雑誌論文(その他):2011:

米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設にみるローカルアイデンティティの表出とその正統性.

人文自然科学論集(東京経済大学),130,pp.155-187.


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米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設にみるローカルアイデンティティの表出とその正統性.

はじめに
施設における地域性の表出
  名称:
  立地:
  建物:
モノとしての展示資料の諸類型
資料と展示における地域性の表出
おわりに




米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設にみるローカルアイデンティティの表出とその正統性

山田 晴通

はじめに

 音楽文化は,しばしば特定の地域と結びつき,その地域独自の音楽のありようが,地名を冠した名称によって認識される。それはクラシック系の音楽にも当てはまるが,ポピュラー音楽においては,より頻繁に生じている現象だと言ってよいだろう。ニューオリンズ・ジャズ,ミシシッピ・ブルース,サザン・ロック,あるいは,マージービート,ノーザン・ソウル,さらには,マッドチェスター(マンチェスター・ムーブメント)といった表現は,音楽ジャーナリズムによって次々と新たに紡ぎ出されており,その中から時の試練に生き残るものがジャンルなりスタイルの名称として定着していく1)。また,名称に地名などが明示されなくても,グランジとシアトルのように,特定の音楽と特定の地域が分ちがたく結び付いたものとして認識される場合もある。このような場合,音楽と地域の関係は,どのようなものと理解されるべきなのであろうか。
 こうした一般的な問いかけ,大きな問いかけに答えようとする際に,まず手をつけるべきことの一つは,それが既にどう説明されているのかを探ることである。例えば,図書館へ出向き,ポピュラー音楽の歴史や地理を論じた書籍を繙くことは,その具体的な行動となるだろう。しかし,それはあくまでも二次資料に接することでしかない。もし,その先で一次資料,あるいは史料への接近を求めるのであれば,博物館に足を運ぶことも考えるべき課題の一つになろう2)

写真1 カントリー音楽の殿堂博物館
 日本では,ポピュラー音楽のみならず,音楽一般をテーマに掲げた大規模な博物館は存在していない。一定の水準で調査研究機能をもった博物館としては,西洋クラシック音楽が中心の民音音楽博物館,日本の歌謡曲史に関わる古賀政男音楽博物館などが,辛うじて思い浮かぶが,音楽文化について広く資料を収集し,保存,展示するような研究教育機関としての博物館は,日本には欠けている3)。また,音楽関係の個人博物館・記念館の類は,近年散見されるようになっているが,一部では商業性に傾斜した施設が目立ち,また他方では,脆弱な基盤の上に辛うじて成立してはいるものの,展示内容が充実しているとは言い難い例もある4)。一方,米国では,ポピュラー音楽系のテーマを掲げる博物館が,大小さまざまな規模で各地に存在している。地域の特性を反映した音楽ジャンルや,特定のレーベル,特定の人物などに関する,中小規模の博物館等もあるし,草の根の小さな非営利組織が運営している展示施設も数多いが,中には,カントリー音楽の殿堂博物館のように業界団体などが中心となって特定ジャンルの音楽に関する資料を収集している本格的な博物館もある5)[写真1]

 こうした日米の状況の違いについては,博物館の社会的な位置づけや寄附に関する認識の文化的な相違,あるいは寄附行為の税法上の扱いなど,様々な観点から議論が可能であろうが,そのような日米の相違をもたらした原因や,歴史的経緯についてはひとまず議論を保留しておく。本稿では,結果として日本よりも多数,かつ多様な形態が存在している米国のポピュラー音楽系の博物館や,それに準じる展示施設について,その性格や機能に注目する。また,以下の行論においては,冒頭で述べた「音楽と地域の関係」への関心を踏まえ,博物館等展示施設のローカルアイデンティティをめぐる議論に焦点を絞る。
 ここで「ローカルアイデンティティ」という言葉で表現するのは,第一義的には,局地的(ローカル)な特定の場所,あるいは,限定された範囲の地域6)がもっている,他の場所から峻別される個別性(アイデンティティ)のことであり,特に厳密な言葉遣いを要しない文脈であれば「地域アイデンティティ」,「地域性」などと同義と理解していただいて差し支えない7)。しかし,こうした意味でのローカルアイデンティティ自体は,抽象的な概念でしかない。「ロンドンっぽい」,「京都らしい」,「シカゴみたい」といったローカルアイデンティティの認識は,<何か>を見聞きした場合,あるいは,一般的に感覚的に捉えた場合に生じるものである。ローカルアイデンティティは,多くの場合は具体的な地域の現実から出発し,その中に見いだされていくものであるが,時にはそこに,誤った情報が組み込まれたり,誇張や歪曲が加わり,抽象化された概念が現実から離れて普及することもある。しかし,いずれにせよローカルアイデンティティの出発点に具体的な地域があり,その地域自体も無数の構成要素から成立していることは踏まえておかなければならない。ローカルアイデンティティの認識を引き出す<何か>は,地域を構成する無数の要素のいずれであってもよい。
表1 本稿で言及する米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設
 そこで,第一義的な理解から一歩進めて,「ローカルアイデンティティ」を次のように説明し直しておく。本稿で「ローカルアイデンティティ」という言葉で表現するのは,何らかの存在(上述の<何か>に当てはまり得るもの)が,他者から峻別される個別性(アイデンティティ)の中に組み込んでいる,特定の場所や地域などとの関わり(ローカリティ)のことである。個人であれば,自分を「江戸っ子」,「世田谷区民」,「生まれも育ちも葛飾柴又」などと意識し,またそれを表出することが,その人物の「ローカルアイデンティティ」の意識や表出である。また,本人の意識とは無関係に周囲がその人物について同様の認識をもつのであれば,例えば,本人はそう思っていなくても周囲が「彼はいかにも名古屋人らしい」と認識するなら,それは情報の受け手(周囲の人々)にとっては「ローカルアイデンティティ」の表出と何ら変わらない。これを本稿の本題に引き寄せて述べ直せば,ある展示施設が,他の施設から峻別される個別性(アイデンティティ)の中に組み込んでいる立地場所の特性(ローカリティ)が,施設の「ローカルアイデンティティ」ということになる8)
 以下,本稿では,2010年8月から9月にかけて科研費プロジェクトの一環として渡米した際に現地を訪問する機会を得た施設を中心に,具体的な事例への言及を踏まえながら,諸々の展示施設とそのローカルアイデンティティについて検討していく。また,実際に訪問していない施設については,ウェブ・サイトの記述などに基づいて言及する。[表1]

施設における地域性の表出

 博物館等の展示施設が,何らかのローカルアイデンティティをもつとき,それは具体的にどのような形で表出されるのであろう。とりあえず思いつくままに列挙すれば,名称,立地,建物,展示物,その他の視覚的デザインなどに,その具体的な表現を見いだすことができそうである。ここでは,名称,立地,建物といった,展示施設の「ハコ」としての側面について検討する。

名称:
 まず,名称について,(1)「ジョージア音楽の殿堂博物館」のように地名が直接織り込まれている場合,(2)「スタックス博物館」や「ハンク・ウィリアムズ博物館」のように,レーベル名や人名など,地名以外の固有名詞が織り込まれている場合,(3)「カントリー音楽の殿堂博物館」のように音楽ジャンル等を指す一般的な用語だけから名称が構成されている場合に分けて考えていく。地名の有無と別に,地名以外の固有名詞が含まれる場合を独立させて扱うのは,レーベル名や個人名などが特定の場所との結びつく形で広く認知されている例があるためである。

(1)名称に地名が直接織り込まれている場合
 地名がそのまま名称に盛り込まれている場合は,ローカルアイデンティティがそのまま施設のアイデンティティの不可欠な部分を構成しているということであり,名称だけでも,その施設の展示内容が地域性を色濃く反映しているのだろうと思わせる9)。例えば,ジョージア音楽の殿堂博物館は,その名称から察せられるように,ポピュラー系/クラシック系を問わず,ジョージア州の音楽産業に貢献した人物を顕彰する「ジョージア音楽の殿堂賞(Georgia Music Hall of Fame Award)」の受賞者を中心とした施設である10)
 少々厄介なのは,地名が音楽ジャンル名の一部となっているような場合である。例えば,2010年の時点では非公開だったルイジアナ州立博物館ジャズ・コレクションは,もともとは独立した民間の展示施設ニューオリンズ・ジャズ博物館(New Orleans Jazz Museum)のコレクションであった11)。これでは,音楽ジャンル,ないし様式としての「ニューオリンズ・ジャズ」に関する施設なのか,ニューオリンズに関わる(ニューオリンズ・ジャズ以外の様式も含めた)「ジャズ博物館」なのかは,名称だけでは判断できない12)

