雑誌論文(その他):1988:

「汝の敵を知れ」
−戦時下のナショナル・ジオグラフィック・マガジンが描いた「敵国」日本−.

地理(古今書院),33-8,pp110-116.



 原論文には、当時のナショナル・ジオグラフィック・マガジンから引用した写真が2枚掲載されているが、ここでは割愛した。
 掲出に際して、明らかな誤字は訂正し、その部分を青字とした。
「汝の敵を知れ」
−戦時下のナショナル・ジオグラフィック・マガジンが描いた「敵国」日本−


   彼は我々を知り、我々は彼を知らない、という点で、日本は我々に対して大いに優位に立っている。平和時には「汝の隣人を知れ」が肝要であるように、戦時下において最も大切な金言は「汝の敵を知れ」である。
 「ナショナル・ジオグラフィック・マガジン」(以下、NGMと略記)一九四二年八月号に、日米開戦後初めて載った日本(本土)についての論文(1)の冒頭部分である。
 NGM(現在では「マガジン」がなくなって、「ナショナル・ジオグラフィック」という)については、原田ひとみ氏が本誌で詳しく紹介されたこともあるので、説明は省略する(2)。ここでは、さまざまな形で米国の戦争遂行に協力したナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ(3)が、当時すでに公称一二〇万部以上を誇っていた機関誌NGMを通じて、どのような「敵国」日本のイメージを読者に提示していたのか、その一端を紹介したい。
表1 NGM掲載の日本関係論文(執筆者名:1942-47)
年次日本本土など植民地・戦線など
1942( 8) Price*( 6) Oliver[豪州戦線]
( 6) Price[南洋諸島]
(11) Price[満州]
1943( 1) Walker[豪州戦線]
1944( 4) Grew*
(10) Price[小笠原諸島]
(11) Spimich[ミンダナオ]
1945( 5) Schwartz[沖縄]
(10) Duncan[沖縄]
(11) Price*
(12) Moore
( 1) Ballantine[台湾]
( 2) Powell[中国本土]
( 4) Moore[サイパン]
(10) Price[朝鮮]
1946( 6) Walliser
1947( 4) Huberman( 4) Moore[満州]
( )内は掲載月,[ ]内は主な対象地域.*は本文で取り上げる.
 元来日本は、NGMが頻繁に取り上げる対象ではなかったようだ。少なくとも一九三九年から一九四一年までは日本関係の記事は見当たらない。ところが、一九四一年一二月の真珠湾攻撃は状況を一気に変えてしまった。日米開戦以降のNGMは、戦中・戦後を通じて日本との戦争や日本文化に関する論文をしばしば掲載し、読者国民に「汝の敵を知れ」と訴えたのである。(表1)
 ここでは、この多数の論文の中から、日本本土を取り上げた論文三篇(戦時中に執筆・発表された二篇と、終戦直後に執筆・発表された一篇)を紹介する。これらはいずれも、主に「敵国」日本の文化的特性を反映したエピソードを通じて、とかく不可解と考えられていた日本文化を解説しようとしたものである。


『知られざる日本』
W・プライス/一九四二年八月号
(4)

