私的ページ:山田晴通
[年記]:2009年を振り返る
2009年は、ここ数年、体力の衰えを実感していましたが、今年は、遂に定期的な投薬治療を要するようになってしまいました。
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2009年を振り返ります。
- 初めてバンコク(タイ)へ行く。(3月)
春休みに、珍しくまったくの私的な観光旅行で、初めてタイ、バンコクへ出かけた。以前、南アフリカへの乗り継ぎでシンガポールへ行って以来の東南アジアである。初めてとはいえ、タイ料理には日本でもオーストラリアでも馴染んでいたので、いろいろ美味しいものを食べ、楽しい買い物もした。
[バンコクの記憶:2009年3月15日〜18日]
- <この項目は当面公開しません>(通年)
- 十年ぶりの沖縄。(10月)
日本地理学会の秋季大会が琉球大学で開催され、1999年に別の学会で沖縄を訪れて以来、十年ぶりに那覇市内や首里を歩いた。前回、建設工事が一部で始っていたモノレールに全線乗り、高層マンションが急増した那覇市街の変化に、少なからず驚かされた。ホテルもパッケージで旅行会社任せで手配をしてもらったところ、辻のはずれのホテルに泊まることになった。これも一興ではあった。ただし、授業期間中の限られた日程での渡航だったことと、台風の接近という天候だったので、コザなどへは足を伸ばせず残念だった。
- 高血圧の治療。(5月〜)
3月に人間ドックで高血圧が赤信号と判定され、5月から定期的に通院し、投薬を受けるようになった。これで新たに保険に入ったり、借り入れをするのは難しくなったということだ。体重も減らさなければならないのだが、横ばい、やや増加気味である。
- ウィキペディアの編集に参加する。(3月〜)
細かい誤りの修正や、英語版からの翻訳による新しい項目の作成などをはじめた。もちろん実名「山田晴通」を使っている。
- 北海道。(8月)
夏休みを利用して8月に、集中的に日刊地域紙やコミュニティFMなどの聞き取りを行うため、ほぼまるまるひと月近く北海道に滞在した。
フィールドワーク、ライブラリーワークの合間に、北海道各地の自然を大いに満喫した。
- <この項目は当面公開しません>(10〜12月)
- 免停。(11月〜)
詳細は公開しないが、久々に「免許停止」処分を受けた。解除後も自重しなければならない。
- 野尻湖。(11月)
知人の招きで、野尻湖の国際村にある別荘に一泊滞在した。こういう世界もあるのだなあと、改めて考えさせられた。
- ソウル、グルマンの旅。(2月)
円高ウォン安のタイミングを捉え、まったくの私的観光旅行で、事実上こちらが引率するような形で、身内4人でソウルへ出かけた。もっぱら市場を見て回り、韓国料理を堪能するという旅だった。
[韓国・食事メモ]
- 現役大学教員ばかりが、大学院での指導相手となる。(4月〜)
今年度は、昨年度から打って変わって、大学院の修士課程で担当している半期科目にも、博士課程の通年科目にも、受講希望者が現われて休講とはならなかった。しかも、いずれの科目の受講者も、某短大と某大学の現役教員である。これまで経験してきた、普通の大学院生たち相手の授業とはまた異なり、こちらもいろいろ貴重な経験をした。
- 経済地理学会の事務局移転準備(10月〜)
従来、東京学芸大学に置かれていた経済地理学会の事務局を、研究室で引き受ける事になり、引っ越しの準備や手続きなどで、研究室のほぼ半分くらいを大掃除することになった。最終的な引っ越し作業の完了は年末までずれ込んだが、2010年の新年早々から山田研究室内に経済地理学会の事務局機能が置かれることとなった。
[経済地理学会]
- 北海道で地域メディアのフィールドワーク。(8月)
大学から個人研究助成費を得て、ほぼ8月いっぱい北海道へ渡り、各地の日刊地域紙や、コミュニティFMなどをインタビューしてまわった。これだけ長く北海道に居続けた事はこれまで無かったと思う。
- バンコクでフィールドワークの可能性を探る。(10月〜11月)
3月に初めて私的観光旅行で訪れたバンコクには、非常に興味深い印象を得た。そこで、10月末から11月初めにかけて再度バンコクへ渡航し、在バンコクの日本語メディアについての研究に可能性があるか、簡単に予備調査を試みた。今回は『バンコク週報』にアポイントをとってインタビューをお願いしたほか、他の日本語メディアの現物の収集にもあたった。今後、広げていけそうな手応えを、ある程度感じた。
