私的ページ:山田晴通
山田が聴いている音楽(CD)
(2010年)
山田は、ポピュラー音楽についていくつか文章を書いていますが、聴いている音楽の内容は、決して専門的だったり、マニアックだったりということはなく、浅く広く、表層的です。
好きな音楽、コメントすべき音楽について触れていくときりがないので、ここでは、研究室で山田がかけているCDの紹介を中心に、山田がふだん実際に聴いている音楽を、近況報告風に紹介していきます。
ここ2年、2008年と2009年は、このページへの書き込みを丸々さぼった、というか、書く習慣が無くなっていました。気まぐれに再開してみようと思います。2007年にも同じことを書いていますが、今年も無理はせずに「細々と続けようと思います」。
CD紹介は、書き込みが新しい順に並んでいます。( )内は、レーベルと発売年月日です。
このページでは、2010年に書き込んだ内容を保存公開しております。
///(2007年)///...2008/2009年は執筆していません...///(インデックス)///
2010年
- 2010.07.19.記:灯台下暗し
- Soirée(ソワレ)『à la chanson』(Shibuya television:2009.--.--.)
今日ではピアノ曲として演奏されることの多いエリック・サティの「ジュトゥヴ Je te veux」が、もともとはポーレット・ダルティという当時人気だったシャンソンの歌姫のために書かれた歌曲であることは、そこそこ知られているが、ダルティがこの曲をどう歌ったのかは、残念ながら録音は残っていないので、永遠の謎である。クラシック系の歌手ではないダルティのために書かれたこの曲を、今日、歌曲として聞こうとしても、オペラ的な発声法で録音されたソプラノやテノールの録音しかCDでは出回っていない。長い間、誰かシャントゥーズ/シャントゥールが歌ったバージョンがないかと思ってきた。もちろんダルティの時代の歌い方と、20世紀半ばのシャンソン全盛期の歌い方は異なるものであるから、仮にそのようなバージョンが見つかっても、サティの意図した原型が理解されるというわけではない。しかし、サティが、この曲をいわば<小唄>として意図していたのであれば、その延長線上に想定されるシャンソン的な表現による歌唱を聴いてみたい、とずっと考えていた。そこで、詳しそうな人に聞いたり、片手間ながらあちこち探してきたのだが、うまく見つからないまま結構な年月が経ってしまった。
ところが、今年(も)この話を青山学院の音楽史の授業中にしたところ、ある学生が、日本人のシャントゥーズが録音しているCDがあると教えてくれた。さっそくいろいろ調べてみたのだが、残念ながらそのCDは入手不能。また、ネット上の情報で併せて収録された曲名を見ると、クラシック系の歌曲ばかりで、こちらの期待とは違う録音かな?という気がして、ムキになって探すことはしなかった。
そんなことでネット検索をしていて、たまたま見つけたのがこのCDだった。ネット上の情報では、タワーレコード新宿店で取り扱っていることになっていたので、ついでの折りに立ち寄ったのだが、「取り扱いを止めた」というつれない返事。最後の手段で、直接、歌手・ソワレがオーナーという新宿ゴールデン街のバー「ソワレ」に出向き、ようやく入手した。その晩の「ママ」は、あの「坂本ちゃん」。歌謡曲の有線放送が流れている店内に、ほかのお客さんがほとんどいなかったのをよいことに、無理を言ってその場で買ったCDを開けてかけてもらい、全曲を聴き通した。
冒頭におかれた「ジュトゥヴ」(1)の歌い出しは無伴奏で語るように始まり、期待に違わない「らしい」歌い方だ。ただ、このまま続くと重すぎてちょっと辛いかなと感じかけたところで、印象的なベースのアルコとともに徐々に軽快な伴奏が入ってきて、歌声も明るく回り出した。曲が終わるころには、自分が期待していた演奏をまさしく見つけ出したような感じがした。オリジナルを挟んで、「あなたの声を聞けば聞くほど」(3)、「君を待つ」(4)、「ケ・サラ」(5)と、岩谷時子・訳詞によるシャンソンのスタンダードが畳み掛けられる中盤は、自分が子どもの頃に越路吹雪の歌声で聴いていたはずの、そこそこ遠い記憶が蘇る感覚で、何だかフワフワとした幸せな気分を味わえた。
ソワレ自作のオリジナルは、決してベタなシャンソンではなく、お洒落なポップスという感じである。それは時代性ということだろう。アナクロニズムにならずにスタンダードを歌うバランスが、彼のスタンダード歌唱を魅力的にしているのだとすれば、その分、自作曲は損をしているのかもしれない。
アルバムの掉尾を飾る「ラストダンスは私に」(8)は、もちろん米国の曲だが、なぜか英語ではなくフランス語の曲名が併記されている。これも岩谷訳詞であり、越路吹雪へのオマージュである。
□soirée official homepage:ソワレ公式サイト
□うぬぼれ少女百貨店:「エリック・サティに関するちょっと変わったサイト」
□Erik Satie: "Je te veux" - Valse chantée (original):YouTube にある歌唱の中では、一番それらしい熱唱
□EPO ジュ・トゥ・ヴ ~あなたが欲しい~:YouTube にある EPO の歌唱(ポピュラー調だが、シャンソン風ではない)
□Kaya - ジュ・トゥ・ヴ:YouTube にある、また別の日本語の歌唱(既にCDは廃盤:レアもの?)
