私的ページ:山田晴通
[年記]:1999年を振り返る
このページは、年が明けた1月3日にまとめました。今年も、文章ではなく、「十大ニュース」を列挙するという形で、1999年を振り返ります。ただし、今年は、個人の3位までが特に大きな出来事でした。
- 本厄の年。(通年)
1999年は数えの四十二歳、本厄の年だった。健康こそ害しなかったものの、山田研究室の「十大」ニュースにあるように、膨れ上がる業務の前に事務処理の停滞を引き起こすことがしばしばあり、周囲の方々に迷惑をお掛けした。世紀末の後厄の年もどうなることやらである。
- 穂高町の旧宅が移転。(3月〜5月)
穂高町の家が移転した。一部の荷物は1月頃から運んだのだが、もともと作業場だったところに台所や風呂など水回りを増改築し、その完成が予定よりずれ込んだので、最終的には3月末から5月にかけて少しずつ荷物を整理することになった。
旧宅は取り壊され跡地は更地となったが、工事が始まるのはまだまだ先のようだ。
- 家族旅行で英国、パリへ。(7月〜8月)
妻と子ども二人に義母も加わって、五人で夏休みに英国旅行に出かけた。二週間だけの滞在だったが、ロンドンと湖水地方を中心に、あちこちを見て回った。帰りにはパリで日蝕も見ることができた。
英国では小泉氏、パリでは安田氏にお世話になった。感謝感謝。
- 東京私大教連の組織部長を務める。(通年)
二期目に入った東京私大教連の中央執行委員として、組織部長の仕事を引き受けた。とはいえ、実務的なことは専従の諸氏にお任せで、もっぱらアジテーションが仕事だった感じである。秋の改選で中央執行委員三期目となり、引き続き組織部長も引き受けることになった。課題山積。
- 奥歯を直す。(2月〜3月)
前年はじめに外れて放置していた奥歯の金冠を詰め直した。自宅近くの歯科医院にお世話になったのだが、いざちゃんと直すとなると、けっこう何回も通わなければならず、日程を調整するのに苦労した。
- マイルがたまる。(8月〜9月)
今年の夏は、家族旅行で欧州へ飛んだだけでなく、8月末から9月半ばにかけて飛行機に乗りまくった感じ。
2週間ちょっとの間に、羽田→札幌(集中講義)→ホノルル→リフエ(カウアイ島調査)→ホノルル→関西国際(移民学会)→ホノルル→リフエ(調査の続き)→ホノルル→成田と移動した。こんな経験は滅多にないと思う。でも何でジャパンエアチャーターの略称がJAZだったのだろう?(その後、ジャルウェイズと社名変更)
- 国際運転免許証を取得。でも使わなかった。(7月〜)
生まれて初めて、国際運転免許証を取得した。英国旅行でレンタカーを借りるつもりだったのである。しかし、実際にはバカンス中には車がほとんどなく、運転の機会はなかった。次に出かけたハワイでは、運転をしたが、こちらでは国際運転免許証は必要なく、警察の検問でも日本の運転免許証でOKだった。失効する来年の初夏までに、この免許証を使用する機会はあるのだろうか。
- 古いSP盤音源のCDをいろいろ買う。(通年)
これはプライベートと研究・教育の境目の話だが、今年はポピュラー音楽関係の授業が多かったせいもあって、戦前のSP盤音源のCDを買うことが多かった。この分野では、日本コロムビアが一番まじめに取り組んでいるようで、コロムビアのものに比べると、他社の類似企画ものはオリジナル盤のデータの記載などが貧弱で資料性に欠ける。
今年入手したSP盤音源CDの極めつけは、ダイセルが十年ほど前に出した60枚組のセット。これは元々30万円近くで売られていたものを、新古品で6万円で手に入れた。何しろ膨大なので、少しずつ聴いているが、昭和戦前期の流行歌の豊かさには驚かされることが多い。
- iMac の持ち腐れか。(通年)
春先に iMac の blueberry を買ったのだが、いろいろと不都合があって電話線にもつながれないまま、ゲーム機を置いてある部屋に放置される状態が続いている。現状では、買うときに色を決めた娘がキッドピクスでお絵かきをするのと、息子がFDの書き換えをするのに使っているくらいで、わが家の主力機は Peforma のままである。このままキッドピクス専用機となるのか?。
- ハブ酒の洗礼。(12月)
