雑誌論文(その他):2014:
地域文化の観光資源化に関する政策提言のための理論的枠組.
コミュニケーション科学(東京経済大学),40,pp.43-57.
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地域文化の観光資源化に関する政策提言のための理論的枠組.
はじめに
I 地域文化の再評価
1 地域内における評価、地域外からの評価
2 地域内外における評価のギャップ
II 地域文化の可視化
1 可視化の効用
2 可視化の諸形態
III 観光資源としての調整
IV 観光資源の組織化
1 回遊性の確保
2 人的動員と組織化
おわりに:観光資源化の過程における困難と課題
注 文献
地域文化の観光資源化に関する政策提言のための理論的枠組.
山田 晴通
はじめに
観光関連産業は、成熟社会における経済のソフト化という大きな潮流の中で、近年、その重要性を増しつつある(山本・山田,2010)。経済活動における観光の位置づけが、いよいよ重視されるようになる中、伝統的に観光地と見なされてきた地域ばかりでなく、一般的には観光地と見なされないような地域においても、農村部では例えば「ふるさと」ブームやグリーン・ツーリズムの普及などともに(中井,2014,119-121)、都市部では「アーバン・ツーリズム」概念の普及とともに、経済政策なり産業振興政策の中で、観光振興に重きが置かれる傾向が強まっている(淡野,2004:特に第1章、第2章)。
こうした状況の中で、おもに市町村レベルの基礎自治体を単位とする地域において、伝統的なものであるか否かを問わず地域文化として根を下ろしている諸現象を、他地域から来訪する観光客を誘引し一定規模の消費行動を引き出す契機として、観光資源化する取り組みが議論されるようになってきた。本稿ではこれを「地域文化の観光資源化」として捉え1)、基礎自治体単位の地域において、行政を中心とする地域の公的主体が政策的取り組みを展開する場合を想定し、そこに第三者の立場から具体的な政策提言をおこなうための理論的枠組を素描する。
祭礼のような行事であれ、食文化のような継続的慣習であれ、あるいは何らかの形で記録・顕彰されている歴史の経験であれ、その地域に根差したものとして定着している文化現象、換言すれば、その地域の一定以上の数の人々に共有され、継続的に再生産され続けている文化現象は、そのままで自動的に観光資源になるわけではない。また、何らかの主体の努力によって観光資源化が目指されるとして、それが観光資源として十分に魅力的なものになるか否かは、その過程に関与する諸々の主体の政策的対応によって成否が大きく異なってくる。言い方を変えれば、何らかの地域文化を観光資源化し、観光関連産業の振興を図ろうとする者にとっては、その取り組みにおいて、地域内外の諸々の主体をどのように動員し、組織していくかが、事の成否の鍵を握るということになる。
以下、本稿では、基礎自治体の行政主体、ないしそれに近い立場から、観光振興策の一つとして「地域文化の観光資源化」に取り組む場合を想定し、取り組みの過程の各段階においてどのような課題が考慮されるべきであるかを、一般的な図式として提示する事を試みる。なお、本稿はその構想段階において、もっぱら音楽や芸能に関するパフォーマンス系の地域文化現象を考察の主たる対象としていたため、それに由来する一定のバイアスが含まれている虞れがあり、また、論点の見落としなどもあり得るものと思われる。この点については、予め読者にご理解を願うところである。
I 地域文化の再評価
1 地域内における評価、地域外からの評価
地域文化は、第一義的には、地域において既に定着している文化現象と理解できる。文化現象は、文化記号論的に捉え直すなら、最終的には世代を超えて継承される文化的コードの束ということになる。これを言い換えれば、文化には担い手がいて、それが継承されるための仕組みが必ずある、ということであり、また、継承や創造につながる活動を支えるモノとしての道具や施設が、その周囲に形成されていることが多いということが含意されている。何らかの文化が地域に定着しているといえる状況においては、地域に文化の担い手がおり、次世代の(潜在的な)継承者がいて、伝承の場が何らかの形で用意されており、また、文献記録等に限らず、遺物・遺跡などモノとして残されたものや、景観に刻印された特徴、地域住民の記憶なども含め、過去からの歴史を何らかの形で記録した蓄積が、そこには相当量存在している。
地域文化が継承、再生産されてきたのは、もっぱら当該地域内において、それが継承に値する価値があると評価されてきたからである。対象によっては、地域内からの評価以上に、地域外からの評価があり、地域外から資源が投じられて地域内に何らかの施設が設けられる場合もあり得ようが、それが永続的に維持されるためには、地域内における最低限の承認が得られなければならない。例えば、地域住民の大多数が信者ではない、ある種の宗教施設が地域社会に設けられるような場合には、それを迷惑施設として地域内から排除しようとする動きが地域住民の間に成立しても不思議はない。地域文化は、その存在自体が地域内において一定以上の評価を得ていればこそ、存続していくものである。
