文化地理学から文化研究(Cultural Studies)への関心について 山田 晴通 (松商学園短期大学) | |||
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人文地理学は、その発展の歴史において、隣接科学との交流から新たな研究動向への刺激を得ることが多かった。例えば、「計量革命」にせよ「人文主義地理学」にせよ、人文地理学の内的発展の結果として成立したという側面もあるものの、隣接諸学からの影響(というのが不適切なら、隣接諸学における展開からの刺激)を大きな力として推進されたものと考えられる。これを逆にみれば、複数の人文地理学者の関心が隣接諸学の特定部分に向けられるような現象は、近い将来における人文地理学内部における新たな動きの予兆である可能性がある、ともいえるだろう。今回発表する事例は、既に1980年代半ばから始まっている動きの紹介であり、継続的に海外の研究動向を展望されている方々には既知のことであろうし、既に著作というまとまった形での出版もなされていることを思えば、「予兆」などというのは遅きに失しているといえよう。しかし、未だ邦文による紹介・解説が少ない状況を考慮し、敢えて取り上げるものである。願わくば識者の御教示を賜わりたい。 【文化研究に向かう関心】 近年、イギリス(一部アメリカ)の文化地理学においては、イギリスを中心とした「学派」ないし、一種の研究動向といえる、Cultural Studies(文化研究、カルチュラル・スタディ、などと記される:以下CS)への関心が一定の地歩を固めつつある。文献(1)(2)は、こうした関心を明白に表明した文献であり、それぞれの序論ではCSへの関心と、その地理学への摂取の意義が論じられている。文献(1)は、英米の人文地理学研究者によるメディアがらみの研究論集で、既に邦文による紹介もあり(文献(3))、邦訳の出版も予定されている。文献(2)は、これまで社会地理学として業績を積んできた著者による、教科書的体裁をとった文化地理学論文集である。 文献(1)の序論に当たる第1章は「文化研究とメディア(Cultural Studies and the Media)」と題された節を設け、メディア研究における「文化主義的視角」と「構造主義的視角」の貢献を、三つの研究テーマ「重要な文化的・イデオロギー的な力としてのメディアの概念化」、「メディアのテキスト」、「受け手」に沿って紹介しつつ、僅かながら地理学的関心につながる研究例にも触れている。 冒頭でいきなり「文化地理学は、懐古趣味的次元を乗り越え、最近の人文地理学再考の中で、より中核的な位置を占めようとしている」と宣言する文献(2)は、その背後に社会科学における文化主義的諸動向があると指摘し、文化研究は、その代表例として最初の節「文化研究序説(An introduction of cultural studies)」で紹介されている。そこでは「文化の多様性(pluralityof cultures)」が強調され、さらに「文化の地理学的研究を景観という伝統的な脅迫観念から解き放つオルタナティブなアプローチ」の追求が唱われている。 このように、CSへの接近を明白に述べた文献(1)(の一部)や(2)の論述が、果してそうした主張に沿ったものになっているかどうかは、まだまだ検討が必要なようにも思われる。しかし、文化地理学がその内的発展の一つの可能性として、より多様かつ流動的な「文化」概念を設定し、そうした「諸文化」の「ヘゲモニー」闘争過程として文化を捉える、という視角は魅力的なものといえるだろう。
文化研究という表現で一括される研究が、どのようなものであるのかを包括的に定義することは、難しい作業であるように思われる。既存の展望論文に従って(文献(4)(5)参照)、やや図式的に文化研究を位置づけ、その理論的視角を整理すれば、文化研究はマルクス主義的な視点に依拠するマス・コミュニケーション研究の流れの一つということになる。また、文化研究はイギリスの文化主義的伝統(文化に自律性を認め、理論の根拠を経験に求める)によって、マルクス主義的な流れの中で一派を形成し、その上に、グラムシ、アルチュセールなどのネオ・マルクス主義/構造主義的マルクス主義による経済還元主義批判と、記号論に基盤をもつバルトのテキスト論・読者論などを<接合(articulation)>して成立している、というのが一般的な見方になっているようである(文献(6)参照)。こうした文化研究を、経済社会地理学におけるラディカルの成果と重ね合せながら、場所によって社会の構成が多様である現実を分析しようとするのが、文献(2)に表明された文化地理学のオルタナティブなアプローチの課題ということになる。 【邦文による紹介の状況】 CSについての邦文による紹介は、主としてマス・コミュニケーションや大衆文化などに関心を寄せる社会学分野の研究者によって進められており、管見する範囲では論文(7)〜(12)がある。