(2)名称に地名以外の固有名詞が織り込まれている場合
 地名以外の,レーベル名や個人名などを冠した施設の場合,そのレーベルや個人自体がどれほどのローカルアイデンティティをもって認知されているかによって,その意味は異なってくる。ソウル音楽の重要なレーベルであったスタックスがテネシー州メンフィスにあったことを知らない者は,スタックス博物館のローカルアイデンティティを感じ取らないかもしれないし,ハンク・ウィリアムズ(Sr.)13)がアラバマ州モンゴメリーに永く住み,また埋葬されていることを知らなければ,当地にハンク・ウィリアムズ博物館がある意義はわからないことだろう。こうした場合を考えると,むしろ逆に,博物館の存在が,その名称で言及されたレーベルなり個人なりと博物館の立地場所との結びつきを認識させるという側面が重要になってくる。
 レーベル名を冠した施設には,サン・スタジオRCA スタジオBスタックス博物館モータウン歴史博物館などが該当するが,確認できた以上の施設は,いずれもレコード会社の社屋なり録音スタジオ(跡)を活用し,関連資料の展示スペースを設け,公開したものである。なお,同様に旧チェス・レコードのスタジオを展示施設としているブルース・ヘブン財団は,正式名称にレーベル名を含まないが,観光案内などではチェス・レコード・スタジオと紹介されることもある14)[写真2〜6]

写真2 サン・スタジオ

写真3 サン・スタジオの展示(2階部分)

写真4 RCA スタジオB

写真5 スタックス博物館

写真6 ブルース・へブン財団(旧チェス・レコード・スタジオ)
 米国では,レーベル(ないし,レコード会社)が,(音楽産業の全国的な拠点都市となっている)ニューヨークやロサンゼルズ以外の地方都市に拠点を置き,その立地する都市と関連づけて認識されることがよくある15)。しかし,その地域に拠点を置く地元のレーベルを意識する場合や,モータウンのようにレーベル名自体に強いローカルアイデンティティが盛り込まれている場合16)は別として,レーベルがどこに拠点を置いているのか,明確に意識している聴き手は,確実に存在はしていても,全体から見れば一部にとどまるものと思われる。特に,同一レーベルに地域性が薄いアーティストが所属するようになったり,レーベルの性格が時代とともに変化したりすれば,レーベルのローカルアイデンティティは希薄になっていく。
 個人名を冠した施設は,その人物の出生地,出身地(出生地ではないが,少年期を過ごした場所など),居住地(永く住んだ場所,終の住処など)などに置かれている17)。施設の立地によるローカルアイデンティティの表出については後段で触れるが,施設名称に冠された個人名が何らかのローカルアイデンティティを示すか否か,あるいは,どのような関わりのある場所のローカルアイデンティティを示すかは,その個人のパブリック・イメージに大きく依存する。例えば,エルビス・プレスリーの名は出身地メンフィスと強く結び付いているが,ボブ・ディランから連想されるのは彼の出身地ではなく,ニューヨークであろう18)
 さらにグレイスランドのように,施設名に個人名がなくても,特定の個人と結び付くことが広く認識されているような例についても,同様にその個人のパブリック・イメージが,ローカルアイデンティティにどう結び付くかという点が重要になるだろう19)

(3)一般的な用語だけから名称が構成されている場合
 一般的な名称の展示施設の場合,それがどこにある施設かは,容易にはイメージできない。ロックの殿堂博物館ロック・アンド・ブルース博物館国際ロカビリーの殿堂博物館アメリカン・ジャズ博物館等々の名称から,それぞれがどこにあるかを察することは困難であろう20)。その意味ではカントリー音楽の殿堂博物館は,カントリー音楽の中心地であるテネシー州ナッシュビルにあることを想像できる,やや例外的な存在であるかもしれない。
 また,この場合も,レーベル名や個人名を冠した施設と同様に,博物館の存在がそのジャンルの音楽と地域との関連を示唆するという点が重要になる。これについては節を改めて考えていく。

立地:
 展示施設に限らず,あらゆる施設は現実の地理空間のどこかに立地する,あるいは,設置される以上,何らかの意味での地域性と無関係ではない。名称に地名が冠されない場合でも,その立地はローカルアイデンティティを表出する明確なメッセージとなり得る。しかし,すべての施設が,自動的にはっきりとしたローカルアイデンティティをもつわけではない。そこで問題となるのは,立地によってもたらされるローカルアイデンティティが,その施設の他の要素が表出するローカルアイデンティティと整合性をもつか否か,という点である。
 前節での整理に従って述べるなら,名称に地名が直接織り込まれている場合,話は簡単である。例えば,ジョージア音楽の殿堂博物館が,(現実とは異なり)アラバマ州に立地していたとしたら,名称と立地がそれぞれ示すローカルアイデンティティには整合性がとれないことになる。しかし,現実がそうであるように,ジョージア州内に立地する限り名称と立地には矛盾は生じないし,整合性を主張して言説を重ねる必要はない(ただし,なぜメイコンに立地しているのか,という説明は求められるかもしれない)。
 名称に,レーベル名や個人名など,地名以外の固有名詞が織り込まれている場合については,既に簡単に言及したように,当該レーベルや個人のパブリック・イメージに大きく依存することになる。そのレーベルや個人との所縁がない立地に展示施設が成立している事例は,米国の施設では確認していないが,結びつきが(あまり)認知されていない場合には,事実に基づいてローカルアイデンティティの整合性を説明し,立地の正統性を訴える言説が必要とされるだろう21)
 一般的な用語から成る名称の,特に,音楽ジャンル名を冠した施設の存在は,その立地が,広く一般的に普及しているその音楽ジャンル全体にとって,何らかの特権的な意義をもつ場所であることを主張するものと受け止められることになる。したがって,こうした名称の施設は,通常,立地の理由を明確に説明する言説を用意しているが,そうした説明が不十分であれば,その施設自体の正統性は揺らぐことになるだろう。

建物:
 具体的な都市に立地することに一定の意義があっても,展示施設自体が,高い真正性,正統性をもっている場合,例えば,展示施設が,レコード会社のスタジオ(跡)であったり,生家や居宅などテーマとなる特定個人に縁のある具体的な建物の現物であるような場合と,たまたま同じ都市にあるというだけの場合では,その正統性には大きな違いが生じる。現実に存在するレーベル名を冠した施設が,いずれも実際に使用されていたスタジオ(跡)を核として成立していることは,こうした正統性が重要であることを示している。
 こうした観点からすれば,例えば,プレスリーの生家やグレイスランドは,現物が同じ場所に残されているという意味で,高い真正性,正統性をもっている例である。これに対し,いったん取り壊された建物を現地で復元したスタックス博物館や,別の場所にあった建物をメンフィスの盛り場ビール・ストリート(Beale Street)の移設したW・C・ハンディのメンフィスの家博物館などは,真正性が減殺されているように感じられよう。ただし,こうした差異は受け手側の感受性によっても異なるものと思われる22)[写真7〜9]

写真7 グレイスランド 
正面玄関

写真8 エルビス・プレスリーの生家 
テュペロ

写真9 W・C・ハンディのメンフィスの家
博物館
 しかし,立地としては所縁のある都市にあっても,それ以上の真正性,正統性が欠けている展示施設の場合は,どうであろう。ハンク・ウィリアムズ博物館は,1999年に,モンゴメリー市街地の中心部にある旧ユニオン駅舎内に開館したが,2000年にそこから1ブロックほど離れた現在の場所に移動した。いずれも,ハンク・ウィリアムズの伝記上,特段の意味をもつ場所ではない23)。ハンク・ウィリアムズ博物館での聞き取りによると,「この博物館の建物はウィリアムズと何か関係があるのか?」というのは,入館者からしばしば問われる質問であるそうだ。博物館では,モンゴメリー市内にあるウィリアムズ関連の場所として,公会堂(ウィリアムズが少年期以来,何度もステージに立った場所)前の銅像と市街地の東のはずれにある墓所の場所を紹介し,行き方を説明したプリントを用意している。これは,入館者たちが銅像や墓所への行き方を頻繁に訊ねることの現れであろうが,少し見方を変えると,入館者たちは,この博物館自体には欠けている場所の正統性を補う施設を求め,博物館は自らには欠けている正統性を,こうした施設と結び付くことで担保しようとしているようにも思える24)[写真10〜12]

