私的ページ:山田晴通
[年記]:2011年を振り返る
2011年は、公私ともにやや大きな変化があり、忙殺されている感じが強めの年になりました。
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2011年を振り返ります。
- 母親が死去。(9月)
春先の入院からはじまり、長期に患っていた母親が9月に死去した。本人はカトリックの信仰を持っていたので「帰天」と言うべきだろう。
- 息子が挙式(1月)
- 委員長として春闘に臨む。(1月〜7月)
前年秋に労働組合の委員長に就任し、初めての春闘に臨んだ。年明け早々の時点からの準備、関連する各種会議への参加などを経て、数次の団交に臨み、臨時組合大会や全体集会も開催した。結果的にベアの獲得はならなかったが、人間ドック補助で若干の前身が得られたことなど、ささやかながら成果もあった。秋の組合定期大会で委員長に再任されたので、まだまだ組合の仕事がいろいろある状態が続く。
- 米国でレンタカーを運転。(9月)
9月に出かけた米国でのフィールドワーク期間中、ミネソタ州とニューヨーク州でそれぞれレンタカーを借りて運転した。ミネアポリスで借りたベンツは、日本で予約したものよりグレードが上だったので、いろいろ新しい発見のある経験だった。ニューヨーク州を回るのに使ったトヨタ車でも、クルーズ・コントロールの使い勝手の良さを実感した。ちなみに、手続きのミスで合わせて十数万円が研究費で支弁できないことが帰国後に判明し、自腹負担でかなりの痛手になるというおまけ付きだった。
- ウィキペディアの「管理者」になる。(12月)
ウィキペディア日本語版の60人あまりいる「管理者」のひとりとなった。実名のハンドルで管理者になるのは初めての例らしい。
- かなりトホホな交通違反。(1月)
都内某所で道に迷っている時、かなり車線の多いところで、進行方向と反対側に交通取締をしている警官の姿が見えた。対向車もなかったので、道を聞こうと、Uターンして警官のところへ行ったら、「Uターン禁止」で切符を切られてしまった。
- 空から福島第一原子力発電所を見る。(12月)
秋田から羽田までのフライト中に、福島第一原子力発電所を遠望した。
[眼下の風景]
- 地区労の役職を引き受ける。(11月〜)
国分寺地区労働組合協議会(国分寺地区労)の役職(事務局次長)を受けた。実際のところ、貢献できる部分は限られているが、いろいろ勉強する機会になりそうだ。
- <この項目は当面公開しません>(9月〜)
- 久々に東武ワールドスクエアへ行く。(12月)
冬の組合学校で中禅寺湖湯元へ行った際、観光プログラムで東武ワールドスクエアを何年かぶりで訪れた。東京スカイツリーなど新しい展示があり、のんびりした気分を満喫した。
- 東日本大震災の影響にスケジュールが翻弄される(3月〜)
本務校の東京経済大学は、授業開始をゴールデン・ウィーク明けにずらしたが、非常勤先の中には、逆に前期終了を早めたところなどもあり、授業計画の変更を文書で学生に渡し教務課にも提出せよという指示を開講直前に送って来た大学もあり、補講措置なども含めスケジュール調整に苦労した。前期は何とか乗り切ったものの、各種行事のしわ寄せが夏休みや秋以降の後期の授業期間にも影響を及ぼし、常にアップアップしているような状態になった。
- 新たに立教大学へ非常勤出講する。(4月〜7月)
今年度、新たに立教大学社会学部で「地域メディア論」を講じることになった。思いがけない数の受講者が来て、教室変更を再三強いられたり、いろいろと戸惑うことも多かったが、何とか半年の講義を無事こなした。なお、カリキュラム再編の都合で次年度は「都市メディア論」担当に横滑りする見込み。
- 科研費など研究助成の当たり年(4月〜)
はじめて自分が代表者となった学術研究助成基金助成金(基盤C)を受給することになったほか、並行して2件の科研費プロジェクトの分担者となって研究資金の提供を受けた。さらに学内の個人研究助成費の受給したので、資金的な裏付けは潤沢だったものの、フィールドワークに出かける時間をにひねり出すのに大いに苦労した。
