地方新聞にリベラル系(左傾)が多いというのは、ある種の錯覚、思い込みだと思いますね。もちろん、「リベラルとは何か」という定義は脇に置いての話ですが。ただ、そうした錯覚や思い込みがどうして起きるのかには理由があります。ここで言う地方新聞というのは道府県レベルで出されている新聞で、市町村レベルの地域新聞とは区別しています。
理由のひとつは,地方新聞の歴史に関連します。そもそも地方新聞というのは、1940年頃に完成した新聞統制によって成立しました。戦後、統制はなくなり、他からの参入も可能となるのですが、市場の地域独占は崩せず、なかなか競合紙が育たなかったのです。現在、有力な2紙が併存しているのは福島と沖縄ぐらいでしょう。このため、30ほどの道府県では1つの地方新聞が大きな市場シェアを占めています。つまり、新聞というのは55年体制どころか40年体制下にあると言えるわけです。
すると、どうなるか。全国紙との対抗上、地方の利害を前面に打ち出しさえすれば,それ以上に他紙との色の違いを出す必要はなく、むしろ、極端な主張で敵を作ったり、読者が離れることを恐れるようになります。そのために論調は穏当なところに落ち着くようになる。その穏当な立ち位置が,戦後体制の中では「リベラル」だったのでしょう。
理由の2つ目ですが、一口に地方新聞といっても、数がたくさんありますよね。道府県に準じた数はあるわけですから、中には突拍子もない論調を掲載するところも出てきます。それがその新聞の性格を反映している場合もあるとは思いますが、記者や論説委員の個性による部分もかなり大きいでしょう。あるいは、県庁などの記者クラブの雰囲気が反映されたりすることもあるようです。単に一紙の、ある日の社説にそうした左寄りのスタンスが表出したとしても、全国的に眺めれば、それなりの頻度に映ります。それもまた、「地方新聞にリベラルが多い」と思わせる原因でしょうね。
さらに、地方新聞の場合、基地や原発のように地域から「反対」の声が上がりやすい問題が出てくると,その論調が紙面にも表れますから、それもまた「リベラル」に映る理由かもしれません。
要するに、全国紙が論調の面でしのぎを削って独自のカラーを出してきたのに対し、地方新聞の論説上の立ち位置の左右はかなり曖昧なものなのです。
ちなみに、今後は、全国紙や道府県レベルの地方新聞は厳しい状況を迎えるでしょうね。若者の新聞離れや放送の多様化と向き合わなければなりませんから。このとき意外と強いのが市町村レベルで発行されている地域新聞なんですよ。年配の方が望む地域の情報は、こうした地域新聞が担っているわけですから。
この記事は、「トンデモ地方新聞の世界」と題された特集(pp.54-69)の最後に掲載されたもので、かなり長い電話インタビューを、掲載誌の編集者の方がまとめたものです。掲載誌『スレッド』はその後間もなく廃刊となり、現在では古書としてしか流通していません。(参考:amazon) 2012年8月に、出版元の晋遊舎に連絡を取り、ウェブ上での公開をお認めいただきましたので、ここに掲出する次第です。関係各位のご高配に感謝いたします。(2012.10.02.) |
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