山田晴通・阿部 潔・是永 論(1993):
長野県山形村における地域の情報化と住民の「地域」活動

II・ホワイトバランス会

    1.YCS開局と「協力者会」の設置
    2.会員の構成
    3.メディア環境と利用能力
    4.日常活動
    5.今後の課題

1.YCS開局と「協力者会」の設置

 山形村の役場関係者や、様々な役職を引き受けている村の有力者たちは、MPIS施設の導入に先だって、いわゆる「先進地視察」を繰り返し実施していた。これには、導入に懐疑的な人々の説得という側面と、文字どおり先進事例を実地で見学することによって、将来の運営へのノウハウを吸収しようとした側面の両方があった。現在のホワイトバランス会につながる「協力者会」のヒントも、こうした視察の中から出てきたものであったという31)。  MPIS施設に限らず、一般に農村型CATV32)は、自主放送チャンネルの維持に様々な問題を抱えることになる。CATV担当として配置できる人員には限りがあり、日常的に新たに制作できる番組の量は限られている。あるいは大規模なイベントなどで、多数のカメラを動員して中継するといった場合、機材は何とかなっても、一定水準の知識と経験をもった人員が集められない。空き時間を埋めるためには自主制作以外の番組も欲しいが、他局との番組交換は多少はあっても、商業ベースで流通している番組を導入することは公的な性格上難しく、また予算的な裏づけもない。配属された職員が業務に精通する頃になると人事異動があって、番組制作上の細かいノウハウは継承されない。さもなければ誰かが長期間にわたってCATVに携わり、結果的に「出世」の機会を喪失することにもなる。さらに、せっかく地域全体に伝達できる映像メディアがあっても、「官製」情報の一方的な伝達という色彩が強くなっては、視聴者=住民に支持されない、等々、農村型CATVには、特有の問題が山積している。
 こうした様々な問題を、解決とはいかないまでも、緩和するために考えられたのが、「協力者会」の発想であった。住民から募ったボランティアの人たちに、YCSへの取材協力を求めるとともに、YCS本体とは違った独自の立場からの番組も制作してもらおう、というわけである。「協力者会」を組織することによって、YCSは取材体制を強化できるし、出演者の動員なども容易になる。また、協力者にある程度の番組制作技能を身につけてもらい、業務の一端を担い得るようになってもらうことによって、大規模イベントなどの中継が容易になり、場合によっては人事異動で職員が入れ替わるときのギャップを部分的にも埋められる。また、定期的に「協力者会」独自の番組を制作し、放送することで、YCS全体が「官製」色を強める歯止めとなるし、場合によってはYCSが直接扱いにくい問題について「協力者会」が番組づくりをすることも可能になるだろう、等々、というわけである33)
 YCSは、1988年6月に設置許可が下り、1989年2月から試験放送、7月から本放送にはいることになった。そこで、「協力者」という形で一般住民が番組作りへ参加する道を開くため、YCS正式開局2ヵ月前の1989年5月1日付で「YCS放送協力員設置基準」が制定された(資料1)。これに従って「協力者」が募られ、5月下旬には最初の「CATV協力者会」が開かれた。この最初の段階の「CATV協力者名簿」には、現在は退会してしまった3名を含め、12名の人々が名を連ねている。
 比較的短い期間のうちに、これだけの人数が集まった背景には、YCS側のK課長、Y係長を中心とした組織化活動があった。この段階で集まった12名について年齢・性別をみると、現在の状況に比べて会員構成にやや偏りが強く、男性については年齢層が高めに、女性については年齢層が低めになっている。これは、「協力者会」の組織化に際して、K課長らが旧知の人々を軸に声を掛けていくと同時に、レポーターやアナウンサーとして画面に登場する若い女性が必要だと考えて事前の働き掛けを行った結果である。12名のうち、聞き取りを行った9名についていうと、YCS側から事前の直接的な勧誘を受けず、試験放送の文字放送などを通じて「協力者会」に応募してきたのは、新住民2名(男女各1)だけで、残り7名は事前にK課長やY係長から「協力者会」について説明ないし勧誘を受けていた。特に、K課長と同世代の2名と後に加わる1名は、かつてK課長と共に公民館報の編集に携わった親しい知人であり、公民館活動や青年団の演劇活動34)など、地域における諸活動にこれまでも積極的に関わってきた仲間であった。そのうちの一人、M氏はYCS以前にあった農協の農事有線放送電話の担当者として長く活躍した人物でもある35)。これとは別に、かつてMPIS導入構想の最初の段階で経済課長として深く関わったH氏も、個人として「協力者会」に名を連ねた。また、Y係長と同世代の1名は、Y係長と同じ常会で同姓36)。という親しい関係にあり、かねてからカメラなどに趣味が深かったことを買われて「協力者会」に誘われている。さらに、10代の女性2名は、それぞれ父親がYCS創設に関わりをもっており、事前にYCSについて詳しく知る立場にあった37)
 「協力者会」は、会合の結果「ホワイトバランス会」という名称38)と、 正副会長を決めた。正副会長は年齢の順で決められ、最年長の農業S氏が会長、二番目に年長だった役場職員H氏が副会長になった39)。「設置基準」には、任期規定があるが、実際には任期中途の入退会もあり、厳密な規定ではない。ただし、初代会長S氏は、3年の任期を理由に1992年4月の定例会で「引退」を表明して退会し、また勤務の多忙を理由に20代の女性会員が退会するなど、3年の任期は1つの区切りとして意識されている。なお、「設置基準」には、「原則としてボランティア活動とする」とあるが、若干の「交通費・弁当代程度」はYCSから支給されている。

