私的ページ:山田晴通
[年記]:2012年を振り返る
2012年は、これまでにないほど研究費受給に恵まれながら、フィールドに出る時間的、精神的余裕がないという、いろいろ追われて、宿題も多々残してしまった年でした。おまけに、年を越してから年度末に向けて諸々取り紛れてしまい、このページを作成、掲出すること自体が何と3月までずれ込んでしまいました。このページは暦年単位ですが、年度単位にすると2012年度がもっと凄まじい状況だったということになるのかと思います。
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2012年を振り返ります。
- 7万円の水道代(2月)
2月のある週末、東京から穂高へ戻ると、台所の水道が凍結していた。そのときは凍結したのを確認しただけで寝てしまい、翌日も朝食はとらずに出かけて、そのまま東京へ戻った。2週間後に、家族が家に戻ったところ、何と台所の水道が出っぱなしで床が水浸しになっていたという。後日、水道代の請求が来たが、金額は7万円を越えていた。
- 初孫誕生。(6月)
- ウィキペディア管理人の仕事。(通年)
前年12月にウィキペディア日本語版の管理人になり、少しずつ仕事を続けた。相変わらず、不手際も多いが、多くの方々に助けられ何とか務めを果たしている。12月には、自ら出した解任動議で、解任反対票が上回り、引き続き管理人業務を続けることをお認めいただいた。
- 右手を怪我する。(7月)
- 前進のない春闘。(〜7月)
組合委員長として臨んだ2回目の春闘も、専任教職員の待遇の前進は勝ち取れなかった。秋には引き続き委員長に再任されたが、課題は山積している。
- <この項目は当面公開しません>(4月〜)
- <この項目は当面公開しません>(通年)
- ささやかなボランティア体験。(8月)
2日間だけだったが、仙台市の津波被災地域における支援ボランティアの作業に参加した。日中、日陰のない場所での作業で、途中でへたばってしまう体たらくだった。
- 押し掛け宴会。(通年)
親しい同僚が、東京のすまいから車ですぐに行けるところへ引っ越してきたので、しばしば食材などをもって出向き、一緒に食事をするようになった。
- 災難だらけの歳末。(12月)
冬休みに入ってから、年末の最後の数日間に、ウィルス性の下痢、全身の蕁麻疹、右ふくらはぎの肉ばなれと立て続けに病気や怪我になってしまい、病院のお世話になり続けた。
- 中日韓地理学会議で初めての訪中。(8月)
初めての中国行きは、「偽満州」への旅となった。長春師範大学で開催された中日韓地理学会議に参加し、会議終了後には、哈爾賓にも足を運んだ。
- 各地の展示施設を観覧、聞き取り。(通年)
学術研究助成基金助成金を受給した「観光資源としてのポピュラー音楽に関する実証的研究」に関連し、様々な機会を捕らえて、日本各地の小規模な展示施設に足を運んだ。アウトプットは2013年の早い段階で紀要に出る予定。
- バーミンガムのフィールドワーク。(3月)
大学から個人研究助成費を得て、昨年に引き続きバーミンガム郊外で住宅地開発の資料を漁った。今回は、少々手こずる感じで、帰国後も論文の進捗がはかばかしくない。
- 吉成順氏、学位取得。(1月〜2月)
初めて主査として博士論文の審査にあたり、吉成順氏の論文「19世紀中葉のロンドンにおける大衆的演奏会文化の実態と意義」を博士(コミュニケーション学)に合格とした。副査は、本学の渡辺潤教授と東京大学の渡辺裕一教授にお願いした。
- <この項目は当面公開しません>(通年)
- 国立国会図書館の「音楽資料・情報担当者セミナー」で講師を務める。(9月)
- 特別企画講義「フリーペーパー(生活情報紙)を学ぶ」を実施。(9月〜)
日本生活情報紙協会(JAFNA)の協力を得て、特別企画講義を実施し、13人のゲスト講師の皆さんにご講義いただいた。自分が責任者となる特別企画講義は、2007年の「オーストラリア事情」以来だった。
- 大杉卓三氏の学位審査に副査として参加。(1月)
九州大学に提出された大杉氏の博士論文「情報通信技術による地域開発 ―大分県における―」の審査に副査のひとりとして参加し、初めて九州大学伊都キャンパスに出かけた。この論文で大杉氏のフィールドのひとつであった大分県佐伯市は大変興味深い事例で、3月には自分でも調査に出かけた。
- 非常勤先の授業をスッポカしてしまう。(4月)
非常勤講師として出講している立教大学で、事前に出していた時間割の希望が通らず、授業時間が前年度から変更になっていたのに気付かず、初回の授業をスッポカしてしまった。以前、どこかで一度、授業開始日を間違えてスッポカしの休講をしたことはあるが、それも詳細を覚えていないくらい大昔のことだ。この仕事に就いて2回目の大失敗である。実際には1時限の担当だったが、2時限だと思い込んだまま(2時限としては)早めに大学へ着き、授業準備をしていたところに事務から携帯電話に連絡が入った。
- <この項目は当面公開しません>(4月〜)
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- 欧州通貨危機。
年末に向けて一服してきたとはいえ、まだまだ薄氷を踏む状況ではなかろうか。円高の夏のうちにユーロ圏へ行きたかったが、結局、行きそびれた。
- 領土がらみの緊張の高まり。
初の中国行きからひと月も経たないうちに、反日暴動の嵐が吹いた。韓国も公私ともに出かける機会がまだまだありそうな国なだけに、感情論の横行は困ったものだ。
- 金環日食。
眼鏡などは用意していなかったが、木洩れ日や、厚い雲ごしの逆シルエットを観察できた。パリで皆既日食を見て以来の印象に残る日食の経験だった。
- シリア情勢の泥沼化。
今さらフランスが積極介入する訳もない。本当にどうなってしまうのだろう。
- 尼崎・連続死体遺棄事件。
カルト的な匂いもあり、主犯格の拘留中の自死、別人の顔写真の流布など、ひたすらイヤな感じがする事件だが、真相は藪の中か。
- 大津いじめ自死事件。
ネット上の現象や、その後の体罰問題などとも響きあう、やはり非常にイヤな感じの事件である。しかし、直視しなければならない。
- 笹子トンネル崩落事故。
自分の長野との往復で頻繁に通る場所だった。もっと大きな惨事にならなかったのが不思議。事故直後に並行する国道を通っていたときの、作業用の投光器の不気味な明るさが忘れられない。
- 東京スカイツリーの開業。
むしろずっと先になってから、この時代を懐かしむとき、今の東京タワーのようになるのだろう。こちらも参照されたい。
- 各国首脳が続々と交代。
オバマ米大統領やプーチン露大統領は代り映えしないが、習近平、金正恩、あるいは、オランド仏大統領となってくると、世の中が動いていく感じも少しはする。そのとどめが次。
- 師走総選挙で自公圧勝。
- 番外:エリザベス女王の在位60周年。
8月のロンドン五輪の派手な演出よりも、3月の英国出張中にテレビで聞いた女王の議会でのスピーチが印象的だった。
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