私的ページ:山田晴通

シドニー日記:2002年1月1日〜1月31日


 2002年1月分の日記です。
 ここでは、山田の備忘録に掲出したときと内容はほぼ同じです。1ドルは、70円くらいです。
 このページへの転記に際し、原文の明らかな誤記は訂正しました。
■2002/01/01(Tue)NewYear'sDay
酷暑と停電の静かな元日
今日は2002年の元日。オーストラリアでも休日である。
朝は10時近くまで寝ていた。寝床にしている大きくて安物の空気ベッドは、どこかに小さな穴でもあいたのか、毎日少しずつ空域が抜けてゆく。今朝は、身体が腰の辺りでしっかり床に着く感じになっている。
昨日までのバタバタが嘘のように、今日は一日家族だけで静かに、ふだんの休みの日と変わらず、あるいはそれ以上に疲れのせいで何もせずに過ごした。とにかく一日中暑く、とても家の外に出る気がしない。風呂に浸かり、裸のまま昼寝をする。後でニュースの報じたところでは、日中はシドニーでも37度まで気温が上がったそうだ。午後3時頃、停電になったという家族の声で目が覚めた。最初は、エアコンを使ったりしているせいでブレーカーが落ちたのだろうと思いが、家の外の配電盤を見るように、寝たまま言う。ところが、見ても判らないというので、起き出して配電盤を見ると、確かにブレーカーが落ちた形跡はない。昼間なので近所も停電しているのかどうかは、ちょっと分からない。隣家をノックして電気がきているかどうか尋ねてみようとしたが、出かけて留守のようだ。家の中に入って、電話帳で電力会社(EnergyAustralia)の番号を調べて電話をしたところ、周辺一帯が停電になっているらしい。復旧は5時頃になるという。とにかく暑く、ひたすらぐうたら過ごす。
5時頃に予告どおり給電が再開され、さっそくエアコンで涼を取る。ところが、7時半過ぎに再度停電。今度は裏の家の電気がついていたので、ブレーカーかと思って外へ出たが、どうやらちょうどわが家と裏の家の間を先にして、わが家側から南は、完全に停電している。北側は、街路灯や、遠くに見える企業のビルの明かりまで、普通と変わらず点っているようだ。既に暗くなっているのだが、気温はまだ涼しいという感じになってこない。暗い中でぬる目の風呂を入れ、涼むために交替で湯船に浸かる。
再度、電力会社に電話すると、マースフィールドでブッシュファイアが人家近くに迫り、消火活動をするのに危険があるため、給電を停止したのだという。1時間ほどで給電を再開する見込みということだった。
9時少し前に、散歩に出ようと思い立ち、皆に声をかけたが、娘は1人で家に残るという。結局、妻と息子と3人で家を出て、明かりの点いているマコーリー・パーク方面へ向かった。途中のエッピング・ロードは、ちゃんと街路灯が点いていたし、道路に面した家は明かりが点いていたのだが、レーン・コーヴ・ロードとの交差点は信号が消えていた。それでも、スムーズに自動車が流れているのだから、大したものである。そのまま交差点を越えて少し行った所で、交差点の信号が点灯し、わが家の方面も街灯などが点灯した。給電が再開されたのだ。そのままイーデン・パークのマクドナルドまで行き、ナゲットを娘へのお土産に買い、飲物などをとって冷房の利いた店内でしばし休む。9時半過ぎにマクドナルドを出て、モービルのスタンドのコンビニに立ち寄り、10時少し前に帰宅する。
■2002/01/02(Wed)
3回も同じ店で買物をする
朝は10時過ぎに起床。今朝も、どんどん暑くなってゆく感じだ。
午前中のうちに買物に行こうという話になり、妻と一緒にマコーリー・センターまでバスで行く。このところ気温が上がっているので、飲み物の消費量が凄まじく増えている。ウールワースで買物をしてから459番バスで帰宅。
クリスマス頃からのブッシュファイアが、ここ数日は市街地に近いところでも起こっているのだが、テレビのニュースではレーン・コーヴ国立公園も燃えているという。わが家から歩いて10分ほどの場所も国立公園の一部である。家から出て北を向くと、確かに煙が上がってのが見える。朝日新聞のホームページには、ブッシュファイアが、「日本企業が流通センターなどを構える工業地域まで数キロの地点まで迫った」という時事通信の報道が載っているが、これは、我が家のある地区の北隣であるマコーリー・パークのことだろう。昨日ほどではないような気もするが、今日も暑く、家の外に出る気が起こらない。まだ正月三が日という意識も働いて、だらだらビデオを見たりしながら時間を過ごす。
午後3時頃、再度、妻とマコーリー・センターまで買物に行こうということになる。半分は、涼しいショッピング・センターへ行って暑さをしのごうというところである。またウールワースで買物をしてからバスの時間を見て、ちょうどよい頃までカフェにでも入ろうと思ったのだが、ちょうど506番バスが来ていたので、そのままこれで帰宅する。
夕食を、妻と息子が作ったスープなどで済ませてから、妻と散歩に行くことになった。最初は、ブッシュファイアがまだ残っているとテレビで報じていたマースフィールドの近くまで行ってみようと思い、292番バスに合わせて7時過ぎに家を出たのだが、結局タイミングをはずしたようで、545バスに乗って大学まで行き、ここから大学の北西側のウォータールー・ロードを歩いてM2のところまで行ってみた。マースフィールドの住宅街といえばこの辺りのことのはずだが、煙が上がっているのは、M2からさらに先の方のようで、住宅地は特に変わったこともなく、いたって平静だった。再び歩いて大学まで戻り、さらにマコーリー・センターまで戻って、今日3回目のウールワースでの買物をしてから、バスで帰宅する。
夜は、SBSで原田知世主演の「FallingIntoTheEvening」という映画を見る(邦題を見落としたので、後で調べたら「落下する夕方」だった)。冒頭を見逃したせいもあるが、わかりにくい映画のように感じられた。菅野美穂好きには魅力的なのかもしれないが。今夜から自室の寝床を、キャンプ用の空気マットに換える。
■2002/01/03(Thu)
セル画の画廊
9時半頃に起床。空気マットは快適だった。朝食は昨夜の残りのカレーを食べる。
午前中は、ぐうたら過ごす。今日は、いつものように晴天ではあるのだが、昨日までの酷暑が嘘のように快適な気温である。風向きが変わって、乾いた涼しい風が流れてきているのだろう。しかし、ニュースによると、シドニーで降水が無い日はもう15日続いているそうだ。観測記録では22日が最高だそうで、これに迫るいきおいの夏ということだ。ブッシュファイアが「数十年ぶり」の規模なのも当然なのだろう。
昼前になって、娘がシティのベースメント・ブックスに行きたいと言うので、一緒に出かける。娘は、ここ数日、30日に買った「スレイヤーズ」の安物ビデオ(画質の悪い4ドル95セントの代物)を、例によって繰り返し繰り返し何度も見ているのだが、味をしめてまた別のビデオを探したいらしい。バス停で待っていると、たまたま534番バスが来た。シティ行きがしばらく来ないので、車中で涼もうと思い、これに乗り込む。534番バスがエッピング・ロードから別れる辺りで下車しようとしたのだが、停留所のある場所のイメージがちょっと違っていたのか、エッピング・ロードがレーン・コーヴ川を渡ったところでバスは左折し、段丘を上がったところでようやく下車できた。そこから徒歩で坂を下り、レーン・コーブ・リヴァーのバス停へ戻った。292番バスに乗り継いで、QVBへ行く。
最初に、娘の希望で、QVBの2階(日本式では3階)のアニメ・グッズやカートゥーンの原画などを売っている店に行く。ここは、コレクター向けの画廊という風情の高級店で、例えば、ジャングル大帝のオリジナル・テレビ・シリーズのセル画(額つき)に3000ドル(20万円ぐらい)近い値がついていたり、ディズニー関係や、シンプソンズなどのセル画や、マッハGo!Go!Go!の英語版吹き替え声優のサイン入りセル画といった珍品がが、かなりの高額で飾られている店なのだが、娘のお目当ては、日本から輸入されているアニメ関係のグラフィックな本である。娘はしばらくここから動きそうも無いので、用を済ませて戻ってきたらすぐに一緒に移動するよう言い聞かせて、フォトラボへフィルムを出しに行く。用事を済ませて店に戻り、今度は娘と一緒にベースメント・ブックスへ行く。歩いて行ける距離だが、バスに乗って行く。娘はここでは、「天地無用」の安ビデオを選んだので、自分の買物(戦時中の米国の宣伝映画のビデオ)のついでに買ってやることにする。歩いてQVBまで戻ったが、都合の良いバスが30分以上は来ない。娘は先ほどの店に行きたいというので、こちらは「ジェット・カフェ」で待つことにして1人で買物に行かせる。紅茶とハミングバード・ケーキをとる。例によってひたすらべたべたと甘いのだが、結構美味しく感じられた。娘は、43ドルあまりの「スレイヤーズ」の本を買ってきた。日本円の定価のほぼ倍の値段ということになる。紀伊国屋書店などもこの水準だから、まあ仕方がないところだ。
292番バスで帰宅したのは、4時半頃になった。娘はさっそく買ってきたビデオを見始める。午後7時頃になってから、ノース・ライド・センターの「ディープ・シー・フーズ」まで、4人で夕食に出かける。フィッシュ・アンド・チップスを山ほどとり、食べきれない分は持ち帰る。帰宅後は、来年度のシラバスなどを用意するのに没頭する。夜遅くなってから、録画しただけで中身を見ていなかった、先月後半のrageのビデオを見ながら、作業を続ける。最後は、仕事をやめてビデオを見ていただが、3時を回ったので寝床に入る。
■2002/01/04(Fri)
みんなでプールへ
10時半頃に起床。
ブランチにお汁粉を食べる。妻が韓国食材店で見つけた缶詰に、日本から持ってきてもらった餅を入れたものだ。
家でゴロゴロしているより良いだろうと思い、家族全員でレーン・コーヴのプールまで出かけることにする。
昼少し前にみんなで家を出て、290番バスでレーン・コーヴへ向かう。途中でバスの改札が来たのだが、われわれは問題なくパスだったのに、子供たちと同じトラベル・テンを持っている中国系と思しき学生風の若者たちが、行き先などをしつこく尋ねられていた。どうやら乗り越しをしようとしていたらしい。どうして、われわれが乗り越しをしないと判ったのだろう。不思議だ。
レーン・コーヴのプールでは、妻はプールに入らず、外のテラスで荷物を見ていることになった。今日は、火事の煙がどこまで関係しているのかは判然としないが、薄いもやがかかっているような感じで、陽射しが柔らかい。われわれは日陰の席に就いたが、戸外では、日向の芝生の上で日光浴をしている人のほうが圧倒的に多い。
いつものように、サウナとスパなどで身体をほぐしていると、監視員が一緒にいた娘を見咎めて、出るように言ってきた。ここでは、サウナやスパなど、体が温かくなる施設は、熱中症の恐れがあるという理由で。16歳未満は使用禁止なのだ。温泉に入る習慣のある日本人からすれば奇妙に思えるのだが仕方ない。しかし、普段これを厳しく見咎める監視員はほとんどいないので、娘はこれまでもどんどんサウナやスパに入っていた。初めて監視員に出るように言われて、娘はかなりへこんでしまったようで、その後直ぐにプールから上がって、昨日買った「スレイヤーズ」本を抱えてテラスの席に行ってしまった。
屋内の25メートル・プールで、平泳ぎで片道25メートルを1回、横泳ぎでもう1回を泳いだが、もう体がぼろぼろで、それ以上は泳げない、プールから上がろうとしたら、息子がやってきて通せんぼをするので、もう1回と思って泳ぎ始めたのだが、15メートルほどで沈没してしまった。
外のプールで、下半身麻痺と思しき松葉杖の男性が、クロールで何往復も泳ぎ続けているのを目にした後だったので、情けなさが一層つのった。
午後3時少し前に、妻は用事があって先に帰った。3時半頃に3人でプールを後にし、レーン・コーブのスーパーで買物をしてから、290番バスで帰路に就く。子供たちを家の近くのバス停で下ろして帰宅させ、こちらはそのまま大学まで行き、郵便物のチェックをする。残念ながら、休暇明けの郵便物の配架はまだ終わっていないようで、待っている郵便物はまだ到着していなかった。歩いてマコーリー・センターまで戻り、ビッグWとウールワースで買物をして459番バスで帰る。