- 2010.02.25.記:半ば羊頭狗肉ですが
- The Beatles with Tony Sheridan / Tony Sheridan and the Beat Brothers『The Early Tapes of The Beatles』(Spectrum Music:1998.--.--.)
タイトルは「ビートルズの初期テープ」だが、これは嘘ではないものの少々誇大広告気味。収録されている14曲のうち、8曲は2回目のハンブルク滞在時のビートルズが、トニー・シェリダンをバックアップしているが、残り6曲はビートルズとは関係のない、トニー・シェリダンの音源である。『Mersy Beat』のビル・ハリーの筆になるこのCDの解説によると、当初ジェッツというバンドの一員としてハンブルクへ渡ったトニー・シェリダンは、一緒にやってきたバンドのメンバーが帰国した後もハンブルクに残留し、ソロ歌手として活動していた。そこにビートルズがやってきて、シェリダンは初めてのレコーディングのバックを彼らに頼み、セッション2回に4曲ずつ、計8曲を録音した。その中から、1回目のセッションで録音された"My Bonnie"(10)と"When The Saints Go Marching In"(3)のカップリングが、ドイツでシングル盤として発売されたが、このときレコード会社はバックを務めたビートルズの名を勝手に「the Beat Brothers」に変えてしまった。
このビート・ブラザースという名は、その後、全く違うメンバーによるシェリダンのバック・バンドに引き続き使用された。解説によれば、当時のビートルズの演奏が同時代にビート・ブラザース名義で世に出たのは、シングル化された2曲だけである。しかし、その後、ビートルズが大成功を収めてからは、シングル盤となった2曲以外の音源も含め「The Beatles with Tony Sheridan」とか「Tony Sheridan and the Beatles」とクレジットされるのが普通になっている。このため、(上記の8曲以外の)ビートルズではないメンバーによるシェリダンとビート・ブラザース名義の音源が、ビートルズのものと誤解されて(あるいは意図的に偽装されて?)、CD化されている例も少なくない。このCDは、ビートルズを前面に出している点では五十歩百歩だが、ビートルズの音源8曲分を網羅しているCDの中では、おそらく最も曲数が少なく安価で入手しやすくビル・ハリーによる解説で上記の事情を説明しているという意味で、まだマシかと思う。ただし、ここで解説されている内容とは異なる、筋の通った別の説明もあるので、鵜呑みにはしない方が良いかもしれない(ウィキペディア「ビートルズのポリドール・セッション」やTAKE(たけ)さんのページによると、"Sweet Georgia Brown"(7)は、さらに別の1962年に行われたセッションの録音で、この時には"Swanee River"も録音されたという)。
なお、ビートルズの関わった8曲のうち、"Cry For A Shadow"(2)はインストゥルメンタル曲(ハリスンとレノンの共作)、2回目のセッションで録音された"Ain't She Sweet"(1)はレノンがヴォーカルをとった曲で、この2曲はシェリダンが関わっていない純然たるビートルズの曲と言える。この2曲と"My Bonnie"の3曲は、ビートルズの『アンソロジー1』にも収録されている(1-10/12)。
ビートルズと関係のない音源も含め、通して聴くと、エルヴィス的なスタイルのシェリダンの歌唱が、そういうものとしてある種の完成度を感じさせるのが奇妙に心地よい。ビートルズの古い音源として資料的に聴くもよし、1961年の時点でこうした音を求めていた、ドイツの、あるいは英国の音楽状況を考えながら聴くのもよし、何も考えずに聞き流すのもまたよしである。
□The Official Tony Sheridan Homepage:英語と独語によるトニー・シェリダン公式サイト
- 2010.01.29.記:ルーツとモダンの接点
- Pete Seeger『エッセンシャル・ピート・シーガー (The Essential Pete Seeger)』(Sony Music Direct, Japan:2005.04.19.)