地域外からの肯定的評価が、地域文化に対して寄せられる状況は、宗教組織の信者集団のような地域外の個人や指摘組織によってだけ形成されるわけではない。文化財保護や景観保全に関わる場合のように、国家レベルのものなど様々な公的制度による地域外からの介入が起こることもあり、最近の例では、2008年に制定された歴史まちづくり法(地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律)に基づく助成制度などが、各地のまちづくりに多様な動きをもたらしている(小松,2010)。いずれにせよ、地域外からの関与が、肯定的評価という形で大きく関わってくるときも、状況を大きく規定することになるのは、地域内に存在する個人なり組織が発揮する主体性である(中井,2014,pp.117-118)。
以上の検討で想定していたのは、地域において既に定着している文化現象であった。しかし、同様の議論は、実は、従来は存在していなかった何らかの新規の事象を、観光事業と絡めながら地域文化として形成していくケースにも当てはめる事ができる。例えば、従来から地域に定着していたわけではない行事を新規に導入し、その定着を図るような場合にも、このような議論は妥当する。つまり、地域内において一定の評価を立ち上がり当初から得ており、その担い手や将来における継承者が用意されていれば、ある新しい事象が地域文化として承認され、継承・再生産されていく可能性は十二分ある。
「市民まつり」のような形で都市化された祝祭、本場以外の全国各地で行なわれる「よさこい/YOSAKOI」や「阿波踊り」のイベント、映画祭、音楽祭、演劇祭なおパフォーマンス系の芸術祭、マラソン大会などのスポーツ行事、等々は、そのスタート時点から地域文化として扱われることがあり、また、そのように扱われることが期待されながら普及の努力が重ねられる。また、行事としての開催が回を重ねていく中で、徐々に地域に定着が進み、やがては地域に定着したと評価できる水準に達することになる。
地域文化を観光資源として位置づけ直し、観光振興に役立ててゆくためには、観光資源としての可能性という観点による既存の評価の見直し、再評価の作業が必要になる。地域文化として現に存続しているものが、そのまま自動的に観光資源になるとは限らないし、限られた政策資源を投じて振興策を展開するためには、対象の選別を行なう必要がある。観光が地域外からの誘客という側面をもつ以上、もっぱら地域内における評価のみによって観光資源としての可能性を判断するのは危ういことになる。
図1 地域内外における地域文化への評価のギャップ |
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2 地域内外における評価のギャップ
地域の内外における評価は、実際には多様なものであるし、肯定的なものと否定的なものが入り混じることがあり得ることも容易に想像される。ここではまず、あえて単純化して地域内外からの評価を、それぞれ「強い肯定的評価/弱い肯定的評価/評価なし、ないし、否定的評価」の3段階に分け、地域内外からの評価のパターンを整理してみる。[図1]
地域内のみならず地域外からも強い評価を受けている文化は、観光資源化においても高い潜在的価値を有していると見なせるが、対称的に、地域内外から評価されていない、辛うじて存続しているだけの文化は、その逆ということになる。これは図1における、左上=右下方向での対称性である。
他方、地域内では評価されながら、地域外からは評価がさほどでもない、地元受けはよいが普遍的な訴求力を欠く文化もあれば、反対に、地域内では評価されず、地域外から評価されるような、地元では普遍的な価値が見過ごされている文化もある。こちらは図1における、右上=左下方向での対称性である。
地域における文化を見直し、再評価していく過程においては、個々の検討対象が、現状において、図1のどのセルの位置に配置されるかを見極めるとともに、最終的には図の左上のセルに位置する、地域内外から強い評価を得られる状態への接近を目指して、地域内ないしは地域外における評価の改善策を講じていくことが求められる。再評価の過程では、政策対象として取り上げるべき文化現象等を選択する目安として、左上のセルへの近さを基準とすることも考えられる。
さて、図1においては、あえて単純化して地域文化への地域内外からの評価を単一の評価軸に表現したが、実際にはこうした評価は、それがどのような観点なりアプローチからなされるのかという、評価する主体の側からの整理も必要になる。例えば、特定の立場性なり、思想信条上の偏りをもつ集団から評価されている施設があったとしても、一般的には評価されない、ないし、認知されないということもあり得る。具体的に考えると、寺社仏閣やキリスト教会等の施設は、それが所属する特定宗派の信者のみならず、一般の人々から観光の対象として認知され、評価され得るが、小規模な新興宗教の施設は、その信者が熱心に経済的に支える事はあっても、信者の範囲を超えた、広く一般的な観光の対象とはなりにくく、観光資源としての評価を高めることは難しい。
