Q:プログレッシブ・ロックの回で、人気の高いドリームシアターを取り上げないのはなぜですか?
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A:ドリームシアター(Dream Theater)は、1990年代以降に活躍する、プログレの様式が確立された後にそれを継承して出てきたグループです。また、時代性を反映して、メタル系の影響も感じさせる音になっています。プログレの典型を示し、その歴史的位置づけを講義する上では、扱う優先順位は低くなります。プログレだけで2回分の授業機会があれば、取り上げられておかしくないグループです。
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[2009年5月26日のレスポンスシートから] |
Q:自動演奏機械は、主にどのような場所に設置され、どのような場面で活躍していたのですか?
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A:一口に自動演奏機械と言っても、オルゴールなど家庭用に作られているものもありますし、オートチェンジャー付きディスク・オルゴール(ジュークボックス的な機能のあるもの)やオーケストリオンのように、大型で、レストランや酒場、ダンス場などに置かれていたものもあります。総じて、公共の場に置かれるものは仕掛けも大きく、音量も大きくなるように作られており、大変高価なものでした。
酒場やレストランに、音楽はつきものです(今でもBGMが必ずと言ってよいほど流れていますね)。もともとは生演奏しか、食事やお酒の場面で音楽を聴かせる方法はありませんでした。
今日の我々には、自動演奏機械は特別なものに見えますが、自動演奏機械が盛んに作られた当時のレストランなどの経営者の立場から見ると、自動演奏機械は生の演奏家(バンド)とトレード・オフの関係にありました。生身の演奏家は、初期投資は不要ですが、その都度応分に人件費が生じます。自動演奏機械は、基本的に、生の演奏家を雇うよりはランニングコストがかからない、という計算があって、値の張る初期投資を行ってでも手に入れるという性格のものだったようです。
後に、レコード録音の音質が向上し、再生も電気によって音量を増幅できるようになると、レコードと蓄音機の方がより安価で済むという判断が広がり、第二次世界大戦の混乱期を経て、自動演奏機械への需要はほぼ一掃されることになりました。これも、自動演奏機械を事業用に購入していたレストラン等の経営者が、娯楽として提供する音楽にかかる経費を考慮して、意思決定をしていった結果と言えるでしょう。
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Q:今日聴いた初期録音の音は雑音がかなり入っていました。これは、もともとの音質なのでしょうか? それとも古くなって雑音が入っているということなのでしょうか?
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A:両方の側面がありますが、後者の要素の方が大きいと思います。
経年変化による音の劣化、ノイズは、現代のデジタル技術である程度修正したり、補正したりすることが可能です。しかし、そうすることで元々の音に近く聴きやすくなる反面、残されたそのものの音ではないものを聴くことにもなり、いずれの形で聴くのがよいかは議論が分かれるところです。授業中に紹介したCDには、詳しい解説はありませんが、デジタル補正は施されていないようですので、ノイズの大部分は経年変化によるものと理解してください。
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Q:蓄音機の技術は記録と集音のどちらが難しかったのでしょうか? また、授業で聴いた音源の周期的ノイズは円盤に録音するからでしょうか?
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A:本当のことは同時代の開発者たちの証言を詳しく調べてみなければいけませんが、技術的な面を考えれば、最も難しいのは「再生」です。しかし、記録と再生は表裏一体ですから、記録と集音なら、記録の方が難しいといえると思います。
円盤だけでなく、円筒状の蝋管でも、回転ノイズは発生します。
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Q:スーザと「スーザフォン」はどんな関係がある(ない)のですか?
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A:管楽器類の中で最もの低い音程を担当するチューバの仲間は、長い管をどう折り曲げて作るか、いろいろな方法があり、実は様々な形状、大きさをしています。その中でも演奏者が一方の肩から反対側の腰にかけて、体の周りに巻き付けるようにして構えるスーザフォンは特異な形状をしています。これは、重たい大きなチューバを歩きながら演奏するために工夫された形で、スーザのバンドで採用されたことから広まったと言われています。
現代でも、ブラスバンド、特に、演奏者が動き回りながらトリックを入れたパフォーマンスをするビーグルバンドなどでは、スーザフォンが必需品となっています。
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Q:売り切れで入手困難なCDでも著作権はあるのですか?