 「世界で最も狂信的な国の一つを作った人々の肖像」と副題のついた開戦後最初の論文を著したウィラード・プライスは、文中から察すると、英語教師(?)として滞在経験の長い日本通だったようである。この前後にプライスは、満州や朝鮮についても、NGM誌上に何本もの論文を書いている。
 この論文で彼は、一緒に旅行した学生が三原山で投身自殺したことや、葉山御用邸近くに住んでいたので海岸でくつろぐ天皇をよく見た(が目は潰れなかった)ことなど、多彩な個人的経験を散りばめながら日本人気質を論じている。全体の論旨は次のようなものである。
   アメリカ人が抱いているような、愚かさや他人真似の才能ばかりを強調した通俗的な日本人像は、誤っている。日本が侮りがたい存在であることは、繊維工業の成功、工業地帯の形成などを見ても明らかだ。そして「科学者である以前に日本人だ」という国益優先の科学者の精神は、日本の科学の最も危険な側面である。人工真珠の成功に発揮された日本人の細かい創造力が今や軍需産業で発揮されているのだ。
 ところで、日本では何かが欠けていることが強さの根源となることがある。例えば、日本の家屋は実に住み心地が悪く、日本人は子供の頃から暑さ寒さに耐えることを覚える。このため、日本兵はどんな劣悪な環境にも動じない。同時に、日本ではキリスト教的な個人の価値・尊厳が欠けており、これが集団行動にたけ、一方で死を厭わない日本人を生む。人命軽視は「死して虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓ばかりでなく、過酷な労働時間や劣悪な労働環境にも反映されている。また、日本には「良心の呵責」が欠けている。その代わり「国のためになることは何でも正しい」という強力な倫理が働いている。国のためなら商標の不正表示なども平気でやる。
 日本の危険性の根本的原因を天皇個人に求めるのは誤りだ。天皇個人はごく無害な人物で、軍部の虜に過ぎない。天皇自身は発言できず、ただ軍部が「陛下のご意志」を理由に征服戦争に走っているのである。
 では、日本の弱点は何か。爆撃に弱い都市構造のほかにも、アメリカの国力に対する過小評価、絶対不敗の盲信、規則への固執、復古主義、などがある。最も致命的なのは日本に高度の宗教がないことであろう。このため、日本人の精神生活は浅薄で不安定だ。一方で「大東亜共栄圏」の理想を説いても、アジアにおいて残虐行為を重ねる日本はやがて自らの首を絞めることになるだろう。
 本文の主旨をさらに要約すれば、「日本人の気質が国力を強くしているが、軍部支配に歯止めがかからない社会構造によって、日本は自ら破滅に向かって突進し始めた」ということになろう。全体に「敵は侮れないが、油断なくしていれば勝てる相手だ」と説得する感じが強く、「鬼畜」日本といった感じはない。とくに天皇個人についての好意的な描写や、科学水準への評価には注目すべきものがある。
 なお、のべ三十枚の写真は、日常生活や街頭風景、珍しい風物(祇園祭りや別府の温泉卵など)からなっており、本文とさほど密接な関係があるわけではない。


『日本と太平洋』
J・C・グルー/一九四四年四月号
(5)