また、訪れるに値する場所としての評価にも、複数の観点から異なる評価が行われる可能性が常に考えられる。例えば、同じ博物館の展示であっても、学術的な観点を重視した展示の方法と、低学年の児童を想定した教育的な観点を重視した展示の方法は、明らかに異なるものとなる。観光客の立場にたったとき、観光という行為に包摂されている、知的好奇心、娯楽、あるいは同伴する子どもの教育などといった多様な側面のどこに焦点を当て、どのような尺度で評価するかによって、評価の切り口は無数にあるといっても良い。
地域内外における評価の食い違いは、こうした評価の観点をめぐっても生じる。例えば、自然発生的に成立する、いわゆるアニメ聖地巡礼地においては、地域内の評価の観点とは異なる観点に立った評価に基づいて、地域外からの来訪者が訪れるという状況が生じ、「地元の人が理解できない価値観を外から持ち込む行為」が行なわれることになる(岡本,2010,p.92)。こうした場合、地域文化の再評価において、地域内における評価の観点が地域外からの観点にまで貫徹されることを目指して地域内のオーセンティシティを優先させるべきか、地域内からの批判のリスクを負いつつ地域外からの評価に擦り寄るか、といった選択肢が立ち現れることになるが、こうした対立軸も、図1における右上=左下方向での対称性の問題として整理される。
観光資源化に繋がっていくことを念頭に、地域文化の再評価を進める際、行政側には、地域文化をめぐる多様な切り口の中から、行政の立場で施策に取り組みやすいもの、そうではないものを見極め、役割分担を明確に意識していくことが求められる。例えば、学校教育における郷土教育の取り組みや、公民館活動など社会教育・生涯学習などと連繋し得る事象は、行政が関わる必然性が認められやすいだろうが、純然たる娯楽施設の運営などは、むしろ民間に切り出して行くべき事業と考えられる。前者はもっぱら地域内において他に顕著な競合相手がないサービスであるが、後者は地域内外を問わず市場における競争にさらされる領域と整理することも可能であろう。
そもそも「観光による地域活性化」という発想には懐疑的な見方もあり、観光客という地域外からの視点が十分に尊重されなければ、振興策は画餅に終わる(犬飼,2010,pp.217-218)。観光事業の振興には、根本的に地域外への働きかけ、誘客という側面が組み込まれており、その意味では最終的には担い手としての民間事業者等の役割が決定的に重要である。これに対して、行政は、民間の取り組みでは埋められない部分を支援し、また、関連する行政領域において観光事業との連動を意識した施策をとることが期待されることになる。ひとくちに観光関連の行政領域といっても、具体的には、道路などのインフラ整備から、地域住民への観光客受け入れに関するマナー・キャンペーンの呼びかけのようなものまで、多様なものがあるが、こと地域内における取り組みについては、行政の権限で関与できる領域が極めて広いことは言うまでもない。
I 地域文化の可視化
1 可視化の効用
地域内外からの多様な観点に基づく評価を参照して、観光資源化に取り組む対象を選択した上で、次に取り組まれるべき課題は、そうした地域文化の可視化である2)。ここではとりあえず、そのままでは見えないために、その存在が容易には気づかれないものを、分かりやすく目に見えるようにすることを、一般的に可視化と称することとする。
可視化の効用は、地域外からの観光客への訴求にだけあるわけではない。地域内においても、子どもたち、若い世代に既存の地域文化を継承していく上で、その存在が目に見える事には大きな意味がある。逆に言えば、観光振興策などとは無縁なところにおいて、もっぱら地域文化の継承を主眼として行なわれている取り組みも、多少の工夫を施す事によって、地域文化の可視化を通して観光客の視線を誘導することをも見通せるはずである。もちろん、こうした議論は、子どもたちや若い世代に限ったことではなく、さらに上の世代の転入者にも当てはまるし、地域内で長く生活している大人であっても、地域内の森羅万象に通じている訳ではない以上、可視化を通した恩恵に浴する可能性は地域内のすべての住民にもある。
例えば、そのままでは可視化されていない地域の歴史の記憶も、何らかの標識や案内板などによって、観光客に情報として提供する事が可能になるが、その目的で設置された施設は、地域の子どもたちの郷土学習にも役立つはずであるし、大人にとっても地域をよりよく知る契機となり得る。また、そのようにも役立つ内容でなければ、観光客向けの情報提供としても十分なものとは言えない。逆に、子どもたちの郷土学習の教材として何らかの記述が編纂されたり、地域内に施設が設けられるのであれば、それが観光客にとっても有意義な、魅力のあるものとする工夫があれば、その価値はさらに大きなものとなる。
なお、可視化は字義通りに解せば、「そのままでは目に見えないものを、目に見えるようにすること」を意味するが、この言葉は、視覚のみならず、聴覚など他の感覚へ訴求する表現を取り込むことも含めて用いることとする。文字の記述や図像に比べ、音響の扱いにはメインテナンスの必要など困難が伴うが、音楽芸能など、特に音声が重要な事象を取り扱う場合には「可聴化」に向けた検討も必要となる。
