学会発表:2010:

『VI』と『VII』の間.

ラウンドテーブル「経済地理学の課題を考える―『経済地理学の成果と課題 第Ⅶ集』刊行を契機にして―」[欠席:ペーパー参加].



『VI』と『VII』の間

山 田 晴 通 (東京経済大学) 


 経済地理学会の会員数は、『経済地理学会50年史』(2003) 所収の「経済地理学会会員数の変遷」(p.204)によれば、1954年の結成時から、途中で一時的な上下はあったものの概ね堅調に漸増し、このデータの最後にある2002年10月には、普通会員846名、学生会員1名、賛助会員5団体、名誉会員11名という水準にあった。『50年史』や『経済地理学の成果と課題VI』(2003)が出た頃、学会員は、860名程度の水準にあったはずだ。最近の学会ホームページに示された会員数は2009年9月現在での会員数を763名としている。乱暴な言い方をすれば、前回の『成果と課題VI』から今回の『成果と課題VII』までの6-7年の間に、学会は会員を1割以上失ったことになる。それまでの堅調な量的拡大とは対照的な縮小であり、現在の学会の規模は、1998年当時の水準に戻ってしまったというのが現実である。
 ウィキペディア日本語版は2001年に立ち上がったが、広く認知されるようになったのは2003年以降のことである(ウィキペディア日本語版の「ウィキペディア日本語版」の項目を参照)。ウィキペディア日本語版に「経済地理学」の項目が立項されたのは、2004年8月2日のことであり、最初に示された定義部分の記述は「経済地理学(けいざいちりがく)とは、経済現象を地理的な観点からとらえる学問。人文地理学の一分野であるが、同時に経済学の一分野でもあり、一橋大学経済学部は経済地理学研究のメッカとして知られている。地理学の立場から研究すると自然条件を強調する傾向にあり、経済学の立場から研究すると経済の空間的組織を強調する傾向がみられる。」というものであった。2007年2月ころから、経済地理学会についてのまとまった記述がなされるようになるが、やがてこの項目の記述は、経済地理学という分野全体に対して、経済地理学会がごく一部しかカバーしていないという論調を色濃くしていくことになる。特に「クルーグマンの新経済地理学の立場に立つ空間経済学研究者は、もともと経済地理学会とほとんど関係を持っておらず、クルーグマンのノーベル経済学賞受賞などの追い風を享受できていない。」といった批判は、的外れではあっても、学会を外から見ている目にはそう映るのかと妙に納得させられるところがある。
 この外からの視線によれば、2000年以降の経済地理学会は、「地域構造論」が研究潮流の中心となっているらしい。ところが、「地域構造論」という項目は、ウィキペディアには存在していない。私は「地域構造論」の何たるかを理解していないので自分でその項目を執筆するつもりはないが、誰かが項目を立ててくれるのなら、その内容は是非読んでみたいところだ。しかし、この項目は、この原稿を書いている時点でまだ未執筆を示す赤いリンクのままである。この6-7年間は、経済地理学会がこうした新しいメディアによる言葉の戦場で、機動的に闘えていないことを印象づけた時期でもあった。

 以上のように、周縁を歩き回りながら、『経済地理学の成果と課題VI』と『VII』の間に起こったことが何かを考え直してみると、それは、学会結成から半世紀の量的成長を支えていたモデルの崩壊、あるいは、崩壊の表面化であると思われる。学会最初の半世紀を支えた先達は、一方でイデオロギー闘争を行いながら、経済政策への積極的関与を厭わず、斯学の社会的有用性を高め、学会の成長をもたらした。しかし、そのようなモデルは既に有効性を失い、それに代わるものは見出されていないようだ。そして、今や泰山北斗となった先達たちは、徐々に、しかし確実にあるいは引退し、あるいは鬼籍に入られて、会員数を押し下げつつある。その穴を埋め、掲げた旗を引き継ぐべき若手は、学際化と関心の拡散が進み、量的にも質的にも危うさを抱えている。そのような若手はもちろん、中堅から現役の年長者まで含め(ただし、私のようないい加減な似非研究者は別として)、多くの誠実な斯学の研究者は、今や自分の研究スタイルについて自問自答を繰り返しながら、頼るべきグランドセオリーも、安住できるパラダイムも見出しがたい、大競争時代をどう進むべきか悩み続けている。それは、純粋に研究のアプローチの選択についての悩みから、研究費の調達、ポストの争奪といった下部構造へとひと繋がりになって、様々なレベルで悩みの種を撒いている。

 『経済地理学の成果と課題VII』を読み進めば、実は随所に「穴」、といって悪ければ層が薄くなっている箇所が散見されることに気づくだろう。実際に原稿執筆の依頼や編集の段階で、この項目は立てざるを得ないが、展望記事としてどこまで中味を充実させられるか心許ないというところもあり、あちこちで執筆者にかなりのご苦労をおかけした。しかし、それも斯学の現状である。『VII』は、「成果」よりも「課題」あるいは「限界」を見据えるためにこそ読み込んで欲しいものになっている、というのが今の時点での個人的認識である。
 もちろん、一方では、誠実な呻吟から生まれた新たな研究潮流の芽生えも随所に感じられる。個人的には、環境負荷を配慮した経済活動への関心、文化産業の可能性、海外での地道なフィールドワークの成果などに、そうした芽生えを感じるし、読み手によってはそれぞれまた別の箇所にも、新たな息吹が感じ取れることだろう。ひとたび固着されたテキストの解釈は、読み手に開かれている。「知性の悲観主義、意志の楽観主義」でも、「現状認識の悲観主義、長期展望の楽観主義」でもよいが、そういう姿勢で読み解いて欲しいというのが、編集の一端に関わったものとしての願いである。



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