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A:もちろん、あります。授業でかけた音源について、厳密に言えば、既に作曲者や演奏者の権利は消滅していますので狭い意味での「著作権」ではありませんが、このCDを企画した会社がCDの原盤権を保有している可能性があります。授業でかける分には問題はありませんが、私的複製の域を超えて複製して配布したり、複製したものを販売すれば、理論上は訴えられる可能性(訴えられたら負ける可能性)があります。
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[2009年4月28日のレスポンスシートから] |
Q:先生は、音楽にお詳しいですが、新しい音楽に関する情報をどうやって入手されているのですか?
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A:特段、情報収集を意識的にしたりは、していません。また、音楽業界に身を置いている人に比べれば、当然、自分が特に詳しいとは思っていません。おそらく、若い人から見れば、音楽を聴いて来た時間が長いので、自然の情報量が多く、このような印象を与えるのだと思います。
強いて新しい音楽情報の入手方法を挙げると、自分からえり好みしないで新しい音楽に触れるという意味で、ラジオのFM放送が重要かもしれません。
しかし、情報の入手方法という意味では、自分より詳しい人に話を聞くというのが、一番手っ取り早い方法だと思います。その上で、話に出た重要な音源を実際に聴き、ネット上の情報や関連書を読んで自分なりの位置づけをして、また、話をしてくれた自分より詳しい人と話す機会をもつ、という動作を繰り返していると、自分の知識もそれなりに体系だったものになっていきます。
今は、ネット上の情報が充実していますから、調べる気になれば、簡単に様々な情報を見つけられます。しかし、自分なりの観点が確立されていないと、その情報の断片を自分の知識体系なり世界観の中でどう位置づければよいかが定まらず、その情報を生きた知識として自分のものにできないという事態に陥るかもしれません。徒に接するメディアを広げ、情報量を増やして消化不良になるよりも、人と話し、本を読み、そして何より音楽を聴いて、自分の血肉になる音楽を増やし、引き出しを増やしていくことが何より大切なのだと思います。
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Q:popular music を「流行音楽」でも「大衆音楽」でもなく「ポピュラー音楽」と訳すのが適当とされる理由は何ですか?
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A:「流行音楽」という訳語では、実際に流行しなかった大多数の作品は popular music ではないという印象になります。また、クラシックでも民族音楽でも、一定のレベル以上に流行すれば「流行音楽」と言えるのではないか、という厄介な議論を抱え込むことになります。
「大衆音楽」は、people/popular を「大衆」と訳すわけですが、「大衆」は mass の訳語としても用いられる事があるので、people を mass と捉える特定の立場からの見方にすり寄っていることになります。
「ポピュラー」という言葉には、日本語でも「流行っている、普及している」というニュアンスがありますが、それでも「流行」や「大衆」のようにはっきり特定のイメージを生じる訳し方よりは、中立的です。そこで、「ポピュラー音楽」ないし「ポピュラー・ミュージック」という音写=カタカナ書きの表現の方が望ましいという判断が出てくるわけです。
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Q:権力のない側の音楽が記録に残され始めたのは、いつ頃からなのでしょうか? また、それはどのような経緯で録音されるまでに至ったのでしょうか?