夕食は、妻が炒飯を作り、こちらがねぎま鍋もどきを作る。
食後、妻と一緒に散歩へ出かけ、ひとブロックちょっと離れたウィックス・ロードにレストランがあるのを見つけてチラシを貰って帰ってくる。
いつものように rage を録画しながら見るが、直ぐに眠くなってくる。テレビの前に枕と掛け布団をもってきて、床の上でうたた寝する。そのまま起きたり寝たりを繰り返しながら、最後は5時頃に、そのまま床で熟睡する。
■2002/01/05(Sat)
体重がまた増える
今日も11時近くになってから起床。
やらなければいけない仕事は多いはずだが、疲れと、夏休みボケで、何にも手につかない。かろうじて、来年度の授業のシラバスを、過去の切り貼りで作成して、仕事をしているような気になっている。
こうしたストレスもあるのか、体重はリバウンド気味である。
昨夜の鍋もどきの残り汁でおじやを作り、ブランチにする。
ぼんやりしているうちに昼近くになり、ぬるい風呂に長時間浸かってから、寝床で昼寝をする。目が覚めた時にはもう4時を回っていた。
夕食は、イーストウッドの「ファゲ」に出かけることにして、午後7時少し前に皆で家を出て、545番バスに乗る。
今年初めてになる「ファゲ」では、初めて海鮮鍋を注文してみた。なかなか美味しいが、相当のボリュームだ。しかし、ゆっくり時間をかけて、満腹まで食べてしまった。そのほかも合わせて50ドルほど。
韓国系のスーパー「ヤング・マート」へ行き、餅を探したが、トッポギも含め、この店では置いていないようだ。今日は、レジに店主夫妻?が一緒にいて、アジュマが値段を読み上げるのだが、韓国人の客のときは、韓国語で値段を読んでいることに気づいた。「ドル」に当たる言葉は、韓国語で「ブル」というらしい。後で辞書に当たったら、「弗」の字形が$に似ていることからの用法なのだそうだ。
545番バスがくるまでまだ30分ほど時間があったので、バス停の筋向いにある「ティンバー・ボックス」という韓国系の喫茶店兼レストランに入る。店内はこぎれいで、ソウルの郊外にでもありそうな感じの店だが、トイレは建物の裏にあり、全くのオーストラリア式だった。ここでは、フルーツ・パフェを食べ、別腹も満腹になってしまった。こんなことでは、体重は増える一方だろう。情けない。
9時の545番バスで帰宅。妻と息子は、運動不足解消と称して、帰宅後直ぐに散歩へ出かけた。
今夜の rage は、いつもより早い10時50分からで、1970年代、80年代のABCの音楽番組をそのまま流したりするらしい。最初からビデオで録画しながら興味深く見る。4時に最後のテープ交換をして寝床に入る。
■2002/01/06(Sun)
細切れに寝る休日
目が覚めたものの休日とあって誰も起こしには来ないしなかなか起きる気にもならない。けっこう長い時間、目が覚めながらぼんやりしていたような気がする。結局、寝床を出たのは11時近くだった。
ブランチは、午前中にマコーリー・センターへ出かけてきた妻が買ってきたインド風とイタリア風のパイ包み焼き2種類を食べ比べる。
今日は日曜日で、明日からは大学も休み明けの体制である。何とか仕事をする方向にもってゆかなければいけない。しかし、気持ちとは裏腹に、今週末に録画した rage のビデオをはじめ、いろいろビデオを見ながら過ごしてしまう。しかも、昼過ぎには、テレビの前の床の上でビデオを流しながらそのまま寝てしまう。
既に午後2時を過ぎているが、洗濯機を回し、身体を動かそうとする。ところが、やはり睡魔には勝てず、洗濯が上がるのを待たずに寝床で寝てしまう。
再度、目が覚めたのは午後5時過ぎだった。洗濯物は妻が気づいて干しておいてくれた。
買物に出ようと考え、息子に買物リストを作ってもらい、マコーリー・センターまで歩いて行く。ウールワースで食料品を買い、290番バスで帰宅。既に7時半を回っていた。洗濯物は生乾きだったが、湿度が上がってきている感じだし、雲も出ているので、とりあえず取り込んで明日干しなおすことにする。
妻と子供たちは、しばらくトランプをやっていたが、こちらがお腹が減ってしまったので、8時過ぎに妻と息子に夕食を作り始めてもらう。夕食は、買ってきたばかりの食材を使って息子がサラダを作り、午前中に妻が買って来たおかず類と一緒に食べる。食後は、妻と散歩に出る。今日は少し距離を伸ばし、534番バスのルート沿いにブレンハイム・ロードまで行き、そこからは288番バスのルート沿いにコックス・ロードをノース・ライド・センターまで戻り、そこからはいつものように住宅地の中を抜けて帰宅した。散歩の途中で、パラパラ雨粒が落ちてきた。久々の降雨になってくれるかもしれない。
散歩から戻って風呂に入り、少しパソコンをいじるが、またまた眠気が来たので、いつもより早めに、寝てしまう。
■2002/01/07(Mon)
休み明けの月曜日
前日の睡眠が乱れていたせいもあって、午前4時に目が覚め、そのまましばらく起きていた。
外は雷雨になっていて、遠くで雷が鳴っている。本格的な降水は、ブッシュファイアが始まる少し前からなかったから、2週間以上も間が開いているはずだ。
窓を開けて寝ていたら、蚊が入ってきたようで、足を少し刺されている。蚊取り線香を焚くことにする。
そのまま今でパソコンに向かい、メールを書いたりしているうちに、この備忘録の日記の内容が乱れていることに気づく。結局、あれこれメモの断片を確認して、1月2日以降の分を書き直す。
最近、開始時間が5時15分になったSBSのNHKニュースを見る。
娘が起きてアニメを見出しので、一緒にそのまま起きていて、8時過ぎから息子を起こす。今日からまた英語学校がはじまる。ところが、5週間単位の学期の初日は出席を取らないそうで、前夜、本人は学校に行かないなどと言っていた。怠け癖がつかないように、とにかく午前中だけでも出てくるように言って起こし、登校させる。食べさせるつもりでネギの味噌汁を作ったのだが、息子のネギ嫌いを失念していたのでこれは失敗だった。
妻も英会話の個人教授を受けに、9時過ぎに家を出た。
その後、しばし仮眠をとる。10時半に起きて、娘に出かける準備をさせる。
11時に家を出て、娘の歯医者に同行する。今日は麻酔を打っての治療になり、しばらくは物を食べられなくなった。治療中、通訳をするためにずっと見ていたのだが、先生はこちらに何をどう治療しているのか、いちいちちゃんと解説してくれたので勉強になった。
545番バスで大学へ行く。大学は、今日からが本格的な休み明けで、授業も再開されている。
研究室に行き、まず技官のD氏に、借用していたUSBキーボードを返却した。彼は休み中にばっさり夏向きに髪を切っていた。
研究室でネット・サーフィンをしようとしたのだが、電源のアダプターを忘れてきてしまった。仕方なく、娘を研究室に残してFMVでネット・サーフィンをさせ、マコーリー・センターまで歩いて行って、ディック・スミスでアダプターを買い、さらにウールワースで飲み物などを買って、290番バスで研究室まで戻る。
ところが、アダプターがどうも調子が悪く、ちゃんと機能していないようで、結局、電池切れになったFMVに代えてiBookを使わせ、その間に、マコーリー辞書編集部と書店生協に立ち寄って用を足す。書店生協で買いたかった本があるのを見つけたのだが、財布を研究室に残していたのでいったん戻る。
3時半頃に研究室を撤収し、書店生協でシドニーの市街地発達についての本と、最近英国で刊行された映画史の年代史風のものを買う。一般的にオーストラリアでも輸入書はけっこう高いのだが、英国の出版物だけは、あまり高くない(英国で25ポンド、当地で75ドル)。
545番バスに大学から乗ったのだが、娘のトラベル・テン(回数券)のことで運転手とひと悶着し、帰宅後交通局の苦情係に電話を入れる。午前中だけで学校を早退してきた息子が、先に帰宅していた。子供たちに留守番をさせて、再度出かけ、290番バスでQVBまで行き、フォトラボに出していた写真を受け取る。
帰りは、チャツウッドまで電車で行き、いつもの安い巻寿司売店でスモーク・サーモンとアボガドの巻寿司を買って、545番バスで帰宅する。
夕食は買ってきた巻寿司と、朝の残りの味噌汁(ただし、子供たちは食べない)で済ます。食後、妻と子供たちは好例になりつつある夜の散歩に出かけて行った。こちらは、どうも暑さに負けて疲れが出ているようで、テレビを見ながらだらだら過ごした。
今日は、午後に帰宅して以来、インターネットにつなげない状態が続いている。理由がわからないのでどうしようもない。結局、大学からアクセスするしかないようだ。
11時過ぎに風呂に入り、そのまま寝床で寝る。
■2002/01/08(Tue)
じっくりインターネットをする
朝は寝床でうつらうつらしているうちに、妻が息子を送り出し、娘はいつものアニメを見終わったようだった。ようやく起き出したのは9時半頃。陽射しが強い。今日も暑くなりそうだ。
妻は、教育実習の打ち合わせで、10時過ぎに大学へ出かけた。
11時少し前に、ライド地区のバス・デポから電話がかかってきて昨日の件で説明を受ける。現場のバスの運転手には質のばらつきがあっても、あるいは、ばらつきがある分余計に、苦情処理への対応はしっかりしているようだ。
昼少し前に、娘と家を出て、545番バスでマコーリー・センターへ行き、「カフェクストラ」で昼食をとる。食後、キックボードを持ってきた娘は、これで研究室に向かい、こちらはバスに乗るつもりだったのだが、バスがなかなか来ないので、結局歩いて行く。途中でマコーリー辞書編集部に立ち寄り、研究室について時には、娘は当然とっくに着いていた。
研究室では、娘はネット・サーフィン、こちらは地道なページの更新やメール書きで時間を使う。
4時半になって、研究室を撤収し、290番バスで帰宅。息子は既に帰っていた。妻は、大学で用事を済ませた後、午後からはシティへ回り、知人と映画を観てから帰るので遅くなる、と聞いていたのだが、意外にも6時過ぎにはもう帰ってきた。
7時少し前に、散歩をかねて4人でザ・ランチまで歩いて行き、夕食をとる。相変らず、ここは満員に近い盛況振りである。フロアでは、トリビア(クイズ大会)をやっていた。食事は、それぞれ好きなものを注文し、少しずつ分け合う。
帰りも歩いて帰宅。
インターネットへの接続を再度こころみる。昨日の接続不調は、やはりプロバイダ側の問題だったらしく、今日はちゃんとつながった。
そのままページ更新の準備作業をしながら、深夜3時過ぎまで起きていた。
■2002/01/09(Wed)

大量の資料をコピーする
今朝も起き出したのは9時を回っていた。
息子は既に学校へ出かけており、英語の個人教授を受けに行く妻が、娘に朝食を出しているところだった。一緒にちゃんとご飯の朝食をとる。
妻が出かけてから、娘と一緒に家を出て、506番バスで研究室へ向かう。研究室で、娘がネット・サーフィンをできるように設定してから、11時過ぎにマコーリー辞書編集部へ行く。ちょうどお茶の時間が終わろうとしているところだった。それから依頼しておいた資料を出してもらい、正味1時間以上かけて、コピー取りに没頭する。単純に本を複写していくような作業ではなく、数枚ずつステープラー綴じになっている資料を、中身を点検しながらコピーするのでけっこう神経を使う。
12時少し過ぎに、作業を終えて研究室に戻り、昼食を食べるために、娘と一緒に歩いてマコーリー・センターへ行き、レベル1のカフェでスコーンを食べる。ビッグWとウールワースで飲み物などを買ってから、娘を研究室に戻らせ、こちらは買物を抱えていったん家に戻ることにする。
506番バスで帰宅し、必要な書類を持ってすぐまた家を出て、歩いてノース・ライド・センターの L.J.Hooker に向かった。水道代の精算や、ドアの不具合などについて、ひと通り用事を済ませてから、288番バスで大学に戻る。研究室まで戻ったのは3時過ぎだった。
今日も、4時半で研究室を撤収し、大学からバスで帰宅。息子は既に帰っていたが、妻はまだだった。
