この本は図書館や書店でどの書架に並ぶのだろうか。表題だけで素直に考えれば、広告か音楽のところに配架されそうだ。しかし、広告の棚でこの本を見つけた読者は、少々違和感をもつかも知れない。本書は、何よりまず、現在の日本のポピュラー音楽についての考察なのである。
本書は、小川を中心に、関西の若手研究者らが集まったグループが十年近く積み上げてきた成果をまとめたものである。この手の論文集にはありがちなことだが、内容は多岐にわたり、章ごとに記述の温度差もある。通読するよりも、章ごとに独立した論文として読むべき本なのかもしれない。
小川による第一章「日本の広告音楽の歴史」は、一九五一年の民放ラジオ放送開始以来、CMソングが独自のジャンルとして成立した時代から、タイアップ曲全盛の現在に至るまで、大きく変化してきた放送広告とポピュラー音楽の関係を要領よくまとめている。CMソングは、当初もっぱら宣伝内容に奉仕する音楽として、三木鶏郎の活動に象徴されるように、一般のレコード音楽とは異なった場所で生産されていた。やがてテレビ時代になると、CMは、レコード音楽と共通する担い手(作詞・作曲者、歌手など)が新しい音楽を実験する場となった。さらに、CMソングとレコード音楽が直結したイメージ・ソングの時代がやって来る。そして現在は、広告が音楽商品の販売促進と一体化したタイアップ曲の時代であり、巻末の「タイアップソング・リスト」がその圧倒的な状況を何より雄弁に物語るように、タイアップのないヒット曲は皆無に等しい。小川の論述は、こうした推移を明解な構図に捉えた、簡潔で説得力のある広告音楽史となっている。
増田による第二章「広告音楽とその作り手たち」は、小川の示した構図に沿った近年の動向を踏まえ、背後でそれを突き動かしてきた営力について、踏み込んだ考察を試みている。広告音楽の生産現場関係者へのインタビュー(既存のインタビューの分析を含む)を通して、立場の異なる関係者の認識の違いが整理され、それを踏まえた広告音楽ビジネスの高度化が、タイアップの全盛を生み出したことが論じられている。増田は、美学における作品概念の批判的検討を起点に著作権制度などに関心を寄せ、一連の刺激的な議論を展開している書き手だが、ここでも、具体的な広告音楽制作のプロセスを説明するような記述を含め、随所で新鮮な切り口を見せている。
第三章「広告のなかの音・音楽」では、小田原によるテレビCM表現の史的展望を含む概説がまずあり、続いてプライム・タイムに放映されるテレビCMの広告音楽に関する量的分析の結果が紹介される。一九九七年に収集されたCMを対象とするこの分析は、個々のCMの制作意図を越えて、プライム・タイムのCMが総体として視聴者に提示する広告音楽の様相を解明しようとするものである。小田原は、音楽なしのCMは全体の七パーセントしかなく、音楽がテレビCMに欠かせないことをはじめ、音楽や音の効果について、具体的な分析結果を紹介しているが、一時点のデータという制約もあってか、慎重な行論はやや不完全燃焼気味である。小川・葉口による後半の記述は、これに加えて収集手法が異なる(やや厳密性を欠く)一九八五年、一九九〇年、二〇〇〇年のCMサンプル群を用いて、四時点の比較分析を行い、サウンド・ロゴの浸透や、CM制作技術の進歩に伴うサウンド・エフェクトの使用法の変化などを、量的に示している。その他にも、分析から示唆された多数の仮説的議論がこの章には盛り込まれているが、見方によってはむしろそれが仇となって、やや散漫な記述と見えるかもしれない。
粟谷と小泉による第四章「広告音楽受容のエスノグラフィー」は、聞き手の属性によるメディア接触の違いを踏まえた「実験的エスノグラフィー」の試みとして、小学生、高校生・大学生、OL、中年女性を対象にグループ・インタビューを行った結果の報告である。インタビューで得られたコメントなどから引き出される議論は、それぞれに説得力があるものの、同時に、ごく少数の事例から一般化を急ぎ過ぎていないか、という危惧も感じた。ここでの議論に、より大きな普遍性があるかどうかは、今後、同様の試みが重ねられる中で明らかにされていくだろう。
第五章「多メディア時代の広告と音楽」は、全体の総括として意図されているようだが、小川、小田原、粟谷、小泉の文章が並べられ、少々通読しにくい。むしろ関連各章の末尾か、補注として、それぞれの節を移した方がよかったようにも思われた。
全体を通して、本書には、率直に言って物足りなく感じられる箇所も多い。しかし、しばしば大きな社会的影響力をもちながら、広告という文脈においても、音楽という文脈においても、周縁に置かれてきた広告音楽について、研究の到達点を(裏返せば、限界を)提示した意義は大きい。小川も「あとがき」で、「本書はアナログ地上波テレビ時代の広告音楽研究の集大成としての性格ももつことになるだろう」とし、「この分野の研究のひとつのステップとしての役割を果たすことができれば幸いである」と述べている。
今や日本のポピュラー音楽の大部分がタイアップ曲という広義の広告音楽なのだという事実を改めて確認した本書は、音楽の商品化というポピュラー音楽のアイデンティティにとって最も重要な側面が、メディアの多様化、連動、複合化の中で、必然的にこのような事態を生み出したことを示唆している。今後、広告音楽について、また、いわゆるJポップを中心とした現在の日本のポピュラー音楽について論じようとする者にとって、本書は避けて通れない、まず踏み越えるべき仕事の一つとなるだろう。
(東京経済大学・メディア論)
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