研究の道具箱:山田晴通:韓国・北朝鮮の地名
平壌 ピョンヤン P'yongyang
朝鮮民主主義人民共和国南西部に位置する首都・平壌直轄市の中心となる都市。歴史的には平安南道(ピョンアンナムド)に属する。
大同江(テドンガン)に臨む小高い要害の地を中心とした、朝鮮半島最古といわれる都市。その歴史は、古代朝鮮諸国、楽浪郡まで遡る。高句麗は427年に平壌へ遷都し、668年の滅亡まで都を置いた。高句麗滅亡後、唐は朝鮮半島支配の拠点として安東都護府を置いた。高麗時代には西京(ソギョン)と呼ばれ、高麗の北方への進出拠点であった。
1592年には、壬辰倭乱(文禄の役)で小西行長の軍勢に占領され、1627年には、丁卯の乱で金(後金)軍に焼き払われた。
植民地時代には、平壌は北朝鮮地域の中心都市と位置づけられ、鉄道網の整備などが進むとともに、市街地も旧来の市街地の対岸にあたる大同江左岸へと広がった。朝鮮戦争では、爆撃や、首都争奪戦によって、市街地は大きな被害を受けた。
戦後は、「革命の聖地」として、新たに政治的色彩の強い都市建設が実施された。工場などは郊外へ移転し、中心部には、モニュメントや緑地公園、集合住宅群、幅広い街路などを特徴とする、整った市街地景観が形成された。
平壌は国内各地に至る鉄道網の要衝である。また、市内には地下鉄も走っている。市街地の北方には国際空港がある。
市内にあるモニュメントの中でも、金日成(キム・イルソン)の生誕70周年を記念した大同江河畔の主体(チュチェ)思想塔(1982年完成:高さ170m)、国家理念を象徴する中心部・万寿台(マンスデ)の千里馬(チョンリマ)銅像(1960年完成:高さ46m)などは特によく知られている。
市街地の北東8kmほどに、かつての金日成の官邸・錦繍山(クムスサン)議事堂(1976年完成)がある。この一帯は、かつては厳重な立入禁止区域であったが、金日成の遺体を安置した錦繍山記念宮殿に改装され、死去1周年の1995年7月から一般公開されている。市街地の近郊には、大規模な競技場、遊園地などが散在している。
市街地中心部の住民は、そのほとんどが中央官公庁などで働く特権的なエリートといわれている。共和国は一定の制約の下で観光客を受け入れているが、平壌でも外国人が訪れることのできる範囲は限定されている。
工業は中心市街地から外へと政策的に移されたが、工業の内容は多様で、近郊で産出する無煙炭、石灰石、鉄などの鉱物資源を利用したセメント・機械などの重工業とともに、紡績・食品・ゴム・陶器などの軽工業もある。周辺の農業は、平壌の需要に応じた園芸農業的な生産によって、野菜類・果物類・肉類・鶏卵などを生産している。
李朝時代から植民地時代までは、平壌は妓生(キーセン)の地としても有名であり、妓生養成所などもあった。
食文化では、冷麺(ネンミョン)が有名である。
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