2.会員の構成

 当初、12名の参加をみてスタートしたホワイトバランス会は、その後14名の新規参加者と4名の退会者があり、1992年末現在で22名の会員(休会中2名を含む40)) を擁している。今回の調査では、このうち17名について、個別の聞き取りを行った41)
 ホワイトバランス会の会員構成を特徴づけているのは、会員のデモグラフィックな多様性である。高校生から退職者まで、年齢層は幅広いし、男女別で考えても、若干女性が少ない(特に壮年以上は欠けている)とはいえ、地域社会にみられる他のボランタリーな組織に比べれば、偏りは小さいといえるだろう(図4)。設立時にあった年齢・性別上の偏りは、その後、20代、30代の男性の参加を得たことで、徐々に緩和されてきている。
 発足時の会員集めについては、前述のようにYCS関係者の組織化努力によるところが大きかったが、その後のホワイトバランス会の会員獲得には、ホワイトバランス会ないしYCSの番組制作活動自体が大きく貢献している。特に比較的若い層の場合には、ホワイトバランス会が定期的に制作している『みんな登場』という番組への出演などを契機に、勧誘されて入会した例が多い。同様に、『水色山路』や、年末の「カラオケ大会」などが、ホワイトバランス会にとって潜在的な会員の掘り起こしの機会となっていたようである。そうした、出演者をかき集めなければならない状況がホワイトバランス会としての人脈を拡大する契機となってきたわけである42)
 デモグラフィックな偏りは小さいものの、少し視点を変えて見ると、ホワイトバランス会の構成には、別の意味で大きな偏りがある。聞き取りを行った17名と聞き取りは行わなかったものの情報を得た6名(退会者4名を含む)を併せた23名について、職業および通勤(通学)状況、新旧住民別、に検討してみると、
  ・職業構成上、会社員が少ない
  ・新住民の比率が低い
といった点が指摘できるのである(図5)。こうした傾向は、ホワイトバランス会が、新住民の村外通勤者層を取り込めていないことを意味している。数少ない村外通勤者の話では、ホワイトバランス会の活動に参加する拘束時間自体はさほど負担ではないもの、村外に通勤していると社交の範囲が村外に広がり、職域を中心とした社交などがホワイトバランス会の活動とぶつかることが多くなっていくのだという。これは、単純にアポイントメント上の時間の割り振りの問題を念頭においた指摘ではなく、村外への通勤によって本人の関心が地域から離れ、生活が職域中心になっていくことを示唆しているのであろう。通勤(通学)によって生活空間が村外に拡大している新住民を含んだ層、あるいはその家族を、いかにして活動に取り込んでいくかは、ホワイトバランス会にとって今後の課題となってこよう。特に、これまでのように、ある程度の知り合いに出演者としてまず参加してもらい、次いで制作にも、というアプローチは、旧住民の若い層には有効でも、新住民の組織化には容易には結びつかないようにも思われる。

