コラム,記事等(定期刊行物に寄稿されたもの):1992:

中日新聞,長野総合版「しなの経済展望」


3/31 なぜ30万都市か.  9/ 7 “役所仕事”返上を


1992年3月31日:「しなの経済展望」

   なぜ30万都市か   合併の大義名分を問う

山田晴通  松商学園短大講師    


 先ごろ、松本青年会議所が「五十万都市」建設を唱える『松本連邦共和国独立宣言』と題するレポートをまとめて発表した。このレポートの中身には、問題点も多いように思うが,将来に向けた都市づくりを考え、大胆に「夢」を構想する思考実験を試みたことは、正当に評価したい。
 「五十万」はともかく、「松本を三十万都市に」という声は以前から聞かれた。昨年まとめられた松本市の総合計画にも、従来からの「二十五万」に代わって「三十万都市」論が盛り込まれており,今や三十万都市の建設は,松本市の公的な行政課題でもある。
 先日、大接戦の末に和合前市長を破った有賀新市長も、当選後のテレビのインタビューなどで「三十万都市」を口にした。三十万都市論は、もちろん、周辺町村の広域合併を前提としている。世評では、必ずしも合併にこだわらなかった前市長に比べ、有賀新市長は合併に積極的な姿勢を見せているとも伝えられる。
 総合計画でも「三十万」の達成時期は「二十一世紀初頭」と、ぼかした表現になっている。しかし、将来のことと前置きしつつも、農協の広域合併などを持ち出して周辺町村との合併の可能性をテレビで語る新市長の姿は,周辺町村の人々にどう映ったことだろう。
 かつて昭和二十年代から四十年代にかけて、国の政策もあって、全国で市町村合併が盛んに推進された。当時は、合併によって都市の規模を拡大し,自治体が独自の権限と財政規模を拡大していくことが、行政の効率化、サービスの向上につながるという意識が広く支持されていた。
 しかし、そうした中で、一定規模の都市に隣接しながら今日も存続している町村は、合併に頼らずとも健全な行政運営ができる、一人立ちした自治体なのである。そうした町村を相手とする合併論は軽々には進められないはずである。しかし、なぜ松本市に人口三十万が必要なのだろう.合併に向けて周辺町村を説得できるだけの大義名分が三十万都市論にはあるのだろうか。
 昨年まで松本市民だった私の見るところでは,松本市は,三十万都市建設を夢みる前に、むしろ「日本一の二十万都市」を目指すべきだと思う。住環境、行政サービス、経済活動、何でもよいが,同規模の他都市に比べて,松本市は胸を張れるところがまだまだ少ないように感じる。
 現実的に取り組めるところから始めて,二十万都市として高い評価を目指す。そうした観点に立った議論こそが、二十一世紀に向けて求められているはずだ。「日本一の二十万都市」への道。それこそが本当の意味で「三十万都市」「五十万都市」への近道だろう。


1992年9月7日:「しなの経済展望」

   施設管理の責務果たし   "役所仕事" 返上を   

山田晴通  松商学園短大助教授    


 オリエンテーリングというスポーツをご存じだろうか。おそらく、子供のころにレクリエーション活動として経験したという方は少なくないことと思う。
 オリエンテーリングは、地図と磁石を頼りに山野を走り、次々とポスト(目標地点)を経由してゴールへ帰る、時間を競うスポーツである。競技会などでは、スタートからポストを経てゴールに至るコースは、地形や距離を考慮して適当な地域に臨時に設定される。
 これに対し、いつでもだれでも走れる常設のコースをパーマネント・コースという。これは地元の教育委員会などが施設を設置し競技用の地図を用意して、日本オリエンテーリング協会の承認を得て設置されるもので、全国におよそ六百五十カ所、県内にも二十カ所ほどがある。ところが、筆者の身近では、せっかくのパーマネント・コースが、相当に荒れた状態になっている例が目立つのである。
 松本市の城山公園を起点とする「アルプス展望」コースは現在、休眠状態にあり、管理者である市教委は廃止の方向で検討を進めている。元々このコースは県が設置し、市教委に移管したものである。しかし、設置時の調整不足から競技者の私有地への立ち入りをめぐって一部地権者から苦情が絶えず、市教委は対応に苦しむことになった。
 このコースは人気もあって、地図はよく売れ、利用者も多かった。だからこそ地権者の苦情も出たのである。このため、本来なら新たな変更点も考慮して改訂・再販されるべき地図が、トラブルのあおりで新たに作製されず、コースは休眠状態に陥った。現在、城山公園周辺の大規模な再整備を控え、コースは「再整備」ではなく「廃止」が検討されることになった。
 もうひとつ、例を挙げよう。信州大学や松商学園短大では、体育にオリエンテーリングを採用し「乗鞍高原」のコースの一部を利用している。このコースの管理者は安曇村教委であるが、地図はいまだに一九八〇年製作のまま。これは大量に作った地図が、山ほど売れ残っているためである。しかし、この地域では開発行為に伴う地形改変や道路の変更などが著しい。松商短大の場合には、競技用の地図とは別に、変更点を説明する地図を使って学生を指導している。施設面も、ポストの老朽化などが激しく、本来なら鮮明に見えるべき記号が退色や塗料の腐食で見にくかったり、ポストの土台が痛んで、ぐらついている例もある。
 パーマネント・コースの設置とは、ポストなど施設面の管理、適当な間隔での地図の更新など、コース設定後の業務も含んだ仕事である。このオリエンテーリング・コースの例だけでなく「設置時には頑張っても、後はほったらかしで宝の持ち腐れ、困るのは利用者」というのは "お役所仕事" のパターンだが、そこを何とか打破し、責務を全うしてほしいものである。


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