私的ページ:山田晴通
[年記]:2007年を振り返る
2007年は、加齢とともに体力の衰えを実感した年でした。30歳頃から「そんな無理をしていると○○歳頃にガタンと来るぞ」と諸先輩に言われ続けてきましたが、いよいよ本当に「ガタンと」来た感じです。
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2007年を振り返ります。
- 15年ぶりに公募に応募する。(5月〜7月)
詳細は公開しないが、某大学の地理学関係のポストの公募に、応募書類を送り、面接まで進んだが採用には至らなかった。東経大に来てからは、公募に応募したのは初めてだった。結果的には、現時点での自分の研究者としての位置づけ、限界などを見つめ直すよい機会になった。
- 速度違反で罰金、免停。(5月〜8月)
5月に、山梨県内で一般道のOVISに速度違反が記録されたということで、山梨県警の交通機動隊へ呼び出された。その後、松本の検察庁へ出頭し、略式起訴による罰金刑ということになった。行政処分の範囲で済まなかったのは、13年か14年ぶりのことだと思う。これに、やはり山梨県内で切符を切られた、高速道での速度違反と、一般道での信号無視の分を合わせて、2ヶ月免停の行政処分も科せられた。今回は、運転を自粛することにし、敢えて講習には行かず、6月から8月まで運転をしなかった。
[こちらの(22)もご覧下さい。]
- 視力の急激な衰え。(通年)
加齢とともに、体のあちこちにガタが来ているが、特に視力の衰えがきつい。単純に老眼が進行しているだけでなく、疲れがたまってくると、像が縦に二重映しになることが多く、そうなると余計に見る事自体が苦痛になってしまう。眼科医で精密検査もしてもらったのだが、原因は分らずじまいだった。とりあえず、糖尿病等の障害ではないそうだ。
- 組合学校(懇親旅行)で韓国を訪問。(8月)
- 息子が大学卒業。(3月)
詳細は、明らかにしないが、3月で息子が留年もせず無事に大学を卒業、4月からは就職し、独立した。
- (この項目は公開しません)(通年)
- 熊本・福岡と縁があった年。(2月/3月/6月)
2006年の神戸のように、2007年には、熊本と福岡でいろいろ会合が多く、一年のうちに合わせて三回も出かけた。3月の経済地理学会支部例会、6月の日本マス・コミュニケーション学会は熊本で、8月の日本私大教連教研集会は久留米で、それぞれ開催され、帰途には福岡の伯母の家などにも立ち寄った。さらに10月にも日本地理学会の秋季大会が熊本で予定されていたのだが、これは体調を崩して不参加となった。2008年に入って、1月には九州大学での集中講義が予定されている。この縁は、まだ、年を越して続いているようだ。
- 森村泰昌の展覧会。(6月)
- 税理士さんのお世話になる。ところが...。(3月/12月)
これまで、15年くらい確定申告をしてきたが、税務相談なども利用しながらずっと自分でやってきた。しかし、2006年分からは、ちょっと状況が変わることもあって、初めて、所得税の確定申告を税理士さんにお願いした。ところが、秋になって、ある人に確定申告の書類を見せたら、明らかにおかしい点がある、と指摘された。そこで、税務署に相談へ行っていろいろ相談し、最終的に「更正」の手続きをすることにした。何やかやと書類を出したりして、結果的に2000円ほどの税金が戻って来ることになった。金額としては、ほんの僅かだが、プロの仕事にもミスはあると思え、という教訓には価値があったと思う。
- 「熊狩り」再開。(12月)
2006年3月でいったん終了となっていたハードロックカフェのマンスリー・パーティー・ベアの企画が、12月から再開された。とりあえず、12月には退職することになった派遣職員の方の慰労会を上野駅店でやって、ベアを確保した。
Party Bear Present !