作曲家や歌手などを顕彰する目的で設置される像の中には、傍らに何らかの形で楽曲が流れる装置を設けてあるものが散見されるが、特に屋外に設置されている施設の場合、設置から数年程度のものでも、メインテナンスが十分ではなく音が流れなくなっていることがしばしばある。また、周囲の環境との関係で、どれくらいの音量であればよいかをめぐって近隣住民などとの調整に手間取るといった事態も生じやすい。しかし、本来、旋律をともなっていたはずの楽曲の歌碑が、もっぱら歌詞のみを刻んだ石碑として設けられることが多く、また、楽譜などを石碑に刻むとしても、それを読み解くリテラシーの壁があることを考えれば、「可聴化」が音楽等に関係する記念物の類において大きな課題であることは考慮されなければならない。
2 可視化の諸形態
ここで可視化というキーワードでまとめて捉えている内容には、対象となる地域文化の特性によって、いくつか異なる種類の作業が含まれている。以下に列挙する諸作業は、理解のための例示として提示するものであり、必ずしも相互排他的でも、網羅的でもない。実際には、複数の作業が組み合わさった形で取り組まれることもあるし、これ以外の作業を可視化として捉えることに理がある例はまだあり得るものと思われる。
a) 無形物の有形化、物象化
それ自体が目に見えるものではない伝承などは、それに基づく施設なり、何らかのモノが設けられることで可視化される。地元の民話の主人公をモチーフにした銅像が設置されるといった場合がその典型であるが、調布市や境港市における『ゲゲゲの鬼太郎』や、世田谷区桜新町の『サザエさん』のように、特定の漫画家にゆかりのある町にその漫画作品のキャラクターが描かれたりすることなどもこうした例に準じると考えられる。漫画のみならず、祖師谷のウルトラマン商店街の例などもあるが、これはかつて全盛期の円谷プロダクションが、近傍の世田谷区砧に本社を構えていたことに由来する。
同様に歴史的事象についても、それを記念する何らかのモノが目に見える場所に設置されることによって、その存在が認識されやすくなる。古くからある史跡の標識となっている石碑類や史跡に立地する博物館などは、その場所が歴史の現場であったことを端的に視覚化する施設である。また、かつて存在した施設の復元建築なども、現地復元であれ場所を移してであれ、いったん失われ、記録や記憶にのみ残る無形物の有形化である。
b) 資料類の集成、展示
モノとして資料等が存在している場合でも、それが例えば個人蔵で容易にはアクセスできなかったり、散在している状態であれば、一般の観光客等には、容易には「見えない」ことになるが、資料館、博物館の類が整備され、資料の収集が取り組まれて展示が行われれば、これが可視化されることになる。これは、一覧性の確保として理解することもできる。必ずしも観光資源として意識されてはいないが,行政によって設けられる郷土資料館の類や、地場産業の企業や団体によって設けられる産業関係の展示館などは、こうした観点から重要な施設である。
こうした展示施設は、必ずしも希少性が高い展示品などを揃える必要はなく、むしろ、展示物の構成を工夫した、説示的展示としての有効性の追求がもっぱら課題となる(山田,2011,pp.172-174)。
c) 行事等の物象化、常設展示
祭などの行事は、その行事の期間にその場にいればまさしく圧倒的な体験を持てるとしても、異なった時期にその場所を訪れても、その行事を思い起こさせるものがほとんど何もない、ということも珍しくない。つまり、特定の時期のみに行なわれる行事というコトは、時期を外せば痕跡すらないという場合も多いのである。これに対して、その行事の際の状況を、期間外においても展示によって紹介する常設展示施設があれば、期間外に来訪した観光客に対しても情報提供が可能になり、次の機会に行事の時期における来訪を促すことも可能になる。こうした施設の中には、徳島市の阿波おどり会館のように、ステージ上のパフォーマンスとして行事の一部を実演するものもあれば、米国のニューオリンズのBlaine Kern's Mardi Gras Worldのように、展示施設と多数の山車(フロート)の倉庫/制作・補修作業場が一体となった大規模な施設も含まれる。
展示施設のような規模のものではないとしても、行事にまつわる記念碑類が設けられ、解説板の類が整備されるだけでも、期間外に来訪した観光客に対する働きかけは可能である。2007年に「エイサーのまち宣言」をした沖縄市は、エイサー会館の建設を準備中であるが、これに先んじて、いちはやく「エイ坊」「サーちゃん」などのキャラクターを導入し、その像を各所の街頭に配置するといった施策をとり、本来は初秋の行事であるエイサーを常時意識させる景観の演出に取り組んでいる。
d) 常設施設における行事
既に何らかの恒常的な施設が存在していても、それだけで可視化が十分であるとは限らない。施設の存在を、地域社会の内外にアピールしていくためには、しばしば行事を開催し、パブリシティ活動を展開して、特定の時期に人々の関心を呼び起こし、施設へ足を運ばせることが有効な方策となる。
展示施設の中には、講演会や演奏会など行事として開催できる設備をもち、実際に様々な行事を行っている例が多い。特に音楽系の展示施設の場合、演奏会の行事としての組み込みは重要な側面となり、規模の大きな施設では本格的な演奏会場設備を備えていることが標準的になっている3)。
III 観光資源としての調整
