■<音楽+映像>で自立した表現形態
ポピュラー音楽の世界における1980年代最大の事件は何だったろう。人によっては、例えばジョン・レノンの射殺や、ライブ・エイドを挙げるかもしれない。しかし、MTVの出現とビデオ・クリップの急速な一般化こそが何にもまして重要であった、というのが僕の考えである。
そもそも、ロックンロールがテレビとほぼ同じ時代に生まれて以来、ポピュラー音楽と映像の関係には、浅からぬものがあった。アメリカでもイギリスでも、あるいは日本でも、ロック系アーティストのテレビ出演は、時には緊張をはらむものであったとしても、ごく日常的に行われてきた。エルヴィスの腰が映されなかったり、ストーンズが歌詞を変えて歌ったり、タイガースが紅白に出なかったり、といったエピソードにもかかわらず、ロック系のポピュラー音楽は常にテレビ娯楽の一角に間違いなく食い込んできた。
また映画に眼を向けても、初期のビートルズやモンキーズのように、アーティストを素材にした娯楽映画やテレビ番組がしばしば制作されている。さらに、アーティストのステージや、バックステージの様子は、インタビューなどとともに記録映画として編み上げられることも多かった。ジャニス・ジョプリンも、レッド・ツェッペリンも、ウッドストックの興奮も、単なる演奏シーンの羅列を超えて力のある映像として残されている。
しかし、1980年代に普及したビデオ・クリップの多くは、従来のテレビなどの演奏シーン等とは根本的に異質であり、新たな表現の可能性と、新たなビジネス・チャンスを切り拓くものであった。ライヴをストレートに映像化した作品を別にして、いわゆる「コンセプト・ビデオ」を中心に考えるならば、ビデオ・クリップは音楽やアーティストの魅力を演出するとともに、<音楽>そのものとは別の、<音楽+映像>という新しい消費の対象を生み出した。影響力のある新たなメディア(ないし形式)の確立は、偉大なアーティストの衝撃的な死よりも、重要な時代の転換点となる、と僕は考えている。
オーディオ装置の宣伝文句が「原音再生」を謳っていた時代、演奏シーンの映像が追求したのは、ライヴで経験されるオーラ(アウラ)を多少なりとも画面の上で再現しようとする努力であった。ここの作品の成否は別として、こうした努力がアドルノ的な「構造的聴取」信仰の束縛の下にあったことは間違いない。これに対し、音楽を、演奏の経験というオーラとは異なる自由な映像表現と融合させたもの、なおかつミュージカルのように別の表現形態の中に音楽を取り込むのではなく、個々の楽曲単位で作品として自立させるもの、それがビデオ・クリップである。
1970年代以前にも、今日のビデオ・クリップに相当するような映像付きの音楽素材は様々な形で存在していたし、アーティストの顔や名前を売るためのプロモーション用フィルムも、古くから散発的には試みられていた。こうしたフィルムは低予算で制作され、アーティストが遊園地や公園などで歌うふりをするだけ、というのが普通だった。今日でも時々放送されることのあるカーペンターズの「プリーズ・ミスター・ポストマン」や、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」は、その典型例である。ビデオ・クリップを好んで「プロモーション・ビデオ」と呼ぶ向きは、旧来からのビデオ=宣伝素材といった意識をそのまま残しているのであろう。
一方、単なるプロモーションの目的ではなく、新しい映像・音楽表現を追求する芸術的営為としてビデオづくりに取り組む試みも、1970年代後半には目立つようになっていた。例えば、1978年に登場したディーヴォは、当時から積極的にビデオづくりに励んでいたし、ウォーホルやナム・ジュン・パイクの偉大なる先駆的作業は別格としても、アート系の人脈とロック音楽が交錯する中から実験的<音楽+映像>が各地に出現していた。
■ホーム・ビデオの普及と環境のAV化