写真10 ハンク・ウィリアムズ博物館


写真11 公会堂前のハンク・ウィリアムズ


写真12 ハンク・ウィリアムズと最初の妻
オードリーの墓所

モノとしての展示資料の諸類型

 博物館であれ,小規模な展示施設であれ,展示に値するモノ,展示物としての資料が存在して初めて成立するものである。音楽をテーマにした博物館では,音楽それ自体をモノとして展示はできないが,録音を用意して音として流し,さらに映像として上映することで,展示に組み込むことができる25)。しかし,展示される資料がそれだけなら,展示施設として成立させるのは難しい。そこにモノとしての資料が用意されて,はじめて展示施設としての体を成すことになる。
 ポピュラー音楽系の展示施設でよく見られる,音楽そのものではなく,モノとして展示されている資料は,(a)一次資料か,二次資料か,また,一次資料については,実物か標本か,(b)ミュージシャンなど特定の人物や歴史的イベント等,固有名詞で捉えられるものとの関わりが,どの程度まで資料価値に寄与しているか,という二つの観点から整理できる。
 一次資料は,展示に値する資料価値をもつ現物であり,二次資料は,その現物の直接の展示が困難ないし不可能な場合に,それに代わるものとして展示される複製・複写物である。写真資料は,(それ自体が一次資料として価値がある)古写真の現物や芸術写真のオリジナル・プリントなどは別にして,一般的には二次資料として扱われる26)。一次資料の中には,実物と標本という区別があるが,前者は,美術品や歴史的遺物のいわゆる「一点物」と捉えられるものであり,後者は,相当数が存在するものの代表という位置づけになる。
 後者について敷衍すれば,例えば,有名ミュージシャンが使用していたギターが,その使用の事実によって展示資料としての価値を持っているのであれば,裏返せば,その人物による所有という事実がなければ展示に値する資料価値がないと判断されるのであれば,それは,特定の人物という固有名詞で捉えられるものとの関わりが資料価値を生んでいるものと判断される。ここで「固有名詞で捉えられるもの」としてまとめている中には,グループ,組織,企業や,映画作品,テレビ番組,行事,事件・事故,等々が含まれる27)。また,ここで「関わり」と曖昧に表現している中には様々な形の関係性が含まれるが,そこでは上述の「実物と標本」の場合と同じように,所有,使用,署名など「一点物」を生み出すような,いわば強い「関わり」方と,量産品に固有名詞が付与されるだけというような弱い「関わり」方の違いがある。単なるプレスリーの歌のシングル盤は,量産品であり,プレスリーの「関わり」は弱い。これに対し,プレスリーのサインが入ったシングル盤であれば,「関わり」は強くなり,資料価値は押し上げられる。さらに,プレスリーが所有していた自動車,使用した椅子,署名した書類は,もともとは量産品であったとしても,そうした強い「関わり」によって他と峻別され,大きな資料価値を形成することになる。
 もちろん,この二つの観点からの判断は,いずれも便宜的なものであり,それが展示される文脈,あるいは,鑑賞者側が解釈する文脈では,判断が揺れることも当然ある。例えば,ハンク・ウィリアムズ博物館には,ウィリアムズを主題とした演劇作品で実際に使用された,ウィリアムズを演じた俳優が着用した舞台衣装が展示されている。これはグランド・オール・オプリへの出演などでウィリアムズが着用していた,音符をデザインした白いスーツ28)を再現したものである。これは,単なる複製と考えれば二次資料であるが,ウィリアムズが死後に演劇作品を通して顕彰されたことを物語る資料と見れば一次資料の実物である。また,例えば,展示された楽器にその由来の説明があり,ミュージシャンの誰それが使用したと記されていても,そのミュージシャンを知らない者には価値は感じられない。そこに,その人物がいつごろ,どういう分野で活躍したといった解説の記述があれば,その時代,その分野のミュージシャンが使用した楽器の標本として,それに価値を見いだすことも考えられる。つまり同じ楽器の展示であっても,単に楽器の標本として展示しているか,使用者の記載によって特定の時期や分野の使用楽器の標本として展示しているのか,あるいはまた,使用者に関わりのある記念物として展示しているのか,その受け止め方は展示方法によってある程度まで誘導されるとしても,最終的には見る者の感受性によって左右されることになる29)
 こうした揺れがあることを前提に,上の二つの基準で機械的に整理すると,展示資料は9つのカテゴリーに分類整理することができる。[表2]
(1−1)固有名詞との強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している実物
(1−2)固有名詞との弱い「関わり」が資料価値に寄与している実物
(1−3)固有名詞に依存しない資料価値がある実物
(2−1)固有名詞との強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している標本
(2−2)固有名詞との弱い「関わり」が資料価値に寄与している標本
(2−3)固有名詞に依存しない資料価値がある標本
(3−1)固有名詞との強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している二次資料
(3−2)固有名詞との弱い「関わり」が資料価値に寄与している二次資料
(3−3)固有名詞に依存しない資料価値がある二次資料
しかし,実際の展示資料に占める比重は,カテゴリーごとに大きくばらついており,中にはほとんど該当するものがないカテゴリーある。以下では,このそれぞれのカテゴリーごとに,よく見られる資料の例や,展示方法の特徴などについて検討しながら,ポピュラー音楽系博物館等の展示の特徴を探っていく。

(1−1)固有名詞との強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している実物:
 ポピュラー音楽系の博物館等における実際の展示において,圧倒的な比重を占めているのは,ミュージシャン個人との強い関係性を帯びた実物である。楽器や舞台衣装などは最も頻繁に見られる展示物であり,直筆の歌詞や譜面,創作の過程を記したメモなども,「一点物」の実物として高い真正性,正統性をもち,そのミュージシャンのファンにとっては展示的価値を超えた礼拝的価値をも感覚させるものである。ゴールド・ディスク等,ミュージシャンに授与された記念品も,これに準じる感覚を与えるかもしれない。
 しかし,資料となるのは,音楽活動に直接関わるものばかりではなく,音楽活動とは無関係な物も少なからず含まれる。もっぱら舞台以外の場面で身に付けていたもの,身の回りのもの,家具,乗用車,あるいは署名が残された雑多な書類,差出人ないし名宛人となっている書簡や電報,その他の諸々が,特定の人物との強い関係性によって資料としての価値を形成することになる30)
 とりわけ乗用車は,展示資料としては大きなものであり,展示のスペースを広くとらなければならないため,あえて展示に加える場合は,相応に意義のある,資料価値が高いものである必要があるようだ。例えば,グレイスランドカントリー音楽の殿堂博物館における,プレスリーが所有していた乗用車の展示は,それに乗るプレスリーの写真が添えられることで,単なる所有ではなく,使用,さらには愛用という関係性が示唆され,資料価値をさらに押し上げる工夫が施されている。また,スタックス博物館にあるアイザック・ヘイズのスーパー・キャデラックは,その特注デザインが表現する,当時のソウル音楽を中心としたライフスタイルの意義が強調された展示がなされている。ハンク・ウィリアムズ博物館のキャデラックは,それがウィリアムズの所有であったというだけでなく,その車中でウィリアムズが落命したという事実によって関係性は強化されており,その価値を強調するかのように観覧順路の最後に配置されている。このキャデラックも,ファンにとっては展示的価値を超えた礼拝的価値を感覚させるものであろう31)
 以上,この分類については,ミュージシャンなど個人との強い関係性を帯びた実物について述べたが,同様の事情は個人に関わる場合だけでなく,企業や組織などにも当てはまる。例えば,古いテープ・レコーダーやカッティングマシンは,それがどこで使用されていたかを示し,特定のレーベルとの関係性を強調することで,資料価値が高まることになる。
 いずれにせよ,こうした「一点物」の実物は,市場価値も高くなるため概して高価であり,十分な資金力があってそれを購入する能力があるか,篤志家から寄贈先として選ばれるほどの社会的威信がなければ,多くを展示資料に加えることは難しい。このため,そうした観点から見て不利な立場にある,例えば,ヒビング市立図書館のボブ・ディラン・コレクションのような展示施設には,このカテゴリーに入る資料はほとんど含まれないことになる。