 ジョセフ・C・グルーは、一九三二年から日米開戦まで駐日大使を務め、急速に軍国化していく日本の姿を目にしながら戦争回避に奔走した外交官である。開戦の翌年に本国に送還された後には、国務長官の補佐官として対日政策の第一線にあり、無条件降伏要求や原爆使用に反対し、さらには内乱発生の恐れを理由に天皇廃位に反対した(6)
 この論文の冒頭でグルーは、日本本土の地理的な特徴を説明し、その交通・連絡が効率的なことを強調した上で、日本が海運力・海軍力を背景に支配圏を広げてきたアジア・太平洋地域の広さを理解するために「付録地図をよくご覧になるようお奨めする」と読者に呼びかけている。当時からNGMは毎号付録地図を一枚つけていたが、この号には、アジアから太平洋にかけて広がる日本の支配圏の地図が付録になっていたのである(7)
 冒頭の地理的関係の解説に続けて、グルーは、近代的文明を持ちながら欧米とは一線を画す日本社会の特徴を分析してみせる。そのくだりを要約してみよう。
   日本は自然の美に恵まれた美しい国であるが残念なことに今日では、日本の美点は悪の陰に隠れている。日本人には、自分の権利を護るため政府に抗う伝統がない。日本文化の悲劇は、日本人が内からの暴虐に無力だという点にある。
 独自の優れた近世文化をもった日本は、維新後急速に西洋近代文明を吸収した。しかし、近代的機器を操作していても、日本人は日本人としての頑強さを保ち続けている。日本の士官は「眠らない訓練」と称して兵士に二十九時間も行進させた後、平気でさらに訓練をさせる。労働者は雇い主に忠実で、労働運動は「思想統制」警察に弾圧されている。また、他の文明国では考えられないほど、女性は奴隷化されている。
 日本の教育の要となっている軍事教練は、小学校に始まり、大学においても最優先されている。東京のラジオは少年水兵や少年戦車兵の話題すら報じている。もっとも、国民はまったく一体化しているわけではなく、「危険思想」のレッテルを貼られ、獄中や監視下にある者も少なくない。
 かつて効率的であった日本の実業は、軍国化によって歪められた。投資は新たな占領地域へと誘導されたが、政府の無責任な行動はそうした在外資産を危険にさらした。農民は相変わらず貧しく、中間層も蓄えを戦時国債に吸い上げられた。こうして日本は経済的に破綻したしたが、それによって軍事強国となった。日本は占領地で「軍票」を通貨とし、物資を事実上略奪して本国へ送り込んだ。
 このように、グルーの目に映った日本は、「軍部が国民生活のあらゆる側面を統制する」国であり、その根底には「権力への盲従の伝統」があった。
 グルーはさらに論を進め、西洋の精神にとって理解しがたい存在である神道について、おおよそ次のような解説を試みる。
   神道は、先祖の敬愛と自然信仰に源を発している。自然界には聖霊が満ちており、自然はそれを受け継いでいる。来世は現世が非物質的に展開することであり、死はある形態から別の形態への変化の過程に過ぎない。したがって、日本人は皆「聖なる存在」である。そのような日本民族の一体性の中心が「統一する聖なる存在」=スベラミコト=天皇である。明治以降の神道組織化の中で、天皇は、国民から親愛と敬愛を集め、国民を慈しみ護る生き神、とされるようになった。
 ここでのグルーの見解は、日本人の集団主義や、人命軽視、人種主義などを念頭において述べられているようである。キリスト教的世界観・西洋的価値観からは容認しがたい、あるいは理解しがたい日本兵なり日本人一般の行動をどのように説明するかは、当時の日本通にとって最も重要な課題だったのであろう。
 論文の最後でグルーは「伸びきった防衛線を抱えた日本は、連合軍の反撃の前に敗走を始める」と予言し、「徹底的に日本を叩き、戦争に勝って軍国主義を一掃しなければ、将来また太平洋で戦争が起こる」と警告している。
 写真はのべ二十九枚が使われており、先のプライス論文の場合と同様に街頭風景などもある(8)。しかし、満州の炭坑や仁川港・神戸港など前者にはなかった産業施設の写真や、東京・丸の内一帯の航空写真、一九四二年四月に日本本土を初空襲した爆撃機が撮影した横須賀軍港の写真など、時局を感じさせるものも多い。
 グルーの論文が活字になった頃、戦局はすでに最終的な段階にまで進んでいた。これ以降、NGMは中国・東南アジア・太平洋地域における戦況を次々と報じ、戦場となった地域の文化や風俗を、そうした地域へ進出したアメリカ兵たちの屈託のない笑顔と一緒に紹介していった。


『近代的日本の仮面の下』
W・プライス/一九四五年十一月号
(9)

