私的ページ:山田晴通

シドニー日記:2002年2月1日〜2月24日


 2002年2月分の日記です。
 ここでは、山田の備忘録に掲出したときと内容はほぼ同じです。1ドルは、70円くらいです。
 このページへの転記に際し、原文の明らかな誤記は訂正しました。

 なお、25日以降は、帰国準備に忙しかったこともあって日記をつけておりません。2001年度の滞在中の日記はこれでおしまいです。
■2002/02/01(Fri)
船便を発送
朝7時過ぎに、学校へ行く娘の準備を妻がしている気配で目が覚める。外は珍しく本格的な雨で、まだだいぶ暗い。
起きてはみたものの、部屋でぼおっとしている。ぼんやりしているうちに、娘が出かけ、息子も出かける。妻も今日は午前中からチャツウッドへ行くことになっている。
8時半頃、荷物を取りに来るオーストラリア日通のスタッフから電話があり、予定通り9時過ぎに来るという。妻が出かけて、日通が来るまで、しばしパソコンで遊ぶ。
やがて、9時20分頃に、日通がやってきた。こちらとしては激しい雨で、道もけっこう渋滞しているようだ。今回送るのは、本来は個人の小規模な引越しなどで利用する船便である。こちらではもう使わないが、帰国後すぐ要るものなどを、この時期に発送して別送品扱いにするのである。船便は容積はうるさいが、重量はあまり厳密ではなくてもよいという説明を真に受けて、この一週間ほど少しずつ梱包していたら、総重量はかなりのものになってしまった。研究費で買った図書もほとんどが今回の便に入った。日通は2人でやってきて、てきぱきと作業を進め、10時少し前に帰っていった。
最初はそれから大学へ行こうと思っていたのだが、雨脚が激しくなり、パソコンを抱えて出かける気がなくなってしまった。代わりに、家でインターネットにつなぎ、しばらく仕事をする。
11時半少し前に、意を決して荷物を持たずに(いつも通り傘もないまま)雨の中を出かけ、545番バスでチャツウッドへ向かう。12時過ぎに、チャツウッド駅で妻と待ち合わせ、バス・ターミナルの上のフード・コートで、昼食をとる。こちらでは食べる機会の少ないナッチョ(チリ・シン・カルネ)を食べる。銀行に寄ってから妻のバッグを買い、先日と同じ西口側のカフェで、先日と同じようにコーヒーとブラウニー・スライスを取る。普段の昼時は人がいっぱいいる見せの前のテーブルのエリアも、今日は雨とあって、かろうじて庇の下になっている席以外は人がいない。都合よく空いていた雨にあたらない席に座り、コーヒーを飲む。
午後も、用事がある妻と午後1時頃別れ、電車でシティへ向かう。まず、セントラル駅近くの旅行業者に行き、航空券のことをいろいろ尋ねる。それからバスに乗ってサーキュラー・キーへ行き、ロックスの上にあるブリッジ・クライムの受付へ行く。ブリッジ・クライムは、高所恐怖症気味の自分には縁がないものだが、今月下旬の来客が行ってみたいと連絡してきたので、予約の要否などを確認に立ち寄ったのである。今日のところは簡単に説明を受け、パンフレットをもらって来た。
カンバーランド・ストリートを抜けて、ラング・パークからバスでQVBまで戻る。最初は、もう帰ろうかとも思ったのだが、雨が上がって来たので、もう少し街を歩こうかと思い直す。時間を見るとまだ3時半だったので、少し古書店を回ることにしてまずピット・ストリートのテイラーズへ行く。このところ探しているマコーリー辞書第2版は、ここにもない。とりあえず日豪関係史の論文集を買う。角を曲がってもう1軒冷やかしてから、ジョージ・ストリートに出てバスに乗り、ヴィクトリア・パークで下車する。グリーブ・ポイント・ロードを歩いて、まずコーンストークへ行ったのだが、今日はお休みのようだ。ニュータウンの店と違って、こちらは平日でも休むことがけっこうあるから来るなら電話してからの方が良い、と言われたのを思い出す。そのままあと2軒ほどまわり、更にコミュニティ・センターがある辺りまで歩いてから、4時13分のバスで、ヴィクトリア・パークまで戻る。ここでニュータウンの方へ行くバスに乗り換え、ニュータウンの外れにあたる、グールズ・ブック・アーケードの前まで行ったのだが、ふと思い立って、店には入らず、ダーリントン・ロードを経てレッドファーン駅の方へと歩いてみることにする。この辺りのテラスハウスは、かなりの年代物をリニューアルしながら使っているところが多いので、歩きながら見ていて飽きない。結局、レッドファーン駅にたどり着き、ストラスフィールド駅まで電車に乗って、そこから459番バスで帰る事にした。
ストラスフィールドで下車して北口のバス乗り場に行ったのだが、何とわずか3分ほどの差で、家の近くまで行く5時13分の459番バスの終バスが出てしまった後だった(この後は、すべてトップ・ライドどまり)。ひょっとすると遅れているかもしれないと思い、5分ちょっと待ってみたが、他には誰もバス停で待っていないし、これかなと思った459番で到着したバスは回送になって行ってしまったので、諦めて駅に戻り、エッピングまで電車で行く。エッピングに着いてみると、また雨脚が少し強くなっている。ちょうどバス停に、288番バスが来たので、途中のマコーリー・センターで下車し、ウールワースで買物する。飲み物や西瓜などを買ってから、290番バスで帰宅した。
夕食は息子と妻が、南瓜の味噌汁、ソーセージ炒め、サラダを作る。今日はいつも以上に美味しく感じられた。
昼間けっこう歩いたせいか、満腹になったせいか、食後、少し休んでから皿洗いなどを済ませると、ほっとして何もしたくなくなった。翻訳原稿の見直しをするつもりで原稿を持って部屋に入ったのだが、そのまますぐに寝てしまった。
■2002/02/02(Sat)
バークロー・ブックスへ
夜中に、rage
のテープ交換のタイミングで妻に起こしてもらったのだが、すぐまた部屋に戻って眠った。
しかし、また朝6時過ぎに、娘に起こされる。7時前に家を出て土曜学校へ行くなどととんでもないことを言うので、バスの時間を調べて、早すぎることを説明する。
結局、7時少し過ぎに家を出て、娘と一緒にノース・ライド・センターまで行き、ニュース・エージェントでバスの回数券を買って、7時20分頃の289番バスに乗せる。
家に戻ってから、再度寝床に入って眠る。その後は結局、昼前に起き、息子とトーストとサラダのブランチを食べる。
午後2時少し前に娘が帰宅したのと入れ替わりで、290番バスでセント・レナーズまで行き、ここで電車に乗り換えてタウン・ホールまで行く。ここから歩いてオックス・フォード・ストリートへ向かう。
目的は、書店ガイド本で見つけたバークロー・ブックスという古書店である。この店は、オックスフォード・ストリートの19番地にあるはずだ。ところが、オックスフォード・ストリートまで行ってみると、19番地が見当たらない。21番地の次は、1番地のビルになってしまう。このビルは結構大きいので、この中にあるかもしれないと思ったのだが、ビルのテナントにも、通りに面したその辺りにも、ガイドに載っているような記述に当てはまるようなそれらしい書店はない。
19番地が190番台の誤植ではないかと考え、とりあえずバスに乗って先へ行くことにする。
今日は結婚式日よりなのか、白いリボンをかけた車を見かける。バス停近くで見かけた、「メルボルン」行きと表示を出した、古い、緑と黄色の車体のバスにリボンをかけ、親戚一同も一緒に乗り込んでいるというのには驚かされた。バスに乗ってから目にした、反対車線をオープンカー3台で(1台には新郎新婦、他の2台は友人たちらしい)、クラクションを鳴らしながら道行く人に誰彼となく手を振っているというのにも、結構呆れた。
目指す番地の190番台は、最初の停留所の少し先、よく来ることがあるレストランなどが並ぶ一帯だったが、ここも明らかに違う。どうしようかと途方に暮れ、とりあえず2つ目の停留所で下車してみると、何と不思議なことに、降りたところから通りの反対側のすぐ先に、その店があるではないか。ガイド本と地図を見直してみてわかったのだが、オックスフォード・ストリートは、サバーブがダーリングハーストからパディントンに移ったところから、番地が1番地に戻って数えるようになっていたのである。サバーブ名を意識していなかったので、さっきはダーリングハースト側のオックスフォード・ストリート19番地を探してしまったのである。パディントンに入る、映画館の先からすぐのところに、目的の店はあったというわけだ。
ここなら前にも何回か通っているのだが、気づかなかったのは、この店が1階(Ground
floor)は新本屋になっていたためでもある。入口のカウンターで荷物を預け、綺麗な鳥の絵柄の施された義手をつけた、小柄の隻腕の女性店員に案内されて店内をひと回りする。2階(First
floor)は半分が新本、残りがカフェと古書、そして3階(Second