- マサチューセッツ工科大学のセミナーに参加。(10月)
科研費プロジェクトの関係で、ボストンとニューヨークを訪れ、マサチューセッツ工科大学でのセミナーに参加した。共同研究者が主報告者として日本語で報告するのを通訳、英語しか理解しない参加者のために解説のコメントを挟む、といった役どころだった。
- ボーンヴィルでのフィールドワーク。(3月)
2010年度の個人研究助成費で、英国バーミンガム近郊のボーンヴィルを訪れた。現地を歩き、図書館に通い、関係組織にインタビューと、なかなか忙しく過ごし、その後はロンドンでも関連する地区の見学を行なった。
[英国日記 2011年2月14日~28日]
- 米国中西部およびニューヨーク市でのフィールドワーク。(9月)
上記の助成基金助成金の関係で、クリーブランド、デトロイト、ミネソタ州各地、ニューヨーク州各地をまわって、小規模な音楽関係展示施設の実態を調査した。
- 山口県、北部九州でのフィールドワーク。(8月)
上記の助成基金助成金の関係で、山口県、大分県、福岡県、佐賀県をまわって、小規模な音楽関係展示施設の実態を調査した。
- シンシナチでの学会に参加。(3月)
米国シンシナチで開催されたアメリカ音楽協会(SAM)と国際ポピュラー音楽学会米国支部の合同大会に参加し、その後、私費で滞在を延ばしてはじめてボストンを訪れた。3月11日は、シンシナチ近郊のホテルで東日本大震災のニュースに触れた。
[シンシナティ&ボストン日記:米国から見た3.11]
- ソウルでの学会に参加。(11月)
3年前にも参加した韓中日地理学会議で、2年振りにソウルを訪れた。会議の合間を縫って、再開発が継続している東大門市場周辺を見学に行く。期間中はソウル大学の宿舎に滞在した。
- 社会調査実習を担当。(4月〜)
社会調査士関係科目の仕上げの科目である「社会調査実習」を初めて担当した。震災の影響などもあって、シラバス通りには物事が進まないこともあったが、年内に何とか実査まで漕ぎ着けた。
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- 福島第一原子力発電所の事故。
より厳しい地震と津波に襲われながら適切に停止した女川原発との違いは何だったのか。人災として直視しなければならないことが多々ある。むしろこれから、何十年、何百年単位の問題に直面することになる。
- 東日本大震災。
千年に一度のイベント(現象)というのは、地学的にはいつ起きても不思議ではない部類ということである。
- アラブ圏の民主化。
チュニジア、エジプト、リビアと、一種のドミノ現象が起きたのは、正直なところ意外だった。『タイム』誌の「今年の人」の選択のように、より広い文脈の中で捉えることもできるのだろうが、長期の軍事政権が実際に民衆の抵抗で崩壊するというのは、ギリシア、ロシア、米国と同列には論じられないと思う。
- 地デジ化。
- 女子サッカーのワールドカップ制覇。
大震災後の明るいニュースとして、社会的インパクトが大きかった。
- 野田政権の成立。
小泉政権は「郵政」のワンテーマで得たマジョリティで、それ以外のことをいろいろやった。民主党政権は、政権公約を掲げて得たマジョリティで、政権公約とはまったく逆のベクトルへ進もうとしている。菅→野田の民主党の転換は、単なる右旋回というより、マニフェストに示された理念が挫折し放棄されることを意味している。
- 大相撲の春場所中止。
八百長問題をめぐって「興行」「神事」としての相撲という論議を学べたのは興味深かったが、それは文部科学省管轄の財団法人としてはどうなのかという気もした。個人的には、山本山の廃業が残念。
- 欧州経済危機と歴史的円高。
- 大王製紙元会長の不祥事。
10億円なんて大した金額ではないと錯覚させるだけの威力があるニュースだった。
- AKB48の活躍。
後になってみたら、あの頃が一番良かったということになるのだろうか。特に関心がない自分もメンバーのフルネームを5人くらいは覚えてしまった。
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