研究の道具箱:山田晴通:韓国・北朝鮮の地名
扶餘郡 プヨ Puyo^
面積:625.09平方km(1994年末)
人口:103,605人(1995年末)、109,727人(1994年末)
世帯数:31,245世帯(1995年末)、31,418世帯(1994年末)
大韓民国西部に位置する忠清南道(チュンチョンナムド)の郡。
平地では朝鮮人参などが主な農産物として知られ、丘陵地ではキノコ、亜麻、タバコ、リンゴなどを生産している。
郡庁所在地の扶餘邑(プヨウプ)は、錦江(クムガン:この辺りでは白馬江(ペンマガン)と呼ばれる)に臨む百済の古都。538年から、百済が滅亡した660年まで、現在の市街地の北にある扶蘇山(プソサン)に扶蘇山城(プソサンソン)があり、都となっていた。
扶餘邑の市街地には、扶蘇山のほかにも、百済時代の遺物である五層石塔と石仏が残る定林寺址(チョンリムサジ)や、百済の歴史を概観できる国立扶餘博物館などがある。
恩山面(ウンサンミョン)の恩山別神祭は、元々あった民俗信仰と百済復興のために戦った将兵の慰霊とが結びついた3年に1度行われる祭礼で、無形文化財となっている。
韓国の重要な政治家の一人である金鐘泌(キム・ジョンピル)は、扶餘郡の出身である。
現在の市街地は、1939年に公式発表され、結局一部のみが実施された「扶餘神都計画」によって作られた。計画の中心に置かれていた扶餘神宮は、建設されないまま終戦/光復を迎え、跡地は国立扶餘博物館と扶餘女子高の敷地となった。
[参考文献:渋谷鎮明(1998)都市計画の実験場としての植民地.『空間から場所へ』古今書院.]
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