[バンコクの記憶II:2009年10月29日〜11月4日]
- <この項目は当面公開しません>(4月)
- 青山学院大学で「スチューデント・アシスタント」制度を使い始める。(9月〜)
非常勤先の青山学院大学で、授業の補助員の制度である「スチューデント・アシスタント (SA)」の利用を認めて頂き、後期の授業から授業の記録や、出席管理などのお手伝いをお願いするようになった。
- 体育会フェンシング部に新入部員。(4月〜)
前年度から体育会に所属するフェンシング部の部長を、経済学部の安川教授から引き継いだが、新年度は1名の部員が確保できた。それがなければ、文字通り消滅の危機だったのだが、とりあえずそれは回避できた。もちろん、合わせて2名の部員という体制では、危機が去ったことにはならない。まだまだ課題は大きく、また重くのしかかっている。
- <この項目は当面公開しません>(4月〜)
- 研究室前の荷物撤去。(通年)
山田研究室のある6号館6階は廊下が広く、もともとは研究室前にまとまった量の荷物を置いている者が少なくなかった。しかし、昨年来、研究委員会から研究室前の廊下に荷物を置く事を止めるよう、具体的な指示が何段階かに分けて行われたのを受けて、室外の荷物を新年度前に全て撤去した。従来、研究室前で行っていたプリントの配布は、学習センターのご好意で、4月からはそちらに預ける事になった。その後、経済地理学会の受け入れ作業の関係で秋口におもに段ボールの空箱をしばらく置いていたが、経済地理学会の移転完了とともにこちらも全て撤去した。
- <この項目は当面公開しません>(通年)
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- 政権交代。
こうなってみると、自民党の方に大いに同情したくなるのだが、河野太郎がリーダーになるくらい思い切って変わらないと、党自体が本当に雲散霧消するかもしれない。それにしても中川昭一は哀れだった。
- 温暖化防止で数値目標を公表。
鳩山首相が「2020年に1990年比で二酸化炭素排出量を25%削減」と明言したことは、今後の様々な政策にも影響してくるはず。「そんなことができるはずが無い」と高をくくっているような企業は、技術競争に敗れていく運命なのかもしれない。
- 「年越し派遣村」のその後。
派遣切りの実態が周知となり、「村長」は政権交代もあって内閣参与となり、年末には官製の「派遣村」がいろいろ用意されるなど対策は広がったように見える。しかし、他方ではそこからこぼれ落ちる人々もあり、社会の底辺に生きる人々をどう支えるべきかというビジョンは誰も明確に示せていないように思われる。
- 新型インフルエンザ対策。
公の建物の入口にアルコール消毒液が当たり前のように置かれるようになり、思わず手指を消毒する期間が多くなった。そのおかげか今シーズンはまだだ風邪気味になってはいない。
- 裁判員制度の導入。
これも小泉政権の置き土産だが、実際に始ってみると、量刑が大きく変化するということはほとんど無いようだ。しかし、専任された人の重圧感は事前の予想以上にあるようだし、今後、守秘義務に触れるような事例が実際に出てきたときに、また議論は次の段階に進むのだろう。
- 高校生ゴルファー石川遼の活躍。
昨年も同じような事を書いたが、十代で賞金王、年収(年商?)数十億というのだから、文字通り抜群の存在感である。今年もまさしく「オーラが出ている」感じだった。
- 芸能界の薬物事件の多発。
SMAPメンバーの「公然わいせつ」は、結局ご愛嬌だったが、事件が大騒ぎになった背景には警察が薬物使用を疑ったことがあったようだ。酒井法子、押尾学、あるいは鈴木茂といった芸能人や、力士などの事件が連鎖的に大きく取り上げていた感がある。
- 円高とデフレの高まり。
ローンを背負っている身としては、世知辛いことである。ささやかな贅沢は海外で味わうべしということか。
- JAL危機。
- WBC 2連覇。
運も実力のうちであろうが、はやり最後は持って行ってしまうイチローの偉大さが何よりも印象に残った。
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