 一九四五年八月、広島・長崎が被爆し、ソ連が参戦、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。その直後に執筆されたらしいプライスの二本目の論文は、一一月号の巻頭を飾った。
 この論文は、執筆・発表の時期からみて上述の二篇と同等には扱いにくいかもしれない。しかし、ここでは終戦直後の日本の具体的な紹介はまったくなく。プライス個人の戦前の日本における体験が述べられている。その点では、戦時中の論文に準じた内容をもっている。
 題名の通り、この論文のテーマは、日本人の行動に見られる非・近代的な側面を描くことにある。プライスは冒頭で、真の日本を知るためには貧しい農村を見なければならないと述べ、まず論文の前半部で、そのような村人=常民の迷信深さを、祟り・加持祈祷・妖怪・地蔵といった話題によって紹介してから、「日本には偉大な宗教も、偉大な哲学も存在しない」という彼一流の結論を引き出す。そして、次のような天皇論を展開するのである。
   宗教や哲学をもたない日本人は天皇崇拝にとりつかれ、民衆の従順を望んだ支配階級はそれを煽った。日本の真の独裁者は天皇個人ではなく「万世一系」の古代神話である。(葉山の)質素な屋敷に住み、海岸に姿を見せる天皇は、自由に電話すらできない囚われの身にある。天皇自身の言葉が民衆に直接、他人の手を加えられることなく伝わることはない。
 日本の支配層は、裕福であるはずの天皇に質素な暮しをさせ、それを国民の模範としている。もし、搾取される者が反抗しようとしても、天皇を例に出され、忍耐と服従を強いられるだけである。天皇が六時前に起床する以上、労働者は六時前に起床しなければならないのだ。天皇が普段身につけている装飾品はクロームの腕時計だけだったが、おそらくそれも後には供出されたであろう。
 天皇は国政から疎外されており、書類に印を押すことしかしない。大事から疎外された彼は、自然に親しんだり園遊会を開いたりと多くの小事をこなす。天皇が公に姿を現すことは少ない。また、首相とえども十分な理由なく天皇に接見することはできないが、統帥権を楯に取った陸海軍の高官は例外である。天皇の権威を笠に着た軍部の前には、内閣も国会も民衆もただ服従するのみなのだ。
 こうして非・近代性の焦点を天皇崇拝に当てたプライスは、続けて、村の学校(尋常小学校?)で実見した教育勅語奉読の儀式を詳細に描写し、天皇崇拝が教育の場で徹底されること、そして愚かしいまでに硬直化していることを暴露する。さらに、道徳や歴史の教科書をめぐる日本人教師との対話を紹介しながら、皇民化教育の推進者が教育総監・荒木貞夫陸軍大将であったことを指摘している。
 軍の教育支配は、大学にも及んでいた。最後に紹介されるのは、プライスと、ある高名な大学教授との会話である。
   「あなたは当然、そうした『歴史的』事実の伝説的性格を正しく見抜いているはずですが、教室で学生と議論するときにはどうするのですか。」
 「教室で教えるほうが監獄よりもずっと楽です。許されることだけでも教えたほうが、何も教えないより良いでしょう。」
 プライスの最終的な結論は、日本の真の近代化には、軍部独裁排除と、長期間の再教育が必要だ、というものであった。なお、写真は十四枚とやや少なく、本文に対応した風物ものが目立つが、ミズーリ艦上での降伏文書調印の写真も掲載されている。


「敵国」日本を見る眼

 以上に紹介した三篇の論文は、戦時中のアメリカ知識人がどのような姿勢で「敵国」日本を見つめていたのかを知る格好の素材である。その意味では、例えば開戦後間もない頃から、早くも天皇免責論や非武装化論の断片が行間に見え隠れしていることは、大いに注目すべきことである。
 当時の「日本通」知識人たちの多くは、軍国主義の芽を断ち、迷信や盲従を排し、民主主義の伝統を育てれば、日本をアメリカ的価値の下に置けるだろうと考えていたようだ。ちなみに、グルーの論文の中には、フィリピンを指す「我々の娘である民主国家(our daughter democracy)という表現が見られる。このような保護者的・父権主義的発想は、グルーの日本に対する態度の底流にもあるし、プライスにも同様の傾向は認められるように思う。こうした知識人たちの姿勢が、アメリカの世論の中でどのような位置を占めていたのかは速断を許さないが、いずれにせよアメリカを「鬼畜」なり「頽廃した物質主義」などと捉えていた当時の日本人の認識との落差には改めて驚かされる。
 もとより、ここで紹介した内容は、NGMの描いた「敵国」日本像のごく一部でしかない。日本占領地域に関する論述の中で言及される日本(人・兵)のイメージは、より平板で図式的なことが多いし、編集者の手によって執筆される写真のキャプション(説明)は本文とは異質の趣をもっているからだ。例えば、プライスやグルーが「ジャップ」という表現の使用を慎重に避けているのに対し、キャプションなどではそれがかなり無造作に使われていたりするのである。また、論述やキャプションの文章だけでなく、写真そのものの分析や解読を十分に進めなければ、NGMが描いた日本のイメージの全貌を明らかにすることはできない。それら残された問題については他日を期したいと思う。


[注]



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