら、しばらく様子を見る。ノースフィールド・ロードからバンベリー・ロード・チャーチ・ロードとバスは進んでいったので、そのままシェンリー・レーンに向かうのなら願ったり叶ったりだったのだが、ノースフィールドのところで、バスは左折したので、ここでバスから降りて、期せずして初めてやって来たノースフィールドの商店街やショッピング・センターを見て回る。一通り回ってみてから、「ジュディーズ」というカフェに入り、こちらはブレックファスト、連れはラザニアをとって昼食にした。この店を切り盛りしているのは、香港から来たという中国系の女性であった。

Judy's Cafe @ Northfield
 午後1時15分ころにカフェを出て、ノースフィールドの交差点へ戻ると、29番バスがシェンリー・レーン方面へ向かうのが見えた。これに乗り継げば、もう少し目的地に近づけるはずなので、早速29番バスの乗り場を探し、次に来たバスに乗り込む。こうして丁度1時半ころに、シェンリー・レーンの再開発されたブロックが見えるバス停で下車した。この一角は、周りとは対称的な佇まいになっていて、なかなか興味深い。15分ほどでひと回りして、ブラック・ヘインズ・ロードのバス停に出ると、これまたすぐに、先ほどとは逆方向の29番バスがやって来た。これでノースフィールドまで戻り、ブリストル・ロードを北上する63番に乗り継いだ。
 セリー・オーク駅近くまで戻ってきたのは午後2時を回ったころだった。ここでバスを降り、バーミンガム大学の地理学教室へ向かう。先日対応してくれた受付事務の女性に再度会って、ボーンビル関係の文献についてメールで教えてもらった内容に関連して、いくつか確認する。その足で、大学図書館へも立ち寄ったが、残念ながら3本の論文のハードコピーはいずれもとれなかった(この3本の論文は、結局、東経大の図書館に手配してもらって後日入手できた)。これで、今回の滞在ではもう大学へ立ち寄る機会はないので、学生会館の売店でお土産のTシャツを買って、正門から下りてブリストル・ロードのバス停に出る。
 まだ、午後3時を少し回ったばかりである。明日は、かなりの荷物を抱えて移動しなければならないので、駅まで荷物を持っていくより、ずっと近いバス停からバスで中心部へ向かう予定にしている。しかし、これまで中心部へ出かける時はもっぱら電車だったので、使っていなかった61番バスに乗っておくことにして、大学正門下のバス停から61番バスでニューストリート駅へ向かう。バスでは2階席の前方に陣取り、電車とはまた異なった、車窓から見える郊外住宅の形態の変化を写真に収める。

Rag Market @ Bullring Market
 ニューストリート駅で下車し、ブルリングのマーケットを見に行く。ここでは、安物のTシャツやポロシャツなどを買った。連れも自分用に安い服を買っていた。今回の滞在でも3回目の利用になる、お気に入りのカフェ・ネオでお茶を飲んで少し休んでから、ニューストリート駅に戻り、61番バスに乗る。このバスは、中心地では一方通行の循環になっていて、先ほど下りたところでそのまま乗ると、ぐるっと中心部を回ってブリストル・ロードに戻るようになっている。
 こうして、セリー・オーク駅近くに戻ってきたのは、午後5時45分ころだった。もちろん薄暗くはなっているが、到着したばかりの頃なら、また、今日のように天気がよくなければ、もっと暗くて夜のようになっていたはずだ。これまら何度も使ったアルディの近くでバスから降り、少し買い物をする。もちろん、これで歩いて宿まで戻ればよいのだが、店をでると、ちょっとだけ買い物をしていた間に、すっかり夜になっている。
 今日はバスが乗り放題なので数百メートルだけでもバスに乗ろうかと思い、ブリストル・ロードをやって来たバスに、よく番号を見ずに乗り込んだ。ところが、このバスはいきなりブリストル・ロードから右折して坂を上り始めた。驚いてすぐ下車すべきか迷ったが、そのまま場所が分かるところまで行ってから下車した方が賢明だと考え、右折、左折を重ねるバスの経路をAtoZで確認する。どうやら、ボーンビルへ歩いて行く道の途中の、セリー・パークの緑地に面したカトリック教会のところへ出るようだ。結局、坂を上りきり、尾根道に出て最初のバス停である協会の前で降りて、宿まで戻った。もちろん、アルディから歩いていた方が早く宿に着いていたことだろうが、坂を上らずに済んだと思うことにする。
 宿に戻ったのは午後6時半ころだった。明日の朝には移動しなければならないので、最終的な荷造りをする。最終的には、連れと2人それぞれが、トロリーとボストンをひとつずつ、計4個を持つ形に荷物がまとまる見込みが立った。昨日の日記を仕上げ、今日の分も少し手をつける。11時ころまで起きていたが、そのまま寝てしまい。夜中に一度起きて朦朧としつつ電気を消す。
■ 2011/02/25 (Fri)
再びバス乗り放題の一日