floor)がきれいに整理された古書のフロアである。このところ探しているマコーリー辞書第2版はここにも無かったが、かなりの時間をかけていろいろ本を選ぶ。山ほど抱えて下まで降りてゆくと、さっきの彼女がにこやかに笑いながら対応してくれた。結局300ドル以上の買物になった。もう研究費も残っていないし、本の大半は船便で送ってしまった後なのだが、新たに見つけた店だとついついこうなってしまう。
店を出て、通りを渡り、ブロンテ行きのバスでボンダイ・ジャンクションまで行き、ここで380番に乗り換えてボンダイ・ビーチまで行く。ホテル・ボンダイで3月の帰国前に滞在する手配をする。今日も浜には人出がいっぱいだ。本当はゆっくりお茶でも飲みたいが、荷物が重いので、もう帰る事にする。バスでボンダイ・ジャンクションまで戻り、電車でタウンホールへ向かう。珍しく、ダイヤが乱れていたが、いつもより少し混んでいるという程度で、快適に乗れた。日本に帰ってから、ラッシュの電車にはもう乗れないかもしれない、などと考える。QVBから6時40分の290番バスに乗り、帰宅。
帰宅後、間もなく、妻と散歩をかねてマコーリー・センターまで歩いて買物に行く。ウールワースで飲物などを買って、帰りも歩いて戻る。帰りの途中から、荷物が重く感じられ、けっこうしんどかった。
夕食は、ステーキ。息子が、こちらに来てから最高に良くできた食事と自讃していたが、成る程という感じの出来だった。
夜は11時に
rage
のビデオをセットして、すぐに寝てしまう。
■2002/02/03(Sun)
骨休め
起きたのはもう10時を回った頃で、家族は皆既に起きていて、それぞれパソコンで遊んだり、トランプをやっていたりと、まったくのお休みといった感じになっている。
空は未明に少し雨が降って以降も、雲が厚い。こちらでは珍しい曇りの日だ。いつ雨になるか判らないこともあって、洗濯する気にもならない。
昼頃に、ブランチで野菜ラーメンを作り、妻と一緒に食べる。息子と娘はそれぞれ少し早くにブランチになるようなものをそれぞれ勝手にとっていたようだ。食後、満腹感から、ぼんやりしていたが、そのうち本格的に眠くなったので、昼過ぎから、午後5時過ぎまで昼寝をする。夕方に目覚めたときは、もう翌日になったのでは一瞬勘違いするほど寝ぼけていた。
昼寝から起きた後、昨日買った本の整理などをして、その後は、買ってきた本の斜め読みなどをする。そのうち、息子と話していて、全国の市をどれくらい正確に書けるかという話になり、紙に書き出してみる。やり始めるとおもったよりちゃんと思い出せない。
夕食は、ノース・ライド・センターの「プララム」へ妻と息子と一緒に行く。娘はタイ料理が嫌いなのと、色々間食をしたようでお腹が空いていないということで、留守番をすることになった。8時過ぎに店に着き、グリーン・カレー、トム・ヤム・クン、エピとカシューナッツの炒め物などをとる。チップも含めて65ドルを置いてくる。
帰宅後は、娘に寝床を妻と一緒の部屋に移動させる。一挙に移すのは面倒なのだろうが、とりあえずベッドの上半分(マット)を妻の寝室に戻して、今夜からは以前と同じように妻と一緒の部屋で寝させることにする。娘は、こちらが夕食に出ているときから、パソコンで遊んでいたのだが、午後11時半に切り上げさせて、そのまま寝かせる。
パソコンを取り戻してから、息子と作業に取り掛かり、食事前にやっていた市名の採点をする。結局、市名の漢字がちゃんとかけて、どの県にあるのかも正しく言える市は、全国の市の半数より少し少ない313市だけという結果になった。面目丸潰れとまではいかないが、地理屋としては不勉強この上ないところだろう。昼寝をした分、眠くならないので、妻と息子が相次いで部屋に戻った後も、夜中の3時過ぎまで起きて、パソコンに向かう。
本当に一日中、まったくの休みの日だった。
■2002/02/04(Mon)
土砂降りの一日
7時50分頃、妻が息子に声をかける気配で目が覚める。起き出してみると、娘は既に学校へ出かけている。朝食に餅などを食べながら、8時過ぎから何度か息子に声をかけて起こす。今日は、こちらとしては珍しい、ずっと降り続ける本格的な雨である。もう秋雨ということだろう。今日も洗濯はできそうにない。
子供達が出かけて、一段落したところで、9時過ぎにカンタスに電話を入れて、帰国便の日程を変更する。これで、娘と私が3月13日、妻と息子が15日のフライトで帰る事が確定した。
10時頃、パソコンをもって雨の中を、545番バスで大学まで行く。いつものように傘は持っていない。研究室へ行ってみると、技官のD氏の休暇のため、区画の入口のドアがロックされている。事務のAさんに頼んで開錠してもらい、研究室に入って、ページ更新などをする。紀要に出した原稿の校正刷りが来ていた。12時過ぎには作業を切り上げて、459番バスでマコーリー・センターまで行き、ウールワースで飲み物を買って506番バスで帰宅する。
妻は午後にチャツウッドで用事があるのだが、一緒に早めに出かけて昼食を取ることにし、1時15分頃に家を出て、545番バスでチャツウッドへ行く。駅へついた頃は、土砂降りだった。東口側の階段の上にある「イン・ライム」に入り、シーザー・サラダとパスタで昼食をとる。今月下旬以降の日程のことなどを、妻と話し合う。
3時少し前に妻と別れ、雨脚が少し弱まったところで、チャツウッド高校のIECまで、先日の入学手続きのときに揃わなかった写真などを届けに行く。ちょうど、高校の下校時間にあたり、たくさんの生徒たちが駅へ向かう大波と一緒に、駅まで戻る。
電車でタウン・ホールまで行き、歩いてカンタスまで行こうとしたのだが、地上へ出てみるとまた土砂降りになっている。地下のホームまで引き返し、マーチン・プレイスまで一駅だけ電車に乗り、コロニアルの地階を抜けて、チフリー・スクエアに面したカンタスへ行く。1階にも、2階にもけっこう客がいて、混んでいる様子だ。レセプションでチケットの変更に来たと用件を言うと、だいぶ混んでいるから別の日に出直した方がいいと言われてしまう。
とりあえず時間を見るとまだ4時少し前だったので、マーチン・プレイスからレッドファーンまで電車で移動し、歩いてCBAAのオフィスにアポなしで行ってみる。雨は相変らず激しい降り方をしているが、幸い駅からオフィスまで、けっこう距離があったにもかかわらず、商店街のアーケードが続いていて、ほとんど濡れずにすんだ。もっとも、このあたりは、空き店舗が多く、縫製作業場になっているところも何ヶ所かあった。
CBAAでは、友の会のメンバーに申し込み、ニューズレターをもらった上で、来週に再訪するアポイントをもらった。オフィスもカジュアルで、よい雰囲気だった。
まだ続く土砂降りの中を、近くのバス停まで行き、セントラル駅方面へ行くバスに乗る。今日くらいの振りだと、流石に傘を持っている人も多いが、合羽姿で傘なしというパターンが結構多い。足元を見ても、長靴の人はいない。逆にサンダル履きの人が目立つくらいだ。バスはレッドファーン駅を経由して、サリー・ヒルズの一角をぐるっと周り、セントラル駅の東南口のところで下車する。ここから電車でタウン・ホールに戻り、293番バスで帰宅した。
6時を少し回っていたが、妻はまだ帰っていない。今日来た校正刷りに、本格的に目を通し始める。
妻が帰ってきて、夕食はスパゲティという予定だったのだが、風呂を先にしているうちに、娘が先に寝込んでしまった。仕方なく、3人で、スパゲティ・ミートソースとサラダを食べる。
満腹になったせいか、校正を見ながら居眠りをしてしまう。早めに寝た方がよいと思い、10時前に床に就く。
■2002/02/05(Tue)
ぐうたら過ごす雨の日
4時頃に、目が覚め、トイレに起きて、そのままパソコンに向かう。SBSでNHKニュースを見る。小泉首相の施政方針演説と、ロケット打ち上げがメインだった。ニュースを見てから6時頃に再度寝床に戻る。
8時少し前に妻が娘を送り出す準備をしている気配で目覚め、起き出す。娘はどうやら財布を無くしたらしい。交通費を渡して送り出す。それからいつものように息子を起こして送り出す。
今日も雨が続いていて、洗濯物が干せない。テレビのニュースでは、観測史上もっとも湿潤な二月になりそうだと報じている。
11時少し前に、妻と一緒に一緒にチャツウッドへ出かける。チャツウッドで用事のある妻と駅で別れ、シティのカンタス航空のオフィスまで行き、チケットの変更手続きを済ませる。昼食を妻ととるためにチャツウッド駅で待ち合わせていたのだが、カンタスで1時間以上待たされたので、大幅な遅刻になった。着いたのは1時半頃で、ずっと待っていた妻は寒い寒いと言っていた。
西口側のカフェ「バトゥータ」に入り、シーザーサラダとナッチョスを注文。ナッチョスが大盛りで、食べきれないうちに満腹以上になる。
食後、ウェストフィールドのショッピング・センターへ行き、コールズなどで買い物をしてから、545番バスで帰る。バス停を降りたら、直後に到着したバスに息子が乗っていた。帰宅すると、娘も戻っていた。
帰宅してすぐに、娘の通学用の回数券を買い忘れたことに気づき、マコーリー・センターまで出かける。テルストラ・ショップで用を足し、回数券を買って545番バスで帰宅。
