雑誌論文(その他):2012:

規模と立地からみた米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設の諸類型.

人文自然科学論集(東京経済大学),132,pp.27-54.


 原論文は、地図1枚を含んでいますが、さしあたり本文テキストと表、写真だけをこのページに掲載しました。
 なお、ページ作成に際しては、ウェブ上では馴染まない表現を修正しました。修正した部分は赤字としました。(2012.03.28.)
 大学提供の pdf版 はこちらから。(2013.02.21.)

規模と立地からみた米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設の諸類型.

はじめに
規模のとらえ方
立地の正統性
  現場への立地:
  現場以外への立地:
展示施設の諸類型
類型によって異なるローカルアイデンティティの表出
  類型I:
  類型II:
  類型III:
おわりに



論 文
規模と立地からみた米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設の諸類型

山田 晴通
写真1
モータウン歴史博物館:正面
通称「ヒッツビルUSA」
写真2
モータウン歴史博物館:裏
元々裏庭にあったガレージを改造したスタジオ
(以上2点は,いずれも2011年9月6日撮影)
写真3
ジョージア音楽の殿堂博物館
館内の様子は,
山田(2011,写真22〜24)を参照
(2010年9月14日撮影)

写真4
ベセルウッズ芸術センター博物館
写真5
ウッドストック記念碑から望む
フェスティバル会場跡:
中央右手の斜面の頂上部に
博物館などの建物が見える
写真6
ウッドストック記念碑から望むステージ跡:
中央奥,林の手前に,
ステージの基礎となった石積みが見える
写真4〜6は,いずれも2011年9月16日撮影)

写真7
ナッシュビル,ブロードウェイ北側
中央のブーツの看板が Robert’s
写真8
ナッシュビル,ブロードウェイ南側
中央のタワーはブリヂストン・アリーナの入口
(以上2点は,いずれも2010年9月12日撮影)
写真9
ロックの殿堂博物館
(2011年9月4日撮影)

表1 本稿で言及する米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設

はじめに

 米国において多数存在するポピュラー音楽系博物館等の展示施設を取り上げ,特に「ローカルアイデンティティ/地域性」に注目した前稿(山田,2011)では,規模の大小を問わず,博物館やそれに準じる展示施設が,どのような構成要素を動員してその「ローカルアイデンティティ/地域性」を演出しているか,という関心から議論を展開した。この議論の延長線上で,数多くの博物館の事例を検討していくと,そこには,博物館の規模の大小に応じて,異なる立地特性,あるいは,展示戦略ないし運営戦略が存在するように思われる。それは,どの程度の規模の博物館を設置し,運営するのか,という規模の問題が,その博物館をどこに設置するのかという立地の問題や,その博物館をどのように運営するのか,あるいは,その博物館にどのような性格を与えるのか,といった質的な問題に直結していることを示唆している。
 本稿では,前稿の議論を踏まえ,2010年から2011年にかけて筆者が実際に現地を訪れ,展示を観覧した米国のポピュラー音楽系博物館等の展示施設に事例をとり,その規模の違いが,立地特性や展示・運営戦略とどのように関係し,そこにどのような類型が見いだせるのかを検討する。対象とするのは,2010年9月に訪問する機会のあった11施設と,2011年9月に訪問する機会があった3施設,合わせて14施設である。この中には,2011年6月に閉館したジョージア音楽の殿堂博物館が含まれているが,ここでは,2010年9月時点での知見に基づいて議論の対象に加えておく1)。[表1]
 なお,本稿で検討対象とする博物館等に準じた規模や性格をもつ展示施設は,前稿(山田,2011,表1)で示した,訪問していない展示施設のリストに挙げられているもののほかにも,シアトルのEMP博物館やロサンゼルスのグラミー博物館をはじめとして,リストから漏れている博物館等が西海岸の各地にも散在している。したがって,もっぱら中西部以東と南部の一部の事例によって展開される以下の議論は,地理的に偏りのあるデータに基づく解釈に過ぎないという批判も成り立ち得ることに留意されたい。
 ちなみに,前稿で言及した展示施設のうち,ヒビング市立図書館ボブ・ディラン・コレクションは,会議室を展示室として公開しているに過ぎず,入場料金を徴収しないことも考慮して今回の検討からは外している。また,前稿でごく簡単に言及したチャーリー・ダニエルズ博物館(山田,2011,注5)も,土産物屋の一部を展示施設にしたものに過ぎず,やはり入場料金を徴収しないことも考慮して検討対象からは外している。こうした施設をあえて考慮するならば,本稿で論じる小規模施設とはまた別に,異なる次元の存在として扱うことが適切であろう。

表2 規模別に見た対象施設の概要

規模のとらえ方

 以下,本稿では,博物館等の展示施設を「小規模〜中規模〜大規模」という3段階に分類して議論を進めて行く。この分類は,基準を先に考えた,いわば演繹的な分類ではなく,帰納的に判断された分類である。この分類は,例えば面積など客観的な指標で表現される施設の物理的規模や,収蔵品の点数などを基準にしているわけではない。この3段階の分類は,各施設を訪れた筆者の印象から判断される,少なくとも議論の出発点においては極めて主観的・直感的な分類である。[表2]
 ここで検討対象とする展示施設のうち,最も小さな小規模施設として位置づけられるのは,しばしば「ショットガン・ハウス」と形容される米国南部特有の細長い平屋の住宅1軒を展示施設に転用しているものである。具体的には,W・C・ハンディのメンフィスの家,エルビス・プレスリー生誕地がこれに当たる(山田,2011,写真8〜9)。これに次いで,2階建ての住宅2軒分に相当するモータウン歴史博物館や,住宅ではないがスタジオとオフィスなどで同程度の規模になるサン・スタジオや,ブルース・ヘブン財団(旧チェス・レコード・スタジオ),RCAスタジオBなどが典型的な小規模施設に該当するものと考えられる2)(山田,2011,写真2〜6)。[写真1〜2]
 これに対し,中規模施設とするのは,上述の小規模施設よりも規模の大きな,あるいは多数の展示室を擁する施設であり,典型的には当初から展示施設として設計された建物に入っている。具体的には,スタックス博物館とジョージア音楽の殿堂博物館が典型的な中規模施設と考えられるが,こうした施設は1000㎡を超える建築面積の建物を構え,教育部門や研究部門などの付帯施設を備えている。[写真3]
 小規模施設と中規模施設の間には,典型的な事例からやや外れ,中規模と考えるべきか,小規模施設と見るべきか,判断が難しい事例もある。メンフィス・ロックン・ソウル博物館は,建物の面積は1000㎡程度で,中規模施設に準じるものと見なせるが,展示は1つの階にまとめられているため,展示空間の延べ面積で考えると,小規模施設としたモータウン歴史博物館やサン・スタジオと大差がない規模であると考えることもできる。また,ベセルウッズ芸術センター博物館は,広大な敷地に関連施設が配置されているうちのひとつであり,単体としてみれば,やはり展示空間の延べ面積において小規模施設と大差のない施設と見なすこともできる3)。しかし,この2施設については,以下に検討するように,博物館の性格からみて,中規模施設に準じると考えるべき事例であると思われる。
 ハンク・ウィリアムズ博物館は,建築面積からみた規模で考える限りは明らかに小規模施設であるが,小規模施設の典型的な事例とは異なり,特定の歴史的意味付けがなされた建物に入っているわけではなく,また展示方法などの面でも,独特な,ある意味では中規模施設に通じる性格ももっている。したがって,あくまでも小規模施設ではあるが,他の典型的な事例とは異なる性格があることに留意すべき事例である4)
 最後に,ここで大規模施設として言及するのは,カントリー音楽の殿堂博物館,ロックの殿堂博物館,そしてグレイスランドの3施設である。カントリー音楽の殿堂博物館,ロックの殿堂博物館の建物はいずれも博物館として設計されており,建築面積で3000㎡以上,展示空間の延べ床面積で10000㎡超の大きな建物に収まっている5)。グレイスランドは,プレスリーの居宅の主屋だけをみれば小規模施設同然の大きさであるが(山田,2011,写真7),その広大な敷地内には独立した建物の展示施設が複数存在し,さらに,もともとの屋敷の敷地と道路を挟んだ向かい側には,自動車のコレクション専門の展示棟や,自家用飛行機の屋外展示など,関連施設が展開している6)
 以上の検討から,米国のポピュラー音楽系の展示施設を「小規模〜中規模〜大規模」という3段階に分類したが,既に「小規模〜中規模」の峻別において,単純に客観的な建築面積などの指標だけでは,分類が難しいことが明らかになった。そこで次に,施設の性格を判断する指標のひとつとして,立地場所に注目をしていくことにしたい。