Birmingham
Birmingham:
Britannia Hotel
 7時過ぎに目が覚め、しばらく階段に出てインターネットをいじる。スープとパンで朝食をとってから、昨夜、アルディで買い物し漏れた飲み物と缶詰を買いに、9時ころに一度宿を出て、買い物に行く。宿に戻ってからシャワーを浴び、11時を少し回ってから宿を出た。結局、今回の宿には10泊したが、国内外を問わず、(シドニーに国外研究員でいたとき借りていた家や、語学研究の引率で滞在したチチェスターの学生寮は別として)ひとつの宿にこれだけ長く連泊したというのは、初めてかも知れない。
 荷物はかさばるし、重いが、ひとつはトロリーなので、鉄道駅より近いバス停までの下り坂なら大したことはない、はずだった。ところが、宿を出て、坂道になっているサーペンタイン・ロードを下り始めたところで、自分のトロリーの車輪が完全に壊れてしまった。これでは、手に提げて持って行くしかない。肩にかけているボストンもけっこう重い上に、さらに重いスーツケース(もはやトロリーではない)を運ぶのはかなり厳しい。結局、休み休み歩いて、ようやくバス停にたどり着いた。ところが、やってきた63番バスに乗ろうとすると荷物を持つのに手間取っているうちに、乗らないものと勘違いされて発車されてしまった。しかもすぐ後に続けてきた同じ63番バスは、当然前のバスに乗ったはずと思ったのか、こちらに気づかずバス停を通過して行った。結局そのまま10分以上待ってから、やってきた61番バスにようやく乗り込んだ。既に11時半を回っていた。乗り込んだバスの中では、とにかく荷物が大変なので、入口近くの荷物置き場を使おうと思っていたのだが、誰かの(おそらくご老人の)ショッピングバッグが横におかれていて、ボストンバッグを隅に置くことしかできない。仕方なくスーツケース2個を通路に置き、自分は立ってバッグが倒れないように押さえ続けていた。幸いラッシュ時間帯ではなかったので、バスはスムーズにニューストリート駅に達し、そこからまた休み休み荷物を運んでようやく今夜の宿であるブリタニア・ホテルにたどり着いた。
 ブリタニア・ホテル系列の宿には、リバプールとマンチェスターで泊まったことがあるが、バーミンガムのブリアニアは、表通りではなく横丁に狭い入口があるだけで、「古いが壮大」というこれまでとまった同系列のホテルとはだいぶ印象が違う。ここのチェックインは午後2時からなので、荷物をいったん預けようと思ったのだが、レセプションにいた管理職(supervisor)の名札を付けた小柄な若い中国系の女性に、きっぱりとした口調で、2階(事実上4階に相当)にあるバーのところに自分で置いてくれと言われる。行って見ると、鍵がかかる訳でも、誰かが見ている訳でもない場所である。多少の不安は感じたが仕方なく大きな荷物をすべてここに下ろして、買い物と昼食に出かける。
 昨日の安売りの店で買った服のサイズが全く合わないのでサイズ交換をしたい、と連れが言うので、ブルリングマーケットのラグ・マーケットヘ行く。幸い昨日と同じ女性が店番をしていたので、簡単に交換してもらえた。その後、昼食をどうするか、ブルリングを冷やかし、ニューストリート周辺へ出てもなかなか入って見る気になれる店がない。昼食に入るところを考えあぐねているうちに、先にマーケットに戻って、壊れたトロリーの代わりを買おうということになる。ラグ・マーケット前で鞄を売っているストールで見つけたのは、18ポンドを特価で14ポンドに値引くというものだった。ストールの親父になぜ値引くのかと尋ねると、打ち張りの布に小さな破れやほつれなどがあるという。しばらく見ていると、同じ商品の別色で、もう少し状態が良いものが同様に値引けるというので、持ってきてもらうことにする。しばらくストールをほったらかしてどこかにストックをとりに行った親父が持ってきたのは、茶色のトロリーで、こちらを言い値の14ポンドで買う。当たり前だが、空のトランクは軽いので、それを持ったまま再び街に上がり結構うろうろした後、午後1時20分ころに、アステリアス・サンドウィッチ・バーに入って、2階席をとり、ブレックファストとサーモンのサンドウィッチに紅茶で、9.55ポンドの昼食をとる。ここでは、午後2時のチェックインに合わせて、少しゆっくりして時間を潰す。