3.メディア環境と利用能力

 今回の調査では、「情報化社会において、市民による能動的な情報発信行動がどのように発現するか」をめぐって、事前に仮説的な検討が重ねられた。そこで議論された焦点の一つは、個人の置かれた「メディア環境43)」 や、メディアに対するいわゆる「リテラシー44)」 の違いが、情報発信行動とどのように関係するのか、という点に置かれた。
 我々は日常的に、いわゆる「機械に強い」人とそうでない人が存在することを経験する。また、より一般化された「女性は機械に弱い」といった言説は、批判的検討を受けないまま我々の常識の一部となっている。もちろんビデオ機器などについても、「強い/弱い」といった表現が当てはめられて議論されることは多い。情報化の1つの側面が、家庭用ビデオ・カメラなども含めたAV機器=メディアの端末機器の普及にあるとすれば、そうした機器に「強い」人は能動的にメディアと接触し、受け取る情報を主体的に操作・利用したり、自ら情報を発信したりできるが、「弱い」人は、メディア端末から吐き出される情報量が増大する中で、受身的に流されるだけとなり、情報を発信する能力も持てない、といったイメージを描くこともできるわけである。こうした見方に立てば、もし何らかの形で内発的に情報発信を試みる者がいても、機械の操作能力がなければ情報発信はできない、言い換えれば、情報化が進んで登場する新しいメディアを介したコミュニケーションについては、メディア機器の操作能力が情報発信の必要条件だ、ということになる。これを仮に「能力必須」仮説と称することにしよう。
 近年、様々な情報関連機器の出現と普及という状況の中で、その利用能力にみられる個人差や、利用能力の差が招来する様々な帰結をめぐって、多様な議論が展開されているが、そこでは何らかの意味で「リテラシー」がキーワードになっている。ここでは議論の詳細には踏み込まないが、「リテラシー」の客観的な測定を目指した試みとしては、鈴木ら(1992)の開発した「利用能力尺度」などがある。本調査では「能力必須」仮説の妥当性を検討するため、この「利用能力尺度」の簡略版45)を用いて、ホワイトバランス会会員のメディア機器に対する「強さ」を測定した(資料2)。その結果をみると、男性の平均点10.3に対し、女性の得点が概して低く、平均点 7.6にとどまることが明らかになった。また、女性に関しては、事務的職種に就いている人が男性に準じる得点を上げているのに対し、事務的職務経験のない人の得点が低く、メディア利用能力における男女差が、かなりの程度まで職務経験の内容によって形成されていることが示唆されている(図6)。
 ところが、当然ながら、こうして把握された「利用能力」は、当人がホワイトバランス会の活動にどれくらい積極的に関わっているか、を表す指標ではない。実際、「利用能力尺度」の得点は低いものの、ホワイトバランス会の中でも積極的なメンバーといえる人々は少なくない。すなわち、ホワイトバランス会への積極的な参加を情報発信指向の発現とみなすならば、「利用能力」の高さだけが、情報発信指向の基盤ではなく、もっと別の要素に支えられて情報発信を指向する人々も存在するのである。換言すれば、「能力必須」仮説は、少なくとも単純な形では、ホワイトバランス会の実態には当てはまらない。
 CATV局で扱う機器は、放送用の取材カメラ、編集機、テロッパーなどのように、日常的に家庭で扱う家電製品よりも複雑で微妙な操作や管理を要求する。当然ながら、番組制作の過程で要求される「利用能力」の水準は相当に高い。しかし、同時に、ホワイトバランス会による番組作りは個人プレーではなく、数人からなる当該番組担当者の組織を単位として進行するチーム・プレーである。個々人が番組作りのあらゆる側面に通じていなくても、全体として適切な分業が行われれば、番組制作はできる46)。聞き取りを行った17名に、ホワイトバランス会における活動内容について質問したところ、男性3名は、主にカメラマンであると答えている。もちろん、カメラ撮影のできる会員は他にもおり、この3名は、番組の企画、出演、編集など他の仕事はほとんどせず、撮影だけを担当していると答えた人々である47)。一方、ホワイトバランス会の活動の中でカメラ撮影をしないと答えた会員は、女性全員と年長者の男性1名であった48)。こうした人々は、むしろ企画や出演などの面で、他の会員にはない才能を発揮することが多いが49)、 映像番組を構成するという表現方法に関する限り、彼らはホワイトバランス会へ参加しなければ情報発信ができなかったはずである。「能力必須」仮説を拡張してこれを説明するならば、「利用能力」の乏しい人々にとって、情報発信に必要とされる能力の「外部化」を可能にするのがホワイトバランス会だ、と解釈することができるだろう。