立地の正統性

現場への立地:
 展示施設の立地が,ローカルアイデンティティという観点からみて正統性をもつかどうかは,その立地が特定の音楽関係施設なり,歴史的事象の現場そのものにあるのか,それとも,その近傍にあるのか,あるいは,漠然とより広い地域性と結びつけられているのか,といった違いによって異なってくる。小規模施設の多くがそうであるように,歴史的な意義のある施設,いわば「史跡」が,展示施設に転用されている場合には,最も堅固な立地の正統性が発揮されるが,施設がいったん解体された後に復元されていたり(例えば,スタックス博物館7)),移設されていれば(例えば,W・C・ハンディのメンフィスの家8)),ローカルアイデンティティの観点からみた正統性は多少なりとも減じるものと思われる。
 同様に,録音スタジオ(跡)を中心とした小規模施設の中でも,現在も現役のスタジオとして機能しているサン・スタジオ,スタジオとして使用されていた当時の状態のまま,他の目的に転用されることなく展示施設に移行したRCAスタジオBやモータウン歴史博物館に比べると,いったんスタジオ兼オフィスとしての機能を失って他に転用された建物を,改めて整備し直して展示施設としているブルース・ヘブン財団(旧チェス・レコード・スタジオ)は,やはり正統性において少々劣るものと見なされよう9)
 大規模施設であっても,グレイスランドのように,まさに「史跡」の現場を保全している場合には,ローカルアイデンティティにおいても強い正統性を印象づけることになる。グレイスランドは,1982年に展示施設として一般公開が始まって以来,元々の屋敷の敷地から道路を挟んだ反対側に,ビジターセンターや関連する展示施設が設けられており,この一帯は,常々拡張と再開発が進められている10)。このように,施設全体の中では様々な更新が重ねられていても,中核となる邸宅や墓所が保全されていることによって,正統性を犠牲にすることなく,利便性の向上や事業拡張を目指す取り組みが進められていると評価できる。
 施設の立地が,何らかの歴史的現場にあったとしても,オリジナルなモノが既に失われ,また再建もされていない場合には,それに代わる記念物が設置されることがあり得るし,展示施設自体がそのような記念物と位置づけられる可能性もあろう11)。ベセルウッズ芸術センターは,1969年のウッドストック・フェスティバルの会場跡を含む広大な敷地を占めており,博物館をはじめ,屋外コンサート会場など,多様な施設を含んでいる。ウッドストック・フェスティバルの会場跡は,東南東から西北西へ浅い谷筋に沿って上ってくる道路(West Shore Road)に向かって,なだらかに下りてゆく北向きの緩斜面であり,フェスティバルの際には,斜面の底部に,道路を背にして南向きにステージが設けられた。現在この斜面には施設は何も建てられておらず,草地として手入れされている。ステージから,100mあまり西の,ちょうど道路が南北に走る別の道路(Hurd Road)との交差点の南東の角に,1984年当時の土地所有者が設置したフェスティバルの記念碑があり,その一角には駐車場が用意され,植栽が施されている12)。現在の博物館等の施設は斜面の頂上部に配されており,現在の屋外ステージは,斜面の頂上部で繋がれたひとつ隣の浅い谷筋に設けられている13)。。こうした位置関係は,ベセルウッズ芸術センター博物館が,まったく新たに建設されたとはいえ,「史跡」の現場に立地しており,一定のローカルアイデンティティの正統性をもった施設であることを示唆するものである。[図1][写真4〜6]

現場以外への立地:
 ポピュラー音楽関係のみならず,多くの展示施設が「史跡」の現場に立地することはある意味では当然であるが,他方では,必ずしも現場ではない場所に展示施設が設けられることもある。潜在的な集客力などがおもな立地要因となって,展示テーマとほとんど縁の薄い場所に展示施設が立地するような場合14)は極端な例外としても,都市レベルではその展示テーマと結び付くが,より具体的にみると立地場所と展示テーマとの結びつきが欠けている,という例は,少なからず存在する。
 前稿でも言及したように,ハンク・ウィリアムズ博物館は,アラバマ州モンゴメリーの市街地中心部に立地しているが,これは「立地としては所縁のある都市にあっても,それ以上の真正性,正統性が欠けている展示施設の場合」に相当する(山田,2011,p.164)。ハンク・ウィリアムズはモンゴメリーで育ち,少年時代に当地のラジオ局へ出演したのを足がかりにキャリアを積み上げ,活動の最盛期にはおもにテネシー州ナッシュビルに居住しながら,モンゴメリーの実家(母親の家)にもしばしば通っていた。さらに,急死後の葬儀はモンゴメリーで行なわれ,遺体はモンゴメリー郊外の墓地に埋葬された。要するに,都市モンゴメリーがハンク・ウィリアムズの生涯に深く関わったことは間違いない。しかし,現在のハンク・ウィリアムズ博物館の建物,ないし敷地は,ハンク・ウィリアムズと特段の関係があるわけではなく,市内に適地を求めていた博物館側が手頃な場所として現在の建物を見いだしたということでしかない15) (山田,2011,写真10〜12)。
 一般的に,中規模程度以上の新たな博物館ないしそれに準じる展示施設を設けて運営しようとする際には,建物から新築する場合であれば施設を建設する敷地を確保するところから始めなければならないし,既存の建物を占める,ないし,その一部に入るような場合にも,予算など限られた資源の制約の下で,限られた選択肢の中から立地場所を選ばなければならない。そうした場合には,展示テーマに関わる「史跡」の現場であるという要素は,立地場所の選択における決定的要因とはならず,交通条件や,潜在的な集客力など,多数ある要因のひとつにしかならない。つまり,新たに建物を建てて展示施設を設ける場合には,何かの現場であること以上に,集客が見込める場所にあることなどが立地を左右する,と見ることができる16)
 同様の事情は,大規模施設を新たに設置する場合には,よりはっきりとした形で立ち現れる。カントリー音楽の殿堂博物館は,当初は,ナッシュビルの中心市街地の西側に位置する,音楽出版社,スタジオ,レコード会社などが集まるミュージック・ロウ(Music Row)と称される地区に建設され,1967年に開館した。この初代の建物は,2000年末に閉館し,後に解体されて現存していない。現在のカントリー音楽の殿堂博物館は,2001年に,観光客が集まるメインストリートであるブロードウェイ近くに規模を拡大して開館した。ブロードウェイ周辺には,大規模なコンサートが行なわれるホールやアリーナなどの施設とともに,ライブ音楽を売りにした飲食店などが多数集積している。こうした既存の施設と訴求する対象が重なることを踏まえれば,この移転は,集客力という点では博物館の経営に有利に働いていると考えられるが,ローカルアイデンティティの正統性は移転によって少々損なわれたと見るべきであろう(山田,2011,注24)。[写真7〜8]
 ロックの殿堂博物館(直訳では「ロックン・ロールの殿堂博物館」であるが,ここでは慣用に従う)は,オハイオ州クリーブランドにある。1983年に組織されたロックの殿堂財団(The Rock and Roll Hall of Fame Foundation)は,クリーブランドを含め複数の都市を候補に,永続的な博物館の開設を目指して準備を進めたが,最終的に,博物館をクリーブランドに建設することが決まるまで,10年近い年月が経過した。クリーブランドは,DJアラン・フリード(Alan Freed)が,当地のAMラジオ局WJW(現在のWKNRの前身)から行なった放送で「ロックン・ロール」という言葉を普及させたという歴史があり,ロックの殿堂が置かれるにはふさわしい都市である。しかし,実際にロックの殿堂博物館が立地している場所は,ノース・コーストと呼ばれるエリー湖に面した湖岸の一帯にあり,近傍には五大湖科学センター,ウィリアム・G・マザー海事博物館,クリーブランド・ブラウンズ・スタジアムなどの施設が集中し,こうした施設を訪れる人々のための大規模な駐車場なども配置されている。市街地中心部からこの一帯へは,休日やイベントのある日にだけ電車が運行されているが,平日の公共交通はバスしかない17)。この地域は,フリードが活躍した当時にはラジオ放送とも音楽とも無関係な港湾地区であった。現在の状況を生み出した再開発は1990年代以降に進められたもので,ロックの殿堂も1993年から建設が始まり,1995年に開館している。この立地は,「史跡」の現場に立地するといった観点からのものではなく,クリーブランド市内で,集客力なども考慮して適地を求めた結果と解すべきであろう18)。[写真9]
 こうした,都市単位のローカルアイデンティティには配慮されても,都市内部の立地については現場性が追及されない,もしくは,追及されにくい例とは別に,ローカルアイデンティティが漠然と広い地域性と結びつけられている例として,ジョージア音楽の殿堂博物館のように,州名を冠した施設を挙げることができる。このような施設の場合,施設名称との関係でみる限り,その州のどこに立地していてもおかしくないはずである。筆者が実際に訪れた博物館のうち,こうした事例にあたる例は,ジョージア音楽の殿堂博物館しかないので,一般化することはできないが19),ジョージア州メイコンに立地する同館では,あたかも当地への立地を正当化するかのように,オーティス・レディングやオールマン・ブラザーズ・バンドなどメイコン出身のミュージシャンや,カプリコーン・レコード20)のような地元のレコード会社を大きく取り上げ,エピソードを強調する演出がなされていた。
 以上を踏まえ,展示施設の立地に注目した分類を試みるならば,単純に「現場〜都市〜広域」といった空間的広がりを考慮するだけでなく,当該施設が「史跡」そのものを展示施設に転用されているのか,復元なり移設されているのか,あるいは,跡地に新たに建設されたものなのか,といった施設の背景の違いにも注目すべきであろう。そこで,以下の分析においては,「現場」への立地について分類をさらに3分し,歴史的建造物等の現物が展示施設に転用されている場合,歴史的建造物等の現物が移設ないし復元されて展示施設に転用されている場合,新たな展示施設が新規に建設される場合を区別する21)。これに加え,展示テーマと歴史的由縁のある都市内に立地しているが「史跡」の現場に立地しているわけではない事例を,「都市」を単位とする限りで正統性が担保されている場合と捉え直して分類のひとつとし,さらに,「広域」の漠然とした地域性と結びついている場合も分類に加えて,合わせて5分類を設定し,以降の分析に用いる。
表3 展示施設の諸類型