ブリタニア・ホテル419号室から見下ろした
ニューストリート
 午後2時丁度くらいにブリタニアに戻り、チェックインする。部屋は419号室。禁煙室で、ニューストリートを見下ろす気持ちのよい部屋だ。4階というのは、この建物の場合、事実上日本流なら6階に相当する高さだ。道路を見下ろす側は全面ガラスで、その一部だけが換気のために開けられるようになっている。これまでブリタニア系で安い料金で泊まってきた経験では、安い部屋は窓が全くなかったり、あってもその先がすぐ壁だったりしたので、この位置は意外でもあり、また嬉しかった。連れを部屋に残して、先ほど2階に置いた荷物をとりに行く。ところが、2基しかないリフトは1基が停まっていて、待てども待てどもリフトがやってこない。結局、下りは階段で2階まで降りてしまった。荷物を持って、今度はリフトで4階へ上がり、荷物を部屋に入れると、直ぐに再び出かける。
 宿を出ると、小雨がばらついている。横丁から裏手に回り、ハイ・ストリートに抜けて、ギャップの店の前にあるバス停で61番バスを捕まえ2階に上がる。水滴が窓についているので、よい写真は撮れないが、2階へ上がる。最初はノースフィールドまで行くことを考えたのだが、途中で雨が上がってきた様子だったので、連れにマナーハウスを見せようと思い、ボーンビル学校のところでバスを下りた。マナーハウスにたどり着いたのは午後3時20分ころだった。正面玄関のところに工事関係者と思しき若者がいたが、こちらを見とがめるでもなく新聞のクロスワードをしながらお茶を飲んでいる。声をかけて訊いてみると、この屋敷は元々キャドバリー卿のものだったが、あと数年で取り壊されて住宅地として再開発される見込みなのだという。取り壊し予定とは知らなかったので、建物の写真を撮りながら、改めてキャドバリー家の歴史に思いを馳せた。
 上って行った時とは別のルートでブリストル・ロードに戻り、先ほど下車したバス停よりひとつだけノースフィールド寄りのバス停から、61番でノースフィールドへと移動した。ここでは、連れの希望で、動物愛護団体pdsaのチャリティ・ショップに入り、安い食器と、バーミンガムの第二時世界大戦当時の新聞記事や写真を集めた本を買う。店を出ると、また少し雨がしっかり降るようになっていた。最初は、昨日途中で下車した29番に乗って下車したところから先のルートがどうなっているのかを見てみようと思っていたのだが、ウィーリー・キャッスルに行く49番バスが来たので、そちらに乗ることにする。
 ウィーリー・キャッスルに到着したのは午後4時半ころだった。前回来たのは日曜日の午前で、シャッターが下りている店が多かったのだが、今日はどの店もちゃんと営業している。人出も、駐車している車もけっこうあって、そこそこ活気も感じられる。連れはここでもpdsaのチャリティ・ショップを見つけ、食器を買おうとしていたので、こちらも1冊本を選ぶ。マーケット・ホールに入っていた、Tシャツなどを売る店で、タイなどにありそうな、奇妙な日本語のTシャツを見つけ、一瞬、買おうと思ったのだが、店番もいないし、隣の店も同様に店員不在だった。これは縁がないなと思って、結局何も買わずに出てきた。

車窓から振り返ったセリー・オークの
スーパー 「アルディ」と変電施設
 ウィーリー・キャッスルからはX64番バスで中心市街地へ向かった。墓地の脇の道を抜けてブリストル・ロードに入り、セリー・オークあたりは61番や63番と同じルートになるが、終点はタウン・ホールとなっていて、ちょっと違っている。乗客の多くはニューストリート駅に近い橋の上で下車してしまったが、僅かな乗客たちとともに終点まで乗って行く。宿に戻ったのは、午後6時ころだった。
 部屋に戻り、夕食はホテル内のレストランのビュッフェ(食べ放題)で済ますことにして、新しいトロリーへの荷物の詰め替えをする。午後7時からのレストランの営業開始に合わせて1階(事実上の3階)へ下りて行き、食事にする。確かに食べ放題なのだが、選べる料理は極めて少ない。それでも、スープ、サラダ、魚料理、野菜カレー、ケーキと、かなり満腹になるまでゆっくりと食事をした。部屋に戻ってから、ネットできる無線環境を探すが、無料でアクセスできる電波が見つからない。少しテレビを見て、バスタブにゆっくり浸り、10時ころにはベッドに入って眠る。隣との壁は薄く、隣室で大きな声でしゃべっている声がよく聞こえた。
■ 2011/02/26 (Sat)
ロンドンへ