 これを踏まえれば、ホワイトバランス会の会員は、概ね三類型に大別して理解することができる。もちろん個々人をみていけば、分類が困難な例も出てくるが、理解を進めるために整理を単純化し図式的に示すと、
  第I類型:技術型:主にカメラマンの仕事だけ
  第II類型:総合型:企画から編集までをこなす
  第III類型:特能型:主に企画、出演の仕事だけ
となる。このうち、第II類型には、ホワイトバランス会の中核といってもよい人々が含まれており、特にホワイトバランス会結成直後の段階では、この類型の人々によって会が支えられていたといってもよい。
 第I類型には、企画等に関心を向ける者と関心のない者とが存在するが、聞き取りの印象としては、関心のある者にとって第I類型から第II類型への移行には、さほど障壁がないように思われる。なお、この数少ない事例で見る限りでは、第I類型の中で企画等に関心をもつかどうかは、機械に対する強さや利用能力の高さとは、関係ないようである50)。一方、第III類型の若い女性たちにもカメラ撮影や編集などへの関心は存在するが、カメラの重さや時間的余裕の欠如(特に、慣れるまでは編集作業に時間がかかる)といった物理的条件だけでなく、ホワイトバランス会という組織の中の「おじさんたち」に対する一種の気後れから、「現在の仕事以外にこれをやりたい」と自己主張を展開するのが難しい、という心理的な状況があり、第III類型から第II類型への移行は、特に女性の場合、障壁性が高いように思われる。実際、男性会員の場合は、聞き取りの段階では「カメラに関心がなく、あまり担当しない」と答えている若い会員が、その後カメラマンとして何度か動員されている例が観察されており、障壁性の高さは女性のみにはっきり現れているようである。もちろん前述のように、ホワイトバランス会は分業体制によって、情報発信に必要とされる能力の「外部化」を可能にしているわけだが、こうした類型の移行に際しての障壁性の違いは、「能力必須」仮説が含意する発信者階層の固定化というイメージと合致しており、仮説に沿った形で状況を説明することも可能と思われる。
 さて、事前の議論では、こうした能力の形成と、個人の置かれたメディア環境とが、密接に関係するのではないかと予想された。個人としても家庭用のビデオ・カメラを扱ったり、簡単なビデオ編集を行うような人物が、より本格的な情報発信を目指してホワイトバランス会に参加し、会の中核を担うのではないか、というわけである。そこで、聞き取りを行った17名には、家庭におけるビデオ・デッキ、ビデオ・ソフト、ビデオ・カメラの所有状況や最初の購入時期と、過去・現在における他の映像メディア(写真、8ミリ映画)の経験を質問した。その結果、ビデオ・デッキを3台以上所有してダビングや簡単な編集ができる体制にある使用者4名のうち3名は、1980年前後に最初の1台目を購入したイノベーターであること、所有するソフトの本数も格段と多いこと、さらにまた彼らは上記の第II類型に該当ないし準じること51)がわかった(図7)。また彼ら4名のうち3名は家庭用のビデオ・カメラを所有しているが、それ以外の13名のうち、ビデオ・カメラの所有者は3名だけであった。こうした結果からすると、メディア環境という視点から見る限り、ホワイトバランス会の中心的な位置を占める人々には「能力必須」仮説が妥当するように思われる。ただし、第II類型の全員がこうした機材に恵まれたメディア環境を構築しているわけではなく、農協で有線と関わりの深かったM氏のように、家庭のビデオ機材に関する限り、きわめて平均的という事例もあり、能力を支える基盤の現れ方の一つとして家庭におけるメディア環境の充実が観察されるのだ、と理解すべきであろう52)。  以上、ホワイトバランス会における会員のメディア環境やメディア機器の利用能力の実態は、単純な形では「能力必須」仮説を支持するものではない。しかし、「能力必須」仮説を前提として分業による能力の「外部化」がなされていると解釈すると、整合的な説明も可能である。肝心なのは、ホワイトバランス会が利用能力の高い人々の排他的な集団ではなく、どんな人でも積極的な参加が可能であること、そして会員の協力・分業によって独力では情報発信が実現できなかった人々の発信が可能になること、さらに、活動を通じて会員の利用能力が向上する契機が与えられていること、なのである。