展示施設の諸類型

 以上で検討した規模の3段階と立地の5分類をもとに,検討対象とする14施設を類型化すると,規模の3段階にほぼ沿う形で,3つの類型を見いだすことができる。ただし,この3類型は,単純に建物なり展示面積の規模だけで決まるものではないし,各類型からはみ出してしまう,例外的な事例も当然存在することになる。[表3]
 小規模施設は,住宅ないしスタジオ等であった建物を,展示施設に転用している例がほとんどであり22),現場に残された建物の現物に由来する,ローカルアイデンティティの正統性が,その魅力を支える大きな柱になっている。こうした施設では,案内者が口頭で様々な説明をすることが多く,ごく小さな施設(家屋)に案内者が「語り部」のように常駐しているW・C・ハンディのメンフィスの家やエルビス・プレスリー生誕地のような例(山田,2011,p.176)のほか,スタジオや関連する展示のある部屋を一定の時間ごとのガイド付きツアーで見学するのが原則となっているRCAスタジオB,モータウン歴史博物館,サン・スタジオでも,ガイドの語りを通して提供される情報の比重は大きくなっている23)。こうした小規模施設では,(印字された解説文や録音された音声ガイドではなく)案内者の肉声によって語られる解説によって,より親密な形で施設の正統性が生々しく伝えられる可能性が開かれていると言えよう24)。また,ときにはガイドのショーマンシップが印象を大きく左右する重要な要素となる25)
 このように,規模に加え展示方法の共通性を考慮すると,小規模施設の中では,W・C・ハンディのメンフィスの家,プレスリー生誕地博物館,RCAスタジオB,モータウン歴史博物館,サン・スタジオが,共通性の高いひとつの類型を成しているように思われる。ブルース・ヘブン財団(旧チェス・レコード・スタジオ)も,これに準じるものと判断されるが,ガイド付きツアー方式を採っていないことなど,相違点もいろいろあり,典型的な事例とは見なせない26)。これに対し,ハンク・ウィリアムズ博物館は,規模の上では小規模施設の域を出ないものの,中規模施設に通じる性格も多い異質な存在であるものと思われる。
 中規模施設は,典型的にはジョージア音楽の殿堂博物館とスタックス博物館が該当する。いずれの施設も1500㎡程度以上の建物を展示施設としており,付帯施設として教育部門などを併設している27)。スタックス博物館は,もともと当地にあったスタックス・スタジオの施設を再建したものと説明されるが,建物の外見と,中核となる(元々は映画館を改装したものであった)スタジオ関係の部分は原型が尊重されているものの,他の展示室などのレイアウトは,かつての建物の構造を忠実に再現したものではない。その意味では,現地再建といっても,新規の建設に近い性格をもっているものと判断される28)。典型的施設より,やや規模が小さく,見方によっては小規模施設と大差がないとも考えられるベセルウッズ芸術センター博物館とメンフィス・ロックン・ソウル博物館は,当初から博物館とすることを目的として新たに建設された建物に入っており,むしろジョージア音楽の殿堂博物館に近い性格を有するものと考えられる29)。ベセルウッズ芸術センター博物館は,現時点での展示規模は比較的小さいながら,教育部門の取り組みに力を入れており,また,将来に向けて収蔵品の収集に積極的に取り組んでいるなど,中規模施設への発展を明示的に目指している30)。メンフィス・ロックン・ソウル博物館は,規模としては決して大きくないが,見学者全員に音声ガイド機器を提供し,見学者が自分のペースで展示を見て歩きながら,必要に応じて機器を操作して楽曲などの聴取を含む解説を聞くことができるようになっている。特徴的な展示のひとつは,館内の4か所に置かれた,時代ごとに分かれたジュークボックスであり,その前では,あたかもジュークボックスを操作するかのように,音声ガイドの番号を操作することによってそれぞれ数十曲の楽曲を聴くこともできる(山田,2011,写真16)。こうした音声ガイドの使用方法を含め,この博物館の展示方法は非常に洗練された説示的展示となっており,一般的な小規模施設における展示とは一線を画すものになっている31)。したがって,ジョージア音楽の殿堂博物館とスタックス博物館に,ベセルウッズ芸術センター博物館とメンフィス・ロックン・ソウル博物館を加えた4館が,中規模施設としての共通性をもったひとつの類型を成しているものと判断される。
 大規模施設については,対象となる事例が限られているため一般化は難しいが,カントリー音楽の殿堂博物館とロックの殿堂博物館が,いずれも業界組織を背景に創設された公共性が比較的高い施設として成立していることや,いずれも新規の展示施設として当初から設計された建物に入っていることなど,また,「立地としては所縁のある都市にあっても,それ以上の真正性,正統性が欠けている展示施設の場合」に該当し,それ故に様々な面で共通性をもっているのに対し,グレイスランドは他に類例を見いだし難い特異な性格の施設である(山田,2011,pp.176-178)。
 以上の検討をまとめると,考察対象としている14施設は,規模の3段階にほぼ沿う形で3つの類型に整理されることになる,これは,「小規模施設類型〜大規模施設類型」と呼んでもよさそうなものであるが,規模だけでは捉えられない側面があることを踏まえ,ここでは暫定的に「類型I〜III」と表現しておく。この類型化に従えば,類型IはW・C・ハンディのメンフィスの家,プレスリー生誕地博物館,RCAスタジオB,モータウン歴史博物館,サン・スタジオ,ブルース・ヘブン財団(旧チェス・レコード・スタジオ)の6施設,類型IIはジョージア音楽の殿堂博物館,スタックス博物館,ベセルウッズ芸術センター博物館,メンフィス・ロックン・ソウル博物館の4施設,類型IIIはカントリー音楽の殿堂博物館,ロックの殿堂博物館の2施設が該当し,ハンク・ウィリアムズ博物館とグレイスランドは類型化になじまないユニークな事例と位置づけられることになる。
 なお,各類型には,展示施設としての成立時期が異なる施設が含まれており,特定の類型に特定の時期に成立した展示施設が集中するといった傾向は見られない。類型Iの場合,展示施設としての開設時期は,W・C・ハンディのメンフィスの家については正確な当地での開館時期は未確認であるが,1980年代のビール・ストリート再開発後であり,プレスリー生誕地博物館は1992年(後に2006年に大規模な再整備がなされた),RCAスタジオBは最終的にカントリー音楽の殿堂博物館に寄贈されたのは1992年であるが,これに先んじる1977年には,既にカントリー音楽の殿堂博物館に関連するツアーの対象地となっていた。モータウン歴史博物館は1985年,サン・スタジオは1987年,ブルース・ヘブン財団(旧チェス・レコード・スタジオ)は1997年から,それぞれ現在の形態で展示施設として公開されている。このように開設年のデータを並べると,必ずしも特定の時期に集中はしておらず,1970年代から近年まで,徐々に事例が登場してきたことが明らかになる。同様に,類型IIの場合は,ジョージア音楽の殿堂博物館が1996年,スタックス博物館は2003年,ベセルウッズ芸術センター博物館は2008年の開館であり,メンフィス・ロックン・ソウル博物館は2000年に現在地から道を挟んで反対側にあるギブソンの工場の一角で開館し,後に2004年に現在地に移転しており,やはり特定時期における開設ラッシュといった動きはなかったものと思われる。類型IIIの2事例は,最初のカントリー音楽の殿堂博物館がミュージック・ロウに開設されたのは1967年,現在の博物館の建物の開館は2001年であり,ロックの殿堂博物館の開設は1995年と,時期はばらついている。こうした傾向は,少なくとも今回の分析対象としている博物館に関する限り,施設規模や性格の共通性は,開設時期なり開館から積み重ねてきた年数の実績とは関係が薄いことを示唆している。