Birmingham, London
London:
Sheraton Heathrow Hotel
 深夜2時前に一度目が覚め、しばらく日記をつける。テレビを点けっぱなしにしたまま寝ていたのだが、そもままにしておく。カーテンを少しめくると、当然ながらガラスとカーテンの間はかなり冷えている。目が冴えてしまったので、日記を書き出す。4時半ころ、連れが一度目覚めたので、その時点で出来ていた分の日記を読ませる。その後、またベッドに戻り、7時過ぎころから半ば起きかけて、テレビのリビア情勢のニュースなどを見る。連れも同じ頃に起きて、例によってスープとパンの朝食をとる。今日は、午前9時30分の長距離バスでロンドンへ向かうのだが、天気予報ではしっかりとした雨になるということだったので、宿からコーチ・ステーションまでの移動に余裕を持たなければと思い、早めに部屋を出る準備を進める。実際には、さほどの雨にはなっていなかったので、出発したのは8時45分ころ。パソコンを入れたバッグを襷がけにし、新しく買ったトロリーを曳き、軽いものだけを入れた壊れたトロリー(つまり、ただのスーツケース)をもう一方の手で持って部屋を出た。
 コーチ・ステーションまでは、思ったほどの苦もなくたどり着けた。途中にあったリサイクル・ショップをちょっと冷やかす余裕があったほどである。コーチ・ステーションでは、幸いナショナル・エクスプレスがサービスしている1時間無料のWiFiインターネットがあったので、早速接続して丸一日以上も読み落とせなかったメールをチェックする。到着したときには気づかなかったのだが、実はこの時点で既にバスは11/12番ゲートに到着していたようだ。出発5分前ころになって、既にバスが入っていることに気づき、慌ててゲートへ向かう。一通りこちらの用事に区切りがついた段階で、連れにパソコンを使わせたのだが、彼女はギリギリまでネットで何かを見ていた。
 定刻に発車したバスは、途中ソリハルでさらに数名の乗客を乗せてから一路ロンドンへ向かった。昼間にバスで都市間移動というのは、英国では久々かもしれない。車中では、南アジア系の乗客のリングトーン(アラブ風の歌謡曲?の着うたになっている)が何度も鳴ったのが、日本ではなかなか効かれない旋律だけに、面白く感じられた。いつものことながら、車窓には羊や馬の放牧の光景が広がっている。所によってはかなりの雨が降る中を、バスは順調に進み、最後にロンドン市内に入ってから、渋滞で少々時間をとられたものの、わずか5分ほどの遅れでビクトリア・コーチ・ステーションに到着した。荷物が多いので、コーチ・ステーション近くのカフェに入り、ここでしばらく荷物を置いて連れを待たせることにする。サンドウィッチと紅茶を2人分とり、自分の分をさっさと平らげて、ヴィクトリア駅までデイ・トラベルカードを買いに行く。
 今回英国に到着した日にもこの道は歩いているが、昼歩くと、以前と違っている点などがさらによく分かる。ビクトリア駅の構内を抜け、地下鉄に下りて行くと、切符の有人窓口には、いつものように長い列ができている。どうやら料金体系の見直し(実質値上げ)があったようで、ひとり8ポンド、ふたりで16ポンドをカードで支払う。歩いて連れが待つカフェに戻り、連れの希望に添ってポートベローに行く算段をする。とにかく大荷物を持って動かなければならないので、いろいろ工夫が必要だ。まず、C1番バスでナイツブリッジへ行く。ここで52番に乗り換えたがったのだが、C1とはバス停が違うので、少し手こずりながら歩いて52番のバス停に移動する。ここからポートベローに近いレンブローク・グローブ駅までバスに乗って行くつもりだったのだが、実はひとつ手前で降りてしまった。それでもポートベローとは、1ブロックだけ離れて平行している道にバス停はあるので、結果オーライである。
 土曜日とあって混雑しているポートベロー・ロードの雑踏の中、荷物を曳きながら、しばらく連れを待っていられそうなカフェを探す。バーミンガムとは違って、スペイン語や日本語がときどき聞こえるのは、ここが観光地である証拠だ。それだけでも、ロンドンに来たことを実感する。しかし、座れそうなところを探しても、パブもカフェも、満員だったり、地階になっていることが多く、なかなか入れない。ようやくポートベローの真ん中近くまで来て「Portbello Star」という店に入る。ここで、荷物番をしながら、連れが買い物をしている間の時間を潰すわけである。店内のBGMは、ずっと1960-70年代を中心としたソウル音楽である。既に午後2時20分くらいになっている。荷物さえなければ、こちらも骨董や古本などを見るのは大好きなのだが、今回は仕方ない。ホット・チョコレートを注文し、日記を書いたり、サイトの更新準備をしてしばらく時間を潰す。連れはなかなか戻ってこないので、さらに紅茶をとって居座る。午後5時近くなって、店内ではギターの弾き語りの生演奏が始まったが、結構達者なのに、いまひとつやる気を感じさせない演奏だった。
 5時を回ってようやく連れが戻ってきたので、店を出て、52番バスでハイド・パーク・コーナーへ向かったのだが、ちょうどリビア情勢の絡みで、バス停付近でデモンストレーションをやっていて人手が多く、大荷物を抱えてバス停で下車するのがためらわれた。結局、そのまま終点のヴィクトリア駅まで乗り、ディストリクト線からハマースミスで乗り継いで、ピカデリー線でヒースローのターミナル1,2,3駅で下車した。いったんターミナル1へ行き、インフォメーションやタクシー乗り場でいろいろ尋ねてホテルへ行く方法を確認すると、タクシーなら12ポンドくらい、ホテルを回るバスなら片道1人4.50ポンドだと分かる。かなり高い金額に感じたが、重い荷物もあり、仕方がないので、ナショナル・エクスプレスが運行しているホテル・バスに乗った。ところが、車窓からよく見ていると、ホテルから歩いて行けるところにもロンドン・バスの停留所があるようだ。後で路線を確認しに行くことにしようと思っているうちに、今夜から2泊するシェラトン・ヒースローに到着した。既に、午後7時になっている。