- 専門社会調査士の認定を受ける。(10月)
社会調査士資格認定機構から専門社会調査士(八条規程)資格の認定を受けた(認定番号 001048)。要するに、単位取得ではなく、研究実績での認定を受けたのである。社会学専攻出身ではないのに社会調査士資格関連の授業科目を担当している立場としては、ちょっとだけ肩身が狭くなくなった。
- 入試副委員長を任期途中で退任。(〜3月)
ここでは詳らかにしない私的な理由で、入試副委員長を任期途中で退任することになった。これに伴って、いろいろ同僚の先生方には迷惑をかけることになった。4月以降は、一教員として高校への出張講義などの仕事で入試広報業務に協力することになった。
- 川島君の「退院」。(通年)
博士課程の大学院生として、TAとして研究室の業務を支えてくれた院生の川島君が、3月で正式に退学(単位取得満期)した。大学博士課程は、学位を取らない限り「修了」にはならないが、「退学」といっても事実上はちゃんと勉強した上での「卒業」に近い。
ちなみに、川島君は大学院在籍中から勤務していた教育関連産業の某社で働き続けるということで、大学に近いアパートから勤務先近くへ転居したのだが、その引っ越しの際にはずいぶんいろいろなものを譲ってもらった。
- 学会出張でエストニア、フィンランドを訪問。(7月)
「Digital Communities 2007」という学会のため、バルト三国の一角エストニアのタリンと、フィンランドの首都ヘルシンキを訪問した。旧・共産圏に足を踏み入れるのは、(板門店で会議棟の中で「北」側を歩いたのを別にすれば)初めて。研究発表でも、現地での経験でも、無線LANの浸透の重要性について改めて考えさせられた。
[エストニア〜フィンランド日記:2007年7月8日〜7月13日]
- 成城大学で授業を担当する。(4月〜)
国立音楽大学への出講が2006年度で終了したのと入れ替わりで、新たに成城大学で2007年度から授業を持つことになった。カリキュラム改変の関係で「空間システム論」という名称になっているが、これは、かつては木内信蔵、田邉裕、谷内達という東大駒場の諸先生方が代々担当されていた「人文地理学」の後身科目である。内容は自由ということだったので、人文地理学の要素を色濃く出しながら、「システム」思考の側面を取り入れて授業を構成したのだが、改めていろいろな文献を見直し、久々に林上先生の昔のテキストを開いたり、最近の松原宏さんのテキストを参考にしたりと、随分自分の勉強にもなった。
- 論文執筆が進まないスランプが続く。(通年)
ここ数年では、2004年がスランプだったのだが、それを何とか盛り返そうとした2005-2006年の後、またまた調子が悪い2007年だった。辛うじて紀要に研究ノートを出したものの、全体としてはアウトプットが乏しい年になってしまった。年末の段階で、2008年に印刷されることが確定している原稿が何もないのも、危機的だ。
特段、何か明確なスランプの理由があるわけではないが、体力的な衰えに合わせた研究スタイルが上手く立てられていないようだ。
- 特別企画講義・オーストラリア事情の開講。(10月〜)
講義責任者として、いろいろな先生方の協力を頂きながら、オーストラリア事情について輪講形式で講じる特別企画講義を開講した。期待したほど一般学生の受講者は集まらなかったのだが、市民聴講者の方々にかなり熱心に参加していただき、良い雰囲気での運営ができている。ただ、いろいろ不運なことが重なり、不手際もあって、当初の予定から変更点が多々生じたことは残念だった。
[2007年度 東京経済大学「特別企画講義・オーストラリア事情」]
- WINJの委託放送事業認定取り消しに関わる。(9月〜11月)
番組審議委員として2004年から関わりがあった、衛星ラジオ the World Independent Networks Japan は、2006年秋から放送休止状態が続いていたが、いろいろ経緯があって、総務省は事業認定の取り消しを電波監理審議会に求めることになった。不利益処分を受ける事業者に対する電波監理審議会の意見の聴取の席に、利害関係者として「参加人」の資格で出席することが認められ、前後2回、総務省に出向いた。