類型によって異なるローカルアイデンティティの表出

 前節における検討によって整理された3類型,すなわち類型I(6施設),類型II(4施設),類型III(2施設)の各施設においては,それぞれ類型ごとに共通性をもったローカルアイデンティティの表出,あるいは演出ないし操作が行なわれている。また,諸類型を越えて共有されるローカルアイデンティティをめぐる取り組みも一部では認められる。以下では,そのような論点について類型ごとに検討を加えていく。

類型I:
 何らかの意味での「史跡」の現場に残る現物を展示施設に転換している小規模施設や,それに準じる施設から成る類型Iの施設では,その事実だけでローカルアイデンティティという観点からの正統性をもっており,それを展示施設としての魅力を支える大きな柱としている。したがって,その立地する場所の過去の歴史や土地柄についての情報は,ローカルアイデンティティを強化する要素として展示に組み込まれていることが多いが,それ以上に重要なのが案内者の役割である。
 例えば,W・C・ハンディのメンフィスの家では,「語り部」的に常駐しているガイドから,現在この施設が立地しているビール・ストリート(Beale Street)32)の歴史が簡単に触れられ,もともと数ブロック離れたところにあったこの家が,ハンディを顕彰する記念物として通りの再開発の一環として移設されてきたことが説明される。これは,この家そのものの正統性というより,観光地としてもよく知られた歴史的な通り(現在はすっかり再開発されている)とW・C・ハンディを結びつけることで,この人物のローカルアイデンティティを強調しようとする言説であるように思われる。
 プレスリー生誕地博物館では,やはり「語り部」的に常駐しているガイドの女性が旧姓プレスリーであり,エルビス・プレスリーの親族であることが語られ,テュペロに定住する一族の立場から見たエルビス像が語りの随所に現れ33)。エルビスの父ヴァーノンは,追われるように当地を去ってメンフィスに定住したが,エルビスが成功した後,かつての自分たちの家を買い取ったこと,エルビスが成功した後も出身地テュペロにしばしば通い,また地元でコンサートも行ったことなど,当地とエルビスの関係が,親族の肉声によって語られることで,エルビスとこの施設,テュペロという町との結びつきが重層的に強調されることになる。
 モータウン歴史博物館では,ガイド付きツアーの最初の段階(2階の展示の最初の部分)で創業者ベリー・ゴーディJr. の生い立ちを紹介する際に,ゴーディの両親がデトロイトにやって来たところから起業家として一定の成功を収めた経緯や,その起業家精神が家族に受け継がれていったことなどが,かなり踏み込んだ形で詳細に語られる。また,1950年代まで黒人が事業所用の事務所など業務用の物件を所有することが事実上難しく,便法として住宅を所有して事務所に転用することが行なわれており,そうした取り組みの結果として,モータウンのスタジオ兼事務所が中心市街地から外れた市街地北西の近郊住宅地の一角に置かれるようになった,と説明される。こうした説明は,写真パネルを中心とした展示を利用しながらガイドから語られるものであるが,パネル展示だけからそうした事情を読み取ることは難しい。また,モータウンのアーティストの多くが,黒人が多く居住する近隣地区の出身者であり「みんな近所にいた」という説明も加えられ,モータウンと地域,ひいてはこの博物館と地域の関連が強調される。また,ツアーのハイライトでもあるスタジオは,元々住宅の裏庭にあったガレージを,父親の建設業の手伝いで心得があったゴーディが自ら指揮して改装したものだという説明も,大きな設備は中に入れてから入口を塞いだので,後になって出せなくなった,という冗談も交えながら,現場で口頭で語られる。
 このように小規模施設からなる類型Iにおいては,もともと強い正統性をもったローカルアイデンティティが,展示内容よりも案内者の語りに比重が置かれる形で強調されることがよくある。これは,案内者自身が語りの中で示唆することも含め,案内者=地元住民という意識を,特に遠方からの来館者が自然にもつことと無関係ではなかろう。