昼食が重すぎたので、まだまだお腹がいっぱいの感じが続いている。とりあえず夕食は食べないことにして、6時頃に寝床に入る。
再度起きたのは10時近くで、娘はすぐに寝てしまった。
息子と妻と3人で雑談をしながら「栗納糖」を食べる。パソコンでの作業は途中で行き詰まり、しばらくゲームをして遊ぶ。
深夜0時半頃に就寝。
■2002/02/06(Wed)

ABA訪問
7時頃に目が覚めて起きたのだが、妻と娘がもう起きていて、娘の出かける準備をしていた。再度寝床に戻り、8時過ぎにまた起きて、いつものように息子を起こて学校に送り出す。
9時頃に妻も出かけ、独り家に残ることになった。
昨日ほどではないが、今日もまた雨が降っている。相変らず洗濯はできない。
ブランチに、昨夜息子が作ったスープを温め直して食べる。なかなか美味しい。
午前中、ABAに電話を入れ、委員の1人と3月に面会するアポイントをもらう。
12時過ぎに家を出て、293番バスで大学へ行き、東経大から来たファックスを確認し、郵便物を処理する。研究室には入らず、すぐにバス停に戻る。シティへ向かうため、やって来た293番バスに乗ると、さっき来たときに乗ったのと同じ運転手のバスだった。
QVBで下車して、サセックス・ロードへ坂を下って行き、ダーリング・パークのコンプレックスに入る。今日面会することになっているABAのスタッフS氏には、3時に面会ということになっているのだが、到着したのはまだ2時少し過ぎだった。カフェで紅茶をテイクアウェイして、ロビーで新聞を読みながら時間を潰す。そうこうしているうちに、にわかに激しい雨になってきた。面会時間ぎりぎりできていたら、濡れ鼠になるところだった。
3時少し前に、タワー1(IBMタワー)の15階にあるABAのオフィスに行き、S氏と1時間あまり話す。その後、ひとまわりオフィス(15階全部と16階の半分ほどを占めている)を案内してもらい、来月のアポイントをもらったG氏に簡単に挨拶してから、4時半頃にABAを出た。英語でのインタビューの難しさは、ある程度覚悟していたのだが、思った以上に有益な情報収集が出来た。
ラッシュ・アワー前に帰宅してしまうことにして、どこにも寄らないでQVBに戻り、293番バス(今日はこの番号に縁がある)で帰宅する。
7時過ぎに、妻と一緒に散歩に出かけ、534番バスのコースでブレンハイム・ロードまで行き、288番バスのコースでノース・ライド・センターへ戻り、そこからはいつものコースで戻ってきた。
帰宅後、買い物し忘れているものがあることが判り、1人でマコーリー・センターのウールワースまで歩いて買物に行く。米と魚などを買い、292番(惜しい!)で帰宅する。
夕食は、息子が作ったサラダと、もやし炒めに、昨日のスープ、そして買ってきた鮪の刺身が並び、けっこう品数がある感じになった。
今日も満腹以上食べてしまった感じだ。
11時過ぎに風呂に入る。そのまま寝てしまったのだが、12時半頃妻に起こされる。風呂から出て、留守宅に電話を入れ、その後も手紙を書いたり、パソコンで作業をしたりしながら未明まで起きていた。
■2002/02/07(Thu)
また本を買う
前夜から5時頃まで起きていたが、それから寝床に戻り、今日も8時過ぎに起きて息子を学校に行かせる。
今日も天気は雨まじりの曇天だ。
妻が午後からチャツウッドで用事があるので、11時過ぎに一緒に出かけ、545番バスでチャツウッドへ行く。先日入った「イン・ライム」に行き、地中海風サラダを昼食にする。ベジマイトつきのパンが添えてあったのはご愛嬌。妻が、メインでとったシーザーサラダとデザートにとったケーキをそれぞれ半分も食べなかったので、ついつい食べてしまい、またまた満腹以上になってしまう。
1時少し前に妻と別れて電車に乗り、タウン・ホール駅で降りてバスに乗り継ぎ、ヘイマーケット付近から歩いて、パワーハウス・ミュージアムに行く。お目当てのフェスティバル・レコード50周年展なる企画展は、正直今一つの感もあったが、なかなか勉強になることも多かった。展示の出口に設けられていた売店で、少し書籍を買う。
今日は、他の展示はパスして、ミュージアムを3時過ぎに出る。歩いてダーリング・パークまで行き、ABAで刊行物を買い、図書室の利用の仕方を説明してもらう。図書室は原則公開ではないが、予約をすれば使えるようになっているそうだ。ちょうど調べ物に来たという感じの女生徒(高校生?)が専門誌などを眺めていた。
ABAを出たのは4時頃。ふと思い立て、ラインハルトのバークロー・ブックスへ行ってみようと思い、QVBまで歩いて、たまたま来たリリーフィールド行きの470番バスに乗る。バスは、想像していたのとはコースが違い、パラマタ・ロードより北の住宅街の中を進んでゆく。結局ノートン・ロードから5分程離れたところでバスを降り、地図を頼りにノートン・ロードへ行く。この辺りは、ごく最近バイパスを作ったところのようだ。ノートン・ロードに辿り着いたものの、その辺りは280番台の番地である。目的の書店は70番地なので、結構距離があるはずだ。きれいな古い郊外という感じの町並みを歩いて南へ下ってゆく。この辺りはイタリア系が多いのだろう、看板などにもそれらしいものが目立つ。既にミュージアムとABAで結構な重さの本を買っているので荷物が重い。途中の店で飲み物を買ってひと休みして、再度歩き始める。
程なく、バークローの入っている2階建てのガラス張りの集合店舗に到着する。バークローはこの建物の左半分を2フロア使っており、1階が新刊書で、2階が古書の売り場になっている。ここにも、探しているマコーリー辞書はない。音楽書などを少し買う。以前コーンストークで見せてもらった19世紀の大版の地理書が、半分以下の値で置いてあった。もちろん、それでも手の出る値ではない。
店を出て、更に重くなった荷を背負いながら、南へ進み続けると、パラマタ・ロードに近い、先日、娘と迷い込んだ辺りに出た。ここからサーキュラー・キー行きのバスに乗る。
バスを証券取引所前で降りて、州立図書館まで歩いて行く。やはり荷が重いので、上り坂になると結構きつい。途中のベンチでしばらく休む。一瞬、街中で山登りをやっているような気分になる。
州立図書館では、マイクロフィッシュから資料をコピーしようとしたのだが、コピー機がどれもこれもすぐに詰まってしまう。結局、十数ページのコピーをしただけで、今日は諦めて帰る事にする。
歩いてウィンヤード駅の先のクラレンス・ストリートのバス停まで行き、290番バスに乗って帰宅。既に8時を回っている。
昼食が大きかったので、夕食はつまみ食い程度で、本格的には食べないことにする。食後、9時過ぎに、妻と散歩に出て、マコーリー・センターへ向かい、ウールワースで飲物などを買って。歩いて戻って来る。昼間と違って荷物がない(軽い)せいか、快適に歩けた。
帰宅後、しばらくパソコンをいじってから、風呂に入ろうと思っていたのだが、けっきょくそのまま12時前に寝てしまう。
■2002/02/08(Fri)
久々に、また落ち込む息子
妻と娘の声で目が覚め、8時過ぎに起床して息子を起す。
昨日までの雨が嘘のように快晴に晴れ上がっている。妻は昨日までに溜まった洗濯物を一挙に洗って物干し台は満艦装になっている。
妻は午前中から大学で用事があるので、9時過ぎに出かけた。遅れて10時過ぎに家を出て、545番バスで研究室へ行く。技官のD氏が休暇中なので、事務員のSさんに研究室への入口を開錠して貰う。もっぱらメールの処理と、簡単なページ更新をやっているうちに、Sさんが昼休みに出る午後1時になってしまった。妻と昼食を一緒に食べようと研究室で待ち合わせていたのだが、入口がロックされるので研究室で待っているわけにはゆかない。作業を止めて、エレベーター・ホールで妻を待つことにする。結局、30分ほどして妻がやって来た。
昼食は、教員クラブの食堂で、シーザー・サラダを食べる。このところ昼食は、ボリュームのあるサラダを取ってそれで済ますことが増えてきた。教員食堂ではSさんも食事をしていた。
Sさんは2時から仕事のはずなので、こちらはゆっくり2時半頃までお茶を飲んで時間を潰し、午後も作業をする妻と別れて、研究室に戻る。ところが、今度はSさんのオフィスが閉まっている。しばらくまたエレベーター・ホールで待っていたのだが、30分ほどしてもまだ彼女は戻ってこない。心当たりも探してみたが、どうやらいないようだ。途方に暮れつつ、4階のメール・ボックスの部屋に行ってみたところ、Sさんがコピー取りをしている最中だった。結局、彼女は作業途中で6階まで来て、入口を開錠してくれた。
既に3時を回っているので、大した作業はできないと覚悟して、やりかけのページ更新をキリがいいところまで進める。
3時半頃に、にわかに雲行きが怪しくなり、雷鳴とともに夕立がやってきた。この時間では、まだ子供たちも戻っていないだろうから、せっかくの洗濯物がびしょぬれになってしまったはずだ。いやはやである。
4時過ぎに妻が研究室に来たので、作業を止めて研究室を出る。