(1−2)固有名詞との弱い「関わり」が資料価値に寄与している実物:
 上の議論では,弱い「関わり」方の例として,量産品に固有名詞が付与されるだけで,それ以上の関係性が見いだせない場合を示した。もし,弱い「関わり」がそのような場合だけを意味するのであれば,弱い「関わり」は量産品,あるいは標本には当てはまっても,「一点物」なり実物には当てはまらないことになる。しかし,「一点物」の実物であっても,ミュージシャン個人との弱い「関わり」しかもたない,希薄な関係性によって資料価値が支えられている例もある。
 ハンク・ウィリアムズ博物館には,後年になってから制作されたウィリアムズの姿を描いた油絵などが数多く飾られている。その多くは,既存の写真などを元に描かれたものや,ウィリアムズの人生に起こった特定のイベントを絵解きするような絵柄のものである。しかし,これらは,複製なり模写として企図されたものではなく,それ自体が価値をもつ絵画作品と位置づけられているようだ。しかし,こうした作品にとってのウィリアムズの関わりは,単に素材とされているというだけで,きわめて弱い「関わり」でしかない。一方で,遺族から寄託されている実物など,正統性のある展示物を多数備えた同館が,こうした後付けの創作物を組み込んで展示を構成していることは,ファン的視線を色濃く反映させた同館の性格を端的に表している。
 ヒビング市立図書館のボブ・ディラン・コレクションの目玉(?)になっている,有り合わせの素材で創られたディランの人形(案山子を思わせる)や,地元のファンが描いた(あまり似ていない)ディランの肖像画は,「一点物」の実物ではあっても,ディランとの関わりは,やはりきわめて希薄であり,資料価値はある程度以上に高まることは考えにくい。

(1−3)固有名詞に依存しない資料価値がある実物:
 このカテゴリーに該当する展示資料は,ほとんど例がないと思われる。例えば,音楽を消費する側に焦点を当てた展示では,匿名性ないし無名性は担保される。しかし,そこで提示される資料は,たとえ「一点物」の実物であっても,展示の主旨からいえば,同じようなものが多数あったであろうことを前提に,標本として提示しているだけと考えるべきであろう。(2−3)を参照されたい。

(2−1)固有名詞との強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している標本:
 例えば,ミュージシャン個人の名義で多数者に送られた書状やカードのように,個人との強い「関わり」のあるモノが,多数作成され,現在も存在していると考えられる場合,展示資料は標本として提示されていると考えることができる。ただし,このカテゴリーに該当する資料の例は考えにくい32)

(2−2)固有名詞との弱い「関わり」が資料価値に寄与している標本:
 各種のレコード盤から,ミュージシャン個人の名を付けただけの雑多な品まで,非常に多くの資料がこのカテゴリーに含まれる。こうした品々は量産品であり,世の中に多数存在していて,展示される資料はその標本として提示されることになる。
 もともとポピュラー音楽は,大量複製技術を前提に成立しているものであり,ある種の音楽が成功すると,音楽そのものを運ぶ媒体であるレコード盤のみならず,Tシャツや食器や,その他の多様な商品群がその音楽の発展とともに開発され,消費者側の生活に浸透し,文化を形成していくことになる33)。しかも,こうした資料は量産品であって,基本的には極端に高騰したりしない。このため,ポピュラー音楽系の博物館等においては,どこでも多数の資料が展示に組み込まれているが,希少性や市場価値といった観点からすれば個々の資料の資料価値は大きくないので,それを前提に,展示に工夫がなされることもある。例えば,スタックス博物館の一角には,スタックスから発表された(おそらく)全てのシングルを壁面いっぱいに並べた展示や,同様に多数のアルバム・ジャケットを並べた展示がある。また,ヒビング市立図書館のボブ・ディラン・コレクションの場合,資料収集の資金的余裕が乏しいため,このカテゴリーに入る資料への依存の度合いは大きくなっている。[写真13〜15]
 さらに,ポスターやチラシ類,新聞や雑誌,記事等のスクラップなどの印刷物や,プロモーション用の写真なども,同様の扱いをされることがある。こうした二次元的な資料については,複写されるなど,画像として加工され,二次資料として展示に組み込まれることも多い。

写真13 シングル盤の密集展示
スタックス博物館

写真14 ボブ・ディラン・コレクション
ヒビング市立図書館

写真15 ボブ・ディラン・コレクション
ヒビング市立図書館

(2−3)固有名詞に依存しない資料価値がある標本:
 既に(1−3)で言及したように,音楽を消費する側に焦点を当てた展示では,匿名性ないし無名性は担保され,標本として提示される資料が多い。ある特定の時期の音楽についての展示の中で,その時代に普及していた音響機器(ラジオ,レコードプレイヤー,ジュークボックス,等々)を展示資料に加えることは,定番の手法となっている。また,音楽を生産する側に関連した展示物であっても,所縁のあるミュージシャン等への言及がない状態で展示される楽器は,その楽器の形状などを理解するために展示されている標本と見なすべきであろう。[写真16]
 しかし,標本として展示される資料は,量産品として生産されたものであり34),個々の資料の展示価値には,自ずから一定の限界が生じる。このためもあり,展示の中で占める比重もさほど大きなものにはならない。

写真16 ジュークボックスなどを配した展
示 メンフィス・ロックン・ソウル博物館

写真17 グレイスランドにあるプレスリー
の生家の模型

写真18 スタックス・スタジオ(復元)


(3−1)固有名詞との強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している二次資料:
 上述のように,複製・複写によって成立する資料は,二次資料となるが,その中でも,条件によって資料価値の大小は大きく左右される。
 例えば,そもそも一次資料の展示が不可能である場合の二次資料は,ある程度の資金を投じれば一次資料の展示も可能である場合の二次資料よりも,高い資料価値をもつと予想される。また,複製・複写物自体が「一点物」として製作される場合と,容易に大量複製できる場合とでは,前者の方が高い資料価値をもつと考えられる。例えば,グレイスランドには,テュペロのプレスリーの生家の模型が置かれている。また,ジョン・レノン・ミュージアムには,レノンが育った伯母の家メンディップの模型が展示されていた。これらは,よその場所に固着された不動産である一次資料の展示が不可能であり,また,展示資料自体が「一点物」になっている例である。また,既に失われたモノを復元する場合も,一次資料の展示が不可能で展示資料自体が「一点物」になる。スタックス博物館は,いったん解体されたスタックスの社屋跡地に建てられており,ファサードやスタジオ部分などは,一部にオリジナルの部材も取り込んでの復元である。[写真17〜18]
 模型の作成や,建築の復元に比べれば,写真資料は容易に大量複製できるという点において資料価値が高くなりにくい。しかし,(2−2)の場合と同様に,画像としての加工も含めて展示方法に工夫を加えることで,展示全体の構成に演出を加える手段として活用できる可能性が大きい。特に,(現に多くのポピュラー音楽系博物館等がそうであるように)説示型展示35)を企図する場合には,テキスト情報とともに,写真など視覚情報の扱いの巧拙が展示全体の印象を大きく左右することになる。

(3−2)固有名詞との弱い「関わり」が資料価値に寄与している二次資料:
 このカテゴリーは,(3−1)との明確な峻別が難しい。写真の場合,被写体が(1−2)や(2−2)に相当するものであったり,ミュージシャン個人との関係が間接的なものでしかない場合などが,このカテゴリーに入る。いずれにせよ,(3−1)の後半の記述はこのカテゴリーにも当てはまるだろう。

(3−3)固有名詞に依存しない資料価値がある二次資料:
 このカテゴリーも,該当する資料はほとんどないものと思われる。(2−3)に該当する被写体を捉えた写真などが考えられるが,ここでも(3−1)の後半の記述が当てはまり,時代背景の説明や,雰囲気の演出などに動員されるというのが,一般的な展示手法となっている。

 以上の検討をまとめると,ポピュラー音楽系の博物館等においては,資料価値が高く,市場価値も大きい(1−1)を展示の中心に据えながら,市場価格が比較的低い(2−2)や(3−1)を活用して説示型展示を展開している場合が多い,ということになる。また,資金面や社会的威信において,資料収集に不利な立場に置かれている展示施設の場合,(1−1)の比重が低下するため,(2−2)や(3−1),さらには(1−2)の比重が拡大するものと思われる。

