私的ページ:山田晴通
[年記]:2006年を振り返る
2006年は、前半は淡々と仕事をして変化が少なく、後半に入ってから秋以降にいろいろなことがあった年でした。
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2006年を振り返ります。
- 新たなローンを組む。(9月〜)
詳細は公開しないが、新たに借金を作ることになり、30年を超える長期のローンを組んだ。これまでは最長でも20年のローンだったので、こんなに長いローンを組んだのは初めて。
- 立て続けに自動車事故を起こす。(9月〜10月)
9月、交差点の右折レーンでクリーピングを起こしてしまい、前にいた新車に追突してしまった。もちろんこちらが百パーセント悪い。人身事故にこそならなかったが、久々の事故にかなり落ち込む。ところがひと月も経たないうちに小路から主要道に右折で出るのを待っている時に、タイミングを図り損なって右から来たダンプと接触してしまった。先方もこちらも自走はできたが、こちらのブルーバードはバンパーが落ちてしまい、結局廃車することにした。とくかくどちらも人身事故にならずに済んだのが、不幸中の幸いだった。加齢とともに感覚が少しずつ変わっているのかと思う。自重しなければ。
- 立て続けに車をもらう。(11月〜12月)
事故でブルーバードを廃車にすることになったのだが、折よくというか、車を譲ってもらえることになった。まだ車検が結構残っているトヨタのターセルで、久々のマニュアル車である。年末になったら、実家の父が、軽自動車に乗り換えるので、車検切れになるホンダのラファーガを「捨てる」と言い出したので、これももらうことになった。こちらはクルーズ・コントロールのついた長距離ドライブ向きの車である。
- 老眼鏡をプレゼントされる。(10月)
年相応ということだろう。眼だけでなく、体重も漸増が続いているし、脚やあちこちに、加齢にともなう不具合が出始めている。今後はこういう話が増えそうだ。
- WINJ関係でサイトを開設。(10月)
詳細は、HREF="../../../YAMADA-KEN/Y-KEN/rec/r061005winj.html">こちらのページを見てほしい。今後も面倒な事態が続きそうである。
- 神戸と縁があった年。(2月/3月/6月)
2005年度の研究助成費の関係で、年度末に神戸へ二回出かけた。さらに、研究室関係でも挙げたFMわぃわぃへの出張で、一年に三回も神戸に通った。スカイマーク便で神戸空港も利用した。地元の旧知の先生方に美味しい店を教えていただいたのがも大きな収穫だった。
- シドニー再訪。(6月)
- 霰を身に浴びる。(10月)
研究室関係でも挙げた米国への調査出張の際、週末にナイアガラの滝を観光したのだが、その際に歩いて米国側からカナダ側へ渡ろうとしたときに、橋上で、横殴りの霰まじりの雨風に晒された。十年近く前、夏、ドライブで松本から高山に抜ける途中でひどい雹に遭遇したことがあったが、自分の記憶する限り、こんなに生身で霰を受けたのは初めてだった。
- 四半世紀ぶりの同窓会。(11月)
学部を卒業して25年以上経ってから、奇特な同期生が声をかけて非公式に組織された教養学科のミニ同窓会が開催された。夜の授業がある日だったので、一次会の最後に合流して旧交を温めた。わざわざ古い重たいアルバムを持参した甲斐があった。
- 音楽系の映像作品=DVDを物色。(通年)
授業で使えそうな映像作品、特に音楽関係のものを、遅ればせながらDVDで少しずつ揃え始めた。また、権利切れの旧作映画などもいろいろ買い始め、一挙にDVDの数が増えてきた。ちなみに、こうした映像作品等は、多くが授業で使う教材であり、研究にも関係があるのだが、個人的視聴というか全くの趣味との境界線は曖昧だ。李下に冠は正さずで、こうした映像素材はすべて私費で購入しているので、こちらに挙げることにする。
- 院生と共同翻訳した論文が公刊される。(10月)
博士課程の院生・川島君と共同で取り組んだ、リチャード・ピーターソンの論文の翻訳が公刊された。手を付けてから公刊まで一年以上かかったが、日本語になることで多くの人が読みやすくなるだろうし、川島君にとってもよい勉強になったと思う。
[HREF="../../../YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/06WH.html">リチャード・ピーターソン「なぜ,1955年だったのか?:ロック音楽の出現を解き明かす」訳者解題と訳注]
- 入試副委員長を務める。(4月〜)
全学教授会の投票で入試副委員長に選出され、4月から任についた。任期は2年間。これに伴って、高校へ広報のための訪問や出張講義で出かける機会が増え、しばしば髭も剃るようになった。入試関係の会議や、各種業務もあり、そこそこ荷が重い。
- 大学入試センターの委員の任期を無事に務める(〜3月)
正式には教科科目第一委員会委員(地理)を二年間務めていた。要するにセンター試験の出題業務に関わっていたのである。
この項目は、しばらく公開していなかった。これは、任期終了後1年間は公表しないことが義務づけられているためであった。
- 研究室のエントロピー増大が進行。(通年)
従来、研究室にいることが多かった院生の川島君が、4月から本格的に働きを始め、途中で勤め先は変わったものの大学へ来る機会は昨年度よりずっと少なくなった、研究室のTAは引き続きやってもらえたが、週に2日だけということもあり、徐々にエントロピーが増大し、自分一人のときに途方にくれることがしばしば起こった。川島君は、この3月で単位取得退学=就職の予定なので、現状は今後も続きそうだ。