4.日常活動

 ホワイトバランス会は、YCSの開局以来ほぼ毎月1本のペースで30分から1時間程度の自主制作番組を作り、「ホワイトバランス・スペシャル」の枠で流している。これまで制作されてきた番組の内容は実に多岐にわたり、ドキュメンタリーから、クイズやカラオケといったバラエティ番組まで、様々である。また、これとは別に、人物紹介を中心に、数分程度の番組を数種類作成している。さらに、YCSがカメラを何台も動員するような大規模の生中継を行う場合などは、ホワイトバランス会が制作協力するという形で、会員がYCSスタッフと一緒に体制を組むのが恒例となっている。(資料3)
 自主制作番組は、通例ディレクター1名が予め会議で決められ、ディレクターが他の会員を何人か組織して制作される。ディレクターになった人は、取材などは他の会員の助力を得るものの、編集は自ら行うのが通例である。たまたま編集機の操作が不自由な人がディレクターの場合、その人は他の会員やYCS職員が操作する編集機の横に座って指示を出すことになる53)。ホワイトバランス会が結成された当初は、ディレクター役をこなせる人は限られており、実質的には、かつて村の青年団の演劇などに関わってシナリオづくりに心得のある人など、上記の第II類型の人々が中心になって月々の番組を制作していた。しかし、最近では会員数も増え、また個々の会員が番組作りに馴染んできたこともあって、ディレクター役はできるだけ多くの会員に分散されるようになっている。1992年度の場合、年度計画を立てる4月の会合では、月毎にディレクターを割り振ることによって、特定の人がディレクター役を何回も引き受けるのではなく、誰もが番組作りの中心になれる方向で計画が作られた。
 人物紹介の番組としては、赤ちゃんを家族とともに紹介する『わが家のアイドル小さな天使』(通称「赤ちゃん紹介」)が既に百本以上制作されているほか、お年寄りにスポットを当てる『年輪重ねて』が20本余り、また、最近は制作本数が少ないが、現役の壮年層を紹介する『はりきってます』と題する番組も12本が制作されている。現在、「赤ちゃん紹介」は若手が中心となり、カメラ、インタビュー、ディレクター(編集)といった分担を前提にチームを組んで取材に当たっている。この番組は、毎月1本から3本のペースで制作されており、1本の時間もだいたい数分程度と短いため、新しい会員が仕事を実地で学んでいく場にもなっている。また、『年輪重ねて』は60代の会員2名が交代で企画とインタビューを務めており、カメラはその都度、手の空いている会員が交代で担当している。
 こうした日常の番組制作活動を支えるため、月に1回は会合があり、番組制作状況の確認などが話し合われるが、その雰囲気は「会議」というよりは「寄り合い」という感じである。通例、会議は平日の夜に招集されるが、開始時間には会員の一部しか集まらない。「山形時間」と称し、定刻から30分〜1時間遅れて会議は始まるが、始まるまでの間は、YCS側の課長・係長とホワイトバランス会の中核的会員の非公式な折衝の場にもなっている。会議が正式に始まると、議事が一応進行して行くが、場合によっては、「何か意見は?」という声を受けての沈黙の後、皆が近くに座っている者同士で雑談をはじめ、いつのまにかそれなりに話が煮詰まり、「・・・・ということでいいね?」と結論づけられることも多い。会議の雰囲気は概してくだけており、外部者の眼には発言への圧迫感は小さいように見受けられるが、個別に聞き取りをしてみると、女性や若い男性の一部には、発言したくてもしづらい感覚が残っているようである。また、年に数回は「飲み会」もあり、聞き取りでも「飲み会だけは必ず出る」という声が男性を中心に複数あった。ふだんの会合への会員の出席率は8割程度である。
 また、会員の技術向上を目標として、年に1回程度の技術研修も行われている54)。しかし、聞き取りによると、ほとんどの会員はふだんの活動の中から実地に他の会員やYCS担当者から教わる部分の方が大きいと感じている。しかし、研修ではふだん他人任せの分野について新たに学ぶことができるため、特に第III類型の女性たちにとっては、現に割り当てられている仕事以外の仕事に関心を広げる機会として技術研修は重要な意味をもっているといえよう55)

