研究の道具箱:山田晴通:韓国・北朝鮮の地名


ソウル (漢字表記はない) Seoul

面積:605.40平方km
人口:10,798,700人(1994年末)
世帯数:3,455,665世帯(1994年末)

大韓民国の首都。国土の北西部に位置し、地方行政上は特別市。歴史的には、朝鮮八道のひとつ京畿道(キョンギド)に属する。
漢江(ハンガン)に臨む朝鮮半島最大の都市であり、1392年に李朝が都を開城(ケソン)から移して以来、朝鮮半島の中心地となってきた。古くは漢山、漢城、漢陽などの称があったが、李朝時代には漢城(ハンソン)、植民地時代には京城(けいじょう)と呼ばれた。日本の植民地支配が終わった1945年から、「みやこ」を意味する「ソウル」が正式の呼称となった。
大韓民国は建国(1948年)以来、ソウルを首都としているが、朝鮮民主主義人民共和国も、1972年までは、ソウルを本来の首都としていた。

朝鮮戦争中は、北側が二度にわたってソウルを制圧するなど、激しい首都争奪戦が展開され、市街地は大きな被害を受けた。しかし、戦後、特に1960年代以降は、急速な産業の復興と、それに伴う人口の急増、市街地の拡大をみた。

ソウルは、漢江の水運も含め、交通路の集中する要衝である。国鉄のターミナルは京釜線などが入るソウル駅と、中央線などが入る清涼里(チョンニャンニ)駅の2カ所、高速バス・市外バスのターミナルは8カ所ほどあり、各種のターミナルは地下鉄網で市街地全域と結ばれている。
繊維・金属・化学・食品・電機・電子機器・機械・印刷など、多様な工業の集積があり、外港である仁川(インチョン)にかけて京仁工業地帯が形成されている。
また、行政や観光に関連した様々なサービス機能も、重要な経済活動である。大統領府である青瓦台は旧市街地の北端にあたる北岳山(プガクサン)(342m)の南麓にあり、国会議事堂は旧市街地の南西5kmほどに位置する漢江の川中島・汝矣島(ヨイド)にある。
高等教育機関は、高麗大学(1905年創立)、国立景福宮(キョンボックン)の敷地には、国立民俗博物館などがある。景福宮の正面に当たるかつての光化門(クァンファムン)の位置には、植民地時代の1926年に巨大な朝鮮総督府が建設された。この建物は、大韓民国成立後は、政府庁舎や博物館に利用されていたが、植民地時代の遺物として1996年に解体された。
旧市街地には、東大門市場(トンデムンシジャン)、南大門市場(ナムデムンシジャン)など、伝統的な小売市場の形態による商業地区もあれば、中心部にはオフィス、ホテル、百貨店などが集まる明洞(ミョンドン)などの近代的な地区もある。
旧市街地の南端に位置する南山(ナムサン)(265m)の山頂には市の全域を一望できるソウル・タワーがある。南山には植民地時代に朝鮮神宮があったが、現在は安重根(アン・ジュングン)義士記念館などがある。

旧市街地の南方に広がる漢江左岸地域は、1970年代以降、計画的な都市化が急速に押し進められた地域であり、大規模な公共施設やホテル、高級な集合住宅(日本の「マンション」にあたるもので「アパトゥ」と称されることが多い)を並べたニュータウン、などが目立つ。特に南東方面の、江南区(カンナムグ)から松坡区(ソンパグ)や江東区(カンドング)にかけての地域は、1988年のソウル・オリンピックに向けて1980年代に集中的に開発され、スタジアム、公園、屋内型テーマパーク(ロッテワールド)、国際展示場、バス・ターミナル等が建設された。

ソウルの都市機能は、一方で徐々に拡大する傾向を続けているが、他方では官公庁の地方分散化政策が積極的に推進されている。公的な施設の多くが、大田(テジョン)広域市など他の大都市や、果川市(クァチョンシ)などソウル南方の衛星都市へと、移動した歴史をもっている。ソウルは、地形的条件からも、また、軍事的事情からも、北方への市街地の展開が困難であるため、都市化の結果、市街地はもっぱら南に拡大していく傾向がある。


マッピング・ソウル(日本語):東北芸術工科大学の前川さんによる「ビデオ映像のディテールから都市を読み解く試み」

ソウル日本人学校(日本語)
ようこそディープソウルへ(日本語)


Welcome to Seoul city(imige.co.kr によるソウル案内:英語)
General Information: Seoul(SeouLife によるソウル案内:英語)
SNU: Seoul National University(ソウル大学:英語)


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