類型II:
 もっぱら中規模施設から成る類型IIの施設では,類型Iのように自動的にローカルアイデンティティの正統性が担保されるわけではない。このため,類型Iよりも大きな比重で,施設自体のローカルアイデンティティを強化する説明ないし演出が展示に組み込まれる。
 ローカルアイデンティティが州単位の広い地域性と結びついているジョージア音楽の殿堂博物館では,主たる展示空間における展示内容は,ジョージア音楽の殿堂入りを果たしたジョージア州に関係の深いミュージシャンやその他の音楽関係者に関するものに特化していた34)。さらに,上述のように,施設が立地しているメイコンに所縁のあるミュージシャンやレコード会社を大きく取り上げた展示がなされている。
 スタックス博物館は,類型Iに準じ,テーマとなる歴史的事物(社屋・スタジオ)を現場において再建した施設であり,当初の施設がそのまま残されているわけではないものの一定の正統性をもっていると考えられる。その上で,スタックス博物館の展示の中では,メンフィスという都市の音楽環境が,スタックス・レーベルの特徴に反映されているというモチーフが繰り返し語られる。特に,ブッカー・T&ザ・MG's35)に象徴される黒人と白人が共存するバンド形態がメンフィスの土地柄を反映したものであるという言説は,ソウル音楽専門というイメージから,黒人一辺倒と思われがちなレーベルへの誤解を解きながら,レーベルの特徴をローカルアイデンティティに結びつけて語ろうとするものである。また,展示室の一角に掲げられたスタックスのアーティストたちがメンフィスのどこに住んでいたかを図示する地図は,このレーベルが地域社会に根付いて成立していたことを示唆するものとなっている。
 規模の面からは小規模施設と大差がないと見ることもできるベセルウッズ芸術センター博物館とメンフィス・ロックン・ソウル博物館も,展示の中でローカルアイデンティティに関わる語りが強調されているという点では,典型的な中規模施設と大差はない。ベセルウッズ芸術センター博物館の展示の前半は,もっぱら1960年代のアメリカ社会について歴史的観点から解説する説示的展示によって占められているが,後半はもっぱらウッドストック・フェスティバルというイベントの背景や影響についての展示となり,その中では,フェスティバルを企画運営した主催者であるウッドストック・ベンチャーズの拠点であったニューヨーク州ウッドストック36)や,いったん会場と決まりながら地元の反対でキャンセルされたウォールキル,そして実際にイベントが開催されたベセル37)のローカルアイデンティティに関わる語りが組み込まれている。一方,メンフィス・ロックン・ソウル博物館は,順路の最初に配された2つの展示室がそれぞれ「農村文化 Rural Culture」,「メンフィスへ Coming to Memphis」と題され,南部の農村的生活文化とそこに根ざしていたブルースなどの音楽についての解説と,様々な文化がメンフィスに流入し,都市の娯楽施設やラジオ放送などを舞台に独自の音楽文化を形成していく経緯が表現されている(山田,2011,写真19〜21)。それに続く展示室は,むしろ時代の流れに沿って配されていくが,常設展示の最後の部分では,ビール・ストリートの破壊的再開発についての言及があり,再びこの施設がメンフィス中心部のビール・ストリートに近い場所にあることを意識させるようになっている。つまり,展示順路の最初と最後で,メンフィスのローカルアイデンティティが強調される演出となっているわけである(山田,2011,p.174)。
 このように中規模施設からなる類型IIにおいては,ローカルアイデンティティの強調が展示内容の中でかなり直截的に行なわれる。これは,類型Iのように即自的にローカルアイデンティティの正統性が担保されるわけではない類型IIの施設において,こうした展示によって立地の正統性を明示的に主張することが重要であることを意味している。

類型III:
 中規模施設における場合とは対称的に,大規模施設の展示の中では,ローカルアイデンティティはむしろ後景に退いていくような印象を与える。これは,大規模な業界全体を表象するような展示が,地域性なり場所性よりも,一般性なり普遍性を求める傾向をもつことと無関係ではない。
 カントリー音楽の殿堂博物館は,他に並ぶものがないカントリー音楽関連の産業集積を誇るナッシュビルに立地しており,当然ながら展示の内容にもナッシュビルと密接に結びついたものが多く含まれている。しかし,この博物館はナッシュビル以外の地域に拠点を置くカントリー音楽関係のアーティストや事業も当然ながら取り上げる対象となっており,ことさらにナッシュビルに焦点を当てた説示的展示がなされているわけではない。カントリー音楽の形成期についての展示でも,むしろ各地で様々な形で成立した音楽なりアーティストたちの活動が,カントリー音楽に流れ込んで来たことが強調されている。
 同様の印象は,ロックの殿堂博物館においてより強く感じられる。ロックの殿堂博物館では,メインの展示空間となっている地階の一隅に,クリーブランド周辺地域出身のアーティストに特に焦点を当てた展示が設けられているが,その位置づけは決して大きなものではない。展示空間の導入部では,ロック音楽の成立と発展に特定の都市の音楽シーンが寄与した例としてニューオリンズ,シカゴ,メンフィス,サンフランシスコ,ロンドンなどを挙げて,それぞれの都市におけるロック音楽なりそれに先行して影響を与えた音楽についての展示がなされており,展示の主題としての様々な都市における音楽と地域性の結びつき,すなわち音楽のローカルアイデンティティは強く意識されているが,それは展示施設のローカルアイデンティティへの意識をむしろ相対化させるものになっている。

 以上の検討から,規模の違いに沿って得られた展示施設の3類型によって,展示に反映されるローカルアイデンティティの表出には異なる傾向が認められた38)。前稿で論じたように,「個々の展示資料が,特定のローカルアイデンティティを説得的に主張することは難しい」が,「複数の資料を積み上げて,地理的分布展示や時間順展示を取り込んだ説示型展示を実践することで,地域性を演出し,観覧者にローカルアイデンティティを意識させることは十分に可能」である(山田,2011,p.174)。そうした説示的展示を通して,その施設のローカルアイデンティティの正統性が最も明確に主張されるのは中規模施設からなる類型IIにおいてであり,これに小規模施設からなる類型Iが続く。大規模施設においては,当該施設のローカルアイデンティティをことさらに強調する展示は目立たない程度にとどまる。
写真10
サン・スタジオ前に停車するシャトル・バス
(2010年9月4日撮影)
写真11
ギブソン・メンフィス工場
写真12
メンフィス・ロックン・ソウル博物館
右手の路上にシャトルバスを待つ人々がいる
(以上2点は,いずれも2010年9月3日撮影)

写真13
カプリコーン・レコード社屋跡
(2010年9月14日撮影)
写真14
ウッドストックの土産物店 Legends Store:
テラスに置かれた人形の背後に
フェスティバルのシンボルが掲げられている
(2011年9月16日撮影)
写真15
メイコン,ゲイトウェイ公園の
オーティス・レディング像
(2010年9月14日撮影)