地域内に存在する地域文化の諸要素の再評価が進めば、その先には、観光資源としての開発、ないし、調整の段階がある。地域内外から評価される地域文化があるだけで、それが直ちに観光資源として機能するわけではない。再評価の中で、図1における位置が左上のセルに位置するような地域内外からの評価が高い要素や、それに準じるセルに位置し、政策的誘導によってさらに評価の改善が見込まれる要素については、それを観光資源化するために、一定の調整(ないしは、特段の調整を要しないことの確認)が必要になる。
観光資源として有効な存在となるためには、地域外の潜在的な観光客に対して前提となる様々なサービスが準備されなければならない。代表的なものを例示すれば、具体的な現地へのアクセシビリティ(交通手段、ユニバーサル・アクセスへの配慮など)、現地におけるアメニティ(売店、休憩施設、トイレ等の整備など)やセキュリティの確保(治安、防災対策など)、ICT利用から人的接触まで多様な回路による観光関連情報の供給などが挙げられる。
こうした各方面における対象施設の整備は、観光の文脈では主として地域外からの観光客へのサービスとなることを前提としているが、地域内の住民に対するサービス改善にも資するものである。特に展示施設などの場合には、継続的な取り組みの中で繰り返し行事に参加する地域内のリピーターを確保し、ボランティアなどとして育成していく上で、地域外からの観光客への配慮が、そのまま地域内からの活動参加者へのサービスに直結することになる。
a) アクセシビリティ
観光対象となる具体的な施設への交通アクセスが十分ではない場合に、道路整備などによってこれに対応することは当然として4)、分かりやすい案内標識の整備や、GPS用のマップにおけるランドマークとしての登録なども含め、地域外からの観光客が現地に容易にたどり着けるような環境の確保は、まず優先されなければならない。行政には、地域の交通事情の実情を踏まえて、駐車場の確保、公共交通網の再編・拡充、あるいは、歩道や遊歩道などを整備することが期待される。加えて、コミュニティ・バスの路線設定や、シェアサイクルの導入なども含めた、地域交通の総合的な計画においても、地域住民への配慮とともに、地域外からの観光客などに利用しやすい形態が模索される必要がある。
さらに、施設自体においても、高齢者、障碍者などへの配慮、あるいは一般的なユニバーサル・デザインの考え方に基づく施設整備と、そのような整備を行っていること自体の広報も、極力取り組まれるべきである(宮井,2006)。せっかく取り組みがあっても、取り組まれていること自体が周知されなければ意味はない。
b) アメニティとセキュリティ
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地域文化は、それを支える担い手が地域内にいて、安寧に生活していることが存在の前提となっている。つまり、地域文化が一定の継続性をもって地域内に存在していることは、地域住民にとってそこにアメニティやセキュリティが確保されていればこそであり、地域内の観点からすれば、そうした側面は問題とは認識されないことが多い。しかし、地域外からの観光客の立場に立てば、問題の見え方は異なってくる。
例えば休憩施設やトイレなどについて、地域住民の文化活動の場としては十分と言えるアメニティが既に確保されているとしても、それが地域外からの観光客へのホスピタリティとして十分と言えるかどうかは、異なる水準における問題である。また、せっかく設備等があっても、よく知っている地元の人にしか分からない,という状態であれば、観光資源として見れば、その設備はないも同然である。市街地から離れた場所や、純然たる住宅地のように、観光地としての整備が進んでいない場所に施設が立地しているような場合には、最寄りの商店(特にコンビニエンス・ストア等)の位置への案内なども、地域外からの観光客にとっては重要なアメニティの要素である。
セキュリティという観点からは、地域内から見れば問題がないと思われる環境であっても、地域外からの観光客には不安を感じさせるという局面があることが、まず認識されなければならない。例えば、地元住民にとっては馴染みの店が並ぶ飲食店街が、地域外からの観光客にとっては敷居が高く感じられたり、治安上の問題を孕むように感じられるということは、ごく一般的に起こることである。観光客の誘致を進める一環として、場合によっては山道に転落防止の手すりや柵を設ける必要が生じてくるのと同じように、アーバン・ツーリズムにおいてもセキュリティへの配慮は重要である。監視カメラの設置といったハード面での取り組みと同時に、次項で言及するように、例えばガイドといった形で、何らかの人的対処をすることも検討されるべきである。
c) 観光関連情報の供給
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観光関連情報といえば、観光地や観光関連施設の宣伝などが連想されやすいが、地域外からの観光客が必要とし得る情報の内容はそれにとどまるものではなく、自治体などから地域住民向けに供給されている生活情報と重複する内容なども含め、広範囲に及ぶ。また、アメニティとセキュリティをめぐる議論でも言及したように、地域内外の観点には、認識上のギャップが生じるのが普通であり、これを埋めるためには、もっぱら適切な形での情報提供に頼らざるを得ない。
