研究の道具箱:山田晴通:韓国・北朝鮮の地名


公州 コンジュ Kongju

面積:1,017.12平方km(1994年末:合併前の公州市と公州郡の合算)、153.53平方km(1994年末:合併前の市域)
人口:138,202人(1995年末:合併後)、57,928人(1994年末:合併前)
世帯数:40,415世帯(1995年末:合併後)、16,353世帯(1994年末:合併前)

大韓民国西部に位置する忠清南道(チュンチョンナムド)の都市。
1995年末に公州郡(コンジュグン)を合併。
錦江(クムガン:この辺りでは白馬江(ペンマガン)と呼ばれる)に臨む百済の古都。475年から538年まで現在の市街地の北にある公山(コンサン)に熊津城(ウンジンソン)があり、百済の都となっていた。その後、百済は都を扶餘(プヨ)に移した。
忠清南道が置かれた1896年から、道庁所在都市となったが、植民地時代の1927年(1932?)に道庁は大田(テジョン)に移された。

市街地の北西にある、1971年に発見された武寧王陵は、百済王・武寧(在位501−523)と王妃の墳墓。盗掘を免れていた内部からは、金冠など、後に13件の国宝指定を受けたほど貴重な内容の副葬品が、2500点以上も出土した。武寧王陵の出土品は、市街地南部の国立公州博物館で保存されている。


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