資料と展示における地域性の表出

 既に上で検討したように,土地に固着された不動産である展示施設の立地や建物は,その存在自体が一定のローカルアイデンティティを表出し得るものである。では,動産である展示資料の場合はどうであろう。結論から述べるなら,個々の展示資料が,特定のローカルアイデンティティを説得的に主張することは難しい。個々の資料が明確に特定の地域との関係を表出することは決して多くはないし,また,例えば地名が記されているといった形で,何らかの地域性が表出していたとしても,その真正性なり正統性は即自的に担保されるわけではない。しかし,複数の資料を積み上げて,地理的分布展示や時間順展示を取り込んだ説示型展示を実践することで,地域性を演出し,観覧者にローカルアイデンティティを意識させることは十分に可能性あり,また,一部の施設では既に実践が始まっている。
 メンフィス・ロックン・ソウル博物館は,こうした観点から見て秀でた演出が行われている例である。同館の展示は,それぞれRural Culture,Coming to Memphis,Sun Records,Soul Music,Social Changes,Beat Goes On と題された6つの展示室を設け,最初の2室で南部農村の生活から都市化の過程を説明する中でブルースをはじめとするロックンロール以前の音楽について説明し,以降3室ではほぼ時間軸に沿って1950年代から1970年代ころまでの変化を追って,その最後にビール・ストリートの破壊的再開発に触れ,順路の最後にエピローグの1室がある,という構成になっている。この展示は,時間順展示であるだけでなく,巧妙に地理的要素が盛り込まれている。導入部の2室で,農村から都市へという地理的移動が演出されているだけでなく,最後の1室のスポンサーとして明記されているハードロックカフェの店舗は,博物館の出入口を出てすぐ目と鼻の先のビール・ストリートに位置しているのである。展示の余韻が残るうちに,それと連続するリアルな都市空間が広がっている,という演出である36)[写真19〜21]

写真19 「農村文化」
メンフィス・ロックン・ソウル博物館

写真20 「メンフィスへ」
メンフィス・ロックン・ソウル博物館

写真21 「社会変革」
メンフィス・ロックン・ソウル博物館
 ジョージア音楽の殿堂博物館では,それぞれBackstage Alley,Billy Watson Music Factory,That Great Gretsch Sound,Gospel Chapel,Gretsch Theater,Jazz & Swing Club,Rhythm & Blues Revue,Skillet Licker Café,Vintage Vinyl Record Store,Coca-Cola Drugstore と題された小さな展示室が,テーマパークさながらに,あたかも町角に立ち並ぶ建物のように配置され,それぞれにテーマをもった展示を行っている。それはジョージア州にとって地元特有の,ヴァナキュラーな景観を構成する施設を模したかのように演出されているが,実際には,その要素の多くは南部に広く見られるものとも解されるし,逆に現実のジョージア州の景観の反映というよりは,やや懐古趣味的な色彩を帯びてステレオタイプ化されたイメージの産物とも見える。いずれにせよ,この展示は,ジョージア州に縁のある優れた音楽家たちの多様な実践を,教会,食堂,劇場,等々の景観要素ごとに束ね直し,擬似的に地域イメージを再構成することを促している。[写真22〜24]

写真22 街角のような演出
ジョージア音楽の殿堂博物館

写真23 「グレッチ劇場」
ジョージア音楽の殿堂博物館

写真24 グレッチ製ギターの展示
ジョージア音楽の殿堂博物館
 こうした,中規模以上の博物館における実践とは対照的に,小規模な施設においては,展示資料のみで説示型展示を展開することは容易ではない。このため,ローカルアイデンティティの演出を含め,案内者の役割が重要になってくる。例えば,W・C・ハンディのメンフィスの家博物館や,プレスリーの生家(エルビス・プレスリー生誕地博物館)では,それぞれ小さな家(ショットガン・ハウス)に案内者が常時いて,展示物をストーリーの中に組み込みながら,主題となる人物とその施設について,また,その場に置かれた展示資料について,言わば語り部として説明していくスタイルがとられている。

おわりに

 本稿では,おもに米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設に例をとり,日英の事例も参照しながら,ポピュラー音楽系の施設におけるローカルアイデンティティの表出とその正統性について検討した。その過程において,施設における地域性の表出と,資料と展示における地域性の表出を,別々に検討したが,最も強力な正統性をもったローカルアイデンティティの表出は,その両者が強固に結び付いたところに立ち現れるはずである。すなわち,展示施設自体が,テーマとなる特定個人等に縁のある具体的な建物の実物であり,強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している実物が展示資料として数多く用意されることで正統性が担保され,展示とリアルな都市空間が連続して,施設自体が強いローカルアイデンティティをもつような場所である。
 このような条件すべてに,見事に当てはまる事例が,グレイスランドである。グレイスランドは,プレスリーという人名と,メンフィスという地名の双方に結びつく固有名詞である。グレイスランドは,プレスリーの居宅として永く使われ,敷地内に墓所が存在するという事実から,どこよりも深くプレスリーと結び付いた場所である。グレイスランドの展示資料には,プレスリーと深く関わった実物がどこよりも多く存在し,それは日常生活を再現したような家屋内の展示から,業績を顕彰する膨大な量の賞や記念品類,そして多数の自動車や,ジェット機にまで至る多様なものを含んでいる。[写真25〜26]
 グレイスランドはメンフィスの中グレイスランドを結ぶ幅広い道路は「エルビス・プレスリー・ブルバード」と名付けられており,市街地からグレイスランドへの往還には必ずこの道を経ることになる。多くの観光客が利用するシャトルバスに乗ると,中心部からグレイスランド到着までの間,車内のモニターには延々とプレスリーの歌う姿が映し出される。そして,何より市街地中心部を少し歩けば,プレスリーのイメージが,あるいは公園の銅像として,あるいは広告のキャラクターとして,町中の至る所に存在していることに気づかされる。このように,グレイスランドは,地域のアイデンティティが強烈に表出された展示施設であり,並ぶもののない希有な例である37)

 なお,ポピュラー音楽系の展示施設という観点からは,本稿で取り上げた博物館やそれに準じる形で何らかの公共性を帯びた展示施設以外にも,純然たる営利的施設が展示施設としての性格を帯びるような場合も,議論の射程に収めておく必要がある。例えば,ハードロックカフェにおけるメモラビリアの展示は,その最も大規模なものと考えられる38)。また,同様のテーマ性を持った展示物を集客力の一部として組み込んでいるテーマ・レストラン等は大小さまざまなものが存在する。[写真27]
 また,強力なローカルアイデンティティをもつ施設が,いわば「聖地」となり,あるいは文化的イコンとして,あるいは観光資源として,様々な文脈で大きな意味を持つようになっていく過程については,より具体的に分析していく必要があるだろう。このほかにも,課題は数多く残されている。