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A:録音技術の発明・普及は、19世紀末からですが、その初期から、当時のポピュラー音楽=人々の音楽=権力のない側の音楽は録音の対象となっていました。ただし、米国の黒人音楽のように、商品価値がないと見なされたものは、録音が1910年代〜1920年代までズレ込みました。19世紀に録音された音源の中には、オペラのアリアなどのほか、ミュージカルで使用された歌や、コミカルな歌など、クラシック音楽系の規範から逸脱していたものもかなりありました。
最初期の録音術は、音楽の録音を主な目的としていたわけではなく、談話の記録として、速記などに取って代わるものと想定されていました。また、録音時間の長さに制約がありましたら、クラシック系の長めの曲などはそのままの形での収録が難しかったのです。二つ目の質問に先に答えるなら、様々な音の芸術・芸能の録音が試みられる中で「権力のない側の音楽」の多くにも、比較的早い時期から関心が向いていたということです。
その上で、録音以前に「権力のない側の音楽が記録に残され始めた」のがいつか、という問いに答えるのは、かなり困難です。録音以前には、楽譜による記録というのがほとんど唯一の方法ですが、楽譜を読む力(読譜力)が広く民衆に普及するのは、19世紀ころ産業革命後期に学校教育とともに大衆的な音楽教育が普及して以降ですから、それ以前には、楽譜が印刷出版される事自体が限定的な規模でのことでした。単に、民衆の間に膾炙した曲の類を採譜し記録するというだけなら、ルネサンス期から様々な記録があると思いますが、それはあくまでも今日ではクラシック系の音楽とされている流れの中に位置づけられてるものです。
というわけで、この一つ目の問いは、より厳密に言葉を定義して問い直さなければ、答えられない質問であると思いますし、また、そのようにしても正解にたどり着くのは容易ではないと思います。
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[2009年4月21日のレスポンスシートから] |
Q:日本語でサティの「ジュ・トゥ・ヴ」を歌ったものが、CMで使われていませんでした?
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A:これについては承知していませんでした。少し検索したところ、こちらの記述がヒットしました。参考になさってください。
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Q:「シネマ」のような複雑な構成の曲に、サティはどのような意図をもっていたのですか?
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A:この曲は、もともと無声映画『幕間』(『休演』とも訳される)の伴奏音楽として書かれたものです。この映画は、サティが作曲したバレエの舞台の幕間に映画として上映され、サティは映画に合わせてピアノを弾きました。もちろん、その場で画面を見ながらそれに合わせて予め用意してあったいくつかの断片的なリフを、画面の展開に沿って弾いたわけです。授業でかけたのは、その様子を再現するためにダルス・ミヨーによってサティの死後に再構成された編曲による演奏です。
サティ自身は、映画のように、異なったイメージの小節を重ねて積み上げていく音楽表現に実験的な関心をもっていました。また、ことさら聴衆の関心を惹くために劇的な展開を見せるような音楽の作り方とは異なる、そこにあるのが当たり前で、あっても邪魔にならない存在としての「家具の音楽」という捉え方も提唱していました。単純なリフを積み重ね、劇的展開がない構成という点は、19世紀の主流であったロマン主義的音楽への批判という側面もあったのかもしれません。
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Q:サティの「ジュ・トゥ・ヴ」のように、作曲者の当初の意図とは違う伝わり方をして、現代に残っている曲はあるのでしょうか?
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A:作曲者の元々の意図と異なる形で、現代に演奏される例は、いろいろな形で、いろいろな例があります。例えば、もともと失恋の歌だったのに、結婚式で器楽演奏されることが多い『愛の歓び Plaisir D'amour』などはわかりやすい例かと思います。クラシックの曲の旋律の一部を抜き出して、独立した歌曲として歌う例は多く、ドボルザークの交響曲第9番『新世界より』から切り出された「遠き山に日は落ちて」から、ベートーベンのピアノ曲「エリーゼのために」を編曲したポップス「キッスは目にして」、最近では平原綾香の『Jupiter』まで多数あります。
サティの「ジュ・トゥ・ヴ」のように、もともとポピュラー曲と意図されていたものが、クラシック音楽のレパートリーとなっていく、あるいは、もっぱらクラシック系の歌手のレパートリーになっていくという例は、あまり多くはありませんが、いわゆる愛唱歌とか日本歌曲と呼ばれるジャンルなどは、そうした傾向が見受けられると思います。
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[2009年4月14日のレスポンスシートから] |
Q:体育会が発行する欠席届を受理していただけますか?
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A:基本的な方針は、こちらの記述を見てください。青山学院大学は「「公欠」制度のない大学」に当たります。
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Q:一時退出は可能ですか?