研究室から家に電話をしたところ、娘が出て、洗濯物は取り込めなかった、息子は今期の進級ができなかった、と悪いニュースを2つ知らせてくれた。妻はそれを聞いてすっかりがっかりしている。
歩いてマコーリー・センターへ行き、食料品などを買って、545番バスで帰宅。
洗濯物はまだ外の物干しにかかっていたが、とりあえず明日干しなおすことにして濡れたまま取り込む。
進級できず、すっかり落ち込んでいる息子は、しばらく部屋に籠もっていたのだが、7時過ぎに、不意に1人で家を出て行った。慌てて追いかけて引き止め、妻と2人で外食に行かせる。結局、2人はマコーリー・センターのペント・タイで食事をしてきた。
娘は、すっかりパソコンを占領して遊んでおり、9時過ぎまで食事は要らないと言うので、こちらはカード記入の作業の続きを黙々とする。そうこうしているうちに9時になり、妻と息子がタイ料理のテイクアウェイを持って戻ってきた。娘を促して、パソコンで遊ぶのを止めさせ、お土産のタイ料理と、刺身などで食事を済ませる。
食後はまた満腹ですぐに眠くなり、11時頃に起してもらうよう頼んで、いったん休む。
たまたま作業をしていたこともあって、rage
はほとんど見ないまま録画だけをセットする。しかし、またすぐ眠くなったので寝床に戻る。
深夜3時頃に目が覚めトイレに立ち、録画のテープを交換してまたすぐ寝た。
■2002/02/09(Sat)
ブッシュ・ファイアの跡
朝は妻が娘を土曜学校に送り出す気配で目が覚め、出かけるのを見送った後、寝床に戻る。
天気はよいようで、妻は、昨日の夕立で濡らしてしまった洗濯物を干し直したようだ。
昼少し前に起きて、ありあわせのものをつまみ、昨日から始めたカードへの記入作業を少し進める。こうした作業の常で、いざやってみるとなかなか捗らない。
妻は昼頃に洗濯物を取り込んだ。物干しが空いたので、洗濯機を回し、今日の分の洗濯物を干す。
昼食は、娘の帰宅を待って午後2時近くになる。息子が炒飯などを作ったのだが、菓子類を食べながら作業していたせいか、あまりお腹が空いておらず、サラダだけを食べる。
食後も作業を続けたが、疲れてきたところで作業を止め、久々に、けっこうじっくり時間をかけて庭で芝刈りを押す。今日は雨こそ降らないが、雲が結構出ていて、屋外での作業には適している。結局、前庭や歩道の芝生も含め、ひと通り芝刈りを済ませることが出来た。
午後5時半頃に、妻と一緒に散歩へ出かけ、カートゥーム・ロードからタラヴェラ・ロード沿いに、北側の小路を見て回る。クリスティ・パークに立ち寄ったあと、旧カロデン・ロードに沿って大学の運動場へ行った。旧カロデン・ロードの突き当りの位置で、フェンス沿いに芝を刈り整えた道があるのを見つけ、フェンスの切れ目から外へ出てみた。
この先はレーン・コーヴ川の谷なのだが、道に出てみてすぐに、この一帯が先月はじめのブッシュ・ファイアの場所であることがわかった。黒やこげ茶色に焼かれた木々に、新たに芽吹いた若い緑や黄色の生き生きとした葉の色が混じり、なんとも美しい光景である。そのままブサコ・ロードの方へ少し歩いて見ると、民家に面した斜面にも焼け跡が生々しく残っており、民家に近いところまで火が押し寄せていた様子が伺われた。この道がきれいに刈り払われているのも、消火活動の跡片付けの一環だったのだろう。
もときたルートを戻り、マコーリー・センターに着いたのは7時15分頃だった。ウールワースで、食料品などを買い込み、妻と手分けをして持って、545番バスで帰宅する。
夕食は、息子がサラダとスープにステーキを作ってくれた。
食後は満腹も手伝って、部屋で寝てしまう。rageの始まる頃に息子に起してもらい、少し遅れて録画し始めるが、結局はすぐに眠くなり。また寝床に逆戻りする。
■2002/02/10(Sun)
未踏ルートを散歩
夜中の3時頃に目が覚める。ちょうど録画しているテープが終わりかけていたので、これを交換する。
今日の
rage
はゲストVJがニューオーダー(のうちの男性3人)なので、ついつい見ているうちに、目が冴えてきたので、そのままパソコンに向かい、昨日からアイデアが湧いた新しいウェブページのプロト版を作り出す。
そのまま8時近くまで起きていたのだが、娘が起きてきたので、パソコンを明け渡し、寝床に入る。
再度目覚めたのは11時過ぎだった。
昼食は、息子の用意したサラダなどを食べる。昨日の落ち込みが嘘のように、今日はまた元気が出て来たようだ。
午後はパソコンに向かってページ更新の準備などをする。
4時半頃に、妻と一緒に家を出て、散歩がてらにマコーリー・センターまで歩いて行く。今日は趣向を変えて、パークランズ・ロードをシュリンプトン・クリークまで行き、クリーク沿いのサイクリング・ロードの、まだ歩いていなかった部分を通ってみた。さらに、エッピング・ロードをくぐるところまで行ってから、エッピング・ロードの北側を西へ向かい、地図に記載されていない歩道を抜けてアイヴァンホー・プレイスへ出て、坂を登ってヘリング・ロードに至るという未踏ルートの開発のような散歩になった。
ウールワースで食料品などを買い、結構な荷物になったのを2人で持って、545番バスで帰宅する。
娘には、今日までに、これまでベッドを置いて占領していた部屋を撤収するように行っていたのだが、いよいよ全部が、妻と一緒に寝室に戻ることになった。こちらもぼちぼち、居間に散らかっているものの整頓を始めなければいけない。
夕食は、息子が用意したカレーとサラダがメインだった。
またまた食後は満腹ですぐ休む。
11時少し前に、実家から電話があったと息子が起こしにきたので起き上がり、電話を入れる。確定申告の用紙の書式が変わったそうで、申告の代行を頼んでいた父がいろいろ面食らっているようだった。
そのまま寝そびれて、まだ起きている妻とラジオを聞いていたら、思いがけずレニ・リーフェンシュタールの肉声を聞いた。99歳になったそうで、映画『レニ』の中で紹介されていた海中撮影の作品が、いよいよ仕上げの段階に入っているそうだ。本当に驚くべき女性である。
パソコンに向かっているうちに3時を回り、寝床に入る。
■2002/02/11(Mon)
ラジオを聴きながら
朝は、息子が起きないという妻の声で目がさめ、さっそく起き出して、息子を起す。娘は既に学校に行っている。
進級できず再度同じレベルをしなければいけないタームの最初の日(出席はカウントしない)とあって、息子は出かけたくないと渋るが、何とか叩き起こして仕度をさせる。
妻も用事で出かけ、1人になってからしばらくパソコンに向かう。10時過ぎに家を出て、506番バスで大学へ向かう。Sさんに区画のドアを開けてもらい研究室でページの更新作業などを進める。また、何本かメールを発信する。
やや遅めの午後2時頃に、昼食をとるため研究室を出る。お昼頃から、休暇中のD氏ではない、別の職員が出勤しているようで、研究室のある区画への入口は普段のように開放されていた。昼食は、教員クラブの食堂でシーザー・サラダと紅茶をとる。食後は、研究室に戻ってラジオを聞きながら原稿の見直しを進める。コミュニティFMの2RRRで日本語の番組があるのを途中から聴いた。その後はウェブ経由でBondiFMをしばらく聴く。そうこうしているうちににわかに激しい雨が降り出し、あわてて窓を閉める。
午後4時半過ぎに研究室を出て、506番バスで帰宅する。家に近づくと、娘が手を振っている。今日は鍵を持たずに出たのだが、先に帰宅しているはずの息子が寝込んでしまっているのか鍵を開けてくれなかったらしい。
今日は、妻の帰宅が遅いので、夕食は子供たちと3人でとることになるのだが、子供たちは余りお腹が減っていないのか、おやつにおかきなどを食べ過ぎているのか、夕食は今日も遅めになる。パソコンを子供たちに占領されている間、ここ数週間に録画したビデオの整理などをする。
このところ昼下がりに激しい雨が降るというパターンなので、出かける前に洗濯物を干して放置したのでは、帰ってきた頃にはまたびしょびしょになってしまう。一晩干してみて午前中遅くに家を出るときに取り入れてみようと思い、夕方から洗濯機を回し、洗濯物を干す。
夕食は、9時頃、私と息子は昨日のカレーを温め、再びカレーライスを食べる。娘はカレーが嫌だというので、自分でベーコンともやしの炒め物を作らせる。
食後は例によって満腹で眠くなったのだが、しばらく頑張って起きていた。しかし結局は椅子でこっくりするような状態になり、10時少し過ぎに、寝床に入り、そのまま起きなかった。
■2002/02/12(Tue)
パラマタへ
前夜、妻の帰宅前に早々と寝てしまったせいか、夜中にトイレに立つ。居間の明かりがついているので、覗いてみると、なんと午前4時だというのに娘が起きていてパソコンをいじっているではないか。しかも私の顔を見るなり、これから寝るから5時に起こしてくれという。寝床に戻るわけにも行かなくなり、床の上で掛け布団に包まって寝始めた娘を尻目に、原稿の見直し作業を始める。
5時になって娘に声をかけるが、どうも起きそうにない、しばらく放置することにして、テレビをつけ5時15分からSBSでNHKニュースを見る。冬季五輪関係は放映権の都合で流せないそうで、いつもより短い15分足らずのニュースだったが、医療費負担問題などが報じられていた。