もう日は傾いているが、洗濯機を回して洗濯物を干す。そうこうしているうちに、妻が帰ってきた。
妻は、隣の主人M氏と立ち話をして、庭の芝刈りを頼むことにしたという。M氏は、ハウス・メインテナンスの仕事をしているプロなのだが、日中は家にいることが多い。手がすいたときにやれるよう、不在時でも勝手に庭に入って作業をしてもらって構わないということになったようだ。
夕食は、インド料理の「aj's」まで散歩をかねて歩いて行くことになり、まず、6時45分頃に妻と娘が家を出て、遅れて息子と後を追いかける。直前まで昼寝をしていた息子は、寝起きだったせいか最初はペースが上がらなかった。7時40分頃に到着し、数品を注文をする。前回より混んでいなかったおかげか、サービスも思っていたより早めのペースだった。ただし、娘にはいずれのメニューも辛すぎたようで、もっぱらナンに味がついたものなどを食べていただけだった。8時半過ぎに、妻と娘が先に店から出て、向かい側にある「ピザハット」で持ち帰るピザを注文しに行く。こちらはそのまま息子と店に残り、デザートを平らげて、9時少し前に店を出て、目の前のバス停のベンチでピザとバスを待った。無事、9時台はじめの(イーストウッド駅東口を9時01分に出る)545番バスに全員乗り込み、帰宅。
実家に用事があったので電話をしたところ、両親は穂高町の家にでかけているというので、穂高にも電話をする。
12時前に、床に就く。
■2002/01/10(Thu)
うちの芝生も青く見える
朝は、寝床の中で娘が見るアニメの音をうつらうつらと聞いていたのだが、ふと気づくともう結構遅い感じになっている。慌てて起き出してみると既に8時40分を回っている。息子はまだ寝床の中だ。すぐに起こして学校へ向かわせる。
妻は今日の午後に大切な実習がある。9時過ぎに声をかけると、起こすのは11時にして欲しいというので、そのままにしておく。
午前中は、大学の紀要に掲載する原稿の校正をした。昼頃に家をでる予定の妻は、結局こちらが起こす前に、自分で起きてきた。ブランチは、昨夜のピザとお茶などで済ませる。
今日は娘は出かけたくないというので、最初は妻と一緒に家を出て大学へ行こうとも思ったのだが、やりかけた作業に手間取り、結局、妻はひとりで出かけた。
作業に区切りがついたところで出かける準備を始めたのは2時近くになってからだったが、洗濯機を回していないことに気づき、洗濯をしてから出かけることにする。
昨日妻が依頼したのを受けて、昼過ぎから隣家の主人M氏がわが家の芝生を刈り始めた。最初はエッジングである。何しろ8月以来、手押しの芝刈り機でモウイングを大雑把にしているだけで、作業はけっこう大変そうだ。それでも、エンジンつきの機械で作業するのだから、妻が根気強く鋏で芝を切っているのとは当然ながら効率が違う。
洗濯機が止まり、娘に手伝わせて洗濯物を干してから、大学へ向かったのは2時半頃だった。この段階でエッジングはひと通り区切りがついた様子だった。大学へ行き、研究室でページの更新などをする。
4時半過ぎに研究室を出て、290番バスでマコーリー・センターへ行き、まず郵便局で校正原稿を発送した。それからビッグW、ウールワースと回って、フードコートで数品おかずをテイクアウェイして506番バスで帰宅した。
既に6時過ぎになっていた。
芝生は見事に刈り込まれて仕上がっている。ゴルフ場のように、芝刈り機のモウイングのパターンがきれいに見えている。庭が奥まで広がった感じだ。さすがはプロの仕事だ。たまたま家の表に出ていたM氏に声をかけ、さっそく手間賃50ドルを支払う。
程なくして妻が帰ってきた。実習は、不本意なところもありながら何とかこなしてきたようだ。
さっそく夕食にしようということになり、娘のリクエストで妻がオムレツを作り、あとはテイクアウェイで済ませることになる。
食後、7時半頃、妻と散歩に出る。今日は、レーン・コーヴ・ロードをデバーグ橋まで行き、そこから方向をかえてマコーリー・センターまで歩いた。木曜日なので、センターは夜遅くまで店が開いていて活気がある。裏口のターゲット側から入って、少し店内を冷やかしてから、ボーダースへ行き、本を買う。店内ではジャズ・トリオが演奏していた。
最初はお茶を飲んでひと休みしようかと考えていたのだが、9時頃になっていたのでバス停に直行することにする(9時20分を回ると、10時過ぎまでしばらく都合のよいバスが来ないのだ)。
明日から、妻と娘はゴールドコーストへ遊びに行く。帰宅後、妻は出発の準備をはじめた。こちらは少し眠気が来たのを機に11時過ぎには寝床に入ってしまう。
■2002/01/11(Fri)
気楽に楽しむジャズ
今朝は、妻と娘がゴールド・コーストに出発する。
夜中に蚊か何かに刺されたのか、かゆみを感じて目が覚めたのはまだ4時頃だったのだが、そのまま起きてしまうことにして、パソコンで作業を始め、5時過ぎからSBSでNHKニュースを見る。東シナ海の不審船がらみの話題や、愛媛丸の慰霊式などのニュースのあとで、ヤクルトの石井のドジャース入りへの動きと、巨人の松井が自主トレを始めたという話題を見る。
7時少し前に娘が目覚め、アニメを見始める。朝食に豚肉ともやしの炒め物を作り、まず娘に食べさせる。8時過ぎから息子を起こしたが、結局出かけたのは8時40分頃だった。妻も息子が出かける少し前に起きてきた。
最初は、妻と娘を空港まで送っていく予定だったのだが、結局こちらは出かけないことになり、9時過ぎには寝床に戻る。12時少し前に目覚めたときには、当然だが2人はもう出かけていなかった。
メールを書いたりテレビを見たりして過ごしているうちに、4時少し前に息子が帰ってくる。学校から借りてきた、ビデオを一緒に見る。これは英語の教材として使うことを意識されているビデオなので、セリフが全部字幕になって出てくるので理解がし易い。「ウェディング・シンガー」という1998年の映画だが、舞台は1985年で、当時のヒット曲がこれでもかというくらい出てくる。主人公のセリフには、いろんなポップスの歌詞が散りばめられていて、よくできている。ビデオを見終わってから6時過ぎに息子と一緒に家を出てシティへ出かける、292番バスでQVBへ行き、ジョージ・ストリートのジャズ・クラブ「スープ・プラス」に入り、料金やライブの開始時間を尋ねる。食事込み1人25ドル(飲み物別)でライブは8時からというので、席を予約し、バスでベースメント・ブックスまで行き、1時間ほど時間を潰す。再びバスで戻り、8時少し前に「スープ・プラス」で席に着く。
定刻より少し遅れて始まったライブはジョニー・ホークワースという老ピアニスト(70歳は軽く越えていそうな感じ)のクインテットで、スタンダード中心のエンターテイメントである。気軽な食事をとりながら、音楽を素直に楽しむ。結局2ステージ、10曲余りを聞いた。マリー・モンゴメリというおば様の女性ボーカルは、パンチが効いた声で跳ねるように歌う。声の質に一番あっていたのは「ルート66」だった。眼鏡をかけて歌詞を見ながら歌った「フィーヴァー」(カイリー・ミノーグの最近のヒット曲)は、もちろんご愛嬌である。
10時半近くに店を出て、QVBまで行き、10時47分の292番バスで帰宅。 rage の録画をセットして、自分が寝るときに起こすように息子に頼み、テレビの前に枕と掛け布団を持ってきて、床の上で眠る。
■2002/01/12(Sat)
古書三昧
午前2時少し前に息子に起こしてもらい、rage を録画しながら見る。最初はテレビを見ながら作業を使用としたのだが、そこまで集中力は湧かず、どうでもよいページ更新の準備をしたりする。
起きたのは、10時過ぎ。しばらくして息子も起きてきた。
午後からグリーブへ出かけようということになり、2時過ぎに家を出て、バス停に行ったのだが、QVBに直行するバスがしばらく来ない。ちょうどきた534番に乗り、ピットウォーター・ロードの交差点にあるバス停まで行く。ここで都合のよいタイミングで288番が来ないかと思ってのことだったが、結局、290番までこのバス停で待つことになった。290番バスは、道路工事の都合とかで、ウィンヤードで運行停止になっている。バスを降り、公園の反対側のジャパン・ブック・プラザに入り、しばらく本を見て回る。
ジョージ・ストリートへ抜け、433番バスに乗ってグリーブへ向かう。映画館の前で降りて、通りの店を眺めながらジョージ・ストリート方向へ歩いて戻る。既に3時を回っているが、まだ食事をしていなかったので、まず何か食べようという思っていたのだが、店に入りそびれているうちに市が立っている小学校まできたので、古本の屋台を見て回る。屋台なのだが、古本屋というより、古書店という感じところで、戦前のオーストラリアの地理書などを80ドルあまり買う。こちらが本を見ている間、息子は近くの屋台でケバブを買って食べていた。
マーケットを出て、音楽書専門の古書店ダ・カーポ・ブックスへ行き、ここでじっくり時間を使う。息子も、ここでは楽譜を見たりして時間が潰せるので、文句を言わずに付き合ってくれる。高校の職業教育用の教材シリーズがまとまって置かれているのを見つけ、いくつか選び出す。ロック関係のレファレンスは前回かなり買い揃えたので、今日はジャズ史の本を中心に見る。
結局ここでは190ドル近い買物になり、銀行へ行って現金を引き出してから支払った。荷物が重たくなったところで、カフェでひと休みし、バスでQVBへ向かう。こちらもタウン・ホール前までで運行停止になっていた。
QVBのバス停に行くと、張り紙がしてあり、ウィンヤードからしかバスが運行されていないことがわかる。仕方なくそのままウィンヤードの裏手にあたるクラレンス・ストリートのバス停まで行ったところ、折りよく290番バスが来ていたので乗り込む。
最初は、クロウズ・ネストで夕食にしようと思っていたのだが、荷物が重いので、そのままいったん帰宅することにした。帰宅して荷物を下ろして身軽になり、そのままバス停に戻ったところ、折りよくパシフィック・ハイウェイ経由のバスが来たので乗り込み、クロウズ・ネストまで行く。
先日、お茶だけを飲んだシーフードの店「カーギル」に行く。食事を済ませ、バスの時間を確認するつもりでバス停まで戻ったところ、折りよく290番バスが来たので、そのまま帰宅する。9時過ぎになっていた。
今日、買ってきた高校用の教材ビデオを見てみる。なるほど、お金はかかっていないが、考えて構成されていることがよく分かる。
今日も、rage の録画をセットして、後で息子に起こしてもらうことにして、寝床に入る。
■2002/01/13(Sun)
再挑戦のスパゲティ
午前2時頃に息子に起こしてもらい、rage を録画しているテープを交換する。しばらく見ていたのだが、眠くなったので寝床に戻る。
目が覚めて起き出し、時計を見ると9時45分だった。今日は出かける気が起きないので、しばらく放置していた単純作業(カードに手書きでデータを転記するという時代錯誤的な作業)に手をつけることにする。
息子も起きてきて、ブランチにスパゲティ・ミートソースを作り始めた。ところが、途中まで進んだところで、何とスパゲティがないというではないか。結局、ミートソースをトーストに載せて食べた。
洗濯機を回してから、作業をやり始めたが、なかなか捗らない。手が疲れたところで、息子と洗濯物を干したりして、違う作業をするのだが、久しぶりの大量筆記ということで、数時間続けたところで、さすがに手が痛くなってしまった。
気分転換をかねて、マコーリー・センターまで買物に行くことにする。息子は家から出ないというので、ひとりで歩いてセンターまで行く。銀行に寄り、ビッグWとウールワースで買物をする。最初は、テイクアウェイで夕食を済ませるつもりだったのだが、ブランチのスパゲティ・ミートソースが失敗だったので、再挑戦というつもりでスパゲティとソースと挽肉などを買う。それから息子のお腹押えに、バンブーでシンガポール・ヌードル(ビーフン炒め)をテイクアウェイして帰る。
夕食はこちらがまだ作業をしている間に、息子が作り始め、ミートソースが出来上がった。こちらがスパゲティを茹でて、さっそく食べる。そこそこのできだった。
ゴールド・コーストの妻と娘から電話があり、明日の夜の日本映画を録画してくれと言われる。改めてビデオをいじって、タイマー録画の方法を手探りで見つける。
