雑誌論文(その他):
1989:
情報から地理を考える.
地理・地図資料(帝国書院),32,pp.1-3.
[1989.08.10.]
原論文は、弾丸理論を説明する簡単なカットと、メディア・リッチネスに関する他の論文から引用した表を含んでいますが、ここでは、いずれも必要ないものと判断し、テキストのみを掲出します。
なお、ページ作成に際しては、原論文の明らかな誤植だけを改め、その他の表現はそのままとしました。訂正した部分は
青字
(ただし、ここで該当するのは読点)としました。
[2006.08.17.掲出]
情報から地理を考える
松商学園短期大学専任講師 山田 晴通
地位間の差異と交流
我々の地理的関心を最も根本的なところで支えているのは、「ところ変われば、品変わる」―地域によって、人間の活動に関わる諸現象には多様性がある―という事実である。素朴な伝統的地誌のように、地域ごとの差異の記述それ自体を目的とするにせよ、系統地理学や空間の科学のように、地域の多様性の中から空間的秩序の抽出を試みるにせよ、(人文)地理学の出発点は人文・社会現象の地域性―地域的多様性にあり、そこでは地域間の差異が何らかの形で問題とされる。
地域間の差異は、距離や自然環境など地理的障壁によって(程度の差こそあれ)地域が相互に隔絶されていることから生じる、と通常は考えられる。しかし、地域間に交流が生まれ
、
経済・社会・文化などの面で強い結びつきができれば、それを契機として地域はそれぞれに様々な変化を引き起こし、結果的には地域間の差異も変質を余儀なくされることとなる。
地域間の差異には、交流の進行とともに小さくなっていくと考えられるものもある。たとえば、封建国家から中央集権国家への歴史的展開の過程においては、交通網の整備や人的交流(軍隊や官僚の派遣)、言語や度量衡といった社会制度の統合が、ある種の地域的差異を解体してきたのである。また現代社会において、ラジオやテレビの普及による標準語使用頻度の向上によって言語的地域差が希薄になっていくのも、同様の例である。
しかし、交流は地域間の差異を縮小するだけでなく、諸地域の間に新たな関係性(たとえば何らかの階層秩序)を構築し、それによって新たな差異を生み出す場合もある。たとえば、大航海時代以降の世界貿易の成立過程において、植民地化された地域と本国など経済的中心となった地域の双方において生じたそれぞれの変化は、新たに際だった地域間の差異を生み出した、ということがである。最近のわが国における東京への一極集中化現象も、同様の文脈で論じられよう。
「地理」と「情報」の出会い
地理学では地域間の交流を、従来おもにヒトやモノの流れとして捉えてきた。これは、具体的な「フィールドワーク」=「現場におけるヒトやモノの観察」を方法論の中心に据える伝統的な地理学のあり方と無関係ではない。これに対して目に見える形で捉えにくいカネ(資本)の流れや、ここで取り上げる「情報」の流れが、地理学の枠組みの下で本格的に論じられるようになってきたのは、比較的最近のことである。
この背景としては、現実の社会における情報化の進展が地理学の対象となるような人文・社会現象にも一定の無視し難い影響を与え始めたことが注目される。事実、地理学的研究における情報への関心は、既存の研究対象に関する新たな説明変数として情報を取り入れようとするものが大半である。こうした方向は、情報概念を使って、従来から地理学的関心の対象であった現象の説明を行おうとする、「情報を使った地理学」と呼ぶべきものである。また、一方では電気通信、新聞、放送などの情報媒体を対象とし、情報そのものの空間的特性を捉えようとする「情報の地理学」の試みも始まっている。
人文・社会現象の地理学的研究の進展のためには、「情報を使った地理学」と「情報の地理学」が相互に補完しあうような状況が必要といえるだろう。さらに、両者の連携の上にある程度の議論が蓄積されるようになれば、そこに情報という視点から地理的現象を分析・解釈するような「情報主義地理学」とでも呼ぶべき立場を構築することも可能になってくるかもしれない。もちろん、批判に耐える十分な実証性のある議論の積み重ねによってそのような段階に至るには、まだまだ困難も多い。しかし、少なくとも断片的、直観的な議論ならば、「情報主義地理学」的議論の一端を示すこともできよう。