6時頃にようやく娘を起こした。妻も起きてきて、今日、娘の学校で行われる旧正月のイベント用にちらし寿司を作り始める。結局、娘を送り出してから、息子をいつものように起こし、少し遅れて娘の学校へ行く妻も見送って、9時半過ぎ頃、ようやく1人で落ち着いた。
雲行きがハッキリしない曇天なので、前夜から干したままにしてある洗濯物は、もうしばらくして取り込んでから出かけることにする。
今日は、午後1時に、D氏と西シドニー大学のパラマタ・キャンパスで会うことになっている。11時過ぎに洗濯物を取り込んでから家を出て、506番バスで大学へ行き、研究室でメールをチェックする。昨晩から、プロバイダのアクセス窓口になっている電話番号が落ちていて、自宅ではメールの確認もできなくなっているのである。
12時頃に研究室を出て、AFTRSの前のバス停で545番バスに乗り、パラマタへと向かう。ところが、ルートを思い違いしていたようで、パラマタ・ロードに出たところで、既に大学を通り過ぎた形になっていることに気付いた。慌てて最初のバス停で降り、パラマタ・ロードを東へ進んで、キャンパスへ向かった。
約束の図書館に辿り着いたのは1時25分で、既にD氏はそこを離れていた。カウンターに出ていた司書に、D氏らしい人物が待っていたことを教えてもらい、しばらくそこに居たが、D氏が戻って来る気配はない。司書にカフェを見たらどうかと勧められ、正門から図書館へ行くルートの途中にあるカフェへ回ってみると、D氏が外の席で待っていた。
久し振りの雑談をゆっくりして、用事も簡単に済ませ、さらに、ひと回りキャンパス内を案内してもらう。西シドニー大学のパラマタ・キャンパスは、もともと病院があったところで、キャンパス内に残る古い建物はほとんどが保護・保存の対象となっている。パラマタ川に面した最も古い一角には、19世紀半ばに、当初は孤児病院として建てられた建物が補修され、残されている。20世紀に入ってからは、現在のキャパス全体が、精神病院として使われた期間が長かったようだ。
帰りは3時過ぎにD氏の車でキャンパスを出て、パラマタ駅のはずれまで送ってもらう。模型屋を冷やかして、航空雑誌の古いバック・ナンバーを2冊買う。そのまま帰宅しても良かったのだが、まだ時間に余裕があったので、電車でセント・レナーズまで行き、郵便局に立ち寄ってから、バスでクロウズ・ネストへ行き、古本屋を覗く。手元の書店ガイドとは、店の名前などが違っていたが、なかなかよい雰囲気の古書店だった。5時閉店のはずの店に、5時少し前に到着したのだが、そのまま5時半頃までゆっくり店内を見て、本を買い店を出たら5時半頃になっていた。結局290番バスで帰宅したのは6時過ぎだった。
ひと休みしてから、妻と散歩に出ることになり、6時半を過ぎた頃、家を出る。まず、少し遠回りをしてケント・ロードまで行き、シュリンプトン・クリーク沿いの道を辿ってウォータールー・ロードまで北上した。
マコーリー・センターでは、ウールワースで食料品や飲み物を買った。買物のタイミングが少し悪く、ちょうどしばらくバスが来ない時間帯にあたってしまった。バス停前のベンチで、妻と雑談をしながらバスを待つ。
帰宅は8時半頃。今日の夕飯は、ここ数日の残り物など、ありあわせの物で済ますことになる。しかし、例によって満腹になると眠たくなるので、10時前には仮眠のつもりで寝床に入った。そのまま就寝。
■2002/02/13(Wed)
CBAA訪問
朝は、娘と妻が起きている気配で目が覚めるが、しばらく寝床で朦朧としていた。それでも7時40分頃には起き出す。
今日も天気は芳しくなく、朝からしとしと雨が降っている。
娘が出発してから、息子を起しはじめ、今日もチャツウッドへ出かける妻を送り出してから、まだぐずぐずしている息子を追い立てるように学校へ行かせる。
今日は、11時にCBAA(オーストラリア・コミュニティ放送連盟)へ行くことになっているので、9時40分頃家を出てシティへ向かおうとしたのだが、折悪しく土砂降り状態だった。しかし、これ以上待てないと思い、ハットとパーカーを身につけて、バス停まで歩いて行く。292番バスでシティへ向かい、ウィンヤードでバスを降りて、電車でレッドファーン駅まで行く。幸い、この頃には、雨も随分弱くなっていた。
レッドファーン駅から歩いてCBAAのオフィスまで辿り着いたのは、10時35分頃だった。まだ少し早いので、近所の食堂「フィリング・ギャロー」(「満腹食堂」といった感じ)で、パスタと紅茶をとってブランチにする。
11時ちょうどになるのを見計らって、CBAAのオフィスへ行き、約束をもらっていたCさんとたっぷり話をする。12時半頃まで、昼食時間を犠牲にしてまで対応してもらえたのは、本当にありがたかった。その後、関連する部局のことで、J氏からも簡単に説明を受け、12時45分頃にオフィスを辞した。資料もたくさん入手でき、有意義な訪問になった。
近くのバス停で、レールウェイ・スクエア行きのバスに乗ったのだが、途中のクリーヴランド・ストリート近くで下車し、サリー・ヒルズ・モールの先まで歩いて行く。目的地は、そこにあるはずの古本屋だったのだが、その番地へ行ってみると、既に古本屋はなくなっていた。移転か廃業かはわからない。そのまま帰るのも癪なので、ショッピング・モールのニュースエージェントで、エスニック紙を何種類か買い求める。時間を見ると1時半頃だった。娘の下校時間に間に合うと思い、チャツウッド駅へ行くことにする。
ショッピング・モールを出てすぐのバス停から、バスに乗り、セントラル駅の南東口で降りて、電車に乗り継ぐ。チャツウッド駅には3時少し前に到着した。
今日は、下校した後、チャツウッドの駅でバスの回数券を買うよう娘に言ってあったので、駅西口の階段のところで待つことにする。結局、3時半頃に、娘は駅に現われた。
回数券を買わせ、財布を買い、さらに東口側へお茶を飲みに行き、一回りしてから駅西口に戻った。ちょうど534番が止まっていたので、わざわざ家の近くの交差点を通るか、運転手に確認すると、通るというのでこれに乗ることにする。534番バスは、便によって経由地が違い、わが家の近くを通らない便もけっこうある。
ところが、ウイックス・ロードまで来て、そろそろエッピング・ロードに戻るかなと思っていると、バスは左折して南下し始めた。これでは、話が違う。結局、コックス・ロードのところでバスを降りて、そこから家まで歩くことになった。
途中、ノース・ライド・センターの「ディープ・シー・フード」でフィッシュ・アンド・チップスを買い、銀行の用事などを済ませて、帰宅する。既に時間は5時になっていた。家では娘が帰ってこないということで、妻が随分心配していたようだ。途中で電話すべきだったと反省。
せっかくだから、温かいうちにということになり、皆でフィッシュ・アンド・チップスを食べる。食後、5時半頃に妻と一緒に家を出て、レーン・コーヴ・ロードを北上し、ウェスト・ピンブルのクーリンガイ・バイセンテニアル公園まで散歩に行く。帰路は、マコーリー・センターまで行き、ウールワースで買い物をして、「カフェエクストラ」でコーヒーを飲んで、8時過ぎの292番バスで帰宅した。
散歩に出ている間、パソコンを使っていた娘に、パソコンを明け渡させ、作業を少しする。相変らず、プロバイダには接続できない。妻は先に寝たが、息子は1時過ぎまで起きていた。息子も部屋に入った後、さらに作業を続け、2時過ぎに休む。
■2002/02/14(Thu)
髭と髪を少し切る
どうしたわけか、朝は6時半過ぎに目がさめ、起きてみると娘がパソコンに向かっていた。まだ眠いような、寝づらいような妙な感じだったので、熱めの風呂を立て、しばらく桶の中でゆっくりする。髭と髪を少し切ることにして、結局、30分以上風呂にこもっていた。
風呂から上がると、妻が起きていて、娘の朝食と弁当を作っている。前夜に息子が作っていた豆腐の味噌汁も温めて、3人で朝食をとってから、7時40分頃に娘が出かけ、午前中ずっと大学で実習のある妻も、8時前に出かけた。その後、息子を起こして、学校へ行かせる。
息子も出かけて1人になってから、パソコンで作業をはじめる。午前中のうちに、いつくか電話をかけ、昼前に家を出て545番バスで大学へ向かう。研究室へ行こうと、6階まで上がってきたら、ちょうど午前中の実習を済ませた妻が来たところだった。研究室に入り、しばらくメールのチェックなどをしてから、一緒にマコーリー・センターまで昼食をとりに行く。フード・コートで「バンブー・ガーデン」の中華料理をとり、食後はボーダーズまで行って、ゆっくりカフェオレを飲む。1冊2ドルの山から昔のアニメ「マッハ555」(英題は
Speed
Racer)の本(30周年記念公式出版だそうな)などを見つけて買う。
3時過ぎに妻をバス停で見送り、自分も506番バスに乗って研究室に戻る。久々にG君が研究室に来ていた。新学期の履修登録の業務に動員されていたらしい。結局そのまま、5時過ぎまで研究室で作業していた。