その後、しばらく前夜録画した rage を見た後、SBSでピーター・セラーズの伝記番組(BBC制作)を見る。なるほどなるほどという感じ。私にとってのセラーズは、「博士の異常な愛情」「チャンス」などが印象に残る名優だ。
12時を少し回って就寝。
■2002/01/14(Mon)
スウィングは楽し
午前9時15分に目覚める。はっと気づいて、隣室の息子のところへ行くと、案の定というか、やはりというか、寝床で熟睡している。既に授業が始まっている時間で、完全に1時間目は間に合わない。とにかく息子に起こし、準備をさせるしかし、息子は、バスがしばらく来ないし、もっとゆっくりでも2時間目には間に合うと言って、寝床に戻ってしまう。仕方なく30分ほど寝かせる。いったん10時前にバス停に行かせたが、バスがないといって戻ってきた。結局、何とか2時間目に間に合うように10時過ぎに再度家から送り出した。
息子が出かけてから、オーストラリア日本通運に電話を入れる。引越し荷物は船便だと40〜50日かかるので、帰国時期にあわせると、今月末か来月初めに発送しなければならない。片づけをしながらゆっくり荷造りをしたいと思い、段ボールを早めにもらえるよう手配を依頼する。都合よく、今日の午後に配送できるというので、3時頃に自宅まで持ってきてもらうことにする。
11時過ぎに家を出て、マコーリー・センターへ行き、銀行の用事を済ませてから、290番バスで大学へ行く。研究室では、簡単なページの更新をする。郵便物を見に行くが何も来ていない。これから帰国までは、帰国後の業務の関係で郵便物が来ることがあるので、まめに郵便をチェックしなければならない。
12時40分頃に研究室を引き上げ、506番バスで帰宅。昨日の作業の続きを少しだけする。
2時過ぎに日通の担当者から電話が入り、3時ちょうどに段ボールを持ってきてくれるという。
時間通りに段ボールを受け取り、研究費関係の記録の整理などをしているうちに、4時を回ってから息子が帰ってきた。
ひと休みしてから、金曜日に出かけた「スープ・プラス」へ出かける。まだ時間が早いので、まずベースメント・ブックスへ行って、しばらく買い物をしてから7時頃に店に入ったのだが、ライブは8時過ぎか、8時半頃からだという。どうしようかと思ったが、ここで夕食を先に食べることにして、スープやサラダ、スパゲティなどをとって腹ごしらえをし、買ってきた本を肴に息子と話しながら、時間を潰す。ライブは8時20分頃からはじまった。今日は、毎週月曜日にここで演奏しているブラッド・チャイルド(Sax/Cl)のスウィング・オーケストラである。14人編成のはずだが、今日のステージは12人、サックス3、トランペット3、トロンボーン2、にドラム、ベース、ギター、ピアノのリズムセクションである。
やはりビッグ・バンドはスウィングが文句なく楽しい。ベイシー、エリントン、グッドマン、ミラーと、お馴染みの曲や、珍しい曲など、1時間ほどのステージはあっという間に経ってしまった。休憩を挟んでの2ステージ目は、バンマス自身のヴォーカル曲が数曲あり、やっている側も楽しんでいるのが伝わってくる。「A列車で行こう」を、最初はそれと分かりにくいようなピアノのソロで始め、ボーカルでひっぱておいてからホーン全開というアレンジは、なかなか洒落ている。
結局、2回目のステージが終わったのは11時頃。歩いてQVBまで戻ったところ、ちょうど288番バスが来ていたので、これに乗ってレーン・コーヴ・ロードまで行き、そこから歩いて帰宅する。
今朝のことがあったので、息子は風呂に入らせて、とっとと寝かせる。
こちらは、段ボールの荷造りを始め、これが興に乗ってしまい、そのまま朝まで起きている。
■2002/01/15(Tue)
妻と娘が戻って来る
昨夜から引き続いて徹夜をし、荷造りを進める。段ボールに本を詰めると一つの重さが35キロくらいになる。本を中心に、荷造りをして、中身のリストを作り、廊下に積み上げるという作業を進める。結局一晩で5箱ほどの荷作りを済ませた。SBSでNHKニュースを見る。今回の円安はけっこう深刻かもしれない。日本で収入を得ている身としては、正直なところ損した気分もするが、当地の物価が割安に感じられるということは、現状でも円が強すぎるということなのだろう。
昨日のこともあるので、8時少し前から、息子に声をかけ始め、8時20分頃に起こす。
息子は朝食に野菜とベーコンの炒め物を作ってくれた。
息子が学校に出かけた後、少し休もうとも思ったのだが、妙に目がさえていたのでそのままテレビを見ながら作業を続ける。
10時過ぎにオーストラリア日本通運に電話を入れ、荷造りのことで質問をする。荷物は1箱が30キロを越えないようにしてほしいと言われ、未明に梱包したもののうち、2箱を開けて、中身を入れ直す。
昼前後は、そのまま作業を続けたのだが、パソコンに向かおうとすると椅子に座ったまま居眠りをしたりする状態だったので、風呂に入り、湯船でうとうとする。
午後4時頃に、息子が学校から戻ってきた。息子にも荷造りを少しさせる。といっても、彼は持ち物が最小限のようで、ほとんど送り返すものはないようだ。
ゴールド・コースとから戻って来る妻と娘を迎えに、空港まで行くため、午後6時過ぎに家を出る。バスでQVBまで行き、タウン・ホール駅から空港(国内線ターミナル)駅まで電車に乗る。国内線の方に行くのは初めてだった。7時半頃に到着したのだが、到着予定が7時50分だった飛行機が少々遅れたこともあり、8時15分頃、ゲートで妻と娘を出迎える。
空港からクロウズ・ネストの「魚や」に電話を入れて席を予約し、息子も呼んで、夕食をとることにする。電車とバスを乗り継いで「魚や」に着いたのは9時半頃だった。やや遅れて息子も到着し、閉店時刻の10時半まで店にいた。帰りは、ちょうどいいバスがしばらく来ないので、タクシーを止めて帰宅。チップ込みで20ドルを渡す。
妻も娘も、旅の疲れもあって帰宅後直ぐに休む。息子も早めに寝たようだ。こちらは、作業をしながら午前1時頃まで起きていた。
■2002/01/16(Wed)
本の買出し
朝は、息子を起こそうとする妻の声で目が覚める。寝床から起き上がって、息子の部屋へ行き、いつものように起き上がらせる。もちろん娘ももう起きていて、テレビを見ている。
息子を学校に送り出した後。メールを見ると、恩師T先生の父上の訃報が入っていた。この件の連絡で、実家に電話を入れる。
10時半過ぎに、妻と娘と3人で出かけ、マコーリー・センターまで歩いて行く。銀行の用事等を済ませ、ブランチを「シンプリー・ヌードル」でとってから、290番バスで北シドニーのヴィクトリア・クロスへ行く。雨がかなり本格的な感じで降っていたので、半袖にスカートだった娘が寒がり、長袖シャツを着せる。北シドニーでの用事を済ませてから、ちょうどやって来たウィンヤード行きのバスで終点まで行く。
ジョージ・ストリートに出て、QVB方向へ歩き、グレーズ・ブラザースに入る。書店のあるフロアまで上がり、新しい靴で足が痛くなった妻にカフェで座ってもらい、娘に長ズボンを探しに行く。直ぐ下のフロアに黒いニットのスパッツのようなものを売っていたので、とりあえずこれを買う。
カフェでしばらく休んでから、午後2時過ぎに再度出発し、タウン・ホール駅近くの土産物屋などを冷やかす。妻は午後3時にチャツウッドで用事があるので、ここで別れる。
娘と土産物屋に入り、黒地のTシャツを買う。履いていた、ゴールド・コーストで買ったサンダルもあわせ、本人曰く「黒子(くろこ)」ファッションである。
そのままベースメント・ブックスまで歩き、本とビデオをあわせて100ドルほど買う。さらに、ニュータウンの古書店コーンストークに行こうと思って、やってきたバスに適当に乗ってみる。ところが、けっこうな距離を走ったはずなのに、それらしいところにたどり着かない。おかしいと思い下車してみると
Leichhardt(ドイツ語風の読み方ライヒハルト)というところで、街にはイタリア系の店が目立つ。パラマタ・ロードのバス停で折り返しのバスを待つ。財布を持たずに来た娘が、バス停前の雑貨屋にあった色つきのハンガーを欲しがったので、2ドルで買う。
再度バスで、ヴィクトリア・パーク角の交差点まで戻り、ここでニュータウン行きの370番バスに乗り換え、ようやくニュータウンにたどり着いた。
コーンストークでは、娘に時間を潰させるのに都合よくマンガ「金田一少年の事件簿」があったので、ゆっくり品物を選ぶ。冨山房の昭和の始めの英和辞書を、戦時中にハーヴァード大学出版会が増刷したものや、1960年の英文による大部の韓国案内など、結局300ドルを越す買物をした。
コーンストークの筋向いの「オールド・フィッシュ・カフェ」でひと休み、紅茶とアップル・ジュース、ピザを注文する。小さい店だが、小路とキング・ストリートの角にあり、通りを眺めているだけでも飽きない居心地のよさそうな店だ。途中でボシャ!という音がして驚いて振り返ったら、ワゴン車同士のごく軽微な接触事故だった。
バスでQVBまで戻り、ちょうど止まっていた290番バスで帰宅。ちょうど妻も帰ってきたところだった。
帰宅後は、買ってきた本の整理と、斜め読みに時間を使う。
夕食は、妻と息子が作った、ご飯、味噌汁、サラダ、肉料理(炒め物とハンパーグを少しずつ)というラインナップの家庭料理である。こういう感じの夕食は、久々な気がする。食後に、妻は、家でこういう食事をとると満足感が大きいと言っていたが、同感だ。食後しばらく、パソコンに向かう。
いつもより早めに、10時過ぎには床に入る。
■2002/01/17(Thu)
日本語教師研修のボランティア
夜中にトイレに起きた、というつもりだったのだが、時間を見ると午前4時50分を過ぎている。そのまま起きることにして、SBSのNHKニュースを見る。そのまま少し荷造りなどをして、7時前に娘を起こしてテレビを見せ、8時過ぎに息子を起こし始める。8時半より前に起こしたのだが、コンタクトが入らないといって50分頃までぐずぐずしていた。間に合ったかどうか不安だ。
妻も起きてきたところで、入れ替わりに寝床に戻る。
目が覚めると誰も家にいない。11時半に歯科医の予約(娘の分)があったはずだが、どうやら妻と娘で出かけたらしい。歯科医に行って確認してから、いったん家に戻って出かける準備をし、再度歯科医へ行く。妻は午後から大学で実習があるので、娘と一緒にバスで北シドニーへ向かうことになった。ところが、娘がどうしたわけか545番バスを止めてしまったので、とりあえず乗り込む。チャツウッドに着いたのは12時45分頃。ここから200番バスに乗って、北シドニーにたどり着いた。
今日は、国際交流基金が行っているオーストラリアとニュージーランドの日本語教師の研修プログラムへのボランティアが1時半から3時まであり、その集合時間が15分前だった。
国際交流基金が入っているビルへ行き、まず娘に時間を潰させようと、13階の図書館へ上がる。ところが、休館中ということで、しかたなく娘も連れて11階の日本語教育センターへ降りていった。日本人のボランティア40名近くが広間に集まっていて、麦茶と和菓子(苺大福や胡桃饅頭など)が用意されている。先だって、ノース・ライドの日本人の集まりで知り合ったK氏も来ていて、向こうから声をかけてくれた。何でも、同じ教会に通っているここの職員の方に数日前に頼まれてきたのだそうだ。無報酬のボランティアを集めるのも、大変な仕事なのだろう。娘は、歯医者で麻酔を打っているので、お菓子はしばらくお預けである。時間になり、簡単な説明を受けてから、研修生たちが部屋に来て、それぞれ日本人にインタビューをする。時間は1時間30分なのだが、この間に5人(うち2人は一緒に話したので4組)の研修生と日本語で話した。
最初の人は、50代の男性で、以前は徳島大学などで英語を教えたこともあるというクイーンズランドの人だった。日本語はまだまだという感じで、一生懸命自分が用意した日本語の文章を話すのがやっとだが、自分より年配の人が一生懸命勉強している姿は、素直に感銘を受けた。
