初対面の人と話していて、相手も自分と同じ趣味をもっているとわかったとする。そこから先の会話が、ある意味では楽しいものであっても、同時に、どこかにしんどい側面をもっていることは、何かの愛好者であれば誰しも痛感したことがあるだろう。相手の趣味嗜好を推し量り、自分の知識や好みをあるいは隠蔽し、あるいは誇示しながら、相手との距離感を計っていくこの一種の心理的なゲームは、素直に楽しめる面もあるとしても、緊張感を伴う面倒な儀礼に似ている。とりわけ、音楽のように、敷居が低く、多様なジャンルの広がりがあり、多様な価値観からの接近ができるテーマの場合、程度の差はあれ誰もがこのゲームに巻き込まれた経験があるはずだ。
音楽であれ何であれ、他者との共通の話題、共感の拠り所となり得る事柄にどう対処するか、という問題は、我々が日常的に様々な局面で経験するものである。特に、他者との距離のとり方をそれなりに心得ている大人とは違い、他者との接触体験も限られ、未だ人格形成の途上にある若者にとって、この問題はより深刻なものになる。ポピュラー音楽を核として周辺に展開するエンターテイメントは、若者文化の隅々に浸透している。若者にとっての音楽(そして、その周辺に展開する情報)は、自身のアイデンティティ形成の導きの糸であると同時に、社会関係を取り結んでいく上で使いこなさなければならない道具にもなっているはずだ。
本書は、気鋭の音楽社会学者である著者が、精緻な理論的枠組みを踏まえて周到に展開したフィールドワークの成果である。関西の高校生を対象として積み重ねられた多数のインタビューから、高校生たちが、それぞれの場面において、その場の社会関係に敏感に反応しながら「好きな音楽」をめぐる言説を複雑な関係性の中で操る様子が活写されている。
近年、学校音楽教育にはポピュラー音楽の浸透が進んでいる。教科書には、ミュージカル作品やビートルズから、Jポップや演歌まで、ポピュラー音楽の多様な断片が教材化されて詰め込まれている。しかし、教材として取り上げる機会を増やすことは、学校教育の場における音楽のあり方と、日常生活の中での音楽のあり方の切断を乗り越えることに直接つながるわけではない。もともと著者は、こうした観点からのポピュラー音楽教材の批判的検討を起点に音楽教育学の分野からスタートを切った。しかし、英語圏(特に英国)の音楽教育学、音楽社会学の成果を摂取しつつ研究を重ねる中で、著者の関心は文化社会学へと展開していった。そして、本書ではフィールドワークを前面に押し出すことで、高校生の音楽をめぐる意識について、説得力のある見取り図を提示することに成功している。
高校生は、著者のいう「パーソナル・ミュージック」すなわち自分の個人的な嗜好とは別に、おもに同世代の仲間との連帯のために共有される「コモン・ミュージック」、教師や親など異世代とも共有される「スタンダード」を、その場面場面で使い分けている。教室という「フォーマルな空間」、部活動など「セミフォーマルな空間」、そして学校から離れた「インフォーマルな空間」における語りから、読み解かれていくのは、男子と女子の明瞭なジェンダー差であり、一人ひとりの高校生の言説を用いた戦いぶりである。
「パーソナル・ミュージック」を誇示しながら、自分の立ち位置を求めて切り結ぶ男子たちに対し、「パーソナル・ミュージック」をひたすら隠蔽し、「コモン・ミュージック」を迷彩服のようにまとう女子たち、という「フォーマルな空間」の光景に始まり、家庭における文化資産の相続を検討し、さらに「インフォーマルな空間」におけるバンドのコスプレイヤー(女子)の心理に至る本書の射程は、包括的に高校生の行動空間を捉えようとするものである。また、インタビューの記述には、本書が目指している一般的な構図の導出とは別の次元で、フィールドワークが行われた一九九八年〜二〇〇二年前後に若者が支持していた音楽、とりわけ(著者自身も指摘しているように一九九八年にピークがあった)「ヴィジュアル系」の受容のされ方の記録としても、興味を引く言説が散見される。
「高校生が空間に応じて「好きな音楽」を変えてゆくさまは、クローゼットの前で「今日はどの服を着よう」と衣服を選ぶさまに似ていた」(P.217)という結論それ自体はある意味では凡庸に映るかもしれないが、そこに至る言説のディテールは実に魅力的であり、また説得力がある。それは、インタビューから切り出された素材の魅力でもあるが、同時にそれを捌く著者の手腕によるところが大きい。
しかし、このあまりにも鋭敏な行論は、一部の読者に、「インタビューの切り出し方に著者の恣意性が強く反映されているのではないか?」、「本当にそんなにきれいに説明できるのか?」といった疑念を感じさせるかもしれない。これは、あらゆるフィールドワークへの根源的な批判のパターンでもあるが、そのような疑念が新たな批判的研究を刺激することこそ、著者の最大の狙いであろう。
著者は、本書のフィールドワークの価値を「空間の変化に対応した生徒の音楽行動のパターンを帰納的に発見する点」と「高校生が特定の音楽を聴く、演奏する、話題にする場合の深層にある心理構造の解明」(P.222)とした上で、「日本ではまだ積み重ねの少ない音楽社会学の研究」と位置づけ、「音楽行動の根底にある心理構造を説明できる音楽社会学の理論として、永く参照に耐えうる研究であることを願っている」と綴って本書を結んでいる(P.223)。
この堂々たる直球勝負を打ち返すことは、より若い世代だけの課題ではないように思う。
(東京経済大学・メディア論)
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