おわりに

 米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設が,それぞれ自身のアイデンティティの正統性を主張する,言い換えればその博物館が本物であることをアピールするひとつの手段として,しばしばローカルアイデンティティの正統性を強調することは,本稿での検討を通して確認された通りである。また,そのような取り組みが,ほぼ規模の大小に沿った形で,異なる様相を見せることも明らかになった。
 こうした個々の施設の取り組みは,しばしば他の施設や,施設外の環境などと連携することで,さらに強固なローカルアイデンティティを演出することもある。博物館の展示と現実の空間との連続性が,ローカルアイデンティティの演出を強化する有効な方策となり得ることは,前稿でも,メンフィス・ロックン・ソウル博物館を例にして言及し39)。この博物館の常設展示は,最後の部分でビール・ストリートの破壊的再開発に触れ,「最後の1室のスポンサーとして明記されているハードロックカフェの店舗は,博物館の出入口を出てすぐ目と鼻の先のビール・ストリートに位置している…展示の余韻が残るうちに,それと連続するリアルな都市空間が広がっている,という演出」をとっている(山田,2011,p.174)。
 これと同様に,博物館の展示と現実空間の連続性が演出されている事例として,ベセルウッズ芸術センター博物館を挙げることができる。この施設では,博物館の展示を見終わってミュージアム・ショップを出ると,入館者は博物館棟の裏手に抜けて,現在の屋外コンサート会場や,かつてのフェスティバルの現場につながる散策路へと誘導されるように順路が配置されている。
 博物館の展示と現実の空間との連続性ばかりでなく,博物館同士の結びつきも,ローカルアイデンティティの演出を強化する有効な方策となり得る。ナッシュビルにおけるカントリー音楽の殿堂博物館とRCAスタジオBの結びつきはその好例であるが,より強固な博物館同士の連携の取り組みは,メンフィスに見いだすことができる。市街地中心部に位置するメンフィス・ロックン・ソウル博物館の前からは,市街地南方の郊外にあるグレイスランドまで観光客を運ぶ,無料のシャトルバスが運行されている。これに乗り込むとグレイスランドにつくまでの間,車内ではひたすらプレスリーの歌の映像が流される。このシャトルバスは,グレイスランドからサン・スタジオへと,今度はサン・スタジオと所縁のあったスターたちの曲をかけながら向かい,最後はサン・スタジオから出発点のメンフィス・ロックン・ソウル博物館へと戻ってくる。少なからぬ数の観光客は,この無料シャトルを利用して1日のうちに3施設を回ることになるし,そうではない者にも,次回のメンフィス訪問の際には立ち寄ってみようという気にさせる,という狙いが,そこにははっきりと貫かれている。さらに,メンフィス・ロックン・ソウル博物館の向かいには,もともとこの博物館が2000年に最初に開館した場所(後に2004年に現在地へ移転)でもあるギブソン社のギター工場があるのだが,ここでも有料の工場見学ツアーが組まれており,工場自体が一種の展示施設となっている。上述のハードロックカフェなどビール・ストリートの飲食街を含め,この三角シャトルがメンフィスという都市の音楽伝統を実に効率的に結びつける役割を果たしているのである40)。[写真10〜12]
 なお,前稿では,「複数の資料を積み上げ」た「説示型展示」の可能性を強調したが,この構図は資料を展示施設に読み替えても妥当する。複数の展示施設や,様々な音楽実践の現場を多重に結びつけてゆくことで,「地域性を演出し,観覧者にローカルアイデンティティを意識させること」もまた,展示施設にとって重要な課題なのである。こうした観点から振り返って見ると,例えばロックの殿堂博物館をはじめ,同一都市内に関連施設が見いだせない施設について,そのままでは関係性が薄いものも含め,近傍の諸施設と,どのように連携していく可能性があるのか,という新たな課題も浮上して来ることになるだろう。