2番目に話したのは、まだ若い女性2人で、それぞれニューサウスウェールズ州と南オーストラリア州の人。日本の結婚式について聞きたいということで、いろいろな質問に答える。この2人は、学校を出たばかりという感じで日本語もけっこう達者だが、語彙が少ないかなという印象だった。
3番目の人は、ヴィクトリア州の女性で、仏・独・西語の教師をしながら、日本語も教えるという人で、特に話題を決めず、雑談になる。メルボルンの Renegade という店の「レネガデ」とプリントされたシャツを着ていたので、このブランドの話などを話す。日本語は流暢とはいえないが、言語センスのある人らしく、コミュニケーションの勘所を押えたやり取りができて、話すのも楽だった。
最後の女性は、ニュージーランドの片田舎で日本語を去年から教え始めたという高校教師で、本業は数学教師だという。この人は十数年前に日本に留学し、鎌倉に住んでいたということで、藤沢のコスタでバイトをしていた...などという、ローカルな話で大いに盛り上がった。彼女の町(人口5000人くらい)では、日本語に接する機会はほとんどないそうだ。たまたま、彼女が働いている高校に日本から留学している生徒がいるそうだが、この生徒は当然英語で話したがるので、彼女の日本語力の維持には役立たないとジョークを言っていた。こういう人が、日本語の普及の現場で頑張っていてくれることには、日本語を母語にする者として頭が下がる思いである。
3時になって、プログラムは終了し、ボランティアの我々はそのまま帰ることになった。娘は帰り際に麻酔が抜けたようで、お菓子を食べてほくほくの様子だった。
ヴィクトリア・クロスからバスにのり、QVBまで行き、アッシュウッドで映画関係の大型本などを買う。さらにバスに乗ってチャイナタウンの近くで降り、マーケット・シティへ行き、お土産用のTシャツなどを大量に買い込む。娘も、友達への土産物などを買い込む。
バスを乗り継いで帰宅したのは5時半頃だったが、息子は家にいたものの、妻はまだ歯医者だという。子供たちを残して出かけて行くと、ちょうど妻の診療が終わったところだった。3人分の支払をしてから、290番バスでマコーリー・センターへ行き、ビッグWとウールワースで買物をする。
バスで帰宅し、夕食を作り始める。息子がサラダを作り、こちらが魚を焼く。
夕食後、妻と散歩に出ることになり、再度、マコーリー・センターへ向かう。センターへ着いたのは9時を回っていたが、木曜日とあって、フード・コートもまだやっている店があるし、映画館の入口などは人出が多い。9時20分頃の288番バスが来たので、これに乗ってレーン・コーヴ・ロードまで行き、少し歩いて帰宅した。
娘が風呂に入っている間に、居間の続きの部屋にある娘のベッド(枕も上掛けもい)にひっくり返ってうとうとしているうちにすっかり寝てしまった。
■2002/01/18(Fri)
これぞ古書店
昨夜、うたた寝のまま娘のベッドで枕も上掛けもないまま寝込んでしまったため、6時過ぎに寒さで目が覚める。とりあえずトイレに行き、自分の寝床を見ると、妻が寝ている。そこで妻の寝床に行くと娘がいた。娘を起こして、入れ替わりにそこで(つまり普段は妻が寝ているベッドで)寝る。
再度起きたのは9時過ぎ。息子と妻は、既にそれぞれ学校と大学へ出かけていた。
今日も、船便で送る荷物に入れる買物をしに、10時45分頃家を出て、シティへ向かう。まず、娘のリクエストでウィンヤードのジャパン・ブック・プラザへ行く。娘がマンガを立ち読みしている間、英語話者向けの日本語教科書の類を見る。以前から関心があったものの買いそびれていた、ネルソン漢英辞典(日本語で使う漢字を英語で引けるようにしてあるもの)や、ラウトリッジから出ている文法書(というより例文集として便利そう)などを買う。銀行に立ち寄ってから、これも娘の希望でゴウイングスに入る。ここではビーチボールと安物のリコーダーを買い与える。
州政府土地局の地図売店に行き、2万5千分の1地形図のインデックスマップを貰う。それから旧税関ビルのカフェ・ビアンチで昼食をとりながら、今日買い揃える地形図の範囲を決める。娘はマフィン類とフルーツ・サラダ、こちらはフェットチーネと紅茶の昼食である。途中で、グリーブのコーンストークへ電話を入れる。どこにあるのかとたずねると、何とダ・カーポの隣だという。看板も何も出していないそうだ。これまで気づかなかったのも当然だ。
再度、地図売店に行き、ひと通り地形図の注文をする。30分ほど時間がかかるという話になったので、再度訪れることにして、オペラハウスまで歩いて行き、2月下旬にシドニーに来る来客のために、ウォーキング・ツアーのことをひと通りたずねて、また地図売店に戻った。まだ作業は途中だったが、こちらも更に購入する書籍などを選ぶ。今日の買物は、ここも含めてほとんど銀行のカードでデビットしたのだが、途中で機械の調子がおかしくなり、地形図の分はクレジット・カードで支払った。
サーキュラー・キーのバス停からファイヴ・ドックス行きのバスに乗り、ヴィクトリア・パークで降りて、グリーブ・ポイント・ロードを少し歩いてコーンストークに着いたのは3時半過ぎだった。ここは、ニュータウンのコーンストークの姉妹店だが、オーストラリアーナ、つまり、オーストラリア関連書籍の専門店で、隣のダ・カーポと同じように、あるいはそれ以上に、「濃い」店だ。店に入るなりで迎えてくれたのは、ジャーキーをくわえた小型の犬だった。店主は50前後と思しき年恰好で、パソコンのデスクトップが家族の写真という親父である。日本の大学関係者となると、上客と見たのだろう。数千ドルするような稀覯本もいろいろ見せてくれた。もちろん、こちらが探しているものを説明すると、適確に在庫を取り出してくる。しっかりした古書店の親父ぶりである。娘は退屈してビーチボールを膨らませて遊んでいたり。
テラスハウス一軒全ての部屋が壁面いっぱいの本棚になっていて、きれいに整理された本が並んでいる。更に裏庭にも倉庫があり、並んでいる本の量は、ダ・カーポよりずっと多い。今日のところは、店内の配列を頭に入れ、店主に出してもらったライドの古い郷土史の本と、棚から自分で見つけたABCの地名発音ガイドを買うだけにして帰る。この店は日本の大学の研究書などに、オーストラリアーナをまとめて納入しているそうだ、神田の大きな洋書屋などとも取引があるらしい。ここにもグローバルなネットワークがあるということだ。
店を出て、筋向いの古書店も少し覗き、バスで戻る。ベースメント・ブックスの近くで下車し、また銀行によってからベースメント・ブックスヘ行くが、今日は1冊だけで帰ることにする。
再びバスに乗りQVBで下車。娘が、以前立ち寄った日本のアニメ・グッズなどを置いている店に行きたいというので、30分後にジェット・カフェに来るように言って、こちらはジョージ・ストリートの向かい側にあるSDSへ行き、Mamboブランドの品物についていろいろ尋ねる。結局、ボンダイ・ビーチの店まで行く必要があるようだ。
ジェット・カフェで娘と合流し、293番バスで帰宅。
帰宅後は、しばらくパソコンに向かい、その後、夕食を作り始める。サラダと肉料理を妻と息子が作り、こちらがシーフードの鍋物風の汁物をつくる。
夜は、rage を録画しながら、しばらく中断していたカード転記の単純作業をする。途中少しうとうとしたりもしたが、午前5時過ぎまで起きていて、それから床に就く。
■2002/01/19(Sat)
マンボを探してさすらう
未明まで起きていて、それから寝たのだが、再度起きたのは10時をだいぶ過ぎた頃だった。今日は、妹からリクエストのあったTシャツ類を購入するためにボンダイ・ビーチへ出かける予定にしていたのだが、息子と娘は、今日は出かけたくないという。結局、妻と2人で出かけることになった。
昼前に家を出てバス停まで行ったのだが、たまたまシティへ向かうバスがしばらく来ないタイミングだったので、545番バスでチャツウッドまで行く。ここでボンダイ行きのバスを探したのだが、平日しか運行していないことがわかった。そこでシティ方面へ行くバスを探し、適当に行き先も確認せずに乗ったのだが、このバスは、チャツウッドの東側を通ってクロウズ・ネストの手前からパシフィック・ハイウェイに入るルートを走るものだった。ところがクロウズ・ネストから左折してニュートラル・ベイ方面へ向かいだしたので、ミラー・ストリートとの交差点(北シドニー球技場の近く)で降りて、そこからだらだらヴィクトリア・クロスまで歩いて坂を下った。
ヴィクトリア・クロスでシティ行きのバスに乗り、ラング・パークで降りて、サーキュラー・キーまで行き、今度は380番バスでボンダイ・ビーチへ向かった。ところが、ボンダイ・ジャンクションの少し手前で、バスが停留所で停車し、しばらく動き出す気配が無い。最初は運転手の交代かと思ったのだが、どうやらそうではない様子だ。運転手と、その停留所から乗り込んできたもう一人の交通局職員が何やら話しながら作業をしている。ここで下車して、少し歩くことにした。ボンダイ・ジャンクション駅の近くのニュース・エージェントで新聞を漁り、更にその先のもう一軒でも、前の店に無かったものを買い足した。ボンダイ周辺はロシア系の人が多いようで、各種のロシア語新聞のほか、ウクライナ語の新聞を見つける。
バス停の近くで、ふと気づくと一緒にいたはずの妻がいない。後ろを見ると、モルモン教の布教をしている若い2人組に声をかけられて立ち話をしている。何でも2人組の一方が、日本にいたことがあるとかで、話をしていたのだ。戻って呼びに行くと妻もすぐにこちらに来たが、モルモン教の人たちの布教する姿は世界中どこでも同じようなもののようだ。
380番バスでボンダイ・ビーチまで行き、まずボンダイ・ホテルに行き、3月上旬の部屋代などを確認する。妻はここにくるのは初めてだったので、部屋も見せてもらう。
小腹がすいたところでフィッシュ・アンド・チップスを食べてひと休みしてから、お目当てのマンボの店に行く。ここで妹から来ているリクエストに基づいて品物を探したのだが、どうやらそれらしい品は売切れてしまったらしい。マンボのデザインものは、シーズンごとに売り切ってしまう方針らしく、品切れになるともう再入荷はほとんど無いらしい。対応してくれたのは、店にいた日本人女性の店員だったが、たまたま他の店で在庫として残っているのを探すしかないと説明した上で、本社でシーズン最後のファクトリー・セールをやっているから行ってみてはどうかと薦められた。時計を見ると4時少し過ぎだった。セールは5時半頃までやっているというので、ともかく行ってみることにする。
サーキュラー・キー行きのバスに乗って、教えられたとおりにオックスフォード・ストリートの映画館の近くで下車し、キングス・クロス方面に歩きはじめたのだが、どうやら曲がる角が違っていたようで、かなりキングズ・クロスに近いところまで行ったのだが、道を歩いている人に聞いても目的地のマクラクラン・アヴェニューの場所を知っている人に出会わない。少し引き換えしてから左折して東(厳密には南東)へ向かい、リヴァプール・ストリートの坂を下って谷戸の底と思しきところを走るバウンダリー・ストリートという道に出た。そこで車の荷物を下ろしていた女性に聞くと、マクラクラン・アヴェニューは知らないが、ここはパディントンとキングズ・クロスとラッシュカッターズ・ベイの境だと教えてくれた。目的地は、サバーブでいくと、ラッシュカッターズ・ベイなので、そちらの方向へ歩いて行くと、不意に目の前にガレージ・セールの垂れ幕が見えてきた。ビンゴ!という感じだ。
さっそく、さほど大きくも無い倉庫内の会場に入り、Tシャツ類を漁るが、残念ながら探しているものは見当たらない。代わりに自分用のTシャツ数点と鞄を買って出て来た。
そのままマクラクラン・アヴェニューを北(厳密には北東)へ向かいベイズウォーター・ロードのカフェでひと休みする。迷いながら歩いたこともあって、随分疲れてしまった感じがしていたのだが、ここでスムージーと紅茶で元気をつけてから、再度歩き始め、坂を登ってキングズ・クロスまでたどり着く。ここからバスと思ったのだが、まっすぐ先に、タウン・ホール近くのビルが見えているので、妻がタウン
・ホールまで歩いていこうと言い出した。元気があるものだ。結局そのままタウン・ホールまで歩きとおしてしまった。
