研究の道具箱:山田晴通:韓国・北朝鮮の地名
大田 テジョン Taejo^n
面積:536.86平方km
人口:1,223,896人(1994年末)
世帯数:360,756世帯(1994年末)
大韓民国中部に位置する広域市。歴史的には、忠清南道(チュンチョンナムド)に属し、行政上は忠清南道から離れた現在も、その道庁所在都市である。
錦江(クムガン)流域の盆地に位置し、首都ソウルと釜山を結ぶ交通路の中継地。国鉄京釜線と湖南線の接続地であり、鉄道が敷設された1905年以降、都市としての発展がはじまった。京釜高速道路と湖南高速道路も、近郊で接続している。
大田という名称は、元々この辺りにあった「ハンバ」という集落の名を日本人が意訳して「大田」と漢字をあてたことに起源があるとされている。
大田は植民地時代に、まず鉄道輸送を中心とした物資の集散地として発展した。1927年に忠清南道の道庁が公州(コンジュ)から移され、行政機能が集まるようになった。
朝鮮戦争によって大きな被害を受けたが、戦後は交通の要衝=軍事的要衝として軍関係の施設が集まり、その後は、軍用地の転換も含めて工業団地の開発が推進された。また近年では、首都機能移転の受け皿として、行政機能も拡大している。内陸の新興地域ということもあり、工業は、電機・精密機械などが中心となっている。
1993年には大田EXPO’93(大田万国博覧会)が開催され、跡地には国立中央科学館が建てられた。
市街地の西の郊外には、韓国でも最も古い温泉の一つ、儒城温泉(ユソンオンジャン)がある。この温泉地は、植民地時代に整備が進み、現在のような観光地となった。
儒城からさらに西へ進むと、鶏竜山(ケリョンサン)国立公園の山々が広がっている。
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