Sheraton Heathrow Hotel 1310号室

Bulstrode @ Hounslow Central
 もともと贅沢な旅とは無縁なので、シェラトン系のホテルには、東京ディズニーランドに近いシェラトン東京ベイにしか泊まったことはない。しかし、シェラトン・ヒースローは、所々に贅沢感はあるし、建値こそ非常に強気だが、低層のホテルで設備的にも少し古く、「駅前旅館」的な感じがある。同じシェラトンでも、もう一つ空港の近くにある方は、もっとちゃんとホテルらしいのかもしれない。われわれが泊まった1310号室は、普通の2人部屋で、ネットで予約し2泊で税金等込み91.20ポンドだったが、レセプションに掲げられた表向きの値は1泊200ポンドを超えていた。部屋でネットに繋げるか試みたところ、WiFiは有料で結構高い。荷物を置いてほっとしたが、夕食はホテル内で取るとやたらに高いし、朝食のようにスープとパンというのも侘しいので、先ほどホテル・バスの車窓から確認したロンドン・バスの停留所から、どこか行ける所へ出かけて食事をすることにする。
 ホテルの玄関を出て、表の通りを左へ数百メートル行くと、バス停があり、どうやら空港にも便があるようだ。ほかにも、アックスブリッジやハンズロー方面に行くバスがある。そこへ、ハットン・クロス駅へ行くバスが来たので、これに乗り、ヒーストー空港の敷地を抜けてハットン・クロス駅で下車した。
 ここから地下鉄に下りて2駅だけ東へ行き、ハンズロー・セントラル駅で下車する。この駅で降りることにしたのは、この駅のホームから、駅の近くにパブやピザ屋などがあって、夜遅くまで営業しているのが分かっていたからだ。実際に下りて見ると、ガードをはさんで北側は公園と住宅で店舗はなく、南側にレストランやカフェ、食料品店などが並んでいて、パブや安宿もある。いくつか店を冷やかしてみると、ポーランド料理店やポーランド食材店があり、どうやらこの地域に東欧系の人々のコミュニティが存在するらしい。しかし、食料品店を切り盛りしているのはアジア系の人々である。連れは部屋で飲む分のビールとして、ポーランド食材店でアジア系の店員が薦めたポーランドのビール2本(いずれも1.00ポンド)を買った。この後、道の向かい側のパブ「Bulstrode」に入り、食事ができるかと尋ねると、インド料理になると言われてメニューを渡される。見た目はまったくパブで、かなり客も賑わっているのだが、インド料理というのに少々面食らいつつ、メニューからラムのカレーと野菜の煮込みを選んだ。しばらくして出てきたのは、バーミンガムのバルチのような鉄鍋に盛られたカレー料理で、あまり辛くなくバターの風味があり、美味しくいただく。
 満腹を抱えて駅に戻り、ヒースロー空港ターミナル1,2,3 駅まで行き、まだ切符の窓口が開いていたので、明日の分のトラベルカードを2枚買う。ここからエスカレータでナショナル・エクスプレスの長距離バスのホールに出て、その先にあるロンドン・バスのバス停に行く。既に午後10時半近くになっている。ここでアックスブリッジへ向かうU3番バスに乗り、ホテルの近くの中華料理店「東海」(香港料理の店らしい)の角を回った所で下車して、宿に戻る。部屋に戻ったのは、午後11時15分ころだった。ロビーに無料のインターネットがあるので、少し触りに行ったが。日本語入力はできないので少しメールを見ただけで部屋に戻ってきた。テレビは、もっぱらリビア情勢とクライストチャーチの地震被害の続報を流している。
■ 2011/02/27 (Sun)
マーケット巡りとマートン・パーク

London
London:
Sheraton Heathrow Hotel

Holloway Road 駅

校庭での蚤の市ヘの入口
 調子が悪くなってきたので、元々眠りは浅かったのだが、未明の4時過ぎにふと目が覚めたら、連れが起きているのに気づいた。連れも体調が下降気味で、眠られずにしばらく荷造りをしていたようだ。結局、またふたりともベッドに戻って眠り直す。午前7時過ぎに起きて、しばらくロビーへ行き、ロビーにおいてあるマシンのLANケーブルを抜いて自分のノートに刺し、インターネットが使えることを確認する。スープとパンを朝食にし、8時半ころに連れと一緒に部屋を出て、バス停に向かう。
 やがて8時45分ころやって来た青いファーストのバスに乗ろうとして、「空港まで行きたいがロンドン・バスのパスで乗れるのか?」と尋ねると、ここから空港まではそもそも無料区間だという答えが返ってきた。そういえば、ホテルの中に、ヒースロー空港では各ホテルが無料送迎バスを運行することを禁じておりますので...」云々というお断り書きが出ていたが、ホテルの無料送迎を禁じる代わりに路線バスに無料区間を設けているということかと納得する。今日は休日だし、今日からのロンドン滞在は私費負担なので、連れの希望でまずハロウェー・ロード駅ヘ行き、短い区間をバスで乗り継いで、ガイドブックに載っていたナグズヘッドの日曜蚤の市を見に行くが、ここは思ったよりずっと規模が小さく、肩すかしを食った気がした。変だなと思い、少し辺りを歩いていると、ガイドブックの説明とは違う小学校の校庭で、かなりの規模の蚤の市をやっているのを発見した。衣類、電気部品、玩具、古本、その他いろいろな店が出ている。ハンバーガーの屋台で安いハンバーガー(1.50ポンドの「クオーター・パウンダー」)を食べ、連れは玩具の化粧品セットを買っていた。