- Pete Seeger『Folk Songs, Ballads and Banjo』[3枚組](Golden Stars/IMC Music:2006.--.--.)
実は、これまでピート・シーガーの音源は、いろいろなコンピレーションに入っているものでしか聴いていなかった。ちゃんと調べれば、1-2枚はコレクションの片隅に埋もれているかもしれないが、それはほとんど聴いていない。昨年5月頃から、Wikipedia の日本語版に、英語版を翻訳する形で「ピート・シーガー」を立項し、夏場の中断を挟んで10月には一応の作業を終えたのだが、その過程で改めてまとまって音源を聴かねばと考えて、手頃な値段だったこの2点を渋谷か新宿のタワーレコードで買った。
とにかく活動歴が永く、昨年のオバマ大統領の就任記念コンサートにも登場しているシーガーだが、今の時点から回顧して、歴史的な録音として聴くべきなのは、一つは、1940年代までの左翼色が明確な労働運動関係の歌や、同様の文脈で歌われたトラディショナル曲などであり、もう一つは、おもに1950年代から1960年代に、モダン・フォークソングを生み出していったフォークソング復興運動の中で、シーガーが広めてスタンダードとなった(自作曲以外も含めた)歌であろう。
そうした観点で言えば、『エッセンシャル・ピート・シーガー』は、後者に重点を置く形で構成されたコンピレーションである。データ類もしっかり記載されており、日本語の解説と歌詞/訳詞もあるので、入門盤としてはよくできている。1940年代の録音は(オールマナック・シンガーズ名義のはずの)"Talking Union"(4) 1曲、1950年代の録音は、「ゴードン・ジェンキンス&ウィーヴァーズ」名義の "Goodnight Irene"(2)と、ソロ演奏の"If I Had a Hammer"(1)(「天使のハンマー」)、"Where Have All the Flowers Gone ?"(11)(「花はどこへ行ったの」)の3曲で、残り11曲は1960年代の録音である。シーガー自作の「花はどこへ行ったの」(11)は、後に歌詞が加筆されて広まる曲だが、ここでは原型の3番までの歌詞で歌われたバージョンが収録されている。一方、ガスリー作の「わが祖国」"This Land Is Your Land" は、原曲の歌詞の一部を省略した、現在まで一般的に知られている形で歌われており、シーガーの演奏形態が後年のお手本になったことをうかがわせている(オバマ大統領の就任記念コンサートでは、ガスリーの原曲の構成に従って演奏されていた)。また、シーガー作で、バーズがヒットさせた "Turn! Turn! Turn!"(12) も、ライブ音源で収録されている。
なお、日本語解説では、曲名、アーティスト名等の一部に、同時代のものとは異なる表記が用いられている例がある。リアルタイムに近い聴き手には、いろいろ突っ込みたくなるところもあるかと思う。
一方、『Folk Songs, Ballads and Banjo』は、ポルトガル製の廉価盤3枚組で、オールマナック・シンガーズ名義を含め、初期のシーガーの音源を集めたものだが、残念ながら解説の類はいっさいなく、それぞれの録音年などデータは明示されていない(その分安くてお買い得ともいえる)。全45曲のうち、『エッセンシャル・ピート・シーガー』との重複は "Talking Union"(3-3) 1曲だけであり、これを含めオールマナック・シンガーズ名義が7曲入っている。収録曲の過半はトラディショナル扱いで、ほかにシーガーの自作が(共作も含め)7曲、ガスリー作が3曲あるが、中にはバッハやベートーベンをバンジョーで弾くトラックもある。
一通り聴いていて、初めて聴く曲も多かったのだが、"Polly Wolly Doodle"(3-7) という曲が、泉谷しげるの「ヒマ人クラブ」のAメロの元歌だと分かったのは、ちょっとした発見だった。高田渡とかなら何も不思議には思わないが、泉谷がこうしたトラディショナルを直接受容していたというのは、イメージからは少しずれた感じもする。
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