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A:授業中の途中入退出は、他の受講者に迷惑がかからないよう、静かに出入りする限り、まったく自由です。なお、出席点を気にするなら、基本的な方針は、こちらの記述を見てください。
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Q:期末レポートの課題はいつ発表ですか?
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A:前期「音楽史A」は6月中旬、後期「音楽史B」は12月中旬を予定していますが、多少前後する可能性もあります。毎年、出題内容の見直しをしていますが、全く異なる内容に変わっているわけではありません。事前にどんな課題が出るのか見当をつけたいのなら、こちらのページから過年度の「講義に関するおしらせ」へ行き、その年度の課題を見てください。
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Q:ヨーロッパの音楽を真似てヨーロッパに追いつこうとしたチャイコフスキーの音楽はクラシックと言えるのですか? 当時は、ヨーロッパ人にバカにされたという話を聞いたことがありますが、いまやクラシック曲の中でも最も有名な曲をたくさん作曲している作曲家として扱われています。時代によって位置づけが変わるものなのでしょうか?
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A:まず、ロシアは、チャイコフスキーの時代(19世紀後半)も今も、ヨーロッパの一部です。また、「ヨーロッパの音楽を真似てヨーロッパに追いつこうとしたチャイコフスキー」という評価は、「ヨーロッパ」を「西欧」ないし「ドイツ/オーストリア」と読み替えても、やや偏った見方であると思います。チャイコフスキーの作風は当時としては特異なもので、また、技巧的に高度な(演奏者から見れば無理が多い)部分があり、同時代の評価は大きく分かれていました。「当時は、ヨーロッパ人にバカにされた」ということではなく、同じロシア人にも、支持する者も、否定する者もいましたし、ドイツ/オーストリア人でも同様でした。(とりあえず、ウィキペディアの記述なども参照してください。)
チャイコフスキーは、当時も今も、広義の「クラシック音楽」=芸術音楽の流れに位置づけられますが、狭義の「クラシック音楽」=古典楽派とは時代も作風も違います(通常の整理では、ロマン派の作曲家とされます)。
ただし、一般論として、芸術への評価が「時代によって位置づけが変わる」というのは、その通りであると思います。
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Q:ポピュラー音楽と伝統音楽の違いは何ですか?
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A:詳しくは、教科書を見てほしいところであり、今後の授業の中でも言及しますので、そちらに譲ります。また、両者の間には中間的な領域が広がっていますから、どちらとも言えない事例はいくらでも出てきます。一般的に、両者の違いを強調して述べるなら、まず、使用する楽器やレパートリーとされる演目や上演形態が、大きく異なります。また、演奏家の活動形態、生計の立て方にも根本的な違いがあります。音楽自体もさることながら、ら、社会的位置づけが異なっているという点が重要だと思います。
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Q:演歌は伝統音楽ですか?
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A:結論から言えば、全く違います。演歌については、今後の授業の中で言及しますので、詳しい説明はそちらに譲りますが、この「演歌」という表現で指し示される中身は、明治期、大正期/昭和戦前期、1970年代以降で、それぞれ異なっていますし、それぞれの音楽的なスタイルは、音階の特徴において日本の伝統音楽(いわゆる純邦楽)の影響が認められるとはいえ、基本的には西洋音楽の要素によって構成されているものです。
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Q:演歌はJ-POPですか?
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A:これは「J-POP」の定義によります。演歌については、今後の授業の中で言及しますので、詳しい説明はそちらに譲りますが、「J-POP」を特定の音楽様式と見る狭い意味でとらえるなら、演歌は「J-POP」よりもずっと早い時期に現在の様式を確立しており、「J-POP」とは異なるものです。しかし、他方で「J-POP」を広く日本のポピュラー音楽を指す表現と考えるなら、演歌が「J-POP」に入れられても不思議ではありません。レコード店で、「J-POP」の棚に、演歌も含めた日本人歌手のCDが並べられている例は、さほど珍しくないと思います。
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