[衛星ラジオ「WINJ」について]
- 研究室に無線LANを導入。(9月)
以前から懸案だった研究室内LANの無線化が、メディア工房の吉田さんのご尽力で実現した。感謝。
- 教材のデジタル化に努める(通年)
一挙にという訳には行かないが、紙で配っていた資料をパワーポイントに置き換えるなど、少しずつデジタル化を進めるように取り組み、東経大の講義形式の科目では、ほとんどの授業でパワーポイントを使うようになった。非常勤の科目では、パワーポイント化は取り組んでいないが、これは、機材の使い勝手の面と、担当する科目内容の性質があり、当面は取り組めないようだ。
結果的に、印刷経費は大幅に圧縮された。
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- 食品偽装の相次ぐ発覚。
不二家に始まり。ミートホープ、白い恋人、赤福、吉兆と、集中的に表面化した。個人的には不二家が一番衝撃的だった。一時閉店する直前に、神楽坂の不二家の「ペコちゃん焼き」を買いにいったりもしたのも印象に残っているが、あおりを受けて不二家の広報担当への聞き取り調査が頓挫したままになっているのを何とかしなければいけない。
- 安倍「お友だち」内閣の崩壊。
いい方に転がれば清新な政権になることが期待もされたが、そうはいかなかった。しかし、現職大臣が疑獄におびえて自殺とは、何をか言わんやである(昔は、汚れ仕事をする下っ端が自殺する、と相場が決まっていた)。
[参考:「美しい国」回文の研究:孫子(まごこ)の時代]
- 参院選〜ねじれ国会。
緊張感のある国会は、大いに結構なことだ。二院制が機能するということである。こういうことでもなければ、参院不要論/軽視の暴論がもっともらしくなってくることだろう。
- 銃器による殺人事件が(特に九州で)多発。
長崎市長から、人違いで殺された入院患者、思い込みで殺された水泳インストラクターまで、カジュアルというか、殺す側に追いつめられた重みのようなものが希薄な事件が、目立っていたようにも思う。
- 防衛省事務次官の不祥事。
そりゃそうだろうという感じもある。湯水のごとく、と揶揄したくなるほど、潤沢な資金を、外部のチェックをあまり受けずに使うことができる立場なのだから、いかにもという感じもする。もちろん、個人の問題というより、もっと構造的なものだろう。
- 「消えた」年金など、年金記録をめぐる問題。
そういえば、自分の年金手帳は、手元に見あたらない。放っておいて大丈夫だろうか。
- 新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発の稼働中止。
地震そのものの被害もさることながら、これだけ長期的に原発が停まる影響にも、無視できない深刻さがある。
- 「発掘!あるある大事典2」の捏造問題。
「テレビだから嘘はつかない」というのが、まだまだテレビの青春時代だった1960年代に、いかにも怪し気な黒めがね姿の頃の野末陳平が発する決めゼリフだった。この逆説は、今後もずっとテレビにとっての、あるいはより広くメディアにとっての棘となっていくだろう。思い切って設備投資した納豆屋さんもいい迷惑だったことだろう。
- 原油価格の高騰。
商品市場への投機的資金の流入は、トレンドとして確固たるものとなっているようだ。省エネや環境問題、あるいは、デフレといった話題との関連性の広がりも注意してくべきだろう。
- 英会話「NOVA」の破綻。
身近にも、熱心に通っていた人たちがいた。外国人労働者の権利擁護などの課題も浮上した。いずれにせよ、(大臣の暴言なども含め)2007年は厚生労働省にとってはとんでもない年だったということなのだろう。
- 番外:オーストラリアの政権交代。
日本ではほとんど認識されていなかったが、日本にとって米国と並ぶ安全保障〜同盟関係にあるオーストラリアで、劇的な政権交代があった。これが米国のことだったら、日本でも大騒ぎになるのだろうが。
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