ICT関連機器の普及により、状況提供のメディアはインターネット上のサービスや、スマートフォンの利用を前提とするものなど、多様化している。しかし、従来からある紙媒体や、観光案内所などの人的対応が、それによって無用になっているわけではない。現状においては、情報供給の回路が多様化し、そのすべてに対応することが期待されている、情報供給側としては負担感の大きい状況が生じている。しかし、他方では、デジタル・コンテンツを軸にした紙媒体作成など、コストの圧縮が進んでいる面もあり、多媒体展開事態は以前よりも相当に容易になっている。
近年、各地で取り組みが進んでいる地域無料Wi-Fiサービスの提供などインフラストラクチャー面の改善は、当面は重要であるとしても、あくまでも過渡的な課題である。長期的には、ユーザ側の負担を軽減した形で提供されるデジタル・コンテンツの拡充、特に、ユーザ側からの検索を待たずに位置情報と連動して近傍の情報を自動的にプッシュしていくような情報提供サービスの整備などが課題となろう。
同時に、観光案内に関わる対面接触を前提とするサービス体制の整備や見直しも考慮される必要がある。地域外の観光客にとって安心して利用しやすい、公的背景をもった一般的な観光案内所は、様々な課題を抱えている。例えば、営業時間等の制約から、公的な観光案内所は「夜の観光」に関わる情報提供は行ないにくいが、これには、コールセンターによる補完や、ボランティアを含むガイド制度の整備などによる対処が期待されるが、その継続的な運営は容易ではない5)。
展示施設における「語り部」としてのガイドの重要性とともに(山田,2013,pp.14-16)、地域ないし「まち」のレベルでもボランティアを中心としたガイドの育成と配置は、今後の観光振興において大きな課題である。最も豊かに情報を伝達できるメディアは、何と言っても生身の人間である。
IV.観光資源の組織化
1.回遊性の確保
地域内に観光資源化された文化要素が複数確保された段階では、次のこれを組織化して、具体的な観光商品として提案することを容易にするような取り組みが求められる。
観光客の観光行動において、回遊性の確保は重要な側面である。特に、地域内における観光客の消費行動を刺激するという観点からすれば、ある程度の一貫したテーマ性のもとに、地域内の複数の観光施設の間を回遊するような演出、コース設定などが重要になる。明確で説得的なテーマの設定がここでは鍵となる(高橋,2006,p.10)。特に、展示施設の場合、その主題に関連する現実の景観への刻印がランドマークとして施設外に散在しているような状況において、現実世界との関連を強調し、そちらへ誘導することが、施設自体の正統性を強化することになる(山田,2013年,p.16)。
観光客を、より長い時間にわたって地域内に滞在、滞留させ、消費活動を喚起するためには、狭い意味での観光施設のみならず、休憩、食事、さらには宿泊などの施設の組み込みが必要となる。しかし、必ずしも観光地として整備されてきた歴史的蓄積の無い地域においては、しばしばこうした施設が揃わないことが制約となって、観光客を遠ざける結果となっていることが、むしろ普通である。そうした状況においては、必要でありながら欠けている施設の整備などハード面の投資について、行政による負担、ないし、支援が重要となる。
回遊性の確保という観点からすれば、モデル・コースの設定や,対応それに基づいた関連施設の整備、また設定されたコースへの誘導などは、決定的に重要な課題である。その際、団体旅行対応、特に、修学旅行などへの対応を想定したコース設定を行なうか、もっぱら個人客や家族連れなどにターゲットを絞るかは、戦略的に判断すべきところである。前者を軸に取り組む場合は、そのノウハウを応用して後者へ対処することも可能であるが、後者を軸に考える場合には、前者への対応には困難が生じる可能性が高い。
団体旅行対応、特に、修学旅行などへの対応において、例えばコースの開発といった作業は、もっぱら(通常は地域外の)旅行業者が中心的な役割を担うが、その意思決定過程において、地元の自治体、観光協会等の公的組織や、個々の観光施設から提供される情報は重要な役割を担い得る。また、特に修学旅行の場合、クライアントである(地域外の)学校側の意向を旅行業者は尊重せざるを得ない立場にあることも考慮されるべきであろう。
モデル・コースは、立ち寄り先から次の立ち寄り先までの距離が、一定の間隔以上に開いてしまうと回遊性が失われること、観光対象として一定の価値をもつ景観が連続する「シークエンス景観」が演出されることである程度の誘導が可能なこと、などを考慮して設定する。間隔が開くことを避けるためには、立ち寄り先となり得るような何らかの関連施設を途中に設けることや、パブリック・アート作品やストリート・ファーニチャーの配置といった手法によって連続した一体性のあるシークエンス景観を演出することなどが、選択肢として検討される。
2.人的動員と組織化
回遊性の構築過程において、散在する観光資源の組織化を進めることと並行して、人材の発掘、育成、組織化に取り組むことも重要である。博物館等の展示施設では、「友の会」、「サポーター」等の名称で会員制の組織を設け、さらにそこからボランティアを募って学芸員に代わって解説するガイド役を委ねるといった取り組みをしている例がある(吉田,2006)。こうした取り組みは、観光資源化された諸施設が個々に取り組むことも、協力して「まち」を単位として組織化を行なうことも考えられる。