Emirates Studium

Marakesh のモロッコ料理
 再び、短い区間だけバスに乗り、ハロウェー・ロード駅に戻る。もう午前11時半ころで、そろそろ連れは昼ご飯が食べたいと言い出した。十年ほど前にこの辺りへ来たときに、確かアーセナル駅の近くで、フィッシュ・アンド・チップスの美味しい店があったようなおぼろげな記憶があったので、とりあえず、一つとなりのアーセナル駅へ行く。ところが案に相違して、見覚えのある街並が出てこない、そのうち、アーセナルの本拠地エミレイツ・スタジアムの前に出てしまい、そのまま進むとハロウェー・ロード駅に戻ってしまった。何か勘違いをしていたか、再開発で目指す一角が分からなくなったかどちらかだったのだろう。今日の午後には、ウェンブリー・スタジアムで、アーセナル対バーミンガム・シティのカーリング・カップ決勝戦があるのだが、この辺りでもぼちぼち三々五々ウェンブリーに向かおうという人たちを見かける。
 意に反してハロウェー・ロード駅に戻ってしまったので、仕方なく、この辺りで昼食をとることは断念し、これまた連れの希望でボンド・ストリート駅に向かう。ホルボーンでセントラル線に乗り換え、ボンド・ストリート駅で下車し、目指す骨董屋の集まったビル「グレイズ」は、日曜休業であった。この辺りで食事することも考えたのだが、さすがに値段が割高だ。表の通りは工事中で一方通行になっており、雨が少し強めになる中、だらだらとオックスフォード・サーカスまで行って、カムデンに向かうバスをしばらく待ってから、ようやくやって来たバスに乗り込んだ。
 カムデンでは、いつものようにマーケットを冷やかしながらカムデン・ロックヘ行き、後で別行動をした後に合流するパブを決めてから、ステーブル・マーケットに行き、いろいろ見て回る。しかし、雨がそこそこ強めに降る中、日曜日とあってマーケットはものすごい人出である。フードコートでは席を確保するのも難しい状況だ。いろいろ見て回った挙げ句、午後2時を回ってからステーブルマーケットの北東の門に近いモロッコ料理店「マラケッシュ」に入り、上階に上がってようやく一息つく。ふと気づくと、この店で席についているのは、仏語話者ばかりだ。ちょっとしたフランス租界気分である。テーブルには一見すると巨大な鉄の皿のような大きな盆らしきものが置かれており、料理などはすべてその中にサーブされる。ここでは、ラムの煮込み(結局、カレーのような風味になってる)、フーマス、英国式の紅茶をとり、しばしまったりとする。
 午後3時少し前に、連れを残してひとりでチョーク・ファーム駅へ向かい、ノース線に乗って南下する。最初期の田園郊外開発地として知られる、マートン・パークを見に行くためである。幸いモーデン行きがホームについてから2本目ですぐに来たのでこれに乗り、途中少しうとうとしたりもしながら、終点まで乗って行った。マートン駅前にある市民センターは、図書館も含め日曜日で閉まっており、地図で見当をつけて歩き始める。雨の中で写真を撮りながら、モーデン駅付近からマートン・パークへと進み、日没までの限られた時間ながらこの地域のイメージを印象に刻む。

Simply Frisch
 だいぶ暗くなってきた午後5時ころに、トラムのマートン・パーク電停の近くに出たので、今日はここで切り上げることにして、踏切脇のパブに入ろうとしたのだが、その先にカフェの看板が出ているのに気づき、シンプリー・フリッシュという店に入る。一見すると普通の住居を商店に改装したような雰囲気だったので、思わず「カフェなんですか?」と確認したほどだった。ここはまだ開店して日が浅い店だそうで、食事はそこそこいい値段が付いているが、しばらく休みたいだけなのでお茶だけでよいかと聞くと、まだ誰も客のいない2階の表に面した部屋に案内された。ここは無料WiFiがあり、しばし休憩しながら、ネットをいじる。居心地がよく、長居をしたい所だったが、連れと6時半から7時の間に合流するという約束になっているので、5時50分ころに店を出て、電停に向かい、1駅分だけのって****からモーデン駅に戻ろうとしたのだが、公園に沿った直線の道路を見通すと、目指すモーデン駅が思いのほか遠いように感じたので、しばらくバス停で待ってみることにした。しかし、しばらく待っても、それらしいバスが来ない。待ち合わせの時間が気になり出し、とりあえず次のバス停まで歩いて行こうと考えて歩き出す。次のバス停には、白い髭のご老人がいた。待っている人がいるということはもうすぐ来るかと思い、立ち止まったのだが、程なくしてご老人は何か怒ったように文句をぶつぶつ言い出した。こちらに向かって言っている訳でもなさそうだったのだが、気味が悪くなり、時間も気になってモーデン駅まで歩き通す覚悟を決めて再び歩き出した。結局、6時10分ころ、ようやくモーデン駅に到着し、カムデン・タウンで下車して待ち合わせていたパブにたどり着いたのは7時10分ころだった。
 7時半ころにパブを出て、カムデン・タウン駅からレスター・スクエア駅でピカデリー線に乗り継いで、グリーン・パーク駅で降り、ハードロック・カフェヘ向かう。まずショップでピンなどを買ってから、レストランに向かうと、いつものことながたテーブルはないがバーなら、と言われる。これもいつものようにバーに下りて行く。今回は、何人かのサーバーが連れとピン・トレードをしてくれた。10時半近くにレストランを出て、再度ショップに入って追加の買い物をしてから、ピカデリー線でヒースローへ戻った。ところが、11時を回ってしまい、切符の有人窓口が閉まっており、明日の分のトラベルカードは買えなかった。そのままバス停に向かい、U3番バスで宿に戻る。連れを先に寝かせて、部屋を出て、ロビーでしばらくネットをいじってから、深夜1時過ぎに部屋に戻って休む。
■ 2011/02/28 (Mon)
■ 2011/03/01 (Tue)
帰国便