ウールワース・メトロで、ストリート・ディレクトリーとネクタイなどを買う。QVBから290番バスに乗り、自宅近くのバス停で、妻に荷物を預けて先に帰宅してもらう。そのままマコーリー・センターへ行き、飲み物などを買ったのだが、どういうわけか2ドル均一の安売り本の中に学術書などが混じっていたので、3冊買う。
帰宅したあと、どうも具合が悪いようで、食欲が湧かない。結局、サラダなどを少しずつ食べただけで済ませてしまう。
夜も rage の冒頭でテープをセットしただけで、そのまま寝てしまう。
■2002/01/20(Sun)
体調が下り坂
今日、息子は学校の課題作業になっているレポートの準備のため、級友とシドニー水族館へ行くということで、早めに出かけた。こちらが目覚めた10時過ぎには、もう出かけていなかった。
昼過ぎに、妻と娘と3人でシティへ買物に出かけようとしたのだが、出かけに私がグウグズしていたせいで、都合の良いバスに乗り遅れてしまった。結局、行き先をマコーリー・センターに変えて、歩いて行くことになる。
妻と娘が衣料品スーパーのターゲットで買物をしている間に、こちらはサニティという安売りレコード店で、安売りにはなっていないスカイフックスのベストなどを含め、200ドル以上のまとめ買いをする。
その後も、いろいろセンター内でやっているうちに午後4時を回り、フード・コートで軽食をとってから、ウールワースで食料品などを買い込む。ところがバス停に行ってみると、日曜日とあって本数が少なく、しばらく待つ感じになっていた。いつもなら平気なのだが、今日は、体調が下り坂のようで、へばっている上、頭痛も少しする。結局、荷物が多いことも考えて、タクシーで帰ることにした。夕食もあまり食欲が出ず、サラダ類を少しずつ食べただけだった。
食後、風呂に入り、上がってから、外気が入ってくる玄関近くの廊下でしばらく横になっていた。
その後も、テレビを見ながらそのまま床で短時間だが熟睡してしまった。子供たちが休んでから、少し仕事に手をつけるが、それも夜中の1時頃までで寝床に入る。
■2002/01/21(Mon)
探し物が次々出てくる
朝は8時過ぎに、息子が起きないという娘と妻の声で起こされる。結局、息子を起こして準備させ、学校に送り出した。
娘は、今日も出かけたくないというので、妻と2人で9時半頃に家を出て、リンドフィールドへ妻の英会話教師のMさんに会いに行く。待ち合わせている店には10時20分頃についてのだが、少し遅れてMさんがやって来た。結局、10時半頃から小1時間3人で話をする。
Mさんが帰った後、店を出て、電車でウィンヤードまで行き、郵便局などを用事を済ませてから、パラマタ・ロードへ向かうバスに乗り、シドニー大学の東側で下車し、キャンパスを横切って、二十年余り前に妻が留学していたウィミンズ・カレッジへ行く。ちょうどまだ大学は休み中らしく、内部が公開されていて、食堂など建物の中にも入ってみた。入口で再訪記念に妻の写真を撮る。
そこから、妻が昔歩いたというコースで、ニュータウンへ向かい、途中のセブン・イレブンでひと休みする。ここで家に電話を入れたところ、娘が「本屋さんから電話があった」という。これはコーンストークのことに違いない。セブン・イレブンで飲み物を買い、これを飲みながらニュータウン駅まで行く。3時にチャツウッドで用事がある妻をここで見送り、キング・ストリートを戻ってコーンストークへ行く。ここで、グリーブの店に電話を入れて確認してもらうと、やはり電話はそこからだった。リクエストしておいたもののうち、数点が出て来たそうだ。さっそくそちらに向かうことにする。ニュータウンで別の古本屋も見てから、バスでヴィクトリア・パークの角まで行き、歩いてグリーブの店まで行く。マコーリー・ディクショナリーの初版(2刷)、こちらに来て直ぐの頃から探していてなかった「ブック・オヴ・シドニー・サバーブ」、それにケネディーのオーストラリア地名辞典が用意されていた。もちろん言い値の100ドルで全部引き取る。
今日は、また暑さが戻ってきたようで、少し外を歩くだけで飲み物が欲しくなる。角の店でアップルタイザー風のアップル・アイルなるオーストラリア産の飲み物を買ってバスを待つ。ようやくやってきたバスに乗ったのだが、しばらくして少し眠ってしまった、気づくともうロックスまで来ている。慌てて下車したところに、マンボのシャツを扱っている店があったので入ってみると、土曜日に探して見つからなかったデザインのシャツなどがまだあった。僥倖である。さっそくTシャツとキーホルダーを買う。
サーキュラー・キー駅まで歩き、ウィンヤードで乗り換えて、チャツウッドに着いたのは4時15分頃だった。妻の用事が5時過ぎには終わるはずなので、近くのフード・コートで今日買った本を眺めながらお茶を飲み、時間を潰す。
5時半頃、妻の用事が終わり、一緒に駅に戻って安い巻寿司と刺身などを買い、545番バスで帰宅する。帰宅後ほど無く6時過ぎには夕食にして、さっそく寿司類を平らげる。
食後、7時半に家を出て、妻と娘と3人で散歩に行く。今日は、ウォータールー・ロードの郵便局まで行き、更にその先のゴミ処理場の入口まで行ってから戻って来る、やや短めのコースだったが、それでも40分ほど歩き続けていたことになる。帰宅直前に通り雨にあったこともあり、帰宅後すぐに風呂に入る。
風呂から上がってから、たまっている仕事を少しずつ片づけるためパソコンに向かう。妻はテレビでゴールデン・グローブ賞の授賞式を見ているのだが、けっこうオーストラリア人が出てくるらしい。
仕事は、いつものように「遅々として進む」ペースになってきた。
今日は、体調も少し戻ったようだし、幸運な日だったということだろう。
■2002/01/22(Tue)
如何にして兵糧を調達するか
朝はいつものように8時過ぎに起き、息子を起こして送り出す。昨夜は比較的蒸し暑い夜だった。こちらは前後不覚で直ぐ寝たので覚えていないのだが、どうやら息子も妻も少々寝苦しかったらしい。
今日は、娘と2人で9時半頃に家を出て、545番バスで大学へ行く。研究室でインターネット三昧というわけだ。
娘はもっぱらアニメ「スレイヤーズ」関係のページを見ている。韓国語やら英語やら、色々なサイトがあるものだ。こちらは少しずつページの更新やら、メールの処理やらを進める。
昼になり、書店生協で少し買物をしてから教員クラブで昼食を取る。書店生協で買ったボーア戦争の本を拾い読みしているうちに食事が長くなり、娘を先に研究室に帰して、更にゆっくりお茶を飲みながらメーフキング包囲戦の章を読む。伝説化しているB-P(メーフキングの英軍指揮官で、後にボーイ・スカウトを創設する)の話の再確認をしながら、偶像破壊的な新しい発見もいろいろあるので、大いに楽しめる。
研究室に戻り、午後もそのまま作業を続けた。4時過ぎになって、帰ることにし、まず288番バスでマコーリー・センターへ行く。ウールワースで飲み物などを買ってから、459番バスで帰宅。大学にいるときにはあまり感じなかったのだが、今日も結構蒸し暑い。今日は、娘の虫の居所が悪く、けっこう苛立たされることもあったのだが、これも暑さと関係があるのかもしれない。
ひと休みしてから、6時頃に4人で家を出て歩いて夕食をとりにゆく。最初はイーストウッドまで歩いて行こうなどと元気なことを言っていたのだが、歩き出すともう夕方なのに空気が暑い感じで遠くまで行く気が無くなる。ノース・ライドのタイ料理店に行こうと話しが変わり、ノース・ライドのニュース・エージェントで買物をしてからタイ料理店の前まで行ったのだが、娘が「タイ料理は嫌だ、帰る」などと駄々をこねたので、ウィックス・ロードの「33レストラン」へ行くことになる。ここは、中華料理風のビュッフェ(食べ放題)なのだが、入るのは始めてだ。まだ時間が早かったようで、ほとんど客はいなかったのだが、とりあえずおっかなびっくり色々とって食べ始める。正直なところ、雑な味や、不味いものもあるが、結構美味しいものもある。餃子などは、当地に来て出会ったものの中では一番普通の(つまり日本風の)ものだった。また、果物類も豊富で、プリンなどお菓子類も美味しかった。結局、満腹以上になるまでかなりの量を食べた。我々が食べている間に、結構お客さんも増えてきた。お年寄りのグループや家族連れもいる。80歳以上だろうと思われるおばあさんもいた。背中が曲がってしまっても、脚がすらりと長いので、何だか妙な感じがする。
まだ陽があるうちに帰宅。
満腹でぼんやりしながら、読書の続きをし、風呂に入り、パソコンをいじっているうちに時間が経ち、最後は「ロング・ウェイ・トゥ・ザ・トップ」(オーストラリアのロック音楽史のドキュメンタリー)のビデオを少して見てから床に就く。
■2002/01/23(Wed)
自分と同じ歳の百科事典
8時頃に起床、息子を起こして送り出す。
昨日食べ過ぎたこともあり、朝食はバナナと紅茶で済ませる。
娘が昨日昼食をとった教員クラブの食堂に上着を忘れてきたので、一緒に取りに行こうと思い、家を出ようとしたのだが、そこで、自分も昨夜の夕食をとった「33レストラン」にキャップを忘れてきたことに気づく。この親にしてこの子ありというところだろう。
結局11時少し前に家を出て、まず「33レストラン」へ行き、キャップを回収してから、545番バスで大学まで行く。今日は、雲が厚く、涼しくて快適な気候だ。
図書館に立ち寄ってから教員クラブの食堂へ行き、お茶を飲んでひと休みする。ここで上着を回収した娘は、マコーリー・センターで遊んでからひとりで帰るというので、先に席を立たせる。ゆっくりお茶を飲んでから、書店生協の店に行き、オーストラリア関係の書籍をいろいろ買う。459番バスに乗り、いったん帰宅して本を下ろす。もう3時半近くになっているが、娘はまだ戻っていない。
すぐまたシティへ出かけるため、家を出て292番バスでシティへ向かう。QVBで乗り継いで、アルティモに近いヘイマーケットのUTS国際部に行き、息子の英語能力試験(IELTS)の願書を出す。息子が学校で貰ってきた用紙が古いもので、日程や料金も事前に聞いていたのとは違っていたので少々戸惑ったが、何とか手続きをする。後は写真を持参しなければならない。
セントラルの駅前からニュータウンへ行くバスに乗り、またコーンストークへ行く。今日は、1958年刊の「オーストラリアン・エンサイクロペディア」が目にとまり、棚の一番上から取り下ろす。他にもいろいろ買ったので、バッグに入りきらない分は箱に入れてもらって持ち帰ることになる。本当は、まだ覗いてみたい古書店があったのだが、今日は諦めて、バスを乗り継いで帰宅の途につく。帰宅してから荷物を計ってみたら、全部で30キロ以上あった。
家に戻ったのは6時過ぎだったが、既にカレーの準備が進んでいた。7時頃に、カレーライスで夕食となる。妻は、明日が最後の重要な実習なのだが、準備がなかなか捗らないようで、いろいろじたばたしている。娘に、今夜は妻の部屋で寝るように言い、遅くまで起きていても大丈夫な体制にしたのだが、結局妻は12時少し過ぎには寝ると言い出し、まだ起きていた息子ともども、それぞれの部屋に入って寝た。
■2002/01/24(Thu)
妻の実習が山を越す
いつものように8時過ぎに起きて、息子を起こして学校へ行かせる。今日は、朝から結構雨が降っている。
今日は、妻の教育実習が、最後の大きな山場になる日だ。夕食は、実習に区切りがついたお祝いに、イーストウッドの「ファゲ」に出かけようと予め決め、5時半にマコーリー・センターのフード・コートで待ち合わせることにした。
11時頃に、振り方が弱くなった雨の中、妻と娘と3人で大学へ出かける。545番バスで大学へ行き、まず書店生協で本を買う。新入生がキャンパスに来はじめているので、書店生協も教科書を買う人が列を作っていた。店を出てから、図書館で直前まで実習の準備をするという妻と別れ、娘と研究室へ向かった。ところが、事務担当のAさんも、技官のD氏も休みのようで、研究室のある一角がまったくロックアウトされている。しかたなく、マコーリー・センターで買物をしてから、家に戻ることにする。
