コラム,記事等(定期刊行物に寄稿されたもの):1993:
[中日新聞への一連の寄稿の最後の年となった1993年には、2回寄稿をしましたが、元日の寄稿は特にコラム名はなく、4月の寄稿は「しなのの経済」というコラム名になっていました。]

中日新聞,長野総合版「しなの経済展望」


1/1 県民主体のイベントに 信州博、その意義と収支.  4/25 長期施策にどう反映 ポストイベントの課題


1993年1月1日:[コラム名のない元日号のコラム]

   県民主体のイベントに   信州博、その意義と収支

松商学園短大助教授  山田晴通    


 今年、松本市では「信州博覧会」と「国宝松本城400年まつり」が開催される。どちらも期間は、夏休みを当て込んだ七月十七日から九月二十六日まで。松本では、例年でも夏には、松本ぼんぼん、演劇フェスティバル、太鼓祭り、サイトウ・キネン・フェスティバル等々のイベントがめじろ押しなのだが、今年はそこに二つの大規模イベントが加わるわけである。
 松本平の一隅に住んでいると、遠方の友人が観光がてら遊びにくるので、あちこちへと案内する機会が多い。特に夏場はそうである。今年は観光コースに信州博を加えることになろうと思い、税金を納めるような気分で、信州博のパスポート入場券「アルピーパス」を購入した。
 しかし、入場券を購入して改めて思ったのは、私の周りにいる人々の信州博や400年まつりに対する関心の薄さ、冷めた態度である。そう言えば私も、自分自身が購入するまで、前売り券を買ったという話を聞いたことがなかった。
 もともと、信州博を松本で開催すること自体、地元住民の意識とは縁遠いところで行政がトップダウン方式で進てきた印象が強い。実際、信州博のことを、長野冬季五輪との関連で、県庁が中信地区に当てがった「アメ玉」でしかない、と感じている人は多い。
 そもそも信州博は、長野五輪で公共支出が北信地区へ集中することへの批判をかわす方策としてでっち上げられたイベントにすぎない、という見方が根強いのである。
 とはいえ、おそらく信州博が「目標を大きく上回る」入場者を集め「大成功」することは間違いなかろう。もっとも、実際に始まれば、内容の粗末さと会場の不便さが話題になろうし、一方では、舞台裏の算盤(そろばん)勘定をめぐって生臭い話がいろいろ出て来るに違いない。入場者数は容易に操作できても、入場料収入が伴うとは限らないからだ。。
 目下のところ、行政の各段階で目標に沿ったつじつま合わせがあるのか、前売り入場券は「好評発売中」だという。しかし、最終的に実質的な黒字を残すのは困難ではなかろうか。そうなったとき、県は長野冬季五輪招致委員会のときのように、不透明な経理で強行突破を図るのだろうか。
 私はお祭りが好きだし、何事にも参加して楽しむ方だから、いざ始まってしまえば、それなりに信州博を楽しむことと思う。しかし、信州博のような、行政中心のトップダウン型イベントに対する割り切れない思いは、なかなか拭(ぬぐ)えない。私の思いが杞憂(きゆう)に過ぎないことを祈りつつ、今年の夏を待つことにしよう。


1993年4月25日:「しなのの経済」

   長期施策にどう反映   ポストイベントの課題   

山田晴通  松商短大助教授    


 円相場が最高値を記録する一方で、徐々に景気の底入れ感が広がっている。まだまだ曲折もあろうが、長期的に見れば円高も経済には好影響の方が大きい。私は、日本経済は安定した軌道に復帰しつつあると楽観的にとらえている。
 国家経済の動向は地域経済を大きく規定する。全国的な好景気は、地方でも好景気を呼ぶ。逆に地域経済界が頑張っても、国家経済が低調なら十分な成果は得られない。長野県は、農業の性格や観光関連産業の大きさもあって、一般論以上に全国的な経済動向と地域経済が連動しやすい。
 かつて日本経済は、七〇年代前半の第一次石油危機以降、第二次石油危機を経て、八〇年代半ばの円高不況に至るまで、逆風に耐えながら、構造改善に取り組んだ。その成果は世界経済に占める日本の地位を押し上げ、八〇年代後半の好況をもたらした。最後にはバブル経済という徒花(あだばな)も咲いたが、安定成長の下で国民生活は相当豊かになった。
 この間、長野県の地域経済も大きな変革を遂げた。自動車の普及と道路網の改善を背景に、農産物の戦略的な生産と流通、工業における情報関連へのシフト、流通産業における新業態の展開など、各分野で著しい変化があった。その担い手は地域産業界であったが、国、地方を含め行政による社会資本の整備や政策的誘導も重要であった。
 国家経済レベルの動向を見据えつつ、地域経済の立場から基本的方策を固めるのは地方行政、特に県に仕事である。大型公共事業など国家レベルの施策も、その実施細目が地域の実情に適合するか否かは、地方行政の働きかけ次第である。
 いまや日本経済は、かつての高度成長とも、石油危機からバブル経済に至る安定成長とも異なる、新たなサイクルの入り口にある。次の二十年間に必要とされる新たなインフラストラクチャー、社会資本は、従来の発想では見落とされる可能性もある。地方行政は、地域経済の既存の特性を生かしつつ、新たに必要とされる社会資本を長期的に整備する戦略をいまこそ練り上げておくべきであろう。
 今年は信州博、九八年には冬季五輪がある。最近の県政は、どうもイベント事業に偏った印象を与える。確かにイベントは関連事業を県内に呼び込み、交通網など社会資本の整備を推進し、地域経済を刺激する。
 しかし、一方で行政のエネルギーを吸収し、長期的施策への関心を後回しにする危険性もはらんでいる。
 短期的なイベントへの取り組みが、長期的な地域経済政策に有機的に位置づけられるのか、それとも、長期的な政策対応にゆがみを残すことになるのか、納税者の一人として無関心ではいられないところである。


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