コラム(その他):2004:
「大学」らしい構え.
松本大学松商短期大学部創立五十周年実行委員会・編『出発(たびだち)への軌跡  創立五十周年記念誌』松本大学松商短期大学部(学校法人松商学園),p252.


「大学」らしい構え

元教員 山田 晴通

 「一年二年で辞められちゃ困るが、四、五年経って出ていくのは構わないから……」一九八六年、二十七歳で商学科専任講師に採用された時、松崎一学長はそう言って、「研究も頑張りなさい」と励まして下さった。そのおかげで、私は一九八九年には学位を取得することができ、研究者としても一人前にやっていく自信がついた。しかし、その後は短大での生活の居心地が良くなってしまったようで、一九九五年に現在の職場である東京経済大学に移るまで、松本での教員生活は九年間にわたった。
 「短期」ではあっても「大学」である以上、短大は教育機関であると同時に研究機関でもある。しかし、残念ながら多くの短大は、教員に充分な研究環境を保証していない。その点、松商短大は当時から、教員を(単なる教師ではなく)研究者としてきちんと遇する姿勢があり、研究室や研究費なども応分に用意されていた。当時の若手教員は、研究にも熱心な者が多く、短大在職中に博士号を取得したのも私だけではなく、ATT労務管理史で優れた著作を出された松田裕之さん(経営学・現在は甲子園大学)をはじめ数名いた。
 松崎学長時代に、短大は経営情報学科を増設し、施設を拡充するなど、組織や設備の面でも充実が進んだ。学長の姿勢に加え、学園理事会が短大の自主性を尊重していたこともあり、教授会には自由闊達な議論ができる雰囲気があった。小規模ながら、そうした「大学」らしい構えを備えていたことは、その後の松本大学開学に至る取り組みの背景として、大きな意味があったに違いない。学長は代わっても組織の文化は引き継がれていく。短大も四大も含め、松本大学には、今後も「大学」らしい「大学」として発展していってほしいと思う。

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