5.今後の課題

 ホワイトバランス会は、設立以来既に3年半の活動を積み上げてきた。この間の活動は、全国的にみても類例がないくらい活発なものであった。当初、YCS側の担当者は、「協力者会」の組織化を必要と考えCATVのビジョンに組み込んではいたものの、それがどのような活動を展開するようになるか、必ずしも明瞭な構想があったわけではなかったようである56)。しかし、設立段階で、K課長と気心の知れたかつての公民館報編集部の仲間が会の中核となり、彼らの間ではYCSとホワイトバランス会の関係を「役場と公民館」の関係に準じるものとしてイメージする見方が定着していったものと思われる。公民館は、財政的には「官」に支えられてはいるが、地域住民の主体的な文化活動の拠点として機能すべきものである。そこに現れる行政側と住民との「健全な距離」の感覚は、やや遅れて会に参加したより若い層(20代〜30代)にも伝わってきている。しかし、こうした「健全な距離」は、行政の担当者と住民の双方に、しっかりとした社会意識がなければ、維持していくことは難しい。YCSにとっても、ホワイトバランス会にとっても、コミットメント、ないしモラール(士気)の維持は今後もずっと大きな課題であり続けよう。
 YCS自体も、開局から3年半を経て人事の更新が徐々に進み、開局以来担当者だった課長や係長も、近く異動になる見込みである。現在、YCSの番組制作は「誰が担当者になってもできる」状態を目指して、体制固めが進んでいる。これと並行するように、ホワイトバランス会でも、中心となる会員に負担が大きい設立当初の状態から、会員数も増え、「誰もが番組を作れる」状態に近づきつつある。
 もっとも、「誰もが作れる」といっても、ホワイトバランス会の活動が充実していくにしたがって、要求される番組の水準も上がり、目標もそれなりに高く意識されるようになっており、番組制作の中心になる会員たちにかかる負担感は必ずしも軽減されていない。ホワイトバランス会では、中心的に活動している会員のほとんどが「退会したい」と考えたことがあり、実際そうした気持ちを抱えながらも、会の活動に対する責任感から、「もう少しがんばろう」という前向きの姿勢で参加を続けている。しかし、中にはホワイトバランス会の活動に熱心だった会員が、仕事上の状況の変化なども手伝って、急に活動を止めてしまうという現象が起こることもある。このような、負担感と責任感の板挟みからくるストレスは、男性よりも女性の場合にはっきりと自覚的に表われるようである。
 ホワイトバランス会は、形式上はボランタリーな組織であり、参加者の自由意思に基づいて、入退会や活動への関与の深さが決められるはずである。しかし、組織を維持し、運営していく立場の者からすれば、会員が簡単に退会したり、活動への参加が消極的になられては、非常に困る。しかし、ボランタリーな組織である以上、何らかの強制的な対応を取ることはもちろんできない。そこで、新たな会員の勧誘とともに、会員の中でやや消極的な人に仕事を割り振ることによって積極的な参加を促したり、活発に活動している人が息切れしないように負担を分散したり、といった配慮が必要となってくる。また、「退会」を希望する者が現れたときに、何とか関与の程度を減らしてもいいから会にとどまるよう説得することも、重要な点となる。
 こうした視点から見ると、ホワイトバランス会がボランタリーな組織の長所を発揮しつつ弱体化や空中分解を回避できているのは、会を組織する側であるYCS担当者や中核となる会員たちの個人的な努力に依るところが大きい。こうした状態は、現状では適切に機能しているが、人的な交代(特に、YCSには異動がある)を前提としたときに、これがどうなるかは課題として残されるだろう。また、こうした、いわば濃密な人間関係で絡め取っていくような組織化の手法には、新住民や一部の若い旧住民にはなじまない面もある。ホワイトバランス会が今後より幅の広い組織として展開するためには、従来とは違った組織化努力のあり方も考え出される必要がある。
 現在、山形村では、YCSやホワイトバランス会も関係する形で、『水色山路』に続く第2弾のドラマ制作が企画されている57)。こうしたイベントを適当な間隔を置きながら打ち上げることによって組織に刺激を与え、「安定」が「停滞」に陥っていかないようにする努力は、ホワイトバランス会の活発な活動を維持していく上で欠かせない。そうした、外部(YCS、役場など)からの働き掛けと、内部の活力が両輪として機能するとき、ホワイトバランス会の永続的な発展が期待されるのである。


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