帰宅後、しばらく芝刈り器を押したのだが、まだ陽があったせいか、思いのほかばててしまい、風呂に入ってしばらくぼんやりする。妻が娘の勉強の相手をしているうちに、散歩に出かける機会を失ってしまったので、8時過ぎにちょっと休むつもりで寝床に横になった。
結局そのまま深夜0時半頃まで寝床で寝ていた。
■2002/02/15(Fri)
女王在位50周年記念切手
前夜早くに妙な時間に寝てしまったため、夜中の0時半過ぎに、ちょうど妻と息子が寝床に行くのと入れ替わりに、起きる。ゆっくりパソコンが使えるのをいいことに、しばらくゲームに没頭する。その後は手書きで出す手紙1通を書いてから、メールも何通か書く。
そうこうしているうちに午前4時半頃になり、また眠くなったので、気が変わる前に寝てしまうことにして寝床に入る。
朝7時半頃、妻と娘の起きている気配で再び目が覚め、昨日と同じように娘、妻、息子の順に送り出す。今日は雲もあるが、青空が広がっているので、洗濯機を回すことにする。
午前中に、ASTRAなどに電話を入れる。
1人で家にいてずっと作業をするというのは、余りあることではない。途中で、お茶にしたり、食事をしたりしながら、なんとなくだらだらしたペースになってしまう。
午後3時を回ってから、銀行などの用を足しにマコーリー・センターまで、545番バスで行く。レンタル家具の賃料を振り込むのも、今回が最後である。郵便局では、エリザベス女王の在位50周年記念切手を売っていたので、発送しなければいけない郵便物には、これを買って貼り、投函してきた。ウールワースで西瓜などを買い、459番バスで4時過ぎに戻ってみると、娘が学校から帰ってきていた。
その後、息子と妻が戻って来る。
今日は、妻は外回りで疲れているようで、散歩には行かないという。近くまで散歩に行こうと思い、8時近くになってから1人で、地元紙に載っていた市議会議員の不正疑惑の舞台になった、ケント・ロードの家を見に行く。
夕食は、妻と息子がいろいろ大量に料理を作る。グラタン、サラダ、鮭の入った炒めご飯など、とても食べきれない。サラダを中心にかなりの量を食べたが、それでも随分残ってしまった。
食後は、また満腹で寝床に入り、11時過ぎに息子に起こしてもらう。
今日の
rage
は深夜0時からなので、ビデオをセットしてすぐにまた寝床に戻った。
■2002/02/16(Sat)
ロックスでシャツを買う
未明にトイレに立つとまだ午前6時頃なのに、娘が起きていて、土曜学校に出かける準備をしている。一緒に回数券を買いがてら見送ることにして、7時過ぎに起こすよう言いつけて寝床に戻ったのだが、結局、起こさなかったのか、起きなかったのか、9時半頃に目覚めた時には、もちろん娘は出かけた後だった。
昨夜のスープなどでブランチを済ませ、居間の片づけに少しだけ手をつける。
今日は、1人で買物に出かけようと思い、1時少し前に家を出て、バス停に向かったのだが、もう少しというところで290番が行ってしまった。次にきた545番バスに乗りチャツウッドへ行き、ここから電車でウィンヤードまで行く。ウィンヤード駅から歩いて、ロックスのブリッジクライムの事務所へ行き、来客と娘のツアーの予約を。しばらくぶりにクレジット・カードを使う。もう銀行の残高があまりないので、これから帰国までは、まとまった金額はクレジット・カードで支払うことが多くなるだろう。
ロックスのジョージ・ストリートまで降りて、マンボのシャツを扱っている店で、妹のリクエストに見合う品を探す。店内には、修学旅行の高校生らしい女の子たちが買物に来ていて、日本人の店員が丁寧な感じで対応している。しばらく店内を見ていたら、その店員が英語で話し掛けてきたので、つい英語で応えてしまい、そのまま英語でやり取りしながらTシャツ3枚を買う羽目になった。
ロックスからジョージ・ストリートを南下するバスに乗り、タウン・ホール前でいったん下車して、改めて431番バスでグリーブへ行く。小学校のマーケットで本屋をひやかし、サッフォーとグリーブックスを回って、再びバスでサーキュラー・キーまで戻り、別のバスでコロニアル・ビルディングの前まで行き、そこから歩いて州立図書館へ行く。
しかし、たどり着いてみると、図書館は閉まっていた。時間を見ると5時を少し回ったところだ。週末は4時で閉まってしまうということが頭に入っていなかった。拍子抜けしたせいか、どっと疲れてしまい、QVBまで歩いて戻る気がなくなる。少しだけ歩いてマーチン・プレイス駅まで行き、タウン・ホール駅まで1駅だけ乗って、QVBから290番バスで帰宅する。
折悪しく、途中から激しい雨になり、マコーリー・センターまでそのまま乗っ行こうかとも考えたのだが、ちょっと小降りになったように思ったので、いつものバス停で降りることにした。ところが、バス停に降り立ったところで、運悪く土砂降りになってしまった。走って家まで戻ったのだが、下着までびっしょりになってしまい、着ているものを全部洗濯機に放り込んで、風呂に入る。マンボで商品を入れてもらった袋がしっかりしていたお陰で、本なども濡らさずにすんだのが、せめてもの救いである。
雨が上がるのを待って、8時頃に散歩をかねて妻と買物に出かける。歩いてマコーリー・センターまで行き、食品などを買う。帰りは545番バスで帰宅。
夕食は、昨夜の残り物などをいろいろ食べる。
今夜の
rage
は深夜0時半頃からなので、それまで菓子をかじりながら起きていて、ビデオで録画を始めてからすぐに床に就く。
■2002/02/17(Sun)
機嫌の悪い日曜
10時半頃に起床。既に、家族は皆起きている。ブランチ代わりに菓子類と飲み物を食べる。
今日は、曇天の天気のせいもあるのか、自分を含めどうも全員の機嫌が悪い。些細なことで、喧嘩腰になられるのでこちらもついつい意地を張る。嫌気がさして、昼過ぎには1人で買物に出かける。マコーリー・センターまで、歩いて行き、ビッグWで安物の電気ポット、ウールワースで飲物などを買い、545番バスで帰宅する。
今週末に来客があるので、妻はバスルームを隅々まで磨き上げる。こちらも、録画しかけてそのままになっているテープの中味を確かめたり、だらだらと作業を続けながら、居間に広がった自分の資料や本などを、整理する。パソコンは娘がずっと占領しているのだが、必要に応じて時々引き渡すようにさせて、あとは放って置く。
今日はどんより曇っているのだが、けっこう蒸し暑く感じられる。窓を開ければ風が入ってくるのだが、網戸があるのは玄関だけなので、窓を開けたいところだが、蚊などの虫が入ってこないようにするためには開ける訳にいかない。結局、エアコンで冷房した居間に皆が集ることになる。その結果、寒すぎる、まだ暑い、といってはもめることになる。
午後遅くから、息子と妻はそれぞれ自室で昼寝をする。そのうち娘が夕食にするといって、マッシュ・ポテトを自分で作り出した。やがて妻が起きてきて、夕食にスパゲティ・ミートソースを作る。息子も起こして皆で食事をとってから、息子が昼寝の前に湯を張った風呂に入り、しばらくうとうとしていたのだが、その間に天気は雨になった。風呂から上がって、スパゲティの残りを食べる。ようやく9時過ぎ頃に、居間の片づけをひと通り終える。10時頃には、パソコンを持って自室に入り、少し作業をしようと思ったのだがすぐ寝てしまう。
■2002/02/18(Mon)
ページ更新作業
未明の5時にトイレに立ち、そのまましばらくパソコンをいじり、SBSでNHKニュースを見る。ところが、冬季五輪関係のニュースがなくて短いうえ、なぜかオリジナルの副音声である英語での放送になっている。どういうことだろう。これでも日本語放送になるのだろうか。
そのまま、パソコンに向かい、数日分溜まっていた日記を書く。
週末以来、大学のサーバが不調で、いつものように行かないことが多いのだが、アップロードが出来ない状態が続いているので実に困る。日記も、アップロードできないためにちゃんと書いていなかったのだが、忘れないうちにどんどん書くことにする。
6時40分頃妻が起きてきて、娘の弁当の仕度を始めた。昨日ほどではないが、今朝は断続的に雨が降っている。朝食は、妻が作った、吸い物風の卵スープとごはん。
妻は今日、午前中からチャツウッドなどで用事があり、帰りは夜遅くなる。娘を送り出した後から、妻も出かけ、それから息子を起こして学校へ行かせる。
昼少し前に、雨が小止みになったのを捉えて家を出て、545番バスでマコーリー・センターへ向かい、郵便物を発送する。506番バスで大学まで行き、ページの更新などをする。先週末に東経大のサーバが不調になり、復旧した後、なぜか自宅からのダイヤルアップではページ更新が出来ない状態になっている。溜まっていたページの更新作業をまとめて済ませる。
2時少し前に研究室を出て、マコーリー・センターへ544番バスで行き、ウールワースで米などを買って、506番バスで帰宅する。ところが、何たることか、途中で居眠りをしてしまい、結局重い荷物を背負い、かつ抱えて、コックス・ロードの角から自宅まで歩いて戻る羽目になった。雨が上がっていて助かった。