写真25 プレスリーの墓所
グレイスランド

写真26 プレスリーの自家用ジェット機
グレイスランド

写真27 ハードロックカフェ・アトランタ


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(以下に示すURLは,いずれも2010年10月14日を最終アクセスとする。)
1) こうした表現の中には,「リバプール・サウンド」や「LAメタル」のように,本来は英語の表現として一般化はしていない,日本独自の言い回しとして成立している例もある。しかし,こうした言わば和製英語的概念も,日本語の言語世界においては,正統的な英語表現にもとづく概念と等しく機能することは注意しておくべきであろう。
2) ただし,このような認識の一方で,博物館的な展示施設のもつ政治性についても思い至ることを忘れてはならない,この観点については,とりあえず川口 編(2009)所収の諸論考を参照されたいが,特に,米国のデータを踏まえて述べられている矢口(2009, p.164)の以下の指摘は重要である。「ミュージアム展示にある情報の理解は,読み手の認識枠組みによって多様なものとなり得る。他のテクストと同様に,さまざまな「読み」が可能なはずである。にもかかわらず,実際にはミュージアムはひとつの正しい情報を一方的に伝達する機関として,社会で捉えられる傾向が強い。(中略)アメリカ人の大半は歴史の教科書や研究書よりも,歴史ミュージアム展示を信用できると考えている。教育の現場でも,ミュージアムは生徒が正しい知識を学ぶ場として位置づけられる。権威ある「テンプル」としてのミュージアムというイメージの名残りはいまだに強いのである。」
3) 「「博物館・美術館大国」といわれるフランス」の「博物館行政と文化政策について概観」している水嶋(1999)は,「わが国には,博物館のほか文化発信や地域活性を目的とする芸術ホールなどの文化施設が大小あわせて毎年300館程度設立されているといわれ,その数は年々増加している。しかし,文化施設の運用活動実態は,貴重な財政資金を投入したにもかかわらず,当初の設立理念や目的を十分に発揮しているとはいい難い状況にある。」(p.169)と,本稿と同様の問題意識から先進事例としてのフランスについて報告したものであるが,日本の現状への具体的な言及は含まれていない。
 文中で言及した民音音楽博物館,古賀政男音楽博物館は,いずれも博物館法上の登録博物館であるが,登録博物館で音楽関係に特化している例は少ない。館名などから判断する限り,上記2館以外では,作曲家・成田為三(1893-1945)の業績を顕彰した秋田県北秋田市の浜辺の歌音楽館と,兵庫県西宮市の堀江オルゴール博物館しか,それらしい例は見当たらない。
 また,静岡県浜松市の浜松楽器博物館のように,公的背景を持ち一定の規模があっても,音楽そのものではなく楽器にテーマが偏っている例は多い。音楽大学の中には,楽器博物館と名付けた施設をもち,一般にも公開している例があるが,収蔵品の保管状況や展示方法には,大学付属施設としての限界がしばしば感じられる。また,オルゴール等の自動演奏機械のコレクションを展示する比較的小規模な施設は,商業的性格のものも含め国内にも多数存在しているが,それらを音楽文化の専門博物館と見なすには,いくつかの留保が必要であろう。
4) 戦後日本の歌謡曲史における最重要人物のひとりである美空ひばり(1937-1989)に関しては,1993年に美空ひばり館が京都市に開館し,観光名所ともなっていた。しかし同館は,2006年には来館者減を理由に閉館に至った。同施設は,2008年に経営主体が変わり,京都嵐山美空ひばり座として再度開館したが,営利的に運営される展示施設の永続性に問題がある事を示唆する事例であるといえよう。
 さらに極端な例としては,2000年に開館し,2010年に閉館したジョン・レノン・ミュージアム(さいたま市)が挙げられよう。同館は,オノ・ヨーコの公認の下,レノンの遺品多数を展示し,世界唯一の「公式ミュージアム」と謳っていた施設で,さいたま新都心のさいたまスーパーアリーナ内にあり,展示内容も充実していた(『ジョン・レノン・ミュージアム・プログラム』2000)。しかし,来館者減に直面し,企業の文化事業として運営にあたっていた大成建設がライセンス契約の更新を断念したため,開館から10年で閉館となった。
 音楽関係の個人記念館の例としては,作曲家では古関裕而記念館(福島県福島市),吉田正音楽記念館(茨城県日立市),作詞家では星野哲郎記念館(山口県周防大島町),歌手では藤原義江記念館(山口県下関市),春日八郎記念公園・おもいで館(福島県会津板下町),村田英雄記念館(佐賀県唐津市)などがまず思い当たるが,これらはいずれも出身地に比較的小規模な施設が,公的な支援を受けて設けられているものである。
 やや変則的な例としては,作詞家サトウ・ハチローに関するサトウハチロー記念館(岩手間北上市)がある。もともと東京の自宅跡に開設されていた記念館が,資料保存のために適切な場所を求めて縁のあった東北各地を候補地として,当初は収蔵庫の設置場所を,やがて移転先を探した結果,サトウ本人ではなく,記念館館長であるサトウの次男の,妻の出身地であった北上市に移転先が決まったという経緯が,北上市の公式サイト内で説明されている。
http://www.city.kitakami.iwate.jp/sub03/shisetsu/shisetsu05/page_1281.html
 こうした例から外れたものとして,ダークダックス館林音楽館が挙げられるだろう。この施設がある群馬県館林市は,もともとグループの活動とは関係は薄かったが,熱心なファンが私財を投じ,行政なども動かして同館の開設に実現した。
http://www.the-udon.com/dd/guide.html
5) 例えば,カントリー音楽の殿堂博物館は,最高水準で資料を管理し,公衆にサービスを提供している博物館として米国博物館協会(the American Association of Museums)に認定されていること,この認定を受けているのは全国に8千ある博物館のうち750館に過ぎないことを広報等で強調している。
http://countrymusichalloffame.org/mission/
 他方では,きわめて小規模な施設や,商業的性格の施設が Museum を名乗っている例も数多くある。例えば,観光客が多く訪れるナッシュビルの2番街にある,カントリー音楽のフィドル奏者Charlie Danielsの名を冠したCharlie Daniels Museumは,当人が経営する土産物屋の一部を展示施設にしたものである。
6) 「場所」や「地域」といった用語については山田(1995, pp.58-60)を,さらにこれを踏まえた音楽に関する議論としては東谷(2010)を参照のこと。
7) もちろん,論者によっては,こうした用語について,ここでの緩やかな言葉遣いとは異なる,より先鋭化させた概念規定による議論が展開されることも多い。例えば,植村(1998,p.20)や宮本・古川(2007,p.83)などは,本稿におけるような「地域アイデンティティ」の捉え方を明確に否定するところから議論を起こしている。
8) その施設が意識的に表出するローカルアイデンティティと,施設に接して情報の受け手となる側が認識したローカルアイデンティティとの間に,ズレが生じる可能性は常にある。情報の送り手である施設側が表出した内容を受け手が感受しないこともあるし,送り手が表出を(あるいは存在を)認識していない内容を受け手が読み取ることもある。本稿では,こうしたズレは無視し,専ら,筆者(山田)が,入館者,ウェブサイト閲覧者として認識した限りでの,各施設のローカルアイデンティティについて論じていく。すなわち,米国各地に数多く見いだされるポピュラー音楽に関係した博物館等の展示施設が,どのような形でそのローカルアイデンティティを表出していると筆者に認識されるのか,という議論をする。
9) ここで地名としているのは,局地的な性格の,都市名ないし州名である。例えば,アメリカン・ジャズ博物館の「アメリカ(ン)」も地名であるが,本稿の文脈では一般的な普通名詞と同様のものとして扱った。
10) ジョージア音楽の殿堂博物館は,ジョージア州公認の顕彰事業としての「ジョージア音楽の殿堂賞」と連動して設けられた施設である。1978年にジョージア州議会の音楽産業委員会などによって,音楽産業の振興策としてGeorgia Music Week の行事がアトランタで始まり,翌1979年にはその一環として殿堂賞の授与が始まった。この第1回では,パフォーマー部門としてレイ・チャールズ(Ray Charles),非パフォーマー部門としてビル・ロウリー(Bill Lowery=Mr. Atlanta Music と称されたDJ出身の音楽業界の大物)が受賞した。その後,この顕彰事業が定着すると,1980年代後半には,殿堂博物館の構想が具体化して,州議会の資金拠出が決まり,1990年に the Georgia Music Hall of Fame Authority が設立された。建設用地はメイコン市が提供し,1994年に建設に着工,1996年9月21日に開館した。
 博物館には,殿堂賞関係の展示に加え,子ども向けの展示や,教育遊具などを集めたコーナーが設けられており,教育施設としての機能もはっきりと意図されている。また,一般利用に開放された図書室や,調査研究機能も備えられている。
 なお,ジョージア音楽の殿堂博物館と同様に,「州名+音楽の殿堂博物館」の名称をもった施設は,アラバマ州オクラホマ州にも存在する。
11) ニューオリンズ・ジャズ博物館は,1961年から1973年まで存続していたが,1977年にコレクションは州立博物館に移管された。その後1980年代に入ってから州立博物館(旧連邦造幣局)で公開されたが,2005年にハリケーン被害を受け,以降は公開されない状態が続いている。
12) 博物館ではなく,図書館の特別コレクションの名称であるが,シカゴ大学リージェンシュテイン図書館に置かれている“Chicago Jazz Archives”も,特定のスタイルとしての「シカゴ・ジャズ」を指すのか,他のスタイルも含めたシカゴで展開したジャズ全体を指すのか,あるいは,広く一般にジャズに関する文書を集めたコレクションが偶々シカゴにあるという意味なのかは,名称だけではわからない。
http://www.lib.uchicago.edu/e/su/cja/
13) カントリー音楽史上最大のスターであるハンク・ウィリアムズ(Hank Williams, 1923-1953)は,やはりカントリー歌手である同名の息子(Hank Williams, Jr., b.1949)と区別する場合には「シニア」を付けてHank Williams, Sr. と表記されることもあるが,活躍していた当時はこの用法を用いられなかった。晩年はナッシュビルに住んでいたが,葬儀はモンゴメリーで行われ,当地に埋葬された。
14) これらのうち,スタックス博物館は,1989年に元の建物が解体された跡地に,2003年に新たに建物の一部を復元する形で再建したものである。
 一方,サン・スタジオは現在も現役の録音スタジオとして使用されている。現在のサン・スタジオは,隣地にあったレストランの建物を取得し,旧スタジオの正面出入口を封じて,レストラン跡の出入口から入館するようになっている。レストランの2階部分は,1950年当時は住居になっていたが,現在は展示スペースに改装されている。(写真3を参照)
 ブルース・ヘブン財団(Blues Heaven Foundation, Inc.:“Willie Dixon’s Blues Heaven Foundation”と称することもある)は,観光案内などでは,“Chess Records Studio / Willie Dixon's Blues Heaven Foundation, Inc.”などと紹介されることもある。この場所には,1957年から1967年までチェス・レコードのメイン・スタジオとオフィスがあったが,その後,会社は移転し,さらに経営権が創業者たちから離れると,チェスは1970年代にレコード会社としての実態を失った。一方,チェス・レコードでミュージシャン(ベーシスト)やプロデューサーなどとして活躍したウィリー・ディクソン(1915-1992)は,ブルースの振興や,ブルース・ミュージシャンへの支援を目的とした非営利組織としてブルース・ヘブン財団を1984年に設立した。この財団の尽力もあって,久しく放置されていたこの建物は,1990年に Chicago Landmarkとして保存建築物に指定され,修復が取り組まれるようになった。1997年には,修復が完了して財団がここに移転し,展示施設として公開されるようになった。
15) こうしたレーベルの地域性には,米国におけるレコード市場の歴史的な事情によって形成された側面がある。1950年代半ばに45回転シングル盤やLP盤が普及する以前は,破損しやすい78回転盤(SP盤)の流通には諸々の問題があり,大手以外の独立系レコード会社は商品を全国流通させることが困難であった。このため,小レーベルのレコードは,拠点となる都市からさほど離れない局地的な範囲にのみ流通し,その地方の局地的な音楽嗜好を反映したレーベル独自の特色を育むことになった。こうした局地的市場の成立には,地元のラジオ局が一定の役割を果たすこともあった。
