書評:1992:

東 秀紀『漱石の倫敦、ハワードのロンドン−田園都市への誘い−』.

地理学評論(日本地理学会),65(A),pp277-278.



東 秀紀:漱石の倫敦、ハワードのロンドン−田園都市への誘い− 中央公論社(中公新書1037),1991,192ページ,図8,写真3,600円.

 主著『明日の田園都市』によって代表されるエベネザー・ハワードの田園都市論は、都市計画の分野のみならず、都市地理学においても、すでに古典としての地位を得ている。ハワードの田園都市論は、大英帝国が絶頂期を迎えたヴィクトリア朝における社会改良運動の1つとして、あるいは今日につながるニュータウン建設思想の源流として、これまでにもさまざまなかたちで語られてきた、その中にあって、本書はハワードと同時代に英国留学を経験した夏目漱石の視線をもち込むことで、ハワードとその田園都市論に新たな一石を投じたものである。
 あらかじめ確認しておくが、「1900年代の、日の没することのなかった大英帝国の首都ロンドンを、社会改革に燃えていたハワードらの都市計画運動を縦糸に、漱石の留学生活を横糸にして描いていく構成をとる」(p.11)本書は、研究者の著した専門書ではない。企業の中に身を置き、社命による留学経験を得た「一サラリーマン」が、一般読者に向けた一種の啓蒙書である。
 本書は、4つの章にプロローグとエピソードを加えた構成になっている。「ロンドン」と題されたプロローグでは、産業革命による大都市の成立が近代都市計画を誕生させたことが簡単に紹介され、英国における都市計画理念の誕生をハワードと漱石の眼から捉える視座が提示される。続いて第1章「世紀末」では、漱石の英国留学の経緯と、留学当初の鬱々たる日々を送る漱石の眼に映ったロンドンの暗部が描かれる。第2章「改革」では、「平凡な庶民」ハワードが『明日の田園都市』を発表し、やがて田園都市協会が活動を始めるまでの展開が、当時の中産階級知識層の政治意識、とくに社会主義への姿勢の多様性を背景としてまとめられる。ここでは、ハワードとは政治的姿勢において一線を画し、批判的姿勢を保ちながら、彼の田園都市構想に終始支持を与えた劇作家バーナード・ショーが、もう一本の構成の糸として登場する。第3章「文明」では、再び漱石に焦点があたり、4度目の転居前後の事情や「文学論」に取り組む中で「近代」と格闘する漱石が、英国の都市環境やそこに展開する社会関係、あるいはウィリアム・モリスら第2章でも言及された当時の英国の思想潮流を、どう捉えたかが論じられる。第4章「田園」は、曲折を経て田園都市が建設されていく過程を、批判者としてのショーの戯曲なども織り混ぜながら紹介し、今日までの経過の中で、田園都市が民間事業から公共事業へ、自立的都市から通勤住宅地へと、変質してきた姿を描いている。エピローグ「東京」は、漱石の作品を踏まえながら、明治・大正の東京の姿と日本における近代都市計画の萌芽を描き、田園都市論が、わが国への導入の最初の段階から理念を欠いたものとなっていたことを改めて指摘している。
 本書の意義は、まず、ハワード田園都市論の時代背景を、当時のロンドンの都市環境や、社会改革への意識をもった知的サークルの状況なども織り込みながら、立体的に描き出したところにある。また本書は、ハワードの理想論が、イギリスにおいても、また日本においても、現実の前に裏切られ、変質を余儀なくされていった構図をも的確に捉えている。
 さらに、大都市ロンドンを夏目漱石の眼をとおして描き出したり、夏目文学の課題としての近代を都市という視点から論じるといった手法は、前田 愛の一連の業績など文学批評からの議論は従来からあったものの、都市論/都市計画史からの接近として、注目すべきものであろう。
 もちろん、田園都市論の普及に伴う誤解・変質の過程や、ハワードやショーらの伝記的記述など、本書の記述は既存の研究書などに依存している部分も多い。しかし、そうした点は決して本書の価値を損なうものではない。むしろ手軽に入手できる新書判というかたちで、本書のような啓蒙書が刊行された意義は大きい。これまでも、『明日の田園都市』(鹿島出版会SD選書)や日本における最初の田園都市受容(誤解?)の書である『田園都市と日本人』(講談社学術文庫)は、比較的容易に入手できる状況にあったが、都市計画など専門的視点からの研究書はともかく、本書のようなハワード田園都市論の簡潔な入門書はなかったからである。
 田園都市論は、それぞれの時代の要請の中で、これまでにも何度かブームが繰り返されてきた。本書も、現代日本の視点からヴィクトリア朝の英国をみつめ、読者が両者を重ね合わせながら読み進むことを意図した構成になっている。しかし、そうした視座に立った本書の論述は、決して強引なものではない。本書に描き出されたヴィクトリア朝の英国の状況は、東京への一極集中、外国人労働者問題などとも交錯するかたちでの「インナー・シティ」的状況の出現、ネットワーク運動など既存の政治的枠組みでは捉えきれない郊外生活者の政治参加、大量生産/大量消費に異議を唱える民衆レベルでの環境運動など、今日のわが国の状況と、ごく自然に二重写しになっていく。そして何よりも「当時の英国国民は物質的には恵まれた状況に達していたが、心はなぜか満たされることなく、行き着くところまできてしまったような不安を感じていた」(p.33)という時代の空気は、まさしくわれわれが呼吸しているものにほかならない。もちろん、この点に関する著者の認識は決して我田引水ではなく、ヴィクトリア朝の時代精神を捉えたものとして充分妥当なものである。
 当時のロンドンと今日の東京は、時代とスケールは違っても成熟期を迎えた大都市圏という点で共通する面が大きいと著者は考えている。大都市圏の問題は、多分に郊外の問題であり、その郊外は田園都市の理念が現実の中で歪曲され、高速鉄道による中心市への通勤を前提とした田園都市へと変質を余儀なくされた結果、今日のような姿をとるに至ったのである。こうした動きを導いた日本の都市計画は、欧米に範をとったものの「欧米の計画の根底にある理念は取り払われ、目にみえるハードウェアの結果ばかりが求められ」(p.8)るような、「社会改革をめざす文化理念としての都市計画ではなく、工学技術に偏重した物質的近代化の一環としての都市計画に進んで」(p.181)きたのである。
 本書では、技術としてではなく理念として田園都市を捉えなおさなければいけない、という指摘がプロローグからエピローグまで何度も繰り返される。そして本書は、「新たなる世紀を迎え、成熟型社会に入ろうとしている東京圏において、いま求められているのは、ちょうど百年前のロンドンの人々が打ち立てた、文化理念としての都市計画なのではないだろうか」(p.183)と結ばれる。この問題提起は、技術者として都市建設という日常に追われる都市計画者たち以上に、都市をみつめ批判的思索を展開すべき立場にある都市地理学者こそが応えるべき問いかけなのではなかろうか。
 とくに都市地理学を志す若い研究者には、文中に挙げた二書とともに、本書をぜひ読んでもらいたいと思う。


関連リンク:
[2001.04.05.]
[2009.10.28.]


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