日本ポピュラー音楽学会が沖縄県立芸術大学であり、土曜の夜はコザへ。知る人ぞ知るかっちゃん(川満勝弘)の店「Jack Nasty's」で、初めて来た客へのサービスというか通過儀礼(?)で、ハブ酒を飲む。要するに泡盛なのだが、大きなジャーの中には、とぐろを巻いたハブの他、イモリやらタツノオトシゴやらサソリやらがいろいろ入っていた。私は全くの下戸なので、タクシーでホテルに帰りついた後、死ぬ思いをした。翌日の学会発表が午前中の最後だったのが救い。
- JASPMの事務局業務を停滞させる。(4月〜)
引き受けて4年になる日本ポピュラー音楽学会(JASPM)事務局の仕事だが、いろいろ業務が輻輳、停滞し、関係者にご迷惑をお掛けした。12月の大会の席では事情説明と陳謝をしたが、何とか立て直しを図っているところ。
- 日本移民学会の会計業務を停滞させる。(〜9月)
3月まで会計業務専門の事務局を引き続き担当した日本移民学会だが、一応の引き継ぎをしたものの、9月はじめの大会では事情説明と陳謝をするため、調現地査中のハワイから一時帰国する事態となった。結局、大会を最後に、前年度末(3月)に遡って退会するという形にして頂いた。
ご迷惑をおかけした関係者の方々に改めて陳謝。
- 特別企画講義「ポピュラー音楽と日本人」を実施。(4月〜)
特別企画講義の企画が通り、「ポピュラー音楽と日本人」というテーマでJASPM会員を中心に講師陣を構成して輪講を行った。詳しくは講義の紹介をみて欲しいが、こんな企画、当分は再現できないだろう。
今年は、特別企画講義に縁のある年で、藤澤先生の特別企画講義の関係でも、高橋潤二郎先生(慶應義塾大学)や矢田俊文先生(九州大学)などをお呼びした。ご協力いただいた諸先生に感謝。
- 大学院コミュニケーション学研究科がスタート。(4月)
東京経済大学大学院にコミュニケーション学研究科が新設された。修論の指導は担当しないが、「地域メディアと地域社会」と「フィールドワーク」を担当することになった。この二つの科目は初年度の履修者が社会人大学院生ばかりだったこともあり、学部の講義とは随分違った雰囲気でのんびり授業を進めている。
- 東京大学文学部非常勤講師を務める。(4月〜9月)
東大で教えること自体は4度目だが、今回はポピュラー音楽関係である。受講者の中には、JASPM会員の某先生のお嬢さんや、潜りに来てくれたJASPM会員の諸君もいて、なかなか楽しかった。でも、準備に余り力を尽くせなかった、少々後悔の残る授業だった。
- ハワイ、カウアイ島で聞き取り調査。(8月〜9月)
山中速人先生を中心とした共同調査のプロジェクトで、ハワイ、カウアイ島ワイメア地区の日系人高齢者(ほとんどが二世)への聞き取り調査を手伝った。
ワイメア東本願寺の藤本師や、インタビューをさせていただいた方々に改めて御礼を申し上げたい。
- FM西東京を通じてコミュニティFM局について考え始める。(1月〜)
昨年まで、パブリック・アクセス研究会で一緒だった岡田氏の紹介で、コミュニティFMのFM西東京(田無市)にときどき立ち寄らせていただくようになった。1月にはイベントに参加し、4月には開票速報を見学、その後も断続的に話を聞いている。
- 丹波地方を訪れ、両丹日日新聞社(福知山市)などを訪問。(3月)
ゼミ生の馬谷君が卒論で取り上げる『両丹日日新聞』について、予め話を聞いておこうということで、馬谷君と留学生のマリンズ君を連れて福知山を訪問した。関連して綾部市のコミュニティFM局や加悦町の町営CATV局も見学した。
現地でお世話になった馬谷君のご両親はじめ、多くの方々に感謝。
なお、馬谷君は無事12月に卒論を提出した。
- またまたオリエンテーション・キャンプ実行委員を務める。(5月)
3年連続でオリエンテーションキャンプの実行委員を務めることになった。昨年に引き続き西湖の宿舎を使うことになり、そろそろノウハウも定着してきた。キャンプの成否を左右する大きな要素は、学生オリター諸君の頑張りである。その面でも、今年は上手く行った。
来年の実行委員は、無事、他の方に引き継いでいただける見込みになった。ホッとしている。
- 札幌学院大学で集中講義。(8月)
以前一緒に論文を書いた是永氏の依頼で、札幌学院大学に集中講義に出かけた。札学大へは、以前、学会で出かけたことがあったが、キャンパス整備が進んでいてよい印象を受けた。しかし、講義は1週間で4単位分=30回の講義という強行軍である。結局、最終日にハワイに向かう飛行機の都合があり、28回分で勘弁してもらったが、とにかく体力的に大変だった。