帰宅後、自分の好物だが家族の誰もまずいといって食べてくれない、セロリ入りのトマトスープを作る。そうこうしていると、娘と息子が戻ってきた。夕食は、自分はトマト・スープなどを食べ、子供達2人は息子が作ったステーキやスープなどを食べた。夕方からは、議会中継を聞くとはなしに聞いていたのだが、ちょうど新任議員の自己紹介を兼ねたような演説が行われる時期らしく、それぞれの新任議員がいろいろな抱負を述べているのが、なかなか面白かった。
妻は10時過ぎに帰宅。息子のスープなどで食事をする。
今日も、先に寝ることにして11時前には床に就いた。
■2002/02/19(Tue)
人生は野菜スープ
朝は8時に、息子を起こしてくれという妻の声で起こされる。息子に声をかけ、いつものように20分頃起こすように言い、パソコンに向かう。今日も妻はチャツウッドへ行くので、すぐに家を出た。8時20分頃息子を起こしたのだが、例によって準備が遅い。少し目を離しているうちに、何だかんだとだらだらしていて、いつもの定刻には遅刻だが出欠には何とか間に合うというバスにも間に合わない時間になり、結局9時を回ってから、完全に遅刻で出かけていった。
朝食は、昨夜作ったトマト・スープを食べる。
午前中は、引越しの関係で、オーストラリア日通や、電気・ガス・電話の会社などに電話を入れる。また、メールを随分たくさん書いた。午前中は結構雲があって、陽射しが弱い。ひょっとすると午後は雨になるかもしれないと思いながら、作業に飽きると庭の芝刈りをする、というパターンを数回繰り返した。
遅くなった昼食は、息子が昨夜作った野菜スープを食べる。
午後になってから出かけようかと思っていたのだが、ついテレビを見たりして出そびれ、結局4時少し前に、娘、息子、妻が相次いで帰ってきてから、4時過ぎに家を出る。
506番バスでシティへ向かった。明日、出かけるグレイズヴィル辺りへ行くのにどこで降りればよいかを見極めようとしたのだが、結局、506番は目的地とは少々ずれたコースを走っていることが分かる。
サーキュラー・キーまで行き、適当に乗り換えてコロニアル・ビルディング前で下車し、州立図書館へ行く。既に6時近くになっていた。今日は湿度が高くないせいか、順調にマイクロフィッシュからのコピーが取れる。ひと通りマイクロフィッシュの作業を終えてから、ミッチェル図書館へ移動し、古いストリート・ディレクトリーについて司書からいろいろ教えてもらう。
図書館の閉館は9時だが、8時45分頃に、作業の区切りがついたので、帰途に着く。QVBまで歩いて戻り、9時7分の288番バスに乗り、レーン・コーブ・ロードで下車して家まで歩く。
帰宅後、息子が今日作り足したという野菜スープを食べる。具沢山に作ってあるので、これだけで食べ応えがある。結局3杯食べて満腹になり、11時頃には床に就く。
■2002/02/20(Wed)
コミュニティ局訪問
夜中の2時半にトイレに立ち、そのまま1時間あまりパソコンをいじる。相変らずダイヤルアップでページの更新が出来ない。4時前に再び床に就く。7時半頃起きて、チャツウッドへ行く娘と妻を見送った後、息子を起こして学校へ行かせる。
洗濯機を回して洗濯物を干し、しばらくパソコンで作業をする。
11時になってから、家を出て506番バスで大学へ行き、1時間ちょっとページ更新作業などをして、また506番バスで1時少し前に帰宅する。洗濯物を取り込んでから再度出かけ、グレーズビルとハンターズ・ヒルの境にある2RRRへ向う。いったん459番バスでトップ・ライドへ行き、古本屋に立ち寄ってから、515番バスでハンターズ・コテージへ行く。2RRRには、約束の2時ちょうどに到着した。
2RRRはコミュニティ局だが、それにしてもラジオ局があるとはちょっと思えないような、現在はハンターズ・ヒル市が文化財として管理している歴史的な建物の中に入っている。どういう仕掛けになっているのか詳しくは聞きそびれたが、アンテナの類もまったくない。2RRRでは、ちょうど居合わせたボランティアの男性と、現在唯一の有給スタッフという女性に話を聞く。結局、再来週の金曜日に再度訪問することにして3時15分頃に局を出た。
ヴィクトリア・ロードのバス停から、シティ方面へ行くバスに乗ってタウン・ホール駅へ行き、明日からのトラベル・パスを買う。
そのままQVBから288番バスでピットウォーター・ロードの手前まで行き、ここで290番に乗り換えて帰宅。
夕食は久しぶりにイーストウッドの「ファゲ」に行くことにして、7時過ぎに全員で家を出て545番バスでイーストウッドへ行く。「ファゲ」は、壁のメニューが新しい写真入のものになってさっぱりした感じになっていた。
9時のバスに間に合うタイミングで食べ終わり、店を出てすぐバスに乗って帰宅。
満腹を抱えてすぐ寝てしまう。
■2002/02/21(Thu)
有料放送業界のコンベンション
今日は、有料放送業界のコンベンションASTRA2002の初日で、いつもより早く出かけなければならない。8時少し前から息子を起こしいつもより20分くらい早いペースで仕度させる。娘に続いて、今日は大学で実習がある妻が出かけ、最後に息子と一緒に8時半頃に家を出る。
フリーウェイ経由のバスが来たので、とりあえず息子も一緒に乗せて、渋滞の中をレーン・コーヴまで行き、ここで息子と別れる。
コンベンションの会場であるダーリング・ハーバーのドックサイドに着いたのは、9時15分頃だったが、ちょうど、有料テレビ大手3社のCEOが一堂に会したセッションが始まったところだった。必死で耳を傾ける。学会ではない、こうした業界の比較的小規模で密度が高いコンベンション(参加者は四百名ちょっとらしい)を経験するのは海外では初めてだ。英語になかなかついてゆけずアップアップしながら、とにかく少しでも理解しようとメモをとる。
昼食時に、事務局のVさんが、ナローキャスティング会社のA氏を紹介してくれ、有意義な話しを聞けた。
午後は、たまたま関心があまり湧かない分野の並んだ分科会の時間があったので、いったん会場を出て、歩いてジョージ・ストリートへ行き、古本屋を冷やかしてから、州教育庁の窓口へ回って問い合わせをする。1時間ちょっとで会場に戻り、次の時間帯の分科会では、行政側の課題などをいろいろ聞く。この会場では、分科会終了後、来月面会することになっているABAのM氏としばらく話せた。
分科会の後、飲み物と軽食の情報交換の場が設けられていたのだが、これはパスして帰宅することにする。歩いてQVBまで戻り、290番バスで帰宅。
夜8時少し前になってから、1人で散歩をかねてマコーリー・センターまで行き、ウールワースで飲物などを買う。結局、帰りも歩き9時頃帰宅
明日から来客が2人やって来るので、息子に部屋を片づけさせる。
■2002/02/22(Fri)
いろいろバタバタ
今日は、来客2人(Aさん、Nさん)を空港まで出迎えた上、ASTRAの第二日のセッションにも行かなければならない。なかなか忙しい日だ。
朝は6時半頃に起床。既に娘が起きていて、パソコンで遊んでいる。娘に簡単なサンドイッチの弁当を作る。
今日は、9時頃から午後2時過ぎまで、組合集会の関係でバスが止まる日だ。息子は昼にアルティモのUTSまでIELTSのテストを受けに行くのだが、朝のうちに移動させなければならない。いつもより1時間以上早い7時頃から、無理やり起こし始める。娘に続いて、大学へ実習に行く妻が出かけ、7時半頃に息子と家を出る。
バス停でシティへ向う便を待ったのだが、定刻を10以上過ぎても来る気配が無い。ようやくやって来たミルソンズ・ポイント行きに乗り、大渋滞の中をセント・レナーズまでたどり着いて、ここから電車に乗る。セントラル駅で下車して、息子をアルティモ方面へ向わせ、再度電車で空港国際ターミナル駅へ行く。
空港に着いたのは9時頃で、何とか間に合ったのだが、例によって出口が二つある所へ鈴なりの出迎え人という状態で、出て見たのを見落としてしまった。しばらくしてから、ロビーでこちらを探しているNさんを発見し、事なきを得た。
さっそく、電車でタウン・ホール駅まで戻り、駅の荷物預かり窓口にスーツケースを預け、QVBの「ジェット・カフェ」でひと休みする。11時過ぎに店を出て、歩いてダーリング・ハーバーのモノレール駅まで行きここで来客2人と別れ、ASTRA2002の会場へ行く。
今日のラジオのセッションは、話しての話し方がかなり自然で、ジャーゴンもあるせいか、結構ついてゆけなかった。ただし、資料は収穫だった。
会場を2時過ぎに出て、待ち合わせている4時過ぎまでの時間の潰し方を考え、書店めぐりをすることにした。歩いてクラレンス・ストリートへ行き、さらに、ジョージ・ストリート、リバプール・ストリート、ピット・ストリートと歩いて、3時40分頃と「ジェット・カフェ」に戻り、お茶を飲みながらのんびり新聞を読んで2人を待つことにする。