16) モータウン Motown は,「Motor(モーター=自動車)+ town」による造語であり,自動車産業の中心地であるデトロイトのレーベルであることを強く想起させる。しかし,創業者のベリー・ゴーディ・ジュニア(Berry Gordy, Jr., b.1929)は,1972年に本社をロサンゼルスに移転しており,1988年には経営権も手放した。その後,大手傘下のレーベルとなったモータウンは,1993年に本社をニューヨークに移している。こうした経緯にもかかわらず,現在でもモータウンといえばデトロイトというイメージは強い。
17) 上述のジョン・レノン・ミュージアムやダークダックス館林音楽館のように,何らかの事情(提供された土地や施設がある,集客が期待される,など)から,もともと縁のない場所に施設が立地することもあり得るが,米国の施設で明らかにこれに該当する事例は確認していない。
18) プレスリーがテネシー州メンフィスに育ち,当地のサン・レコードでの録音で注目され,その後も終生メンフィスに住み続けたことは有名であるし,出生地がミシシッピ州テュペロであることも,ある程度知られている。これに対し,ディランについては,ニューヨークのグリニッジ・ビレッジのシーンに登場したというイメージは広く認識されていても,彼がミネソタ州の出身で,ダルースに生まれ,ヒビングで高校まで育ち,ミネアポリスで学生生活を送ったといった経歴は,熱心なファン以外にはあまり認識されていない。この違いは,プレスリーがデビュー以降ずっとメンフィスを活動の拠点として作品においても言及し(曲名やアルバム・タイトルなど),出生地のテュペロについても人気絶頂期に2度の里帰りコンサート(1956年,1957年)を行うなど,自らの活動を通して縁のある場所の存在を世間に広めていったのに対し,いわば家郷喪失者であるディランが,作品中やインタビュー等で,出身地について明確に,また肯定的に語ることがなかったという,出身地に対する両者の対称的な姿勢に由来するものである。なお,現地での聞き取りによると,有名になってからのディランは,親族の葬儀などで私的にヒビングへ戻ることはあったが,コンサートやイベント等の公的な形では一度もヒビングを訪れていないという。
19) 居住用の建物に固有の名を与える習慣は,英米はじめ英語圏の諸国では広く一般化しており,ほとんどの家屋には固有の名がついている。このため,家屋名が,その家に縁のあった特定の個人と結び付いて広く知られている例は,決して珍しいわけではない。ポピュラー音楽関係で,いちいち個人名を挙げなくても誰に縁のある場所かと連想できる例としては,ネバーランド(マイケル・ジャクソンの邸宅),ペイズリー・パーク(プリンスの居宅やスタジオ等を含む複合施設),メンディップ(ジョン・レノンの少年期の居宅)などが挙げられよう。しかし,そうした中でもグレイスランドは突出して知名度が高く,音楽関係者に縁のある建物に限らず,これに匹敵する例は決して多くない。
20) 直訳では「ロックン・ロールの殿堂博物館」となるロックの殿堂博物館は,「ロックン・ロール」という言葉を普及させたDJアラン・フリード(Alan Freed)が,最初にこの言葉を用いながらラジオ放送を行った オハイオ州クリーブランドにある。ロック・アンド・ブルース博物館の所在地は,ブルースマン,ロバート・ジョンソン(Robert Johnson, 1911-1938)のクロスロード伝説の地,ミシシッピ州クラークスデイル。国際ロカビリーの殿堂博物館の所在地は,ロカビリーの大スター,カール・パーキンス(Carl Perkins, 1932-1998)の地元,テネシー州ジャクソン。アメリカン・ジャズ博物館の所在地は,カウント・ベイシーらを輩出した独自のジャズ・シーンを発展させたミズーリ州カンザス・シティである。
21) 例えば,ヒビング市の公式サイト(http://www.hibbing.mn.us)は,市立図書館のボブ・ディラン・コレクション(Bob Dylan Collection)の内容を詳しく公開するページを設けるとともに,市内に存在するディランと所縁のある建物のウォーキング・ツアー(Hibbing’s Bob Dylan Walk)の詳細な説明へのリンクを設け,この町とディランの結びつきをアピールしている。
22) ビートルズがデビュー前に出演していた英国リバプールのキャバーン・クラブ(The Cavern Club)は,倉庫の地下室の最下層のスペースを利用した施設だった。後に倉庫が取り壊された際に地下室はいったん埋め戻されたが,その後,この敷地の再開発にあたって,埋め戻された地下のキャバーン・クラブの床や,壁面や柱の一部が発掘され,それを活かして地下の空間が復元された。今日のキャバーン・クラブは,往年とそっくりのインテリアとなっているが,ほぼそのままの部分が多いのは床だけである。
 プレスリーの生家は,同じ建物が同じ場所にあるものの,実際にはいろいろ補修が加えられており,1930年代と全く同じというわけではない。天井から屋根は新しく,当時はなかった電灯の配線が天井に施されており,当時は板がむき出しだった室内の板壁には壁紙が貼られている。
 キャバーン・クラブは展示施設ではないが,敢えて両者を比較すると,前者は復元に過ぎず,後者は真正,などと単純に判断し難いことが理解されよう。こうした場合は,受け手の感受性によって,正統性の優劣の判断がばらつくこともあるだろう。
23) ハンク・ウィリアムズ博物館での聞き取りによると,ウィリアムズがモンゴメリーで住んでいた家(実家)は,中心部から数ブロック離れた住宅地の中に位置していたが,現存していないという。
 なお,ウィリアムズは,生まれてから少年時代にかけて何度も転居を経験しているが,その間に住んだ家で現存しているのは,1931年から1933年にかけて住んでいたアラバマ州ジョージアナの家だけであり,この家はハンク・ウィリアムズ・シニア少年時代の家博物館(Hank Williams, Sr. Boyhood Home & Museum)となっている。
24) カントリー音楽の殿堂博物館は,1967年に,ナッシュビルの中でもレコード会社などが立ち並ぶミュージック・ロウ(Music Row)と称される地区に開館したが,2000年末にいったん閉館し,2001年に現在の場所に移転した。現在の場所は観光客が集まるメインストリートであるブロードウェイに近い場所であり,集客という意味では有利な立地であるが,正統性は若干減じたとも考えられる。現在,カントリー音楽の殿堂博物館は,ミュージック・ロウにあるRCA スタジオBの訪問ツアーを,博物館入館とパッケージで販売する手法をとっているが,これも程度は異なるとはいえ,ハンク・ウィリアムズ博物館の事例と同じように,場所の正統性を補強する方策と見ることができる。
25) 博物館では資料を一次資料(直接資料)と二次資料(間接資料)に分けるが,その場合「録音」は後者に分類されるのが一般的である。日本の博物館法第3条は,博物館の行う事業を列挙する最初に「1.実物,標本,模写,模型,文献,図表,写真,フィルム,レコード等の博物館資料を豊富に収集し,保管し,及び展示すること。」を挙げている。博物館学の教科書では,この例示などを踏まえ,「博物館資料は,「もの」と「情報」に大別され,さらに「もの」は一次資料(直接資料)と二次資料(間接資料)に分けられる。「情報」には,研究報告書,学術図書が含まれる。一次資料とは実物・標本であり,二次資料とは,模造,模型,複製,模写,複写,拓本,写真,実測図,録音,記録である」(全国大学博物館学講座協議会西日本支部 編,2002,p.80)といった説明がされる。
 しかし,ポピュラー音楽が本質的に大量複製技術を前提とした音楽であるという観点(山田,2003)に立つならば,少なくともポピュラー音楽系のテーマを掲げた博物館等における録音の扱いは,展示の核となる一次資料と見なすべきであろう。こうした観点に立った,展示施設に置ける音楽そのものの扱いについての議論は,別稿に譲る。
26) ただし,この区別は少なからず便宜的なものであり,例えば,美術品としての版画作品やポスター等の印刷物は,相当数が世の中に存在していても標本ではなく実物と捉えられようし,国立科学博物館日本館の「日本人と自然」のコーナーに展示されている剥製は,忠犬ハチ公と『南極物語』のジロの現物として見ることもできるし,秋田犬と樺太犬の標本として見ることもできる。
27) 例えば,個人名ではなくても,ザ・ビートルズ(グループ),ギブソン(企業),『女はそれを我慢できない』(映画作品),「エド・サリバン・ショー」(テレビ番組),ワタックス(行事)などが,固有名詞として機能する場合を容易に考えられよう。
28) Kingsbury and Nash(2006, pp.158-159)には,このスーツを着てステージに立つウィリアムズの写真がある。このスーツは現存しており,筆者はカントリー音楽の殿堂博物館の特別展“Family Tradition: The Williams Family Legacy”で観覧することができた。
29) 例えば,ジョージ・ハリスンが使用したグレッチのギターが展示されているとして,それを,他の様々なグレッチのギターとともに展示する場合と,ハリスンが使用した他のギターとともに展示する場合では,意味合いは異なってくるはずだが,熱心なハリスンのファンにとってはこの展示方法の差は意味がないかもしれない。
30) 筆者が実見したカントリー音楽の殿堂博物館の特別展“Family Tradition: The Williams Family Legacy”では,ハンク・ウィリアムズJr. が趣味の狩猟で仕留めたヒグマの剥製が展示されていた。これは,彼のライフスタイルを象徴する資料として展示されていたのであろう。この剥製は,ハンク・ウィリアムズJr.との関係性がなければ,カントリー音楽の殿堂博物館に展示される価値をもたなかったはずである。
31) このキャデラックの展示を囲む手すりには,博物館に多額の寄附を寄せた者など,貢献の大きい人物の名を小さなプレートにしたものが,取り付けられている。筆者は日本の神社に見られる千社札や,寄進者名を刻んだ石柱の柵を連想した。
32) 日本でよく見られる著名人のサイン色紙は,しばしば「○○さんへ」などと名宛されることを重視すれば「一点物」の実物と見なせるが,多数作成される同種のサインの一つと見れば標本と考えるべきものである。そうだとすれば,「固有名詞との強い「関わり」が資料価値に大きく寄与している標本」の典型例と見なすこともできるだろう。
33) こうした観点については,山田(2003)の「大量複製技術と商品化」についての議論(pp.9-14),ごく簡単ながら消費文化としてのファンダムに言及した箇所(p.24)などを参照されたい。  なお,展示とは別の次元で,博物館等がミュージアム・ショップで同様の「固有名詞との弱い「関わり」が資料価値に寄与している」商品を販売しているという側面も,無視すべきではない。ただし,この論点については,他日を期したい。
34) このカテゴリーに入る,少し異なる性格の例としては,展示のために新たに何らかのモノ(例えば楽器)の製作を発注する場合が挙げられる。全国大学博物館学講座協議会西日本支部 編(2002,p.90)は「…民俗博物館などが現在の職人に製品や道具などの製作を依頼するものや,祭礼の主催者などに祭礼の諸道具の製作を依頼するものなど,人文系の博物館で制作・製作された一次資料である」としており,たとえ展示目的であったとしても,本来そうしたモノを製作している職人(製作者)に依頼して製作された資料は,複製による二次資料ではなく,一次資料である。その上で,その発注自体は「一点物」であったとしても,同様のモノが多数存在することが容易に想像される場合,それは「一点物」の実物ではなく,多数の同類を代表する標本ということになる。
35) 説示型展示は,学術解説展示ともいい,掲示型展示(鑑賞展示)に対置される概念である。全国大学博物館学講座協議会西日本支部 編(2002,p.114)は「学術研究の成果を,企画者の意図と価値判断によってわかりやすく展示するもの」としている。なお,前出の注2も参照のこと。
36) この博物館の展示は,スミソニアン協会(the Smithonian Institute)によって行われている。
37) 正統性をもった施設においても,その内部に置かれるモノとしての展示資料が,同じく正統性をもつことは稀である。個人の手をいったん離れても,不動産はそのままの状態に近い形で残る可能性は高い。しかし,本来,調度品として備わっていたものは四散するのがむしろ普通である。リバプールでナショナル・トラストが所有しているポール・マッカートニーの家も,メンディップ(ジョン・レノンの家)も,内部の調度はオリジナルなものは残されていない。
38) アンディ・ウォーホルは,ハードロックカフェのことを「ロックンロールのスミソニアン」と呼んだとされる。ハードロックカフェのメモラビリアについては,Grushkin and Seluin(2001)を参照。