- 番外その1:飯田君が、東大社情研の大学院に進学。(4月)
研究室によく来てくれた東経大経済学部出身の飯田君が、二年前の研究生試験に続いて、大学院にも合格し、4月から大学院生となった。日本のテレビ放送について研究するということ。
今後に大いに期待します。
- 番外その2:高村君が、東経大大学院に合格。(11月)
当研究室関係の学会事務や、研究室のサーバ管理で活躍してくれている某女子大出身の高村君が、東経大大学院コミュニケーション学研究科に合格。2000年4月から大学院生となる。
おめでとうございます。今後ともよろしく。
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- JCO東海村事業所の被曝事故。
もしかすると「この程度の事故」は日常化する来世紀が待っているのかも知れない。「安全」を言いつのることの愚かさが、今さらながらに暴かれた。よく関連づけられるように、JR西日本などのトンネル・コンクリート崩落事故も同根の問題。
- 右傾化する政治。
ガイドライン関連の諸法から、「盗聴」法、国旗・国歌法と、一つ一つが重大ニュースであるが、左派の崩壊を受けた状況の中で、公明党を含めた旧世代の右派が悪のりをしているという流れは一貫している。新世代の右派とは微妙にずれているようにも思うが、いずれにせよ一連のオウム事件などをバネとした軍事・公安体制の強化は、看過できない。
- 借金づけの国家財政。
ナチス時代のドイツに匹敵する赤字国債の発行に至る無責任な<景気浮揚>論。資本の利益のために権力が動員される姿を見せつけられると、結局はマルクスの資本論が正しいんじゃないかと思いたくなる。
- 神奈川県警の一連の「不祥事」。
叩けばいくらでも出てくる感じで呆れるのを通り越して、ただただ気が滅入る。日共幹部宅盗聴事件、坂本事件などで、ちらちらした県警の体質が、そのまま「不祥事」の現れ方にも感じられる。警察幹部なら、証拠隠滅の疑いをもたれても、証拠隠滅のおそれなしとして逮捕されないというなら、身びいきをはっきり公言するべきだろう。さもなければ全ての被疑者について、証拠隠滅のおそれを理由とした逮捕はすべきではない。
われわれ一般市民は、警察に全幅の信頼を置いているからこそ通信傍受でも何でも容認しているのだ、ということを彼らは判っているのだろうか。
- 横山ノック大阪府知事のセクシュアル・ハラスメントと辞任。
セクシュアル・ハラスメントに対する認識が少しずつだが浸透している中で、現実の男性=権力者がいかに「フェミニズム以前」かを如実に表した事例。辞任に際しても、横山氏はいっさい被害者への謝罪はしていない。
- 東ティモールの住民投票。
投票後の「併合派民兵」による焼き討ちなど、独立の選択で問題が終わったわけではない。長い目で注目していく必要のある地域だが、特に資源があるわけでもなく、長く無視されてきた地域であるだけに、忘れられる恐れも大きい。(わかりにくい、知られていないという意味ではチェチェンも同様だが、こちらについては正直なところ背景や経緯がよく判らないので判断は保留にしたい。)
- カルロス・ゴーン氏の登場。
日産の経営がどうのこうのという次元を越えて、目に見える形で(キャラが立って)大リストラを担う辣腕の経営者が登場したところが新しい。日本語でスピーチをしたがったりするゴーン氏は、これまでにないキャラクターとして魅力的。
- 熟女バトル。
とにかくワイドショーを占領した「ミッチーvsサッチー」ネタ。中身はともかく、こんなことで視聴率がとれる日本は本当に平和だと思う。「梅宮アンナ・羽賀健二」ネタも同じこと。
- 西武・松坂大輔の活躍。
期待通り、それ以上の活躍ぶりは、見ていても小気味よい。イチローとの初対決連続三振や、五輪予選の古田とのバッテリーなども記憶に残る。
- 「なんちゃってディーバ」の叢生。
宇多田ヒカルの出現。横文字シングルネームの女性シンガーの雨後の筍状態(もちろん、ちょっと前から活動している人たちも含めて)は、Dragon Ash の「Grateful Days」にも出てくる Aco 辺りまで含めて、面白い動きになった。
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