そこで、以下では、地理的現象を情報という視点から解釈する作業の一つの例として、近年のわが国における東京一極集中化現象を、電気通信技術の発展と結びつけて論じてみることとしたい.その準備作業として、まず古典的な情報伝達モデルの紹介から入っていくことにしよう。
情報伝達のモデル
古典的な情報伝達のモデルは、送り手のもっている情報が、何らかの媒体(メディア)によって受け手に伝えられ、その結果送り手と受け手の間で同一の情報が共有されることになる、と考えるものであった。こうした考え方は、「弾丸理論」などとも呼ばれている。
しかし、実際には、そのように送り手と受け手が情報を共有し、十全なコミュニケーションが成立することはまれである。我々の日常的な体験から推しても、情報伝達は誤解や無理解といった壁に阻まれてしまうのが常態である。そこで、当然のように、弾丸理論に対する疑義や異論が出され、情報伝達=コミュニケーションについて様々な主張が展開されるようになった。コミュニケーション理論の発達は弾丸理論の克服を目指して展開されたといっても過言ではない。
弾丸理論の延長線上に構築されたのは、「ノイズ(雑音)」と総称される攪乱要因が情報の正確さを損なうとする考え方である。こうした方向における理論は、エントロピー理論と結びついて現代の情報処理理論の基礎をなしており、たとえば、正確な伝達を期すために情報に冗長性を与えようという考え方も、その一つの例である。
一方、情報伝達の本格的な限界性に立脚する議論も盛んになされてきており、「メディアはメッセージである」など有名なテーゼを主張したマクルーハン(カナダ,1911〜80)や、記号論に基礎を置いた一連の議論がある。マクルーハンは、メディアとメッセージの相互浸透を強調し、メディアの選択がメッセージの意味を左右すると主張した。またアタリ(仏,1943〜)らは、情報の解釈におけるコンテクスト(文脈)の支配を強調した。
つまり、送り手と受け手の間に文脈が共有されていればある特定の「情報」に対する解釈の余地は狭められていくが、文脈が共有されていなければその「情報」の解釈は自由な可能性に委ねられる。このため送り手や受け手は常に文脈の共有を目指して、その「情報」以外の膨大な量の情報を交換することになる。これはノイズに対抗する単純な冗長性の現れではなく、文脈の共有を構築し、確認する作業であり、場合によってはさしあたり伝達すべき具体的な「情報」がなくても文脈共有のための情報交換が行われることになる。
メディア・リッチネス
ところで諸メディアは、それぞれの特質によって、「情報」とともに文脈をどの程度伝えられるかが異なっている。そこで一部の研究者は、「メディア・リッチネス」という概念を提唱し、メディアが文脈性をより多く伝え得る常態を「リッチ」な常態と呼ぶことを提案している。あらかじめ送り手と受け手の間に文脈が共有されているような情報は、リッチネスの低いメディアでも十分に伝達することができる。しかし、送り手と受け手の間では、文脈の共有は不十分なのが常態であり、情報伝達に先だって、あるいは並行して、文脈の共有を拡大する努力が必要となる。
たとえば、証券会社の店頭に掲出された株価表示盤はリッチネスの低いメディアの一種である。たとえ素人にはまったく意味不明であっても、送り手と受け手の間には、十分に文脈が共有されており、その結果として数値の意味が共有され、情報伝達が成立する。