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(以下に示すURLは,いずれも2011年10月21日を最終アクセスとする。)
1) ジョージア音楽の殿堂博物館は,2010年6月12日に閉館した。展示品の多くは寄贈者に返還され,一部の展示は地元の大学などに移管された。(“Georgia Music Hall Of Fame Closing”, May 24, 2011, by Josephine Bennett, GPB News; “Music Hall's Final Weekend Draws Crowds”, June 13, 2011, by Associated Press, GPB News
2) ただし,エルビス・プレスリー生誕地には,元々あった場所で再整備された生家の建物のほかに,事務所や売店などが入る500㎡超の付帯施設があるほか,かつて幼いプレスリーも通った小さな教会が,近傍から移設されて敷地内に再建されている。
http://www.elvispresleybirthplace.com/
 なお,RCAスタジオBは,1977年以来,カントリー音楽の殿堂博物館からのツアーへ公開されていたが,1992年にカントリー音楽の殿堂博物館へ寄贈されている。このため,入場券がカントリー音楽の殿堂博物館で販売され,ツアーも同博物館前から出発するなど,カントリー音楽の殿堂博物館と一体となった運営がなされている。したがって,大規模施設の一部と見なすことも可能であるが,独立した展示施設と見なす場合には,小規模施設と考えるべきであろう。
http://countrymusichalloffame.org/visit-3/
3) 敷地面積という観点からすれば,ベセルウッズ芸術センターは8㎢を超える広大な敷地を擁し,大規模な屋外ステージなども構えているが,単体の博物館ないし展示施設として見る限りは中規模施設と判断される。
4) ハンク・ウィリアムズ博物館は,客観的指標で捉えられる側面ばかりでなく,様々な意味で他の施設と異なる性格がある。筆者の主観的な印象であり,客観的な指標では示し難いものであるが,ハンク・ウィリアムズ博物館は,コレクションの対象とされている内容や展示の方法が,川口(2009)が論じる「展示という名の所有の誇示」を強く印象づけるものになっている。前稿でも,展示品の中に「後年になってから制作されたウィリアムズの姿を描いた油絵などが数多く飾られている」ことなどに言及したが,空間を稠密に充填するかのような展示方法や,展示品を収納した展示ケース自体に重厚な木彫の装飾が施されていたりすることなど,その展示方法には独特の雰囲気がある。
5) カントリー音楽の殿堂博物館もロックの殿堂博物館も,最初から博物館として設計された新設の施設であるが,これはたまたまのことであり,新設が大規模施設に必然的な現象だと考えるべきではない。他の目的で建設された建築物を,必要に応じて改装を施した上で,大規模な博物館に転用する例は多い。特にヨーロッパでは,ルーブル美術館をはじめ宮殿などが,しばしば美術館に転用されている。日本では,近衛師団司令部(東京国立近代美術館工芸館)や第四師団司令部(大阪市立博物館=2001年閉館)のように軍司令部等の施設が戦後に博物館・美術館に転用される例があった(逆に,博物館が軍施設に転用された,東京科学博物館→高射第1師団司令部→国立科学博物館という例もある)。また,かつての朝鮮総督府が,韓国の独立後に政府庁舎(中央庁)として使用された後,解体される1995年まで間,韓国の国立中央博物館として使用されていた時期が長かったことなども,既存の建築物を転用した大規模施設の事例として挙げられよう。
6) グレイスランドでは,邸宅の主屋Graceland Mansionと,それに連続した背後(東側)に配された展示棟群(元々の父ヴァーノンの事務所や物置,スカッシュ場などを含む)やプレスリーとその家族の墓所を含め,本来の屋敷の敷地をestateないし,広義のGraceland Mansionと称しているが,道路(Elvis Presley Boulevard)を挟んだ反対側にある,ビジターセンターの並びには,所縁のある自動車を集めたThe Elvis Presley Car Museum,自家用ジェット機2機(Lisa Marie,Lockheed Jet Star),企画展を行なうThe Sincerely Elvis Museum,Graceland Crossingと名付けられた展示施設などがある。
http://www.elvis.com/graceland/tours/default.aspx
7) 1975年のスタックスの破綻によって,スタックスの旧社屋は所有権が他者に移り,1989年に旧社屋は解体された。その後,2001年から旧社屋を復元する形で現在の博物館が建設され,2003年に博物館が開館した。(Stax Studio's Rebirth as a Museum; Renewal Program Underway in Memphis's 'Soulsville USA', The Washington Post, November 29, 2002, page A24.:Critic's Notebook; A Place for Soul Music in the American Spirit, The New York Times, May 2, by Jon PARELES, Section E, page 5)
8) 現地で「語り部」である女性ガイドに質問した所では,この家はもともと数ブロック離れた所にあったものを移設したということであった。
 現地訪問後に閲覧した観光案内サイト「Moon Travel Guide」によれば,W・C・ハンディのメンフィスの家は,もともと659 Jeanette Street に建っていたが,1985年に現在地へ移設されたと説明されている。ただし,現在,メンフィスにはJeanette Streetは存在していないので,これが誤りを含む記述なのか,街路名が改称されたのかは未確認である。
http://www.moon.com/destinations/tennessee/memphis/sights/downtown/w-c-handy-museum
9) 現在,ブルース・ヘブン財団が入っている2120 South Michigan Avenue の建物には,1957年から1967年までチェス・レコードのスタジオと事務所が置かれていた。この時期は,チェス・レコードの最盛期ともいえる時期に当たっている。チェス・レコードが移転した後,この建物は事務所や倉庫として使用されていたが,やがて空き家となった。1993年に,チェス・レコードの重要なアーティストのひとりで,ブルース・ヘブン財団の創設者であったWillie Dixonの未亡人Marie Dixonが建物を購入して,財団に寄贈し,公的支援も受けて建物が修復され,1997年から現在の形で公開されるようになった。 http://www.bluesheaven.com/about/the-landmark/
10) 注6参照。
11) 典型的な事例と思われのは,東京の代々木上原にある古賀政男音楽博物館である。同館は,1978年に死去した古賀政男の自宅跡にある。旧古賀邸は1938年に建てられた重厚な建築であったが,古賀の死後,そのまま1979年に古賀政男音楽文化振興財団が運営する古賀政男記念博物館となった。しかし,1992年に旧古賀邸は解体され,跡地には現在の古賀政男音楽博物館などが1997年に建てられた。この際,旧古賀邸は,一部が移築再現されたのみで,ほとんどが失われた。(「古賀政男記念博物館 目を閉じれば不朽のメロディー(建築懐古録)」読売新聞,1989年6月5日東京朝刊,27面:「古賀政男記念博物館 名曲に思いをはせ…(博物館誌)」読売新聞,1990年9月27日東京朝刊,29面:「記念館と違いホールや「殿堂」 古賀政男音楽博物館(音楽の風景)」朝日新聞,1997年5月8日夕刊,14面)
12) この場所は,当初はバックステージの一部としてフェンスで規制され,観客が立ち入れない場所となるはずだったが,ステージの真横という角度ながら比較的近い位置ということもあり,フェスティバルの最中には多数の観客が埋め尽くすことになった。
13) ベセルウッズ芸術センターが現在所有している広大な敷地は,ウッドストック・フェスティバルの会場およびその隣接地を含んでいる。しかし,博物館やマーケット棟など,新たに近年建設された諸施設は,ウッドストック・フェスティバルの際には観客席がわりとなった斜面の上方,フェスティバルの際には諸々のサービス用テントが設置されていた一帯から,さらに斜面の上に配置されている。特に,現在の屋外コンサート会場は,ウッドストック・フェスティバルの際に観客が陣取った斜面からみると,ひとつ隣の谷筋の上部にあたる位置に設けられており,現在の観客席やステージからはかつて観客がいた斜面やその底部に設けられたステージの辺りを眺望することはできないし,その逆も同様である。この屋外コンサート会場は,最大15,000人の収容が可能であり,近年では年間12万人程度の有料入場者を動員している。
http://bethelwoodscenter.org/about.aspx
http://www.bethelwoodscenter.org/LinkClick.aspx?fileticket=1Kg3RvAZzEg%3D&tabid=113
14) 例えば,さいたまスーパーアリーナの一角に2000年から2010年まで存在したジョン・レノン・ミュージアムが,例として挙げられる。
15) ハンク・ウィリアムズ博物館は旧ユニオン駅舎内に1999年に開館した後,短期間でここを離れ,2000年に現在地に移転した。生前のウィリアムズは,おそらくユニオン駅を利用したことがあっただろうが,旧ユニオン駅舎内についても,それ以上の特段の結びつきがあったわけではない。(山田,2011,p.164)
16) 集客力という観点から見ると,新規の建築として博物館が建てられたり,より大きな施設の一部に入る場合は,大規模なポピュラー音楽系のコンサートがしばしば開催される多数の観客を収容できる大規模なホールや,スポーツ・スタジアムなどと近接した立地が選ばれる場合があることには注意しておくべきであろう。ロックの殿堂博物館はフットボール・スタジアムの近くにあり,メンフィス・ロックン・ソウル博物館は,バスケットボールなどの屋内競技場に隣接している。これは,ドーム球場(野球場)にハードロックカフェが出店する例(ニューヨーク・ヤンキー・スタジアム,福岡=福岡ドームに隣接する商業施設内,トロント・スカイドーム=閉店)があることと共通した現象であるように思われる。ハードロックカフェの立地については別稿で議論したい。
17) Greater Cleveland Regional Transit Authorityの路線図や時刻表は,公式ウェブ・サイトから,確認することができる。http://www.riderta.com/schedules/
18) フリードが活躍した当時のWJWは,中心市街地内のオフィス・ビルにあったが,この番地(619 Euclid)付近には,WJWなりフリードを顕彰する記念物は(少なくとも目立つ形では)見当たらなかった。
19) 同様の「○○州音楽の殿堂」という名称をもつ施設は,アラバマ州やオクラホマ州にも存在する。(山田,2011,注10)
20) 1969年から1980年までメイコンに存在したレコード会社 Capricorn Recordsは,オールマン・ブラザーズ・バンドなどを輩出したことで知られる。535 Cotton Avenueにあった社屋は,少なくとも外見上はそのまま現地に残されている。[写真13]