ところが、約束の4時10分をだいぶ過ぎても2人は現れない。荷物預かり窓口は4時40分で閉まってしまうのだが、4時半を過ぎても一向に現れる気配がない。自宅に電話を入れてみたが、何の連絡も来ていないという。そのまま待っていたら、5時10分頃に店の入口近くに2人が現れた。慌てて席を立ってみると、荷物もちゃんと持っている。本当にほっとした。2人は空港で時計を合わせるときに時差を1時間と思い込んでいて、ちょうど約束どおりに来たつもりだったのだ。幸運だったのは、荷物の窓口が、5時近くまで開いていたことだろう。
さっそく自宅へ荷物を置きに行くことにして、292番バスに乗り込んだのだが、バスの荷物置きのスペースにスーツケースを乗せようとしたら、なんとAさんのスーツケースの取っ手が壊れてしまった。いきなり初日に来客の持ち物を壊してしまうとは、何とも情けない。
そのまま6時頃帰宅。家族は3人とも既に帰宅していた。留守中に日通が第2便用の梱包材を持ってきていたが、電話で頼んだのと内容が違っていた。どうしよう。
しばらくひと休みして、シャワーを浴びてから、7時過ぎに再度2人とシティへ出かける。ジョージ・ストリートの古本屋に先ず行き、それからバスを乗り継いでニュータウンのグールズとコーンストークを回る。グールズでは、(旧)放送法の解説書などを買う。コーンストークでは、いつもはグリーブの店にいる親父がいて、こちらの顔を見るなり、これはどうだといって、戦後間もない頃のシドニー湾の案内書10ドルを出してきた。もちろん購入する。
ニュータウン駅からセント・ジェームズ駅まで電車に乗り、そこからバスでオックスフォード・ストリート方面へ行こうとしたのだが、パーク・ストリートへ行くバスに間違って乗ってしまい、途中から歩いてオックスフォード・ストリートへ出る。もう10時を回っていて、この辺りのレストランは閉まり始めているが、サイゴン・ベイが開いていた(ぎりぎりだった)ので、ワニの生姜焼きなどを食べる。
帰りは、あたりを眺めながら、だらだらとQVBまで歩いて戻った。QVBへ着いたのは12時40分頃だったが、ちょうど290番バスが1時10分にあるので、それまで時間を潰しに、今日3回目の「ジェット・カフェ」に入る。
帰宅したのは2時少し前で、息子は今の床の上で寝ていた。来客2人が風呂に入っている間、しばらくメールチェックなどをして、3時前に床に就く。
■2002/02/23(Sat)
来客とロックスへ
朝は9時過ぎに起きたが、娘は土曜学校、息子はIELTSの2日目で、既に出かけている。妻は、今日も体調が悪い。午前中は、洗濯などをして、風呂に入る。ゆっくり起きてきた来客2人がブランチを食べてから、11時半頃に一緒に家を出る。娘の土曜学校があるカマリーまで迎えに行くのには間に合わないタイミングになってしまったが、ミルソンズ・ポイント行きのバスに乗ってヴィクトリア・クロスまで行き、ここのバス停で、娘が乗ってきた201番バスを止め、娘を下車させる。
ここから一緒に北シドニー駅へ行き、ミルソンズ・ポイント駅まで1駅だけ電車に乗り、ハーバー・ブリッジを歩いて渡る。ロックへ降りて、ハンナズ・プレイスなどを回ってから、アーガイルの倉庫跡のイーガンの作品を扱っているギャラリーで、娘にTシャツを買う。広場に面したイタリア料理店で昼食をとり、例によってブッシェルズ・プレイスでこちらがお茶を飲んでいる間に、マーケットを見に行ってもらう。
その後、ケン・ドーン・ギャラリー、ツーリスト・インフォメーション、現代美術館、旧税関と回ってから免税店DFSギャラリーを覗きに行く2人といったん別れ、バスでQVBまで娘と一緒に行って、バスに乗せ、先に帰宅させる。
6時にDFSの前で再度2人に合流し、バスでグリーブまで行き、カフェに入って紅茶とケーキを食べる。その後、8時半頃に、再度バスでQVBまで戻り、「スープ・プラス」でゼニス・ジャズ・アンド・ブルース・バンドという、全員60歳台以上と思しき6人編成のニューオリンズ・ジャズのバンドを聞く。トランペットの親父は、サッチモばりのだみ声ですっかりなりきっているという感じだ(アームストロングはハーモニカは吹かなかったよう思うが)。途中では、トランペット、トロンボーン、クラリネットの3人でセカンド・ラインよろしく列になって店内を回るという場面もあった。メインのランプ・ステーキを食べてから、デザートにケーキをもらおうとしたら、なんと品切れ。結局、代わりにスープをもらった。
途中の休憩時にQVBまで行ってバスの時間を確かめた。3回目のステージの途中の11時40分頃に店を出て、QVBまで歩き、11時52分の290番バスで帰宅した。
息子は、食堂で寝るつもりになっていたのだが、今夜からは、こちらの寝室で寝るように言う。その後、夜中にガソリン・スタンドまで買物に行った息子が戻るを待って、こちらも就寝。
■2002/02/24(Sun)
オン・ザ・ビーチ
8時少し前に起床。娘がもう起きていてパソコンで遊んでいる。
今朝は、Hさんが日本から到着する。出迎えには行かないが、連絡があるかもしれないと思い、10時過ぎまで洗濯をしたり、パソコンで作業をしたりしながら家にいた。
10時過ぎに1人で家を出て、徒歩でマコーリー・センターまで往復し、飲み物と電球などを買って来る。
一昨日のベトナム料理の残りをブランチにしてから、12時半頃、来客2人と一緒に出かける。
ところが、十分早めにバス停に着いたのに、来るはずのシティ行きのバスが来ない。仕方なく、20分ほどしてから来た545番バスでチャツウッドへ行く。駅の古レコード屋を冷やかしてから、電車でウィンヤード駅まで行き、サーキュラー・キー行きのバスに乗り、さらにボンダイ・ビーチへ行く381番バスに乗り継いだ。
最初はパディントンのマーケットへ行こうという話だったのだが、マーケットが休みだったので、そのままバスを降りずに終点のボンダイ・ビーチまで行く。
家を出た頃は、曇り気味だったのだが、ボンダイ・ビーチではきれいに晴れていた。
まず小学校のマーケットに行き、各自でしばらく勝手に見て回る。いつものように、木陰の古着屋で5ドルのラックからTシャツなど8着を選ぶ。4時少し前に小学校を出て、キャンパル・パレードをだらだら歩いて、アストラの前まで行く。途中で「ニギトロ」が潰れているのに気付く。ユニークな店だったので残念だ。
ここでしばらく、2人に自由行動をしたもらい、5時半過ぎまで「ジョーンズ・ザ・グローサー」で待つことにする。このところ、総選挙直前に喧伝された「子供を海中に投じるボート・ピープル」という話が虚構だったという件と、ハリングワース総督のブリスベン主教時代の児童性虐待もみ消し疑惑への対応で、ハワード首相への信頼が揺れているので、新聞を読むのが結構面白い。
2人が戻ってきてから、一緒に浜の南側の磯辺へ降り、しばらくぼんやりとサーファーたちを眺めたり、カモメにポテトチップスを放ったりしながら過ごす。2人は磯の水辺まで降りていって遊んでいた。
日がだいぶ傾いてきたところで、またキャンベル・パレードに戻り、Aさんの希望でレコード店に入る、ここでは自分もCD3点とTシャツなど、140ドルほどの買物をする。次にマンボの店に入る。ここでは結局Nさんが水着を買ったのだが、結構時間が買ったので、こちらは途中で外へ出て、夕暮れの涼しい風にあたる。8時少し前だが、もう秋になりかけているということだろう。最初はこの辺で夕食にしようと考えていたので、ホテル・ボンダイに戻って、パブやゲーム・ラウンジなどを案内したりしたのだが、結局、ボンダイ・ビーチでは食べないことにする。公衆電話でJ君に電話を入れてから、バスでボンダイ・ジャンクション駅まで戻る。
ここから電車でキングス・クロス駅へ行き、表通りだけをざっと案内する。日曜日で人出は大したことはないのだが、あちこちで客引きに怪しげな日本語(ちょっとここに書くのは憚られる)で声をかけられる。以前も入ったことがある韓国食堂の「イテウォン」が開いていたので、ここに入り、うどんやキムパップなどを注文する。9時半より少し前に店を出て、電車でタウン・ホール駅まで戻り、QVBのバス乗り場へ行く。少し時間があったので再度J君に電話を入れ、明日落ち合う場所を決めた。
288番バスでレーン・コーヴ・ロードまで行き、帰宅。10時半を回っていた。
2人がお土産で持ってきてくれたおせんべいなどを開ける。
結構疲れていて眠いのだが、とにかくいったん眠ることにする。
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 Aさん、Nさんは、28日に帰国、入れ替わりに義母が3月1日にやってきました。6日には家族をボンダイ・ホテルへ移動させ、7日には家を明け渡しました。ただし、荷物はさらに8日まで旧宅に置かせてもらい、最後まで残った荷物は大学へ運び込んで、Hさんなどに差し上げました。
 チケットの都合で13日に娘と一緒にオーストラリアを出国して14日に帰国、残りの家族は15日オーストラリア出国、16日帰国となりました。

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