- クレーン関係の資料収集のために米国東部を訪問。(10月〜11月)
バートン・クレーンに関する資料収集のため、個人研究助成費を受給して初めて米国本土を訪問した。バッファロー、ニューヨーク、エリザベス、プリンストン、フィラデルフィアと、クレーンに縁のある都市を訪問し、図書館などで資料を集めた。知人によると、秋の米国東部旅行というのは、なかなか贅沢なことらしい。
- お茶の水女子大学大学院で集中講義。(2月)
3年半ぶりに集中講義に声がかかった。とはいえ、地方ではなく、お茶の水女子大学の大学院である。年度末も近い2月に、やや変則的な飛び石形式で授業をした。世話役になっていただいた内田忠賢先生には、年度末で奈良女子大学へ移られる前の最後のひと仕事をしていただいたことになる。
- 神戸のコミュニティ放送「FMわぃわぃ」に出演。(6月)
神戸市長田区のコミュニティ放送「FMわぃわぃ」に出演した。バートン・クレーンをネタに話をするという企画が、同局に以前から関わっている関西学院大学の山中速人先生から声がかかって実現したのである。以前、「FM西東京」の生放送にかなりカジュアルな形で参加したことが何回かあったが、ちゃんとキューシートを見ながら生放送で喋るというのは初体験だった。
[パーソナリティ金千秋さんのブログ]
- JASPM会長の任期を終える。(12月)
終わってみれば、何もやらなかったのに近いかもしれない。残務の引き継ぎも残っているが、とりあえずは一段落である。
- 『図書新聞』に書評を寄せる。(2月/12月)
19年前に一度だけ書評を書く機会があった『図書新聞』から、どういうわけか執筆依頼が舞い込んだ。指定されたのは小川ほか(2005)『メディア時代の広告と音楽』で、これが2月に掲載された。その後また、加藤・大城編(2006)『都市空間の地理学』の依頼が来て、これは12月に掲載された。今後も忘れた頃に、ぽつぽつ書けるかもしれない。
[Web 図書新聞:HREF="../../../YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/06KO.html">書評:『メディア時代の広告と音楽』]
- 論文査読を多く引き受ける。(通年)
詳細は明らかにしないが、4誌6論文の査読に関わり、年中、誰かの論文を読んでいる状態だった気がする。中にはやりとりが複数回に及んだものもいくつかあり、結構しんどかった。
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- 小泉首相の勇退。
終わってみれば長期政権。一つの時代の区切りである。主義主張は別として、小泉純一郎は端倪すべからざる政治家であった/あるということだろう。
- 北朝鮮のミサイル実験、「核保有」宣言。
1980年代以来しばらく遠のいていた核兵器へのリアルな恐怖感が、戻ってきた感がある。体制も技術も危なっかしい。
- 教育基本法の改正。
教育は国家のもの、という発想は十九世紀への退行である。「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」のだろう。もちろん大学も、基本法の精神から自由ではあり得ない。ついでながら防衛庁の「省」昇格も同時だった。わかりやすいというか何というか。
- ライブドア=堀江社長、村上ファンド=村上代表の逮捕。
所詮は資本家同士の化かし合いの帰結だが、日銀の福井総裁が無傷というのが何をか言わんやである。
- 飲酒運転への意識が変わる。
福岡の子ども3人が犠牲になった事故以来、飲酒運転への意識は変化しつつある。公務員の飲酒運転への懲戒は概して重くなり、「ハンドルキーパ」なる新たな和製英語も聞かれるようになった。年末には、道交法の改正案が公表され、運転者以外に同乗者や酒の提供者の責任が強調されるようになっている。もっと大きな流れで言えば、健康増進法以来の喫煙への意識の変化とも微妙に連動している感じがする。
- 「新庄劇場」で日本ハムが日本一。
シーズンを「引退興行」にしてしまい、挙げ句にチームを日本一に導いた。W杯〜中田英寿の引退も、早実「ハンカチ王子」もあった年だったが、「記録より記憶」の一番は新庄剛志である。
- 早稲田大学=松本教授の科研費等不正流用スキャンダル。
医学〜理工系の話とはいえ、金額の桁が違う。年末の東京大学=多比良教授らの懲戒解雇(前年の黄禹錫ソウル大教授の世界的なスキャンダルを思い出した)といい、大学と競争原理の陰の面が見えてくる事件だった。高校の未履修科目問題も根っこはこちら側に近いか。[参考]
- ニンテンドーDSの普及。
いわゆる「エデュテインメント」を本格的に市場化できたところがすごいところ。背景にある各種の検定への強迫観念も、今風という感じがする。
- SNS(特にMixi)の普及。
ブログの段階でついていけていない者としては縁のない世界だが、客観的にみてもMixiの浸透は進んでいる。遂に今年は株式の上場に至った。ご同慶の至りである。ちなみにSNSは、その前提にある一種の特権意識のようなものが鼻について好きになれないず、まったくやっていない。
- 秋篠宮悠仁親王殿下ご誕生。
終わってみれば女帝論の騒々しさはどこへやら。喉元過ぎれば、という国民性は上から下まで同じということだろう。所詮は、大家さんちの跡取りの話。
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