こうした1970年代末から1980年代初頭の状況を受けて熟成されたビデオ・クリップは、アメリカにおけるMTVの出現(1981年)と共に、急速に「あたりまえ」で「不可欠」な存在となっていった。その過程で最も重要だったハードウェアがホーム・ビデオである。「ホーム」=家庭用という言葉に惑わされてはいけない。ホーム・ビデオは、それまで放送局や映画館といった専門的空間にしか存在しなかった映像と音楽の結合物を、レストラン、酒場、デパート、など、あらゆるパブリック・スペースへと普及させた。気の利いた店舗設計者は、インテリアの一環としてビデオ・システムを構築し、その場の雰囲気にあったソフト〜BGMを兼ねたBGV〜を探し求めた。レコード店は店頭にビデオをセットして、新譜のプロモーション・ビデオを流し始めた。ディスコは音響や照明と共に、ビジュアルにも関心を向けるようになった。
こうした動きに応じたソフトウェアの供給者は、ビデオ・クリップ制作者ばかりではなかった。しかし、ビデオ・クリップの製作者もニーズの動向に反応して、様々な「ワンダー=驚き」に満ちた「ワンダフル=すばらしい」映像を競って生み出した。世界各地の異国的映像や自然の驚異、過去や未来の幻想、あるいは現実を直視するドキュメンタリー。通常の実写にとどまらず、アニメーションや様々な実写画面加工の試み、モノクロームやパートカラー、フィルム・アーカイブスのコラージュなどの技法。これらは楽曲と音楽的にもシンクロし、テーマの上でも共鳴しながら、受け手に新鮮な「驚き」を与えた。僕らはビデオ・クリップを通してデュラン・デュランと世界を駆け巡り、マイケルのムーン・ウォークに驚嘆し、ポリスの感覚的世界に触れた。そしてビデオ・クリップは、1980年代前半にいきなり絶頂期を迎えたのである。
さて、「ビデオ・クリップは音楽のイメージを固定化し、聞き手の想像力を縛るものである」という陳腐な否定的言辞が、ビデオ・クリップの普及期にはよく聞かれたものである。しかし、こうした批判は、<文芸映画>に対する凡庸な批判と同じくらい無意味な代物だ。それは、バレーや舞踏一般を、音楽のイメージを限定化するといって否定することと同じように愚かしいことである。ビデオ・クリップについて考えられるべきことは、もっと他にたくさん散らばっている。
■「MTV」感覚の可能性
音楽の視覚化といえば、音楽に合わせて映像をつけること、という程度にしか認識されないかもしれないが、さらに一歩踏み込んで「映像を伴うべく運命づけられることで音楽自体がどう変わるのか(変わらないのか)」という意味で音楽の視覚化を再検討することが必要になっている。視覚的音楽とは何か、視覚に支配された音楽とは何か、あるいはそんなものは存在しないのか。
しかし、もはや問題となるのは音楽の視覚化だけではない。むしろ映像の音楽化ともいうべき現象、すなわち「MTV感覚」といった言葉で捉えられるような疾走感のある映像の出現、カットバックの多用や、ビデオ・マチエールとでも呼ぶべき多用な映像表現の試みの出現こそが論じられるべきなのである。
さらに、特定の曲に特定の映像が繰り返されるという<複製>の問題が、ホーム・ビデオの普及という状況を前提に、新しい形で問い直されている。かつてテレビの歌番組は、番組ごとに違ったセット、違った趣向で同じ曲を放送したが、ビデオ・クリップはどこでも同じものが放送され、ビデオ・パッケージとして販売され、消費される。この<複製>の反復は、何にどのようなインパクトをもつのだろうか。あるいはホーム・ビデオ・カメラの普及や、何らかの「ビデオ・プロセッサー」の出現によって、ビジュアルもまたリミックスされるヒップ・ホップ/ハウス・ビデオ(?)の時代がくるのだろうか。
ポピュラー音楽と映像の融合は、MTVの出現とビデオ・クリップという形式の確立・普及によって新しい時代に入ったばかりである。1980年代後半以降、最初の絶頂期を終えてアイデアの行き詰まりとマンネリズムが色濃く感じられるようになってきたビデオ・クリップであるが、今後、新たなテクノロジーと新たな才能がどんな映像の花を咲かせるのか、僕はまだまだ期待している。
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