これに対して異性に愛情を告白するコミュニケーションを考えてみよう。弾丸理論を愚直に適用すれば、「愛しています」と手紙で伝えようが、電話で話そうが、直接話しかけようが、また、知り合ってすぐにそう言おうが、長い交際の結果としてそう言おうが、「愛している」というメッセージは等価であることになる。しかし実際には、文脈の共有が不十分であれば受け手は真剣なメッセージとして情報を受容することが困難である。通常、こうしたコミュニケーションはメディア・リッチネスの高い媒体を介して試みられることになる。普通の人なら、最もリッチネスの高い対面コミュニケーションを選択するだろう。古い流行歌のように「やっぱり電話じゃ物足りない」のである。
さて、異性への愛情告白とまではいかずとも、高度な意志決定に関わる情報や、創造的な情報は、文脈による限定なしには十分機能し得るまでには至らない。高度な意志決定や、商品開発といった創造的営為が、濃密な対面コミュニケーションを前提としているのもこのためである。正規の「会議」のみならず、「料亭」的な空間における「接待」や、いわゆる「赤ちょうちん」的なコミュニケーションの場における「雑談」は、送り手と受け手が文脈共有へのきっかけをつかもうとする努力の表現と考えることができる。
都市システムとコミュニケーション
さて、かつてのベストセラー『第三の波』の中でトフラー(米,1928〜)は、「エレクトロニック住宅」という概念を提唱し、通信技術の発達によって、幅広い職種における在宅勤務が可能になる未来の姿を描いてみせた。もし本当に通勤の必要がなくなるならば、都市における人口の集積は不要になり、産業革命以降続いていた巨大都市の時代は幕を降ろすことになる。しかし、トフラーは一つの可能性を指摘しただけであって、そうなると断言したわけではない。
実際、トフラーの想定とは逆に、高度情報化の進展とともに東京への情報一極集中化現象が顕著になる、というのがわが国の最近の経験であった。通信技術の発達が、むしろ都市の巨大化につながったのである。
通信・情報処理技術の恩恵は、一般世帯よりはるかに急速に事業所によって享受されることになる。在宅勤務を論じるよりはるか以前に、通信・情報処理の技術革新によって実際に事業所において起こった変化は、本社機能の強化とそれに伴う地方事業所の相対的地盤沈下であった。これまで距離の障壁に守られ、ある程度まで独自の意思決定機能をもっていた地方事業所は、通信・情報処理の技術革新によって本社における総括的な事業管理が容易になっていく中で、本社に対する機能上の従属性を深めてきている。これは都市システムのレベルでは、東京の地位の飛躍的な伸張と伝統的な広域中心都市などの地位低下を意味している。
しかし、通信技術の発達といっても、対面コミュニケーションに並ぶようなメディア・リッチネスが電話やファクシミリやデータ通信に付与されたわけではない。むしろ、メディア・リッチネスを要しない情報が全国どこにいても入手できるようになった分、リッチなメディア、すなわち対面コミュニケーションを軸とした濃密な対話、によらなければ獲得できないような情報は、いっそう重要性を増しつつある。このことはあらゆる経済・社会活動に妥当し、たとえば地方においても独自の地場産業がしっかりした基盤をもっているところでは、その根底に対面コミュニケーションの地域的ネットワーク(人脈)が存在している。
しかし、地方の地場産業などとは比較にならない程度に対面コミュニケーション・ネットワークの重要性が注目されているのが東京である。政策と産業が密接な関係をもつわが国で、そうした中枢機能が集中している東京における対面コミュニケーションへの参加が重要性を増したことは、国際金融市場としての東京の台頭と呼応しながら、東京へのいわゆる一極集中化、オフィス空間の不足、地下高騰の大きな要因となった。テレビ会議によって形式的な会議への出張は減らせても、文脈を構築し、維持するための「料亭」や「赤ちょうちん」の重要性はむしろ高まりつつある。
今日のわが国において、巨大都市・東京はその(コミュニケートするに値する)ヒトの多さゆえに、新たなヒトを引きつけているのである。
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