マコーリー・センターまで歩き、昼食をフード・コートでとり、ウールワースで飲物類などを買い、ディミックスを冷やかしてから、459番バスで帰宅。
まだ2時頃だったので、娘に留守番をさせて、今度は自分だけで出かける。シティへ行く都合の良いバスがしばらく来ないので、ちょうどやってきた459番バスに乗って、ストラスフィールドに行った。ここで電車に乗り換え、ウィンヤード駅まで行き、ヨーク・ストリートを南下して、政府刊行物センターである「AusInfo」で資料を購入する。ここでは、統計局が出しているオーストラリア年鑑の2002年版が、明日刊行されるという情報も貰う。
QVBまで歩いて行き、293番バスで帰宅。既に5時を回っているので、急いで娘に仕度をさせて、バスでマコーリー・センターまで行く。フード・コートに5時半を少し回って到着すると、既に妻と息子が着いていた。
バス停に向かい、アウトバウンドの545番バスに乗って、4人でイーストウッドへ向かう。
6時過ぎに「ファゲ」に到着し、いつものようにメインを頼む。食後は、バス停前のカフェ「チュー・チュー・バー」でコーヒーを飲みながら、帰りの545番バスを待った。
帰宅後は、本の整理と荷造りに取り掛かる。
実習が終わってほっとしたのか、妻も結構夜更しをする。妻はさすがに途中で先に寝室に入ったが、こちらは、3時過ぎまで起きていた。
■2002/01/25(Fri)
グールズ・ブック・アーケード訪問
今日も8時過ぎに起き、息子を起こして学校へ行かせる。
妻はチャツウッドに用事があり、10時半頃に出かけるので、それにあわせてチャツウッドへ一緒に行く。娘は、今日は出かけない、というので、また留守番である。
チャツウッド駅でいったん妻と別れて、こちらはチャツウッド・ハイスクールに置かれているIEC(集中英語コース)へ行き、新学期の開始日を確認する。その後、待ち合わせていたフード・コートへ行くと、妻が既に戻ってきていた。
一服してから、今度は一緒に西口に戻り、妻が用事を済ませている間に、中古レコード屋「テン・セコンド・ダウン」でくずCDの山を漁る。また、この山とは別に、少し前から気になって探していた the Whitlams のCDも見かけたので、迷わず入手する。
妻は、午後からまた別の用事がシティであるので、その前に昼食をシティで取ろうということになり、一緒に電車に乗る。あまり深く考えずに、チャツウッド駅の売店でいつものようにコーヒーを買ったのだが、車中で妻と話しているうちに自分のジーンズのうえに派手にこぼしてしまう。
ウィンヤード駅で下車して、ヨーク・ストリートの AusInfo に行き、今日刊行の年鑑があるかどうか聞いてみたのだが、結局、今日必要ならセント・アンドリューズ・ビルディングの統計局の売店へ直接行くようにアドバイスされる。
そのままQVBへ行き、「ジェット・カフェ」で昼食を取る。ここで、人と待ち合わせをする妻を残して、1時20分頃にカフェを出て、統計局の売店へ行く。今日出たばかりの年鑑を含め500ドル近くの資料を買ったのだが、デビットが出来ないということで、いったんそこを出て、現金を引き出しにコモンウェルスとシティバンクの両方を回ってから、また戻る。バスでセントラル駅西口まで行き、息子のIELTSの受験手続に必要な写真をUTSの窓口に提出する。
駅前に戻り、422番バスでニュータウンへ向かい、グールズ・ブック・アーケードに入る。店に入ると広い店内に、古本が溢れ返っている。元々は大きめの衣料品店だったのだろうか、フロアの大部分は吹き抜けになっているので、開放感がある。みたところ100坪くらいありそうな1階のフロアの一部には、新古本や新聞・雑誌が並んでいたり、グリーティング・カードのラックや、無造作にコーラのペットボトルなどを収めた冷蔵庫などがあるが、1階の残りと、2階(というより、中2階)の回廊とフロア(30坪分くらいか)には、古本が溢れている。棚に収まりきらない本が床に無造作に積みあがっているというのは、古本屋でよくあることだが、この規模の店でそうなっているというのは、豪快としかいいようがない。
さっそく、メディア関係と地理学関係を中心に、漁りはじめる。結局、3時間近くの間、床に座ったり、床の上に積まれた本の山の上に腰掛けたり、ばたばたしながら、300ドル分近く本を買った。
白髪に白髭で、風呂屋の番台のようなやや高いカウンターに陣取った店主は、最初はとっつきにくそうだったのだが、こちらが長時間居座って山ほど本を持っていったからか、計算の時にはうって変わって愛想が良かった。開口一番「わが動物園は気に入ったかね?(How do you like my zoo ?)」ときた。「全学連」などという言葉が向こうから飛び出すスモール・トークを交わしてから、買った本をバッグとワインの箱に詰めて店を出た。時計を見ると既に6時を回っていた。
バスをQVBで乗り継いで、293番バスで帰宅。
既に夕食の準備が始まっていた。一昨日と同じカレー・ライス、息子が作った炒め物、妻が買ってきたフィッシュ・アンド・チップスというラインナップである。
食後は、買ってきた本の整理と、発送する荷物の梱包作業を続ける。途中で rage の時間になったが、ビデオをセットしただけで、作業を続ける。けっきょくそのまま4時過ぎまで起きていたが、椅子に座ったままうとうとするほどになったので、床に就く。
■2002/01/26(Sat)
子供たちと買物に出る
今日は、いつもとは立場が入れ替わり、10時過ぎに息子に起こされる。
11時少し前に、今週末に会うことになっているT氏に電話を入れる。結局、会うのは明日の昼になった。今日しなければいけない用事はなくなったので、妻が実習のレポート作成に集中できるよう、子供たちと午後から、船便で送るお土産物などを買いに出かけることにする。
ブランチになった昼食は、息子が野菜炒めを作り、けっこうしっかり食べる。本当は、ご飯を炊く役だったのだが、米を研いだところまでで失念して、風呂に入ってしまい。結局、米も息子に炊いてもらった。
12時半頃に3人で家を出て、まずノース・ライド・センターまで歩いて行く。ここのニュースエージェントで子供たちのトラベル・パスを買い、288番バスでQVBへ行く。
バスを乗り継いで、ヘイマーケットの「マーケット・シティ」へ行く。ここは、地上階が、大きなコンクリート剥き出しの空間に、屋台がひしめく「パディーズ・マーケット」になっているが、その上はファクトリー・アウトレットなどが入った、きれいなショッピング・センターになっている。
まず、パディーズ・マーケットへ入り、先週娘が買った時計の時間の合わせ方を時計屋(といっても屋台)に聞きに行く。子供たちはそれぞれパディーズで見たいものがあるので、待ち合わせの場所を決めて自由に買物に行かせる。その間、自分も、履き潰した運動靴(昨年2月にソウルで買った「プロスペック」)のかわりになる靴を、上のフロアで探す。結局、今日のところは、安物を一足買って済ませる。
自由行動→再集合を繰り返して、子供たちの好きにさせることをわが家では「キャッチ・アンド・リリース」と称しているのだが、1回目の集合の後も、子供たちはまだまだ店を見ていたい様子なので、再度、自由行動にする。今度は、ケン・ドーンの店のアウトレットで、Tシャツを買う。
再集合したところ、息子はまだここで見ていたいものがあるという。娘は、近くの韓国系のファンシー・グッズの店に行きたがっている。結局、再度同じ場所で待ち合わせることにして、こちらは娘を連れて、ジョージ・ストリートへ戻り、通りに面して店に娘を入れ、店の外でジョージ・ストリートを眺めて待っていることにする。
今日はオーストラリア・デイという祝日だ。これは、フィリップ総督を含むファースト・フリートの一行がシドニーに到着した日、つまりオーストラリアへの入植の始まりを記念するもので、オーストラリア全体の祝日ではあるが、シドニーにとっては特別な日である。ハイド・パークやセンテニアル・パーク周辺ではいろいろとイベントをやっているようだ。
英国でも、こうした特別な日には、クラシック・カーで乗り回すという人が多いが、今日は、綺麗に手入れされた古い車に国旗を掲げた車がたくさん行き交っている。しかも、バスも、通常のバス以外に、20年以上前に使われなくなっているはずのダブルデッカーなど、古いバスが、イベント会場をつなぐ無料バスになって運行されている。現在のバスはベンツかボルボが普通だが、古いバスはリージェントとかレイランドとかつての英国の自動車メーカーの名が誇らしげに表示されている。
結局、娘は30分近くじっくり時間をかけてから、手帳のようなものを買った。息子と待ち合わせているマーケット・シティの上の階にもどり、お茶を飲んで待っていると、程なく息子も戻ってきた。子供たちも、それぞれ飲物をとってひと休みである。既に3時を回っている。
マーケット・シティを出て、バスでいったんセントラル駅西口のレールウェイ・スクエアまで行き、ここでニュータウンへ行く422番バスに乗り継ぎ、昨日に続いてグールズ・ブック・アーケードに行く。
今日は、音楽関係など昨日見なかった棚を中心に、じっくり棚を眺める。もちろん子供たちは、ここにいても私ほど楽しめるはずがないのだが、それでも娘は中国語訳された日本の漫画(「七龍珠」=「ドラゴンボール」の類)を見て時間を潰していてくれた。今日は、店主ではなく、これまた堂々たる女性が番台にいた(店主夫人か?)、結局、本を5冊と、新聞を買って店を出ようとしたのだが、娘がスニッカーズを1本持ってきた(菓子まで売っているとは気づかなかった)ので、これも一緒にレジに出すと、「これはディスカウントしときますよ」ということになった。
店を出て、キング・ストリートをニュータウン駅の方へ向かい、途中でブックス・オン・キングを覗いてから、オールド・フィッシュ・カフェでひと休みする。店に息子を残して、少しだけコーンストークにも足を伸ばすが、探している本はやはりないので、今日は何も買わずにすぐカフェに戻った。時刻は6時を回っている。
バスでセントラル駅まで戻り、駅の構内を歩いて東側のエリザベス・ストリートに出る。ここで393番バスに乗り、最初の停留所で降り、久々に「ロミーナズ・ピザ」に入る。ファミリー・サイズにサラダとガーリック・ブレッドがつく「キング・スペシャル」を2セット(マルゲリータとフォー・シーズン)注文。
前回来たときは、店主の姿が見えなかったのだが、今日はまた途中から店に出て来た。他にも客がいて、結構忙しいのだが、わざわざ席に来て二言三言話をする。
ざすがに満腹になり、食べ切れなかった分は持ち帰る。勘定を聞いたら、店主は飲み物の分は勘定に入れないでまけてくれたので、その分はチップにして置いておく。
アルフレッド・パークまで歩き、そこからバスで、西口側のレールウェイ・スクエアまで行く。そこでバスを乗り継いでQVBまで行く。都合の良いバスまで20分ほど時間があったので、しばし、QVBの停留所で時間を潰す。既に夜の9時半だが、どこかでオーストラリア・デイのイベントで花火をやっているらしく、ビルの谷間に大きな音が反響していた。そのまま、290番バスで帰宅。
戻ってみると、妻はひと通りレポートの本体は作成し終わっていた。後の仕上げは週明けに図書館でやるつもりらしい。
少しパソコンをいじってから、風呂に入っているうちに rage の録画をセットしていないことに気づき、風呂場から怒鳴って、息子に録画を頼む。風呂から上がって30分ほど見てから、眠たくなってきたところで床に就く。
■2002/01/27(Sun)
バルメインへ行く
前夜が早かったせいか、8時過ぎに目が覚める。
少しだけパソコンをいじって作業をする。今日は、T氏の自宅に伺って昼食をとることになっている。息子は別件でシティへ出かけるというので、11時少し前のバスに乗ろうとして一緒に家を出たのだが、バス停の手前で話をしているうちに、乗るはずだった290番バスに通過されてしまう。休日なので、次のバスはしばらく来ない。どっと疲れて、いったん家に戻る。結局11時半少し前のバスでQVBまで行き、ここで息子と別れて、12時少し過ぎの442番バスでバルメインに行く。