このうち、(7)〜(10)は、文化研究学派を紹介・検討する論文ではなく、より広い展望の中でアメリカ的経験学派とヨーロッパ的/マルクス主義的批判学派の大きな流れを押さえたものであり、文献(4)(5)(同じ論文集に所収)などを共通の下敷としている。(11)(12)は、主として理論史的関心からCSの意義を検討した論文である。いずれにせよ現状では、翻訳にせよオリジナルな論説にせよ、CSの観点に立った具体的研究例は邦文では読めないようである。 また、CSの学問的先駆といえる Raymond Williams、Richard Hoggart らの著作は邦訳のあるものも少なくない。特にウィリアムズについては、かなりの邦訳書が刊行されている。しかし、CSのメッカであるバーミンガム大学の現代文化研究センター(CCCS:Centre for Contemporary Cultural Studies)における研究活動の中心人物であり、初代所長のホガートを継いで1968〜1979年の間所長を勤めた Stuart Hall の諸論文をはじめ、文献(1)(2)fで言及されているCSの業績について、邦文では、上記の文献(7)〜(12)における紹介以上のものはない。わずかに、CS学派の中では若手と思われる Iain Chambers の論文には邦訳が存在するものもあり(文献(13))、その主著の一つ、Urban Rhythms は邦訳の出版が予定されているが、これも、文献(1)(2)で言及されているわけではなく、人文地理学への応用の可能性は薄い研究というべきであろう(ただし、文献(2)では序論部分に音楽への言及もある:p3〜4)。 【文献一覧】 (1) Burgess & Gold (eds)(1985): Geography, the media and popular culture. Croom Helm, 273ps. (2) Jackson (1989): Maps of meaning. Unwin Hyman, 213ps. (3) 原田ひとみ (1987): 書評 Burgess & Gold (eds): Geography, the media and popular culture. 地理学評論, 60A(4), pp278〜280. (4) Curran, Gurevitch & Woollacott (1982): The Study of the Media. in Gurevitch, et al (eds): Culture, Society and the Media. Mathuen. (5) Hall (1982): The Rediscovery of 'ideology'; Return of the Repressed in Media Studies. in Gurevitch, et al (eds): Culture, Society and the Media. Mathuen. (6) Hall (1980): Introduction to Media Studies at the Centre. in Hall, et al (eds): Culture, Media, Language. Hunchinson. (7) 岡田直之 (1983): マス・コミュニケーション研究における3つの知的パラダイム. コミュニケーション紀要 (成城大学), 1, pp23〜35. (8) 岡田直之 (1984): マス・コミュニケーション研究の展開と現況. 放送学研究, 34, pp9〜37. (9) 佐藤 毅 (1984): イギリスにおけるマス・コミュニケーション研究. 放送学研究, 34, pp167〜199. (10) 佐藤 毅 (1986): マスコミ研究における経験学派と批判学派. 一橋論叢, 95(4), pp559〜575. (11) 藤田真文 (1986): カルチュラル・スタディ派におけるメディア論とネオ・マルクス主義的社会構成体論との関連性. 新聞学評論 (日本新聞学会), 35, pp1〜11. (12) 藤田真文 (1988): 「読み手」の発見―批判学派における理論展開. 新聞学評論 (日本新聞学会), 37, pp67〜82. (13) チェインバース[三井 徹・訳] (1982=1990): ポップ音楽の批評方法. 三井 徹・編訳『ポピュラー音楽の研究』音楽之友社, pp53〜80. |
この学会発表は、人文地理学分野における cultural turn と称される動向について、日本語としては早い時期に報告したものでした。このため、この発表予稿も、久武哲也(2000):『文化地理学の系譜』など、いくつかの文献で引用参照されました。 文中にある、文献(1)(2)はその後、それぞれ『メディア空間文化論』、『文化地理学の再構築』として邦訳が刊行されました。 CSについての山田の見解は、山田(1996)をご参照ください。 |
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