学内文書等の記事:1995:

「不安」だった頃.

蒼穹,松商学園短期大学,44 (1995.03.18.),p11.


 この文章は、松商学園短期大学を退職した際に、短大の学報『蒼穹』に退任の挨拶として寄稿したものです。
 掲出に際して、明らかな誤字は訂正し、その部分を青字としました。

「不安」だった頃

助教授  山 田 晴 通  


 九年前の今頃、大学院の学生だった私は、松商学園短期大学から採用内定をもらい、赴任準備に追われていた。当時、私は二十七歳。既に結婚し、子供もいたが、大学しか知らない世間知らずで、「社会人」になるのは、まるで初めて。これから始まる教員生活には、「期待」以上に大きな「不安」を抱えていた。
 細かいことまでは憶えていないが、当時の私には、短大への就職を前に、「不安」を感じる理由が山ほどあった。何しろ、人生の大半を横浜や湘南で過ごしてきた私が、遠い別世界の信州へ、妻子と別れて単身赴任するのである。
 さらに、情報が集中している東京から離れることは、研究の挫折を意味するようにも思われた。また、担当科目の「商業学」や「マーケティング」は、大学での専攻とは違っていた。採用試験の面接では、「実質的に十分勉強しており、問題なく講義できる」と大見を切ったが、内心はきちんと講義できるか、大いに「不安」だった。
 しかし、四月になって、実際に仕事が始まると、悩みや「不安」を感じている暇はなくなった。なかなか理解してもらえない講義の内容を工夫し、教材を用意し、ゼミ生への対応をする。さらに広報や学生指導を手伝いながら、研究の資料を集める。時にはトラブルもあり、目の前にはやるべき仕事が山積みだった。
 一つひとつの仕事と、私は悪戦苦闘した。逃げたことも多い。そうした経験の連続の中で、私は多くを学んだ。少しずつ鍛えられ、育てられ、そして少しばかりずるくなり、私は、何とか「一人前」になっていったのである。
 あれから九年、随分と長い時が流れた。この三月で私は短大を退職し、四月からは東京経済大学に勤務することになった。新年度も引き続き非常勤講師として短大でも教鞭を執るが、ひとまず専任講師としては短大を「卒業」する。
 今の私は、新しい職場について、やはりいろいろな「不安」を感じている。しかし、短大での経験から、「一つひとつ仕事をこなせば何とか道は開けていく」ことを私は実感として学んだ。これは私にとって、大きな財産である。今後も、どんな場面でも、目の前の小さな仕事を大切にできる人間でありたいと思う。


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