通りの名と番地を頼りにT氏宅へ行ってみる。表の通りから奥に入り、シドニー湾を眺める斜面の中段にある、古い家へ行く。まず最初のドアをノックしてみたのだが、応答が無い、T氏はバス停に迎えに出るというようなことを言っていたので、どうやら行き違いになったようだ。家の反対側に回ってみると、こちらは
色々新たに手が加わっているようで、今はこちら側を玄関にしているらしいことが分かった。こちら側は、ガラスの多い開放的なつくりになっていて、中に誰もいないことが良く分かる。程なくしてT氏が戻ってきた。そのままサラダとサンドウィッチの昼食をその場で作ってもらい、雑談をする。
しばらくして奥様が帰宅され、3人で更に話をする。結局1時間半近くおしゃべりをしてから、そのままT氏の案内でバルメインの町を少し歩き、フェリー乗り場まで連れて行ったもらった。
T氏に見送られて、サーキュラー・キー行きのフェリーに乗り、マクマホンズ・ポイント、ミラーズ・ポイントを経由して、サーキュラー・キーに降り立つ。ここからサリー・ヒルズ方面行きのバスに乗り、適当にミュージアム駅の近くで降りて古書店のテイラーズへ行ってみたが、休日はやっていないことがわかる。そのまま、ジョージ・ストリートに出て、ベースメント・ブックスで、大型の本を3冊買う。そのうち2冊は、英国の会社の出版物なのだが、印刷製本は中国でやっている。これまで買ってきた本にも、シンガポールの印刷製本によるものなども多く、この分野での国際分業の一端を改めて認識した。
続いて、ジョージ・ストリートを南へ下り、T氏に教えられた古本屋を探す。言われた通り、ベトナム料理店の地下にある店に入る。思ったより閑散とした棚で、値段もやや強気な印象の店だったが、興味を引かれた本も多く、結局9冊も買ってしまった。入口の階段に出ている看板ともらった領収書の店名が違っていたので確認したところ、つい最近、経営が変わったのだそうだ。店を出たのは閉店時刻の6時。今日も、本で荷物がいっぱいになったところで、バスを乗り継いで、QVB経由で帰宅。
帰宅したときには、妻と息子は買物に出て不在で、娘がパソコンで遊んでいた。間もなく2人が戻ってきて、夕食を作り始めた。
食後は、パソコンで作業をし、また荷造りをして、風呂に入った。
結局、その後は特に何もせず、12時前に寝る。
■2002/01/28(Mon)
ハードな散歩
今日は10時頃に起床。息子と妻は、それぞれもう出かけていて、娘が一人でパソコンで遊んでいる。
少し疲れが溜まっているようで、出かける気も起こらないし、仕事も手につかない。
娘とシティへ出かけようかと思って、一緒に行かないかと誘ってみたのだが、1人で行くならいいけれど一緒じゃいやだ、などと言われる。
結局、昼過ぎにマコーリー・センターまでいっしょに歩いて買物に行き、ウールワースで飲み物などを買って290番バスで帰ってきただけで、後はだらだらして過ごしていた。
本当はしなければいけない仕事が多いのだが、集中力が沸かないので、CDをかけながら、資料の斜め読みをしたり、気まぐれで毛布の洗濯をしたり、部屋を丸く掃いたり、少し昼寝をしながら過ごしているうちに、6時過ぎに息子と妻が相次いで帰ってきた。
夕食の下ごしらえをしてから、まだ陽がある午後7時45分頃に妻と娘と3人で散歩に出る。今日は、いつもより長めのコースということで、レーン・コーヴ・ロードを北へ上がり、レーン・コーヴ川の右岸のリヴァーサイド・ドライヴ(自動車道だが、普段は管理車両以外は入れない)を東へ向かう。鳥と虫の声がとても大きい中を、かなりの距離を歩く。途中で日没し、林の間から稜線のすぐ上に低い満月が見えたのが美しかった。そのまま道を進むと、デリー・ロードがレーン・コーヴ川を渡るところまで行き着くはずだが、途中で右手に折れて段丘を登るしっかりした車道があったので、すっかり暗くなった中を登って、キャンプ場の脇に出た。フリーウェイの建設の関係で、行き止まりの道になってしまったプラッシー・ロードの現在の終点だった。近くのキャンプ場の管理棟のところで、飲み物を自動販売機から買い、マコーリー・パーク墓地に沿って進んでデリー・ロードへたどり着き、そのままエッピング・ロードの北側を歩く。カルテックスのスタンドでお菓子を買って、そのまま歩いて帰宅した。結局、1時間半ほど歩いていたことになる。散歩としてはかなりハードだったので、汗びっしょりになったし、妻もけっこうへばっていた。
帰宅後、夕食には息子がオムレツと野菜を茹でたものを作り、こちらも米を炊いて手伝う。
夕食後も仕事をする気になれず、11時前に床に入ってしまう。
■2002/01/29(Tue)
久々のマイクロ・フィッシュ
未明にトイレに立ち、時計を見たら5時過ぎだったので、そのままSBSでNHKニュースを見始める。そのまま、誰も起きてこないうちに、7時過ぎまでパソコンに向かった。その後、眠たくなり、再び床に戻った。
9時過ぎに、「お兄ちゃんがまだ寝てる!」という妻の声で慌てて起きる。息子は昨日は休みだったが、今日が学校があるはずだ。もうとっくに授業が始まっている時間になっている。妻は、自分の用事でチャツウッドへ出かけるために起きてきて、息子がまだいることに気付いたのだ。
とりあえず息子を起こし、出かける妻を送り出してから、息子にも仕度をさせていつもより1時間少し遅れて学校に向かわせる。
娘は、今日は出かけたくないというので、10時頃に娘を残して大学へ出かける。545番バスで大学へ行き、研究室で、ページの更新を少しする。12時頃研究室を出て、マコーリー辞書編集部に立ち寄り、大学から545番バスに乗ってチャツウッドへ向かう。
1時に妻と改札口で合流し、ウェストフィールド・ショッピング・センターの中のフード・コートで昼食をとる。立派なカイゼル髭のオヤジが店に出ている「アペティトス」(イタリア料理系の軽食を出すチェーン店)のカウンターから、ピザなどのセットを取って食べる。食後は、西口側へ行き、バス停に面したカフェでお茶を飲む。2時頃、午後また用事のある妻と別れて、電車でシティへ向かう。
ウィンヤードで下車して、州立図書館へ向かい、調べ物をする。初めてミッチェル・ライブラリーにも入り、利用者証を作る。家族史(family
history)のセクションで、19世紀末の資料を写したマイクロ・フィッシュをしばらく見る。マイクロ・フィッシュを扱うのは久しぶりだ。昔の機械より負担感は少ない感じもするがそれでも、けっこう勘が戻るまで悪戦苦闘する。
結局、7時過ぎに図書館を出て、ウィンヤード駅の裏手にあたるクラレンス・ストリートまで行き、293番バスで帰宅する。
戻ったときは、妻と息子が買物に行っていて、娘が一人で留守番をしていた。出かけに干させた洗濯物は、既にしまわれており、昨日から干していた毛布も、夕方の小雨が降り始める前に取り込んであった。
夕食は、今日も息子と妻が作り、野菜炒め、オムレツ、味噌汁などが出て来た。
夜10時過ぎに、風呂に入ったのだが、疲れが出たのか風呂の中で寝てしまう。お湯が半ば冷めかけた頃、妻が風呂場に入ってきて、ようやく目が覚める。
そのまま寝床に移って眠る。
■2002/01/30(Wed)
外相更迭
朝6時過ぎに、娘に起こされる。
今日は、娘がこれから通い始めるチャツウッドの集中英語センター(IEC)へ、入学手続きをしに一緒に行くことになっている。時間を見て驚き、ゆっくり仕度をさせる。
結局、7時半頃に家を出て、545番バスでチャツウッドへ向かい、チャツウッド駅で下車して、IECの置かれているチャツウッド高校へ行く。着いたのは、8時半頃だった。
やや年配の日本人女性の先生が、入学手続きを手伝ってくれた。結局、今日は、手続きと、制服の購入だけで帰る事になり、いったんまた駅まで戻ってから、545番バスで帰宅する。
家に戻ったのは10時前だったが、既に息子も妻も出かけている。一息入れてから、再度娘と一緒に出かけ、506番バスで研究室へ行く。こちらにいる間に、娘が研究室でインターネット三昧ができるのは、今日が最後の機会である。設定をして使えるようにしてやると、娘はさっそく嬉々としてアニメのファンページなどを見ている。こちらも、ページの更新などをした上で、久々にゆっくりニュース関係のページを見て回る。外相の首が飛んだ件は、あきれ返りながら各紙の記事を読み比べる。
各紙とも、田中外相の人気のことばかりに言及しているが、外務省の伏魔殿ぶりをここまで明らかにしてきた外相の功績は、行政改革という観点からいえば(例えば、機密費にしろ、デンバーにしろ)大いに評価されてしかるべきだろう。例のNGO代表氏のコメントには同感。猪瀬直樹氏のコメントには呆れた(この人は観点が面白いときもあるので、人物は嫌いではないのだが)。結局、今回のことで今後一番辛くなるのは、板ばさみになった局長クラスや、外相の側近として手足になっていた少数の人たちなのだろう。しかし、「三方三両損」とは新語ですね、鈴木さん。
1時頃に、教員食堂へ行き、食事をとる。娘が先に研究室に戻るというので鍵を預け、ゆっくりお茶まで飲んでから、書店生協へ行く。ここではオーストラリア映画史の本などを買う。
研究室に戻り、4時過ぎまで作業をしてから、片づけて帰宅することにする。大学から293番バスで、マコーリー・センターまで行き、飲物などを買ってから、506番バスで帰宅。息子は既に帰っていた。帰宅したときに、研究室に鍵を忘れてきた(らしい)事に気づく。
エアログラムの手紙を一通書いた後、鍵を回収できればと思い、再度1人で出かけて、エッピング・ロードを直進する293番バスでバラクラヴァ・ロードとの角まで行き、研究室まで行ってみるが、当然ながら事務局も閉まっていて全く入れない。手紙を大学のポストに投函してから、507番バスでマコーリー・センターまで行く。
ここで少し店を冷やかしてから、545番バスで帰ろうとしたのだが、散歩コース候補の道の下見をしようと思い立って、カートゥーム・ロードとフォンタニー・ロードの角で途中下車し、カートゥーム・ロードの先をレーン・コーヴ川のところまで下ってみた。ここでは導水管が川を渡っていて、導水管には脇に作業者用の足場も付いているのだが、渡るのを禁じる旨の掲示も出ていた。結局この道は散歩には使えない。
フォンタニー・パークまで戻り、292番バスで帰宅。今度は、妻がもう戻っていた。
夕食は、今日も息子と妻が作ってくれた。昨日と似たラインナップだが、野菜炒めの香辛料が効いていたところがちょっと変わっていた。
食後、今日は、妻と息子が散歩に出る。
娘は、食後早めに寝てしまったので、ゆっくりパソコンに向かって作業をする。
■2002/01/31(Thu)
妻が最後のレポートを済ませる
朝は7時台に、妻が娘を送り出すのを寝床で聞きながら起き出せなかった。8時過ぎに、起き出して、息子を起こす。
今日は、妻が大学で作業をするので、10時過ぎに家を出て、一緒に大学まで歩いて行く。昨日、鍵を研究室に忘れてしまったのだが、技官のD氏に開錠してもらって研究室に入り、すぐ鍵を確保した。妻は図書館で作業をする必要があるので、昼食時にまた合流することにして、図書館へ向かった。午前中は、ページ更新などを進める。
昼になり、妻が研究室に戻ってきた。最後のレポートをもう済ませて、提出してきたという。これで後は、成績が出て、修了証をもらうのを待つばかりである。
昼食は、一緒にマコーリー・センターまで歩いて行き、「シンプリー・ヌードル」で麺類を食べる。食後は、ボーダースへ行き、ここの特大カップで、ゆっくりお茶を飲む。大幅割引きになっていたナム・ジュン・パイク(白南準)の作品解説の本に、小野洋子の「カット・ピース」の写真なども入っているのを見つけ、もう1冊(ホガースの解説書)と一緒に買う。明日には本を中心として船便を発送してしまうので、研究費でまとまった量の本を買うのも、これで一区切りである。
結局、3時頃になってから、バスで帰宅する妻を見送って、研究室に戻る。4時半頃に研究室を出て、帰宅。
夕食は、今日もまた息子と妻が作ってくれた。そろそろこちらも何か作るべきだろうか。
夕食後、しばらく仮眠をした後、家族がそれぞれ眠った夜半から、明日発送する荷物の梱包などをする。

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