KE908便 機中
KE705便 機中
 朝は7時半ころに起床し、風呂に入る。最終的な荷物の詰め込みをしたり、いったんひとりでロビーに行ってインターネットをいたりしてから、9時過ぎに荷物を4個預け、チェックアウトする。歩いて角のバス停まで行き、しばらくしてやって来た75番バスに乗って空港へ着いた。地下鉄駅に下りてデイトラベルパスを買おうとしたら、9時30分からがオフピークだと言われる。まだ15分ほどあったので、バスの待ち合わせホールに戻り、無料WiFiがあったのでメール・チェックなどをする。ところが途中で電波の状態が悪くなり、作業をやめて地下鉄に向かうことにした。

Bedford Park

Merton Civic Centre

Nags Head @ Covent Garden
 今日は、中心部へ向かう途中で、ベッドフォード・パークを少し見学しておきたかったので、ピカデリー線をアクトン・タウンで降り、ディストリクト線に乗り換えて、ターナム・グリーン駅で下車した。駅の北側へ少し進み、最初の角にあるトリニティというカフェに入って朝食にバケットのサンドウィッチと紅茶をとり、ここで連れにしばらく待っていてもらう。午前10時20分ころに店を出て、東西に走る線路とほぼ直角に北上する形で進むと、この道をE3番の路線バスが通っていることがわかった。そこで、路線バスの道なりに写真を撮りながら進み、途中で道が左折してしばらく行った先の緑地の前のバス停まで進んだ。途中で立ち止まって写真を撮りながらだが、25分近く歩いたことになる。ここでやってきたE3番に乗り、2階席からさらに写真をとった。バスは5分あまりでターナム・グリーン駅に戻り、カフェにいる連れに合流した。ここでもWiFiがあったので、少しだけ作業をして、11時15分ころに再び駅に入場した。
 ピカデリー線は早朝深夜しかこの駅には止まらないので、乗るのはディストリクト線なのだが、ピカデリー線の列車が3本も4本も通過していく間、折悪しくディストリクト線は1本もこなかった。ようやくやって来たディストリクト線から、ハマースミスでピカデリー線に乗り換え、今日の連れの目的地であるコベント・ガーデン駅に達した。ここで一緒に下車して地上に出て、駅出口の目の前にあるパブ「ナグス・ヘッド」が営業しているのを確認し、後でここで待ち合わせることにして、しばらく別行動となる。
 駅に戻り、ひとつ西へ戻ってレスター・スクエア駅でノーザン線に乗り換える。チェアリング・クロス/エンバンク経由の線は、今日は(この時間帯は?)ケニントン止まりになっているようで、そこから乗り継いでモーデン駅に再び降り立った。駅前にあるマートン特別区の庁舎に入り、図書館に行き、郷土資料は?と尋ねると2階(つまり3階)へ行けと言う。言われるままに上に上がってみたが、カウンターには人がいない。しばらく待ってみたのだが、誰も現れないので途方に暮れていると、その前のパソコンのコーナーでパソコン教室らしきことをやっていた指導員のひとりの黒人男性が声をかけてくれ、1階(つまり2階)にはいつも人がいるから、そこで訊いてみたら、と言ってくれた。そこでひとつフロアを下りて司書の白人女性に話をすると、郷土資料の一部を打っているということが分かった。ただ彼女はいろいろ問い合わせが来たり、電話が入ったりでてんてこ舞いに近い。先に上の階に上がって販売コーナーの資料を選んでいると、しばらくして先ほどの女性司書がやってきた。持ち合わせの現金は11ポンドちょっとしかないが、それで買えるだけの資料を買う。
 図書館を出ると、雨脚が強くなっている。もちろん、イギリスの雨なので、傘なしでも歩くのだが、長い距離は避けた方が賢明だ。まだ1時10分くらいだったので、一度はトラムでウィンブルドンへ出ることを考えたのだが、結局自重し、カードが使える駅近くのセインズべリーで研究室用の紅茶などを買った。
 連れと待ち合わせた午後3時30分まではまだ余裕があるので、間に合うようなら王立地理学協会へ回ろうと考え、ストックウェルでビクトリア線に乗り換え、グリーン・パーク駅で下車した。地上に出て見ると、やはり雨は(イギリスとしては)しっかり降っている。やってきた22番バスに乗って、ハイド・パーク・コーナーまで行き、そこから52番バスへ乗り継いでスムーズに王立地理学協会の近くのバス停で下車した。以前来たときには、裏手の図書室周りが工事中だったのだが、今は本館の外装があちこち囲われている。しかし、中は通常通りのようで、西門へ回って玄関のベルを押し、守衛に用件を告げ対応を頼むと、会員管理係のT氏が下りて来てくれ、短時間ティールームで話をした後、オフィスまで行き、とりあえず2011年度の会費をその場でカードで支払った。その後、以前来たときに工事中だった新しい図書室を見せてもらい、その上の展示室のところで失礼して、サウスケンジントン駅へと向かった。
