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6/19 It's up to you, It's up to you

先週のある授業で、配付されているプリントについて訊ねたんやけど、先生に適当にあしらわれたことを先週の日常で書いた。
その後、今週まあ今日のことなんやけど、少し遅れて授業に出ていったらなぜか先生はそのプリントの話を学生の前でしていた。
プリントの件は、私の中ではもう認識済みやったしあきらめモードに入ったことやった。
なのに、私に対してあの先生は突然。
「聞いてるんですか!?あなたの為に言ってるんですよ」と言った。
そして授業時間を潰し、あんまり詳しいことは覚えてないけど認識済みのことを話し続け.......つうか先週の繰り返しと蛇足。

渦巻いていたのは、不条理に対する怒り。

自分の感情と行動が伴わないことに自分の明らかな変化を感じた。
心には怒りがあるのに、表面にはそれを表さない。
それは怒っていいはず、そこで私はキレていいはず、やったのに。
そして言いたいこと言って捨て台詞言い放って立ち上がってさっさと帰ればよかったんや。
その方がよかったん?.

どうしてそこで私は怒りをぶつけなかったのか。
「争うのが面倒」だったからだ。
そして、きつい表現やけど、その人物には言ってもしょうがないとみなしたからだ。
しょうがない人物に対して怒ることによって自分も感情的になることは無駄やし、エネルギー使うのもダルいやん。
だから、やん。

高校生の頃の私やったら、言いたいことを絶対言ってたし、不正や不条理に出くわしたらその場で怒らないと気が済まなかったはずだった。
でも、今はもうそんなにパワーも余裕も暇もない。ええ、とにかく面倒。

「仕方がない」とは思ってないけれど、矢面に立ちまくるのを疲労に感じまくってしまう。

この感情と行動の一致しない状況。最近こういう判断がけっこう多くなってきた。 それだけ経験を積んでるのかもしれないし、世渡り身につけてるのかもしれない。
確かなのは、ただストレートに熱く人にぶつかっていけなくなってるということ。 ストレートにぶつかるのがいつも必ずしもいいことじゃないけど。

引いて考えることも重要なのだとも思う。
イコールで結ばれない思いが渦巻くのは、自分を見つめるいい機会になったことは確かだ。

「それは大人になったってことじゃないですか」と大人は言った。

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