地域内外のギャップという問題は、ここでも無関係ではなく、人的動員の対象を地域内の地元住民に限る、ないし、それを主眼とする、という方針をとるのか、地域外からの介入、関与を積極的に迎え入れるかという判断は、戦略的になされなければならない。スケールはやや異なるが、商店街がウェブ上での発信に際して、来街者を取り込んで発信の作業を担わせるという成功事例の報告もあり(和田,2014)、地域外の人々をも巻き込んだ方策は、積極的に展開できる状況がある。
一般市民を対象とした動員、組織化とは別に、観光資源に関連した商品開発やブランド構築を目指し、地元の事業者を対象としてビジネス面での組織化を進めることも重要である。少なからぬ自治体において、観光振興策にせよ、まちづくりにせよ、ともすれば安易に中央(東京)の事業者に依存してしまう傾向があるが、地域のオリジナリティを、正統性をもって表現し、商品化できるのは地元の事業者である。
おわりに:観光資源化の過程における困難と課題
以上、本稿では、地域の公的主体による観光振興策へ具体的な政策提言をおこなうことを念頭に、地域文化の観光資源化に関する政策提言のための理論的枠組の素描を試みた。これが、実際に現場で有効なものとなり得るかどうかは、この枠組を、具体的な地域の現実を踏まえた議論に適用する議論の中で明らかにできることだろう。本稿を結ぶにあたって、最後に、こうした観光振興政策の末端の現場においてしばしば聞かれる困難について、簡単にとりまとめておく。
多くの自治体においては、例えば、地元の小・中学校などの学校や、図書館、博物館など、教育委員会の管轄下にある組織の動きを、観光振興にあたる行政部局の期待に沿う形で連動させていくことは容易ではない。いわゆる「縦割り行政」の壁が、そこに立ちはだかる。地域内に所在する博物館等の展示施設や史跡等の標識類の整備・管理などは、教育委員会の管轄でありながら、観光振興策との有機的な連繋による相乗効果が大きく見込まれる行政領域である。しかし、少なからぬ自治体において、博物館は十分な整備がなされていなかったり、一定水準での整備がなされていても、もっぱら地元住民を対象とした社会教育や、学校教育との連繋にのみ注力されていて、結果として観光施設として魅力を欠く状態になっていることが多い。
特に、修学旅行等のプログラムの構成において、地域内の同世代との交流という局面を盛り込むことなどが考える場合には、地域内の学校の協力があればスムーズに事が運ぶはずであるが、学校の立場からすれば、様々な点で背負わなければならないリスクが生じる取り組みに、インセンティブが無い状態で踏み込むことは難しい。
こうした状況を打破するためには、首長などのリーダーシップと同時に、より現場に近いレベルの声を活かした取り組みが実現しやすくなるように工夫された、下位組織や、庁外の組織(例えば、公的施設の指定管理者となっている非営利法人など)への実質的な権限委譲が併せて行なわれることが望ましい。大きな方針なりスローガンのレベルでは、高位者の強いリーダーシップが求められるが、具体的施策においては、現場に近いレベルで、縦割り行政の枠組にこだわらない創意を活かせる仕組みづくりが肝要になる。
まちづくりについての統一的なスローガンなりイメージの共有がなされ、その中で地域文化の振興をそのまま観光資源としての活性化に結びける方向性が政策課題として自治体庁内の各部局に徹底されるなら、部局間連繋のハードルを下げていくことは可能である。もちろん、首長が強力なリーダーシップを発揮しなくても、実務面を担う副市長等から部局長にかけての役職者層に、何らかの方向性の一致が、いわば庁内文化として成立していれば、部局間連繋はスムーズに進むはずであるが、ほとんどの場合において、首長が強力なリーダーシップを発揮しない限り、各部門のセクショナリズムによって部局間の連繋は困難になる虞れが大きい。
行政が観光を通した地域の活性化なり、まちづくりを目指すという姿勢を鮮明にし、直接には観光振興政策と関連しないように思われる方面における方策を含め、観光振興に資する方向へと予算や人材といった経営資源を振り向けることを目指せば、地域住民の意識の中にも観光の重要性の認識が高まり、地域の総体としてのホスピタリティは、住民のモラールとともに大きく改善されることであろう。その過程においては、そうした観光振興策が、翻って地域内の地元住民にとっても生活の質の向上に資するものだという観点が意識されるようにもなるはずである。少しでも多くの地域において、こうした明るい展望が開けていくことを期待したい。
注
1) 「観光資源」という用語をめぐって、米浪(2013,p.173)は観光者の立場からの「観光行動論」における用法と、観光事業者の立場からの「観光事業論」における用法では含意が全く異なることを指摘し、後者における「観光資源」は「観光生産物を生産するために自然によって与えられる有用物」という限定的な意味しかもたないことを指摘している。この枠組に沿って述べれば、本稿は前者「観光行動論」の観点に立っている。また、「観光資源」は、例えば「観光対象」といった用語との使い分けについても様々な議論があるが、ここでは、概ね森重(2012,p.114)に準拠し、「観光対象としての意味を持つ場合も含めて「観光資源」と総称する」こととする。ただし、自然状態そのものではなく、そこに人為が介在することで「資源」となる、というモチーフが強く意識されていることを予めお断りしておく。