 サウスケンジントンからピカデリー線でコベント・ガーデンに戻り、午後3時10分ころに「ナグス・ヘッド」に入ったのだが、どうやら連れはまだ来ていないようだ。マートンの図書館で有り金を使い果たしたので、パブの中で待つ訳にも行かない。雨は上がったが、その後、そこそこ冷えた風が吹き込んで来ている中、店の前の路上で連れを待つことになった。結局、連れは3時25分ころにマーケットの方からやってきた。連れの方も昼食をとる暇がない位に忙しかったそうで、カレーをテイクアウトしてきていた。パブに入るのは止めて、いったんコベント・ガーデン駅に入り、ピカデリー線のプラットフォームの端のベンチに腰掛けて、2人でカレーライスを分けて食べる。食事の後に、やって来たターミナル4経由の電車に乗り、ヒースローへ戻った。我々の乗った電車は、ターミナル4でしばらく停車して時間を調整した後、コックフォスター行きとなってターミナル1,2,3駅に着いた。地上に出てU3番バスに乗り継ぎ、ホテルに戻ったときには、既に午後5時を回っていた。ここで荷物を出してもらい、改めてトロリーを曳いてバース・ロードのバス停に行き、やがてやって来たU3番バスでさっき地下鉄から降りて上がって来た「ヒースロー・セントラル」のバス・ターミナルに戻った。既に午後5時35分になっている。
 問題は、ここからターミナル4へ行く移動の方法だ。地下鉄でハットン・クロスヘ行き折り返すという手もあるのだが、555番バスが5時40分にあり、これだと15分ほどでターミナル4へ行けそうだと分かる。やって来たのは、普通の赤いバスとは別の会社のバスで、トラベルパスは効かないが、ターミナル4までは空港周辺の無料区間のうちだというのでともかく乗り込む。ところが、いったん出発した後、何だか様子がおかしいなと思っていると、何と12分ほどかかって、元のバス停に戻ったのである。どうやら、間違って乗車した客を降ろすためだったらしいが、そんなのアリなのだろうか。こちらは時間が気になり、脇腹が痛くなる。その後、いったんハットン・クロス駅やら、あちこちで、何人もの乗客を乗せてから、ようやく6時13分ころにターミナル4に到着した。
 既に、出発時刻まで2時間を切っている。幸い、手荷物はスムーズに預けられたので(少々重量オーバーだったのを多めに見てもらった)、スムーズに出国審査、保安検査と進み、連れに買い物をさせる余裕があるようなタイミングで12番ゲートにたどり着けた。ここにWiFiのポストがあり、ネットに繋ぐのは有料だが、充電は無料なので、搭乗前に少しでも充電しておく。
 定刻通りに搭乗してすぐに靴を脱いでしまう。ただし、座席は中央の4人掛けの中2人分で、両端は、外国人の女性だったので、気楽にトイレに立ちにくい雰囲気なのが気になった。それでも、離陸してからは、例によってゲームをしてはウトウトするというパターンを繰り返して、リラックスできた。混み具合がさほどでもなく、中央席の真ん中は空いているところもあったようで、自分の席の前後に乗客がいなかったのは気が楽だった。自分の右隣に連れが座り、その先の通路に面した席に英語があまりできない韓国語話者の女性がいたのだが、彼女は途中で席を移動したので、トイレは連れが行くときに合わせて、右側から通路に出て済ませた。
 仁川での乗り継ぎは余裕があり、連れは免税店で買い物したり、好物のキムパプを食べたりと楽しんでいた様子だった。行きのときと同じように、こちらはもっぱら無料WiFiの恩恵にあずかってネットをいじっていた。成田行きKE705便は、連絡をとる便の中に遅れたものがあったようで、30分ほど遅れての出発となった。成田に到着し、今回は手荷物が出て来るのが最後の方になったものの、それ以外は特にトラブルにも逢わず、車を預けているホテルの送迎バスもよいタイミングで来てくれた。氷雨が降っているのが、バーミンガムを思わせた。雨の中を車を運転し、途中で買い物や食事をしながらゆっくり進んで、深夜1時を大きく回ってから国分寺のアパートに戻った。


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