21) ただし,何が現物で何が復元か,といった議論が実際にはかなり厄介なものである。(山田,2011,注22)
22) W・C・ハンディのメンフィスの家とプレスリー生誕地博物館は細長い平屋の住宅である「ショットガン・ハウス」を,RCAスタジオB,モータウン歴史博物館,サン・スタジオ,ブルース・ヘブン財団は,スタジオや事務所を,それぞれ展示施設にしている例である。ただし,現在,モータウン歴史博物館となっている2軒の家を繋いだ建物は,その一部が創業者ベリー・ゴーディJr. の住居でもあった。正面向かって左手の建物である,2648 West Grand Boulevard の2階部分は,住居として使用されていた当時の子ども部屋などが再現展示されている。
23) 視聴覚資料を周到に組み込んだ展示が展開されている大規模施設においても,ガイドの語りは重要な情報源となり得る。自由見学が原則のロックの殿堂博物館でも,特定の展示ケースの前で,制服を着た職員が口頭での解説を加えるといった場面に遭遇した。ただし,これは常時行なわれていることではない様子でもあった。
 自由見学が原則となっている施設の中にも,詳しい解説のつくガイド付きツアーを並行して行っている例や,休日など来館者が多くなるときだけガイド付きツアーが行なわれる例がある。ガイドは,通例は当該施設の職員が務めているが,ベセルウッズ芸術センター博物館では,自由見学を原則としつつ,休日などにボランティア・ガイドによるツアーが実施されている。
24) 博物館等展示施設の中には,実体験者が「語り部」として参加することで,展示の意味に生々しさが格段と高まるという例もある。広島平和記念資料館や,ハワイ真珠湾のアリゾナ記念館などが広く知られた典型的な事例であるが,筆者の個人的な経験では旧制高等学校記念館(松本市)でもガイドなしで観覧した場合と,たまたま旧制高校出身者(当然ながら高齢の方)のボランティア・ガイドが居合わせた場合で印象は大きく異なった。広く現代史的テーマを扱う施設一般にも当てはまることであるが,こうした施設の場合,時の流れとともに「語り部」に依存しない展示構成へと展示内容を更新していく努力が必要になる。
25) 同じ施設でもガイドによる個人差が生じる可能性は常にあるが,筆者が経験した事例では,案内の過程で次々とモータウンのヒット曲を美声で歌い踊り,また,ツアー客にも歌わせ,踊らせるモータウン歴史博物館の若い男性ガイドは,極めて洗練されたショーマンシップを備えていた。また,サン・スタジオの若い女性ガイドも当意即妙のジョークを沢山織り込んだ解説でツアー客を笑わせながら,資料紹介を手際よく巧みに進めていた。
26) スタジオを中心とした施設のガイド付きのツアーでは,最後にメインのスタジオを見学することが定番となっており,RCAスタジオB,モータウン歴史博物館,サン・スタジオはいずれもこの方法をとっている。この中ではRCAスタジオBは平屋であるが,モータウン歴史博物館,サン・スタジオでは,見学者はまず2階に上がって展示の説明を受け,最後に1階のスタジオに下りてくる。ブルース・ヘブン財団(旧チェス・レコード・スタジオ)では,最初に2階にあるスタジオ跡に通され,そこでビデオを視聴し,その後は自由見学となるが,これはスタジオが2階にあり,常駐している職員が1人しかいないという条件の下では,やむを得ないことであるようだ。
 中規模ないし大規模な施設では,順路の最初にビデオ・シアターを配し,比較的短時間のオリジナルなビデオを見せることがよくある。これには,入場者の流れを制御するという狙いも含まれている。また,小規模施設でビデオ上映が組み込まれているもう一つの例であるモータウン歴史博物館は,一定の人数がまとまるまで先に到着した入館者を,モータウンのアーティストたちのパフォーマンスを延々と流しているビデオ室で待機させるが,到着してすぐにツアーが始まる場合はツアーの最後にビデオ室に案内される。こうした例と比べても,比較的長時間のオリジナルではないビデオを上映するブルース・ヘブン財団の例は,特異なものに感じられる。
27) ジョージア音楽の殿堂博物館には,1階の展示空間のひとつに子ども向けの音遊びの常設展示があり,2階には研究教育目的での利用に公開された図書館も備えられていた。スタックス博物館は,博物館の隣地にあって同じ運営財団(Soulsville Foundation)の下にある音楽専門学校と連携をもっている。
28) 外見と,一部の中核部の復元は重視しても,他の部分についてはまったく新たに設計されるという,こうした復元の形態は,20世紀後半に日本各地で盛んに取り組まれた城廓の再建にも通じる手法である。
29) ベセルウッズ芸術センター博物館とメンフィス・ロックン・ソウル博物館の教育ないしアウトリーチへの取り組みについては,それぞれのウェブ・サイトを参照。
http://bethelwoodscenter.org/community.aspx
http://www.memphisrocknsoul.org/soundeducation
30) ベセルウッズ芸術センター博物館について,関係者(館長に相当する主任学芸員やボランティア・ガイド)からは,この博物館が「コレクティング・ミュージアム collecting museum」であること,すなわち,既にある収蔵品を展示するというよりも,これからコレクションを形成していくことを意図した博物館であることを強調する言説が聞かれた。ウッドストック・フェスティバルの現地に立地するというローカルアイデンティティの正統性を生かして,展示に値する物品の寄付を呼び込み,将来に向けて有意義なコレクションを形成するという意図が,関係者に共有されているということである。
31) メンフィス・ロックン・ソウル博物館の洗練された展示の背景には,スミソニアン協会との提携がある。
http://www.memphisrocknsoul.org/smithsonian
32) Beale Streetは,歴史的にも,現在も,メンフィスを代表する歓楽街で,ハードロックカフェやB.B.キング・ブルースクラブのように音楽を取り上げたテーマ・レストラン・チェーンの店も含め,多数の飲食店が集まっており,その多くが音楽娯楽も提供している。1970年代末から1980年代にかけて,それまで通りに面して建っていた建物のほとんどを撤去する大規模な再開発が行なわれた。現在はこの通りに面して,ハンディの像や屋外ステージ施設が設けられたW・C・ハンディ公園(W. C. Handy Park)が整備されている。
33) ある程度定型化されていると思しきガイドとしての「語り」のほか,「語り部」はかなり自由に来訪者の質問に応答する。そうしたやり取りの中では,例えば,もともとプロテスタントのペンテコステ派に属する宗派であるアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教会の信仰を持っていた当地のプレスリー家一族にとって,エルビスの妻プリシラがグレイスランドに持ち込んだカトリック趣味は,かなりの嫌悪の対象であったことなど,やや踏み込んだ生々しい話題も聞かれた。
34) ジョージア音楽の殿堂博物館の1階には,主たる展示空間に加え,比較的低年齢の子どもを対象とした音遊びの遊具が用意されている空間と,企画展用の展示空間が備えられていた。
35) 黒人の鍵盤楽器奏者Booker T. Jonesが率いるこのグループは,黒人白人混成のバンドであり,スタックスの多くの音源においてスタジオ・ミュージシャンとして貢献するとともに,インストゥルメンタル曲「グリーン・オニオン (Green Onion)」などをヒットさせた。また,リーダーのJonesをはじめ,メンバーは作編曲者としてもスタックスのヒット曲に貢献した。
36) Woodstock, NY は,しばしばヒッピー文化と結びつけて語られる,芸術家の集まる地方集落であり,観光地化も進んでいる。ウッドストック・フェスティバルを主催したWoodstock Venturesは,この町に拠点を置く音楽スタジオを母体に組織された。集落としてのWoodstockは,フェスティバルの会場から道路距離でざっと100㎞は離れているが,現在では当地の土産物店などにはフェスティバルのシンボルをデザインした土産物などが多数並んでおり,詳しい事情を知らない観光客であれば当地でフェスティバルが開催されたと誤解する可能性もあるものと思われる。[写真14]
37) 1969年のフェスティバルの会場は,ベセル(Bethel, NY)の集落から西方の近郊に位置していた。当時は,会場の所在をどう表現するかにも混乱があり,主催者が作成したポスター類を含め,同時代資料の中には,この場所をホワイトレイク(White Lake, NY)と表現しているものもある。これは,ウォールキル(Wallkill, NY)での実行が困難になった段階で,ホワイトレイク近傍の空き地を会場とする案が浮上し,更にそれに代わるより広い場所を近くに求めた結果,ヤスガー農場にたどりついたという経緯も関係しているようだ。会場の決定までの経緯については,Littleproud and Hague(2009)の第1章,特にpp.11-23を参照。
38) この3類型から外れた例であるハンク・ウィリアムズ博物館については,山田(2011,p.164)を参照。同様に,グレイスランドについては,山田(2011,pp.176-178)を参照。
39) 以下で言及する例のほか,前稿でも触れたハンク・ウィリアムズ博物館がモンゴメリー市内にある銅像や墓所への案内図を用意しているという事例も,広く捉えれば,博物館の展示と現実の空間との連続性を演出する方策と見なせるかもしれない(山田,2011,p.164)。また,2010年9月にジョージア音楽の殿堂博物館を訪問した際には,窓口にいた職員から,荷物を館内に預けたままでよいから,徒歩で5分ほど離れたゲイトウェイ公園にあるオーティス・レディングの像も見に行くように,と勧められた。これも同様に,広い意味では展示と現実空間との連続性の演出と見なせるだろう。[写真15]
40) ただし,メンフィスにあるおもな施設の中で,スタックス博物館はこのネットワークから漏れている。観光客が市街地中心部からスタックス博物館へ行くためには,自家用車でなければ,タクシーか,バスを使ってアクセスすることが必要となる。


文献
謝辞

 本稿は,前稿(山田,2011)の基礎となった2010年以前の現地調査の成果に加え,2011年9月に行った米国における現地調査による知見と,その際に入手した資料に多くを頼って執筆されている。現地調査でお世話になった方々は多数に上るが,特に,昨年に引き続き,今回も現地調査の後半で討論の機会をもった東谷護氏(成城大学),現地調査時のみならず事前,事後に貴重な情報を提供していただいたKathryn Metz女史(Rock and Roll Hall of Fame and Museum),Wade Lawrence氏(Bethel Woods Center for the Arts)には,記して感謝を申し上げたい。

 本稿は,山田を代表者とする2011年度学術研究助成基金助成金・基盤研究(C)「観光資源としてのポピュラー音楽に関する実証的研究」(課題番号:23614022)の成果の一部である。
 本稿の内容の一部は,2011年12月3日に秋田県民会館ジョイナスで開催された経済地理学会北東支部例会において口頭発表した。

 本稿のテキストは,当研究室のウェブ・サイト上で公開している。
 (http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/text.html


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