■バブル経済の崩壊とともに
いわゆる「バブル経済」が破たんして以降、日本経済は深刻な停滞にあえいでいる。業種や規模を問わず、有名無名の無数の企業が、この大不況の中で経営上の苦境に直面し、力尽きて倒れる企業も後を絶たない。バブル期に、空前の広告収入に支えられて増ページを重ね、また、激烈な拡販競争を展開した新聞業界にも、「平成不況」の影は落とされている。
バブル破たんの影は、当然ながら大規模紙にも及んでいる。「新聞研究往来」九月七日付の記事は、一九九〇年代に入ってからの新聞大手八社(全国紙とブロック紙)の法人申告所得の総額の動きを紹介している。九〇年度から九三年度まで、申告所得の総額は急落、その後盛り返して九六年度には九〇年度に近い水準まで戻したものの、九七年には再び落下している。しかも、九八年度にこの数字が好転しているとは、残念ながら考えにくい。この間、これら大手紙に大きな部数減はなかった。収入減はひとえに広告料収入の大幅減の結果である。大手紙の広告を支えている比較的規模の大きい広告主も、再び新聞広告費を抑制しようとしているのである。
表 1990年代に休廃刊した日本新聞協会加盟紙一覧 |
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( )内は休廃刊日 ▲「関西新聞」(1991年4月17日):オーナー許永中氏の絵画取引にから み巨額の不渡り手形を出し、休刊後、事実上倒産。 ●「フクニチ」(1992年4月16日):販売競争の激化、経営不振を理由に 休刊。 ▲朝刊紙「東京タイムズ」(1992年7月31日):経営改善に全力を傾けた が赤字体質の改善ができなかった、として休刊。 ●「日刊福井」(1993年1月1日):休刊後、中日新聞社との業務提携とい う形で、題号は中日新聞北陸本社に引き継がれた。 その後、中日発行の「日刊福井」は改題され、現在は中日新聞福井支社 発行の「日刊県民福井」となっている。 ●「栃木新聞」(1994年3月31日):1987年から親会社だった鹿沼グルー プが、グループ企業の経営立て直しの一環として新聞を廃刊。 ▲「新大阪」(1995年4月28日):長年にわたる販売、広告収入の低迷に 加え、阪神大震災の影響による営業不振のため休刊。 ●「北海タイムス」(1998年9月2日):1996年にオーナーとなった山崎種 三氏が、1998年に社長に就任後、生え抜き役員と対立、山崎社長の休刊 宣言などの混乱があった後、休刊、自己破産。 □「石巻新聞」(1998年9月30日):長引く不況で営業成績が年々悪化し、 高額化する印刷設備、通信機器の更新が経営を圧迫した、として休刊。 (印の説明) ●=「第二県紙」、▲=大都市の夕刊紙等、□=地域紙 |
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