2) 近年では、「見える化」、「みえる化」といった表現が一種の流行語のようになっているが、これはもともと製造業における工程管理などの議論に用いられるジャーゴン、術語として、2000年前後から普及し始めた用語であるようだ。本来は、システムにおいてブラックボックス化して考えてしまいがちな、ある程度の複雑性を内包した工程について可視化することが含意されていたものである。ここでは、この「見える化」の本来の含意からは外れるものも含めた表現として、そのままでは見えない(容易に存在に気づくことができない)ものを、見える(存在を知ることができる)ようにすることを、一般的に可視化と表現している。
3) 音楽関係では大垣市の江口夜詩記念館のように、音楽ホールに付随して小規模な展示コーナーが設けてあるという例もある。このように常設の展示施設と、行事会場の関係は後者が主となる場合もある。また、野球殿堂博物館と東京ドームの関係のように、どちらかが主であると説明し難い、展示施設と行事会場の双方に自立した存立基盤と存在理由が担保されている事例もある。
4) 例えば、1987年制定のリゾート法(総合保養地域整備法)は、それまでの原則を転換し、リゾート開発に伴って必要となるアクセス道路、上下水道その他の公共施設の整備義務を、自治体に負わせた(藤原,1990,pp.31-32)。これ以降、リゾート開発のみならず、観光振興政策の一環としての交通アクセス改善の取り組みにおいて、行政への期待は大きくなっている。
5) 沖縄市では、2007年からライブハウスを案内するガイド組織「コザ・ミュージックタウン・ガイド(KMG)」が立ち上げられたが(『広報おきなわ』396=2007年9月,p.8)、その後の活動は断続的なものとなっており、公式サイト(http://kmgkoza.ti-da.net)の更新も2011年2月で止まっている(2014年5月25日現在)。
文献
犬飼知徳(2010):地域観光の差別化戦略,香川大学経済学部ツーリズム研究会・編『地域観光の文化と戦略』リーブル出版,pp.215-233.
岡本健(2010):アニメ聖地巡礼の特徴と研究動向 : 既往研究および調査の整理を通して,CATS叢書(北海道大学観光学高等研究センター/鷲宮町商工会),4,91-109.
小松秀雄(2010):「歴史と文化を活かしたまちづくり」の概観,論集(神戸女学院大学),57-2, pp.53-68.
米浪信男(2013):「資源論」と観光資源,中藤康俊・松原宏・編『現代日本の資源問題』古今書院,pp.173-192.
高橋光幸(2006):観光資源の価値創出の考え方と方法,総合観光学会・編『競争時代における観光からの地域づくり戦略』同文舘出版,pp.3-15.
中井治郎(2014):〈ふるさと〉の文化遺産化と観光資源化 : 京都府南丹市美山町「かやぶきの里」をめぐって,龍谷大学社会学部紀要,44, pp.114-126.
藤原信(1990):「リゾート開発とリゾート法」,ゴルフ場問題全国連絡会・編『リゾート開発への警鐘』リサイクル文化社,pp.13-80.
宮井久男(2006):観光・地域づくりとユニバーサルデザイン,総合観光学会・編『競争時代における観光からの地域づくり戦略』同文舘出版,pp.141-158.
森重昌之(2012):観光資源の分類の意義と資源化プロセスのマネジメントの重要性,阪南論集人文・自然科学編(阪南大学),47-2, pp.113-124.
山田晴通(2011):米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設にみるローカルアイデンティティの表出とその正統性,人文自然科学論集(東京経済大学),130, pp.155-187.
山田晴通(2013):立地からみた日本のポピュラー音楽系博物館等展示施設の諸類型,人文自然科学論集(東京経済大学),134, pp.3-23.
山本健兒・山田晴通(2010):「観光・ツーリズム 1.観光産業への期待」,経済地理学会・編『経済地理学の成果と課題 第VII集』日本経済評論社,pp.116-117.
吉田賢治(2013):ボランティア展示解説員の役割と意義 : 明治大学博物館友の会展示解説員の活動から考える,明治大学博物館研究報告,11, pp.111-123.
和田崇(2014):オタク文化の集積とオタクの参画を得たまちづくり:大阪・日本橋の事例,経済地理学年報,60-1, pp.20-36.
本稿は,山田を代表者とする2013年度学術研究助成基金助成金・基盤研究(C)「観光資源としてのポピュラー音楽に関する実証的研究」(課題番号:23614022)の成果の一部である。
本稿のテキストは,当研究室のウェブサイト上で公開している。(http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/text.html)
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