文献

植村貴裕(1998):地域アイデンティティに関する覚え書き.立正大学文学部論叢 108, pp.17-30.
川口幸也 編(2009):『展示の政治学』水声社,pp.153-166.
東谷 護(2008):グローバル化にみるポピュラー音楽.東谷護・編『拡散する音楽文化をどうとらえるか』勁草書房,pp.109-130.
全国大学博物館学講座協議会西日本支部 編(2002)『概説博物館学』芙蓉書房出版,241ps.
水嶋英治(1999):フランスにおける博物館政策と音楽博物館.昭和音楽大学研究紀要,19,pp.169-186.
宮本節子・古川典子(2007):地域アイデンティティの形成に果たすケーブルテレビの役割 : 旧神崎町コミュニティ・チャンネルを事例として.兵庫県立大学環境人間学部研究報告 9,pp.83-91.
矢口祐人(2009):ミュージアムと教育 真珠湾教育ワークショップの事例から.川口幸也・編『展示の政治学』水声社,pp.153-166.
山田晴通(1995):「地域のコミュニケーション」という視点.コミュニケーション科学(東京経済大学),3,pp.53-64.
山田晴通(2003):ポピュラー音楽の複雑性.東谷護・編『ポピュラー音楽へのまなざし』勁草書房,pp.3-26.

『ジョン・レノン・ミュージアム・プログラム』(2000)大成建設,95ps.

Grushkin, Paul & Seluin, Joel(2001):Treasures of the Hard Rock Cafe: The Official Guide to the Hard Rock Cafe Memorabilia Collection. Rare Air media, 299ps.
Kingsbury, Paul & Nash, Alanna (eds.)(2006): Will The Circle Be Unbroken: Country Music In America. Dorling Kindersley, 360ps.


謝辞

 本稿は,2010年8月から9月にかけて行った米国における現地調査による知見と,その際に入手した資料に多くを頼って執筆されている。現地調査でお世話になった方々は多数に上るが,特に,現地調査の前半で討論の機会をもった東谷護氏(成城大学),石黒圭氏(一橋大学),後半で調査の支援をしていただいたPaul Fischer氏(Middle Tennessee University),川本聡胤氏(University of North Carolina),川本牧子氏(Duke University)には,記して感謝を申し上げたい。
 なお,文中におけるザ・ビートルズ関係のリバプールの施設への言及は,おもに2003年3月および2004年9月に現地を訪れた際の記録と印象によっている。

 本稿は,山田が研究分担者として参加している科学研究費補助金・基盤研究(B)「ポピュラー音楽にみるローカルアイデンティティの日米比較研究」(代表者:東谷護・成城大学文芸学部准教授)の成果の一部である。


 本稿のテキストは、当研究室のウェブサイト上で公開している。(http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/text.html


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